牢獄の愛魔法使い 二話
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二話 魔法使い協会規則その三 毎月二万円を経費として支給する。必ず書籍などの購入に使うこと

 

 

 

「あたしがすべきことは、今すぐにでもあいつの仇を見つけ出して、叩き潰すことなのかもしれない。でも、あたしが死ねばあいつと玲菜を同時に深く知る人間はいなくなる。――確かにあいつ等は国中が認める天才だ。でも、あまりに死ぬのが早過ぎた。そんな奴等のことなんて、五十年もしたら社会は忘れる。誰かが生きて、永遠に記録に残し続けないといけないんだ」

 先週、菖蒲さんと一緒に参った墓地。玲菜さんの墓石のすぐ傍に菖蒲さんは埋められた。

 線香とタバコの煙が曇天の空へと昇り、それが菖蒲さんの霊魂のようにも思えた。

 那美子さんから聞いて驚いたことだけど、菖蒲さんには両親も、親戚もいなかった。その全てが亡くなるか、絶縁しているという。彼女は、友人の他には頼る当てもなく、独りで生きていた人だった。

「美静。あたしは、今の職を捨てるよ。魔法使いが嫌になったんじゃない、これからも魔法は使い続けるし、依頼があれば魔法使いとしての仕事もこなす。でも、それ以上に優先してするべきことが出来た」

「それは……」

「お前を鍛える。どうせ魔法学校の入試は八月、入学式は九月だ。まだ三ヶ月も時間がある。それまでに、お前を一人前の魔法使いにしてやる。あいつが最後まで気にかけていたお前を、どこに出しても恥ずかしくない最高の魔法使いにする。復讐も何かも、その後だ」

 紫煙が昇っていく。細く、風に流され、途中で揉み消され。

「お願い、します。でも、那美子さん――」

「なんだ?」

「菖蒲さんは、復讐なんて望まないと思います。それに、もしそれが必要なら――その役目はわたしが引き受けるべきです」

「……そうか。まあ、もしあたしの特訓に耐えられたら、その後のことをあたしは指図しねーよ。けどよ、これ以上あたしだけ残して、才能ある奴がばたばた死んでいったら、あたしが耐えられそうにねーぜ」

 タバコが地面に捨てられ、靴の底で踏み消される。条件反射的に那美子さんに厳しい目を向けてしまうと、溜め息一つ吐いて、きちんと携帯用灰皿に吸い殻を入れてくれた。

「わたしは、菖蒲さんほど偉大な魔法使いになる自信はありません。……だから、せめて長く生きて実績だけ作りまくろうかな、と思っています」

「ははっ、そりゃあ良い。もしそれが許されるなら、そうしてくれ」

「それから――菖蒲さんはどんな言葉を残されたんですか?」

「ああ、言われた通りにタンスを調べたら、日記帳が出て来たよ。あいつ、まめに日記なんか書いてたんだな。意外過ぎるが」

「そうだったんですか……」

 菖蒲さんの最後の言葉は、きちんと那美子さんに伝えた。それが最期を看取ったわたしの使命だ。

 未だに信じられないことだけど、菖蒲さんはわたしの腕の中で亡くなった。一秒ごとに体温を失い、静かに、安らかに散っていってしまった。――まるでアヤメの花のようだ、なんて思わない。彼女は笑顔で逝ったけど、本当は苦悶に叫び声を上げたかったのだと思う。体をずたずたにされ、法衣がなければ即死していておかしくない重症だったのだから。

「お前と会った日からは、お前のことばっかり書いてたよ。また今度、じっくりと見せてやる。……とりあえず、あいつはお前に会ってから、まるで死を予見したみたいなことを書いてた。あいつ自身、半信半疑って感じだったけどな。そして死ぬ前日、はっきりと遺書みたいなことが書かれてた。あたしにお前の世話を任せることと、全ての魔法に関わる財産をお前に譲るっていうな」

「…………そう、ですか」

 勝手にもらって、生涯わたしの箒にすることを決めたアイリス・ブーケの柄を握り締めていた。

 雷の魔法との相性が最高という職人の業物。菖蒲さんが魔法学校に入ると同時に買ったものだけど、その値段は数百万円という、学生には高価過ぎる箒。魔力を注がれる度に劣化するどころか、より強力に進化して行く至高の魔道具。菖蒲さんの持つ財産の中でも最高の一品だ。

「まあ、今のお前に扱えるのはその箒ぐらいだな。後はあたしがお前の成長を見て、その都度必要な物を選んで渡すよ。正直、あたしが欲しい物はいくらでもあるんだけどな」

「わかりました。……では、早速特訓をお願いしても良いですか?」

「言われなくても、明日と言わず、今日の午後から始めてやるよ。まずは飯に行くぞ。もちろん、いつもの店な」

「はい……」

 これから何度も菖蒲さんと行って、思い出を深めて行くお店だと思っていたのに、こんなに早く彼女との最初で最後のご飯を食べた思い出の場所になるなんて。

 菖蒲さんの言葉を思い出す。もし天に運命を司る神様がいるのなら、どんなにその神様は残酷で、皮肉が好きなのだろう。

 そんな神様に操られている人生なんて、嫌になる。――嫌になるけど、だからこそわたしはその人生を生きて、神様のシナリオを歪ませたいと思う。神に唯一対抗出来る、悪魔の力を手に。

