俺妹 恋人ごっこ
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恋人ごっこ

 

 

『鈍くて理不尽で優しくて、いつもいつもわたしを惑わせて──』

 あやせは躊躇いながら涙を浮かべながら、でも段々と毅然とした声と態度を取って。

 彼女らしく彼女らしくない一言を発した。

 

『そんなあなたのことが好きです』

 

 それは俺の人生における2度目となる愛の告白というヤツだった。

 

 

 

 

 実家に戻ってきた翌日。

 俺がいない間に見事にオタグッズ収納部屋に衣替えされていた自分の部屋を整理するのに疲れてベッドに転がる。

 溢れんばかりのオタグッズ、しかも妹系キャラのオンパレード。もう絶対にこの部屋に誰か通すことは出来ない。いや、誰か入って来る以前に俺がこの部屋に居続けるのが苦痛で仕方がない。

 俺の妹様は兄が家を空けている間になんて恐ろしい魔改造を施してくれやがったんだ。

 受験生なのに自室がオタグッズ塗れで落ち着かねえって絶対ヤバいっての。ていうか、親父もお袋もこの部屋を見ても何にも言わない。何故だ?

 妹のオタ趣味を全面的に認めたというのか?

 それとも、俺が二次元妹キャラに汚染されきった変態として公認されたとでも言うのか?

 後者の場合、俺の社会的ポジションがヤバ過ぎる。

「俺が1年半もの間、妹の為に懸命に戦い続けた成果がこれなのかあっ!?」

 胸の中に熱いものが込み上げてくる。感動してじゃない。人生の不条理を嘆いてだ。

 俺は……オタクとして認められたかったんじゃない。人間はオタクでも良いんだという生の範囲の広さを示したかっただけなんだ。他の生き方にも目を向ける心の広さをみんなに養って貰いたかっただけなんだ。畜生……っ!

 

「受験生の癖に二次元美少女グッズに囲まれていないと安心できない犯罪者スレスレっていうかもうアウトの京介に話があるんだけどさ」

 俺の部屋をこんな風に改造しやがった張本人である桐乃がノックもせずに入って来た。

「通報されて家宅捜索されたら全力でこの部屋のグッズはお前のもんだって捜査官に訴えてやるさ」

 桐乃を睨みながら不平を述べる。

「通販で買う時はアンタの名前しか使ってないから調べるほど京介の立場が悪くなると思うよ」

 妹はサラッと恐ろしい事実を述べてくれた。

「畜生。俺の冤罪はどこまで重なれば終わってくれるんだ……」

「アンタがアタシの兄貴に生まれた以上、一生付き纏うと予め理解していれば精神的被害は少ないわよ」

「死ぬまでが決定なのかよ……」

 軽く死にたい。早く楽になりたい。そんな気分だ。

「京介は一生涯アタシの兄貴なんだから仕方ないでしょうが」

 妹はプイッと首を背けながらツンって態度を取った。

 ツンツンしながらも桐乃は俺を兄と認めてくれている。

 それが1年半前と比べると一番大きな変化なのかも知れない。それまでの俺たちは本当に互いの存在を無視していたからな。

 そん頃に比べりゃ今は天国みたいに関係が改善されたって言うべきか。

「何、妹の顔を見ながらニタニタ笑ってんの? キモッ」

「おいっ!」

 妹が侮蔑の視線を容赦なくぶつけて来る。何でコイツはもうちょっと可愛らしい態度が取れないのかね? 

「何でお前はもう少し兄を兄として敬えないんだ? 妹ゲーで何を学んできた?」

「遂に二次元と三次元の区別が付かなくなっちゃった訳? リアルと趣味を混同するのはあの黒いのだけにしてくんない? キモッ」

「兄に向かって2度もキモいって言ってんじゃねえよ」

 俺を見下すことに慣れすぎた妹様に文句を述べる。仲直りしようがどうだろうがコイツは口が悪い。悪過ぎる。

 しばらく前に桐乃のあやせや加奈子への接し方を黒猫たちが驚いていた。けれど、俺にとってはそれ以上に驚きだった。ていうか、内心結構腹立たしかった。

 あの気遣いをオタクサイドの仲間たちにも10分の1でも示してくれないものかね。いや、俺はオタクサイドではなく一般人サイドの筈だからあやせと同じ待遇を要求しても良い筈だ。そうなのだ。何故なら俺は一般人なのだからっ!

「俺は妹に対してあやせと同じ待遇で接することを断固要求するっ!」

「ハァっ? アンタ一体、何を言ってるの?」

 また妹様が侮蔑の視線を投げ掛けて来た。

「だから、俺は一般人として兄として桐乃にそれ相応の待遇、即ちあやせに接する時並みの気遣いと優しさを持って接することを桐乃に要求すると言ったんだ」

「アンタ、部屋を妹キャラグッズで一杯に満たすぐらいにオタクじゃない。兄なんて妹の為に磨耗し尽くせば本望な存在でしょう? アンタとあやせが同等? フザケンナ」

「グハァッ!?」

 サラサラッと俺様解釈を述べてくださる桐乃。心が軽く折れました──。

 

