魔法少女と呼ばれて 第5話
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―魔女―

 

学年主任の中島希代子は固いデスクチェアに座りながら軽く背を伸ばした。職員室の壁に掛けられた時計を確認すると時刻は午前2:00を回っていた。残業で一人残り書類の整理をしているのだが、この年になっての深夜までの残業は流石に身体に堪える。

 

(それでもどうにか明日の会議に使う資料は間に合ったわ)中島教諭は満足し作ったばかりの資料を複写機にセットすると、枚数を入力しスタートボタンを押す。こうしておけば明日の朝までに会議で使う資料は人数分完成している筈だ。

 

仕事を終えた彼女が帰り支度を済ませ、職員用の昇降口へ向かう途中、何気無く渡り廊下の窓から眺めた外の景色に驚いた。校庭の正門の辺りにオレンジ色の淡い光がある事に気付いたのだ。光は僅かに蠢いている…舞い踊る炎の様に…。(まさか…火事!?)

 

中島教諭は急いで校舎を飛び出すと炎らしき物が見えた正門へと駆けて行った。若くない身体に鞭打ち全力で正門に辿り着いた。先ほど見かけたオレンジ色の輝きは消えていたが、彼女が見た物は力尽き倒れている彼女の教え子の一人、天城絆であった。

 

「こんな深夜にどうして…いえ、そんな事より絆さんしっかりして! 何があったの!?」中島教諭は絆を抱え起こし驚いた。絆の身体が信じられない位の熱を帯びている。人体の身体が耐えられる体温の上昇は42℃程度であると言われている。

 

しかし、どう考えても今の彼女の体温はその限界を超えている。驚愕する中島は絆の着崩れたボーダーシャツの隙間から覗く柔肌に見た事も無い文字が書かれているのに気付いた。アルファベットにも見えるが綴りはサッパリ解らない。「これは文字…じゃない!?」

 

その文字は這い回る小蟲の様に絆の身体をゆっくりと蠢いている。中島が文字に恐る恐る触れてみたが感触は無い。どういった原理なのか中島には見当も付かなかった。「う…あ…あぁ…」そうこうする内に絆が意識を取り戻した。「畜生…や…奴等…俺の身体に何を…」

 

うわ言の様に呟く絆に中島が声を掛ける。「しっかりして! 兎も角、病院に行きましょう…」「医者は…ダメだ…!」中島の言葉に反応した絆が慌てて縋り付いてくる。掴みかかる彼女の力は驚くほどに強い。強張った絆の表情に気圧された中島は見た。

 

焦点の合わない絆の瞳…その虹彩もまた文字に似た物が何重にも重なった輪を描き、ゆっくりと回転しているのを。そして黒い瞳の奥深くに炭火の残った火の様に紅い何かがチラチラと覗いているような錯覚を覚えた。絆は恐怖していた。

 

(医者に行けばばれてしまう…)絆が必死で否定する恐怖。暗がりの部屋で行われた陵辱。奪われた肉、奪われた骨、奪われた血液、奪われた心臓…自分自身の肉体。換わりに埋め込まれた忌まわしき物体の数々…。(俺が…もう人間ではない事が―――!)

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絆の尋常ならざる身体状態と彼女の意思を受け、迷った中島は取り合えず一時的な処置として絆を学校の保健室へと運んだ。ベッドに臥床された絆は再び意識を失い傾眠している。彼女の体温を測定してみると、確かに高い物の今は41℃を示していた。

 

額に触れてみると先ほどまで感じていた異常な体温ではない。中島は絆の側に丸椅子を運び彼女の側で様子を見守っていた。(でも、どうすれば良いのか…)長い教師生活の中で訪れた経験した事のない異常に、中島も途方に暮れていた。

 

絆の身体を覆っている謎の文字と幾何学の図形も最初よりは薄れてきている様に見える。異常な高熱も低下してきている。一刻も病院で医師の診断を受けさせたいが、彼女は頑なにそれを拒んだ。中島は絆の意思も尊重したかった。

 

あの時見せた彼女の恐怖の表情が気に掛かっていたのだ。二つのジレンマを抱えながら悪戯に時間だけが過ぎる。それから暫くの時が経ち…壁掛け時計の針が午前3:00を過ぎた頃、唐突に保健室の扉が開いた。

 

その音に驚き中島がベッドの周りを遮蔽する布製の衝立から恐る恐る顔を覗かすと、保健室の入り口に細い眼鏡を掛けた若い女性が立っていた。それは御柱千歳教諭であった。「御柱…先生?」見知った顔に安堵した中島だが同時に疑問も浮かぶ。(貴女が何故ここに…?)

 

「たまたま学校の近くを通ったら保健室に明かりがあるのが目に入ったもので…」中島の心を見透かした様に千歳は言った。「中島先生は残業でしたか?」「ええ…まあ…」愛想笑いの千歳の問いに中島は曖昧に頷いた。気の利いた返答が出来なかったと言うのが本音だ。

 

「そちらに誰か居るのですか?」言いながら千歳がベッドの方へ歩いてくる。「あ…その…」言い淀んでいる内に千歳は衝立を越えてベッドの見える位置までやって来てしまっていた。そしてベッドに横たわる絆を見て目を丸くする。「絆…さん…?」

 

「…」中島は迷っていた。千歳に絆の姿は見られてしまった。彼女の異変にもすぐ気付くだろう。ならば正直に絆を保護した時の状況を千歳に話し彼女の協力を得るべきではないか?幸い千歳は絆を気遣っているし、絆も自分よりも千歳には心を開いている様子がある。

 

「そう…やっぱり此処に居たのね…」千歳は絆の姿を見て取ると確かにそう呟いた。「御柱先生…?」その言葉を中島は聞き咎めた。千歳は絆が被っている掛け布団を捲ると彼女の腕を捲くり上げ覗き込んだ。

