自殺志願者募ります 『後悔』 |
1
ついさっきのこと。
かれこれ五年続いた恋愛に、終止符が打たれた。
ふられた。
相手に新しく好きな人ができたからだ。別れを告げられた喫茶店では、なんとか涙をこらえていた。泣いてすがりつくなんて、恥ずかしかった。惨めだった。
心から愛した人だったのに、相手はそう思っていなかったようだ。まるで馬鹿みたいで、やっぱり自分は惨めだと思った。
急いで帰ってきた家の中。涙腺からは滝のように涙が流れ落ちていく。想えば想うほど辛いのだけど、どうしようもない。
また、心の支えを失ってしまった。
プレゼントに貰ったハローキティのぬいぐるみに、顔を埋めて泣いた。
とにかく泣いて、いっぱい泣いてスッキリしてしまえばいい。
「おいおい、どうしたどうした? なんで泣いているのさ?」
気がつくと目の前に、黒いマントを羽織った不審者が立っていた。ここは自分の家の中だ。驚いてちょっと涙が止まってしまう。
「ビビるなビビるな。大丈夫だ。僕はキミの見方だから。たぶん」
このよく分からない人物は、ケラケラと友人に軽口を叩くような素振りで言った。
「キミ、僕が誰か分からなくて困ってんだろう? どうすればいいのか分からなくて困ってんだろう?」
「……誰?」
やっとの思いで声が出る。
「……誰? うん、いい質問だ。褒めてあげよう」
そう言って不審者は私の頭を撫でた。
「ハハハ、なかなかいい髪質だね」
何故か髪まで褒められた。
「え、あの? ……え?」
我ながら、情けない反応しかできない。不審者が家にいるなら、まずすべきことは助けを呼ぶこと、警察を呼ぶことぐらいか。徐々に頭が回りだしてくる。急いで、床に投げ捨ててあったバッグから携帯電話を取り出す。
「ちょいとストップ。ミニストップ」
謎の声が聞こえたと思ったら、ヒョイっと、手の中から携帯電話が消えてしまった。不審者の方を見ると、その右手に携帯電話がぶら下がっていた。ストラップを持って、催眠術の五円玉のようにブラブラさせている。ちなみにあのストラップは誕生日にプレゼントされたものだ。
「ふふーん。ねぇキミ、警察呼ぼうとした? 友達呼ぼうとした? 落ち着けよ。慌てるなよ。涙拭いて元気だしなよ。いや、別に元気出さなくていいけど。ハハハ」
なにやら得体の知れない恐怖を感じた。
飄々としながらも、まとう雰囲気がどこか異常に思える。性別も、見た目と声では判別できない。すごく中性的だ。
「そいや、質問に答えてなかったね」
不審者は、そう言って、携帯をこちらに投げて渡した。慌ててキャッチする。
「僕はロール。自殺幇助人やってます。よろしくね」
意味がわからなかった。
2
大体の事は把握した。
ロールと名乗った彼(?)は、自らを自殺幇助人と言った。自殺幇助人とは、その名の通り自殺しようとしている人の手助けをする人だそうだ。
しかし、その表現には一つ誤りがある。自殺幇助人と言っているが、ロールは実は、人ではない。
かといって、天使や悪魔や神だとか幽霊の類でもない、よく分からない存在らしい。
当たり前だけど、そんな曖昧なモノの存在を認めることができなかった。
ロール自身も、自分のことをよく分かってないそうだ。
どっちにしろ、ロールの終始ヘラヘラした態度を見ていると、全く信用する気にならなかった。
「まぁ、信じるかどうかはどうでもいいんだ。大事なのは、僕が持つ能力だよ。特殊能力」
「……勝手に人の部屋に入る能力のこと?」
「ハハハ。言うねぇ」
ロールはクスクスと笑った。
「僕が持っている能力は、大きく分けて二つある」
目の前で、ロールは右手の指を二本立てて見せた。そしてその手を、少しだけ左右に揺らす。
「まず一つが、勝手に人の部屋に入る能力……っていうか、まぁ、自殺しよう、または、自殺したいって思っている人のところへ現れる能力。そうしてもう一つが、その人が望むように自殺をさせる能力」
「…………」
「勘違いしないでよ。あくまでも僕は、人間の自殺に協力するだけだからね。僕は直接、自殺したがっている人を殺さないよ。その人が、やっぱり自殺しないって言うんなら、僕はなにもできないんだ。そして、その自殺を手伝う能力ってのが、僕を人じゃなくさせている所以なんだけど……」
ロールはこちらをじっと見つめた。心の奥まで射ぬくような鋭い視線。あの軽い態度は、今は微塵も感じられない。
