IS  バニシングトルーパー α 004
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 Stage-004

 

 

 

 初めて使用人の部屋に入った時に、ちょっとは驚いたものだ。

 とにかく狭いの一言だった。

 腕を伸ばせば手が壁に当たってしまいそうなくらいの広さ。

 机やベッドはわたくしが使っているのの半分くらいしかなく、クローゼットも小さいのが一つだけ。

 こんな空間だけで生活なんて、わたくしには絶対無理。

 ――などと思っていたものの、いざ馴染んでみると、このコンパクトな空間が妙に居心地がいい。

 

 「あいかわらず、汚い字ですこと」

 狭いけれど綺麗に片付けられたベッドの上に寝転がり、わたくしは一冊のノートを適当に捲っていた

 味気のない白いシーツだけれど、曲りなりにもオルコット家が使用人に出す備品。肌触りは悪くない。

 しかし次の瞬間に抗議な声と同時に、ノートを奪還しょうとする人物の両手が視野に現れる。

 

 「勝手に見るな!」

 「少しくらい、別に良いではありませんか……あっ!」

 体を転がしてと壁の方へ逃げようとしても、手の中にあるノートはすでに掴まれて、一瞬で取り戻されてしまった。

 顔だけ振り返り、かなり嫌そうな表情をした少年の顔が目に入る。

 

 「昼間から使用人の部屋で寛ぐなよ」

 小さなため息をつき、少年はノートを引き出しの奥に戻す。

 彼が勉強の時につけたノートだが、どうやら自分の筆跡が汚いのに自覚しているようだ。

 

 「本当に幻滅したよ。高嶺の花だと思っていたお嬢様の正体が、こんなだらしないやつなんて」

 「好きにしていいと言ったのは、あなたではありませんか」

 「社交辞令って知ってる?」

 「使用人の分際で主に口答えするんじゃありません。いいでしょう、別に」

 「最近厨房に行くといつも二人分のお茶とお菓子が置いてあるし、チェルシーさんには多分もうばれてると思うよ」

 「それは本当ですの?」

 厳しい鬼メイドの名が耳に入ると、思わず飛び上がる。

 狭くとも思いっきり怠けるこの最後の楽園まで知られたら、これからはどこでゴロゴロすればいいのだ。

 

 「面と向かって言われたわけじゃないけど、多分。チェルシーさん、勘が鋭いから」

 「ちょ、どうにかしなさいよ!」

 「真面目に稽古すればよいのでは? 少なくとも俺はチェルシーさんに逆らえないよ」

 「使えませんわね。もういいです」

 行きたくないものは行きたくない。

 わたくしはもう一度ベッドに寝転がり、彼に背を向けた。

 

 「とりあえず昨日みたいに、何か面白い話をしなさい」

 「人の苦い思いでを面白いと評する辺り、あんたも大したやつだよ。でも俺、もう仕事に行かないと」

 背中から、彼のちょっと困ったような声が届く。

 強引に付き合わせたせいで、彼の庭掃除仕事はもう遅れているのでしょう。

 

 「どうしても行かないと行けませんの?」

 「いけませんよ。給料を頂いてるんだから、働かないと」

 「ご立派ですこと」

 机に並んでいる本を眺めながら、わたくしは部屋から出ようとする彼に手を振って見送る。

 その給料を払っている立場なのに、会話の相手すらして貰えないというのはどういうことかしら。

 むしろこっちが雇い主なんだから、命令する権利があるはず。

 

 「そうですわ! ちょっとお待ちなさい!」

 なんですぐに思いつかなかったのかしら。

 急いでベッドの上から飛び降りて、わたくしは彼の腕を掴み、部屋の中まで引き戻す。

 

 「痛っ!!」

 「主として命令します!」

 彼の頬を掴んで正面に向けさせて、大声で言った。

 

 「あなた、今日からわたくしの稽古相手になりなさい!」

 

 

 

