魔法少女リリカルみその☆マギカ 第2話 |
第2話「疑わしい奴ら!」
時刻は夜の八時を回っていた。「会長命令」と称して、和也と小海の集合をかけたのが、一時間ほど前で、二人が生徒会室に到着したのが、たった今だ。
二人はあからさまな嫌悪感を隠すことなく、露にしている。無理もない。すでに下校し、自宅にいた二人を「来ないとこの学校での生活が危うくなる。敵だらけになるわよ」と半ば強迫し、早急に来るように指示した。
「いったい、何の用なんですか? 急に呼び出して。しかも、こんな時間に」と和也は壁にかかった時計を見た後で、眉を潜めた。ソファに腰掛ける彼の態度は悪く、回答によっては、テーブルに足を乗せて、説教をし出しそうな雰囲気を醸し出している。
「他でもない」
そう言ったのは、今日歌だった。和也の正面に座る美園の傍に立つと、手帳を片手に、二人に用件を話し出す。「幽霊、エイリアン、それに神様とか。そういうのって、昔から、なんなら、紀元前から人類が夢見ていたことなわけだ」
何を言おうとしているのかわからないのか、和也も、その右隣に座る小海も、首を傾げた。夢見ていたこと、という表現に少し疑問を感じているようにも見える。
「まぁ、簡単に言えば、肝試しってやつだね。それをやるの。今日ね」
前置きと本題が、百八十度違っているように思えたが、美園がそれを指摘するこはなかった。和也の表情は不満の思いで満たされている。
「肝試しって、あの、ですか?」と小海が指を立てた。その声は期待感を露にしているように聞こえる。
あの、が果たして何を差しているのか判らないが、今日歌は、「そうだよそれそれ!」とボールペンで小海を差した。学校で、自分だけがハマッていると思っていた歌手の話にクラスメイトが食いつき、さらに、それに自分が食いつくような勢いだ。
「私、そういうの憧れてたんです! やってみたかったんです!」小海は立ち上がり、ぎゅっと両手の拳を握り締める。恍惚とした表情で今日歌を見詰めた。「男女が手を繋いで、暗い森の中を、祭壇のお札目指して突き進む。クラスのお調子者が提案した、粗末な仕掛けに驚いて、きゃあーってイケメンに抱きついて──」
和也の方に視線を向ける。俯き、首を横に、何度も振っている。彼の内心はすぐに読めた。肝試しのために、わざわざこんな時間に召集したっていうのか?
「残念なことに、今日はそれじゃないんだよね。あたしも、それ、やってみたいけど」
「違うんですか? じゃあ、何だと言うんですか」
我に返ったように、小海の目から輝きが引く。握り締めていた拳が微かに開いた。
「もっと面白いことさ」
今日歌は、子供が悪だくみをするような黒い笑みを美園に向けた。後はあんたから説明してね、という目配せだとすぐに気づく。美園は、細く息を吐き、「今日歌は肝試しだなんて言ったけど、実際はそんなお遊びじゃないのよ」と肩をすくめた。「パトロールよ。校内を目を光らせて練り歩くの。校内警備ってやつね」
「校内警備?」小海はすとんとソファに腰を落とす。きょとんとした様子で、美園と今日歌を交互に見た。
出入り口のドアが開く音がしたのは、ちょうどその時だった。幽霊、肝試しのワードがまだ頭に引っ付き、離れないのか、小海が「きゃあっ」と悲鳴を上げ、和也に抱きついた。
一斉に、出入り口へ視線を向ける。見ると、眼鏡をかけた女子生徒が、おろおろと中を覗いていた。美園たちの存在を確認すると、「失礼しまーす」と恐る恐る室内へ足を踏み入れた。見覚えのある顔だ、と一瞬、それが誰だかわからなかった。前髪をヘアピンでとめており、陰気な優等生という印象を受けるが、短く詰めたプリーツスカートからすらりと伸びた足が、モデルを思わせるほど、スタイルが良い。
小暮マミだ。つい昨日会ったばかりの映画研究部部長の顔を忘れるなんて、と自嘲したが、すぐに気持ちを切り替え、「いったい何の用よ。ノックぐらいしなさいよ」と棘を有した言葉でたしなめる。
