Little prayer(1)Ewhoit 後編-3(完結)
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 ああ、ごめん。

 シュカ……俺はまた、君の盾にはなれ、

 

 

 

 

 

 

 

 ダァン!

 

 金色の光が飛び散った。意識が朦朧としていたから、天に誘われる光かと、そう思った。

 しかし現実では、俺はまだ死んでいなかった。何かと何かが激しくぶつかった、それが顔のすぐ近くで感じられた。

 なんだ、何が起きた……?

 痛む体の文句を無視して、がばりと立ち上がる。そこには、

「良かった、間に合ったね――フラウ、兄ぃ」

「フラン?」

 光に見えたそれは、フランの輝く金髪だった。

 だがそれはそれとして、思考回路がまったく整理されない。

 何故、室長に味方していたはずのフランが、俺の前に居る?

 そして何故、フランの背中から、紫色の腕が生えているのか?

 その疑問に答えが出たのは……フランが口から大量の赤い液体を吐き出し、俺の足元に、ぐしゃりと音を立てて崩れ落ちた、その姿を見た後だった。

「フランッ!」

「おっと……何故君がしゃしゃり出てくるんだろうねぇ……? まぁ、邪魔をしてくれた結果がこれだから何も言わないがね。みみったらしくそこで死んでいるといい」

「お前は……っ! お前はぁあああああ!」

 自分を慕っている部下を自分の手に掛けても、何とも思わないのか!?

「うるせぇなぁ……どうせお前もこれから死ぬんだよ。それがちょっと遅れただけさ……やれやれ、血で汚れてしまったじゃないか」

 まるで一寸の虫を踏んでしまった子供のように嗤っていた。

 血が沸いてくるようだ。

 目前の巨体に今すぐこの怒気を叩きつけてやりたい。狂ったように、こいつをこいつをこいつを――ぶっ殺してやる! その想いが頭から足の先まで巡っては俺を支配した。

「なんだ? 今更そんな目つきで睨んだってムダだって、まだ理解してないのか。自分の手元を良く見ろ? その短い棒きれで何が出来る? クッハハハ! 最高だな! その怒りをぶつけることもできずにさぁ――惨めに死ねぇ!」

 容赦なくフランを討った攻撃と同じ、握りこぶしが頭上から降る。ただ怒りのせいで自分の何かが変わったのか、スローモーションに見える。こんなの、避けられないわけがない。

 目標を失った紫色のこぶしは床を打った。破壊され、飛び散った破片が俺にも降り注ぐ。武器も無く、能力の限定された条件。しかも相手は絶大な攻撃力を兼ね備えている。そんな中、昔の同僚を目の前で傷つけられた俺に、その飛び散る瓦礫がヒントを教えてくれた。

 ――床は、室長の『破壊殺戮機構』と言ったか。それによって、施設の立っている地表だろう……それが見えるにまで壊されている。言われた通り、本当に目標を物理的に破壊するようだ。

 ただ、床が破壊される度に俺は、自分の風楼がほんのわずかだが、多くなってきている。そう感じていた。理由は簡単で、施設の底面が壊され、徐々に外界との隔たりが少なくなって来ているのだ。もしこのまま風楼が増えて行けば、勝機は必ずある。

「どこを攻撃してるんだ? 俺はここだ」

「フン――言われなくても分かっている、ぞっ!」

 間一髪、ギリギリまで引き付けたところで、かわす。猛烈な風が髪を揺らした。

「ちぃぃぃいっ!」

 大ぶりの連打。右から、左から。使える風楼が床の破壊で増えたことで、敵の軌道も読みやすく、避けるタイミングも分かってきた。分からないように、あの紫色の腕に微かな風楼を纏わりつかせた。どんなにフェイクを入れてきたところで、事前に知れている攻撃が当たるはずもない。

 それをあたかもスレスレで回避しているかのように、バックステップに次ぐバックステップ。ふと視線を横に逸らすと、シュカが両手を握りしめてこちらを見ていた。心配するな、もうすぐ――こいつを倒す。

 やがて俺の背中が、ぴったりと壁にくっつく。後ろにはもう、逃げられない。

「はーっ、は、ようやく追い詰めたぞ……? もう逃げ場はない、当然横に避けることも無理だ。両手で、お前をサンドにしてやるからなぁ……!」

 ぐぐ、と大きく両腕が開かれた。その射程範囲の真ん中に、俺は居る。

「言い残したことはあるか?」

 縦割れの口が歪んだ。

「さぁ。それはアンタの方じゃないのか?」

「命が惜しくないようだ――今度こそ、死ね!」

 両側から壁が迫って来る感覚ってのはこういうもんだろう、と思った。そう思索するだけの余裕があった。巨大な腕は俺をターゲットに迫ってくる。

 後ろは無い。前も無い。横も無い。

 だが、上はある!

 なけなしの風楼を使い、自分の体を高く弾き上げた。量が足りるかどうかそれだけが不安だったけれど、床を余計に破壊しまくってくれたおかげで大丈夫だったようだ。

 地面に向いている室長の頭を超え、背中の後ろへ。

 攻撃手段があるわけじゃない。だから背後を取っても、倒せるわけではない。もっとも、俺の狙いは最初からそんなところには無かったからどうでもいいことだ。

 一方、またもターゲットを失った室長の両腕は何もない空中を通り抜け……そして、俺の後ろにあった、床と同じ色をした壁を、勢いのまま叩いた。

 ゴシャア、と一瞬だけ壁の方が抵抗して、直後。けたたましい轟音が、施設の中に響き渡った。みるみるうちに壁が瓦解していく。瓦礫となった壁は、室長の頭にいくつかぶつかる。

