吸血巫女の復讐 五章 |
五章 終わりなき旅路
焚き火の光に照らされた紅と白が、夜の空を飛び回るように舞う。
流麗でありながら、力強く、伝統を感じるが、同時に若い新鮮さも溢れている。
行きの旅路は楽しいものだったが、反対に折り返した道のりはどこか寂しげで、しんみりとしたものだった。
そして、村まで後一日の距離。今宵も吸血を終えた願衣は、いつものように神楽を舞っている。
黙ってそれを見つめるラルフがいて、行きと全くと同じ光景だ。
ただ一つ違いがあるとすれば、それは前以上に晴れ晴れとした願衣の顔だろう。
他人にはどう見えたか知らないが、あれで願衣の復讐は見事に果たされ、もう心残りは何もない。
自分の「父」というものを知ることが出来たし、捨てられた訳もわかった。もう二度と父に会いに行こうとは思わないが、十分な成果はあって、胸を張って、満足して故郷に帰ることが出来る。
それなのにどこか寂しい帰り路となっているのは、結局レイナ達と再会することが出来ず、灯りが欠けたようなままだからだろう。
「願衣、お疲れ」
「どうだった?」
「相変わらずすごいな。もうそろそろ、祈里さんと並んでるって思って良いんじゃないか?」
「そうかしら……。じゃあ、村に帰ったらお母さんに見てもらおうかな」
「この旅の間中、毎晩踊っていたからなぁ。しかも、戦いの中で踊ることもあったんだ。間違いなく一人前として認められると思うぞ」
巫女として一人前と認められるということは、正式に巫女として人々から頼られることになる。
そうなれば、軽々しく旅に出ることも、もう出来ないかもしれない。実際に母は、ほとんど村から出たことがないのだ。
折角、外の世界を知ることが出来たのに、再び閉じた世界に戻ってしまうのは少し辛いが、それが巫女の一族の宿命なら、受け入れるだけの覚悟も出来ている。
……実際に王女であるレイナは、自分の務めを果たすために旅を終えることを決心したのだ。
共に旅をする彼女は、本当に旅を楽しんでいて、願衣のことが大好きでいてくれていたのに、それを続ける訳にもいかないことを自覚していて、そうするべき時が来たら、きっぱりとやめる覚悟が出来ていた。
それ見習い、村で巫女を続ける覚悟ぐらい、自分もしなければならない。
村に近付くほど、願衣の中のその考えは強いものになって行き、既に決心は固まっていた。
まだ修行が足りないと言われてしまったらそれまでだが、確かにラルフの言う通り、神楽も。そして、巫女としての心構えも十分だと自負している。きっと、一人前の巫女といて迎え入れられることだろう。
そう考えると、村でただただ神楽の腕を磨くのではなく、旅を経験し、尊敬出来る友人に会い、父から真実を聞いた上で自身も満足出来たことは、これ以上がないほど良い経験だったに違いない。
母が旅をしたという話は聞いていないが、旅を経験した今なら、人として、巫女として、多少は深みが出たと思える。以前よりずっと、巫女らしい巫女に近付いたはずだ。
「ラルフ。これからも私と一緒に、いてくれるよね?」
「ああ……。おれの居場所は、きっとおまえの隣しかないからな」
「何よそれ、変なプロポーズ」
「えっ?い、今の、そういう感じの言葉だったか?」
「自覚なしって、あんたやっぱり、恋愛のこととか全然わかってないでしょ。その癖して私が好きとか言うなんて、良い度胸ね」
「い、いや、その、愛は言葉じゃないというか、感覚的に、そう、動物的直感でおまえが好きってわかったって言うか……」
あの夜の返事を、まだしていなかった。
すぐには恥ずかし過ぎて応えられなかったし、全然考えもまとまっていなかった。しかし、今なら落ち着いて言える気がする。
「それってつまり、人間として好きとかより、交尾の相手として最適だと思ったってこと?」
「こ、交尾!?い、いや、そうでもなくて、何と言うか……今までの友達として好きっていうのが、何か違うってわかったんだ。こんなの初めてだからよくわからないけど、きっとこれが女として好きってやつなんだと思う」