「で、何しに来たんだ? フィギュアでも眺めに来たのか?」

 磨耗し尽くした心で虚ろな瞳に微かに妹の姿を映しながら尋ねる。すると、自信過剰な俺様王だった妹が急に打って変わって不安な表情を見せた。

「アンタさ……最近あやせと何かあった? 最近、あの子、何だか様子がおかしくてさ。今日なんかは特に……」

 桐乃は俯いた。

「何か、とは?」

 思い当たる節は……ある。

 けど、あれは俺とあやせの問題であって妹とはいえ第三者に介入されたい問題ではない。

 よってすっとぼけることを脳内閣議決定する。

「何かって言ったら何かでしょ! あ〜もうっ! 分かりなさいよ、もうっ!」

 桐乃はとてもイライラした声を出した。けど、その苛立ちに付き合うつもりはない。

「そんなこと言われてもお兄ちゃんは察しの悪さに掛けては自信があるからなあ。こう、ハーレムモノラノベの男主人公並みに」

 ハッハッハと陽気に笑ってみせる。

 勿論そんな俺の態度が桐乃をより一層苛立たせることは言うまでもない。

「だから……京介とあやせがっ! つ、つっ、付き、付き合……」

 桐乃は顔を真っ赤にしながら言葉を詰まらせる。さっきまで俺を冷淡に冷酷に冷笑してバカにしてくれていた人物とは思えない変わりぶり。見ていてちょっと痛快だ。

「もう、良いわよっ! 京介の大馬鹿っ!!」

 そして耐え切れなくなった桐乃は遂に核心を言い終えることなく話を打ち切った。

「まあ、お前に報告しなきゃいけないような変化は何もないとだけ述べておこう」

「どうだか?」

 桐乃は鼻から大きく息を吐き出して俺を睨んだ。そして大きな足音を響かせながら俺の部屋を大股歩きで出ていった。

 妹の存在が見えなくなったのを確認してからベッドに寝転がり直す。

「イベントは起きても関係に変化は生じてねえんだから……嘘は言ってないよな?」

 俺のあの時の返答次第では嘘にすることも出来た。けれど、俺は嘘にしなかった。

「何で、なんだろうな?」

 天井に向かって呟く。見慣れ過ぎて飽きてしまった天井は勿論答えてなどくれなかった。

 

 

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『そんなあなたのことが好きです』

 

 あやせにその言葉を聞かされて最初に抱いた感情は戸惑いだった。あやせの告白にどう向き合うべきなのか分からない。それが最初に抱いた認識だった。

 次に抱いた感情。それはあやせに告白されて戸惑っている自分に対する戸惑いだった。黒猫との初デート直前でさえあやせの呼び出しに急行した俺が彼女からの告白に戸惑っている。それ自体に凄く驚いている。

 俺にとってあやせの存在って何なのだろうって考える。考え始めた所で気付く。

 あやせの言動にいつもみたいに興奮していない自分に。

 そして、黒猫や桐乃との関係を考える時みたいに頭の中がグッチャグッチャに混乱と葛藤で満たされないことに。

 そんな自分に気づいてしまった……。

 

『あのさ、あやせ……』

 どう答えるものかと思案しながら目の前の美少女をじーと見る。

 本当に可愛い子だと思う。エンジェルの称号を付けた俺の目に狂いはない。

 それに最近は性格が以前よりも好感を持てるものに変わったことをよく感じる。コイツもコイツで暗中模索しながら着実に前に進んでいるのだ。

 それらを加味した上でも得てしまった結論を述べないとならない。それは告白をされた男の義務だろう。

 だから俺は慎重に言葉を選びながらゆっくりと喋り始めた。

『その、あやせの気持ちは凄く嬉しいんだ。今までずっと嫌われていると思っていたから』

 あやせサイドに立って考えてみれば俺がどれ程酷い人間だったのか想像は難しくない。シスコン近親相姦魔像を見せつけたのは俺だし、その後のセクハラ三昧も俺がしたこと。考えられる限り最悪だ。

 そんな最悪な俺を何故好きになってくれたのか。正直俺の方がよく分からない。黒猫の時と違って劇的なイベントが幾つも積み重なっていった結果でもないのだし。そもそもあやせと会うのは2ヶ月に1度が精々だ。

 けど、人生はギャルゲー・エロゲーとは違う。フラグで動いている訳じゃない。

 とにかく、俺を好きだと言ってくれたマイ・エンジェルにちゃんと今の俺の気持ちを答えないといけないと思った。

『だけど、そのな……』

『待って下さい』

 俺が返事をしようとした所であやせが両手を使いながら止めてきた。

 

『今すぐには返答しないで頂けますか?』

『へっ?』

あまりにも意外過ぎた言葉に俺は目を丸くして固まってしまう。

『せっかく、一生分の勇気を振り絞って告白したんです。いきなり振られるのはちょっと辛すぎます』

 俯きながら苦しそうな表情を見せるあやせに何も言えない。何故なら今俺が言わんとしていることはまさにそういう内容なのだから。

『お兄さんの気持ちぐらい前から知ってますよ。だからこの1ヶ月気持ちを伝えるべきかずっと悩んでたんですから』

 あやせは目だけ俺を見上げながら不貞腐れている。でもその上目遣いは反則なぐらいに可愛かった。そして続く言葉の内容はいじらしくてもっと可愛かった。

『でも、自分の気持ちに嘘をついて黙っていることも出来なくなって……わたしの気持ちを正直に伝えることにしました』

『そう、か……』

 スッキリとしたあやせに俺はどう答えるべきなのか分からない。つまりあやせは失恋を受け入れる覚悟を決めたと言うのだろうか?