「美静、もう行くぜ。……あいつは玲菜に毎週参ってたけど、あたしはそんなまめじゃないから、一年に一度だけだ。美静、次は立派な魔法使いになった姿を見せてやるぞ」

「はい……はいっ」

 箒をその手に、霊園を出る。次に来るのは、また一年後。菖蒲さんの命日に。

 その時わたしは、明日に輝きをもたらせる、そんな魔法使いにきっと……。

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「魔法使いが空を飛べないなんて、それは冗談だ。しかもお前は雷魔法の使い手。他のどんな魔法使いよりも上手に空を飛ぶ必要がある。それはわかってるな?」

「はい。……ちゃんと菖蒲さんの戦いを、見ていましたから」

 空に多くの建物が出来た結果、逆に地上の建物には廃屋が多くなった。少し郊外に出れば、廃ビル、廃工場、廃墟マニアにはたまらない光景がいくらでも目に入って来る。その内の一つ、敷地内にグラウンドのある何かの生産施設にわたし達はやって来た。

「まあ、あいつは異常なレベルだ。……箒が良いからかもしれないけどな。

 とりあえずお前は、身長ぐらいの高さまで浮かび上がって、そのまま真っ直ぐ飛ぶ練習からだ。それぐらいの高さなら、落ちても怪我しないだろ」

「そうですね……。でも、箒で宙に浮かぶのって、そんなに簡単に出来るものなんですか?」

「考える前にやってみろって。悪魔と契約したなら、いきなりビルの十階ぐらいの高さから始めて良いレベルだと思うぜ」

「そ、それはさすがに無理ですよ」

 騙された気になって、アイリス・ブーケを跨いでみる。菖蒲さんも跨って空を飛んでいた箒だけど、つい最近まで一般人だったわたしにしてみれば、こんなので本当に空を飛べるなんて信じられない。

 でも、なんとなく空に飛べるような気がして地面を蹴ってみると、ふわりと体が宙に浮かぶのを感じた。足元を見てみると、わずかに数センチだけ、確かに地球の引力から解放されて空を飛んでいる。……あっけなさ過ぎて、夢ではないかと疑ってしまう。

「極端な話、箒は気球のかごみたいなもんだからな。その気になればその身一つで空を飛べるのが魔法使いってもんだ。それだと不安定だし、特に雷魔法なんかだと箒を使って加速出来るから、誰もかれも箒に乗るんだけどな。ほら、もっと高度を上げてみろよ」

「は、はい」

 これまたなんとなく、もっと上に行きたいと念じると、箒は少しずつ上に上がって行き、二メートルぐらいの高さにまで昇った。たったこれだけでも、案外高さを感じるもので、高所恐怖症の人は魔法使いになれないな、と思った。

「そっから敷地の端まで直進して、ターンしてまた戻って来てみろ。それを五セットやったら、今日の飛行の練習は終わりな」

「ご、五セットですか?」

「お前がどの程度天才なのか知らねーけど、努力しなきゃ天才も凡人のままだぞ。誰だってやるもんなんだから、形だけでもやっとけ」

「はい……」

 予想通りだけど、本当に結構スパルタだ……魔法使い養成ギプスとか付けられないだけ、まだマシなのかな。

 ともあれ、前に進みたいと思うだけで、箒は一定の速度で進んで行く。もっと速く、と思えばそれだけ加速する。魔法の強さは想いの強さ、なんて体育会系っぽい言葉はよく聞くけど、本当にそうなんだな……思ったより熱血系の世界なのかもしれない。

 でも、空を飛ぶ感覚は気持ち良くて、鳥か風になったような気分になれる。もっと高くを飛べば、もっと気持ち良いのだろうか?ああ、そういえば高所でも息がちゃんと出来る魔法をちゃんと使えるようにならないと、そんなところまでは飛べないか。空を飛べるようになっただけで満足しているけど、これからもっともっと覚えるべきことはある。那美子さんがいれば安心だけど、本で勉強するのより、実際に魔法を使うのはずっと難しそうだ。