「私にいつからか欲情していて、やらしい目で見ていた、と」
「ばっ、そうでもなくて、だな……。っておまえ、もしかしてからかって……」
「あはは、ばーかばーか。もっと早く気付きなさいよ」
元から単純で鈍い上に、殊更恋愛絡みには弱いものだから、同じくまるで経験のない願衣にだって、ラルフを意地悪くからかうことが出来てしまう。
まずはこれで、予行練習だ。
さすがに、いきなり告白の返事、という訳にもいかない。レイナはやたらと露骨な愛情表現をして来ていた気がするが、あそこまである意味純粋な愛情を幼馴染に向けるのは恥ずかし過ぎる。
出来るだけ気取らない、しかし自分の気持ちを一番よく表した言葉を考えてみると、様々な候補が現れては消えて行き、これは、と思われた言葉も中々言えそうにはなくて、下手をすれば気まずい沈黙が流れてしまう。
「おまえなぁ……。一応、おれも前のは真剣に言ったんだし、結構考えてて……」
「わかってるわよ。あんたは私ほど冗談を言わないし、基本的に馬鹿だもの。……だからこそ、私もこんなに悩んでいるんだから」
「嘘つきじゃないってのは良いけど、馬鹿ってなぁ……。おまえも猪突猛進って感じだし、そんなに変わらないと思うんだけど」
「別に、けなしてるんじゃないわよ。愛すべき馬鹿ってこと。出来の悪い子ほど可愛いって言うでしょ?」
「だ、だから、おれは別にそこまで出来が悪いって訳じゃ……」
いつものような会話。その流れを一変させるのは、怖くもあり、楽しみでもある。
恋人同士の話とは、一体どのようなものなのだろうか?お互いに初めてだから、やっぱりいつも通りになるのかもしれない。だが、それでも何かしら考え方、意識というものが変わったりするのだろうか?
手探りで歩を進めるのには、転ぶことの恐ろしさと共に、思わぬ拾い物をすることの喜びが共存している。そして、光で何もかもを照らしてしまうことは、リスクと同時に楽しみまで殺してしまうもったいない選択だ。
その中で願衣は、拙くても、自分の気持ちを伝えることにした。現状を破壊し、新しい関係を作り上げることを選んだ。
「そうね。馬鹿なら私と一緒に来れなかったと思うし、自分で考えて告白なんて出来ないもの」
「あ、ああ……」
「返事が遅れてごめんなさい。でも、ようやく整理が付いたと思うから、今ちゃんと応えるわね」
「ああ……」
断られることも覚悟しているのだろう。ラルフは軽く目を瞑る。しかし、まるで自分が信頼されていないみたいでちょっと面白くない。
いっそ、嘘でも一度振った方が……なんて、悪い心が言ったが、一度でも自分の恋心に嘘を吐いてしまっては、もう戻れない気がする。ただ、本心だけを告白する。その選択しかない。
「あんたに告白されたこと、あの後よく考えてみて、すごく嬉しかった。男女とかどうでも良い今までの友達という関係も、すごく楽しかったけど、ようやく女と男、考え方や体も違う人間同士の関係になれると思ったら、本当に嬉しくて……。
ラルフ。告白してくれてありがとう。あんたに言われなかったら、私も自分の気持ちに気付けなかったかもしれない。……私も好き。大好きよラルフ」
そして、心地良い静けさ。満足にも似た気分の良い余韻。
夜だというのに、妙に明るい気持ちがあった。
遂に、告白に応えてしまった。お互いの気持ちを打ち明け合って、ここから一歩、進むことが出来た。
鼓動は速くて、苦しいぐらいだ。さっきラルフの血を飲んだのに、また喉がからからに渇く気がする。だが、決して悪い気持ちはしない。緊張はあっても、それが幸せなものだとわかる。
どちらからともなく、相手の手のひらを求めて腕を伸ばし、優しく指を一本ずつ絡み合わせた。
「これからも血、よろしくね」
「こ、この場面で言うことかよ?」