「すみません」とマミはへらへらした、全く誠意の感じられない謝罪をした後で、ひょいと飛び跳ね、ドアから距離を取った。すぐにドアの方に向き直り、「早く入んなさいって、このすっとこどっこい!」と我がままな我が子を叱るように強く言い、ぶんぶんと手招きをする。すると、二人の生徒が「失礼します」と声を揃えて入室してきた。
片方は髪の長い女子生徒で、肩にスポーツバッグをかけている。もう片方は茶髪の男子生徒で、手には何故か映画の撮影で使われるカチンコが握られていた。
見たことの顔ぶれだ、と美園は素直に思った。この二人ばかりは思い出す気配すらない、全くもって知らない人物で、今日が初対面であることは確かだ。
「この三人はね、あたしが呼んだんだ」と今日歌がマミに歩み寄った。「協力者で、パトロールを手伝ってくれるんだって。たった四人で侘しく校内徘徊するよりは、七人いた方が心強いでしょ?」
ソファに座っていた和也と小海をどけると、そこにマミを座らせた。マミの後ろには、SPが護衛するように、彼女が連れてきた二人の生徒が立つ。えらく待遇がいい。今まで生徒会室に来た客には、大人であろうと、茶を出すどころかソファに座らすことすらなかった。今日歌と美園が皮肉まじりにおちょくり、客人は機嫌を損ねて帰る、というのがいつもの生徒会の対応だ。
「まさかとは思うけど」と美園は猜疑心を隠せず、口に出した。「生徒会の仕事を手伝って、見返りとして、映画制作の援助を求めるような真似はしないわよね?」
それを今日歌が斡旋しているのではないか。元はといえば、校内パトロールをしようと言い出したのは今日歌だ。十分にありえる。
マミが一瞬、動揺したようにも見えたが、「まさか、滅相もない!」とすぐに首をぶんぶん、外れるのではないかと思うほど勢い良く振り、断固として否定する。「そんな愚民じみた真似はしませんって」
「美園、さっきも言ったじゃん。援助はもう諦めたんだってさ」今日歌が助け舟を出す。「資金は自分達でどうにかするって。それに、低予算で、映画の出来が悪くても、カルト的な人気になれば、それでいいんだって。目指すは、そう、エド・ウッド」と指をパチンと鳴らす。
うんうん、と感心したように頷くマミの後ろで、二人の生徒も、調子を合わせるように頷いた。先程の「このすっとこどっこい!」という江戸っ子じみた口調で後輩を呼んだ、先程のマミの姿が頭をよぎる。彼女が後輩に対してどれほど厳しいのか目に見えた。同時に、映研部員の苦労もひしひしと伝わってくる。
「それで、彼は何故、カチンコを?」美園はためらうことなく、マミが映研部員二人を中に入れた時から抱いていた疑問を口に出した。茶髪の男子部員が持っているカチンコが、いったいパトロールとどう関係があるというのか。
「特に意味はないですよ」マミはあっさりとした口調で言う。「彼、あれをいじっていないと、落ち着きがなくなっちゃうんです。あれをいじるのが癖なんです。どうかお気になさらずに」
マミがそう言ったタイミングで、思い出したかのように男子部員はカチンコをいじりだす。手元がおごつかず、床に落としてしまった。苦笑いを浮かべ、拾い、カチカチといじりだす。美園は眉を潜める。先程から、妙に怪しい。下手ないかさま師同士のたどたどしいやりとりを見ているようだ。
次に美園は、「で、その子が肩にかけてる、そのバッグの中身は?」と職務質問をする警官のような威厳を漂わせ、女子部員の肩にかかったスポーツバッグの中を見せろ、と指を差し、睨んだ。
女子部員は、「これですか?」と男子部員とは違い、慌てることなく言い、「失礼します」とバッグをマミの隣に置き、おもむろにファスナーを開け、その中に手を突っ込んだ。がばっと開けて全てを見せればいいのだが、何故か、腕がすっぽり入る程度しか開けておらず、がさごそと中を探った。
