吸血巫女の復讐 四章 |
四章 吸血巫女の復讐
「お背中お流ししますねー。お姉様」
「ええ、ありがとう」
雪国は貴族に非常に人気が高く、北の土地はほとんどが誰かしらの貴族の所有地である。
その理由が、各地より湧き出る天然の温泉。普通の風呂とは違い、湯には様々な薬効があるという。
中でも、痔によく効くという温泉は大変な人気で、これは貴族や役所勤めの人間は座り仕事が多く、かなりの確率で痔になっているからだそうだ。
ちなみに願衣達の辿り着いたこの温泉は、特に病気に効くという訳ではないが、薄めなくても入ることの出来る絶妙な温度と、美容に良いという少しぬめりのある湯が特徴だ。
「しかし、本当に貸し切り状態ですね。……あ、サイラスやラルフさんには少し申し訳ないですが」
「まあ、どうせ男はそんなに長風呂もしないんだし、良いんじゃない?」
温泉ということで当然ながら湯船は男女混浴であり、いくら幼馴染と従者という間柄でも、一緒に入るのははばかられる。むしろ、男性陣の方が全力で拒否したから、まずは願衣とレイナだけが入ることになった。
女性にとってはありがたいお湯を全身に浴び、旅の汚れを落としてから湯船に浸かれば、体がとろけるような気持ち良さに包まれた。少し熱いぐらいかもしれないが、これぐらいの温度の方が適度に発汗も出来て体に良さそうだ。
二人は背中を合わせるように座り、しばらく何を話すでもなく温泉を堪能していたが、ある時レイナが口を開いた。
「お姉様は……お父様のことを、どれぐらいご存知なのですか?」
もちろん、レイナの父ではなく、願衣の父親である吸血鬼のことなのだろう。
「どれぐらい……全く知らない、って言葉が一番適当かしら。私が知っているのは、吸血鬼だということ、お母さんとは一時的にせよ愛し合っていたこと、二人が出会う前、親父は諸国を放浪していたらしいこと。それから……金髪で、長身で、掴みどころのない不思議な人だったってことかな。声とか顔とか、私が物心着く前に消えたから、まるで知らないわ」
「肖像画などもなかったのですか?」
「私の村に絵の上手い人はいないし、旅の画家にも描かせなかったみたい。まるで、痕跡を意図的に残さないようにしてたみたいだわ」
きっと、実際に意図的なものだったのだろう。そんな確信が願衣にはあった。
初めから父は、村に長居するつもりはなかったのだろう。どういう訳か彼はずっと旅の空の悪魔だったのだから。
……だからこそ、今の父の真意がわからなかった。旅を続けるのではなく、一つの住居を構え、そこで王か何かのように君臨している。家族を捨て、かつての妻と同じ種族である人間達を苦しめながら。
「不思議な方ですね……」
「そう。とにかくやることなすこと、全部が変。まあ、悪魔の癖に人間を好きになった時点でただ者じゃないけど、私の知っている情報だけでもこんなに変な奴だし、多分、他にも嫌になるぐらい変な経歴があると思うわ」
「けど、すごくらしい気がします。そんなお父様がいるからこそ、このお姉様がいるんだな、って納得出来ちゃいますよ」
「……私は、変じゃないでしょ?」
「そうですか?レイナからすると、お姉様は明らかに他の人とは違っていて、すっごく魅力的な人だと思いますが」
「褒めているんだか、けなしているんだか……。まあ、それを言い出したらレイナも相当な変人だけどね」
「ええっ?そうですか?」
「むしろ、今まで自覚なかったの?」
「あはは……普通だと思ってました」
スキンシップが過剰だったり、以前やたらと連呼していた「ばふぁー!」のような一風変わった言葉だったり、どう考えても人とは違う嗜好、感性の持ち主なのだが、本人にしてみれば常識ばかりだったのだろう。
旅の最後になって衝撃の事実が判明したが、そんなところも含めてレイナの魅力なのは間違いない。
きっと、女王に即位してからも民衆の心を掴み、愛される、また愛すべき王となるだろう。
「ですけど、お父様に会われたら、本当に戦うんですか?」
