砂絵 |
砂漠地帯に涼を成すオアシス周辺には、その水源の規模にもよるが、古来より人々が集まって都市を形成していることがままある。
立ち寄った町もそのなかのひとつであった。
東西をつなぐ通商路の経由地として古くから栄え、旅人たちの多くがこの町で次の地までの物資を調達したり休息を取ったりした。
当然それを見越して商売も盛んに行われ、通過点としてではなく商用の目的地としてやってくる者たちもいるくらいだった。
この町で商売をするには許可証を交付してもらう際に一定の金を払い、さらに売り上げに見合った税金を納める仕組みになっていた。それでも税率は低めのため、全体の物流の規模を考えると、個人商売でもまとまった期間を費やせばじゅうぶん元を取れるどころかそれなりの稼ぎが出る。
また、人の出入が激しい一方、長期滞在者も多くいるこの町では、娯楽を提供する仕事にもそれなりに寛大であった。
あまりに危険な内容や性的な行為は審査の段階でふるいに掛けられるものの、それさえ通れば期間に応じて設けられた安価な納税だけですむ。一部の定められた区画であればショバ代すら必要なかった。
賭博は表向きにはご法度であったが、さいころやカードを使った小博打は人目をはばかりながらも個人単位ではそれなりに行われていたし、お上は大々的に賭場を開かない限りは取り締まることもなく大目に見ていた。
私は東端の一画に足を向けることにした。
市のはずれに仮設のテントや小屋がいくつも立ち並び、珍しい動物を目にすることが出来る見世物小屋や旅の疲れを癒すマッサージ、占いなんてものまであった。近くの店では男たちが参加料を払ってボードゲームに興じている。店員に勝てば参加料以上の景品がもらえると看板には書いてあるが、客の男らの顔色を見るかぎり劣勢なのは明らかだ。向こうも商売なのだからそうそう勝たせはすまい。
ところどころ日よけが途切れたところでは、大道芸人たちがそれぞれ得意とする芸を披露して見物料を得ていた。曲芸を見たり楽器の演奏を聞いたりするのは楽しいが、じりじりと照る陽光にとめどなく汗の雫が滴り落ちる。
やはり、どこか天蓋が覆っている所に立ち寄ったほうがよさそうだ。暑さに思考力が低下しそうになるのを水分補給で何とか持ちこたえ、ふと目に入った手近なテントに入った。
頭上に布を張っただけの簡易なテントは、それでも日陰を作り出しているためにその下ではぐっと体感温度を下げてくれ、四方に壁となるものもないので風の通りもよかった。
思わず入ってしまったが、ここは何を売りにしているのだろう。
見ると若い女性が机を前に、うつむき加減に座していた。
素朴なつくりの机はお世辞にもキレイとは言えないものだったが、その天板の表面だけはニスでも塗ったかのように艶やかであった。
机を挟んで相対するように椅子が置かれている。客は誰もいない。
立ち去ろうか迷った隙に女性が顔を上げた。図らずも目が合う。おまけに「いらっしゃい」と、か細い声をかけられてしまってはいまさら無視することも出来ようはずがない。
どういう商売をしているのか確認することも出来ないまま、腰かけることになった。
まあ、商品らしき物も置いていないし何か一芸を披露していくばくかの料金を取るのであろうから、こちらとしてもちょっとした話の種に見物するのはやぶさかでない。
提示された金額を支払うと、彼女は足元から一抱えもある茶色い瓶を取り出した。
蓋を開けて傾ける。
さらりと絹が滑り落ちるかのように、キメの細かな砂が机の上にこぼれた。
私は砂をさりげなく観察した。おそらくわざわざ離れた地帯まで出向いて採取してきたのだろう。足元を含め右も左も礫が覆うここら一帯では、ついぞ見かけたことのない細かな砂粒が、机上に小山を作っている。
彼女は適当な量を出し、ふたたび蓋を閉めると、今度はお題を出すように促してきた。
はじめはお題と言われてもなんの事だかさっぱりわからなくて、とりあえず思いつくままに「花」と言ってみた。
と、彼女の指が砂を絡めて滑るように動き出した。五指を器用に使って線を引き、あるいは掌で伸ばして輪郭や濃淡を表現していく。
はじめに砂漠が現れたかと思えば指先の細かな動きによってサボテンが生え、遠景は瞬く間に近影へと描きかえられていった。
迷いのない動きに目を奪われるうちに、砂で描かれた絵は完成へと近づいていく。淀みなく流れるような一連の変化にただただ感心していると、サボテンに小さな花が咲き始めた。細かな花弁を幾枚もつけた花が四、五輪も咲いたところで彼女の指がすっと机上から離れ、ようやく作品は完成した。