「えーっとですね」とまず最初に取り出したのは、折りたたみナイフだった。「これは護身用のナイフです。何せ、パトロールするとうかがいましたので」。
彼女は次々と、バッグの中のものを取り出して、説明し、テーブルに置いた。「これは、懐中電灯。あるととっても便利ですよ」「それから……通信用のトランシーバーですね」「あとは、小腹が空いた時のための、スナック菓子。チョコもありますよ」
ざっとこんなもんですね、と女子部員は胸を張った。露天商が自分の仕入れた商品を自慢するように見えた。
美園はテーブルに並べられた道具を見渡した後で、「これは使えそうね」とトランシーバーを手に取った。携帯電話ほどのサイズだ。ちょうど七つ、人数分が用意されているのが奇妙ではあるが、役に立つであろうことに変わりはない。
「お目が高い!」と声を張ったのは、マミだった。「これ、すごく高かったんですよ」
トランシーバー代を映画制作費に回したら、より良い映画が作れたのではないか、と指摘すると、「何を言っているんですか! これは映画の小道具の一つです!」ときっぱり言い切った。学生が作る粗末な自主制作映画なのだから、別に本物に拘らなくてもいいのではないか、と疑問に思うが、よほど熱心に映画作りをしているんだな、と感心もする。
美園の視線は再び、女子部員のスポーツバッグへ向いた。同時に、疑り深い自分を見た、もう一人の自分が「まったく、ほどほどにしなさいよ」と呆れた声を発するのが聞こえたが、スポーツバッグは明らかに、まだ膨らんでおり、何かが入っているに違いない。気づけば、「まだ、そのバッグに何か入ってるんじゃないの?」と口走っていた。
「ああ、これは、私個人の着替えですよ」と女子部員は、慌てる素振りを見せず、トランシーバーだけテーブルの上に残し、あとのものを中にしまうと、バッグを肩に掛けなおした。
「美園、今日どうかしちゃったの?」今日歌が美園の隣に座った。親友を心配するような口ぶりで、おでこに手をあててくる。「熱は無いみたいね」と言った後で、にっと歯を見せた。「もうすぐ九時だし、そろそろパトロール始めよう!」
生徒会室の時計はずれていたようで、時刻は九時を十分ほど回っていた。まだ、それほど深い時間ではないとはいえ、校舎内は真っ暗で、不気味だ。美園が列を先導するかたちで、廊下をだらだらと歩いている。不揃いな足音が廊下に響く。
目標はエイリアンを探し、生け捕りにすること、と生徒会室を出る前にみんなに話した。その際に、二人の映研部員の名前も聞き出した。髪の長い女子部員の名前は優子といい、茶髪の男子部員の名前は士郎という。
美園は手に持ったトランシーバーを見下ろす。手にぴったり収まるそれは、外からの光に反射して光沢を帯びていた。開封したばかりの新品のようだ。七人がくっついているようじゃ、トランシーバーをそれぞれに配った意味がまるでない。いつ、振り向いて、どういう言葉で指摘してやろうか、考える。ノリツッコミする芸人のような気持ちだ。
ブラウスの裾を小海がぎゅっと握っている。果たして、これが先程まで、遊園地へ行く前日の子供のように、期待に胸を膨らませて、「肝試し、憧れてたんですよね!」と目を輝かせていた小海なのだろうか。みっともないほど、臆病風に吹かれている。
「みんなストーップ!」今日歌のはきはきとした声が、廊下に響いた。
小海が「きゃあ!」と悲鳴を上げ、タックルよろしく抱きついてくる。後ろを振り向く。最後尾にいた今日歌は、みんなが振り向いたのを確認すると、むすっとした表情で、美園の隣まで来た。
何を言い出すのかと思えば、「せっかくトランシーバーもあるんだしさ」と美園が、今まさに思っていたことを代弁してくれた。「みんな、別々に行動をしようよ。その方がスリリングで楽しいでしょ? 絶対、そうだよ」
