ファインダーのその向こう
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『はぁ…はぁっ…』

『っ!』

闇。果てしない漆黒の空間。ここがどこなのか、ううん、目の前に何があるのかも分からない。

『……っひ!?』

ただ、分かっていること。それは、わたしを追うモノの存在。彼らの放つ存在感だけは、この漆黒の中でも解かる。それらが目には見えない恐怖と、確実に迫ってきているという事実に、わたしは圧し潰されそうになる。

『ちょっとだけ、ほんのちょっとだけアレを見に行こうと思ってただけなのに、ほんのちょっとなのに…』

何かを考えていなければ、多分わたしは終わってしまう。諦めたら最後、還ることもアレを見ることも出来ない。後ろから、轟音が響く。近い。多分、もうわたしのすぐ後ろにいるんだ。

もう、ここで終わりなのかな。ここで、死んじゃうのかな。無意識に、負の方向へ傾く。考えちゃ駄目なのに、頭が言うことを全然きかない。おとうさんと、おかあさんと、おねえちゃんの言うことを聞かなかったから、きっと罰が当たったんだ。みんな、危ないからと止めてくれたのに、行ってしまったわたしが悪いんだ。

「…ごめんなさい」

不意に、こぼれる。誰に投げかけたのかも分からないそれは、この闇の中では何にもならない。むしろ、彼らにわたしを知られてしまうだけだ。

「ごめんなさい…ごめんなさい…っ!」

意味がないことは分かってる。でも、何かにすがりたいという気持ちが、勝手に言葉を放たせた。

彼らの存在感が近くなっているのがわかる。多分もうすぐ後ろ。さっきまでのとは比較にならないほど、近い。

持っていた微かな望みも、儚く散った。

「…いやだよぉ…死にたくないよぉ…」

「助けて…誰か…助けて…っ!」

届かないその言葉は闇に消え、流れたであろう涙も、この闇の中で輝くことはなかった。

「……誰か………」

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           −ファインダーのその向こう−

 

 

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「はぁ……」

本日5回目の溜め息。行き場のない思いが、一人だけの空間に広がり、消える。単刀直入に言うと、やることがない。休日が長くなっただけの夏休みに、何か特別なことをやれなんて、大人はすぐに無理を言う。もちろん、特別なことがあるのならば俺だってやる。しかし、特別なことが起きるのは、大抵お金持ちか、都会住みとか選ばれたごくごく少数だ。こんなど田舎に住んでいる俺の身に何が起きるというのだ。

「児島で特別なことなんてあるかよ。」

俺の生まれ故郷である児島には、動物園とか水族園とかの動物と触れ合える場もなければ大きなショッピングセンターもない。唯一山の上に遊園地があるのだが、この年のもなって、しかも地元の遊園地になんて行く気になれない。

唯一今年のの楽しみと言えば……

「カメラ買ったことか。」

携帯とかで写真を撮ることが割と好きだったから、今年ついにカメラを買ったのだ。まだ真新しさは残っているものの、この夏休みの半分、何を隠そうこのカメラと過ごした。何気ない場所でも、ファインダーを通して見てみると、案外知らないことが多い。先ほど、児島は何もない場所だと言ったが、写真の素材となるような場所であれば、海もあるし、山もある。ある程度雰囲気のある町並みもちらほら。風の道っていうファンタジックな場所なんかもある。

それでも、特別って程に特別ではない。よくある小さな幸せとか、その程度の変化だ。違う一面を見る事が出来るのは確かに楽しい。しかし、大人の言う特別の度合いが10だとすれば、今している撮影は盛っても4くらいだろう。

 ゲームとか、アニメとかの夏休みだと、このあたりで何か特別なシチュエーションでイベントが起きるのが定石だ。”高校生の夏休みは一回しかないんだぜ!”とか、”あの出来事が、私の夏を変えた−−”なんて台詞で始まるとんでもストーリー。しかし、なんたって俺は現実の人間だ。朝起きたら、布団の中に女の子が寝てるとか、物干竿に修道女が引っ掛かってるとか、そんなことは起きるはずがない。