「恋人だから血を吸うな、なんて言われたら嫌だからよ。逆に、もうあんた以外の血は嫌だわ。村に帰っても、毎晩会いに来て」
「おまえの食事のために、か……。なんか、色気のない話だよなぁ」
「あら、あんたが色気云々を語るの?どう見ても色気より食い気って感じなのに」
「それを言ったら、おまえもだろ?告白受け入れて、いきなり血は頼むって、おまえの中でおれは血を飲ませてくれるだけの人間かよ」
「ええ。実際、その役割が大きいでしょ?」
「うっ……。い、いや、毛皮剥いだりとか」
「それもどうかと思う役目よ……?」
「だな……」
顔を見合わせて、小さく笑う。
結局、この感じは以前から変わらず、だろうか。つまり、既に完成されていて、見る人が見れば恋人同士だと思うぐらいのものだったのかもしれない。
そう思うと、途端に今までの自分達が恥ずかしくなって来た。レイナと知り合ってからはかなり抑えめになっていたが、もしかすると村人達には、将来のカップルだと噂されているかもしれない……となれば、旅から帰って来て、遂に付き合い始めたなんて噂が立てば、やっぱりそうかとにやにや顔で祝福されて……とても考えたくない。
「ラ、ラルフ。まずはこれ、絶対に内緒ね。ああ見えて口軽いんだから、お母さんとか絶対に話さないこと」
「……別に、隠すようなことか?」
「なの!自然と雰囲気でばれるのは仕方ないけど、能動的にはばらさない!良い?」
「あ、ああ。まあ、恥ずかしいもんな……」
「でしょう!?じゃあ、はい、おやすみ!とっとと寝ること!」
「恋人同士って、寝る時間とかも決めるのか……」
そんなボケにもいちいち反応しないで、毛布を被るとそのまま数秒で眠りに就いてしまった。
体が疲れるというより、気疲れの方が大きい。だが、やっと心の荷物を軽くすることが出来た気がしてした。
「やっと、ね。まだこれで二ヶ月しか経ってないなんて、ちょっと信じられない」
「だなぁ……。でも、本当、無事に戻れて良かったよな」
「そうね。アレを連れ戻せなかったのはちょっと消化不良だけど、満足出来た旅だったし、決して無駄な旅じゃなかった……。無理を言って出て来て良かったわ」
遠くに村の影が見えて来る。一日中歩けば、夜までには辿り着ける距離をゆっくりと、二日間かけて歩いて、昼頃に故郷の姿を見ることが出来た。
後一月もすれば、村は実りの季節を迎える。丁度良い時期に戻って来られたのかもしれない。
ラルフのような若い男の働き手は重要だし、願衣だって収穫の手伝いは毎年している。そして、収穫祭の締めを飾るのは神楽だ。
今年は母に代わり、自分がその名誉ある神楽の舞い手となれるかもしれないと思うと、今年の秋はまたいつもとは違った待ち遠しさがある。
その気持ちに押されるように、自然と願衣の足は駆け出していて、すぐに村に辿り着いた。
初めて外から見る村の門の姿を知って、それをくぐると、毎年見るのと変わらない。しかし、たまらなく愛おしい村の風景が押し寄せて来た。
旅の中で見て来た他の村や町より、ずっと小さくて、遅れていて、だからこそ懐かしさが込み上げて来る。間違いなく自分の生まれ育った村だ。この村以外はきっと故郷と呼べない。
「ラルフ。あんたは自分の家に行ったら?どうせ、私の無事なんて、五分もあれば村中に伝わるわよ」
「そうだな……。じゃあ、行って来る。祈里さんによろしくな」
「ええ。あんたのお陰で色々と助かったって言っておくわね」
本当に、今まで何度も迷惑をかけてしまった幼馴染と別れて、一人で屋敷へと向かって行く。
すれ違う村人に微笑みと挨拶の言葉をかければ、ある人は笑顔で、ある人は感極まって泣き顔になって挨拶を返してくれた。
久し振りに会ったことを喜んでくれたというよりは、もう願衣もラルフも、この世にいないものと思われていたかもしれない。
村から出たことのない人間にしてみれば、外の世界や悪魔というものは、それほどまでに恐ろしいものだ。そして、それはあながち間違いではないな、と今ならわかる。