「ぬぉ、おおおう?」

 室長が頭を手で押さえながら、こちらを振り向く。表情は依然として顔が潰れているので伺えなかったが、驚愕に近いものであるということは分かった。

「お前、まだ――」

「残念だけど、父さん。アンタの負けだ」

 壁が壊れた。

 それはつまり、施設と外界とを、大きく隔絶していたものが無くなった、ということだ。

 風楼が俺に寄って来る。外から舞いこんできた、風の妖精が踊る。

 目には見えない、けれど俺だけのチカラ。

 その力を、右手へ。

 武器は折れた。だが今は、風の作る剣がある。

「何を、するつもり……」

「これで、終わりだ!」

 室長の巨体に、右手に形作った風の剣を向ける。腕を軸に轟々とした空気の流れが、天に昇る竜の如く、集まっていた。

 だがしばらく経って、想定外のことが起きた。俺にだけ感じられる、右手へと集めたはずの風楼が、突然ばらけ始め、収束させるのにうまくいかない。それと同時に鈍痛が頭を浸食していく。まるで脳が虫に食われて行っている、そんな感覚。まさかそんな、ここで対価が……。

 焦った。あともう少しというところで風楼が集まらない。

 その時、後ろからぎゅっ、と抱きつかれた。頬にさらさらとした銀色が触れたのが分かる。シュカだ。

「私……が……」

 声が震えていた。こんな短時間で、シュカの状態が回復するはずもない。喋るのも相当無理をしているように思えた。しかも、

「私が一瞬だけ……フラウの能力を留めるから。合図したら、あいつをやって」

 なんてことを言う。

 確かに俺の意思に関わらず、シュカならどんな物質であれ、その瞬間を制することができる。風楼にもそれは有効なはずだが、当然シュカの負担になる。本当なら避けたかったが、俺は……シュカを信じることにした。

「分かった……頼む」

 こく、と頷きのみが返ってくる。目の前の室長はしかしそんな俺達を見て、

「なんだぁ? お前が急に何かをやってくるかと思いきや、やっぱり見かけ倒しか、ハハハ! 驚いただけ損をしてしまった――丁度いい、二人まとめて死んでもらおう!」

 素早く態勢を立て直すと体ごと突っ込んできた。押し潰すつもりか――シュカからの合図はまだ来ない。

 ぶくぶくに膨らんだ腹がすぐそこまで迫って、その巨体がジャンプした。頭上から家がまるごと落ちてきたようなそれは、確実に俺達へと近づき……、

「今よ!」

 本当に、目と鼻の先に腹の先が着いてしまうんじゃないか、というような寸前。シュカの声、そして風楼達のざわつきが、止まった。

「おらぁああああああああああ!」

 縦に一閃。

「ぐ、ぁ、ぁあああああああああ…………」

 腕に纏った風の剣であり激流の渦であり荒れ狂う竜になった、風楼。

 それによって、視界いっぱいに迫った紫色の物体が切り裂かれる時、そこから聞こえた断末魔の叫びと共に、ひとえに大きくなった頭痛、白黒に明滅する視界の裏で、俺は幻覚のようなものを見ていた。

 真ん中から切れ目ができ、腹が両断されたその後ろ。壊れた壁が見えるはずなのに――

 少年と少女が、手を繋いでお互いに笑いあいながら、遠くへ遠くへと走っている。

 その途中、ふと二人が立ち止まり、俺の方を向いた。少年が口を開く。

 だが、無音。口の動きだけで、何度も同じことを言っているのは分かる。

「『かこをふり』『かえ』、『る』『な』?」

 かこをふりかえるな。

 過去を、振り返るな……?

 何を、何の事を指して幻覚の少年がそう言ったのかは分からない。それきり、また二人はしっかりと手を離さないように、影を薄めていって……やがて、見えなくなってしまった。

 直後に、ドシン!

 大きなものが、壁を壊した時に落ちてきた瓦礫よりも大きなものが、地に伏した音だった。

 

 *

 

 瞬間と風の妖精にその存在を切り裂かれ、人間としての体を失った化物……いや、『室長』だったものが、地面に倒れ伏す。それを暫く、荒くれ立った息を整えるように俺達二人は見ていた。

「終わった……のか?」

「そう、みたいだけど」

 動いていた時もおびただしい、元が人間だったとは思えない姿をしていたが、事切れた今の姿は……ただ悲しい、自ら狂って人を狂わせ、そして最後にその狂いをもたらした悪魔によって生の運命を断ち切られた化物そのもの。

 全身から生の人間では有り得ない青みの掛かった色をした液体を吹き出し、ありとあらゆる体のパーツは、ヒトという動物を設計される際に考え出された限界をゆうに突破した自らの力で細胞から崩壊、何も知らない人間がこれを未知の生物と言われたらほぼ全員が信じ込むだろう。それぐらい、ぶくぶくと奇妙に膨れ原形を留めていないものだ。もちろん、その原因の幾ばくかに、俺のもたらしたものはあるのだろうけど。

 残滓。

 俺が壊した、施設の壁から漏れだして室長だったものの顔を照らす光は、決して彼をあまねく安息の地に連れて行ってくれるような優しい光ではない。気化した変な紫色の煙、辺りに撒かれた血のおびただしさ、それらと合わさり……まるで、地獄だ。

 ずる、と肩に感じていた圧力が滑り落ちる。慌てて支えた。

「お、おいシュカ! 大丈夫か……っ」

 かなりの量の薬品を接種させられていたはずだし、俺と戦っていた時間は相当長かった。意識が持っているのが奇跡かもしれない。ところが、シュカは自分の身を案じるでもなく、