「妄想しても仕方ないな。今日は港に行ってみるか…。」

しかしながら、人は、しばしば願う。現実になることは絶対にないと分かってはいるが、願わずにはいられない。

ほら、よく言うだろ?宝くじは買っても大抵当たらないが、買わなきゃ当たらないって。

わずか1%未満の可能性でも0%じゃないと自己暗示をかけながら、無駄な事を願い続けるんだ。人間、”絶対”なんて言い切れる人は居ない。

かと言って、そんなちょっと格好つけた事を言っている俺自身も、若干の期待はしている。可愛い女の子が、気づいたら添い寝してるとか、オドオドした幽霊少女と出会うとか、猫耳少女が入った段ボール拾うとか、街角でパンを咥えた子とぶつかるとか。そんなくっだらないことばかり考えている。そして、もちろん俺自身それが実現するなんて思っていない。これで思っていたらいよいよ危ない人間だ。でも、それによって心が少しでも豊かになるならいいじゃないか、誰にも何もしていないんだし。

 家から港までは、それほど遠くない。まぁ、港といってもちいさな市場がちょこんとある程度なのだが。しかし、そこから見える海は好きだ。晴れている日は、はっきりと瀬戸大橋も見えるし、少し霧の出ているときは、橋からの光がぼんやりと見える。

「ん?」

沢カニだ。

「今日は、生き物でもモチーフにしてみるか。」

この辺りには、引き潮のときにだけ、三角形の砂浜が現れるちいさなポイントがある。エンジェルロードのように広くなければ、大型の船とか、工場とか、無機物ばかりで全然ロマンチックですらないが、思わぬ発見のある、小さな穴場だったりする。

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「……ん?」

先客が居た。こんな場所に人が居るのは珍しい。俺は穴場だと思っているが、工場と港とパチンコ屋に囲まれているこの風景は、決していいとは言えない。しかも、もうちょっと歩けばもっといい浜だってある。

まぁ、いいか。あんまり気にしない……し?

 人は、しばしば願う。現実になることは絶対にないと分かってはいるが、願わずにはいられない。だからこそ、例え願っていたとしても、願っていた事が実際に起こってしまったとき、人は、声すらあげられなくなる。

絶望やら不幸やら言ってる状況じゃない。言ってる奴が居たら、多分それはその状況を楽しんでいる、もしくはカラクリを全て知っているかのどちらかだ。実際本当に予想外の事態に直面してしまうと、現状整理すらしている暇がない。

「ちょっと待てよ……ちょっと待てよ……」

ふと、先ほどの妄想が蘇る。これは、俺がくだらない事を願ってしまったせいなのか?1%未満の可能性が起きてしまったのか?いやいや、そんな事はない。妄想なんて今に始まった事じゃ……。それでも、自分のせいじゃないと思えない自分が居る。これも、絶対と言い切れない人間の特徴なのか……?

 蒼天の元、蝉の声と汽笛が響く。文章にすると何とも不思議な光景だろうが、今の俺の頭の中にはその二つの音意外感じる事はなかった。そして、俺の視線の先。小さな三角浜辺のそこに、銀髪の少女が、横たわっていた。

 

 

 

 

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「はぁ……。」

本日6度目の溜め息。

後悔しているわけではない。寧ろ、この状況を喜ぶべきなのか?いやいや、それはそれで不謹慎だ。倒れている女の子をそのままお持ち帰りなんて――。

 

 ―――さて…どうしたものか……。

流石にずっと混乱するほど、俺の脳は馬鹿じゃない。

現状を整理しよう。浜辺には、横たわった女の子。年齢は、10歳から13歳と推測される。他に何もナシ。争った形跡、ナシ。外傷なし。スク水、アリ。猫耳、アリ。尻尾、アリ。

と、言う事はだ。現状を端的にまとめると、”猫耳尻尾で、スク水の幼女が、浜辺で一人倒れている。」

ほぉ。

この状況にして、我ながら最善の状況分析だ。

…………。

ん?

