チートでチートな三国志・そして恋姫†無双
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第15話 多事争論 <上> 〜国家の暴力性〜

 

 

 

 

 

 

黄巾賊を追い払い、敵将の程遠志とケ茂を倒し、民の信頼の厚い太史慈を救った”英雄”として見られているため、劉備たちが太守となることを知らされたときの民衆の評判は上々であった。

 

降伏した兵の処遇にしても、「自分たちに危害は加えない」・「荒れた農地を耕作する」・「基本的に都市の中には入らない」ということであったため民衆からの反発は殆ど無かった。

 

 

 

さて、居城の会議室にて、太守となった劉備を囲むように、張飛・厳顔・趙雲・張?・廬植・太史慈・諸葛亮・?統・田豊・沮授が集っている。これからの方針を話し合うところであった。なお、降伏兵の管理は古参の兵たちが行い、武器などは張世平と蘇双たちが手配していた。

 

 

そして、劉備は開口一番、

 

 

「とりあえず、朝廷へ御礼をする……以外に何をしたらいいと思う? みんなの考えが聞きたいな。」

 

 

と言った。

 

 

 

基本的に、君主が居る国家、あるいは統治機構とは君主が”こうしたい”と言い、それを実現するために手足として働くのが臣下であり、統治はそのようにして成り立つものである。

 

 

ところが、劉備はそうではなく、まず部下

 

――彼女にとっては部下というより、友、仲間と思っているのだが――

 

の意見を聞くことにした。このやり方は、上手く発揮されれば、君主として最上のやり方となる。すなわち、案が出され、それについて自由闊達な議論

 

――((多事争論|たじそうろん))――

 

が繰り広げられ、結果としていい案ができあがる……というものである。いわゆる、君主の元の”合議制”というものだ。(※1)

 

 

家臣にしてみれば、自分の意見をとりあげられ、それに対して賛同を受けたり、足りないところを付け加えてもらったり、あるいは反駁されたり……と、いずれにせよ、自分の知を高めることにも繋がる。その上、採用されれば勿論、自分の功績であり、それは喜びでありやりがいとなる。

 

 

ところが、家臣がよからぬ考えを持ち、自分の利益になることだけを具申し、周りにも根回しがされていたりすると……。

 

それは最悪の結果を生む。無論、そのよからぬ考えを見抜く君主であれば別だが、そういう知のまわる人物であればあるほど、自分の能力を過信しがちになるものである。つまり、このやり方は非常に難しい条件下でしか上手くいくことはないのだ。

 

 

それはすなわち、君主が、家臣の話に耳を傾ける大きな器をもっており、自分で善悪の判断がつくことを前提とし、なおかつ、家臣が治める地の状況を良くするような政策を提言するようでなければいけないのだ。

 

 

 

この場合は北郷が優秀な人材を見極めて登用し、後に登用した廬植も太史慈もその人材と同格である……

 

――ここに集った者たちが私利私欲で動くような小者ではない―――

 

 

ということを劉備がわかっているから成り立つのである。

 

他の人物は一切入れず、聞かれるようなこともせず、”国益”を重視した真の重臣のみで行う……ということがこのやり方の肝であり、そのやり方は劉備もよくわかっていた。

 

 

いたものの……

 

 

 

「桃香様、そのようなお伺いをされるのはありがたいのですが、先代の孔融様のように((私|わたくし))には命じて頂かないと……。」

 

「うむ。桃香様、お主が考えを示してこそ国が成り立つのだ。」

 

 

と、太史慈や廬植には違和感、というか劉備があまりに君主らしくないことに驚きを隠せずにいた。

 

 

「いえ、それだけ我らを信頼して下さっているという事でしょう。それに、これは他言無用の会議ですし。」

 

「そうそう。ご主人様と話をしたときに、私はみんなの意見を聞いて、そしていい方向にもっていくやり方がいいな……と思ったの。ここに居る人なら信頼できるし。」

 

 