「わた、しは平気……。眠ってる間に、力を使いすぎただけだしちょっと休めば――それよりも、あの子を先に……」

 床に倒れ込みながら指をさす。そこには赤い液体に髪を濡らしながら力無く仰向けに倒れ、微かに手をぴくぴくと痙攣させているフランの姿があった。シュカは自力で床に横になると、俺にあっちに行ってあげて、と言いたげに指先を振る。どちらのことも心配だが、シュカがそう言うのならと、倒れるもう一つの影に駆け寄った。

「フラン! まだ息があるのか? 良かった、俺はてっきりやられたんだと……」

 背中に手を回し、倒れた体を支えるとすぐに、ぬめっとした嫌な感触が手のひら全体に広がった。腹から貫通して背中まで到達していた傷口は、生死に関わることは間違いない量の液体を零して、フランの体を濡らしていた。

 俺に気付いたのか、焦点の合わない瞳を開き呟く。

「フラウ……兄、ぃ」

「喋らなくていい。体を楽にしてろ――とりあえず治療、を」

 だが、ここは森林の生い茂る奥の施設……一番近くにある騎士学校ですら、医務室はあれどこんな大けがをどうにかできるものじゃない。当然、この場所も、恐らくは研究の為の施設で、とにかくフランを助けるには、森林を抜けられる移動手段が必要だが……ああもう、どうすりゃいいんだ。

 ここに居てもどうしようもない、何か動かないと、と思って外に出ようとしたその時、力の無い、添えられたのと勘違いするくらいの力で腕が握られた。

「だめ、フラウ兄ぃ……。ここに、いて」

「だってお前……それじゃ、その怪我じゃ長くここに居るのは」

「もう、いいの」

 弱々しい、しかしはっきりとする声だった。

「もういいって……このままだと死ぬんだぞ!? それでもいいのか!?」

「うん。多分もう……無理だから」

 全てを悟ったように、顔つきに恐怖は見られない。しかし震える手はそれを隠し切れてはいなかった。未だ噴き出して止まらない鮮血は、フランに刻一刻と『死』という一文字が迫っているのを理解せずにはいられない。

「馬鹿野郎、最初っから諦めてどうすんだよ! ……絶対俺が助けるからな。俺はシュカもフランも見捨てない……俺の為に誰かが死ぬのはもう嫌なんだよ!」

 絶対に誰も失わない。そう決めてここに来たんだから。例え大将に与していたとしても、その実情は、裏で室長が操っていたことに他ならないし、そうでなくても俺がフランを放っておくことは考えられないんだ。

「シュカちゃんも私も、か……。そういえば結局、フラウ兄ぃには最後まで振り向いては貰えなかったね。ずっとずっと、好きだったんだけど。だからマスターにフラウ兄ぃが殺されちゃう、って思ったらもう、体が先に飛びだしちゃった。でもでも、フランなんかの命で大好きなフラウ兄ぃが生きてるならフランは幸せ。シュカちゃんには負けちゃったけどね」

「フラン……」

「いいの。そんな顔しないで、フラウ兄ぃに二股なんて器用なこと、できるわけないもん。……でも、目の前であんなこと宣言してくれたんだから、シュカちゃんをちゃんと幸せにしてあげないとだめだよ? 私が浮かばれなくなるから」

 フランの目が少しずつ虚ろなものになっていく。もしかしたら、もう意識もはっきりしていないのかもしれなかった。

「フラン、フラン! しっかりしろ、目を閉じちゃだめだ!」

「――フラウ兄ぃ、最後に……一つだけお願い、してもいいかな?」

「最後とか言うな、なんでもお願いなんて聞いてやるから! な、待ってろ。今すぐ騎士学校に行って誰かに連絡すれば、大きな病院から駆けつけてもらえるかもしれない」

 立ち上がり、壊れた扉へ向かおうとした。かなり絶望的な賭けではあるが、ここで何もせずに手をこまねいているよりは、百倍も千倍もましだと。

 しかし、不意に足を掴まれ、歩みが止まる。

「行っちゃやだ!」

 掴んでいたのは他でもない、フランのか細い腕だった。ただでさえそんなに力があるとも思えない、ましてや弱っているフランの腕を振り切ることは簡単だったが……。

「行っちゃ、やだよ……フラウ兄ぃ。怖いよ、一人じゃ死にたくない……だからお願い。ねぇ、ここに居て」

「…………っ」

 そんな、そんな顔をされたら……どこにも行けなくなるじゃないか。

「フランの最後のお願いだよ。あのね、今度は照れ隠しとか無しで――ちゃんと、あの卒業式の日の続き、してほしいよ。……フラウ兄ぃが言ったんだから、忘れてなんてないよね」

「ああ……覚えてるさ」

 俺が大将から赤紙を受け取り、早くして卒業を果たしたあの日。フランは別れを惜しみ、俺にキスをせがんだ。結局、フランの想いに答えることはできず、誤魔化しで済ませたけれど。

「……お願い」

 フランの顔色はもう、血色が薄くなってきている。声は擦れて、すぐに空気に散って消えてしまいそうなぐらい、儚かった。

「分かったよ。――目は瞑ってもいいけど、そのまま死ぬなんて許さないからな。すぐに病院に運んでやる」

「うんっ」

 フランが軽く目を瞑った。整った白い肌に穢れの無い、咲き始めたチューリップのような唇。まるで死の淵に居る顔とは思えない……その顔を負担の無いように少しだけ上を向かせて……そして、ゆっくりと。今度は誤魔化しなんかしない、ちゃんとした口づけを。