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 「お嬢様?」

 静かな長い廊下で、チェルシーは主の部屋の扉をノックして、彼女の名を呼んだ。

 朝の日差しが窓ガラスから差し込み、木の上に止まった鳥が囀る。

 せっかくの気持ちのいい朝なのに、チェルシーのテンションはどうしても上がらない。

 三十秒ほど待っても、部屋の中から返事は聞こえない。

 

 「……入ります」

 僅かに眉を顰めてため息をつき、チェルシーはノブに手をかけて勝手に入室する。

 鼻を刺激する消毒水の匂いが、部屋中に漂っていた。部屋の中央にあるお姫様ベッドの上に、上半身だけ起こしたセシリアがいる。

 頭と腕に巻かれていたはずの包帯がいつの間にか外されて、床に捨てられている。そしてセシリアは虚ろな目で、窓の外を眺めていた。

 

 「朝食をお持ちいたしました、お嬢様」

 ここ数日では見慣れた風景だから、あえて何も言わずに穏やかな笑顔を作り、持ってきた朝食をテーブルに並べてセシリアの手元まで運ぶ。

 温かいパンと新鮮な果物が、人の食欲をそそる。

 

 「……ありがとう」

 その時に初めてチェルシーの入室に気づき、セシリアは紅茶を一口含んだ後、カップをテーブルに置いた。

 襲撃事件から既に一週間が経った。

 ISの防御機能のお陰で、打撲だけで済んだセシリアは医療施設で簡単な処理を受けた後、すぐに家に帰ることが出来た。

 もっとも、オルコット家の人脈がなければ、セシリアは今頃まだ情報封鎖のために帰ってこれてないかもしれないが。

 専用ISについては、いきなりの実戦データを元に改良、修理することになったのはいいが、事件の真相については、正体不明のテロリスト襲撃という一言で済まされた。

 しかしそれのせいか、それともオルコット家のアルバイトが行方不明になったせいか、帰ってきたセシリアは酷い無気力状態になってしまった。

 

 「……どうでした?」

 摘み上げたぶどうを見つめながら、セシリアは独り言のような小さな声で呟く。

 そして“何か?”と聞くほど、チェルシーは鈍くなかった。

 

 「申し訳ありません。まだ何も……」

 「……そう」

 セシリアは淡々とした口ぶりでそう返事して、ぶどうを皿の中に戻した。

 ここ毎日、同じ質問には同じ返事が返って来る。

 それでも次の日には、あの無断欠勤中のアルバイトの行方をチェルシーに聞いてしまう。

 あの日、一緒にお昼を食べる約束をしたきり、彼の姿は消えてしまった。

 

 遭難者リストに彼の名前は見当たらないし、生存していたら連絡が来るはず。しかし独自の情報網をフル稼働にしても、未だに有用な情報が入ってこない。

 何からの事件に巻き込まれた可能性を否定できない。

 そう思うと、不安で不安で仕方がない。

 

 「お嬢様。今日は天気もいいですし、外でお散歩してきてはいかがですか?」

 ネガティブ思考に陥り始めたセシリアに、チェルシーは気分転換を提案して、部屋の窓を開けた。

 少し寒い空気が部屋の中に入り込み、パジャマ姿のセシリアは思わず背筋がぞっとして、布団の中に逃げ込む。

 

 「ちょ、お嬢様……?」

 「体調が優れませんので、予定をキャンセルして頂戴。書類はすべて書房へ」

 外の空気から自分を守るように布団を頭まで被り、体を丸める。

 布団の外からチェルシーの呆れたようなため息と呼び声を聞こえたが、あえて無視した。手の甲が触れた自分の髪を嗅いでみると、もう香りがなくなっている。

 もう何日も手入れをしていないんだから、それも当然かもしれない。

 

 寒い。

 温かい布団の中に居ても、寒冷に体中が襲われて、思わず自分の体を抱きしめる。

 愛用のリップグロスを取りに行く気になれず、乾いた唇を舌で舐め濡らす。

 

 寂しくて、悔しい。

 彼を屋敷で留守番させていたら、こんなことにならずに済んだのに。

 それなのに、二人っきりでお出かけなどと、浮かれてた一週間前の自分を平手で叩きたい気分だ。

 意識がうだうだとしてきて、彼の姿が思い浮かぶ。

 寝言のような、曖昧の声が喉の奥から出す。

 