「僕は、その自殺をする上でのことなら、どんなに現実ではありえないことでも、たぶんそれなりにどんなことでも行うことができる」
「それなりにどんなことでも?」
ゆっくりと、確かめるようにつぶやく。
「あぁ、たぶんそれなりに。どこかのホームレスにね、腹いっぱい食べて死にたいって言った人がいてね、高級料理を腹いっぱい食べさせて満腹死させたことがあるよ。満腹死って言葉があるかどうかは知らないけどね。重要なのは、金も無いのに、僕は高級料理を用意できるってこと」
お腹いっぱい食べ物を体に詰め込んで死ぬ姿を想像してしまい、少し気持ちが悪くなった。
「もっと聞くかい? その能力は死に方だけじゃなくってね、自分が自殺することで、誰かを幸せにしたいとか、世界を終わらせたいとかでも大丈夫なんだよ。そうなる方法で、自殺させてあげる。例えば過去には、自分が自殺したら残る家族が心配だから、家族が困らないように自殺したいっていった人がいてね、その願いを叶えたことがあるよ。あぁ、言っとくけど、世界を終わらせたいって願いは、たぶん無理だと思うよ。スケールデカすぎ。世界が終わるような自殺方法ってなんなんだよ。どうなるのか想像できないし。まぁ、実際頼まれた事ないしね。頼んでもいいけど期待しないでよ。たぶん無理だから。たぶん」
そんなに『たぶん』を強調したら、誰も願いはしないだろう。
「分かってくれた? じゃ、本題に入ろうか。キミ、どうやって死にたい? 自由に言っていいよ」
ここに来てようやくあることに気づいた。
「……いや、あの、別に自殺したいなんて、思ってないです」
その発言を聞いて、ロールは待ってましたとばかりに手を叩いた。
「いやいや、結構みんなそういうんだよ。みんな自殺願望持ってるって認めたがらないの。自殺したい自殺したいってる構ってちゃんが、結局自殺しないのの逆なの。心の奥では自殺を願ってんだってば。素直になりなよ。いい子だから。よしよし」
またロールは頭を撫でようとしてくる。急いでロールの手を腕で払いのけた。
「おぉ、やるねぇ。ハハハ」
完全に遊ばれている。
「もういいです。自殺する気はありません」
「そうなの? ……でも、キミ泣いてたよね? 何で? 何かツラいことがあったんだろう? パンツに穴でも開いたのかな?」
「違います」
そうだ、さっきまで泣いていたのだ。失恋の傷を癒すために。悲しみを涙と一緒に流し去るために。
心の支えを失う痛みを、全て忘れてしまうために。
「ハハハ、怒るなよ。大丈夫、状況を見たら誰だって分かるよ。失恋だろう? ふられたんだろう? んで、死ぬほど苦しかったんだろう?」
止めて。聞きたくない。
「それも原因がまたキミにとってツラいことだったんだ。当ててやろうか? って言っても浮気くらいか? あぁ、それか、恋人のパンツに穴が開いていたとか?」
「違います」
「ハハハ、悪い悪い。キミにとっては大事なことだからね。これは謝るよ。で、いいかい? ちゃんと考えてみな。心の奥、自分の気持ちに素直になってみるんだ」
心の奥……。
「恋愛中のキミは、夢中だったろう? この人が運命の人だと思っていたんだろう? 何もかもを許したんだろう? ありったけの愛情を注いだんだろう? キミの全てだったんだろう? なのに、キミは捨てられたんだ。キミはこれからどうやって生きていくんだ? キミの全てはもういないんだ」
ロールの半笑いの表情が目前に迫る。しかしロールの双眸は、痛いくらいに心を凝視している。息が詰まる。
「泣いて全てが済むと思ったかい? キミはアイツを許せたかい? キミがこんなに泣いている今でも、アイツは別の相手とラブラブなんだぜ」
そんなことは知っている。知っているけど、考えたくなかった。あえてその現実からは目を反らせていたのに。なのに、ロールはまだ続ける。
「どんなに忘れようとしても、現実は決して逃げないよ。キミがふと気を抜いた瞬間、顔を出すんだ。仕事から帰って来て電気をつけたとき。夜寝ようと布団に入ったとき。何気ない普段の生活の中に、恋人との甘い思い出を思い出させる些細な要因が、満ち溢れている。キミはその度に思い出して、心の傷は涙を流すんだ」
ロールの鋭いその目が、心を揺さぶり続ける。駄目だ。止めて。聞きたくない。聞いちゃいけない。
「さぁ、素直になってよ。キミは、どうしたい?」
何も、言葉が出てこない。
アンバランスな現実を、あの人がいない現実を、受け入れて生きて行けるのだろうか?