「ええ……もちろん、ある程度は話そうと思う。初めて話すことになるんだし。けど、そのまま親父が頭を下げて謝って、村に帰るなんて言い出すとは思えない。そしたら、恨みを晴らすためにも親父を倒して、無理にでも連れ帰ろうと思うの」
「もし、お父様にお姉様達と離れて暮らしている、正当な理由があったとしてもですか?」
「そんなものが、もし本当にあるのなら、その時は考えるわ。でも、親父の悪名は南にも伝わるほどなのだから、絶対まともなことを、まともな理由でしてないと思うの。結局は悪魔ってことなんだと思う。……だから、その時は武力に訴えないと」
「勝てる見込みは……ありますか?」
珍しく、レイナが真剣に追求して来る。それだけ願衣の身のことを案じてくれているのだろう。
今までの旅の中で何も危険がなければ、しつこいぐらい訊いてくることもなかったのだろうが、ラルフを守るためとはいえ一度願衣は大怪我をして、何日も昏睡状態になっていた。
「普通に考えれば、純血の悪魔に半分人間の悪魔が敵わないと思う。けど、私は普通の人間じゃないし、使ってる武器も、その扱い方も、普通とは違う。……実はこの時に備えて、わざわざ暗殺者が使うような武器を習っていたんだけどね」
「そうだったんですか……。確かに、不意打ちは力量、体力の差を逆転させるのに役立つかもしれませんね。それに、今まで出していた武器以外にも、まだレイナが見たことのある物以外にも武器はあるんですよね?」
「短剣と、分銅鎖以外ってことね。確かに、後二つほどあるわ。むしろ、メインなのはこの二つ。悪魔にだって、いや、悪魔にこそ致命傷を与える必殺の武器だと思う。……まあ、それでも親父を殺しきってしまう、なんてことはないと思うわ。半分だけ悪魔の私が、半日以上血を流して、まだこうして生きているのだから」
あの日の深夜から、昼頃にかけて、願衣の出血は止まることなく体から血は失われ続けていた。人間が同じことをしていれば、間違いなく生きてはいられないだろう。
「そうですね……。それに、お父様が実のお子さんを本気で傷付けることが出来るはずもないと思います。きっと無事で戻って、またレイナと会えますよね」
「その辺りの情があるかわからない相手だけど、ええ、絶対に生きてお母さんのところに帰るわ。それが旅に出る絶対条件だったんだもの」
母親に迷惑、負担をかけない。そして、心配させてしまうだろうが、絶対にまた笑顔で帰って来て、安心させてあげる。
それが願衣の立てた誓いだった。
誰かに打ち明けた訳でも、何かに書き付けた訳でもないが、それがこの旅の大前提となっている。
一度は危うくなったが、こうして再び願衣は立ち上がって目的地に肉迫していた。
「そろそろ、上がりましょうか」
「ですね。えへへ、やっぱりお互い裸だと、色々と話せますね」
「裸かどうかは関係ない気もするけど……。ありがと。レイナ。気持ちの整理が付いた気がする」
「そう感じてもらえましたら、レイナは大満足です。ご武運をお祈りしていますね」
そうして、別れの時がやって来る。
父の城――魔城とでも言うのだろうか――の攻略は、小難しい作戦を考えず、正面突破をする。今更街で何か情報を得る必要もないし、ただ駆け抜けるだけ、というものに決まった。
あまり変な噂が立って、相手に気取られてしまい、より警備を固められても困るだろう、というレイナの意見が反映されたものだ。意外、というほどではないかもしれないが、こういう戦略的な思考も十分レイナは出来るみたいだ。
「……では、願衣さん、ラルフさん。そろそろ別れた方が良いですね。レイナ達はもうしばらく、この辺りを旅してから、国に帰ろうと思っています。もし早く用事が済んでしまったら、また会えるかもしれませんね」
「レイナ様。急いてことは仕損じるとも言います。あまりそのような、急がせてしまうような発言はいけませんよ」
「あ、あはは。そうですね」
微妙に最後までびしっと決まらない辺りも、レイナらしい。