 何秒経ったかは分からない。

 ただ――俺が唇を離すより前に、フランの方から唇を、離してきた。

「……フラン?」

 反応が無い。唇を離したと言うより、顔から力感が失われ、その分首が下がったのだ。

 ピンク色をしていた唇。徐々にその赤みが失われていく。なんだか、急にフランの体が重くなったような……。

「おい、フラン。嘘だろ……? 返事をしてくれ! フラン! フラン!」

 頭をゆすっても、頬を叩いても、閉じられた瞳が開くことは無い。返事も当然、返ってはこない。

 カチャン。

 絶望感で力が一気に抜け、垂れ下がった腕の下で、何かが音を立てた。

 その下には……あの日フランが自分で買った、俺とお揃いのペアリング。フランがどこかに鎖を付けて持っていたらしいそれの金属部分と、俺の腕当てがぶつかった音だった。

「フラン……っ」

 顔を見る。妙に安らかな表情を浮かべていた。ただ眠っていてすぐにも起き出しそうな、幸せな夢を見ているだけのような、顔をしていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 続章・ラインハルトの追憶

 

 

 

「――キリア。この細胞……おかしな分裂をしていないか?」

「なぁにあなた。ちょっと見せてみて…………あら、本当ね。染色体がバラバラに崩れてるのにちゃんと正規分裂してるわ。何加えたの?」

「いや……ただ国の連中が押しつけてきた研究サンプルとやらの成分分析をする為に塩酸と……あと何を入れたっけ……」

「えいっ」

「こ、こらこらなんで頭を叩くんだ?」

「研究者たるもの――」

「メモ癖は付けろ、だろ。いつも聞いているよ……、思い出した、確か7,7スチレンとシアル酸だ。本当に試しに入れてみただけなんだよ」

「ふぅん。まぁ、面白いことが分かったら教えてよ。あたし、次の論文発表があるからさ。そろそろ行かないと」

「おいおい、ちょっとは寝なくてもいいのか?」

「大丈夫、帰ったら寝るわ。そいじゃ!」

 今からおよそ二十年ほど遡った、国の研究機関の一室。

 小さいスペースで、高価な機械も無い。

 決して恵まれない環境。そんな場所で、私――ラインハルトと室長、その妻キリア、そして助手のシルヴィの四人は政府直下の組織員として、日々研究を続けていた。

「なんだ……キリアさんは相変わらず忙しそうだな。新婚して早々に休み無く働くなんて、君達らしいと言えば君達らしいのだが……」

「放っておきましょうよ先輩。二人とも仕事人間なんですし」

「そうもいかん。二人が倒れた時いっつも病院に担ぎこむのは私の仕事だ。一人一人ならまだしも、二人一緒に運ぶのはいくら私でも無理がある」

「でも、その無駄についた筋肉、使うのってそれくらいじゃないですかー」

「ム。……まぁ、確かに一理はあるが、だがな、肉体というものは――」

「ハルト、ちょっと手伝ってくれ。シルヴィも。こいつの増殖スピードが意外と早い、すぐにデータを取らないといけないかもしれない」

「はいはーい」「……分かった」

 

 国にその地位を認められることは中々無かったが、それでも私達の研究レベルは少人数ながら民衆の生活に直結するようになり、私自身、そして三人もそれがやりがいとなっていた。

 ところが、国のトップが内乱で入れ換わり、独裁勢力が力を増していった頃、研究室に対する軍事的な要望が大半を占めるようになってしまった。

 作るもの、調べるものは国民の為のものではなく、兵器にしか応用できないもの、あるいは兵器そのものであったり……研究室は徐々に疲弊していった。

 そしてそれから僅か半年後。

 室長は国にストライキを発表し、兵器開発に伴う研究を全て破棄した。私も他の二人もそれに倣って、国に従うことをやめた。

 それは私達にとって、悪夢の入口であった。

 室長は政治犯として拘束された。

 釈放された彼の頬は青く染まっていて、目の上には切られたような傷があった。

 私もシルヴィも参考人扱いされ、正当な研究者としての地位を剥奪された。

 勿論悪いことばかりではなかった。室長とキリアさんの間に男の子が生まれ、そして私にも、

「……あの、先輩」

「どうしたシルヴィ。こんな所に呼び出して」

「さっきまた警察が来てて……」

「何? あいつら懲りもせず――」

「先輩、聞いてください」

「……?」

「このままじゃ、私達も室長みたいになっちゃうんじゃないかって、思うんです」

「……だろうな」

「そしたら多分、また離れ離れになっちゃいますし。……そのっ、そうなったら、二度と会えなくなるかもしれないですしっ!」

「…………」

「あの、えーっと………………私と結婚して、ください…………」

 などという、人生初の告白を受け、私とシルヴィは結婚することになった。どうでもいいことだが、シルヴィは料理が下手だった。最初に出てきた黒い卵焼きの味は、私は一生忘れることができないだろう。

 どんな苦境があっても、決してめげない……時代が変わるまで耐え、そして必ずまた民衆のための研究者に戻ってみせると、誰もがそう思っていた。願っていた。

 

「……なんだ、やけに静かだな」

 隠れ家的に利用していた、地下の研究室に帰ると、いつも忙しなく動いているはずのキリアさんの姿が無い。彼女は底無しの明るさを持っている人間だったから、仕事をしていてもしていなくても、居るだけでこの場所は元気に溢れていた。そのはずだ。

「先輩……今、帰ったんですか」

 ところが居たのは、白衣を乱れさせ床に座り込んでいるシルヴィ……ただ一人だけだった。

 何かあった――それを直感で理解した私は、すぐにシルヴィの元に駆け寄った。その顔には、いつも強がりで皆に毒っぽい接し方をする姿は微塵も感じられず、目元を赤く腫らして幾重にも筋を作った涙の通り跡が強く残っていた。