戦争における計略にしても、軍師にほぼ任されているのだから、田豊にとってはそれほど驚くようなことではなかった。

 

かつて使えていた韓馥は、自分たちの意見を聞くどころか、

 

『お前の意見ではわしらの利益が出ぬから、余計なことは言うな』

 

といったように、君主に少しでも都合の悪い意見を言うと、言った者が牢に繋がれてしまうような横暴な君主であったので、自分の考えを取り入れ、また、その考えを自分と同格かそれ以上の知謀の持ち主と議論して高め合うこともできるという今の状況は願ったり叶ったりであった。

 

 

 

「まず、誰が何をするかを分けたらいいと思うのだ。鈴々には兵の調練が向いていると思うのだ。」

 

口火を切ったのは、意外にも? 張飛であった。意外と言えば張飛には失礼であるかもしれないが。

 

 

「それは重要ですね。内政・外交・軍事……大きくこの三つに分けられると思います。外交には先ほど桃香様が仰った、朝廷への礼と、周辺地域の諸侯へご機嫌伺いをしておくべきかと。」

 

人のやれることには限界があり、それぞれ得意な分野が違うのだから、それぞれを分けよう……ということと、具体的に何に分けるべきについて沮授が言った。

 

 

「軍事……を、この都市の治安維持の部隊と対外的に戦う部隊に分けるべき……と前にご主人様が言っていました。そのなかで、治安維持組織は”警察”と名付けたい……とも。それに加えて降伏兵の屯田を入れればよいのではないでしょうか。

 

あとは諜報の機関をどれだけ養成できるかが肝ですね。」

 

 

北郷と話

 

――理想の国の形――

 

をしていた?統がそれに対し、そうつけ加えた。

 

 

一応、この世界にも警察と似たようなものはあるらしいのだが、きちんと機能しているのならば治安は乱れないのだから、それは結果として機能していないということなのだ……と北郷は理解していた。

 

 

 

ちなみに、これまで北郷軍が連戦連勝を続けてきた最大の理由は「情報」にある。勿論、関羽をはじめとした優秀な将や諸葛亮たち文官の力も大きいが、それよりも遥かに大きいのが「情報」である。

 

官軍など、他の軍が調べることは「敵軍の数」・「陣形」・「地形」くらいが関の山である。まともな軍でもそれに加えて「補給/兵站」がせいぜいであった。

 

北郷軍は「行軍や陣形から読み取れる的の将の性格」ということと、

 

”敵を知り、己を知れば百戦危うからず”

 

を忠実に実行し、自軍の細かな状況

 

―――「食糧」・「兵の練度」・「士気」・「行軍による疲労度」―――

 

といった細かな情報を調べ、分析し、比較しているのだ。故に、連戦連勝が可能なのである。

 

 

 

 

 

ところで、北郷には友人、というより尊敬する人物……である藤田が居る。北郷は彼と早坂から、「統治」とは、「国家」とはどういうものか……ということについての話を聞いていた。

 

これは、”国家”とは何か、すなわち”国家の暴力性”……という話である。

 

その話のあらましを振り返ってみると……。

 

 

 

 

 

昼休み。ふつう、学生にとっては昼食をとりながらたわいない話をしたりする時間である。この学院においては”優雅な時を過ごす”時間となっている。

 

しかし、この学院において”別格”の知識をもつ2人、早坂章人と藤田祥一にとっては、お互いの考えを昇華してゆく貴重な議論の時間である。本人にとってははなはだ迷惑なことなのだが、早坂は極めて忙しい。藤田も体を動かす、そうでなければじっくり書物と向き合うのが暇な時間の過ごし方である。放課後や土日などの休日にまとまった時間をとって話すということはなかなか難しい。早坂の休日は、仮にとれたとしても”議論”よりは体を動かしたり、手のかかる幼なじみたちや妹の面倒をみて遊ぶことのほうが多いのだ。

 

 