しかし、出来れば国に帰るまでにもう一度会いたいとも思う。そのせいで目的を達成出来なくては、本末転倒というものだが。
「じゃあ、さようなら。レイナ、サイラス。また会える日を楽しみにしているわ」
「はい。どうかご無事で、お元気に」
最後に、願衣とレイナは互いに固く抱き合った。
この期に及んで、それとなくレイナの手が願衣の胸に伸びようとする辺り、あまり湿っぽくなくて良いのかもしれない。きっちりとその腕は阻んでおいたが。
「それじゃあな、二人とも。楽しい旅だった」
「お二人も、お気を付けて。今度、もし時間が出来ましたら、僕だけでも村にお邪魔させてもらいますね」
名残惜しい気持ちが、ない訳がない。しかし、お互いになすべきことがある。
運命的に思えた出会いも、いざ別れが来たら、手を振り、可能な限り笑顔を作る。そうやって別れを享受しなければならない。
出会いほどの劇的さはそこにはないし、今も、昔も、そして未来も、きっと変わらない、特別さなんて欠片ほどもない決まりきった行動だ。
だが、それ以上の別れもまた、存在しないだろう。だから、願衣もまた、過去の人がそうしたのと全く同じように手を振った。
レイナはオーバー過ぎるぐらいに手を振り返してくれて、その顔には悲しみの涙ではなく、再会を楽しみにする笑顔がある。それに応えるべく、願衣もまた笑顔を作ろうとしたが、中々思い通りに顔の筋肉は動かず、代わりに一筋の涙が流れた。
「あれ……なんで私、涙なんて……」
涙は止まることがなく、ぽろぽろと大粒になって零れ落ちていく。だが、泣きながらでも笑顔を作ることが出来た。
おかしな泣き笑いにレイナ達は驚きながらも、最後まで笑顔で手を振っていてくれる。
後ろ歩きで願衣は離れて行き、遂に二人の姿が見えなくなると、だっ、と背を向けて走り出した。
「願衣……」
「ラルフ。行きましょう。私達の目的を果たしに」
涙を袖で拭き取り、笑みも消した願衣は、毅然と正面……遠くにおぼろげに見える父の城を睨み付けた。
これからするべきことは、ただ一つ。
二人で旅の最終目的を達成する。どんな手段になるかはわからないが、父を連れ帰ることだけだ。
「あえて、いきなり武力に訴えることはしないわ!私はこの城の主、オズウェルの長女……というか、一人娘の願衣!このまま門を開けて、城主のところまで通してくれるなら、それでよし。もしそれを拒むようなら、ちょっと血を見てもらうことになるわ!」
巨大な城の門前に立ち、言い放つ願衣の姿は、悪魔を討つためにやって来た巫女というよりは、もっと凶悪な存在に近い。
偉そうに腕を組んで啖呵を切り、既に袖に隠した短剣に手をかけようとしている。そもそも大人しく通してもらえるとは思っていないものだから、最初の言葉は要望や問いかけではなく、挑発だ。
「返事なし、と。この私を無視ったわね?やっぱり気に入らないクソ親父だわ」
「しかし、願衣。門に見張りが配置されていないなんて、明らかに不自然じゃないか?どうも、罠としか思えないんだが……」
「そうね。十中八九、中で熱烈な歓迎をしてくれるんでしょう。でも、ここで立ち止まるためにレイナ達と別れて、ここまで来たんじゃないわ。罠があれば、それごとぶっ壊して押し通る!それで良いでしょ?」
「……おまえ、ここまで来てヤケ起こしてないか?」
「嘘も吐き通せば本当。ごり押しもそれが成功したら、立派な戦略じゃない」
「はぁ。そうだな。ま、おれはおまえに最後までついて行くだけだ」
城門は高く、村を抜け出た時と同じようによじ登ることは難しい。というより、完全に煉瓦で組まれたそれを登ることは不可能だろう。おまけに鉄製の槍のような柵が飛び出していて、迂闊に触れれば城内に入る前に怪我を負いかねない。
「ラルフ。ちょっとその剣、貸して」
「おれの剣か?」
「そう。多分、これぐらいの大きさと強度なら、大丈夫と思うんだけど……」
長剣を受け取り、それを大きく振り上げる。本来なら男性でも両手で扱う代物だが、当然のように片手だ。
「どうするんだ……?」
「っと、こうするの!」