 「クリス……」

 今はただ、彼の顔をもう一度みたい。

 いつものように無駄話をして、あの人を小ばかにしたような笑みが見てムカついて、ふくらはぎを蹴ってやりたい。

 話したいこと、まだ一杯あるというのに。

 

 「お嬢様……気持ちは分かりますが、せめてベッドから出てきていただけませんか?」

 「……うん」

 気のせいか、すぐ側から聞こえたチェルシーの声はさっきと違って、妙に嬉しそうだった。

 一応返事だけをすると、今度は別の人の声が布団越しに伝わってくる。

 

 「おいおい、いつから引き篭もりになったんだよ」

 「……放っといてください」

 「そうか。最後に顔くらい見ておこうかと思ったけど、残念だ」

 「何の話……ってあなた!!」

 ベッドの上から天井まで飛び上がる勢いで、セシリアは布団から飛び出して、裸足のままカーペットの上に立った。

 パジャマだけという薄着の自分を襲う寒気に構わず、その聞き覚えのある声の元へ視線を向ける。

 

 「おはよう。一週間ぶりだな」

 チェルシーの隣に立って朝の挨拶をする銀髪少年の顔が、視野に飛び込む。

 その正体を見定めた瞬間、涙が出そうになった。

 

 「あ、あなたは……!」

 どこかでサバイバルゲームでもして来たような格好をした、クリスだった。

 一週間も行方不明だった彼が、側に戻ってきてくれた。

 思わず彼の頬へ指でつねって、幻想ではないかと確かめる。

 

 「ちょ、おい、やめろ」

 クリスの頬が変な形へ変化していくのと共に、温かい手触りが伝わってくる。それに反撃するように、クリスもセシリアの頬に手を伸ばして、面白い形にかえていく。

 ちょっと痛い。

 嘘でも幻でもない。

 この淑女に対して無礼かつ非紳士的なリアクション、間違いなく彼だ。

 そう確定した瞬間、セシリアはクリスの首に両腕を回して――力の限り抱きしめた。

 

 「うおおっ……?」

 抱きついてくるパジャマ姿のセシリアを受け止めた衝撃で、倒れそうになったクリスは片手を壁について、何とか体勢を保つ。

 ただ体重をかけてくるセシリアは何も言わずに、両腕に力を篭めるばかり。そのせいで息苦しくなっても、とりあえず我慢することにした。

 両手でセシリアを抱き返して、彼女の後頭部から背中まで優しくさする。

 抱き合う二人を見て、チェルシーは苦笑いを浮かべながら窓を閉めたあと、音を立てずに部屋から出て行った。

 

 「連絡できなくて、すまなかった」

 二人っきりになった部屋で、クリスはセシリアの耳元に囁くように、小さく詫びた。

 クリスの肩に頭を乗せたセシリアは表情を見せずに、ただ微かに頭を横へ振った。

 もういいのか、それとも絶対に許さないか。どういう意味かがよく分からない反応だったが、気にしない。

 セシリアにまた会えたのが、堪らなく嬉しい。

 だからひたすら抱き合うという形で、会いたかったという気持ちを伝える。

 セシリアの体はちょっと熱っぽいなくらいに温かくて、柔らかくて、相変わらず独特な淡い香りを発散していた。

 でも一週間ぶりのセシリアは、少しやつれたように見えた。

 それが心を穴が開いたように痛ませる。

 もっと強く、強く彼女を抱き返した。

 できるものなら、二度とこの子を離したくない思いをこめて。

 

 「ああ――!!」

 そう思った矢先に、腕の中のセシリアは急に暴れ出した。

 いきなりクリスを拒絶するように突き飛ばして、慌てて鏡の前まで駆けつける。そしてその中に映った自分の姿を見た瞬間、硬直した。

 