そのため、この”昼食時”は彼ら2人にとってとても重要な時間なのだ。今日の議題はベンヤミンの唱える”暴力”である。いや、で”あった”。その話の前フリに……と早坂がもちだしたものを北郷に解説することで昼休みは終わってしまったのである。

 

 

元々は”現代の社会哲学者”の中でも極めて重要な位置に居る”ある人物”に関する議論が終わりを迎えたときに、

 

「そういえば彼はアナーキストのような立ち位置だったね。」

 

「ならば、次は、”暴力”というものついて根本から捉え直してみようか。現代の”知識人”と言われる方々にはアナーキストが”それなりの数”で居るようだし。」

 

という話に始まり、では”暴力”に対する”新たなアプローチ”をした人物は誰か……としてベンヤミンを挙げ、彼の著作である『暴力批判論』という本を題材にいろいろ話そう……という予定だったのだが……。

 

 

 

 

 

 

「しかし、そもそもどうして日本では”暴力装置”なんて言葉がスタンダードになったんだろうね?」

 

「さあ……? 空気の読めない学者さんがいっぱいいらっしゃったんじゃないか? ヴェーバーとかレーニンの本から抜き出してそのまま……と。」

 

「”暴力装置”って何ですか?」

 

「軍隊と警察のこと。」

 

 

耳慣れぬ言葉を聞き、敬愛する祖父の居た”警察”を物騒な言葉で括られてしまったことに思わず怒りそうになったのだが、相手は早坂と藤田である。自分の知識で批判しても、底の浅さを思い知るだけ……ということはこれまで聞いてきたなかでよくわかっていた。そこで、冷静に質問してみることにした。

 

「意味がさっぱりわからないんですけど……。」

 

「まあ、お前じゃなぁ……。知らなくても生きていけるから及川あたりとメシ食ってきたら?」

 

「その……。」

 

「ああ、そういやお前の爺さんは元警察官だって言ってたね。それで余計に知りたいわけか。はいはい。というわけで藤田、今日は”早坂先生の社会学講座”でいい?」

 

「何回目だよ……。まあいいけど。”バカを育成してマトモにする”ことの楽しみが俺にも少しだけどわかってきたし。」

 

 

藤田にとってはこんな((初歩|アタリマエ))の話をするよりも高尚な話をしたかったのだが、早坂が”する”話で北郷を育成していくこともなかなか面白い……と思ったので了承することにした。”社会学講座”といっても、厳密な定義を話すのではなくかなり乱暴で大雑把な話なのだが、北郷にとってはとても面白い話であるらしい。

 

 

 

「さて、北郷殿、”国家の三要素”とは何であったか教えて頂けるかのう? 中間テストに向けた勉強の復習も兼ねてじゃが。」

 

猫撫で声でそう聞いた。さりげなく不動如耶の真似をしながら。

 

「国民・主権・領域の3つです。 領域には領土・領海・領空が入る……と。」

 

「ふむ……。大正解じゃ。ところが、あのヴェーバーが違う定義付けをしてしまったのじゃ。まあ、”違う”と言い切れるものでもないのじゃがな……。覚えておるか? マックス=ヴェーバーを。」

 

「いっつも思うが本当に似てるよなあ……。本人の前でもやればいいのに。」

 

「怖いので止めて下さい。いや、マジで。で、あの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を書いた社会学者ですよね? こないだその話をしてくれたんですもん、覚えてますよ。 」

 

「ふうむ、つまらんのう……。まあいいや。そのヴェーバーの『職業としての政治』という本に書いてあるものだよ。”国家の暴力性”という話だ。そもそもは学生向けの講演だったらしいんだけど、その本は今じゃ社会学や政治学の((聖書|バイブル))的な本の一つだよ。

 

 

で、その本の中で、

 

 

国家

 

――特に主権国家――

 

というのは、

 

――ある一定の領域の内部で”正当な物理的暴力行使の独占”を要求する人間共同体――

 

である。と書いた。意味は……わかる?」

 