 けれど、そう思った俺は甘すぎた。

『でもわたしは、やるからには全力を尽くして最大の成果を得ることが大好きなんですよ。獅子は兎を狩るにも全力を尽くすと言いますし』

『狩られるの、俺っ!?』

 怪しく光ったあやせの瞳に本能的な脅威を激しく覚える。

 そうだ。この新垣あやせという少女は俺の想像の斜め上を行く圧倒的なパワーを持った少女だったのだ。あの麻奈実が認定するぐらいに圧倒的に。

『それでわたしは圧倒的に不利な状況を打開する為の戦術を幾つか立てたんです。でも、成功する確率が高い戦術を採択しようとする程、その行為が白日の下に晒された場合、わたしが服役しなければならない期間が長引くことに気付いたんです』

『刑事罰決定の作戦なのかよっ!?』

『具体的に聞きたいですか?』

 エンジェルスマイルを発するあやせ。その瞳が光を失い所謂ヤンデレっていることはもはや説明の必要がない。

『いや、いい。聞いたらきっと二度とお前に会えなくなる。恐怖とか絶望で』

 全身の震えが止まらない。この先に踏み込めば待っているのは死亡フラグ以上の最悪な展開に違いない。多分俺は早く殺してくれと騒ぐ日々を過ごすことになるだろう。

『それはとても残念です。お兄さんの人権とか尊厳とか命とか想いとかそういう些細な問題を除けば完璧な計画だったのですが』

『些細な問題じゃねえよ、それはっ!』

 大声でツッコミを返す。あやせは俺と交際する段取りの話をしているんだよな?

 

『まあ、そういう100%の本気は置いておきまして』

『せめて口先だけでも50%にしておいてくれよ』

 とっても笑顔のマイエンジェル。

 個人的には拉致監禁されて目を潰されて四肢を切断されるのは軽い残虐になるのか気になる。『まだ味覚が残っていて幸せですね』とか良い声で言われそうな気がしてならない。

『長い苦悩の果てにお兄さんの気持ちを無視してはいけないという一時的な見解を得るに至りました』

『最初に至れよっ! そして一時的見解じゃなくて、最後まで大切にする大原則にしろよなっ!』

何で愛の告白されてツッコミ疲れしているんだ、俺は?

『そんな訳でお兄さんの気持ちを重視した場合、わたしには温情に縋るちょっと女々しい作戦しか残っていないことに気づきました。お兄さんの気持ちを無視した場合は100通りの残虐…いえ、全身と道具を使った本気の愛の伝達で済んだのですが』

『別に俺を無理に笑わせる必要はないんだぞ』

冷や汗が止まらない。そんな汗だくの俺の顔をあやせは覗き込んで来た。超美少女の顔がドアップで映し出される。でも今の俺にはその美顔を堪能する気分にはなれないでいた。

『笑わせるつもりはありませんよ。ただ……』

『ただ?』

 あやせは唇が付いてしまいそうな程に顔を寄せながら本日2度目の爆弾発言を投下してくれた。

『わたしのことを少しでも気に掛けてくれるのなら、しばらくの間、恋人ごっこに付き合って頂けませんか?』

 あやせの表情はとても真剣なものだった。

 

『恋人ごっこって一体何だ?』

 あやせの言葉の趣旨が今一つ俺には分からない。

『文字通りの意味です。これからしばらくわたしはお兄さんに対して恋人のようにラブラブに接したいと思います』

あやせは何かとても楽しそうだ。両手の指を絡めてモジモジさせている。

『わたしを恋人にするのが本当に嫌かどうかを判断する猶予期間を下さい』

『いや、猶予期間って言われてもな……』

『お兄さんが大学に入学するまでに答えを出してくだされば十分です』

 あやせは頬を赤らめた。けど、俺はあやせの言うことがまだ半分も理解出来ていない。

『何故そんな提案を?』

『お兄さんにわたしの良さを知って欲しいからですよ。わたしの良さを知ってもらえば、頑ななお兄さんの心も解れる可能性が出て来るじゃないですか♪』

『その言葉だけ聞いていると俺が一方的にお前を嫌ってるみたいに聞こえるよな?』

真実は真逆とまでは言わないまでも、あやせが俺を嫌い続けたという方が的を射ている筈なのに……。何でこうなっているんだ?

『それでわたしの良さを知ってもらいお兄さんをメロメロにしてしまおうというのが恋人ごっこの趣旨です』

『凄く一方的な話を極めて良い笑顔でおっしゃってますよね?』

 何故だろう? 

 結局は如何にもあやせって感じの提案な気がするのは。

 

『そのごっこに付き合うと……俺にはどんな利が生じるんだ?』

 肉食獣あやせに狙われている草食動物な俺なイメージしか思い浮かばない。言い換えれば不利益しか蒙らない気がしてならない。

『利なんて幾らでも得られると思いますよ。お兄さんのエンジェルが恋人のように接してくれるのですから』

 あやせは俺の耳元に息を吹き掛けた。

 全身がビクッと震える。そのお耳ふーふーは特殊な店のお姉ちゃんのように洗練された仕草だった。

 つまり、何が言いたいのかと言うと……俺はその気持ち良さに思考がかなり麻痺した。

『わたしはお兄さんの恋人も同じなのですからいつでも呼び出して下さって構いませんよ。腕を組んで歩くのも膝枕もお食事のご奉仕もお兄さんの望むままですよ♪』

 マイ・エンジェルのその囁きはとても甘いものに聞こえた。いや、実際甘い。あやせの身体から発せられている香水の馨りが俺の脳を蕩けさせていく。

『お兄さんがわたしを恋人にするかどうかは、わたしのご奉仕を受けた上で判断して下されば結構ですから』

 あやせは俺の心を惑わせる天才だった。

 あやせの提案は俺にとって魅力的過ぎて、黒猫と別れることになった際に立てた誓いにヒビが次々と入っていく。

 桐乃が誰かと付き合うようになるまでは誰とも付き合わないという誓いが。そして俺はあやせの甘い誘惑につい反応を示してしまった。

 