 「で、出て行ってください!!」

 「はっ!?」

 次の瞬間、セシリアは顔を隠すように深く伏せて、大声を出してながらクリスの背中を押し、部屋から追い出そうとする。

 歯も磨いてなく、顔も洗っていない。自分はパジャマ姿のまま、男に抱きついてしまった。

 淑女にあるまじき行為だ。

 

 「いいから、出て行ってください! 今すぐ!!」

 「おい、ちょ、ちょっと!」

 訳を聞く暇もなく、クリスは廊下まで押し出された。バタっとドアの閉められた音がした後、部屋中から慌しい足音がクリスとチェルシーの居る廊下まで響く。

 クローゼットのドアを開く音。お湯で顔を洗う音。愛用のアクセサリーが箱から床にぶちまけられた音。

 どうやら部屋から出てくるまで、しばらく時間がかかりそうだ。

 

 「あまり余裕はないんだけどな……」

 廊下の時計を横目に、クリスは苦笑いを浮かべて、隣のチェルシーへ向きなおす。

 

 「必要な荷物は持っていきますので、残したものは申し訳ないけど、処分しておいてください」

 「……説明はまた頂いておりませんが」

 見つめてくるチェルシーの目は、厳しいものだった。

 感情を隠すのが上手な彼女は今、明らかに怒っているように見える。まるで、おいたをした後さらに嘘をついた弟を叱る姉のようだ。

 

 「もっといい仕事を見つけたから、出て行くだけです。いきなりで本当に悪いんですけど」

 その目に精神が一瞬で屈しそうになり、慌てて自分の目を逸らす。

 

 「もっといい仕事というのは?」

 「き、機密保持義務がありますので」

 「行方不明になって、いきなり帰ってきて、それでいい仕事が見つかったからまた出て行く。それを私に信じろと?」

 「いや……」

 勢いが弱まっていくクリスと対照的に、チェルシーの口調はきつくなる一方。

 仕事の教育係りとして知り合って以来、この人に逆らえた試しがない。

 なんせ、この人は基本的に正論しか言わないし、勘が鋭い。

 

 「で、でも本当のことなんです。これ以上ここに居続けるのは……」

 「ですから、説明を聞かせて頂戴」

 「その辺はですね……」

 詳しい事情を聞かれて、クリスはすぐに言葉を濁す。

 本当のことを知ったら、彼女はきっと力を貸してくれるんでしょう。

 しかしオルコット家まで危険を及ぼす可能性を考えると、やはり事実を伝えることなどできない。

 

 「……」

 しばらくの静寂。

 無言に、チェルシーは威圧の瞳でプレッシャーをかけてくる。そして身を縮めながら、クリスは沈黙を徹する。

 あの意味、彼女は雇い主より手強い難関である。口をあげた瞬間に白状してしまいそうだ。

 やがて扉の向こうから、チェルシーを呼ぶセシリアの大声が聞こえた。

 

 「……私には、貴方を止める権利はありません」

 諦めたように鋭い目つきを一旦止めて、チェルシーは小さくため息をつきながら踵を返した。

 

 「ですが、お嬢様にはどう話すつもりです?」

 「それは……」

 「お嬢様を悲しませるものはたとえ貴方でも、許しませんから」

 静かにドスの効いた声でそれだけを言い残して、チェルシーはセシリアの部屋に入って行った。

 ドアが閉まり、部屋の中から二人の小さな話し声が響いてくる。

 

 「……」

 目を窓の外へ向けて、クリスは頭を抱える。

 今この場所の近くには、ゼウス機関のSPたちがいるはず。そしてさっきまでの会話も、傍聴されたと考えるべきだろう。

 だから本当の事情は話せない。

 でもセシリアを納得させないといけない。

 

 「どうすりゃいいんだよ……」

 数少なくはないはずの脳細胞を動員しても、答えが出てこなかったクリスだった。

 

 

 