「さっぱりです。ただ、”主権国家”とこの間の”((国民国家|ネーション・ステイト))”は違うんですか?」

 

 

不動如耶の特徴である”武士の口調”

 

――早坂は、『本当に江戸時代の武士はあんな言葉遣いだったのかね?』と言っているが――

 

を”声色”以外は完璧に真似して「国家」とは何か……という説明をした。本人はこんな猫撫で声は絶対に出さない……はずである。だから北郷は”怖い”と思うのだ。

 

 

「お、目の付け所がなかなかいいな。そのちょっと前、絶対王政の辺りからが”主権国家”だ。要するに封建制が崩壊して主権者が明確になったころ。ただし、いつも通り、いい加減な解釈だということは理解しておいてね〜。大学行ったあとで”嘘つき”とか言われても困るからさ。」

 

「”絶対王政”といっても、まだ習ってないんですけど……。」

 

「はぁ……。まあ、ようやく元が潰れてイスラムに入るところだからなあ……。まあ、こないだ楠原先輩がナポレオン聞いてきたし、今年中にその辺まではいくんだろうから、予習だと思って聞けばいいよ。要するに、王様が強大な権力を持った中央集権体制の国のこと。特色は”官僚”と”常備軍”を持つこと。そして、”王権神授説”によって王が権力を持つことの正当化がされたこと。読んで字の如く”王の権利とは神様から授かったものである”っつう考え方な。」

 

 

藤田が呆れたように言いながら”絶対王政”についての解説をした。

 

 

「なるほど……。で、”正当な物理的暴力....”って何ですか?」

 

 

「……。”正当な物理的暴力行使の独占”な。”合法的な暴力”を国家『だけが』認められているということ。まあ、意味がわからないだろうからすごーく極端な例え話をしてあげよう。

 

私が及川と学院で大喧嘩をした。そこで、私はものすごく腹が立ったから『コイツ、ぶっ殺してやる!!』と内心では思った。そこで、どうせ殺すなら駅前で派手に……と思ったから、”仲直り”の名目で駅前に呼び出した……。」

 

「何なんですかそのむちゃくちゃな例は……。」

 

「まあ、いいから聞きなさい。

 

その話を及川から聞いたお前は、どこか不審に思った。だからこっそりついていくことにした。と、及川が包丁で刺されそうになった。ヤツは”火事場の馬鹿力”で躱した。残念だ。

 

さて、私が及川を刺し殺そうとした。これは暴力である。yes、no どっち?」

 

「いや、これが暴力じゃなかったら何が暴力になるんですか……。」

 

「そう。当たり前だがこれは暴力だ。さて、この場面を目撃した北郷君、君はどう行動する?」

 

「え……。助けに行きますよ。『止めろ!』って。」

 

 

 

 

北郷が正義感にあふれた答えを出したが、早坂と藤田は揃って溜め息をついた。

 

 

「……。その前にどこかに電話しようとは思わない?」

 

「え? あ、警察呼びますね。」

 

「そう、普通は警察を呼ぶわけだ。まず第一にね。そして、警察が来るまでの間、かろうじて及川は生き延びた。さあ、警察が来た。私を捕まえに来たわけだ。当然、警察官は私を捕らえるね。さて、私は自由を奪われることになるし、その上、警察官は大人数で押し寄せて、さらに拳銃を持っている。まあ、この程度の問題で拳銃を使うことはまずないだろうけどね。それでも、大きな力を持って押し寄せてくるわけだよね。 これは暴力である。yes、no どっち?」

 

「……。そりゃ、”暴力”と言えないわけじゃないでしょうけど、それは……。」

 

 

 

そう、”自由を奪う”・”大人数で押し寄せる”...といったことそのものは暴力である……のだろう。しかし、それをやっているのは”警察”である。どうも釈然としない気持ちがあった。

 

 

 

「それが、”正当な物理的暴力行使の独占”だ。つまり、やっていることは暴力だけれども、それは正当な行為である……ということ。」

 