「よし、もう良いぞ。……って、上の空で飛んでやがったな?そりゃあ楽しいのはわかるけど、こういうのは自転車と同じだぞ。気を抜いてたら落ちるんだ」

「は、はい!以後気を付けますっ」

「じゃあほら、次はいきなりだけど反転結界だ。こんな廃工場でも、魔法をばんばん撃つ訳にいかないからな。ちゃんと結界の中で魔法の練習はしないと」

「誓いの言葉を、唱えるんですよね?」

「ああ、今回はお前の負担が少ないように、八割ぐらいはあたしが魔力を出してやるよ。そんなに魔力は使わなくて良いもんだから、早くこの感覚に慣れろよ」

 つかの間の空の旅を終えて、地面に下り立つ。妙に固く、地上がわずらわしいものに感じられた。歩きたくないという魔法使いの考えは、こんな風に起こるのだろうか。

 那美子さんの突き出した箒に、かつて菖蒲さんがそうしたようにわたしの箒の柄を重ねる。

 いつか、学校の授業や、仕事の最中に見知らぬ相手と決闘することがあるかもしれない。そのことを思うと、気が引き締まると同時に胸が少し痛んだ。……菖蒲さんはそうして、敗れたのだろうか。

 

 

『煉獄の果てに救いを!』

 

『未来に愛を、明日に輝きを!』

 

 

 誓いが高らかに唱えられると同時に、魔力をはらんだ風が竜巻のように吹き抜ける。

 世界は少しずつ変容して、昼の景色が夜の闇に侵食されて行く。二度目の経験となる、反転結界の中の世界。術者二人しかいないその世界は、少し寂しく感じられた。

「……お前、その誓いってわざとだよな」

 夜の世界がやって来ると同時に、那美子さんのそんな言葉が響いた。いつもの彼女らしくない、静かで悲しげな声だった。

「やっぱり、菖蒲さんを意識せざるを得なかったです。わたしが彼女の代わりになれるなんて、思っていませんけど」

「そうか。……でも、いや、そうだな。お前は第二のあいつじゃない、だけど誓い通りに最高の魔法使いになってくれ。そのためなら、あたしも協力は惜しまないからな」

「ありがとうございます。これ以上がないってぐらい、心強いです」

「おいおい、あんま持ち上げ過ぎんなよ?あたしだって、人に魔法を教えるのなんて初めてなんだからな」

 でも、那美子さんならきっと良い先生になってくれる。そんな確信めいた予感があった。菖蒲さん以上に那美子さんとの付き合いは短いのに、不思議とそう思える。だからきっと気のせいではないのだろう。

「じゃあ、まずは適当に、何か使えそうな魔法を撃ってみてくれ。何も意識せずに撃ったそれが、お前にとって基本となる魔法だ。あたしだったら、火炎放射だったし、菖蒲はあの瞬間的に雷を撃つ魔法だったな。暴発しそうになったらあたしが助けるから、思いきってあたしに向けて撃ってくれよ。こういうのは何もないところに撃つ方が危険だったりするんだ」

「はい……!」

 これはまた不思議なもので、箒を構えるとなんとなく魔法が使える気がして来る。まるでそう、悪魔がわたしの中にいて、それがわたしの体を操って魔法を使おうとしているような、少なくとも自分の意思で使うのではないような感覚。

 洗礼で魔法を得た那美子さん達とは根本的に違うから、感じ方も違うのかもしれない。でも、わたしも魔法を使える。それは間違いない――。

 突き出した箒の柄から飛び出すように宙に青色のペンタグラムの魔法陣が描かれ、その中心から青の電流が吐き出されるように迸った。

 嫌みなぐらいに菖蒲さんの得意とした魔法に似た、雷撃を生じさせる魔法……菖蒲さんとの違いは、雷の色が太陽のように眩しい暖色ではなく、冷たさを感じる色だったことだ。

「よっ、と。初めてにしてはそこそこ速いな。やっぱ、お前も速効系の雷魔法使いか。あたしと相性悪いぜ」

「今のが……わたしの魔法、なんですよね?」

「ああ。一般人に当てたら、一瞬で心臓麻痺起こすレベルの見事な魔法だ。ついでに言えば、菖蒲とそっくりだな。元から雷魔法のレパートリーは少ないから、そんな不思議なことじゃねーけど」

 魔法の行使には、必ず術者の魔力を消費する。人一人を簡単に殺してしまうような魔法なのだから、相応の消耗があって良いはずなのに、わたしは体の調子が悪くなる訳でも、頭や体に特別な疲労がある訳でもなかった。少ない力で大変な成果を生み出す。それが魔法というものなんだ。

 だから、魔法は科学に取って代わることが出来た。機械以上の生産性を生むことが出来た。……改めて、恐ろしい力だ。その気になれば、魔法使いは凶悪な殺人犯にも、殺戮の限りを尽くす人ならざる怪物にもなれる。それを縛る法律はあっても、後先考えずに破ってしまえば、その被害は甚大になる。結局、全ては魔法使いの良心に委ねられてしまう。そして、良心を持たない、あるいは壊れた人が現れた時、魔法によって命を奪われる人が生まれる。それが――菖蒲さんであり、間接的には玲菜さんだったのだろう。

