ハーフソウル 第十話・覚悟
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一 ・ 顕現能力

 

 険しい岩山に四方を囲まれ、命あるものは誰も寄り付かない遺跡に、彼らはいた。

 古代の山岳遺跡を城砦に作り変え、玉座の向こうにぱっくりと顎を開いた奈落からは、おぞましい呻き声しか聞こえない。

 

「イブリス。血月の夜に『あれ』を見たようだな」

 

 トケイソウを模した王冠を被り、玉座に腰掛けた男は、ゆっくりと口を開く。

 

 男の顔半分は長い髪に隠れ、表情からは何ひとつ読み取れない。天井から差し込むわずかな陽光に、その異形が垣間見える。

 褐色の肌に、地を這う黒髪。眼は血月のように輝き、その耳は尖っている。

 

「申し訳……ありません。いかような処罰でも喜んでお受け致します」

 

「ならば牢にでも入っているがいい。お前が子供の頃いた場所だ。さぞかし懐かしいだろう」

 

 目を細め、喉の奥で音も立てず男は嗤う。

 

「ところで『あれ』の様子はどうだった。セアルの肉体に顕現していたか?」

 

「はい。従属の印がないために、肉体には留まりませんでしたが、ほぼ完全体と思われます」

 

「そうか。これで胎児に対する、召喚術式が確立されたな。顕現能力も無い、お前のような出来損ないとは違う」

 

 歯に衣着せぬ男の物言いにも、イブリスは一言も発しなかった。

 

「姉上のいない世界など滅べばいい。深淵の大帝に蹂躙され、何もかも消え失せれば良いのだ」

 

 そう呟くと、男は玉座から煙のように姿を消した。

 

 玉座の間に一人取り残されたイブリスは一言、お父様、とだけ口にした。

 

 

 

 

 ダルダン将軍とアーシェラが、帝都から目的の街に到着するには、騎馬でも半日近く要した。

 未明に発ったために、明るいうちに着く事が出来たが、白い軍服の二人はこの上なく目立つ。

 

「わたくしが様子を見てきます」

 

 近くの木陰に馬をつなぎ、アーシェラは門へと向かう。

 

 門の近くから様子を伺うが、人の往来が多少あるだけで、中へ入らなければ捜索は不可能だった。

 

 その時ふと、目の端に男の姿が映る。

 

「……あの男は!」

 

 宰相からの命令書を思い出し、アーシェラはわざと素知らぬ振りをした。男が、命令書にあった人相書きにそっくりだったからだ。

 

「ダルダン将軍に報告せねば」

 

 男に悟られないよう、彼女はそっと門を後にする。

 

 だがアーシェラに気付いたラストが、その後を追っている事を、彼女はまだ知らずにいた。

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二 ・ 将軍二人

 

 セアルがラストに気付いた頃、彼は北門を抜けた先にある、西の森まで来ていた。

 

 脇に目をやると、潅木につながれている二頭の騎馬が見える。

 ラストは姉の姿を探し、辺りを見回した。

 

「……来たのか、ラストール」

 

 その言葉に振り向くと、そこにはダルダン将軍が剣を抜き放って立っている。

 

「公爵……。何故あなたが」

 

 驚きのあまり、ラストは身構えることも出来ずにうろたえた。

 

「公爵であり、軍人であるならば、二君に仕える事は出来ぬ。我が主は皇子ただ一人」

 

 ダルダン将軍は波刃の両手剣を胸の前で構え、ラストを鋭く睨む。魔銀製の剣は、鈍い輝きの波紋をその刃に湛え、斜陽に照らし出される。

 

 その様にラストは息を呑んだ。それは将軍の持つ剣が、セアルの持つ黒曜石の剣を模したように似ていたからだ。

 

「剣を取れ、ラストール。私がこの手でお前を葬る」

 

 将軍の覚悟に圧倒され、ラストは武器を抜く事も出来ずに、ただ立ち尽くした。

 

「ダルダン将軍。その者はわたくしにお任せ下さい」

 

 将軍の背後から声がして、一人の女が現れた。亜麻色の髪に、新緑の瞳。懐かしい姉の姿だ。その身を白い軍服で包み、鉾槍を手にしてはいても、輝く美しさは十年前といささかも変わりが無い。

 

