自殺志願者募ります 『気がかり』
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 もう、死ぬしかないと思った。

 答えは出ているけど、まだ俺は死んでいない。

 一般の、ごく普通の人間が関わってはいけないエリアまで、俺は侵入してしまっていた。

 黒くて、汚くて、ドロドロしている底なし沼のような世界。ここでは金と命が、常に剥き出しでさらされている。

 盾も剣も無く、足元まですくわれた俺には、ひたすらもがくことだけが、精一杯の抵抗だった。

 今の俺では、戦えない。普通の男一人の力じゃ、どうにもならない世界だ。

 ヤミ金、ヤクザ、ヤツらは、逃げても逃げても追いかけてくる。

 全ての始まり、いや、終わりは、俺の興した事業が失敗し、多額の負債を抱えたときからだ。

 俺は騙されていた。

 最後の最後まで気がつかなかった。

 俺が馬鹿だったのか、ヤツらが巧妙すぎたのか。原因を今更探っても、もう遅い。

 俺の事業に資金を出してくれていた会社は、殆ど全てがあちら側の悪徳業者だった。俺は利用されるだけ利用された。借金が雪だるま式に膨らみ続け、今ではもう命まで危ない。

 家族、俺の妻と二歳になる息子は俺と離れて住んでいる。俺の側にいては危ない。

 俺は今、あちこちを逃げながら、その日その日をなんとか生きている。絶望と苦悩の中を、泥水を啜るように生きている。

「もう詰んでんだよ。どうすりゃいいんだよ」

 狭いボロアパート。なんとか転がり込んだ新しい隠れ家だ。たぶんしばらくは追ってこないだろう。涙声でつぶやく。

 ふと、家族の声が聞きたくなった。

 もうすぐ夜の八時になる。たぶん妻のパートも終わっている頃だ。息子は二歳だから、寝ているかもしれない。それは仕方ない。

 俺はボロボロのコートを羽織って、近くの公衆電話ボックスを目指した。

 異常に冷たい風が吹き荒れている。

 目に吹き付ける風が、刺激して涙を誘う。

 電話ボックスは意外にすぐ見つかった。中に入ると風が凌げる。寒いことに変わりはないけれど。

 かじかんだ手で財布から小銭を取り出す。思っているよりも中身が少ない。溜息が出た。

 深呼吸をしてから、電話番号を入力する。五回コール音が聞こえて繋がった。優しい妻の声。どこか疲労感が感じられる。案の定、息子は寝ていたが。それでも声が聞けて良かった。

 持ち金が無くなるまで、会話をした。楽しい話題なんかないけれど、何か話せることが嬉しかった。

「それじゃまた」

 電話を切って、また冷たい夜道を歩く。不意に訪れる寂しさに、押しつぶされそうになりながら、下を向いて歩いた。

「おーい、しょげた顔してんねぇ、こんばんはー」

 その声を聞いたとき、最初俺は俺に向かって言われたことに気がつかなかった。

「おいおいオッサン、聞こえてんのかい? 無視しないでよ」

顔をあげると、闇に溶けるようなマントを羽織った人物が立っていた。

「やっと気づいた? ハハハ」

一瞬、俺は身構えた。ヤクザの一味かもしれないと思ったからだ。

「そんな怖がるなよオッサン。大丈夫、僕はキミの味方だから。たぶん」

なんとも緊張感のない軽い口調でそいつは言った。

「僕はロール。自殺幇助人やってます。よろしくね」

こんな見事な笑顔を見せることができる人がいることに、思わず驚いた。

 

 

 

「自殺の手伝いをしてるのか?」

「ザッツライト。ベリベリサンキュウ」

 自殺することは何度も考えた。

 それでもしなかったのは、妻と子どもがいるからだ。彼女等を置いて死ぬことなんて、俺にはどうしてもできない。

「ノープロブレム、モーマンタイ、ベリベリケンチャナヨ、大丈夫」

 ロールと名乗ったヤツは、大口を開けて笑う。

「僕の力にウソはないよ。キミが恐れているのは、妻子を置いて死ぬことで、自分自身の責任を果たせなくなることだろう?」

「あ、あぁ……」

「僕にならできるよ。この、神でも天使でも悪魔でも幽霊でも人間でもない自殺幇助人の能力で、キミの望む死に方を叶えられる」

 不穏な空気が流れる。そこで、彼の口は笑っているのに、目がすわっている事実に気づく。

「僕のこと信じてない?」

「まぁ、そうだ……」

 なぜだか知らないが、彼の目に睨まれると、体が竦んでしまう。圧倒的な威圧感がある。

「……それは仕方が無いんだけどね、信じてもらわないと。でも僕はウソはつかないよ。ほら、僕の目がウソをついている人の目に見える?」

 その目つきは、猫のように鋭かった。

駄目だ。目を見ちゃ駄目だ。

「ハハハ。こっちを向いてよ、いい年してシャイなんだからぁ」

ロールはケラケラ笑っている。

「まぁ、相談するつもりで話してみてよ。場合によってはなんとか信用してもらえるように頑張るからさ」

「……いや、遠慮しとくよ」

 俺は彼を置いて歩き出す。

「待て待て、オッサン、待たないとパンツに穴開けるぞ」

 無視だ。

「ごめん、ちゃんと考えるから。僕には全てを終わらせる力がある。話を聞くだけなら無駄じゃないと思うよ。後悔はさせない。僕はキミの全てを知っているんだ。何をするのがベストなのか、どうすればいいのか。キミが迷っていることに、明確な解答が出せる。約束するよ」