自分で分析しておいてあえて言うのも変だが、おかしな単語が所々に配置されている。

そう思っていた時既に遅し。全ての解は、この目が至極丁寧に説明してくれた。

「おいおい……まじかよ。」

おそらくこの分析を聞いた奴は十中八九馬鹿にするだろう。仕方がない。そんなふざけた分析をする奴が目の前に居たならば、俺でも馬鹿にする。だが、今回は違う。確かに、スクール水着を着た猫耳でご丁寧に尻尾までつけた幼女がそこにあるのだ。追記しておくならスクール水着は白だ。白。マニアックってモンじゃないぞ。確かに、ごくまれにこの町でコスプレイベントとかもあったが、今日はその日じゃないしそもそもそう頻繁にあるイベントでもない。

この、何の変哲もない小さな港町に、突如現れた濃厚コスプレ幼女。各作品の主人公もビックリな展開だ。

だが、悠長にしている暇もない。例え変な子だとしても、倒れているのに変わりはない。さらに、悪条件が重なっている。と、言うのも、この浜は、満潮になると完全に陸地がなくなる。期間は一週間に一度ほどのペースなのだが、不幸にも潮が満ちるのは、今日、夕時だ。

「やっべぇぞ……」

兎にも角にも、先行すべきは、現状で考えられる最悪の事態を回避する事だ。

浜から上までは、若干の高さがあるものの、小さな女の子一人上げるのに苦労する高さではない……。そう思うしかない。実際は、結構な高さがある。正直、救出できる保証はない。だが、ここで見過ごせるほど、強靭な精神の持ち主でもない。

改めて、彼女の小ささを感じながらその華奢な体を持ち上げる。

「軽いな……。」

比較対象ないから何とも言えないが、軽い。女の子ってこんなの軽いのか。あと、やわらかい。

これはもしやチャンスなのか?……なんて思っている場合ではない。

思いのほか、上にあげるのは苦労しなかった。おいおい、こんなにあっさり事が解決してもいいのかよ。いや、何事もなく終わって悪い事なんて一つもないが。とも感じたが、問題はこの後だった―――。

 

 

 ―――なんて考えているそばで、スヤスヤと寝息を立てる猫耳コスプレイヤー。

家に連れ、改めて彼女の容態を確認したときは、正直これ以上ない安堵を覚えた。

あの後、彼女をどうやって家まで連れて行くかに大変悩んだ。そう、ただ気を失った少女なら何も問題はない……わけではないが、そこまで重要視するまでもない事だろう。しかし彼女は違う。白スクで猫耳で幼女なのだ。

考えてみてほしい。高校生の男が、白スクの幼女を抱く、もしくは背負いながら道を平然と歩いてるんだ。いくら児島が田舎だからって、いくら近くに海があったって、コスプレ幼女を抱えて歩く奴が居るだろうか。いや、いない。仮にそんな奴がいたとき、貴方ならどうする?俺だったら間違いなく警察を呼ぶ。

帰路の近くには警察署だってあるから、誰かに見つかれば即逮捕になる事間違いない。「おまわりさん!こいつです!」なんて馬鹿なギャグも言っている場合ではない。

極力誰にも見つからないようにしていたときは、いよいよ犯罪者の気持ちも分かった。何かの物音がするだけで、すぐに身構えてしまうし、何もない場所があれほど恐ろしいと感じたことは生まれてこの方一度もなかった。物陰というものがこれほどにありがたいものか、とさえ思った。もう端から見た姿を想像したくもない。それと、それでも勇敢に戦う犯罪者さん。あんたらすげぇよ。見習わないけどな。

 

しかしよくよく考えれば、彼女のしている耳のカチューシャと尻尾を外せば負担は軽減したんだ、という事に、今更ながら気づく。重要な策は後になってやってくるのだ。事件直後は視界が狭くなるとは言うが、まさかここまで気づかないとなると、あのときの俺は必死だったんだろうな、と思う。

「はぁ…この耳と尻尾のせいで俺はどんだけオドオドしたんだ……。」

達成感と脱力感が全身に巡らされている中、おもむろに彼女の耳に手を伸ばす。今まで我慢していたが、この耳を触りたくて仕方がなかった。分かるだろ?是非全国の男性に共感して頂きたい。