「――っ!? 一体、何があったんだシルヴィ!」

「しつちょう、と……キリアせんぱいが…………けーさつ、に……私、止めようとしたけど……だめでした……」

 彼らが二回目の投獄を受けた。それはただの二回目ではなく、私達の行く末に大きな『杭』を打ちこんだ、そんなものだった。

 シルヴィと二人で、まだ乳飲み子のフラウの面倒を見ながら彼らの帰りを待ち、そして室長はほどなくして戻ることができた。室長だけ、は。

「あいつら……っ! キリアを人質に取って俺達に非道な研究を持ちかけてきやがったんだ……! まだキリアは囚われたままだ……」

「だが、私達は」

「ああ。要求は呑まない……それはあいつも分かってる」

「じゃあどうするんですか?」

「……戦争さ。研究者の力、思い知らせてやる」

 

 思えば最初から勝てる見込みなど無かった。しかし私達の信念と大事な仲間を取り戻す為には、やらねばならないことでもあった。

 今まで禁忌としていた生物兵器に室長は手を出し、私達も手伝った。

 結果、国に一矢報いることはできたが、室長は逮捕された。

 

 そして……見せしめに、キリアさんは処刑された。

 

「許さない。絶対に――あいつらを。キリアを奪った奴らを、俺は許さない!」

 彼は狂った。

 

「はは、ははは……! ついに、ついに完成したぞ! ……まさかあの超分裂をする細胞が、こんな成果をもたらしてくれるなんて……ああ、キリア……これで君の無念を晴らしてあげられる!」

 私は室長がおかしくなってしまった後も、何故か自分の信念に反して、彼の実験を手伝い続けた――『どんな兵器よりも強く、簡単に量産できる人物兵器』を作るために。

 

 彼が名付けた『超分裂脳細胞』……人間の脳より遥か、数億倍の分裂性能をもつもの。単体だけ見れば、ただの研究者の一発明にすぎない。あくまでも単体であれば――。

 

「やめろ! 何をしているんだ! 君の目の前に寝ているのは……自分の息子だぞ!」

 超分裂脳細胞、それを……未熟な子供の脳内へ。

「フラウだって理解してくれているさ……自分の母親の為になるのなら、なぁ……」

「馬鹿げてる! 今すぐこんな被人道的なことはやめろ! キリアさんは確かに無念だった、だが……今君が守るべきは、この……キリアさんが残して行った、子供だろう!」

「ハルト……俺に、反対なのか……? お前まで、キリアを裏切るのかっ……!? そうかそうか、所詮その程度の人間だったんだな……そんな奴、もういらないよ」

 私は、彼を止めることはできなかった。

 

 数ヵ月後、国のトップと幹部連中が殺された。軍部政権は崩れ、圧政が終わったのだ。

 殺したのは、一人のまだ小さな少年。

 少年は風のように忍び込み、そしてまた――切り刻んだ。最初の『リトルプレイヤー』だった。

 

 彼の野望は留まるところを知らなかった。

 スラムに溢れる孤児を攫っては、リトルプレイヤーへと、『改造』する。

 彼の存在と彼が作った『機関』は、彼がトップとなって動く、リトルプレイヤーを作る組織となって、国に大きな影響を及ぼす影になった。

 

「おい……もうやめてくれ。人間が他人をこんな風に……あっていいはずがない……。まるで兵器みたいに使って、昔の君は何処に行ってしまったんだよ……?」

「うるさいなぁ。俺は力を手に入れたんだ……百以上居る、リトルプレイヤー達! 全員が、素晴らしい能力を秘めている。道端で寝転んでいる、石ころよりも価値の無い肉塊が、この世界でどんな兵器よりも価値のあるものになるんだ、俺はまさしく……錬金術師のような存在だと、そうは思わないか?」

「貴様……命を、尊きものをそんな軽々しくっ!」

「だったらどうする?」

「――貴様を殺す。私が武闘訓練を積んでいることは同じ学校だった貴様も知っているだろう。鈍ってなぞはいない……今ここで、貴様を止め……ぐっ!」

「残念だよハルト。俺の力を軽く見過ぎていたようだね……護衛のリトルプレイヤーだって居るのに、そう易々と俺に触れられると思ってもらっては困る。だが、今のは重大な反逆だ、君には罰を与えないといけないな――そうだ、確かシルヴィ、去年女の子出産したんだって? フラン……だっけ? 1歳は試したことないんだよねぇ」

「まさか……おい、やめろぉ!」

「――連れてこい。邪魔があったら殺して構わん」

「やめろ! シルヴィ! フラン!」

 

 私は自らを責めた。

 彼を放っておけば……少なくとも愛する妻を亡くすことも、娘を奪われることもなかった。彼は私に、なおも追い打ちをかけた。

「君がもう一度俺の元で助けてくれると約束してくれるなら……フランの命までは取らないさ、どうだい? 娘と暮らしたいだろう?」

 

 私は……強大になった室長の力をバックにした騎士団を組織した。

 国に認めさせるため、表向きは社会問題と化していた『野良リトルプレイヤー』の捕獲を目的とした。中身は、暴走したり、使いものにならなくなったりしたリトルプレイヤーの処分が、彼から下される本来の目的だったのだ。

 だが、そんな表向き英雄とする騎士団の姿を、民衆は支持する。金は最終的に室長に集まり、リトルプレイヤー計画を加速させた。彼の最終目標は、自分自身がリトルプレイヤーとなって国を支配する……そんな愚かなものに変化していった。

 

 そんな日々が過ぎたある時、彼の計画にイレギュラーが起きた。

 傀儡のように室長に従っていた息子・フラウが、彼を裏切って護衛のリトルプレイヤーに負け、機関を離脱した。フラウは冷たい湖の底に身を投げたが、私はフラウを助けることにした。