「その魔法を基本として、お前には雷球の魔法、落雷の魔法、それから、相手の魔力障壁を打ち消すタイプの魔法も欲しいな。それが雷魔法の特権でもあるんだ。で、一番制御も難しいが、飛行強化。これがない雷魔法使いはお話にならない。下手をすりゃ大怪我を負って、下半身不随になりかねない危険な魔法だけど、絶対に習得してもらうからな」

「は、はい」

 脅しなんかじゃないのはわかっている。菖蒲さんは超高速の箒を乗り回していたけど、あれが危険じゃない訳がないんだ。

 人に向けた魔法が、簡単にその命を奪うのと同じ。魔法は自分自身を容易に傷付け、その人生を奪う。恐ろしいことだけど、魔法使いになるということは、相応のリスクを背負うということ。そして、それでもわたしは魔法使いになる。今となっては使命感もあるけど、子どもの頃と同じように、やっぱり魔法使いはわたしの夢だから。

「よし、この結界の中で朝が来るまで続けるぞ。とりあえず一通りの攻撃が出来るところまで一日で行けたら上出来だ。飛行に時間をかけたいから、より威力の高い複雑な攻撃魔法は置いておくけど良いな」

「はい。わかりました。わたしは、必ずしも戦うことを目的としていませんから」

「ま、学校に通えば嫌でも戦闘系の魔法は鍛えられるからな。それより、基礎と飛行が案外伸びないまま終わりかねないんだ。あたしはとにかくそこを鍛えるぞ」

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 こうして、那美子さんに付きっきりで魔法の訓練をしてもらう生活が始まった。

 もう花屋で働く訳にはいかないし、入試、そして入学に向けて色々とするべきこともある。完全にわたしは親元を離れて、しばらく那美子さんの決して広くはないマンションに居候させてもらった後、受ける予定の魔法学校の近くの格安のマンションに移った。

 魔法関連の道具の揃った菖蒲さんの家は、わたしと那美子さんの個人図書館のように使うことにした。二人の偉大な魔法使いの家を生活に消費してしまうのはもったいなく感じたし、魔法使いにとってのメッカのようなこの家は、将来的に研究施設か、資料館にしたいという考えもあった。だからとりあえず、出来るだけ奇麗な状態を保つことが出来る利用に留める。それが那美子さんと決めたことだ。

 それから、菖蒲さんの真似じゃないけど、ちょっと高いノートを買って、日記をつけ始めた。ただの日記帳じゃなく、ハードカバーの高い物を買ったのは、三日坊主にさせないため。昔から何かに付けて凝り性なわたしだけど、日記というのは初めてだし、続ける自信がなかったから。

 書く内容は、その日の訓練の成果や、食べた物。那美子さんとの会話の記録など。

 わたし自身の思ったことの記述は少なめになり、もし万が一わたしが将来自叙伝でも書くなら、その参考になりそうなことばかり書いている。でも、事務的にも見えるその記録は、日々の自分の成長と、那美子さんの魔法の知識がまとめられて、励みにも参考にもなる。ちょっとした参考書より有意義な書物になっている気がするのは、わたしの自惚れじゃなくて事実だと思う。

 だけどある日、日記の記述が途絶える事件が起きた。いや、事件性はないので、事故。何が起きたかといえば、恐れていた飛行中の落下事故だ。緊急回避のための落下の衝撃を抑える魔法も知っていたけど、十メートルの高所からの落下の衝撃にわたしの腕の骨は耐えられなかった。

 折れはしなかったけど、ヒビが入ったらしく、二週間は腕が使えなくなってしまった。治癒魔法を使ってもそんなに時間がかかるのは、単純にかなりの広範囲を怪我したからで、わたしの右腕は完全に使い物にならない状態だ。

 これでは魔法どころじゃなく、病院で味の薄い食事を食べるだけの時間を過ごすことになってしまった。二日に一度は那美子さんが、彼女がいない日にはお母さんが来てくれるけど、このタイムロスは痛い。入試までもう一月を切っているのに。

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「まあ、お前の今の実力なら、落ちる方が難しいけどな。嫌でも学校が、社会が、お前を認めるよ。下手すりゃ報道もされるかもな。玲菜がそうだし、菖蒲もそうだった。……あたしも一応、おまけ程度に紹介されたしな」

 退院の日、迎えに来てくれたのはお母さんではなく、那美子さんだった。別にお母さんが薄情という訳ではなく、那美子さんが自分が迎えに行くと、お母さんに事情を話してくれたらしい。

 わたしが入院沙汰になってしまったことを気にしていると、那美子さんは気付いてくれていたんだと思う。そして、そのケアのために、あえてお母さんではなく自分が来ることにした、と。