「これを取るって発想がなんで湧かなかったんだよ……。」

じっくり見ると、その耳はかなり精巧に作り込まれている。彼女の髪色だけでなく、質まで忠実に再現されている。さらには、

「おぉ、あったかいぞこれ。」

そう、温度まである優れものなのだ。

触り心地も良い。暖かみもある。形状、その他諸々がまるで本物の耳のように感じた。今のコスプレ業界の頑張りに脱帽。

「んん……!」

「ぅぉっと」

不意に彼女から色っぽい声が漏れる。まるで耳に反応しているかのようだ。感情で動く耳と尻尾が海外で売られているらしいが、もしかしたらそれなのかもしれない。

と、冷静に分析していられたのもひと時に過ぎず。ちょっとだけなら、と、絶対に少しでは収拾がつかないであろうお決まりの台詞を心で唱えている自分が居る。

「ちょっとだけならいろんなとこ…触っても…いいよな…」

アニメや漫画なら、ここで天使の俺が出てきて『だめよ俺!理性を持ちなさい!』とか咎めてくれているのだろうが、俺の心に天使は住んでいなかった。悪魔も住んではんではいなかったが、恐らく今の自分自身が悪魔だと思う。

手始めに尻尾から―――。

「んっ……んん……。」

彼女、起きる。俺の手、止まる。

「あれ……ここは……?」

彼女、覚める。俺の手、戻る。

周りを見渡す、猫耳の女の子。そうだよな、いきなり見知らぬ場所で目が覚めたら、誰だって戸惑うだろう。

「あ……。」

目が合う。

急に、俺の心臓が大きくなった。なぜかって?決まってる。俺は今、犯罪まがいな事をしているも同然なのだから。もちろん、全ての行程を知っている俺だからこそ、これは救出だって事が理解できるが、彼女はもちろん、彼女を助けた事を知っている人は誰一人として、いない。そりゃそうだ。俺があのとき人目から隠れるようにここまで連れてきたのだから。くそっ。見つからないという事が裏目に出たか。

 彼女に疑われた瞬間。それが起こった時、それが俺の人生のピリオドだ。こう思えば、俺の人生も盛大なクライマックスで終わるんだなと、しみじみ思う。もう、ヤバいとかヤバくないとか、そんなことはどうでも良くなっていた。

しかし、何度も言うようだが、人は100%とは言い切れず、思い切れない。わずかな可能性を、無意味に信じて、悪あがきをする。

「おじょうちゃん、大丈夫?さっき海で倒れてたんだけど、覚えてる?」

必死の言葉にしてはまともな事が言えたと思う。ここで”さらってないよ!”とか”怖くないからね”とか言うと、かえって相手に疑いの種を植え付けるはめになる。しかし、何はともあれこの後の彼女のリアクションに全てがかかってるのだ。

「おにいちゃん誰?ここは、どこ?」

「俺……僕は、小鳥遊 悠太(たかなし ゆうた)。ここは、僕の家。お嬢ちゃんは?」

「わたしは、みけ。アクーニャ・ミント・ケットシーだから、みけ。……って、あれ?おにいちゃん、耳がない……どうして?」

耳がない?変な事を言う。確かに俺は、彼女のつけているような大きな猫耳なんかつけてないが、流石に人間としての耳はついている。ホウイチの坊さんじゃないんだから。それとも、これは設定なのか?だとしたら彼女、相当な上級者だ。初対面の人間に、しかも寝起きでもなお自分の設定を押し付けるなんて奴、なかなかいないぞ。いや、でもコスプレ界の常識や決まりは全く知らないから、本当はこれがむこうでの普通なのか?だとしたら、ますます分からん。ともあれ、俺は一般人だ。いくら押し付けようとしても、あくまで普通に返すからな。