「手出し無用。セトラ将軍は、その手を汚すべきではない」

 

「何故ですか。その男は謀反人である父の手先となって、先帝を弑逆した。セトラ家の恥は、セトラの血であがなうのが筋です」

 

 その言葉に、ラストはようやく違和感に気付いた。

 

 目の前にいるのは、追っ手に立ち向かい、その身をもって逃がしてくれた姉では無い。記憶を失っているのか、虚言を吹き込まれているのかは分からないが、明らかに行き違いがある。

 

 疑いを晴らさなくては。だが殺気立ったダルダン将軍に加え、敵意むき出しの姉を相手に、言葉が通じるのかどうか。

 

 例え一対多であったとしても、やらなければ永遠に姉を取り戻す事は出来ない。そう思い至り、ラストは布に包まれたままの王器を構える。長柄を握り込むと左手の傷がひどく痛んだが、今はそれすらも気にしている場合では無かった。

 

 その時ラストの耳に、聞き慣れた足音が入って来た。足音は彼の背後で立ち止まり、抜剣時の金属音が耳に届く。

 

 ふいにダルダン将軍が驚きの表情を見せたが、それが何故かはラストには分からなかった。

 

「……遅かったな、セアル」

 

 ラストは振り向きもせずに、背後へと言葉を投げる。

 

「勝手にうろついておいて、遅いとは何だよ」

 

 片手剣を構え、セアルは言葉を返した。

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三 ・ 覚悟

 

 もう一人の男の登場に、ダルダン将軍は驚きを隠せなかった。ラストの他に複数人いるのは知っていたが、彼が目を見張ったのは、その事では無い。

 

 新たに現れた男の顔に、何故か見覚えがあったからだ。

 

 その虚を突き、ラストはアーシェラへと歩み寄った。対するアーシェラも鉾槍を手に、ラストへと進む。

 

 ダルダン将軍の最も望まなかった形が、その場へと展開された。こうなってはもう、取り返しなどつかないだろう。

 この状況を招く原因となった男を、ダルダン将軍は見やった。

 

「貴殿には何の恨みも無いが、軍人として己の責務を果たさなければならぬ。覚悟召されよ」

 

 波刃の両手剣を構え、ダルダン将軍は相手を見据える。男が手にしているのは片手剣だが、その背にはもう一振りの剣が括られている。異様な風体だ。

 

「この私を相手に、予備の武器で立ち向かうなど嘗められたものだ。その背にある剣を抜け!」

 

「予備の剣じゃない。それにこの両手剣は、人に対して使うものでもない」

 

 その言葉に、ダルダンは笑う。

 

「武器はことごとく敵に対して用いるものよ。眼前の敵を倒せぬ者が、剣を扱う資格など無いわ。その甘さで、今までどれだけの者を犠牲にして来た?」

 

 鋭い指摘に、セアルは二の句が継げなかった。

 

「覚悟の無い者が剣を取れば、周囲を巻き添えにし、その身を滅ぼす。お前は何故剣を取った? 弱い者が剣を取れば、強くなる訳では無い。覚悟ある者だけが、死地を抜けられるのだ」

 

 両手剣を握り込み、ダルダンはセアルの剣を弾き上げる。

 魔銀の剣は軽い金属音を響かせながら、弧を描いてダルダン近くの地面へと突き刺さった。

 

 剣を奪われ、甘さを突かれて、セアルは黒曜石の剣を抜いた。ガラス質に輝く刃は、彼の顔を映し込む。

 

「そうだ。それで良い」

 

 セアルの表情に、ダルダンは満足そうに微笑む。

 

「……これが、我が祖先が賜りし黒曜石の王器か。聞きしに勝る美しさよ」

 

 言葉が終わる前に、ダルダンは踏み込み、一閃を放った。

 

 重い一撃を刃で受け止め、セアルはそのまま攻撃へと転じる。一閃による間隙を縫い、鋭く突きを入れる。

 

 常人には出来ぬ離れ業で、ダルダンは大振りの隙を詰め、刃で突きをいなした。歴戦の英傑は、武器そのものの性能差など、微塵も感じさせない。

 

 自らの隙を消すために、セアルは後方へと跳躍する。ダルダンはさらに突進をし、着地の足を狙った。

 