「そんな……。でも、菖蒲さんにもらった魔法なんですから、皆に認めてもらいたくもありますね……」

「ははっ、それで良いんだよ。お前は絶対凡人じゃねーんだから、その名を轟かせてやれ。

 後、退院おめでとうとは、あえて言わないでおくからな。菖蒲の場合はもっと上手く落ちたけど、あいつも結局怪我はしたんだ。空を飛ぶ魔法使いが落ちるのは、通過儀礼みたいなもんだと思え。いちいちそれを祝ったりする暇も金もねーからな」

「あ、はは……そうですか」

 別に何かを期待していた訳じゃないし、那美子さんらしいその言葉は嬉しいぐらいだった。

 酷く今更だし、年上の人に対して抱く感想じゃないと思うけど、彼女は本当にわかりやすくて、ぶれなくて、次の反応が簡単に予想が付く。そんな突き抜けた感じが、わたしにはちょっと羨ましい。わたしにそこまで突き抜けた個性や、信念というものはないから。

 魔法使いになりたいという夢も、特に理由がある訳ではなく、ただ魔法使いに憧れただけ。究極のところ、子どもの夢の延長でしかない。なら、那美子さんはどうして魔法使いになったのか?それが気になった。

「よし、もう大丈夫だな?一度家に帰って、家族に元気な顔見せたら、また缶詰特訓の始まりだ。落ちる恐怖を知った今なら、前以上に気合も入るだろうしな」

「は、はいっ。……えっと、それから後、全く関係ないんですけど、質問させてもらって良いですか?」

「なんだ?別にあたしの生活はお前が入院する前から何も変わってないぜ」

「あ、いえ、すっごく個人的な質問なんですけど……那美子さんって、昔はその、いわゆる不良だったんですよね?なのに、どうして魔法使いになられたんですか」

「……なんだ。もったいつけて、そんなことか。まあ、不思議に思うことかもな」

 職業としての魔法使いをやめた今でも、那美子さんは法衣であるスーツを身にまとっている。魔法を扱う者として当然かもしれないけど、やっぱりスーツを着こなしている女性というのは格好良い。

 金髪なのは気になっても、その姿は仕事の出来るキャリアウーマンのようで、とても不良行為をしていた女の人には見えない。

「単純に、学校とか仕事とか、そういうのを全部蹴って、社会に唾を吐きかけてやったつもりになってるのが、どれだけしょぼいことかわかったからだよ。結局のところ、今の日本は魔法使いの国だ。いくらバイクで地上を走っても、箒で飛んでる連中には敵わない。魔法が使えないと、誰も自分を見てくれない。それに気付いたんだ。

 きっかけは――大体、玲菜と菖蒲だな。あの時二人は高校に入ったところだったけど、もう天才として評判だった。あたしと同い年なのに、取材を受けてばっかりなんだぜ?尖がりたくて家も飛び出したのに、そんなの見たら嫌でも気付くよな」

「そして、自分も目立ちたくて魔法使いに?」

「つまりは、そういうことだ。お前と同じ、秋の入試で入ったから、正確にはあいつ等と同期じゃなく、半年後輩だな。でも、あたしはそこそこ魔法が出来たから、そこそこ注目された。不純な動機だけど、勝てば官軍ってな。ちゃんと魔法を修めたから、こうしてお前にも指導が出来てる訳だから、人生ってわからないものだな」

 ……答えを聞いてしまうと、呆気なさに肩透かしを食らうような、逆に安心するような、不思議な感じがした。

 そっか、那美子さんのような人でも、きっかけは単純で、何か使命感を帯びて魔法使いになろうとした訳じゃない。ならわたしも、そこまで魔法使いになることに「責任」のようなものを感じなくても良いのかもしれない。

 もちろん、わたしの魔法は菖蒲さんがいてくれたからこそ、ここにある。そこに責任は持つべきで、そうなったからには魔法使いにならないといけない。でも、そこで自分は成り行きや、幼稚な願望から魔法使いになるんだ、と思い詰めなくて良い。そんな気がした。

「ありがとうございました。これからもご指導、お願いします。――じゃあ、もう行きましょう」

「何かの参考になったなら、あたしのつまんねー過去でも、話した甲斐があるってもんだ。よし、行くか」

 まるでそうするのが当然のように、那美子さんの腕がわたしに向けて差し伸べられた。……え?これってつまり、掴まれということ……でしかないな。

 おずおずとその手を握ると、少し強いぐらいの力でぐっ、と引き寄せられる。

「ま、病院を出るまでくらいはまだ病人扱いだ。これがあたしに甘えられる最後の時だと思えよ?」

「は、はいっ」

 恐ろしい言葉を受けて、わたしは少しびくびくとしながら、腕を引かれて病院を出て行った。

 また、魔法の特訓が始まる。誰のためでもない、自分自身のため、一刻も早く、一人前の魔法使いになるために。

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 怪我をしてからは、那美子さんの宣言通りに前以上に長時間、厳しい箒を使った飛行の特訓が待っていた。