 目を覚ましたフラウが、一切の記憶を失っていて……その瞬間、私の計画は始動した。

 フラウが騎士団に定着できるように、嘘の記憶を植え付け、そしてフラウは成長する。

 同時期に、フラウが執心していたリトルプレイヤーの脱走をも手助けした。そのために実の娘であるフランをも、作戦に利用した。最終目的は娘自身の心をも、取り戻すことだと自分に言い聞かせて――思えば私も室長と同じように狂っていたのだろう。

 

 私はただの人間でリトルプレイヤーには勝てない。それはどんなに訓練を積んだ肉体が心臓を鉄砲で撃ち抜かれただけで死んでしまうのと同義だ。

 しかし、リトルプレイヤーであれば、リトルプレイヤーに勝つ、ひいては、室長に勝つことができる。そしてほとんどのリトルプレイヤーが室長に従順であるのに対して、フラウと、シュカという名の少女だけは違った。

 彼らを引きあわせ、室長を討つ。室長の計画を止め、娘を取り戻す……全てはそれだけのために騎士団を騙し、少年と少女を騙した、私の計画の内だった――。

 

 続章2・フランの記憶

 

 

 

 私は、フラウ兄ぃが好きだ。

 それは、とある昔のほんの偶然がきっかけで始まった。

 でも、私にとってその偶然は、生まれる前から必然だったと今ならそう思う。

 

 物心がついた時には既にリトルプレイヤーだった私は、室長の人形だった。それがあまりにも当然すぎて、しかも周りが同じ存在ばかりだったから、それが変だなんて、思っても居なかった。

 ただ一つ、他の子たちと違ったのは……私が『特別製』だったこと。

 

 人間の形をしていて、それでいて明らかに人を超えた能力を扱うリトルプレイヤー達はみんな、自分の意思……心、ってものを持って無かった。

 室長に何か命令されるまで、本当の人形みたいに真っ黒な目をして、私が話しかけても反応してくれない。命令されたらそれぞれがどこか外に飛び出して行って、そして何人かは、帰ってくることは無かった。

 暇で、退屈で何もない――。

 結局心を持っていても、心が動かない。そんな幼少期を過ごしていた。

 

 そのうち、一人の男の子と出会う。

 彼も私と同じ、特別製だった。

 でも彼はいつも辛い痛いことを1日に何回もされて、そして他のリトルプレイヤーと同じく室長の命令で外に出ていく。ただ彼は、絶対に傷一つ付けずに帰ってきた。

 私は彼に興味を持ち、今まで一度も出たことのなかった外に、監視の目を掻い潜って彼についていった。ほんの軽い気持ちで。

 外は、怖いところだった。

 彼を途中で見失い、適当に歩いては人がたくさん居るところに近づくと、何か固いものを投げつけられた。逃げると、追いかけられて、そして捕まった。

「こいつ! 金髪に赤い眼……間違いない、あいつらだ!」

「殺せ!」

「そうだ! 殺せ!」

 まだ言葉の理解がそんなに進んでいなかった私は、それが殺意を持った罵声だとしか分からなかったけれど、ただひたすらに怖くて、泣き喚いた。

 突風が吹いた。

 さっきまで髪を掴まれていた力が急に無くなって振り向くと、

 地面に赤色の水たまりを作ったさっきの人が倒れていて、彼――フラウ兄ぃが、静かな顔をして立っていた。しゃがんでいる私のすぐ前にやってきて、頭を撫でられる。

「君は確か……フラン、だっけ」

「うぅ、ぐしゅっ……うん」

「ほら泣かない。涙、拭いて」

「うぅっ……うわぁぁぁああああん!」

 恐怖から解放された安心感でこのとき私は、フラウ兄ぃの胸元に抱きついて、思い切り泣いた。それは同時に、私の初恋に、なった。

 

 機関に帰ると私はこっぴどく怒られた。

 ついでに1日中監視が張り付いて、外には一切出られなくなってしまった。

 でも、そんな私をフラウ兄ぃは気にかけてくれて、毎日外に出て帰ってくると、必ず私の部屋に遊びに来てくれた。フラウ兄ぃの話が、とても楽しみだった。

「今日はどんな仕事だったの?」

「コッカイギジドウ、ってところを壊してきた。ちょっと疲れたけど」

「怪我は無い? 大丈夫?」

「風楼が居るから、平気だよ」

 

「ねぇフラウ兄ぃ、私今日、7歳になったんだよ!」

「へぇ……おめでとう、フラン」

「えへへ!」

 押し込められた小さな世界に、私とフラウ兄ぃの二人ぼっち。それはとても幸せな世界だった。……その世界は実はとても脆いのだということに気付いたのは、それからほんのすぐ後だったけれど。

 

 誰よりも早く帰ってくるフラウ兄ぃが、帰ってこなくなった。

 正確には、私の部屋に寄る暇もないくらいの時間に、帰ってくるようになった。

 最初は何か大変な目にあってるんじゃないかって、心配した。

 それが、一人の女の子のせいでそうなってるって分かったとき、今までフラウ兄ぃのことしか考えたことのなかった私の心に、暗い影が差した。

 

 厳しくなっていた監視の目を、知らないうちに宿していた『波調狂騒曲』で抜けだして、その女の子を見に行った。フラウ兄ぃと、シュカという女の子は、私の部屋よりももっと小さい、ちょっと強い風が吹いたら崩れてしまいそうなくらいの小屋で、二人楽しそうにしていた。

 今まで、私にしか向けなかった言葉が、あの子に簡単に掛けられる。

 今まで、私ですら見たことのない笑顔が、あの子の前では当然なように溢れている。

 あの子が、シュカが、憎くてたまらない!