「戦は試合とは違う。ケンカそのものよ!」

 

 足を払われ、倒れたところを心臓を狙われる。右に身を躱すが、避けきれずにセアルは左腕を斬り裂かれた。

 両手剣の波刃はたやすく肉を引き裂き、鋭い痛みと大量の出血を伴う。

 

「眼前の敵は倒すしかないのだ。人は万能では無い。護るために、救うためには殺す覚悟をせよ」

 

 左上腕部の傷を庇いながら、セアルは必死に剣を構える。

 

「さあ、お前の力を見せてみるが良い。デルミナの子よ」

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四 ・ 神隠し

 

 ダルダンのその言葉に、セアルはハッと彼の顔を見た。

 

「何故、その名を知っている」

 

 その問いに、ダルダンはセアルの片手剣を指し示した。紋章と持ち主の名が刻まれた、魔銀の剣だ。

 

「お前の顔を見た時から、誰かに似ていると気になっておった。その剣にある紋章を見た時に、疑問は確信になったのよ。セトラの紋章が刻まれている剣など、当主以外は所有せぬ」

 

「……あなたは、俺の母を知っているのか」

 

「知っている、などというものでは無い。我が親友の許婚だったのだからな」

 

 ダルダンは懐かしそうに微笑む。

 

「まさか、デルミナの子にこんな形で出会う事になろうとは」

 

 

 

 

 先帝の従兄ボリス・イリス・ネリアと、当時のセトラ侯爵家当主、デルミナ・ウル・セトラの挙式が数日後に迫ったある夜。花嫁が忽然と姿を消した。

 

 前代未聞の醜聞に、皇宮内だけではなく、帝都ガレリオンではその話題で持ちきりになった。

 

 何者かが侵入、もしくは花嫁が自らの意思で失踪した形跡のどちらも無く、帝都では『神隠し』として、口の端に上る事もしばしばだった。

 

 残されたボリスは、周囲の勧める縁談も頑なに断り、五年もの間、花嫁が帰るのをひたすら待ち続けた。

 

 六年目の春、二度と花嫁が戻らない事を悟り、彼は許婚の妹と結婚をした。そして生まれたのがアーシェラだった。

 

 

 

 

「慣習で定められた婚姻だったとはいえ、ボリスとデルミナはそれは幸せそうだった。婚約から挙式まで一年をかけ、二人は愛情を育んでいた。……デルミナは今、どうしておるのだ?」

 

「母は、俺を生んですぐ亡くなったと聞きました。その剣だけを持って行き倒れていたところを、助けられたと。……つい最近まで、育ての父を本当の父親だと思っていたくらいで、他は何も知りません」

 

 セアルの様子に、ダルダンは言葉少なに呟く。

 

「言いたく無い事は、言わずとも良い。あの失踪事件は、どう考えても人の手によるものとは思えぬ。宰相が必死に隠したがっているところを見ると、何か裏があるのだろう」

 

「宰相……。あいつが噛んでいるのか」

 

 確かに血月の夜、あの骸骨は「お前の父親を知っている」などと大言を吐いていた。状況から見ても、宰相が何かを知っているのは間違いないだろう。

 

「宰相め、事件を隠しおおせたいのかは知らぬが、この私を殺すつもりでここに送り込みおった。だがアーシェラの記憶を取り戻すまで、この命くれてやる訳にはいかぬ」

 

 ダルダンは両手剣を構え直し、セアルへと向き直った。

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五 ・ 失われた記憶

 

 記憶を失った姉を取り戻すため、ラストはあえてアーシェラと対峙する道を選んだ。

 

 全ては十年前、己の未熟さ故に、養父も姉も救えなかった自分の罪なのだ。

 

「姉上。何もかも忘れたのか? あの屋敷で六年間過ごした日々を」

 

「私に弟などいない! 私にはもう、血縁すらいない!」

 

 アーシェラは憎悪のまなざしで、ラストを睨み付けた。彼女は自分の身長よりも長い鉾槍を構え、足を狙ってなぎ払った。その攻撃を、布に巻かれたままの長柄で弾き飛ばし、ラストは慎重に間合いを取る。

 

 長柄と鉾槍であれば、互角に渡り合える。だが防戦一方になるラストと、殺気立ったアーシェラとでは気迫が違う。

 