「で、でも」と小海がおろおろしている。彼女のスカートのポケットにも、しっかりとトランシーバーが入っていた。「せ、せめて、二人一組とか、ペアで行動するっていうのはどうですか?」
「一人余るからダメ」美園はすげなく却下する。多少、面白がっている節もある。スポーツ万能の小海が、幽霊を怖がって腰を抜かしている写真を撮って校内全ての掲示板に張り出してはどうか、と今日歌に持ちかけようとも企んだ。
「私は別に構わないですよ」とマミが淡々とした口調で言った。背後を振り向き、優子と士郎と目配せをした後で、「二人も大丈夫なはずです」と前に向き直った。「優子は、心霊スポットに一人で立ち入って、怯えることなくカメラを回し続けるほどのツワモノですし、士郎は、しょっちゅう学校に忘れ物するから、深夜に校舎に忍び込むことだってあります。もう慣れっこなんですよ」
てへへ、と士郎が照れた様子で頭を掻く。一方の優子は「任せてください! エイリアンは何が何でも見つけ出しますよ!」と自信たっぷりに拳を握り締める。優秀な部員を自慢するように、マミが、えっへん、と胸を張った。
三人は足早に、立ち去っていった。階段を下りる音がした後で、「それじゃあ私はこっちを探すから、あんた達はそっちね!」とマミが指示する声が聞こえてきた。
「それじゃあ、あたしも」
今度は今日歌が、映研部員達とは逆方向を向きを足を踏み出した。「何かあったら連絡するから」と手を振り、颯爽と走り去っていく。
美園は、残った和也と小海を交互に見る。小海はやはり怯えている様子で、瞳が潤んでいる。和也はというと、さほど怖がっている様子はないが、不満そうで、何か言いたげなのは、緊急招集した時から変化ない。
しんと静まり返る。ずっとここに立っているわけにもいかない。「わかったわ」と美園は心底呆れた様子で小海の肩と和也の肩を掴んだ。「小海ちゃんと、和也は二人で一緒に行動しなさい」
一年生の二人は、同じクラスだ。ただ、どれほど仲がいいのかは知らないが、信頼を深める良い機会だ、と適当な考えをめぐらす。それに、もし今日のことがきっかけで、二人が付き合うことになったとしたら、それはそれで、エイリアン目撃談と同じぐらい面白い。
小海は安堵したように、胸に手をあて、ほっと息を吐いた。愛しい恋人を見つめるように和也を見る。そこで視線をそらす和也が可愛らしく思えた。
小海と和也と別れてから、美園は特に宛てもなく、ぶらぶらと街中を歩く気分で、校内をさまよった。ただ、人通りも、ネオンの明りもなく、退屈だ。
ひっそりと静まりかえった教室を覗くのには、さすがに恐怖を覚え、背筋が凍える思いだったが、頭の奥行きが長い、黒い怪物の姿を念頭に置いているせいか、女性の浮遊霊が出てきたとしても、「なんだ、エイリアンじゃないんだ。つまんないの」とスルーしてしまいそうな気がした。
階段を歩く足音がこんなにも際立つことに驚きを感じる。いつもは、登校時間ともなれば、たくさんの生徒でごったがえし、足音にも、物音にも、人の話す声も、ごちゃごちゃしていて、いちいち気にとめることはない。世界が滅び、自分だけが、人類のいなくなった地球に取り残された空しさを感じる。
三階から四階へ上がる、踊り場。五段程度の階段の上を見上げた美園の足はぴたりと止まった。意識して止めたというよりは、脳が勝手に指示を出して止まった感覚だ。すぐさま腰を落とし、姿勢を低くする。足音を立てないように、そっと階段に身を寄せた。ゆっくりと背を伸ばし、四階にいる不気味な影を覗く。
それはまさに、今日歌が口にしていた、複数の生徒が目撃したという、エイリアンそのものだった。身体は黒く引き締まり、頭の形こそ砲丸のように丸くて、想像していたエイリアンとは異なったが、その不気味な造形が何に見えるかと言われれば、「エイリアン」としか答えようがない。思わず口を両手で覆う。声が漏れそうになった。