 私のフラウ兄ぃを、返せ!

 

 室長は二人の関係を知らなかった。だから、告げ口した。フラウ兄ぃが、一人の女の子と暮らしています――。

 

 すぐに、シュカは捕まった。

『やった。これでまたフラウ兄ぃは私のもの。フラウ兄ぃは私を見てくれる』

 ……そうは、なってくれなかった。

「ねぇねぇフラウ兄ぃ、明日はお休み? そうなら今日は一緒に寝――」

「ごめんなフラン。忙しいんだ」

 廊下ですれ違っても、そうやってあしらわれて。

 室長に捕まったシュカの為に、フラウ兄ぃは前よりもずっと、働いていた。

 そして数ヵ月後、フラウ兄ぃはシュカと殺りあって、消えてしまった。

 

 泣いて、泣いて、涙が枯れても、泣いた。

 私がこんなことをしなければ、フラウ兄ぃがどこかに行っちゃうことは無かったのに……と。

 泣くのをやめたのは、フラウ兄ぃが騎士団という所で拾われて、全く違う普通の人間として暮らし始めていたことを知った時。

 すぐに室長にお願いして、私は機関から、騎士団に移った。

 そこには昔のフラウ兄ぃの面影も、私のことを覚えてもいなかったけど、

 代わりに……ここには、シュカは居なかった。

 

 また大好きなフラウ兄ぃと二人で暮らせる幸せを前に、フラウ兄ぃが失った私への記憶なんて、些細なものだった。

 

 でも、運命は皮肉にも巡る。

 私より先に卒業してしまった後で、偶然にもフラウ兄ぃはシュカと再会してしまった。

 ――今度こそ、シュカを消さないと。

 フラウ兄ぃが、全部を思い出してしまう前に。

 そして、私はフラウ兄ぃと生きるんだ。

 

 室長と結託して、シュカを手に掛けた。

 それはフラウ兄ぃを取り戻すため。

 でも室長は違った。

 室長は……力が欲しかっただけだった。シュカの力を手に入れて、そしてフラウ兄ぃを最初から殺すつもりだったんだ。

 全部気づくのが遅すぎた。

 だから室長の殺意の刃がフラウ兄ぃに向かうのが見えたとき、その前に飛びこむことしか、できなかった。

 死ぬのは怖い。とっても。

 でもフラウ兄ぃの居ない世界で、自分だけが生きるのは、死ぬよりも怖いことだった。

 

 きっと私はもう消えて無くなっちゃうけど。

 それでもずっと……大好きだよ、フラウ兄ぃ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エピローグ

 

 

 

 一年の時が経った。

 世界中を混乱に陥れたリトルプレイヤーを生みだしていた元凶である室長……もとい、俺の父は死に、大将もその方棒を担いでいたということが本人の証言から明らかにされ、大将は罪を問われることになった。

 騎士団も大将の後釜を巡って対立を煽った挙句に空中分解。

 結局その収拾に当たった民間の自衛団組織が、今まで騎士団のやっていた仕事を請け負い、ひとまず表面的には混乱は収まった。

 

 そして大将の無罪が国民からの熱い支持と、フランのこともあってか(本人は黙して語らなかったが、どこからか漏れたようだ)決まってから、事態は思いもよらない方向に進んだ。

 未だ傷跡の残る国に、英雄を求める声に応じて、大将ラインハルトは圧倒的な人気を得て大統領に選出された。

 そこで大将が演説したことの中には、

「私が常々訴えてきたリトルプレイヤーの実態を見ても分かる通り、彼らは途方もない計画の上に生まれた被害者であり、守るべき存在であり、そしてなによりも私達人間と同じ尊い命なのである。確かに、国民が今まで受けてきた恐怖や悲しみは理解できないわけではない。だが、私達は隣街の人間が殺人を犯した。では隣町全員の住人が殺人を犯すと思うか? そう思う人間は一人たりとも居ないはずだ。ましてや、彼らは自分の意思を持てず、強制された世界の中に生きてきた。そして何も分からず、人間としての生を受けぬまま殺されたり、室長・クロードの実験体として非業の死を遂げた者を数知れず居る。そんな彼らを、救うことはできないのだろうか? 私は、人間とリトルプレイヤーは、分けぬことのできない壁があるのは事実だ。しかし、だからといって共存しない道を選ぶのは、人徳としておかしいと考える。私が就任した本日より、リトルプレイヤーを可能な限り保護、そして最終的には完全なる共存、共に生きていける未来を創っていくことに最大の努力を惜しまないことを宣言する!」

 ということが含まれていた。

 これには世界中が賛否両論に割れた。

 俺達リトルプレイヤーからしても、セトナさんは大反対とばかりに俺に向かって大将の愚痴を飛ばしていたし、ミャーちゃんもそのセトナさんを見て不安そうにしていた。

 施設戦で大怪我を負ってしばらくの間飛べなくなったシアは、烏頭だからなのか、深く考えてはいないようだったが。

 俺自身は不安がありつつも、賛成していた。俺達の住むスラムを隣に抱える街としては、かなり反対が多いようだったが。

 

 兎にも角にも、世界は動いていく。

 シュカがどれだけ瞬間を切り取っても、やはり動いていく。

 俺は大将の計らいで自衛団に入隊し、日々リトルプレイヤーの救出・保護に忙しなく働き始めた。あのボロ小屋にシュカと二人で住み、狭いしセトナさんの風当たりはかなり堪えるが、それでもシュカと過ごしていく生活は、幸せそのものだった。

 

 お見舞いに行こう、と言いだしたのは大将から連絡を受けていたらしいシュカだった。

 それが何を表わすのか……俺には一瞬で分かったが、反面知らされた事項が少なすぎて、行くのに躊躇った。結局、シュカに素巻きにしてでも連れて行くと脅され、有無を言う暇も無く行くことになるのだが。