「し……」
「……し?」
知らず知らずのうちに、涙が頬を、一筋伝う。
遂にその一言を口にしてしまう。
「……死にたい……」
「……いい子だ」
ロールは、また頭を優しく撫でた。
払いのける気力は残ってなかった。
3
「ちょっと遠回りしちゃったね。さぁ、話を戻そうか」
一頻り泣いた後、タイミングよくロールは言った。
「キミの望む死に方を教えてくれよ」
穏やかじゃないセリフを、満面の笑みで口にする。
「……まぁ、急がなくてもいいよ。命は一つだ。ゆっくり考えな」
死ぬ際に思うことってなんだろう。
死後の世界? 死の苦しみ?
「なんなら、僕と一緒に死ぬかい? 構わないよ。僕は何度でも生まれ変わるから。一人で死ぬのが寂しかったら言ってくれよ」
違う。違う。脳裏には、あのことしか浮かばない。
「そうだねぇ、パンツに穴を開けての自殺とかどうだろう? パンツを杭に串刺しにして、んでその杭を心臓にブスッと。すっごいシュールな死に様だけど。あ、そんなんだったら、僕が存在する意味が無いや。ハハハ」
「うるさい」
「ハハハ。言うねぇ」
ロールの茶々に耐えられなくなって、つい声をあげてしまった。
静かになったところで、もう一度考え直す。
やはりどうしても、あの人のことばかり思ってしまう。愛した人への気持ちは、心に留まり続けている。
「……決まった」
「言ってみて」
ロールは、相変わらず笑っている。心の底に淀んでいる黒い感情を嘲笑うかのように。
そして遂に、望む死に方をロールに伝えた。
「了解」
ロールは言った。そしてやっぱり頭を撫でられた。
4
「ねぇ、ぼーっとしちゃってどうしたの?」
「ん? あ、あぁごめんね、考え事です」
夕食を済ませてた後、面白いテレビ番組も終ってしまい、なんとなくソファに腰掛けていた。
「……ねぇ、正直に言って。Tちゃんのことでしょう?」
「いや、違います」
「嘘つかないで」
「嘘じゃないです」
あと一歩で喧嘩になるところで、彼が席を立った。
追いかけようとしたけど、考え直して彼の背中を見送る。そのまま彼は、リビングから部屋に入っていった。もう寝てしまうのだろうか? そんなことを思った。
Tちゃんは私の友人であり、彼の元カノだ。もう大分昔に死んじゃったけど。どうやら自殺したらしい。
間違いなく、今の彼女は私だ。今日みたいに、突然押しかけても彼の家に泊まれるような関係。もう、ほとんど家族同然だ。だけどそれでも、時々不安になる。まだ彼は、Tちゃんの事を思っているんじゃないかと。
たまに抑えられずに問いただしてしまう。彼に嫌われるかもしれないと分かっていてもだ。
こうしてギクシャクしてしまった後は、たまらなく自分が嫌いになる。 彼の愛情を疑ってしまって申し訳なくなる。こんなことしたいわけじゃない。
お風呂に入りパジャマに着替え、寝室に戻ると彼のベッドの布団が膨らんでいるのが見えた。物悲しい背中。その悲しさは、Tちゃんを思っているからなのか、私が信じてあげられていないからなのか?
ベッドの側に、私がプレゼントしたぬいぐるみが置いてあった。彼の部屋にはにつかわしくない。違和感がある。
彼の心の部屋でも、私の存在ってアンバランスな物なのだろうか? 泣きたくなる。
「ごめんね」
思わず私はそう言って、ベッドの中で丸くなっている背中を抱きしめた。強く、強く。こうしていないと、何も信じられない。彼の心が離れてしまうのが怖い。私の心が揺らいで良くのが怖い。
5
結局は私の心が揺らいだ。不安になった私の心は他の男の甘い言葉に呑まれてしまった。
私は彼に別れを告げた。
五年続いた恋愛に、自らピリオドを打った。
そして、それが間違っていた。
「死ななくてもいいじゃない……」
彼は自殺した。浴室で、手首をナイフで切った。彼の元カノ、Tちゃんと同じ死に方だったらしい。
「もう遅すぎね」
あの時の彼は、Tちゃんのことをそれなりに思っていた。たぶん間違いない。でも、それ以上に私を心の支えにしていた。それも間違いない。
あぁ、全てが終わった。
「あ……」
お腹の中、動く感覚。
そっと、膨らんだ腹部をなでる。
「……この子ね、あなたの子なんだよ」
時期的に、新しい彼氏の子供でないことは確定していた。だから、私が妊娠したと知って、新しい彼氏は私の側から消えた。
私はどうすればいいの?
彼のお墓の前、私は涙を流す。
「やぁ、どうもはじめまして」
聞き慣れない声がする。
気が付くと、目の前に黒いマントを付けた人物が立っていた。
「僕はロール。自殺幇助人やってます。よろしくね」
そう言って、その人は微笑んだ。
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