奇妙な形をした影は、辺りをきょろきょろと見回している。そして、何かを発見したのか、バサっという音を立てて、急に走り出した。それに驚いて思わず尻餅をついてしまう。こちらに向かって来なかったのが幸いだ。
それにしても、目をみはるほどの素早さだった。人間の動きとは思えない。陸上部の連中が見たら顔を真っ青にするだろう、とぼんやり考える。
だが、すぐに追いかけないとまずい、と判断し、立ち上がった。口元が緩む。美園の中で、長い眠りについていた好奇心が、今日歌に身体をゆすられ、起こされた。その半開きだった目を、エイリアンによって、完全なまでに覚醒させられた。
考えるより先に、身体が動き出していた。エイリアンを追いかけ、廊下を駆ける。自分の目がハートになっているのが、客観的に見なくてもわかる。みんなに連絡を取るのは、あのエイリアンを捕獲してからでいいわよね。
ちょうど、反対側の階段のところまで来た頃だった。ガラスが割れる音がした。それは下の階からのもので、すぐにエイリアンによるものだ、と直感する。一度止まった足を、再び動かし、階段を下りた。
三階の廊下の突き当たりに位置した部屋、その出入り口ドアのガラスが割れている。これはもう確定でしょ! と美園は心の中でガッツポーズをした。姿勢を低くして、慎重にドアに近づく。
割られた窓から、室内を覗き込む。そこは、主に科学部が利用している第四理科室だった。磨りガラスのため、普段、中を覗くことはできない。授業で使われることもなく、一般の生徒が立ち入ることはまずない。この部屋の存在さえ、知らない生徒がいるかもしれない。未知の領域というやつだ。
室内は、窓がないため、真っ暗だ。月明かりも入ってこない。前に一度だけ、この部屋に入ったことある美園は、どのような部屋だったかを思い出す。他の理科室と比べると、格段に狭く、雑然としている。二台ある実験用テーブルの上には、無数もの書物が積み重ねられていた。
記憶が確かなら、満足に動けるスペースがほとんどなく、少し動いただけで、書物にぶつかって、積み重ねられていたそれが崩れ、倒れ掛かってくる。
昔よくプレイしていたゲームを思い出す。緑色の布を身に纏った少年が、豚に似た怪物に見つからないよう、樽の中に身を潜め、魔王の城を登っていく。自分がゲームの主人公になったように感じた。まさか、あのゲームが私の人生の伏線だったなんて、と苦笑する。
何も見えないほど真っ暗だが、電気を点けるわけにもいかない。ドアをあける前に、美園はトランシーバーのスイッチを押した。使い方は優子から簡単に説明された。とにかく、中心のPTTスイッチを押せば、送信ができ、はなせば受信ができる。「こちら美園。みんな、すごいの。エイリアンを発見したわ!」とまだ確定したわけではないが、報告する。「第四理科室の前。さっさと来なさい。慎重にね。それと、敵のアジトにつき、連絡はしないで」
スイッチをはなす。応答の音声で気づかれてはひとたまりもない。さっさと生け捕りにし、駆けつけてきたみんなに見せびらかしてやろう、という思惑もあった。
ドアノブに手をかけ、ゆっくりと引く。すっと室内に入り、音を立てないよう、慎重にドアを閉める。途端に、閉じ込められたような気分になる。
腰を低く、床に手をつき、障害物を確認しながら慎重に進む。一年前に、第四理科室へ入った時の記憶がよみがえる。確か、奥にはもう一つ部屋があったはずだ。入ったことはないが、当時の科学部部長に説明された。「ここから先は実験室で、危険な薬品などを扱っているので、入室させるわけにはいきません」と彼は断った。
記憶を頼りに、奥の部屋へと向かう。部屋は狭い、まず迷うことはないだろうが、やはり、乱雑にテーブルの上に載った書物が気がかりだ。奥の部屋で、鼻ちょうちんを作り睡眠をとるエイリアンの姿が頭に浮かぶ。待ってなさいよ、このエイリアン!