『その……キス、しても良いのか?』

 あやせの可憐な唇を見ながら尋ねる。尋ねながらドキドキする。

『勿論、良いですよ』

 あやせはニッコリと微笑んだ。

『本当かっ!?』

 目の前がパッと輝いた。

『お兄さんには父にわたしの彼氏として挨拶して頂くオプションが付きますけど』

『それもうごっこでも何でもねえよ! 本当の彼氏彼女じゃねえか! しかも家族公認の』

 浮ついていた頭が一気に冷める。やっぱり地雷だったか、この提案は。危ねえ危ねえ。

『それじゃあ、もし……もっと凄いことをしたら?』

『そうですねえ。お泊りなんて展開になった場合には、お兄さんには大学受験を止めて父の下で私設議員秘書として働き始めて貰います。わたしも高校進学を止めて妻として頑張りますから構わないですよね♪』

『どうしてそんな恐ろしい未来を笑顔で言えるんだ?』

 満面の笑みを浮かべているあやせ。あやせはやっぱりあやせたんだった。

 これは恋人ごっこなんかじゃ決してない。地雷処理ゲームだ。

『だってわたしはお兄さんのお嫁さんになるってもう心に固く決めたんですから。後はそれをどう達成するかという方法の問題だけです』

『俺を好きだって言った時は凄くシリアスだったよな?』

『真正面から攻めて望みが叶うのならそうしていたと思います。でも、それは叶いません。だからずるいと思われようが搦手を用いることにしました』

 あやせは大きく息を吸い込んで目を瞑った。

『だから、まずは恋人ごっこから始めて下さい』

 あやせは目を開くと俺に向かって右手を伸ばした。その差し出された手をどうするべきなのか判断に困る。うかつに動けない。

『ちなみに恋人ごっこも拒否された場合、残虐な方法でわたしの良さを分かって貰う悲劇が今すぐにでも生じるかも知れません』

『お手柔らかにお願いします』

 あやせの右手をガッチリと掴む。

 こうして俺はあやせと恋人ごっこをすることになった。

 そのごっこが何を意味することになるのか……俺もあやせもまだ何も知らなかった。

 はじめはその程度の提案だったのだ。これは……。

 

 

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「あの2人……絶対に何かあったに違いないわね」

 携帯のメモ機能で過去のあやせの行動をチェックした桐乃は大きく息を吐き出した。視線を自分の席でファッション雑誌をチェック中のあやせへと向ける。その視線が自然と厳しいものに変わる。

「あやせ……アンタは一体何を考えているの? 何をしようとしているの?」

 桐乃の脳内にここ2ヶ月ほどの出来事がごちゃごちゃに蘇って来る。

 

 

『……京介、あんた……桐乃に変なことしてないでしょうね』

 発端は母親の訳の分からない難癖だった。けれどその難癖によって京介は模擬試験でA判定を取れるまで独り暮らしすることになった。

 京介が女の子達から人気があるのは知っていた。気が付けば京介争奪戦には黒猫や麻奈実に加えて沙織と加奈子まで参戦して来た。しかも皆本気だった。本気で京介の彼女の座を狙っている。

 だからこそ、京介の身の回りのお世話を彼女達に任せる訳にはいかなかった。

『あやせ、お願い』

 桐乃があやせの世話役に指名したのはあやせだった。

 その提案は京介の世話役を買って出ていた麻奈実達全員、そして京介もあやせ自身も驚かせるものだった。桐乃はその理由についてごく簡単に説明してみせた。

『だってあやせ、こいつのこと嫌いっしょ?』

『うん』

 あやせは当初桐乃の提案に難色を示していた。けれど、最後には折れた。

『本当に本当に……すっごく嫌で嫌でしょうがないし、気持ち悪いですけど……き、桐乃の頼みですから』

 そう言ったあやせは嫌そうな表情を見せながら内心ではとても喜んでいるように見えた。

 そう。喜んでいるようにしか見えなかった。

 

 今考えるとあやせを指名したことは大変な誤った判断だったのかも知れない。

 勿論、世話役を黒猫達に任せた場合、今より状況が悪化しているのは確実。場合によっては京介は進学を止めて就職活動に切り替えていたかも知れない。来年には義姉と呼ぶ羽目になっていたかも知れない。

 それを思えば最悪の判断ではない。けれど、最善かと言われれば絶対に違う。

「でもアタシには……技量も覚悟もない」

 以前のあやせが思い描いていた高坂桐乃という完璧な存在。その存在を桐乃本人は少しも高く評価してはいない。

 実際に家庭的な技能を示さなければならなくなった時、そのスキルも意欲も加奈子にさえ及ばない。

 一方で兄の勉強を見ようにも自分は中学3年生。京介は高校3年生。如何に県内でトップの成績を誇っていてもまだ学習していない内容を教えられる訳がない。

 京介の為に出来ることは多くない。唯一、それを自覚するスキルだけは持ち合わせてしまっていた。諦めの理論武装だけは緻密に練り上げてしまっていた。

 だから桐乃には最初から最善の選択肢というものは存在しない状況下で次善の策を講じるしかなかった。

 けれど思う。

「打った手は下の下策。だったかも知れないわね」

 あやせを見ていて自然と舌打ちが発せられた。

 京介の世話をしていた1ヶ月。あやせはこれまで見たことがない程に幸せに満ち足りた表情をクラス内で見せていた。

 それが桐乃にはよく分かってしまっていたのだから。

 

 