渾身の力で剣を城門に向けて振り下ろす、というよりは叩き付ける。視認の難しいほどの速度でそれを何度も繰り返すと、剣は飴のように曲がり、刃は砕け、中ほどから折れてしまったが、巨大な鉄の門もまたその形を大きく変形させて、無理をすれば人一人が通ることが出来るほどの隙間が作られた。
「よし、無事に開通ー」
「お、おれの剣は無事じゃないんだが……」
「ここからは私一人で戦うから大丈夫。しかし、あんたが長剣使いで本当に良かったわ」
「……おまえ、絶対隠し武器じゃなく、大剣とか斧とかで戦った方が強いよな……」
いつもはその力を発揮する必要がないので秘められているが、結局のところこれが願衣の真の実力であり、本性であると言える。
悪魔の血が与える恩恵は強く、それなくしては、父に会うことすら難しいだろう。
自分の嫌う父のお陰で自分の目的が果たせるだなんて、皮肉以外の何事でもないが、こうして混血と生まれてしまったのだ。生まれを呪うより、その全てを利用してやる方がよほど生産的というものだろう。
「邪魔するわよ!命が惜しければ、道を空けなさい!!」
「絶対、悪玉の台詞だ……それ……」
門を通過した後は、なぜか施錠されていない扉を開け、城の中へとなだれ込む。
中は悪魔でごった返し……だとばかり思っていたが、赤絨毯の敷かれた城内は閑散としていて、生物の気配というものが全く感じられない。
悪魔の気配に敏感な願衣ですら何も感じないのだから、本当にもぬけの殻だと考えて良いのだろう。
「どういうこと……?」
「この城に誘い込んで、火攻め、とかしないよなぁ。まさか実の娘をそんなむごたらしく殺すとは思えないし」
「親父のことがロクにわかっていない以上、そんな可能性があるということは念頭に置いておく必要があるけど……。もう少し奥に進んでみましょう」
城というものの中に、夢ではなく現実で足を踏み入れるのは初めてだが、ある程度の構造は予想出来る。
普通、玉座の間は一階の奥にあるはずだ。最上階という可能性もあるがなんとなくこちらの方が怪しい気がする。
灯りのあまり灯っていない城内を用心深く進んで行くと、間もなく開けた大部屋に辿り着いた。間違いない、ここが玉座の間だ。
そして、どこかで感じたことのある人の気配がする。いや、どこかではない。これは紛れもなく願衣自身と非常によく似た気配。願衣の中に流れる悪魔の血を与えた人物の気配だ。
今までに会って来た他の悪魔とは明らかに異質で、殺気や敵意というものは、遠くに見える黒衣の男からは感じられない。
部屋は不気味なほどに静かで、驚くほど冷えきっている。時間が止まり、その部屋自体が、死んでいるかのように。
「親父。これはどういう歓迎パーティー?」
「おお、やっと来たか。もう十数年ぶりになるか、我が娘よ」
黒衣の男はゆっくりと玉座から立ち上がると、驚くほど優しげな視線を願衣に向ける。
まだ見た目では願衣達とそう変わらない青年に見えるのに、間違いなくその視線は親が子に対して抱く慈しみの感情の現れで、にわかには信じがたいが、この男が願衣の父で間違いないのだろうとわかる。
「いや、折角の感動の再会なのだから、使用人達には消えてもらっていてな。親子水入らずで……む、その青年は、彼氏か何かか?」
「そんなんじゃないわよ。それより、私はあんたに会っても毛ほども嬉しくないし、真剣に訊きたいことがあるの」
「父さんに質問か?なんだなんだ。なんでも答えようじゃないか」
「なんで、お母さんと私を置いて家を出たの?」
袖に隠した短剣のような鋭さと冷たさで、最大の疑問をぶつける。
逆に、これ以外の質問なんてものは存在していない。この答えを知り、なおかつ恨みを晴らして、村まで連れ帰る。それがここまでの旅路の意義だ。
これなしに旅は絶対に終われない。
「それは、だな……」
「早く言って。言っておくけど、答え次第じゃ今すぐにでも斬りかかるから」
「お、おお。あの弱々しい赤ん坊が、ここまでやんちゃに強く育ってくれて、父さんは嬉しいぞ」