「貴様などに何が分かる! 我がセトラ家は千年以上続いた、八英雄の末裔。私の代で潰したなど、祖に申し訳が立たぬ!」

 

 アーシェラは鬼の形相で鉾槍を振るう。長柄に湾曲した刃を作り付けた鉾槍は、非力な女性でも扱えるほど軽く、間合いに入らせないリーチは戦闘を有利に運ばせた。

 

 直接膝下を狙える利点に加え、長柄武器に属する槍や棍での対峙で、ようやく互角となりうる。開けた場所で振るうのであれば、これほどの威力を持つ武器が他にあっただろうか。

 

 的確に足元や腕を狙ってくるアーシェラに、ラストは弾き返すのが精一杯だった。姉に対して反撃など出来る訳も無く、彼の左手からは血が滲み始め、長柄を覆う布を汚していく。

 

 このままでは、ラストに勝機は無い。傷口が開いた左手も、いつまで保つか分からない。

 

 その時、ラストの目にアーシェラの髪飾りが映った。記憶を失っている今でさえ、身に着けているその装飾品に、ラストは賭けた。

 

「アンタが身に着けている、その髪飾りはどうしたんだ? 誰から贈られた物なのか言ってみろ!」

 

 アーシェラはその言葉に、忘れていた何かを揺り動かされた表情を見せる。

 だがその表情もすぐに消え失せ、苦しそうに呟く。

 

「分からない。誰なのか。でもとても大切な……。分からない、思い出せない!」

 

「そうだよ。それは十八歳の誕生日を記念して、オレが贈ったんだ。いつだって軍人を相手に訓練ばかりして。指輪も首飾りも着ける暇がないって言ってただろ。だからいつでも身に着けられる、髪留めにしたんだ」

 

 アーシェラの脳裏に、懐かしい記憶が甦る。暖かく、優しい記憶。今ではそれが、夢でしかないようにも思える。

 

 養子縁組。母の病死。当主の拝命。父の死。何もかもが色あせ、古びた幻灯のように彼女を苛んだ。

 

 鉾槍を取り落とし、耳を塞いでアーシェラはその場にうずくまった。涙が自然にこぼれ落ちる。脳内では整合性を保とうと、虚実が入り乱れた。

 

 宰相の憎悪に満ちた相貌が彼女の意識を支配し、アーシェラは叫んだ。子供のように泣きじゃくりながら、必死に助けを求める。

 

 ふいに暖かい手がアーシェラの指先に触れ、彼女は顔を上げる。

 

「大丈夫だ。血が繋がってなくても、オレはずっとあなたの弟だから」

 

 ラストの言葉に、アーシェラはすがって泣いた。

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六 ・ 信念の代償

 

 セアルとダルダン将軍との死闘は、いまだ繰り広げられていた。

 

 波刃は、互いの皮膚を切り裂き肉をそぎ、傷をえぐりながらも致命傷にまでは至っていない。血にまみれた満身創痍のその姿は、修羅を思わせる。

 

 血でぬめる柄を両手で握り締めながら、セアルはダルダンの説く真理を悟った。護りたいものがあるなら、貫きたい信念があるなら、自らの犠牲も厭わぬ覚悟が必要なのだ。

 

 傷や出血量はセアルの方がひどかったが、ダルダンの流血はとどまるところを知らなかった。白い軍服は血で赤く染まり、いずれ失血によって命の灯火は消え失せると思われた。

 

「戦で死ぬるは本望よ」

 

 血まみれた顔で、ダルダンは不敵な笑みを見せる。

 

「最期にお前に出会えた事を、神に感謝せねばなるまいな。デルミナの最期を知り、黒曜石の王器を目の当たりに出来た。何よりも、お前のような男と戦えたことが我が僥倖」

 

 ダルダンが剣を降ろしたのを見て、セアルは背後を振り返った。泣き崩れるアーシェラと、傍に寄り添うラストの姿が見えた。

 

「あの子の記憶が戻ったようだ。これでもう、私の使命は終わった」

 

 すでにダルダンの体内からは血が流れ尽くし、彼はふらふらと膝をついた。セアルが傍に寄ろうとしたその瞬間。

 

 セアルの目に、何か光るものが映った。

 