 京介が高坂家に戻ってから1週間が経過した。間近に迫った受験を専念する京介にこれといった変化は見られない。

 代わりに明らかに異なる挙動を示すようになったのがあやせだった。明らかに挙動不審。というか上の空で些細なミスを繰り返している。

 何かあったに違いない。

「よしっ。確かめるとするか」

 桐乃はファッション雑誌をチェック中のあやせへと近付いていく。若干の緊張感を伴いながら。

 すぐにあやせの席へと辿り着く。

 あやせはファッション雑誌を開いていた。けれど、上の空で見ていないのは分かる。だって雑誌は上下が逆さまだったのだから。

 今日もまたあやせの挙動が不審であることを確認して桐乃は目を細めた。

「あのさあ、あやせ……」

 桐乃はあやせに声を掛けた。

 けれどあやせからは返答がない。全く聞いていないようだった。

「ねえっ。あやせったら」

 先程より強い声を出す。けれど、やはり通じない。

 桐乃は大きな溜め息を吐いてからあやせの細い肩に手をついた。

「あれっ? 桐乃? いつの間に?」

 あやせは首を回して桐乃を見ながら驚いていた。

「もう何度も声を掛けたわよ」

「そうだったの。知らなかった」

 あやせはまばたきを繰り返した。

 

「それで、何の用?」

 あやせは戸惑いを見せながら尋ねてきた。それが桐乃には言外にまた自分の思考の海に戻りたいという拒絶の様に感じられた。

 あやせの状態が深刻であることを再確認して桐乃の神経はより尖った。

「最近1週間ぐらい……あやせ、ぼぉ〜としていること多いよね?」

 言葉に微妙に棘があることを自覚しながら尋ねる。

「そうかな? いつも通りだと思うけど」

 あやせは微妙に桐乃から視線を外した。

「そんなことない。最近あやせってば、先生に怒られてばっかりじゃん。誰が考えてもぼぉ〜としてるって思うわよ」

「そう……っ」

 桐乃の強い声にあやせは目を伏せた。

「それで、何があったの?」

「別に……」

 あやせは口を固く結んだ。

 だんまりを決め込んでいて容易に自分から口を割りそうにない。なので桐乃はより内部へと突っ込んでみることにした。

「京介とさ…………何かあったの?」

 桐乃の鋭い瞳があやせを向いた。

「…………………………っ」

 あやせは俯いて黙った。

 拒否しないその態度が桐乃をイラッとさせた。

「アイツに何かされたとか? アイツがセクハラしたんならアタシがぶん殴ってやるわよ」

 心とは逆の質問を投げ掛ける。

「ちっ、違うっ!」

 あやせは顔を上げながら大きな声で桐乃の言葉を否定した。

「お兄さんは……何も悪くない。わたしが、勝手に悩んでいるだけ。……あっ」

 あやせは話してから気付いたようだった。即ち桐乃の誘導に嵌ったことに。

「それ、詳しく話してくれるよね?」

 桐乃は険しい表情のまま尋ねた。

 

「京介と、何があったの?」

 桐乃は苛立っていた。様々な意味で苛立っていた。

 去年の夏、初めて京介とあやせが遭遇した時、兄が親友と顔を合わせるのがとても嫌だった。けれど、今は……。

 そんな自分の変化がまた嫌だった。

 あやせは葛藤に陥っている桐乃を見ながら諦めるように大きな溜め息を吐いた。

「まず、はじめに言っておくね」

 あやせは大きく息を吸い込んだ。

「わたしとお兄さんの間には何もない。残念だけど何もないままなの」

「何ソレ? 残念だけどってどういう意味? 説明して」

 桐乃の目が吊り上がる。

「2人はアタシに内緒で付き合っているとでも言うの? あやせは京介のこと嫌いだって明言したのに?」

 あやせの肩が一瞬ビクッと震えた。

「……………………付き合ってはいないよ」

「じゃあ、アイツに好きだって言われたとか?」

 桐乃は教室内だということも忘れて声が大きくなっていく。

「…………セクハラでなら何度も好きだって言われたことはあるけどね」

「あの、変態セクハラ野郎っ! 一体何人アタシの友達に手を出せば気が済むんだぁっ!」

 桐乃は一旦怒りを兄に向けて爆発させた。

 けれど桐乃にもこれが原因であやせが上の空状態でいるのではないことは承知していた。

「じゃあ、あやせは京介にセクハラされて苦しんでいるのね?」

 答えがノーであると確信を持ちながら尋問を続ける。

「………………違うよ」

「どう違うの?」

「…………最近のお兄さんはセクハラして来ないもの」

「じゃあ、問題ないじゃん」

「…………お兄さんが本当はわたしのことなんて何とも思っていないことが問題なの」

 桐乃の目がまた吊り上がった。

「京介はアタシの兄貴。あやせから見れば友達のお兄さんなだけでしょ。何で、何とも思われていないことが問題になるの?」

 あやせは目を瞑った。そのまま2度3度深呼吸を繰り返す。

 そして彼女は目を開いた。意思の篭った強い瞳で桐乃を見ながら。

「それは……わたしが、お兄さんのことを好きだから」

 その一言は大の親友同士であった2人の関係を大きく変えることになる発言だった。

 

 