 しかししばらく待ってもセシリアは出てこなかった。ドアの前でずっと待っても仕方ないし、とりあえず外に出ることにした。

 三年間ずっと生活してきた屋敷の玄関から出て、お馴染みの庭をゆっくり歩く。

 ハーブの香りと鳥の囀りは一週間前のと、何も変わらない。

 だが一週間ぶりに何もかもすべてが懐かしくて、居心地が凄くいい。

 ふと森の入り口に聳え立つ、記憶にある大樹を見かけて、思わず歩み寄って手を伸ばした。

 

 よく登っていた樹だった。

 荷物の入ったバッグを根元に置き、過去の思い出に耽りながら、その枝を仰ぎ見る。

 上まで登れば、セシリアに邪魔されずに本を読める。

 下からこっちを見上げながら拳を握り締めるセシリアの様子は、実に気持ちのいいものだった。

 

 「あいつ、淑女に相応しくないからって、樹を登らないからな……」

 「み、見つけましたわ!」

 丁度、樹から去ろうとして手を離した瞬間に、後から伸ばしてきた誰かの手によって、クリスは拘束される。

 荒げた息遣いと共に、後から少女の慌しい言葉が耳朶を打つ。

 振り返ってみると、パジャマから普段着に着替えたセシリアが、大変ご立腹な目で睨みつけてきた。

 その息の切らした様子から見ると、恐らく屋敷から走ってきたのだろう。

 

 「どうしてちゃんと部屋の外で待ってくれませんの!? まだ消えたのかと心配したではありませんか!!」

 肩を上下させて白い息を吐きながら、セシリアは眉をきつく吊り上げてクリスを咎める。

 

 「……すまん」

 別に心配させるつもりはなかったと弁解するつもりだったが、なぜか出てきたのはこの言葉だけだった。

 

 「まったく、使用人の分際であまり心配させないで頂戴!」

 「ごめんな。心配させちゃって」

 「べ、別に。ただの言葉のあやです。それより屋敷に戻りますわよ。仕事も溜ってることですし、暢気に散歩なんかしてる場合ではありませんわ」

 「あ、えっと、それなんだけど……」

 「なんですの、そのお荷物。古い衣装を処分しますの?」

 「そうじゃなくて……」

 「そう言えばこの一週間、どこに行ってましたの? きちんと説明して頂かないと、減給しますわよ?」

 クリスを屋敷へ連れ戻そうと手首を離さないセシリア。そしてなかなかに話しを切り出せないクリス。

 

 「待て、セシリア」

 やがて決心したような顔になり、クリスはセシリアをその場に引きとめて、正面を向けさせる。

 誤魔化しきれなくても、無理やり誤魔化すしかない。

 「ちょっと話を聞いてくれ」

 不思議そうな目をしたセシリアの顔を見て、一瞬躊躇した後に唇を動かす。

 

 「急で悪いけど、俺、もう出て行くから」

 「許可しません。今日はもうどこにも行かせません」

 きっぱりそう言い捨てたセシリアは、彼の言葉の意味を理解していない様子だった。

 

 「そうじゃない。俺はその……ここの仕事、やめるから」

 「……えっ?」

 「別の仕事を見つけたんだ。だからここから出て、新しい場所で働く。そういう意味で言ってるんだ」

 「……な、何の冗談ですの?」

 自分の耳かクリスの頭かどっちがおかしくなったと疑わんばかりの表情で、セシリアは顔を曇らせて、目を大きく見開く。

 信じられない。それが本当なら絶対に納得できない。

 セシリアの目は、それに似たようなことを言っている気がする。

 

 「冗談じゃないんだ。今日は荷物を取りに帰ってきただけだ。ここにはもう帰ってこないし、お前との連絡もしない」

 クリスは無表情な顔して、真面目な目で彼女を見返すしかない。

 ここで笑ったら、いつものように冗談で済まされるのだろう。

 それができたら、どんなにいいものか。

 

 「帰ってこないって……どういう意味ですの!」

 「言葉通りの意味」

 「ちゃんと理由を説明しなさい!」

 「……ごめん」

 「ごめんじゃわかりません!!」

 案の定、セシリアは怒り出したが、そこは冷静に対応していくしかない。

 

