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浅水 静
2
事前に指定されていたバス停で深見と共に降り立ち、その脇の道に歩みを進める。
木々に囲まれた小道を想像していたが、意外にも車が裕に通れる幅で路肩には一方だけだが、縁石付きの歩道もしっかりと舗装された道。
『キャスは、……まだ紋章調査官を目指しているのかな?』
道行きの中、深見はポツリと私に対しての疑問かと判断に迷うほど、独り言のように囁いた。
紋章調査官。
キャスの家系は代々、英国の紋章院総裁の地位を世襲してきた。本来、紋章院はその名の通り紋章の発行許可を行う英国独特な政府の公的機関である。紋章の発行には、その家に連なる系統図が必要でその調査を担当する紋章調査官という役職が存在する。一般人の場合は然して問題も無い。
だが、英国は王室がある。数世紀にわたり王室は諸外国との政略結婚を繰り返して来た。王位継承権に直接関わる場合がある為、その調査は慎重を規さなければならない。故に主任紋章調査官には女王陛下と総裁の名の下に国内用に<セクション5>と海外用に<セクション6>を調査に活用する権限を持たされていたほどである。
キャスは女性であるにもかかわらず、父の為、そして将来、紋章院総裁の地位を継ぐはずの兄の役に立つ為に主任紋章調査官になる事を幼い頃から目指していた。その職業上、さまざまな言語の習得が求められていた。
『あの決心はそうそう変えられないでしょうね。私はフランス語だったけど、貴方は何か教えていたの?』
『一応、日本語とロシア語を。後はイタリア語とスペイン語とドイツ語の基礎を』
ある程度、噂は聞いていたが正直、唖然とした。彼が英国に居たのは僅か14歳の頃からだったはずだ。一体どこでそんな……。
『貴方……一体……何ヶ国語話せるの?』
彼は一瞬、こちらを振り向いて答えようとした様だが、目を逸らして小さく小首を傾げただけで、そのまま答えず前方へと向き直った。
緩やかなカーブの上り坂の道を登りきると開けた駐車スペースとその向こうに洋館風の白い建物が私たちの目に飛び込んできた。
駐車場にはこのペンションのロゴがペイントされたバンと、大量のぬいぐるみがフロントガラス越しに並べられたのが見えるワンボックスカーと、そして黒塗りの外車の3台のみだった。
いつの間にか深見を追い抜かしてしまった事に気づき振り向くと彼は立ち止まったままあの怪訝そうな表情を浮かべ、3台の車を食い入るように見ていた。
『どうしたの?』
こちらに不思議そうな視線を向けたまま、しばしの沈黙の後、『いや』とだけ呟いて私の横を通り過ぎて行った。
(一体、なに?なんなの?)
建物は二階建ての洋風建築で、入ると吹き抜けのラウンジになっていた。設備的な規模から元は個人所有の別荘をペンションに改築したのではないかと思える。
カウンター越に人の良さそうな初老の男性が私たち二人に気付くと優しそうな笑顔を浮かべ、「いらっしゃいませ」と言葉をかけてきた。
ラウンジには子連れの親子がパンフレットのようなものを広げ、あれこれ話していたり、設置されたボックスソファーに髪のグレイ色度合いから初老と思われる男性がこちらに背を向ける形で座っていた。
『深見と言います。フィッツアラン=ハワードの招待を受けたのですが』
『貝座です』
そんな周りには目もくれず、深見は目的の用件を早々に済ませようとしているようだった。バスの中で見せた会話からの観察眼と今、この周りに気にしていない深見にどこかギャップのようなものを私は感じていた。
『はい、ハワード様から承っております。こちらにお名前とご住所、連絡先……』
レディ・ファーストかどうかは分らないが宿泊者名簿の記入は私からする事になった。
大きく分厚いルーズリーフに書き込みながら、同じページに「Catharine Fitzaran-Howard 」の記入があるのを確認した。そしてもう一つ、直ぐ前の記入者の名前に見覚えがある事に気付いた。
『深見君。ちょっと、これ見て』
私はその「神杉福太」という名が書かれている箇所を指して彼に見せた。
『……知り合い?』
『貴方……あのねーうちの教授と同じ名前!というか住所が東京だから本人かも。
……記憶にない?ロシア語の神杉教授』
『ん?呼んだかな?』
突然、後ろから声を掛けられて飛び上がりそうになった。
『おやおや、君は確か……貝座君だったね?