そして、遂に再び見ることが出来た我が家。
靴を玄関で脱いで、板の間を踏みしめると、たまらなく懐かしい気持ちになった。世界広しとは言っても、なぜか家に入る時に靴を脱がなくてはいけない家など、ここしかないだろう。
まっすぐと足は母の部屋へと進んで行くが、そこに母の姿はなかった。ならば、と客間を覗いてみると、予想通り、自分と同じ装束を着た母が、そこで座っている。
来客というのは、かなり良い身なりをした……女性だ。一瞬、顔や体つきが中性的なのでわからなかったが、落ち着いた声は高めで、こんな声質の男性はいないだろう。
「えーっと、ただいま。それから、いらっしゃいませ……?」
まるで、ちょっとその辺りまで遊びに出かけていたかのような言い方だが、客人の手前、あまり騒ぎ立ててもいけないだろう。母も一つ頷くと、隣に座るように促した。
どうやら、願衣に無関係な客人ではないらしい。
「そちらが、ご令嬢の……」
「ええ。願衣です。長い旅より戻って来たところですが、お気遣いなく」
「あ、はは、どうもです」
どういった相手かはわからないながらも、とりあえず愛想笑いをしておく。明らかに街の人間だろうし、どうもきつい印象を受けて、こういう女性は苦手だ。
「では、繰り返しておきましょう。願衣様にも聞いて頂きたい内容ですので」
「そうですね。私ももう一度、内容を整理しておきたいですので、よろしくお願いします」
「よ、よろしくお願いしますー」
まさか、帰ってそうそう真面目そうな話をされることになるなんて。
やっぱり、間が悪く帰って来てしまったのかもしれない。どうせのんびりと帰るなら、後一日ぐらい遊んでいれば良かった。
内心涙を流しながらも姿勢を正し、失礼にならないようにする。子の恥は親の恥なのだから、愛する母親に恥をかかせる訳にもいかない。
「まず、私はガートルード、王国で軍事を司る者です。以後お見知りおきを」
「えっ……?王国ってもしかして、南にあるエドマンド王の……」
「はい。ベイリアル王国になります。まず、私が祈里様、そして願衣様にお会いしている理由を率直に述べますと、お二人の巫女の力を頼り、どうか協力をして頂きたくて、我が国や、今南に起こっている事件の一切をお伝えすべく参りました。どうか願衣様も、お聞き下さいますか」
「そ、それはもちろん良いですけど。軍の人が私達を頼るって、結構珍しいことじゃないですか?」
「はい……。記録によれば、数百年来のことです。しかし、先祖達の話をしてしまって恐縮ですが、数百年前には確かに力をお借りしたという事実があります。どうか今回も、お願い出来ませんでしょうか」
「あ、いや、別に私が嫌とか、そういうんじゃないんですけど。王国に助けを求められちゃうなんて、巫女ってやっぱり特別なんだな、と改めて思っただけです」
どこまでも真剣な対応をされてしまうと、どうもやりにくい。ほんの好奇心で質問したつもりだったのだが。
「無論、我々はこちらの村と、お二人の存在を把握してはいましたが、わざわざ手間をおかけさせたくはないと思っていのも事実です。ある程度の問題なら、我が軍が処理することが出来ますから。……しかし、今回ばかりはそうも行きません。
現在、南方は大規模な悪魔の攻撃を受け、戦線も後退する一方。このままでは、そう遠くない未来に王国にまで悪魔が入り込んでくるでしょう。既に小人族の方々の王国は危険な状態にあると考えられています。ここで一度、大きな攻撃をしかけて相手の数を減らさなければ、大陸全土が大きな被害を受ける大戦に発展しかねません。
そこで、伝説にも残る巫女の悪魔への耐性と、神楽の力を借りたいのです。もちろん、身の安全は我々が保証させてもらいます。ただ、強力な術を使う悪魔の対処と、神楽による足止めをして頂ければ……」
「っ!小人族の国が大変なんですか?」