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「それは……わたしが、お兄さんのことを好きだから」

 あやせは桐乃に対して躊躇もしたがハッキリと返答してみせた。

 その答えは桐乃が予想した通りのものだった。そして彼女を際限なく苛立たせるものだった。

 京介の世話をあやせに任せた自分の決断に腹が立つ。

 そして、1ヶ月前は京介を大嫌いと答えたのにも関わらず今は好きだと述べる目の前の少女に腹が立つ。

「いつから……なの?」

 声を押し殺してそう尋ねるのが精一杯だった。

 他の質問をすれば、怒りが外へと溢れ出てしまいそうだった。

「ずっと……前から」

 あやせはとても小さな声で答えた。

「じゃあ、アタシが京介のお世話をお願いした時にはもう?」

 桐乃は声を殺すことに注意を払い続ける。怒りが全身を焼け尽くしてしまいそうな感じ。

「うん。好きだった。でも、当時のわたしはお兄さんが大好きな自分をまだ認めることが出来なかったけどね」

「いつ、認めたの?」

「お兄さんのお世話をしている内に段々好きだっていう想いが大きくなって……ね。自分の気持ちを誤魔化し続けるのもおかしいなって思うようになって」

 桐乃はあやせから目を切った。

 今度は桐乃が2度、3度と深呼吸を繰り返す。

 何をどう言うべきなのか必死になって考える。目の前の友に対してどう接するのが正解なのか分からない。

 結局は事前に何も考えていなかったことに気付いて大きな溜め息が漏れ出る。

 深く考えるのはやめて代わりに思いついたことを喋るように方針を定める。

「アタシは……あやせの恋に協力も反対もしないよ」

 桐乃は自分の口から出た言葉に我ながら驚いた。もっとキツい言葉を投げ掛けるかと思っていたら、中立宣言となっていた。

「アタシはあやせとアイツの関係をどうしたら良いのか、どうなったら嬉しいのか分からない。だから保留」

 桐乃は喋っている内に自分が何を言いたいのかようやく理解し始める。

「結局アタシはアイツの妹で……あやせの友達だからさ……。2人の内のどっちかが、アタシの認められない悪人だったら反対一辺倒で済んだ話なんだけどね」

 桐乃は天井を見上げた。

 思い出すのは8月の後半。京介から黒猫と付き合うことになったと聞かされた時のこと。

「あの時のアタシは……結局何も出来なかったっけ」

 2人の仲を祝福することも出来ず、かといって切り裂くことも出来ず。ただ、2人の視界に入らないように逃げているしかなかった。

 京介に対する気持ち。黒猫に対する気持ち。そして自分自身に対する気持ち。

 どれ1つとして受け止めきれるものがなくて逃げ出すしかなかった。

 桐乃が自分という存在感を確保できたのは、黒猫が京介と急に別れてからのことだった。

「またアタシは……同じことを繰り返すのかな?」

 辛さが込み上げて来る。

 けれど、結局はそうなるであるだろう強い予感が全身を締め付けている。

 桐乃は自分という人間が強くも器用でもないことを最近はよく理解していた。

 覚悟、鉄の意志。そう呼ばれるものが自分の最大の武器であり、今の自分を築き上げたものであることは桐乃もよく理解している。

 けれどそれらは融通の利かなさを表すものでもある。そして京介絡みの件はいつも桐乃に融通を利かせることを求める展開になる。

 初めて人生相談した時も、あやせと揉めた時も、アメリカまで迎えに来てもらった時も。

 京介は桐乃を守ってくれた。けれど、それは桐乃自身にも間接的に覚悟の変化を促すものとなった。

「今度は……アタシが変わらないとやっぱりダメ、になるのかな?」

 再び8月の終わりから9月の始めに起きたことを思い出す。

 京介の彼女になっていた、オタクサイドの親友のことを。

「黒いのはさ……アタシに優し過ぎるんだよ」

 桐乃は小さく呟いた。あやせを見る。あやせはジッと自分を見ている。話を聞いているのは間違いなかった。

「アタシのことなんて後回しにしてさ…幸せになっちゃえば良かったのに。何で、アタシのことなんて考えて別れちゃったんだろ……そんなこと、頼んでないのにさ。アタシにお義姉ちゃんって呼ばせるように説得すりゃ良いのにさ」

 小さく舌打ちを奏でる。

「あのお人よしの毒舌邪気眼はアタシを大事にし過ぎた。あやせは?」

 あやせから目を逸らさない。そしてあやせもまた桐乃から目を逸らさなかった。

「わたしは……あの人ほど優しくはないよ」

 あやせの返答はしっかりとしていた。

「わたしは自分の欲望にもっと忠実に生きるって決めたから」

 あやせは軽く息を吐き出した。

「そっか……」

 桐乃はあやせから目を離した。そして教室内を見回す。すると教室の扉を赤み掛かったツインテール少女が潜って来たのが見えた。

「加奈子。おはよう〜」

 桐乃は眠そうな表情を見せているクラスメイトの元に向かって小走りで駆けて行った。

「桐乃に嫌われちゃった……よね」

 あやせの小さな溜め息が桐乃の耳に届くことはなかった。

 

 

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 あやせが恋人ごっこを提案してから気付けば1週間が経っていた。

「はぁ〜。勉強ダルぅ〜〜っ」

 時計は午後10時を差して受験勉強にも飽きて椅子の背もたれに上半身を深く預ける。

 受験生というのは非常に特殊な生活を送っているタイプの人間であり、平日だろうが休日だろうが基本的に同じ場所で同じことをしている。それはある種の特権であり、ある種の監禁でもある。

 そして俺は18歳。多感なお年頃で知識を吸収するのに向いてもいるが、受験とは関係ない刺激が熱烈に欲しくなりもする。

 今まさに俺は刺激を欲していた。

 すると俺の魂をくすぐるナイスタイミングで扉のドアがノックされた。

 この際、お袋の夜食提供でも気分を紛らわせるには丁度良かった。

「あのさ……お母さんが作った夜食を持って来たんだけど。入って良い?」

 扉をノックしたのは妹様だった。

「おっ、おう……っ」

 ノックしたことがない妹様がしおらしく扉の前で立っているのを不気味に感じながら妹の入室を促す。

 