「いえいえ、耳はここにあるよ。ほら。」

人間らしいごく普通の耳を見せる。何の変哲もなく、全く面白みのない本当にごく普通の耳だ。

本当だぞ。普通の耳なんだ。少しも尖ってないし、大きくもない。何も珍しいところなんてないんだ。なのに……。

「……これが……耳…?」

なぜ彼女はここまで物珍しく見てくるんだ。設定か?設定なのか?いやいや、設定に忠実すぎるだろう、これは。

「……もしかして、おにいちゃんって、人間!?」

ぇ―――。

当たり前だろって突っ込もうとしたとき、今までツッコミを入れてきたすべてのことが、フラッシュバックした。

小さな浜辺で一人倒れてた事。俺の耳を不思議がっている事。名前がケットシーだという事。猫耳と尻尾をしていた事。それらが本人の毛の質色と質に凄く似ていた事。そして、暖かかった事。

ゲームとか、アニメとか、漫画とかならこんな場合、出会ったこいつは人間じゃない。しかし、流石にこればかりは、信じられないというか、確信できない。この子が人間じゃないなんてあり得ない。しかし、くどいようだが、人間は100%と思い切れない。

「人間だけど、みけはなんなの?」

「わたしは……わたしは、海猫族」

「……鳥?」

「え?鳥じゃないよ、海猫だって」

「ち、ちなみに、どこから来たの?」

「来たっていうより、いつの間にかここにいたって感じなんだけど……」

ごめんなさい。

「でも、前は海にいたよ?」

「…海辺にいたって事?」

「違うよ、海の中だよ?」

 

「………マジで?」

「本当だよ?」

またしても、微かな1%が俺に突撃してくる。半ば冗談でもあったそれは、俺には刺激が強過ぎた。が、ここまで来てしまうと、もはや信じるとか信じないとか、どうでも良くなってくる。寧ろ、何が冗談で何が本当なのかも分からないでいる。

だとすれば、俺が一番訊きたかった事、訊いてもいいよな?ここまで来たら、もう訊くしかないよな?

「じゃあ、さ。その耳って本物?」

「そうだけど、なんで?」

あまりにもあっさりした返答。しかし、気持ちはよくわかる。たった今同じような質問をされたからだ。そうだよな、多分彼女もさっきの俺と同じような感覚なんだろうな。

「それじゃあ、動くの?」

「ぇ?うん」

そういうと、彼女はおもむろにその’耳’をピクピクと動かした。流石にこればっかりは納得せざるを得なかった。ここまで滑らかな動きは、機械じゃ絶対に出来ない。

「マジかよ……」

呟いたそれは、誰の耳にも届く事なく、消えた。それと同時にこみ上げてくるなにかを全身で感じていた。

もう冷静にいてられない、何を隠そうある意味でだが、願いが叶ったからだ。形は違えども、猫耳の女の子を拾った。しかも海から来たんだろ?返さなくていいじゃん!うおおおお!まじか!すげぇ!

押さえられない興奮を、どうにかして押さえ込めた。落ち着け、そして馬鹿な事を言うな。返さなくて良い訳ないじゃないか。

「海に、帰らなきゃ。」

俺が訊く前に、彼女が呟いた。そうか、やっぱりこうなるよな。こうなる事は重々承知していたのだが、いざ、この展開になると、むなしい。せっかく出会えた好機に触れる事なく終えてしまうのだから。だが、そう我がままを言っている場合でもない。そう、俺は、彼女を、みけを一時的に助けただけなのだ。それ以上の事は、何も、ない。

「そっか、それじゃ、海まで送るよ。」

彼女も元いた場所が分からないだろうから、送る事にした。という事にした。本当のところは、このまま、この状況を終えたくなかった。クライマックスを迎えるどころか、エンディングすら見ないまま終えるなんて、俺には出来なかった。

「うん、ありがと。」

無邪気に笑うみけの笑顔が、夕日と重なり、まぶしかった。別に好きになったわけじゃないが、なんというか、兎に角むなしかった。家まで連れて帰るのに、あれだけ長く感じたこの距離も、短く感じた。今思えば、なぜあのときあれほど苦労したのかもわからなくなっていた。

 

「ついたよ」

彼女が倒れていた浜は、今はない。満ちた海水によって隠れているだけなのだが、俺には、消滅したかのようにも思えた。

そういえば、この子って海猫族なんだよな。よく分からないけど、海で生きる生物だから、助けなくても良かったのか?

俺の思考は、もはや自信の操作下にはなかった。

……。

あーもう!