実験用テーブルに寄り添うかたちで、一歩一歩、慎重に進めていると、突然、向かいのテーブルに積んであった書物が目の前に倒れ掛かってきた。「きゃあっ」と悲鳴を上げそうになるのをぐっと堪え、なんとか横にそれをかわした。
自分の身に何が起こったのか、最初はわからなかった。だが、すぐに、頭に液体がかかったのだとわかった。ねばねばしているものが、頭の上で踊っているような違和感がある。「きゃあ!」とついに悲鳴を上げてしまう。液体を拭おうと、頭をさわると、それはべっとりしていた。ハチミツのような、スライムのような、とにかく気味が悪い。液体は、手のひらから蒸発するように、みるみるうちにその面積を縮め、消滅した。
今日歌が駆けつけたのは、ちょうどその時だった。磨りガラスの割られた部分から覗き込み、「美園!?」と驚愕したように声を上げ、がしゃんと音を立てドアを開け、駆け寄ってくる。
エイリアンに気づかれるかもしれない。芳しくない状況だが、今日歌の顔を見て安心した。だが、私の悲鳴を聞いたのか、と不安になる。はたから見れば、美園の格好は、幽霊を目撃し、腰を抜かしてしまっているようで、新聞部の今日歌はこういった他人の無様な姿を写真に収め、記事にするのを人生の楽しみにしているような人間だ。非常にまずい。
美園は何事もなかったかのように、「どうしたの?」と立ち上がり、平常心を装う。液体のねばねばがまだ頭からはなれない。髪を触っても、液体の感触はない。すでに渇いているようだが、いったい何の液体なのかが気になる。塩酸なら致命的なのだろうが、今のところ、身体に何も害がない。
「大丈夫、美園?」と今日歌が心配そうに顔を覗き込んでくる。今日歌にしては珍しい。人を心配するだなんて。この子は本当に今日歌なの?