「はい。これ、お母さんから夜食の差し入れ」

 桐乃はそう言って手に持っていたお盆をみせた。お盆の上には丸く握られたおにぎりが3つ並んでいた。

「中身はみんな梅干だってさ」

「頭をシャキッとしなさいってことですね。へいへい」

 流石はお母上。俺がダレる瞬間を先読みしていたか。

 ただ見ていても仕方ないので早速頂くことにする。桐乃からお盆を受け取り机の上に乗せる。1つの目のおにぎりを一口齧った所で桐乃から声が掛かった。

「ちょっと話があるんだけど良い?」

「ああ」

 妹がわざわざ夜食の運び屋、及びノックまでして俺の部屋に入ってきた。ただごとの筈がなかった。

 俺の手に余る事態にならないことを心で祈りながら耳を桐乃に傾ける。

「アンタさ……あやせのことをどうするつもりなの?」

 桐乃は淡々とした声で尋ねて来た。

 妹の質問は想定外のものだった。

 あやせが恋人ごっこのことを喋ったのだろうか?

 ちなみにあやせが恋人ごっこを提唱してから1週間、俺が彼女を呼び付けたことは1度もない。それどころか1度たりともメールのやり取りさえしたことがない。

「どうもする気はない。俺は受験で忙しい」

 首を回しながら面倒臭そうに答える。

「ハァっ!?」

 桐乃はお得意の露骨に嫌な顔を見せてくれた。

「アンタ、何を上から目線で事態を達観しちゃってるフリしてんの?」

「上から目線でもないし、フリでもない」

 恋人ごっこはあやせからの一方的な提案だし、受験を前にして、そして黒猫の一件の後の俺が騒ぐような類のものではない。

 

「…………京介はさ」

「何だよ?」

 桐乃の搾り出すような小さな声に無性に苛立ちを覚えた。だから反感の篭った声がつい出てしまった。

「あやせのことが好きなんじゃないの?」

 なかなかに難しい質問だった。

 俺自身、深く考えないようにしていた厄介な部分をピンポイントで突いて来やがった。

「黒猫と初デートする直前に呼び出されたらすぐに駆け付けてしまう程度には好きだぞ」

 考える代わりに過去の行動を述べてみる。結局あの時のあの行動は何だったのか意味を掘り下げることもなく。

「浮気する程好きなんじゃんっ! っていうか、彼女がいるのに何を最低なことをしてんの、アンタはぁああああぁっ!」

 桐乃が顔を真っ赤にして両手を振り上げて怒った。

 でも、まあ、妹の怒りももっともだ。俺だってあの行動には限りない不誠実を感じて止まない。

 そして今思い返せば俺の外道ぶりはそれだけに留まらない。

「黒猫とデートしてからは別れて電話連絡されるまで1度も思い出さなかった程に好きだ」

 桐乃は両手を下げた。代わりに蔑視の視線を冷徹に送ってくれた。

「訳分かんない」

 桐乃の視線はどこまでも冷たい。

「……随分失礼な好きよね。女を馬鹿にしている」

 桐乃の言葉には俺に対する罵倒がありありと込められている。けれど、反論できない。どれもこれもが事実なのだから。

「黒いに捨てられた時はさ……黒いのが何て酷いことをしたんだと思っていたけどさ……黒いのはアンタのそういう部分を全部見抜いてたんじゃないの? 何かそんな気がする」

「だろうな。黒猫は俺のことを俺以上によく分かっているから」

「…………あっそ」

 黒猫のことを喋ったら桐乃はへそを曲げてそっぽを向いた。よく分からん奴だ。

 

「俺はあやせのことは好きなんだよ。けどな……」

 目を瞑りながら天井を向く。

 やっぱり俺のあやせへの熱狂性は1つの説明しか思い付かない。

「それって美少女アイドルに熱上げているのと似たようなもんなんだよな」

「はぁ?」

 妹様は訳分かんないと言った感じで口を半開きにした。

「顔を見ればテンション上がるし、声を掛けられればそれだけで超幸せな気分になる。生きてて良かったって思える。でもな……」

「でも?」

 桐乃の顔を正面に見る。

「アイドルって崇め奉るってテンション上げる対象であって、恋愛する対象じゃないだろ?」

 世の中には色々な種類の好きだの愛だのがあると思う。その中で俺のあやせへの愛情はそんな感じなのだ。

 あやせ本人や赤城に対してなら結婚してと半分本気で、いや9割方本気で叫べる。が、多分その言葉には重みというか中身がない。

 黒猫に同じ言葉を掛けようとすれば俺は絶対に何日も思い悩むだろう。そして、掛けた以上は引き下がれない。その言葉が実行されなければ俺は立ち直れないぐらいに凹む。

 同じ好きでもそういう差があるんだ。

 

「アンタって本気で失礼な奴よね。アタシの友達を気持ち悪い偶像にしちゃってさ」

「モデルってのはそういう役割も幾らかは引き受ける存在だろうが」

 剣呑な瞳を向ける妹をさらりとかわす。

「じゃあ、同じモデルであるアタシから声掛けられたらアンタのテンションは上がるの?」

 桐乃はちょっと照れ顔をしてみせた。

「全力で他を当たってくれといい笑顔で返すさ」

 コイツが自分から話し掛けてくる時にろくなことがあった試しはない。

「何でアタシとあやせでそんなに違うのよ?」

「仁徳の差じゃないのか?」

 100の残虐の方法をすぐに実行しようとするあやせに仁徳があるのかは知らないが。

「死ねっ! バァ〜〜〜〜かっ!!」

 桐乃がアッカンベーをしてみせた。

 まあコイツはいつもこれぐらい憎まれ口を叩いてくれた方がらしくて良い。

「ていうかアンタはそのアイドルに告白されたんでしょ? アイドルと冴えない一般人が結ばれるお話なんて漫画でも小説でも幾らでも転がっているじゃないの」

「フィクションはフィクション。現実は現実だ」

 息を大きく吐き出しながら気だるく返答する。

 一体、桐乃は何が言いたいんだ?