「こちらも余力がなく、直接確認は出来ていないのですが、連絡が途絶えているのは確かです。元から国交は存在しないも同然でしたが、さすがに今回ばかりは連携を取るべき状況なですから……」
そう遠くない未来に、レイナ達は国に帰還するはずだ。その時、この事態を知らない二人は……。
さすがに何も知らないまま、魔物の溢れる国に足を踏み入れるとは思えないが、無茶苦茶な戦いをしかけないとも限らない。何よりもその無事が気になってしまう。
「――ともかく、こちらが祈里様に要請することは二つです。まず、我が軍の戦線に加わって頂き、悪魔討伐の手助けをして頂くこと。それからもう一つ、我が国には悪魔の術により、死の呪いをかけられた怪我人がかなりの数、運び込まれています。彼等の救出をして頂きたいのです」
「人命を救うことと、それを脅かす原因を除くこと、ですね。どちらも必要なことですが、私一人では両立させることは出来ません。どちらを優先されるのですか?」
「それは……悪魔への反撃が、先決かと」
「そうですね。そうすれば、第二第三の被害者が出ることを防げます。ですが、それは既に呪いを受けている方を見殺しにすることになりますね?」
「はい……」
「数字だけで見れば、それが正しい行動です。私はそれを否定することはしません。ですが、私はそれよりも、今苦しんでいる方を助けたいと思います。ですから、戦う役目を果たすことは出来ません」
願衣によく言って聞かせたように、母は淡々と、しかし優しさの溢れた声で言葉を返した。
母ならば、きっとそう言う。それはよくわかっていた。母の意見は、そのまま願衣の意見だからだ。今にも死にそうな人がいると訊かされて、それを助けない道理がない。
だが、それが理想なのも事実だ。明らかにガートルードが失望するのがわかる。
「そう、ですか……。ですけど、と仰られるということは、協力はして頂ける、と?」
「はい。人の命を救うことを断る理由がありません。ただし、私は人命の救助を優先させて頂きます。これは絶対条件です。代わりに――」
母の目が、願衣に向けられる。
思えば、願衣にとって母、祈里とは、ただの親というより、全てを知る神様のような存在だった。
隠し事をしてもばれてしまうし、何も言わなくても、悩みを抱えていることを理解してくれた。恐ろしくもあり、頼もしくもある。そんな大きな大きな人だった。
だから、今回も何も言わなくてもわかったのだろう。
既に願衣が一人前の巫女となる実力と、それに相応しい意識と覚悟を持ち合せていることを。
「娘の、願衣を戦わせたいと思います。もうご存知でしょうが、この子は悪魔の血を持ち、恐らく今現在、私よりずっと優れた戦い手となっているでしょう。もちろん、神楽も私に匹敵するものが踊れます。戦力として、申し分ないはずでしょう?」
「う、うん。親父もボコボコにして来たしね」
「……え?」
「え、えーと、それはまた後で詳しく話すから、ね?」
「ごほん。つまり、そういうことです。私ももう、年ですから。老骨を酷使するより、そちらの方がずっと良いでしょう」
考えなしに言ってしまったが、そもそも父を連れ戻すとは言ったものの、復讐するとまでは言っていなかった。そもそも、今でも母は父のことを愛しているのだ。
しかし、現実味はあまりないが、母はもう老齢の域に差しかかろうとしている。まだ三十代ほどにしか見えないだろうが、後数年もすれば五十歳なのだ。神楽を踊ろうにも、骨や筋肉が衰え、難しくなる年かもしれない。
「まさか、お二人ともに協力して頂けるとは、こちらも思っていなかったのですが……そういうことでしたら、感謝の極みです。本当にありがとうございます」
「感謝されるようなことは言っていません。人を助けたいと思うのは、当然の心理ですから。話がそれで終わりでしたら、そうですね。早く発つべきでしょう。……願衣、すぐに出れる?」
「もちろん。あ、けど、出来ればラルフも一緒が良いんだけど……」