形を成してはすぐに消え去る連作に、私はいつしか目も心も奪われていた。
いや、私だけではない。気付けば、私の周りにはたくさんの客が集まっていた。
最初は何事かと立ち止まって覗いていた人たちが、その鮮やかな腕前に一人、二人と魅せられ、しまいには十人近くが周りを囲んでその行く末を静かに見守っていたのだ。
「……素晴らしかったです」
感動を一言にこめて口にすると、彼女はかすかに微笑んでうなずいた。
私は席を立ち、横へと退く。すかさず次の客が座り、また新しい作品の注文が入る。
応じて彼女の手がついさっき作り出したばかりの砂絵をひと撫でするや、あっけなくサボテンの花は形を崩し、もはや元が何であったのかもわからなくなった。
あまりの儚さに一抹の寂しさを覚えたのはたしかだが、永く形を残せるものでもないと割り切れば、あとは楽しいばかりである。ほかの人たちの出すお題にためらいもなく次から次へと新しい絵を完成させる彼女は、まるで魔法でも使っているかのようであった。
城や鳥、動物の群れ、はては女や財宝などというお題まで出てどうするものかと見ていると、いずれも簡単に描いてみせた。
大方の客が題を出し終え、そろそろ潮時かと思ったときだった。
恰幅のいい男性がひとり、予想もしなかった題を出した。
「『砂』を描いてくれ」
性根がそのような人間なのか、少し意地悪そうな笑みを浮かべている。私を含め周囲にいた者たちが互いに顔を見合わす。なにも自分が絵を描くわけではないのに、なぜかドキリとした。どうやって「砂」など描けばいいのだろう? 疑問が脳裏をよぎり、すぐには答えが浮かばなくて不安になる。周りには私と同じ様子の人が何人もいた。あるいは怒りを覚えて、あからさまにこの客を睨む者も。
しかし、動揺する観衆をよそに、彼女は机上に砂を一握り零し、そして――何もしなかった。
「完成です」
小さな声で彼女が言うと、今まで薄笑いを浮かべていた男の目が見る間に吊り上がった。
「わしは『砂』を注文したはずだが?」
「ですから、これが『砂』です。砂粒ひとつはパズルの1ピースと同じようなもの。ほかの絵を描くには一粒では足りないのでたくさん砂粒を使いますが、『砂』を一粒描くには砂粒ひとつあれば十分ですので。まあ、今回は面白い題を出してくれたあなたのために、サービスでたくさん描きましたけど」
彼女が説明ついでに皮肉を言ってのけると、一瞬の静けさの後わっと歓声が上がった。
男は何か言いたそうだったが、他の客がみんな彼女側についているのを察したのか苦々しく歯噛みするだけだった。手荒く見物料を払いそのまま席を立つ……と思いきや、さらに料金を上乗せした。
周囲からざわめきが起こる。
「なんだ、金を払っているのに文句でもあるのか? さあ、もうひとつ描いてもらおうか。次のお題は『時の流れ』だ」
これでどうだと言わんばかりの勢いの男に、女性はしばらく眼を伏せて考えていたが、すぐにひとつの答えが思い浮かんだのか指が先ほどの砂の山に伸びた。
あっという間の出来事だった。彼女の繊細な指使いがひとつの砂時計を描き出す。
なるほど、時間を目で見えるように表現するには時計が適している。だが、このままでは「時の流れ」というには不十分だ。
どうするのかと少しハラハラしながら見ていると、彼女の指が砂時計の上段にたまっている砂をつーっと下段に動かし始めた。何度も往復し、砂時計の砂はどんどん落ちていく。
目の前で次から次へと形を変える、一枚絵では出来ない砂絵ならではの表現方法だった。
まさに「時の流れ」に相違ない。
すべての砂が砂時計の下段に移されると同時に万雷の拍手が起こり、男は「くそっ」と吐き捨てて退散した。
宿に戻った私は先ほどのことを思い出していた。客が帰ったあと、もうひとつだけ描いてもらったのだ。
私が出したお題は「命」。べつにあの男のように意地悪をしたくてこんな題を出したわけではない。彼女の思うままに描いてもらい、それを写真におさめたのである。
いつかフィルムを現像したとき、彼女が描いた絵がふたたび浮かび上がることだろう。
砂漠では「命」とも言うべき水を、なみなみと湛えたあのオアシスが。
説明 | ||
2012年10月25日作。原題は「オアシス」。執筆段階で変更。作中の砂絵は即興で絵を描く大道芸の方。偽らざる物語。 | ||
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