和也と小海もようやく到着した。二人は目を丸くし、第四理科室から出てくる二人を見ていた。美園はスカートについたほこりをぱっぱと払い、「そうだった」とトランシーバーで言った通り、エイリアンを目撃したことを話す。「あそこに、エイリアンがいる。入ったのは見てないけど、絶対にそうよ! エイリアンが走り出した直後に、ガラスが割れる音がして、それでこれよ」
割られたガラスを指差し、アピールした。
今日歌は何も言うことなく、視線を室内へ向けた。その表情は無表情に近いが、好奇心で満ちているのがはっきりとわかる。ゆっくりと室内に足を踏み入れた。
「気をつけて。襲い掛かってくるかもしれないわ!」と美園が警告するが、今日歌は、「大丈夫大丈夫」と手を小さく挙げる仕草を見せ、電気を点けるように指示してきた。
室内が蛍光灯の明りに照らされ、実態が浮かび上がる。室内は記憶どおり狭く、無数の書物タワーができていた。一年前と何も変わっていない、と噴出しそうになる。
部屋の奥に、白い扉があった。その向こうが、実験室だ。美園も室内へ入る。ドアノブに手をかけ、ゆっくりと回すと、あっさりとドアが開いた。施錠がなされていないことに驚く。
小さくドアを開け、中を覗き込んだ。一見、六畳程度の狭い部屋だ。ほこり臭い。目立つのは、部屋のど真ん中に手術台のような器具ぐらいで、エイリアンの姿はない。左右の棚には、怪しい色の液体が入った瓶が並んでいる。
この実験室で、あのエイリアンが生まれたのではないか、と考えるが、現実味が全くない。高校生がエイリアンを作るなんて、ありえない。
理科室を出た美園の表情はどんより曇っていた。もう一度、三人に先程見たエイリアンのことを話した。小海と和也は顔を見合わせ、信じていない様子であったが、今日歌は、「面白い」とさらい詳細を訊ねてくる。
リドリー・スコットの『エイリアン』に出てくる怪物、としか言い様がない。全く同じ形、というわけではないが、それが何なのか聞かれれば、やはりエイリアンとしか答えようがない。
液体がかかったことも話そうと思ったが、特に身体に影響がないので、口に出さなかった。
「映研の子たちは?」と美園は首を左右に振り、周囲を見た。通信が届かなかったのか、第四理科室の位置がわからないのか、向かっている途中なのか、ここにはまだ来ていない。
「さあね、わからない。そのうち来るんじゃない?」今日歌は無責任に言い、右を指差した。「どうする? まだ続ける。エイリアン探し」
続けるもなにも、元々、エイリアン探しをしようと提案したのは、今日歌だったはずだ。「私は、このまま続ける気があるわ。あれは明らかにエイリアンだったもの。さっさと捕まえて、鍋して食べちゃうわ!」
冗談だが、和也と小海があからさまに嫌な顔をしたので、「冗談に決まってるじゃない!」と付け加えた。
エイリアンを食べようと言い出したことに対する嫌な顔ではない、とは、しばらく間があいてから気づいた。和也も小海も、ただ単に帰りたいのね。
「行動するのが早すぎたかもしれないわね」と美園は腰に手をあて、自戒するように言った。大した運動をしたわけではないが、疲労感が身体中にまとわりつくようだ。「やっぱり、今日はこのへんで切り上げましょう」
その言葉を聞いて、和也と小海の眉が開いた。やはり、めんどくさかったのね。申し訳ないことをしたわ。正直、「エイリアン」と聞いて気が狂っていた。
階段を下りながら、「もうちょっと情報を集めてから行動すべきだったわね。無鉄砲にもほどがあったわ。全く、頭が悪く見えるわ」と今日歌と今後について話し合う。
昇降口で、映研の三人とも合流した。いったい、何をしていたのか、何故、第四理科室に来なかったのか、問い詰めると、彼らは責任をなすりつけあうように顔を見合わせてから、代表するかたちでマミが「実は私たちも、エイリアンを目撃したんですよ」と指を立てた。胡散臭さが目に見える。「同時に、会長さんから通信が入って。どうしようか迷った結果、エイリアンを追うことにしたんです」
「あなた達、ずっと三人で行動していたの?」
先程の「それじゃあ私はこっちを探すから、あんた達はそっちね!」という指示は演技だったのか、と猜疑心が再び芽生えてくる。
「ええ、まあ」マミの目が泳ぐ。優子は右斜め上に目を向け、必死で言い訳を探しているようだ。士郎はというと、カチンコでカチカチと遊んでいる。
言い訳を聞く前に、美園はその場から立ち去っていた。荷物を取りに、一度生徒会室に戻り、帰るつもりだ。映研が何を企んでいるのかは判らないが、彼らがよからぬことを企んでいるのは確かだ。これからは気を張って行動しよう。
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校内警備〜エイリアン目撃〜追跡。 | ||
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