 遠路を遥々、乗り物を乗り継いで半日。

 人里からは大きく離れ、周りを森林に囲まれて世間から隔絶された施設。

 かつて、俺やシュカ、セトナさんが『作られ』、室長と戦った場所。

 そこは今、大きな病院になっていた。

 

 そいつは、真っ白な病室のベッドの上で静かに眠っていた。

 普通、眠っている人間というものは胸が上下する。呼吸をしているからだ。

 しかしベッドの上の人間は、そういった動作をしていなかった。

 口元に呼吸を維持する装置が付けられ、ベッドの横のドでかい装置が絶えず動きながら、酸素を送りこんでいる。肌には管が入っており、水や栄養はその管の元にある袋状の入れ物から少しずつ送られているようだ。

「久しぶり……だな」

「そうね」

 返事は返ってこない。当たり前だ。寝ているのだから。

「この子のお父さん……ラインハルトさんから連絡があった時、正直かなり怖かったわ。もしかしたら、死んじゃったんじゃないかって」

「俺もだよ。まぁあの日、半ば覚悟してたことではあるけどやっぱり……期待しちゃうからな」

 一年前、フランは俺を庇って室長からの攻撃を受け、瀕死の重傷を負った。

 腹に穴が貫通しているほどの大怪我だったし、実際病院に担ぎ込まれた時は心臓も止まっていたらしい。

 それをなんとか繋ぎとめたのは、彼女がリトルプレイヤーであること、そして彼女の持つ意識が、脳だけでは無いこと、という奇跡的な偶然が重なった結果だった。

 フランのリトルプレイヤーとしての能力は、あらゆる波を操るもの。自分自身の脳波さえもコントロールしてしまうそれは、フランの体が物理的に死んでしまった後も、フランの傍を漂っていたらしい。

 元は天才的な研究員だった大将はそれらの知識を活かして、助からないはずだったフランの命を、寸でのところで繋ぎとめた。

 だが負ったダメージが余りにも大きすぎた故に脳の回復には時間が掛かり、未だに意識は戻っていない。

 意識が戻ってもフランとしての人格が残っているかどうかは分からないし、このまま意識を取り戻すことなく亡くなる可能性も依然としてあるようだった。

 

 俺はベッドに近づき、フランの手を握る。反応は無いが、温かさはあった。

 直後、専属の看護士から声が掛かる。

 病院はなるべく無菌を保たなければならない。面会は10分までだ。

「また来るよ。次は起きてろよな……フラン」

 帰り際、そう言った声が届いたのかは分からないが……小さく「フラウ兄ぃ」と聞こえた気がした。

 

 病院の屋上には、心地よい風がなびいていた。風楼である程度寄ってくる風達も思い思いにそこら中で好き勝手に踊っている。

「あの子、良くなるのかな」

 今日はずっと元気が無さそうだったが、フランの顔を見てから幾分それを取り戻したようにも見えるシュカが、銀の髪を風に遊ばせつつそう呟いた。

「どうだろう……詳しいことは俺は分からない。けど、悪い方には行かないってそう思ってるよ」

「そうね」

「どうしたんだ? そもそもシュカとフランって、あんまり面識無さそうだし、仲良いイメージも無かったんだけど」

「仲は良くないわよ。だって私、あの子に一度ボコボコにされてるからね。本当、信じられない。後にも先にもまともに戦って負けたの、あれが初めてよ」

「あー……そういえば、そうだったな」

「けどそれ以上に、あの子とはライバルだし、仲間でもあるの。まったく別の意味でね」

「? 何かあるのか?」

「……フラウが調子に乗るから言わない。あの子の名誉のためにも」

「なんだよそれ! 俺に何か関係あるとか……」

「関係ないはずがないでしょ。本当、なんでこんなの好きになったのかな私」

「……貶されてるような気がするんだが?」

「気がするじゃなくて、貶してるの!」

 シュカと言いあいになると、大体こうなる。そして俺が言い負かされるのだ。

 自衛団で再会したヴィルとリゼッタは相変わらずだったが、ヴィルの気持ちが少しだけ分かるような気もする。

「でもね、不純だけど、あの時フランが庇ってなかったら、間違いなくフラウは死んでた。私の瞬間切断、能力が制限されててうまく使えなかったし……もしフラウがフランの代わりに目を覚まさなかったり、死んじゃってたりしたら……私きっと、この先生きていけなかったと思う。だからね、フラウ……」

 ふいにシュカが、こちらを向き、そして俺の胸に飛び込んでくる。

「お、おい……」

「絶対、もうどこにも行かないでね。ぜったい、絶対だからね」

 肩越しに、シュカの声は震えていた。俺は両の腕でしっかりと抱きしめる。

「言っただろ。もうシュカを誰にもやらない。誰からも傷つけやしないし、周りの誰も犠牲にしない」

「……誓う?」

「神に誓って」

「誠意は言葉じゃなくて行動で表わすべきだと思うわ」

「さっき誓えって言ったの誰だよ……」

「うるさい。誓え」

 胸から離れたシュカの目は潤んでいた。本当に泣き虫なやつだ。強情で泣き虫で、でも本当に強くて、でもどこかとても弱い、俺だけの女の子。

「分かったよ――」

 シュカと一緒で、俺も怖かった。

 もう二度と彼女を、そして大事な人達を失うのが。

 それを確かめあうように、俺達は屋上で長い間、唇を合わせていた。

 だからこそ思うんだ。

 早くこの日常に欠けた、あと残りの1ピースが揃って、

 この世界(パズル)が完成しますように……と。

 

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