彼氏と旅行かな?』
『……彼氏?……ち、違いますっ!
ええーと、こちらは文Tの深見さん。共通の友人からこちらに招待を受けたんです!』
『私の講義では見覚えは無かったよね?
深見というと……もしかして……深見先生の?……』
『((Я| ヤー)) ((говорю| ガヴァリョー)) ((по-русски|ヴァルースキー )).』(ロシア語は話せるんです)
教授の後半の言葉に被せる様に深見は、あの低いハスキーな声で素人目というか耳の私にでも判る位、滑らかな発音で言葉を発した。
『ほぉーこれは綺麗なモスクワ訛だ。
ふむ、つまり「自分には必要ない」と言う事かな?どうやら、貝座君の彼氏はなかなか合理的な考えの持った人らしいね』
『違いますっ!彼氏じゃないですっ!
でも、教授は何故こちらへ?確か長期の休講にされていたような……』
『実はね、私は趣味でチェスを嗜んでいるんだが、その世界戦の合宿がてら毎年、ここに篭らせて貰っているんだよ』
『世界戦!?凄いじゃないですか!』
正直、チェスの世界戦というものがどう凄いのか私自身は門外漢でピンと来ないが一先ず言ってみた。
『タイトルは、お持ちなんですか?』
深見が玄人ぶって質問した。
『いやー去年のギリシャでのオリンピアードの結果が良かったおかげで、GMの称号をいただいたよ』
『素晴らしい!』
『GMって?』
会話から乗り遅れそうなので深見に聞いてみた。
『グランドマスターですよ。この称号を持っているのは現在、全世界でも100人程度しかいないはず。将棋や囲碁で言えば、九段とか十段の世界です』
正直、凄すぎて余計、強さの程度が分らなくなってしまった。
『その様子なら彼氏君も「やる」ようだね。どうだい?一戦?』
『招待を受けた相手の用件次第ですか、時間があるようでしたら、ぜひ』
深見は笑顔で答えたが、良くまあそれほど強い相手に平気で申し込めるものだと驚いた。
『それと彼氏じゃないですっ!』
『深見様、実はハワード様から伝言が……』
それまで会話に割り込まぬようにしていたオーナーが申し訳なさそうに切り出した。
『なんでしょう?』
深見に促されて、オーナーはメモを取り出して、読み上げた。
『「拝啓、ツグ。急用が出来た。また今度。料金は払っとく。かしこ」との事です』
と言ってオーナーはおずおずとメモをそのまま深見の方に差し出した。
流石に深見も私もお互いを見やり、唖然とした。
深見は頭を左右に僅かに振りながら、『あの我侭娘が』と渋い顔で呟いた。
『おや、もしかして、さっきの濃い赤毛のブルネットのお嬢さんが君達の招待主だったのかい?』
神杉の言葉に深見が即座に反応した。
『「さっきの」?
キャスがチェックアウトして間も無いのですか?』
『精算は済まされましたが、退館の方はまだかと……』
『では、また部屋にいるんですか?』
『はい、こちらはお通りになっていませんので、まだ在室なさっているかと』
『深見君、行きましょう!
いつもいつも振り回されてちゃたまんないわ!
今日こそはビシっと言ってやらなくちゃ』
オーナーに部屋番号を聞いて鼻息荒く部屋に向かうと深見もやれやれという態度でついてきた。
『キャス!いるんでしょっ。開けて……』
部屋のドアを叩き付けるようにノックしようとしたが一度目のノックだけで二度目は空振りすることになった。ドアは施錠どころかきちんと閉められてさえいなかった。
重心をかけていた分、勢いあまって部屋内に転がるようにのめり込む所を深見が支えてくれた。
その事に礼をするべきだったのだろうが私の目に飛び込んできた情景が全ての行動を鈍らせた。
散乱した衣服。
倒れた椅子。
『貝座さん……これ』
部屋の中央で呆然と見回していた私を深見が呼んだ。ベットの上にあるものに視線が向けられていた。そこにはキャスが祖母から編んでもらったずっと愛用している肩掛けショールがあった。
点々と赤く染められて。
3へ続く
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風邪で予定より一週間遅れてしまいましたが、事件突入編をお届けです ( ;゚Д゚)y─┛~~ 第01話 http://www.tinami.com/view/483158 |
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