「なるほど……。でも、それが国家の定義っていうのは……?」

 

 

「国家が認めた集団だけが”正当な暴力”を使うことを許されるわけだ。もしも使える集団が居ないのであれば、国家として機能していない、すなわち無政府状態と言えるよね。人を殺しても、物を盗んでも罰せられないところを”国家”とは言えないだろ? 逆に、国家によって認められていない集団が暴力を行使すれば、単なる『テロ』、あるいは『殺人』なり『窃盗』なり・・・というわけだよ。

 

つまり、領域の中で、ある一定の集団だけが他人の自由を奪ったりする権利を持つわけだ。その集団のうち、内側、すなわち国家の中で暴力を行使できるのは警察であり、外側、すなわち他国に対して暴力を行使できるのは軍隊だけなんだ。

 

 

その”暴力を行使できる集団”のことを『暴力装置』と定義しているんだよ。まあ、”暴力”という言葉が物騒で誤解を招きかねないから『法の執行機関』あるいは、『法執行機関』としているほうが((世界水準|グローバル・スタンダード))みたいだけどねえ……。

 

 

まあ、例の本で

 

――暴力によってこの地上に絶対的正義を打ち立てようとする者は、部下という人間『装置』を必要とする――

 

というふうにも書かれているし、その通りにしたとも言えるのだけど……。

 

あとはレーニンが著書『国家と革命』の中で「暴力装置」という言葉を使っているね。暴力による革命を正当化するためのものとしてね。

 

といっても、こんな言葉や定義を知ってる必要があるのは学者と政治家と為政者くらいだろうけどねえ……。」

 

 

 

 

「ところで、どうせだし他に聞きたいことはないか?  あと20分くらいしかないから、俺らの本題は終わらないどころか始まりもしないしな。」

 

 

「えーっと、じゃあ、”話そうとしていた本題”の話と、”シビリアンコントロール”の話を教えて下さい。なんか重要な話だって聞いてるし、たまにニュースにもなってますけど、さっぱりなんで……。」

 

 

「まあ、”暴力”にたいするアプローチの仕方の話……かな。

 

ヴァルター=ベンヤミンという哲学者の考えを語ろう……と。『暴力批判論』という本を題材にしてね。”正しい暴力はあるのか?” とか、そういう話。

 

 

後、政経でこの間やった“自然法“の概念と“実定法“の概念・・・という話もあるよ。

 

政経では“自然法“と“実定法“は違う・・・という話だったけど、実はその2つは同じドグマに帰結する・・・という話さ。」

 

 

「あー。ストップストップ。頼むからそんな話は止めてくれ。北郷なら混乱するだけだ。」

 

 

 

 

 

「あらら……。 

 

じゃあ、さっきの話に色々付け足すとしようか。

 

『国家はこの暴力抜きには存在しない。故に国家は本質的に悪である。』

 

という思想があって、これがいわゆるアナーキスト、要するに無政府主義者の論理だ。

 

人や物事の本質を見極めるのはとても難しい、というより不可能、と前に話したけれど、この場合は“思想“だからできるんだと思ってくれ。

 

 

それをかなり好意的に解釈すると、“政府や国家があるから戦争が起きるんだ! 故に国家などいらない!“ という立場だ。

 

 

ちなみに、ベンヤミンは

 

『この暴力抜きでは国家が成立しない。故にこれ自体は善でも悪でもない。』

 

という立場だよ。

 

『王権神授説』は、

 

『国家はこの暴力があるから維持できる。故にこの暴力は善である。』というような考えかな。

 

 

 

で、シビリアンコントロール。日本語では、文民統制と書くんだけど、まあ読んで字の如くだよ。みなさんどうも横文字が好きなようでわかりにくいだろうけど、漢字にするとなんとなくわからない?