 「ごめん。説明はできない」

 「給料を上げて差し上げます。それでいいでしょう」

 「そういう問題じゃない。もう決まったことなんだ。……わかってくれ」

 数分間の見詰め合い。

 重い沈黙が、二人の間に静かに流れる。

 セシリアはクリスの真剣な顔を見て、荷物の入った鞄を見て、地面を見る。

 やがてクリスは本気だと理解した彼女は、深く傷付けたように下唇を噛み、大きな瞳にしずくを溜め始めた。

 

 「ちょ、泣くなよ……」

 女の涙には強い男はいない。

 慌ててセシリアの涙を拭こうと手を伸ばして、すぐに振り払われた。

  

 「さ、触らないでください!」

 セシリアは顔を伏せて、片手で涙を拭く。そう言いながらも、もう片手はクリスの手首を掴んだまま離さない。

 気の強い彼女でも、心にはこういう脆い部分がある。

 それをずっと見てきたクリスにとって、一番守ってやりたい部分だった。

 しかしそこに突いたが自分である以上、どうすることもできない。

 

 「この、くそ男……!」

 小刻みに肩が震えるセシリアの口からだとは、とても信じがたい言葉が出てきて、次の瞬間に彼女はローキックをかましてきた。

 「痛いっ!」

 脚に直撃したセシリアのキックは、地味に威力があった。そしてクリスが悲鳴を上げたのと同時に、セシリアは彼の手首を掴んだ手を乱暴に振った。

 

 「もう知りませんから! どこへでもお好きに! 後で後悔してもこのオルコット家の敷地には絶対に……絶対に一歩も入らせません! ふんっ!!」

 「おい、セシリア!」

 身を翻して立ち去ろうとするセシリアの手を掴み、今度はクリスが彼女を引き止める。

 

 「俺はその、別にお前のことが嫌いになったとかそういうのじゃないし、むしろお前のため出て行くというかなんというか、最終的には戻るつもりだし……」

 何か言いたいのかを上手くまとめられず、クリスは口をぱくぱくさせて断片的なことを呟く。

 昔からいつもそうだ。

 セシリアの涙を見ると、どうも冷静には居られない。

 だから最後にセシリアを傷付けたことに対して、何かお詫び的なことがしたいだけ。この思いは頭も体も熱くして、やがて喉から出てきたのは、突拍子もない一言だった。

 

 「だからいつかお前の側に戻ってこれた時は、俺とその……け、けけけ、結婚してくれ!」

 言ってしまった。

 将来いつかは、若気の至りと笑って語れる日が来るかもしれないけど、リアルタイムでは穴があったら入りたいくらいの一言を。

 真っ赤な顔に硬い表情を浮かべて、森の奥まで響き渡る大声で。

 

 「俺、お前のことずっと好きだったしな。はは、はははは……」

 乾いた笑い声を発しながら、クリスは照れ隠しというより自爆行為を続行する。

 一度リミッターを外した以上、行けるところまで行ってしまうお年頃だ。

 

 「……今の言葉は、どういう意味ですの?」

 「言ったまんまの意味に決まってるじゃないか」

 「本気ですの? その意味をちゃんと理解していて?」

 「もちろん本気だ。冗談でこんなこと言うわけないだろう」

 震える声で問いかけてくるセシリアに、クリスは肯定的な返事を返し、セシリアの手をゆっくりと離した。

 これで逃げられたら恥かしくて灰になれるレベルだ。

 

 「身勝手だと思いませんの?」

 「思う。セシリアから見れば今の俺は最低の男かもしれない。でも俺、ちゃんと頑張るから、だからその、お前には……むっ!?」

 言葉を言い終わる前に、クリスは声を発する権利を奪われた。

 唇を塞いだ、柔らかくて甘い物体によって。

 視界を全面占拠したのは、桜色に染めたセシリアの可愛らしい顔。

 

 「……?!」

 セシリアとキスをしている。

 この事実を認識するには、そう時間が掛からなかった。

 