「いいから早く。私、そこまで我慢強くない方だと思うから」
「そうだな……。お前や祈里には、辛い想いをさせたな……」
「上辺だけの謝罪は良いから。納得行くような理由があるなら、それを聞かせて欲しいの」
少しの間、沈黙が流れる。最初からどこか飄々としていた父、オズウェルだったが、今だけは深刻な顔になっている。
……今まで、一方的に駄目な父親、正に人でなし、と決め付けていたが、それは間違いだったのだろうか、という気持ちが湧いて来る。
普通、親が子を捨てるなんて、あり得るはずがない。動物だってそうなのだから、人と同じように考える生き物である悪魔は一層そうだ。
しかし、現に願衣と母は、村に置いてけぼりにされた。いつの間にかに父の姿は消えていて、その姿すら今の今まで知らなかった。そのような事態にならざるを得ないぐらいなのだ。相応の理由が、きっと父にも……。
「限界、だったんだ」
「……限界?」
「そう。俺は長らく、旅を続けて来た。理由は、人をよりよく知るためだ。吸血鬼から見れば人はただの食糧で、それ以上でも以下でもない。無意味に殺そうとも思わないが、反抗をされても困る。だから恐怖で戒めることもあった。そのために、俺は人をよく知り、効率よく支配しようと企んで旅をしていた。
そんな中、祈里に出会った。初め、巫女である彼女は俺を敵と見なした。だが、俺は彼女を一目見た時から気に入ってしまい、彼女もまた俺が好きだと言った。生まれて初めて、人間を食糧や厄介な存在ではなく、愛おしい存在だと認識した」
過去を回想する父は、いくらか弱々しく見える。強大な吸血鬼であるはずなのに、まるで恋に悩む女々しい青年のようだ。
「それから、願衣。お前が生まれるのにそう時間はかからなかった。巫女と悪魔の混血、お前は己の血に悩むかもしれないとは考えたが、逆にお前が人と悪魔の橋渡し役になってくれれば、と思った。だからこそ俺は祈里と愛し合ったのだろう。
だが、それから事態は急変した。俺が俺自身の欲望を制御する限界が来たんだ。願衣、お前も今まで生きて来て、それを感じたことがあっただろう。吸血をしている途中、我を忘れて、一心不乱に相手の体の心配もしないで血を飲み続けてしまう。自分で制御しようとしても、止められないというものだ」
直近ではレイナの時、その一つ前には、怪我を負って、眠りから覚めた時のラルフへの吸血の時、正に願衣はその状態にあった。
理性なんてものは機能しなくなり、獣のように自らの食欲を満たす。血に飢えた野獣とでもいうのだろうか。吸血鬼もまた悪魔なのだと、改めて認識させられるような恐ろしい経験だ。
「俺は、吸血の相手として最高と言える祈里の血を吸わないようにずっと我慢していた。いや、愛情というものでその食欲を包み込み、抑え込んでいた。しかし、子どもも生まれて、それにもいよいよ限界が来た。
俺はもう、祈里の血を吸うどころか、肉さえ喰らってしまいそうだったんだ。あまりに俺と祈里の相性は良過ぎて、俺の本能は捕食して、自分の体の一部とすることで永遠に祈里を得ようとしていたのだろう……。それだけは絶対に避けたくて、俺は村を出た。そして、あの村から相当な距離のあるこの地で暮らしていた。
……お前に話すべきことは、それくらいだろう。俺のことは、いくらでも恨んでくれて良い。結局のところ、自分の本能すらコントロール出来ない、心の弱い男だったんだ。赤ん坊のお前を放り出して行ったことは、許されることではないだろう。……お前がそれを望むのなら、我が命も差し出そう。むしろ、実の娘の手にかかって逝けるなら、それが本望かもしれないな」
一気に老人になったかのように弱々しく、再び父は玉座に腰を落とした。
まさか今までの話が全て嘘だったり、この項垂れた姿が演技だったりするとは思えない。……父は、本当にここで死ぬことを望んでいるのだろう。
「親父。でも、私、親父を斬るなんて出来ないよ……」
「願衣……俺を、父を、許してくれて……」
「やる訳ないでしょうが、バーカ!