 俺とあやせをくっ付けたいのか? それとも阻害したいのか?

 妹様の行動は相変わらず謎だった。

 

 

-6ページ-

 

「結局、桐乃は俺とあやせにどうなって欲しいんだ?」

 京介の質問。

 それは桐乃にとって何とも返答し難いものだった。

 桐乃自身、その答えを知りたくて京介に話を振ったのだから。

「とにかくっ! アンタ、アタシを言い訳にして女の子と付き合わないとかキモいことを言うのを止めなさいよねっ!」

 桐乃は話の矛先を変えながら昨今募らせている不満をぶつけた。

「言い訳って何だよ? 俺は固い気持ちでそう決意したんだぞ」

 京介はかなりムッとしていた。

 けれど、そうやって不満を表明されること自体が腹立たしかった。

「それは全力で逃げることを決めただけでしょ。アタシを出汁に女の子の気持ちから逃げんなっ!」

 大声で文句を付ける。

「じゃあ桐乃は、俺が誰と付き合おうが全然構わないってことなんだな?」

「そっ、それは…………」

 今度は桐乃が躊躇した。

 京介の口から黒猫と付き合っていると聞かされた後の落ち込み具合。あの時の京介は一切自分の変化に気付くことなく、またまるで関心も寄せなかった。

 去年の夏までの冷戦時代と違い、極めて自然にスルーされていた。それがどれだけ桐乃を更に落ち込ませたか。

 京介が誰かと男女交際することになればまた同じ体験をすることに成りかねない。

 桐乃にはいつものように強がりを言って返すことが出来なかった。

 けれど、負けっ放しは桐乃の性には合わなかった。

「京介っ! アンタ、あやせとデートしてどう接するべきなのかよく考えてみなさい!」

 指を差しながら勝気に述べる。

 喋ってみると我ながら良いアイディアではないかと思えてくる。

「それは俺が女の子と付き合って良いということなのか?」

「良くないわよっ!」

 大きく首を横に振る。

「じゃあ、どういうこと何だよ?」

 桐乃は大きく息を吸い込んだ。

「京介は、アタシの兄貴でしょ。兄貴なら……妹に道を示してみせなさいってのよ。アタシをアメリカから連れ戻した時みたいにさ」

「無茶を言うな……っ」

 京介は露骨に嫌そうな表情を浮かべている。

 けれど、喋れば喋るほど桐乃は自分のアイディアに確信を抱いていく。

「とにかくアンタはデートしなさいっ! そしてアタシに道を示しなさいっての!」

「何でお前はそんなに偉そうなんだよ?」

「アタシは京介の妹なんだから当然でしょっ!」

 京介に向かってもう1度指を突き刺しながら踏ん反り返る。

「いいっ! アンタの人生なんだから、アンタが決めなさいっ!」

 それだけ述べると桐乃は大きく足音を響かせながら京介の部屋を去っていった。

 

「おっ、おいっ! 言いたいことだけ言って勝手に去って行くな〜〜っ!!」

 京介の不満の声が背中から聞こえて来るけれど無視する。

 自室にいると壁越しにグチグチ言われそうなので1階に下りてソファーに寝転がることにする。

 だらしない姿勢で寝そべりながら天井を見上げる。

 両親は既に就寝しており自堕落な格好をしていても誰にも見咎められることはなかった。

 頭の中で先程までの京介とのやり取りを思い出す。

 

『京介っ! アンタ、あやせとデートしてどう接するべきなのかよく考えてみなさい!』

 

『とにかくアンタはデートしなさいっ! そしてアタシに道を示しなさいっての!』

 

 考えれば考える程に嫌になる。

「人任せなのはアタシも同じじゃん。ていうか、京介を言い訳にして何も決めようとしてないし……」

 両目を右腕で塞ぐ。

「嫌になるほど……兄妹だよね……」

 溜め息が漏れ出た。

 脳裏にクラスメイトの親友の顔が思い浮かぶ。

 次にその少女、あやせが京介と腕を組んで仲睦まじく歩く姿が思い浮かぶ。

 それはあまり面白くはない風景だった。凄く似合っていたから。

 あやせに代わって腕を組んでいる人物を自分に換えてみる。

 途端に心が落ち着いた。

 けれど、今度は脳内の京介が急に騒ぎ始めた。次いで脳内の自分も京介に向かって大きく口を開いて文句を言い始める。

 そこには恋人同士の甘い雰囲気は感じられない。

「あ〜あ…………兄妹かぁ…………っ」

 桐乃はそれ以上深く考えることは止めて目を固く瞑った。

 睡魔はすぐにやって来た。

 畳んだ状態で側に置いてあったタオルを何枚か掴んで自分の身体に被せて掛け布団代わりにする。

「お休み……京介」

 その言葉を最後に桐乃は意識を手放した。

 

 

 了

 

 

説明
原作11巻発売前に、原作では多分ないだろうあやせの話を引っ張ってみた物語
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俺の妹がこんなに可愛いわけがない 高坂京介 l高坂桐乃 新垣あやせ 

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