 ファーストキスだった。

 その相手は今一番好きな女の子。これほど嬉しいことは他にあるのだろうか。

 嬉しさと気恥ずかしさの交えたような気持ちに駆られて、思わずセシリアの華奢な体を力いっぱいで抱きしめた。

 彼女の体はこんなにも柔らかくて、力を入れたら壊れてしまいそうだ。一瞬、それでセシリアの唇から声にならない呻きが漏れて、すぐに力を緩める。

 そしてこの唇が触れるだけの初々しいのキスを、長々と交わし続ける。

 

 これは、セシリアのオッケーサインだと受け取っていいだろうか。

 ふとこの疑問が浮かび上がった瞬間、セシリアはクリスからゆっくりと身を離す。赤いリンゴのような頬に嬉しいような、怒ってるような複雑な表情を浮かべながら、クリスの首へ両手を回した。

 

 「ずるい男です。もう怒れないではありませんか」

 「ごめん。でも本気だから」

 「分かっています。ですがわたくしはもう簡単にはあなたを信用しません。ですから、五年だけ待ちます」

 「五年?」

 「はい、五年間だけ、あなたを待ちます。わたくしの十八歳誕生日までに帰ってきて、もう一度さっきの言葉を聞かせてください。……ちょっと、首を動かないように」

 何か長い帯状のようなものを、セシリアはクリスの首に回してつける。

 

 「そうすれば、プロポーズをお受けいたします。今のキスは、そういう誓いです」

 「そうだったのか」

 「ふぁ、ファーストキスでしたのよ。あなたが相手ならと思って……」

 「俺だって、さっきのが……」

 二人の言葉、どっちも途中から蚊のような声になり、聞き取れなくなった。

 

 「き、期限が過ぎても帰ってきてくれないのなら、あなたのことを綺麗さっぱり忘れますからね!」

 「わかった。遅刻しないようにする」

 「浮気もしてはいけませんよ?」

 「しないよ。俺はセシリアだけだ」

 「あなたって浮気しそうな性格ですから、釘を刺したまでです。はい、これで大丈夫ですわ」

 「何だ、これは」

 セシリアが自分の首に巻いたものを、指で触って確かめると、革と金属の触感が帰ってきた。

 首輪かチョーカー類のアクセサリーのようだ。

 

 「少し早いですけれど、誕生日プレゼントです。因みに刻んだのはわたくしの名ですから、これはあなたはわたくしだけのものである証明でもあります」

 「マジか」

 時期的にもうとっくに用意してあったようだが、元々はどうするつもりだったんだ、とクリスは苦笑いを浮かべつつも、特に悪い気はしない。

 そんな彼を満足した目でしばらく眺めた後、セシリアはもう一度唇を彼の顔に寄せた。

 

 今度は、頬だった。

 触れるだけのキスを、一瞬で済ませた後すぐクリスに背を向けた。

 

 「……約束、絶対に忘れないで下さい」 

 柔らかい声でそれだけ言い残して、セシリアは屋敷に向かって、早足で走り去っていった。

 樹の下に、呆然とするクリスだけを残して。

 

 「やられっぱなしだった……」

 もう声が届かないセシリアの後姿を見送りながら、クリスは自分の頬のキスされたところにそっと手を当てた。

 二回共セシリアからの奇襲だったのが少々悔しいが、嬉しさで心臓がパンクしそうだ。

 五年内に決着をつけて戻ってくれば、セシリアを自分の妻にできる。

 ビアン博士だろう秘密組織だろうと構うものだ。五年内にすべての決着をつけてここに戻れば、セシリアとずっと一緒に居られるのだ。

 それも無力な使用人としてではなく、彼女を守る男として。そしてセシリアが十八歳になったら、ISともおさらばできる。

 その先にある幸せを想像すると、何でもできる気さえしてくる。

 

 「よしっ! やるぞぉぉぉ!!」

 広い庭の中、クリスは最高の気合を入れた叫びを上げたのだった。

 

説明
「IS インフィニット・ストラトス バニシング・トルーパー」のリメイクです。
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タグ
凶鳥 ビルトシュバイン ヒュッケバイン バニシング・トルーパー ゲシュペンスト インフィニット・ストラトス OG IS 

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