 空を切る鋭い音がして、それは藪からダルダン目掛けて一直線に飛ぶ。

 

 わずかに残った力でダルダンがそれを叩き落すと、藪に潜む者は、さらに矢をつがえ狙いを定める。

 それがアーシェラを狙っている事に気付いた時、あらん限りの力を振り絞り、ダルダンは跳躍した。

 

 肉を裂いて骨に達する鈍い音が響き、弩の矢を腹に受けたダルダンは、その場に崩れ落ちる。

 

 それを確認すると、暗殺者は身を翻し森の奥へと消えていった。

 

 セアルが驚き駆け寄ると、ダルダンは致命傷を受けながらも、気丈に起き上がろうとしている。

 

 矢は内臓を損傷していた。深く刺さっているためか、見た目の出血は少なかったが、抜けば抑えられないほどにあふれ出るのは想像に難くなかった。

 

「アーシェラは、無事か……?」

 

 苦しい息の中、ダルダンはアーシェラの安否を気にかけた。

 

「公爵様……。ごめんなさい、私……」

 

「泣くな、アーシェラ。暗殺者も、追う必要は無い。誰の手の者かなど、とうに察しがついておる」

 

 すでに目もよく見えていないのか、あらぬ方向へとダルダンは手を伸ばす。アーシェラはその手を受け、そっと握り返す。

 

 ふとダルダンは藪へと顔をやり、そこにいるのか、と呟いた。

 

 その言葉に呼応するように、暗殺者がいた藪の中から、一人の男が姿を見せた。右手に血に濡れたレイピアを下げ、黒い外套に覆われた顔を上げると、見覚えのある男だった。

 

「レニレウス……」

 

 ラストが声を上げるよりも先に、レニレウス公爵は左手に引きずっていた死体を、その場に投げ出した。死体が纏う装束の下からは、ガイザック将軍の部隊を示す、紋章の刻印された革鎧が着込まれている。

 

「気になって追いかけて来てみれば……。ダルダン将軍。貴方は本当に無茶をなさる」

 

 感情も抑揚も無い声で、レニレウスは呟く。

 

「信念のために命を賭けたいのは分かりますが、これでは奴らの思う壺なのですよ」

 

 その言葉に、ダルダンは微笑む。

 

「レニレウス。どうか最期の願いを聞き届けてほしい。アーシェラを預かってはくれまいか。記憶が戻ったとなれば、また宰相に狙われるだろう。迷惑をかける事になるだろうが、頼む」

 

 ダルダンの末期の言葉に、レニレウスは嘆息する。

 

「困ったお方だ。命を盾に取られては、断れないではありませんか。心配なさらずとも、我が一族で責任を持って、お預かり致しますよ」

 

 レニレウスの言葉に小さく礼を言い、ダルダンは安心したように目を閉じる。アーシェラの握った手も、指先が冷えてゆく。

 次第に呼吸も浅くなり、筆頭将軍ダルダンは、眠るように六十三年に渡るその生涯を終えた。

 

「どうか、安らかに」

 

 レニレウスは小さく呟き、手持ちの黒い外套をかけて、黙祷を捧げた。

 

 ダルダン将軍の死に、皆が冥福を祈る。

 

 ただ黄昏だけが彼らを優しく包み、その涙を覆い隠した。

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七 ・ 深淵の掌中

 

 将軍の遺体は公爵に任せる事となり、日没前にレンが合流したのを機に、その場にいる者は今後を話し合った。

 

「一人も二人も同じですから、そちらの小さなお嬢さんもお預かりしましょうか」

 

 公爵の申し出に、セアルは迷った。だがレンは、セアルの背後にぴったりとくっついて離れようとしない。

 

「申し出はありがたいけど、しばらくこのまま連れていってみようと思う」

 

「そうですか。気が変わったらいつでもおっしゃって下さい。勿論、代金はラストール君の出世払いで構いません」

 

「オレ!?」

 

 公爵の無茶振りに、ラストは素っ頓狂な声を上げる。

 

「当然でしょう。一体どなたの姉上を、お預かりすると思っているんですか。そちらのお嬢さんだって、貴方のお仲間なんですから、支払いの義務が発生しますよ。搾り取れるところから搾り取るのが、当家の家訓なので」

 

「アンタ本当に嫌な奴だな……」

 