「…………」

何故か、俺は振り向いてしまった。

ロールは、笑っていた。新しいおもちゃを貰った幼児のような純粋な笑みをたたえている。

「いい子だ」

その声を聞いて、俺はまた一歩、終わりに近づいた気がした。

 

 

 

「往生際って、大事なんだよ。いつまでも勝ち目のない戦いをしていても仕方がない。聡明なキミはそのことに気がついていたみたいだけどね」

 ロールの声が聞こえる。俺は黙って頷いた。

「しかしそこに障害があった。妻と子の存在だ」

「違う。妻と子は障害なんかじゃない。僕の生きる糧で、支えで、唯一の希望だ」

「いやいや、キミの人生の戦いにおいてのネックだろ。冷静に合理的に考えな」

「そんなこと言うな!」

 俺は大声をあげてしまう。

「やっぱりお前の話を聞くなんて無駄だった。もう馬鹿にするのはよしてくれ。俺は帰る」

「フフフ。怒ったかい? ごめんね。僕が言いたいのはそんなことじゃないんだ。キミが死んでも、妻子が困らない、辛くならない方法があるんだよ。僕にはそれができる。この神でも天使でも悪魔でも幽霊でもない自殺幇助人の能力でね」

「もうやめてくれ。キミは知っているだろ? 俺はもう疲れてんだ。ボロボロなんだ。俺をおもちゃにしないでくれ」

「おもちゃだなんて言わないでくれよ。僕はキミのためになるように頑張ってんだよ」

「……その方法って何だ? 俺に生命保険でもかけるのか? 無理だよ。もう俺は……」

「いやいや、そんなつまらないことじゃない。もっとパーフェクトにクリアーできちゃう方法だよ。家族はキミが死んでも悲しくないし困らないし苦しまないし、ヤクザからの恐怖からも逃れられる。どうだい? 魅力的でしょ?」

「信じられない。そんな能力があるはずがない」

「今更その心配かよ。いいかい、冷静にどっちが得か考えるんだ。このまま逃げて逃げていつかヤクザに捕まって殺される未来か、いまここで全てをクリアーにするか」

目を閉じる。

こんだけ人としゃべるのは久しぶりだ。もう疲れた。

「僕を信じてみないか? ヤクザに捕まって何されるか分からないよりは、確かなビジョンが見られるだろう?」

 俺はお人好しだな。だから騙されるんだ。

 目を開く。

「……もう、好きにしてくれ」

「いい子だ。物分りのいい人は好きだよ」

ロールは俺の頭を撫でた。

 

 

 4

 

「家族思いのお父さんは嫌いじゃないよ」

 ロールはニヤニヤと笑いながら、俺にナイフを渡した。

「もう一度確認しよう。家族はキミが死んでも悲しくないし困らないし苦しまないし、ヤクザからの恐怖からも逃れられる……。いいかい?」

「あぁ。……でも、死ぬ以外になんとかなる方法はないの」

「僕は」

 ロールの声で、俺は黙った。

「僕は、自殺の手伝いしかできない。それ以外の道を探すならば僕とはここでおさらばだ」

「……あぁ、わかった。死ぬ覚悟は出来てる。ただ、もう家族と会えないと思うと辛いんだ」

「大丈夫さ。もう辛くなることはない。安心してくれ」

 そう言って、ロールは指をパチンと弾いた。

「オッケイ。全部おわったよ。いつでも自殺していいよ。もう、大丈夫。キミの死を悲しむ家族はもういない」

「…………」

 ふぅ……。……家族は……、もういない?

「どういう事だ?」

「ハハハ、文字通りさ」

 ちょっと待て。

「だってそうでしょ? 妻も子供も死んじゃえば、キミが死のうがどうなろうが、悲しくもなんともないでしょ? ヤクザだって怖くない。イッツシンプル。パンツに穴を開けるくらい簡単なことだ」

「話が違う……」

「僕はウソなんかついてないよ」

 俺は慌てて電話ボックスに駆け込む。サイフを取り出して小銭を探す。あぁ、さっきの電話で全て使ってしまったんだ。地面に這いつくばって、小銭が落ちてないか探す。

「なんだなんだ、けっこうな執着心じゃないか? その本気を生きる方のベクトルに向けてればよかったのに。ハハハ」

 ロールが腹を抱えて笑っている。俺は頭に血が上るのを感じた。ちくしょう。

 立ち上がりロールめがけて拳を繰り出す。しかしサッとかわされた。

「安心しな、家族は苦しまずに一瞬で死んだよ」

 そういう問題じゃない!

 また右ストレートをロールに向けて放つ。これもあっさりかわされる。

「待て待て、キミがすることはそんなことじゃないだろう? ナイフ、ナイフ」

 落ちているナイフに気がつく。ロールがさっき渡したもの。俺はそれを拾い上げ、ロールに向けて切りつける。今度は、ロールは避けなかった。ナイフはそのままロールの心臓に突き刺さる。しかし、ナイフの刃が刺さる感触はなかった。豆腐でも切るように、抵抗がない。

 どうなってんだよこれ。

「驚いた? 世の中には不思議な事もあるんだよ。ハハハ」

 ナイフが手から滑り落ちる。俺は驚きのあまり茫然自失してしまう。

「さて、不思議な力があることは認めてくれたかな? 家族が死んだ現実を受け入れてくれるかな?」

 ちくしょう。コイツは笑ってやがる。俺を見て笑ってやがる。

「何もかもなくしたキミが出来ることって、ほとんどないと思うけどな、どうする? どうする?」

 見るな! 話しかけるな!

「まさか、死ぬのが怖くなったとか? 大丈夫大丈夫、僕はキミの味方だよ。何でも言ってごらん。ハハハ」

 ロールの笑い声が、冬の闇夜に響いた。

 

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