「ラルフ君が良いと言ってくれるなら、それで良いでしょう。では、明日の朝、一番に出発しましょう」
「了解しました。私は早く本国に知らせるため、もう発たせて頂きますが、護衛の兵を残しておきます。道案内は彼等にお任せ下さい」
これで本当に良いのだろうか、と思うほど動き出した話はすぐにまとまり、ガートルードは深く頭を下げた後、退出した。
客間に親子二人残され、少しの間、奇妙な沈黙に包まれる。
「なんか、すごいことになってるね。一応、良いタイミングで戻って来れた……のかな」
「あなたはやっぱり、何か持って生まれて来ているわね。遅くなってしまったけど、おかえりなさい。ラルフ君に迷惑かけたりしなかった?」
「ただいま。うーんと……結構、かけちゃったかな……」
「それじゃ私からも、ちゃんと謝っておかないといけないわね」
「あ、あはは……ごめんなさい」
やはり、面と向かって母に見つめられると、今の年になっても背筋が伸びてしまう。
やんちゃが過ぎるせいで、小さい頃に何度叱られたか、もう覚えていない。しかし、そのお陰できちんと謝ったり、感謝したりすることが出来るようになったのだろう。
……常識はある方だと思うので、いずれそういった能力も身に付いたかもしれないが。
「それで、お父さんをどうしたって?」
「え、えーと。軽く殴ったり蹴ったり……。けど、まあ、おやじ……お父さんは頑丈だし、大丈夫だったから!後、きちんと出て行った理由も聞いて来たよ」
「はぁ、この子は……」
「お父さん、吸血鬼の本能をこれ以上抑えきれなくなりそうになったからだって。お母さんが好き過ぎて、どうするかわからないって……」
「そう。あの人は、やっぱり……」
「まあ……そこそこ良いお父さんだったんじゃないかな」
「無理もないかもしれないけど、あまりあの人を責めないであげて……って、もう遅いわね。悪魔流に言えば、子が親を殺して自分の力を証明することも普通にあるそうだし、今回は目を瞑っておくわ」
「あ、ありがと」
ふっ、と安心して息を吐くと同時に「でも」と釘を刺されてしまう。
「あまり無茶はしないでね?どんなに強い悪魔も、死ぬ時は死ぬのだから。特にこれからあなたに向かってもらう戦いは、どうやら普通の悪魔とのそれとは違うみたいだし、一戦一戦が死闘になりかねないと思うわ」
「うん……。でも、やれるだけやってみる。わかってくれたと思うけど、旅の中で小人族の友達が出来たの。その子のためにも、絶対に勝たないと」
「なるほど、そういうことね。普通、あなたが小人族の国に興味を持つ訳ないもの。なんであそこまで食い付いたのか、疑問だったわ」
「我ながら、ちょっと単純だな、って思うけどね。でも、その子やその子の家族を、守ってあげたい。私もその子に、助けてもらえたから」
心も体も。そして、未来までも。
ちゃんと恩返しは出来ないまま、別れてしまった。その出会いを大切に、いつまでも忘れないことが恩返しになると思っていたが、案外早くにその機会は来てしまったようだ。
「願衣。焦るあまりに、自分を見失ってはいけないわ。自分のことを絶対に大切にする。これだけ、お母さんと約束して?」
「もちろん。ちゃんと生きて帰って来て、巫女としての役目を果たさないとね。大丈夫、今私、死にたくないって思う理由があるから」
もし自分が死んだとしたら、悲しむ相手が容易に想像出来る。
母、それから父。村人の皆、レイナ、サイラス、それから……。
大好きな人のために、必ず生きて戻る。その決意をして、願衣は新たな旅に出た。
吸血巫女の新たな物語はこうして始まり、今度は南方の国にその武勇伝を残したという。
終わり
説明 | ||
これで最後です。バトル、ダンスと動きや情緒が重要となるシーンが多くあったのですが、成長のための良いステップになったのでは、と思います | ||
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