私はね、そんな無抵抗な面白くもなんともない相手をいたぶるのなんて、楽しくもなんともないって言ってるの。このクソ親父!あんた、お母さんを愛したからには、最後まで一緒にいてあげなさいよ!それを途中で適当な理由付けて逃げるなんて、いよいよクズね!」
「いや……だから、やむを得なかったと……」
「ええ、そうでしょうね。嘘だとは思わないわ。私も今まで、結構危なかったことがあるもの。けど、そうなると、あんたを村に連れ帰る訳にはいかないんでしょ?」
「ああ……。今でも、祈里の姿を見てしまえば自分を忘れてしまうだろう。むしろ、今の方が悪魔らしく生き過ぎていて、自分を制御する力は衰えているに違いない」
「なら、せめて私の目的の内、もう一つを果たさないといけないのよ。つまり、あんたへの復讐ね。お母さんを泣かせて、私も、まあ……そこそこに寂しがらせて、あんたには真剣に腹が立ってるの。言っとくけど、無抵抗のあんたを殺しても憂さ晴らしにはならないわよ。ちゃんと抵抗して来るあんたを、実力で打ち破って初めて爽快感があるの」
「そんな……」
「そんな無茶苦茶な、って思った?でしょうね。けど、これがあんたの血を半分受け継いだ娘よ。さあ、私と勝負しなさい。徹底的にぼこしてあげるわ。床に這いつくばらせて、命乞いするところまで追い詰めてやる。それがもし出来たら、復讐は終わったと見なすわ。もちろん、手を抜いたら許さないから」
「願衣……」
「ラルフは黙ってて!これは私と親父の問題なの。たとえあんたでも割って入るのは許さないわ。さあ、立って武器を取りなさい!素手が良いのなら、それでも良いわ。私はいくらでも武器を使うけど」
父を無理矢理立たせて、自身も武器を構える。
ここまで来ると、もう意地の問題だ。復讐が目的ではなく、村を出て約一月、様々なことのあったこの長い旅路を無意味なものにしないための、理由付けの方が大事な目的となっている。
いわば儀礼的に、ここで父と戦わなければならない。死にそうな目に遭ったり、運命的な出会いを果たしたり、涙ながらレイナと別れたり、過程は紛れもなく、充実した旅だった。ここで、旅の最後が尻すぼみに終わってしまっては、今までの感動が台無しだ。
最早、自分の意思とは別に、人生初の旅の思い出を最高のものにするため、願衣は武器を手に取っていた。
それに不本意ながらも父は付き合わされ、腰に佩いていた一本の長剣を抜く。
「……父としては、お前がどこまで立派になったのか、見届ける義務もあるだろうな。よし、俺にお前は殺せないが、お前も悪魔の血を持つ以上、多少の怪我は苦にもならないだろう。斬りに行くぞ」
「じゃあ、私の方は殺す気で行くわ。本当に死なれたら面倒だから、しぶとく生き残ってよね?」
オズウェルが駆け出し、剣の間合いまで近付こうとする。そこに願衣の鎖が伸びて接近を阻み、逆に自分から懐に飛び込むと、右の袖に隠された短剣で一気に切り込んだ。
リーチがないに等しいその攻撃は、軽く体を退かれるだけで避けられるが、手の内はこれだけではない。短剣を投げ捨てると、今度はその右手に袴から取り出した小ぶりの刀を握り、突き出す。
ただの小太刀ではなく、銀で作られた非常に脆いが、悪魔に致命傷を与える術のかけられた逸品だ。銀は魔法を宿す素材として最高であり、結果として銀の武器は悪魔の天敵として認識されている。
「うおっ、と。銀の武器か。本当に俺を殺す気で来てないか?」
「だから、そうだって言ったでしょ?」