 

文民とは、軍人ではない人のこと。つまり……。

 

 

 

「政治家が軍を支配するっていうことですよね? 当たり前じゃないですか。」

 

「突き詰めて言えばそうだね。ところが、その当たり前のことが往々にして出来なくなることがある。お前にでも一番わかりやすいのは戦前の日本かな。結局は軍が暴走して軍人が政権を握って悲惨な戦争にいっちゃったわけだ。

 

まあ、あのときは、そもそも軍の統帥権が政治家に無かったからああなったんだけどね。そうでなくても、政治情勢が不安定になると必ずといっていいほど軍人が政権を握るんだよ。ローマではマリウスとスラという軍人の争いになって、その遺志を継いだのがあのカエサルとなったろ? 他にも色々居るけど、お前でも知っているのはナポレオンかな。」

 

 

「無かった……。ところで、軍人が政権を握るとそもそも何が問題になるんですか?」

 

「言論弾圧とかそういう話を抜きにして、そしてあくまで私見だけれど、軍はナショナリズムが存在、というか燃え上がっていないと存在できないわけだ。当たり前の話だよね。『外敵をやっつける』ために団結するのが軍隊だし、その団結心が”ナショナリズム”だ。

 

 

ところが、政府は”ナショナリズム”を”コントロール”しなければいけないんだよ。わかる?  まあ、これがさっぱり出来ていない国が近くにあって、燃え上がると((五菱|ウチ))の会社とかをぶっ壊しに来てくださるわけなんだけどね……。

 

その愚痴の話はまあいいや。思い出してもアタマに来るだけだし。要するに軍が政権を握るとナショナリズムに流されて大局的判断ができない……ということ。」

 

 

早坂が舵取りを担う”五菱”が最重要拠点と位置づけてもいる”さっぱり出来ていない国”では、たまに日本や欧米の”排斥運動”が巻き起こり、そういうときには、最悪の場合は工場を破壊するまでの行為に及ぶという、極めて厄介な問題であった。

 

どうしようもない……というのが正直なところであるのだが。

 

 

 

「なんで”ナショナリズム”を”コントロール”する必要があるんですか?」

 

「この間もチラっと話したけど、”戦争をしたい”ときにはナショナリズムを燃え上がらせる必要があるんだよ。燃え上がると”排他的”になりやすい……っていう話はしたよね?

 

つまり、ナショナリズムが燃え上がることは敵対感情を煽ることになり、戦争に賛成する、あるいは『参戦するべきだ!』 という世論が形成されるわけだ。

 

そのやり方

 

――パーセプション・ゲーム――

 

に関して、特にアメリカはもう”お家芸”と言えるほどこれが上手い。しかもこうやって参戦した戦争はヴェトナム戦争以外、全て圧勝だ。」

 

 

「パーセプション・ゲーム?」

 

「外交ってのは2種類あんの。一つが外交そのもの、つまり他国との交渉、折衝。もう一つが『パーセプション・ゲーム』。要するに、その”外交”が国民に対してどう受け入れられるか……っつう話だよ。」

 

 

そう、藤田が多少イライラ気味に答えた。彼にとっては”今さら……”である。そして、こんな話をするというのは無意味な時間の浪費にしかならないのだ。そう、ついこの間”ナショナリズム”に関して詳しい解説をしたばかりなのにまた聞かれる……ということは、”同じ話を2度する”ということだからである。だから機嫌が悪くなってきたのだ。

 

「まあ、そう怒らずに。一番わかりやすいのは米西戦争かな。これはアメリカが帝国主義に移行する最初の戦争なんだけど、そのきっかけが自作自演のテロ工作」

 

「自作自演のテロ!?」 

 

 

「そう。まあ、”と言われる”だけど、私はほぼ間違いないと思ってるよ。もともとアメリカは『モンロー教書』という考え方に基づいて、孤立主義、つまり外に行かない政策をとっていたんだ。これには南米に対するアメリカの優位を持つというのもあるけど、まあ、とりあえず”ヨーロッパとアメリカはお互いに干渉しない”というものだ。