 

「…効果は薄れてきているけど、中枢神経系を麻痺させる"術式"は確かに機能している…この状態で逃走するなんて、なんて意志力なの…流石と言ったところかしら…」小声で独り言ちた千歳の言葉に中島は嫌な予感を感じていた。

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「中島先生、絆さんは私が病院まで運びます」千歳が中島へ振り返ると開口一番彼女はそう言った。それは何時もの彼女らしからぬ有無を言わせぬ強い口調だった。「そ、それは…」中島が言い淀む。「絆さんの容態は予断を許さない状況なのですよ?」

 

「中島先生は苦しんでいる生徒を放置する気なのですか?」千歳の勢いに中島は気圧されていた。だが…。『医者は…ダメだ…!』絆は恐怖を孕んだ真剣な表情で中島にそう告げたのだ。それには何か彼女にしか解らない理由がある筈なのだ。千歳の意見に同意出来ない。

 

「もう良いです…中島先生、そこをどいて下さい」千歳が中島を押し退け絆を抱き起こそうとする。「待って、御柱先生!」中島が千歳を制した。「絆さんを運ぶと言いますけど、御柱先生は車で来ているのですか?」「ええ、用事で通り掛ったものですから」

 

中島は千歳の言葉に引っ掛かりを覚えた。「…学校前の道路を車で走っている時に保健室の明かりに気付いたと?」「ええ」と千歳が頷く。中島の疑問が確信に変わる。「道路から見ると保健室はプールの影になって見えない筈…ですよね?」千歳が僅かに顔を歪めた。

 

「保健室の明かりなんて見えていない…見えたと言うなら、それは校内に入ってからだわ…御柱先生、貴女はこんな時間に何故学校に来ていたの? そして貴女は何を知っているの!?」絆の身体を見て不用意に口走った言葉…そうだ、この女は何かを知っている!

 

千歳が小さな声で舌を打つ。「もう時間が無いと言うのに面倒な事を…」言って千歳はやおら掛けていた細身の眼鏡を外した。裸眼の瞳を中島に向ける。千歳の瞳の虹彩が絆と似た物と同じ、文字に似た物が何重にも重なった輪を描いていた。その瞳が怪しい燐光を放つ。

 

次の瞬間、突然襲った衝撃波が中島の身体を吹き飛ばした。衝立を薙ぎ倒し中島は保健室の壁に叩き付けられた。「あぅッ!」苦痛に悲鳴を上げ中島は床に崩れ落ちた。大きな物音と話し声に気付き絆がゆっくりと目を開ける。中島は痛みを堪え上半身を起こした。

 

「邪魔しなければ…余計な事に感付かなければ怪我をせずに済んだ物を…」冷たい声が中島を嘲笑う。「御柱…先生…。それが…貴女の…本性―――!」苦痛に喘ぎながらも中島は千歳を睨み付ける。信頼ある者達への裏切り…それは教育者として彼女には許せない物だった。

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「中島先生…私を"御柱"と呼ぶのは止めて頂けませんか?」千歳は中島の姿を見下ろしながら鼻で笑う。「御柱と言う名に意味はありませんので…。私は"千歳"…。悠久と永遠を意に持つ私の魔女名は『エターナル』…魔女エターナルが私の正しい名前です」

 

「ま…魔女…?」唐突な言葉に中島は千歳の正気を疑った。「そう、私は"魔術結社S・O・S"の末席に身を置く魔女。我々S・O・Sの目的は政治的、経済的に世界を影から支配する事…」

 

「そして構成員を拡大する為に社会に潜伏し、魔法使いとなるに相応しい素質を持つ者を選定する事…」妄想じみた千歳の言葉を中島は呆然として聞いていた。「小学校に潜伏した私はそこで"魔女"として相応しい才能を持つ者を探し…遂にその適合者を見つけ出した」

 

「まさか…?」妄想が導き出した結論だとしても、事の成り行きから見てそれが誰を差しているのか中島にも気付いていた。「そう、それが"天城絆"です」千歳が何処か満足気に言うが、中島はそれを認めない。「そんな出鱈目な話しを信じられますか!」

 

千歳がやれやれと言った様子で首を横に振る。「無知者の思考停止は憐れみすら感じさせます。…そんな目に遭ってもまだ信じられないのですか…ならば、己が目に焼き付けなさい。人類の敵…世界を支配する者…お見せしましょう…魔女の真の姿を―――変・身ッ!」

 

千歳が奇妙な振り付けを見せながら大きく腕を回すと、その身体が眩い閃光を放ち彼女の周囲の何も無い空間に輪を描く文字の様な物が幾重にも出現する。「!」中島はあまりの眩さに目を覆った。閉じた瞳が光を感じなくなってから、中島が恐る恐る目蓋を開いた。

 

全身から燐光を放ち右手に長い杖を携えた女が立っていた。やはり燐光を纏う長いドレスに似たローブを身に着けた女は千歳の面影を残している。「それが…貴女の本当の姿だと言うの?」驚愕に目を見開く中島の声が震える。

 

太古の記憶に刻まれた遺伝子レベルの警告が本能を刺激する。人は昔夜を恐れた。夜を生み出す闇を恐れた。闇を恐れたのは、その中に異質な力とそれを操る異形の者共の存在があったからだ。かつては夜の世界を支配し君臨した者達が。

 

彼女こそ、その闇が産んだ異形達の末裔の一人。その名を"魔女エターナル"と言った。

説明
“天城絆”(アマギ・キズナ)は小学校四年生の少女である。謎の組織により身体を改造された絆は、からくも洗脳処置を施される前に組織のアジトから逃れる事に成功する。そして彼女が辿り着いたのは…。
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