 目指すのは雷魔法の極意ともいえる飛行強化の魔法の完成。ブースターのように箒に雷をまとわせ、瞬間的に超高速で飛ぶという、危険でだからこそ確実にマスターすべき大事な魔法になる。

「わかっていると思うが、本来なら魔法は魔法学校に通うようになってから習うもんだ。入学に必要なのは適性と熱意。適性は魔力の量、熱意はペーパーテストで測られるって、一度経験して知っているよな。

 だから、怪我を負ってまで特訓する必要はないと思うかもしれない。でも、お前は洗礼を受ける前から魔法が使える。それが恵まれたことだってのは、さすがに理解してるはずだが、もう一つお前にとっては聞きたくないことも言っておこう。お前の潜在的魔力は凄まじいものだと思う。お前はまだ、魔力の補給を一度もしてないんだからな。あたしだったらとっくに空になってるとこだ。

 ――だが、お前はまだそれだけだ。魔法の扱いでは玲菜や菖蒲にはもちろん、はっきり言ってあたしより劣ってる。才能がないか、あったとしてもまだそれを開花出来てない。この意味、わかるか?」

 休憩中、唐突に那美子さんはそんなことを言った。

 わたしのわずかにあった自信を砕き、蹂躙するような告白。でも、これもまた、特訓の一環なのだろう。それに……いつまでも夢の中で生きていて、成長出来るとも思えない。

「折角入学出来ても、落ちこぼれるかもしれないってことですよね……」

「その通りだ。魔法学校っていうのは、完全な実力主義。才能が潜在しているようじゃ、絶対に評価されない。認められたければ、圧倒的な力を見せ付けるしかない、そういう世界だ。多分、今年も天才や秀才は山ほど入学して来る。特に、お前の受けるウェイト魔法学校は由緒正しい名門校だ。二百人入学するなら、半分はお前並か、それ以上の天才で、そのもう半分は歴史に名を残す。更に一握りは、何代も先まで語り継がれる伝説になる。悪魔契約を既にしている奴がいないとも限らないぞ」

 そして、もしそういう人がいれば、魔法が上手く扱えないというわたしは、比較された後、落ちこぼれと切り捨てられる……そういうことか。

「面構えが変わったな。それで良い。なんでこんな風に発破をかけたか、わかるよな?」

「後、入試まで一週間と少し……もう時間はないから、ですよね」

「入学がまだなら、焦らなくて良いかも、って思うかもしれねーけど、入試の時点で才能がある奴は、他の凡人共を圧倒するんだよ。お前は当然、圧倒される側じゃない、する側になれ。目立つのはお前の性に合わないかもしれないが、とことん目立て。その時の自信が、きっと入学した後のお前を後押ししてくれる。……なんて、菖蒲の受け売りだけどな。あいつはあれで、玲菜にコンプレックスを感じてたんだ」

 菖蒲さんが……なんだか信じられない。わたしはその名前しか知らないけど、玲菜さんとは、どんな魔法使いだったのだろう。わかっている情報なんて、二つ名から予想するに氷の魔法を使ったらしいことと、ポニーテールが好きなことぐらい……なんて微妙な情報だ、これ。

「よし、じゃあ再開するか。後二時間飛び続けたら、終わりにしてやるぜ」

「わかりました……」

 絶妙に現実的な時間だけど、ただ飛ぶだけでなく、それを強化しながら飛び続けるとなると、拷問的なほどに疲れる。体もそうだし、落ちないように気を張り続けないといけないので、精神面での消耗も激しい。

 けど、これが魔法使いになるために必要なことなら……わたしは、いくらでも「無茶」が出来る気がする。自分で夢見て、決めて、皆に後押ししてもらった未来なのだから。

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「勇気と無謀は違う。たとえば、猛スピードで走ってくるトラックを素手で止めようと、その前に飛び出す。これは無謀だ。出来もしないことに挑戦して、結果として死ぬ。これが馬鹿な奴のすることだってわかってるよな。

 次に、努力と無茶は違う。自分の限界を知り、それを押し上げることが無意味だなんて言わない。むしろ成長していく上で大事なことだろう。……でもな、無茶して倒れることを努力や頑張りとは言わない訳だ」

「はい……わかりました」

「オーケー、全くわかってなかったよな。安心してくれ、あたしはこれでも結構理知的だと自負している。馬鹿だから中学に通わなくなったクチじゃないからな。言ってわかる奴には、ちゃんと説教してそれを理解させる。肉体言語には頼らない。……だから、あえて言うぞ。この馬鹿が!いきなりぶっ倒れやがって、死ぬほど心配したんだぞ、このアホ!」