 

けど、それが帝国主義、つまり外に出て行く政策に移行していくことになる。背景としては”フロンティアの消滅”つまり「開拓する土地がなくなった」ということがある。これが1890年だ。”フロンティア”っていうのは”未開の地”と”開拓された土地”の境という意味だよ。

 

元々、アメリカは一番東、”東部13州”から始まったんだ。彼らは『マニフェスト=ディスティニー』というスローガンを掲げ、『Go West!』という掛け声のもと、土地を開拓してきた。が、それが無くなったんだ。まあ、”開拓”というよりは”インディアン殺し”とも言えるけどね……。」

 

「『マニフェスト=ディスティニー『 って、どういう意味なんですか?」

 

「『明白なる使命』 という訳かな。”我々が未開の地を開拓するのは、神が我々に与えた使命だ! という意味だよ。白人の領域が広がることは神が祝福してくれるのだ!! という話さ。本当に素晴らしい神様だねぇ。クソ喰らえ

 

まあ、それは見事にアメリカ人のナショナリズムを刺激しているわけだ。 これが特に1840年代に唱えられた。つまり、領土拡大の正当化に使われたんだ。あとはそのまま帝国主義政策に以降したら今度は有色人種の国を獲りに行くときに使っていくんだ。

 

が、実はアメリカが帝国主義政策に転換したときには、もう残っている植民地にできそうな国っていうのは一つしかなかったんだ。でも、その国も1898年に分割されてしまう。」

 

 

”本当に素晴らしい神様”と、とてもそうは思っていないことが明らかにわかる口調で早坂は言った。ボソっと「クソ喰らえ」とも。

 

そう、実はアメリカが帝国主義政策をとりはじめた時期はイギリス・フランス・ドイツなどの国より遅いのだ。

 

「その国って……。」

 

「お察しの通り、中国だ。でも、まだ行けると思ったアメリカはまず、補給する拠点が欲しかった。それが、ハワイ・グアム・フィリピンだ。ちょうど、アメリカから中国に行く太平洋のルートにあるだろ?

 

ところが、ハワイは独立国だがグアムとフィリピンはスペインの領土だった。”米西戦争”の”西”っていうのはスペインのことだよ。手に入れる方法はただ一つ、戦争しかない。そこで、アメリカが目を付けたのがキューバだ。あそこもスペインの植民地だったんだよ。しかも、丁度良いことに独立運動をやっていた。そこで、”キューバの独立を支援する”ために軍艦を派遣したんだ。ところが、その軍艦が沈んでしまった。

 

 

”あらら、沈んじゃったぜ” と。これが“メイン号爆沈事件“っていうやつだよ。そこでご丁寧に

 

 

Remember the Maine!

 

 

というスローガンまで掲げて戦争をやった。

 

こうすれば、世論は当然、“スペインはけしからん!“という風潮になるからアメリカ人のナショナリズムが燃え上がって、結果として戦争に賛同する流れができた。というわけでそれをスペインのせいにして戦争開始だ。結果はわずか4ヶ月でアメリカの圧勝だよ。ちなみに、キューバはとりあえず独立させたけど、わずか3年後に”プラット条項”で事実上の保護国にした。そして、1899年と1900年に”門戸開放宣言”というものを出す。”中国はみんなで平等に分割しよう!”という話だよ。」

 

 

 

 

「無茶苦茶ですね……。」

 

 

 

 

「まあ、まともな戦略を持った外交とはこういうもの……とも言えるけどね。 場当たり的な政策じゃなくて、全てが繋がっている極めて緻密なやり方だよ。

 

 

それに……。戦争なんてそんなもんだもん。”勝者こそ正義”だよ。

 

で、戦争をしたいときにはそういうきっかけがなければいけない。そして、そのインパクトが大きければ大きいほど格好のプロパガンダになるから政権としては大喜びだよ。国民のナショナリズムはこれ以上ないほど燃え上がる。

 