うだうだしている俺の心を自ら一掃させる。もう、これで終わりなんだ、俺は助けただけ。いいじゃないか。人助け。いや、猫助けか?いやいや、もうそんな事はどうでもいい。

この出来事はこれで終わり。つまらない毎日が続いていた俺の生活にとって、いいスパイスだったじゃないか。この児島でこんなとんでもイベントが起きたんだ。それだけでいいじゃないか。

そうだ、後は見送るだけ。それで今日は終わりだ。楽しい一日だったじゃないか。

全てが吹っ切れた。そう思ったとき、初めて気がついた。もっと早く気づいてやればよかった。

「みけ?」

彼女の手は俺の手を、強く握っていた。そして、震えていた。

「……帰ろう?おにいちゃんの家に……」

どうして、とは訊けなかった。彼女の足下には、小さな水の溜まりが出来ていた。俺は、何も訊かぬまま、つれて帰った。事情は後で聞けばいい。今は彼女を落ち着かせる事を第一に考えた。

 

 

端的に言うと、トラウマだった。

彼女は、”陸”が見たかったらしい。彼女らの住む世界は、いわば深海。太陽光を直接受ける事もないらしい。だが、彼女らは独自の文明の発展を遂げ、光やその他生活に適応した文化を構築したのだという。

その中で、誰しもが憧れたのが、地上。

太陽が差し、水がない。足で歩けて、飛べるらしい。などといった、噂が、広がっていたという。

しかし、それは憧れに過ぎなかった。憧れはするものの、所詮は噂だ。本当にそんな風景が広がっているかどうかもらからないどころか、水のない陸で、どうやって呼吸するんだ、という問題も出た。そのような未開の地へ、誰が足を運ぶというのだろうか。そう、いなかった。彼女を除いては。彼女だけがその憧れを現実にしようとした。本気で地上を見ようとした。

もちろん、みけの家族全員が止めた。陸に上がる事を心配したのはもちろんの事だが、それだけではない。俺たちもそうだが、彼女らにもまた天敵。そう、サメの存在である。彼女は、不運にも、それらと出会ってしまった。体はもちろん、奴らの方が断然大きい。

「わたし、あんなの見た事なくて、聞いた事はあったけど、本当にいるなんて……。」

みけが落ち着きを取り戻したのは俺の家についてしばらくしての事だった。

「わたしね、怖いの。海が、怖い。でも、戻りたいの……」

行きたくない場所の再奥に、帰りたい場所がある。そして、今いる場所は、はじめに憧れていた場所。

なんとも言えないこの状況に正直戸惑いを隠せなかった。彼女自身、どうすればいいか分からないでいる。やりたい事と、やりたくない事が同じになるシチュエーションなんて、想像していなかった。

だが、俺は思っていた。これは、運命ではないだろうかと。恋愛とかそういう意味じゃない。これは、何かを変えるチャンスなんだ。

「みけ。聞いてくれ。提案があるんだ。」

「なに?」

「俺と一緒に、海の怖さを克服しよう。」

「……え?」

「俺は、何か思いもよらない事が起きて欲しかった。とにかく、すごい事だったら、何でも良かった。そこに、みけが現れた。俺は、みけと特別な夏を過ごしたい。生活する場所も、俺の家を使ってくれればいい。今ここに住んでいるのは俺だけなんだ。部屋も余ってる。それに、みけは元々地上が見たかったんだろ?だったら、こんな田舎町でいいなら俺がどこにでも案内する。そして、そのなかで、みけの海に対する恐怖も克服しよう。ぁ……でも、みけが嫌ならいいんだ。最後は、みけに任せる。」

「……いいの?そんなにしてくれて。」

「もちろん。」

「………本当に?」

「ああ。」

「………ありがと……。」

みけの笑顔が、夕日と重なり、まぶしかった。別にまだ、好きになったわけじゃない。でも、なんとなく、安心した。

夏真っ盛り。夕暮れ時に、思いもよらない形で願いのかなってしまった二人が出会った。新たな願いを、叶えるために。

 

説明
私の地元、児島を舞台にした、トラウマ克服系ラブコメです。多分。
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