「恐れ入ります」

 

 悪魔的な笑みを公爵は見せる。

 

「ところでアンタが暗殺者を倒した事で、宰相がまた覗き見をしそうな気がするんだが……。アンタは内部での立場とか平気なのか?」

 

「おや。私の心配をしてくれるのですか。殊勝ですね」

 

 公爵は笑いながら、自分の外套を指差した。

 

「あの王器には変わった点がありましてね。黒い布に包まれたものは、見通す事が出来なくなるんですよ。皆さんは丸見えかも知れませんが、私の姿は見えていないと思います」

 

 にこにこしながら解説する公爵に、一同は唖然とする。

 

「ただ、王器自体も黒い布で覆われると、探知出来ないのが厳しいですね。宰相の周囲を内偵させているのですが、王器を布で覆って隠しているようで、全く見つけ出す事が出来ない状態です」

 

「宰相が自分で持ち出すまで、王器を奪う機会が無いって事か……」

 

「そういう事になりますね。ただこちらも黒い外套を羽織っておけば、宰相の王器には見つからないよう行動出来ます。これは相当に有利な条件です。人数分用意してありますから、よろしければお持ち下さい」

 

「エライ手回しがいいな」

 

 公爵の手際に、ラストは素直に感心した。

 

「いつでも十手先を読んでおけば、割と負ける事は少ないのですよ。代金はラストール君にツケておきますので、皆さん遠慮なくどうぞ」

 

 公爵の商魂に、誰もが呆然としたのは言うまでも無い。

 

 

 

 

 アーシェラが公爵と共に旅立つ直前、ラストはセアルの片手剣を、彼女へと見せた。

 

「この剣……。間違いなく伯母のものだわ」

 

 柄の紋章と刻まれた名前を見て、アーシェラは言った。

 

「伯母は結婚式の直前に、行方不明になったそうなの。父はいろいろ葛藤があったようで、その頃の話はあまり教えてくれなかったわ」

 

「ラスト。何でお前、この剣の事知ってたんだ?」

 

「血月で、お前が丸一日眠ってた時に拝借したんだよ。不可抗力だ不可抗力」

 

 ばつが悪そうにラストは呟いた。

 

「でもこれで、二人が血縁だって事が分かってよかったな。お互いもう、一人じゃないだろ」

 

 ラストのその言葉に、セアルとアーシェラはお互いを見た。よく似た緑の瞳が、二人が血縁である事を物語っている。

 

 姉の笑顔に、ラストはひと時の幸福を感じた。

 

 

 

 

 公爵やアーシェラと別れた後、三人はこっそりと宿へと戻った。傷の手当てをするには、手持ちの薬や包帯が足りなかったのだ。

 

 見れば新しい傷は数こそ多かったものの、それほど深いものは無かった。ダルダン将軍が、故意に狙いをはずしていてくれたのだろうと思うと、セアルは胸が痛かった。

 

 傷口を洗おうと服を脱いだ瞬間、セアルは左脇腹の傷跡に違和感を憶えた。

 

 恐る恐る傷跡を見るが、ソウに斬られた傷は完全に治癒している。

 

 だがその傷跡は黒ずみ、周囲の皮膚は傷から滲み出したかのように、浅黒く侵食されている。まるで闇の色が、そこから這い出すように。

 

 血月の夜を思い出し、セアルは戦慄した。

 

 この話をすれば、仲間たちを心配させるのは想像に難くない。自分一人で抱えきれるものなら、口外をしないのが得策だと彼は心を決めた。

 

 傷を負うたび常人を上回る速度で治癒し、代行者を葬り去る力があったとしても、その先に行き着くのは、深淵の掌中なのだ。

説明
創作歴史と創作神話を元にした、ダークファンタジー小説です。武器戦闘をメインにしてあり、魔術はあまり描いていません。たまに人が死んだりします。男主人公。獣耳少女と男二人で旅をします。両手剣vs両手剣。9365字。

あらすじ・神の箱庭・西アドナ大陸。古の神をその身に内包した少年セアルは、自らが箱庭を破壊するために作られた存在と知り、神の代行者と対立する道を選ぶ。
ラストを殺すべく、彼の恩人であるダルダン将軍と、記憶を失った姉アーシェラが差し向けられ……。
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