 

『○○という国は××というような極悪非道な行為を行った!! 国民よ、こんな行為を許していいのか!?』

 

という具合さ。

 

 

逆に戦争をしたくない、関係を良好に保ちたいけれども、世論が“○○という国はけしからん!“ という風潮のときには、ナショナリズムを冷ます、というかいかに静めるか……が肝になるんだよ。世論を無視して政策は行えないからね。が、世論、あるいは国民感情、ナショナリズムに流されて政治をやることは必ずしも”国益”とは繋がらないんだよ。そういう話さ。

 

 

それで『シビリアンコントロール』の話に戻るけど、軍や警察には”政治的・思想的”に中立であることが常に求められ、逆のことを言ったりしたりする人がもしいるのなら厳罰に処さなければいけない。外交政策に軍が口を出すようでは終わりだし、例えば治安維持を警察にとって都合の良いものに変えたりしたのでは無茶苦茶な国になるからね。 しかし、政治家と軍人には感覚の乖離がある。」

 

 

「乖離?」

 

 

「まあ、お前にたとえて言うと、”スポーツトレーナーで剣道の有段者でもない人”が、基礎的な体作りというようなところだけじゃなくて細かい技術面にどうこう言おうとする……ようなものかな。そんなことされたら、”お前に何がわかる!?”とか思わない?」

 

 

「そう……ですね。俺も早坂さんや不動先輩のアドバイスなら何でも聞きますけど、自分より下手な人とか剣道をよく知らない人に、メンタルとか体に関するモノだけでなく技術面まで口出しされたら頭に来るとは思います。」

 

 

「まあ、そのへんの小難しい話はまた今度かな。もう次の授業が始まるまで5分くらいしかないし。」

 

 

 

この話に登場する帝国主義の仕掛け人とも言うべきアメリカ大統領は25代、マッキンリーである。このような仕掛け人たちは、将来、北郷の”戦略”を参考にし、模倣していくことになる……のだが、無論、それを知る者はまだ居ない。

 

北郷が北海を第一の攻略地点に置いたのは無論、必然である。”太史慈が居る可能性がある”というだけではなく、そこには大きな理由がある。その”理由”のためにこれまでにも様々な種を蒔いてきたのだが、そのことに気づいているのは徐元直ただ1人である。他の将はおろか、文官でさえ、それぞれの事情でそこまでは頭がいっていない。(※2)

 

 

 

 

 

 

そのため、国を統治するには、まず法によって誰もが平等に裁かれる機構を作る。

 

そして、統治機関である政府が警察と軍という「法の執行機関(暴力装置)」を完全に統制して掌握することが最も重要であると知っていたのだ。

 

勿論、法が社会の規範たりうるものでなければどうしようもないのは言うまでもないが。

 

といっても、この世界において北郷が置かれた状況は、統治する自分が軍の大将にもなるという、とても奇妙な状況ではあった。それでも、軍に関わる将には関羽や張飛・趙雲といった、絶対に裏切らない将を置き、そのうえで、警察と軍という法執行機関(暴力装置)を整備することは最重要課題であった。

 

 

 

解説

 

 

※1:多事争論:もともとは福沢諭吉の言葉です。意味としては「違う意見を持つ者が議論する事がなにより大切である」ということです。

 

※2:ここだけ、”徐元直”なのは、そのほうが格好良く見える、ただそれだけです。

 

※今話の一部に岩波文庫刊『職業としての政治』マックス・ヴェーバー著/脇圭平訳 からの引用があります。

 

 

後書き

 

”ナショナリズム”については第3章でもう少し詳しく話をするので、それまでお待ち下さい。この話をしておくと今後が楽になるので小難しい話ですが入れることにしました。

 

※本編では関係ない話なので入れませんでしたが、米西戦争でアメリカが獲得した領土はフィリピン・グアム・プエルトリコの3国です。

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第2章 劉備たちの動向 安住の地を求めて 〜神の視点から〜
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