鎖も織り交ぜ、それぞれ間合いの違う武器で猛攻をかけるが、さすがに剣を器用に扱い、その全てを捌ききる。鎖は剣を巻き取るのに有効なはずだが、中々それも許してもらえない。やはり技量では、大きく劣っているのだろう。
ならば、正攻法で戦ってもらちが明かない。完全に不意を突く、必殺の一撃を決める。それが一番だ。
「よっ、よっ、と。俺と同じく、力でのごり押しだと思ったが、まさかそんな武器を使うとはな。いや、その服の特徴を一番活かしていると言えるか。今度、神楽も見せて欲しいな?」
「あんたに見せるなんて、もったいなくて出来ないわよ!クソ親父!ダメ親父!」
一度、鎖を袖に戻し、最後の暗器を取り出す準備を進める。
両袖、袴と、もう武器を隠せるスペースは全て使ってしまっている。ならば、本来なら武器なんて隠せないところに、無理矢理ねじ込むしかない。
それだけに、すぐに取り出せないのが難点なのだが、まさかそんな武器が隠されているとは思えない。予測は恐らく不可能。そして、回避も非常に難しいと考えられる。
少しずつ襟をはだけさせて行き、斬りかかる振りをして右手に握った小太刀を左手に持ち替え、その右手を自分の着物の襟の中へと突っ込んだ。そして、ある物を抜き取る。
「親父、手土産もなしというのも失礼だから、あんたにプレゼントを用意してあげたわ!」
手に握り、すぐに投げ付けたのは、人差し指ほどの高さで、指二本分ぐらいの太さしかない小さな瓶だ。願衣はこれを着物の裏地に隠していた。自分で服を作ったからこそ出来た、絶対に見切られないであろう不意打ちとはこれだ。
そんなに小さな瓶を、願衣が全力で投げるともなれば、それはほとんど目に見えない飛び道具と化す。しかし、オズウェルもまた人外。空中にその瓶の存在を捉えると、回避は不可能と判断して剣を振るって撃墜しようとした。
それを見て願衣はほくそ笑むと、袖で顔をおおい、目と口を守る。なんとなく黒く塗られていた瓶の中身の正体の予想が付いて、父はしまった、という顔になったがもう遅過ぎる。
瓶は空中で砕かれると、その中身……大量の砂が爆発を起こしたかのように空中に砂埃を巻き上げる。そこを願衣は、直前の記憶だけでオズウェルの位置に目星を付け、その体を蹴り上げた。
願衣が全力をこめた蹴りともなれば、常人なら骨にまで衝撃が行き、そのまま折れてしまいかねないが、さすがに吸血鬼は丈夫なようで、一撃でダウンという訳にもいかない。しかし、その方が好都合だ。
何度も蹴り、殴り、武器に頼ることもなく「復讐」を実行する。最後に思い切り顔を殴り飛ばそうとして、直前で思い留まって胴を蹴り飛ばすだけに留めておいた。さすがに整った顔立ちである父の顔を傷付けるのには罪悪感があったからだ。
「ざまぁ見なさい、親父!これで私が最強よ!」
玉座の間に願衣の声が、いつまでもいつまでも響いていた。
ここに一つの復讐劇が完結し、新たな伝説が城の悪魔達を中心に、悪魔の間に生まれることとなる。
『魔王の娘、現る。人と吸血鬼の混血、そして悪魔の天敵である巫女の彼女は、魔王を殴り倒し、新しく悪魔の頂点に立った』
しかし、本人を見つける悪魔は遂に現れず、正に伝説上だけの、幻のような存在とされた。
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基本シリアスな展開をしているのですが、女の子を主人公にしているだけあり、私の最も、最も大好きな百合要素をふんだんに盛り込んでおります | ||
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