「ごめんなさい……」

「謝れとは言ってねーよ。わかったら、今日一日安静にして、魔力の補給をしやがれ、ドジマヌケハゲ!」

 ……入試が五日後に迫った今日、わたしは特訓中に倒れた。それはもう、盛大に、地面に頭をぶつけて。

 原因は魔力不足だとわかっている。少し前から今までに感じたことのない種類の不快感があって、どうも魔法を使う度にそれが増しているようで、今まで無尽蔵のように思えた魔力の底が見えて来たんだな、と自分でもわかっていた。

 けど、今が大事な時期なのは当然。やっと十分の間、飛び回ることが出来るようになって、これをもし倍の時間に伸ばすことが出来れば、今の段階で既に菖蒲さんが二年かけて到達したところに辿り着ける。本当に部分的だけど、あの菖蒲さんを超えることが出来る。そう思って、わたしも那美子さんも、必死で頑張っている時期だった。

 それを自分の都合で止めるなんて、わたしには出来なかった。多少の無理ぐらい、なんとかなると思っていた。魔法の強さは心の強さ。精神論が通用する世界なのだから、それこそ精神論でなんとか出来ると。――でも、わたしの体は繊細に出来ていたらしい。それか、もうオーバーキルってぐらい、自分の体をいじめ過ぎていたのかもしれない。

 今日一日は絶対安静、回復に努めるように言われてしまった。

 と言われても、急いで連れて来られたのは、那美子さんの家。他人の家ってほど那美子さんとの関係は浅くはないけど、やっぱり自分の家に比べればどうも落ち着かない。魔力の回復にしても、ただ寝ているだけで劇的に回復するとは思えないし、なんとも手持ち無沙汰な感じだ。

「癒しホルモンと呼ばれるオキシトシン。この脳内分泌物には大きく魔力を回復させる作用がある。日本が魔法使いの国となった大きな要因は、他国以上に二次元の美少女、美少年の創作物を世に出す文化……いわゆるサブカルチャー、萌え文化が発達していたことによる。また、ドーパミンやアドレナリンにもオキシトシンほどではないにしろ、魔力を回復する効果はあり、欲情でも魔力の回復は可能。結果として、高名な魔法使いほど、重度のオタクである……」

 魔法の参考書を買って、真っ先に覚えてしまった文章。わたしはこれを読んだ時、一度理想の魔法使い像を完全に打ち壊された。

 わたしの思う魔法使いとは、もっとストイックで、およそ萌えなどとは無関係な領域の人達だった。なのに、それは一撃の下に粉砕され、魔法使いは皆二次元大好きで、魔力回復のために萌えアニメを見たり、漫画読んだり、家にフィギュアを飾ったりしているんだという認識が形成された。

 そして、今までにわたしが会って来た魔法使いの人達は……。

 名前だけは何度も出て来る天才魔法使い、玲菜さん。菖蒲さんの言葉では、ポニーテール好きだったらしい。

 わたしの恩人である菖蒲さん。どうやら女の子が大好き。ということは創作物の百合も好きだったと思われる。

 よくわからないのは、現在進行形でお世話になっている那美子さん。家には魔法関連の本ぐらいしか見つからないし、他に何か趣味があるようにも思えない。なら、二次元ではなく動物や赤ちゃんでオキシトシンを補給している可能性もあるけど、街中で見る動物には反応しないし、子どもはむしろ苦手としている。……いまいち謎だ。

 ちなみにそういうわたし自身は、魔法の勉強にずっと打ち込んだ中学時代を過ごしたので、いまいちこれだ、という萌え属性を発見するには至っていない。何かに凝るのは好きだし、間違いなくそれはオタクとしての気質だとは思うんだけど、割と何でも良い、って感じかな。

 ……そうなると、中々適切な作品がなくて、こうして魔力不足になった今、手軽に回復する手段がなくて困る訳だ。

「よっ、と。美静、魔力を回復する手段は知ってるよな?」

「あ、那美子さん。はい、今丁度それを考えていました。でもわたし、これといった属性がないんです。逆にいえば、なんでも良いんですけど、深く感動するものがなくて……」

「あー……やっぱりか。なんかそんな感じだと思ってたぜ。それなら安心しな。あたしも特になかったんだよ。こう、思いっきり萌えて脳がふやけるような感覚になるぐらい、オキシトシンが出てるなーって感じるのって難しいよな」

「そうなんですよ。わたし、萌え禿げる感覚っていうのが全然わからなくて、実は萌えのなんたるかを全然理解してないのかな、って思うんです。でもそれって、魔法使いとして致命的な弱点ですよね……」

 わたしとおよそ共通点がないと思っていた那美子さんに、こんな共通点があったなんて。でも、今こうして魔法使いとして成功している以上、那美子さんにもなんらかの「属性」が出来たということだ。それが今、重そうに持って来た本のこと……?

「で、あたしが見つけた自分の萌えポイント。それがこの、本だ。お前にもわかるかな、って思って持って来たんだけど」

「どんな本ですか?見た感じ、ハードカバーの分厚い本ばかりで、難しそうですけど……」

「ああ、いわゆる哲学書、思想書の類だな。一冊でも結構重いから、持って来るの大変だったぜ」

「……えっと、もしかして、あれこれと思想をこねくり回しているところが好きな、哲学者萌えとか?」

 わ、わたしにはちょっと理解が難しい世界だけど、世の中は広い。自分の理解出来ない世界ぐらい、星の数ほどもあるだろう。だから、いちいちそれに驚いたりはしないのが、マナーというものだ。……と思う。

「いやいや、本の内容はどうでも良いんだ。ただ、これ全部古本なんだけど、わからないか?黄ばんだ本の、この独特なかび臭さ、埃臭さ……ページをこう、ばらばらーっとめくった時なんか、歴史の風を感じないか?この風に人間の英知が詰まっているんだ。宇宙や深海よりもロマンある世界だと思わないか?」

「えっ……と、ということはもしかして、まさか本の内容じゃなく、本自体が好きなんですか?」

「そう。まあ、古本萌えとでも思ってくれ。中々良い属性だぜ?究極、魔本を読んでいるだけで回復出来るんだ。魔法の行使と回復が出来るなんて、それって永久機関みたいなもんだろ?あたしが菖蒲より劣る凡人なのに評価されてるのは、その燃費の良さからなんだぜ」

「そ、そうですか……」

 なんだか、すごい。何がどうとか、よくわからないけど、圧倒的なすごさを感じる。

 萌え文化なんてかなぐり捨てている辺り、本当に那美子さんは普通とはちょっと、いやかなり違う魔法使いだな……。

「で、どうだ?お前に理解出来そうか?」

「いえ……わたし、むしろこういうお堅い本には苦手意識がありますし、古本の臭いもちょっと苦手ですので」

「そ、そうか。いや、それなら無理強いはしないけどな。……こんな変な好みって知っても、軽蔑してくれるなよ」

「まさか。それは絶対にあり得ませんよ。一人一人好みが違っていて、それが普通だって、わたしもわかっていますし。……魔法使いの真実を知った時、ちょっと驚きましたけど、その知識がある以上は、変わった趣味の人を軽蔑したりしません」

 自分の属性がわかっていない以上、人を馬鹿にしてたら、それが後々ブーメランとして戻って来るかもしれないし。何より、今までお世話になり、立派な人だと思っている那美子さんへの態度を変えるなんて、一番あり得ない。

 なんだか照れくさくて言葉には出来なかったけど、ふっ、と全てを悟ったような笑みを見せてくれたから、その辺りも含めて全部伝わったみたいだ。年上の人に隠し事なんて出来ないんだろうな。

「でも、それなら、もう少し寝てちゃんと歩けるようになったら、ちょっと街に出てみるか?自分の属性を確立しておくことは大事だし、お前がガリ勉している間に知らない良い作品がいっぱい出てるぜ」

「そっか……一年以上、二次元とは離れてましたから、確かにそうですね」

 そもそも、わたしは以前、それほど漫画やアニメが好きという訳ではなかったし、専門店にはほとんど足を運んだことがなかった。

 この辺りで、そういった文化にしっかりと浸かっておくのは重要なことだと思うし、丁度良い機会だ。ただ寝ているよりずっと楽しいし、将来的に役立つ。行かない手はないだろう。

「よし、じゃあ決定だな。後二時間ぐらいしてから、行こうぜ」

 

 

「今アニメがやってる作品は、この棚のだな。あたしの好きなのは……このラノベ原作ので、この漫画のも良かったな」

「なるほど……那美子さんの好みって、結構こう、きゃぴきゃぴした感じの萌え絵なんですね」

「どうせ二次元なんだから、デフォルメされたやつの方が好きなんだよ。子どもの頃は、目の大きい少女漫画も読んでたんだぜ」

 いざお店に行ってみると、その様子も以前とは大きく変わっていて、当然ながら今やっているアニメの原作なんて、始めて見るものばかりだった。ジャンルは色々で、特にこれ、といった流行りはないらしい。わたしの中学、小学時代は、第何次かわからないけど、ロボットブームだったな。女の子はちょっと肩身が狭かった。

「お前の好みはどれだ?あたしが思うに、こういうのなんだけど」

「あ、あたりです。色使いの優しいイラストって、わたしすごく好きなんですよね。デフォルメもそんなにされてなく、リアルに近い頭身で、出来るだけヒロインの子は貧乳が良いです」

「お、おう……」

 那美子さんの指差したラノベの表紙では、水彩的な色使いで描かれた、和服姿の女の子が儚げな笑みを浮かべていた。タイトルは、『神泉の伝説』。どうやら表紙の子は神様のようで、主人公の男の子とのゆったりとした恋愛模様を描いたもののようだ。どこかで見た作者名だと思うと、カバーの折り返しのところを見るに、以前にも作品がアニメ化している人気の人だった。挿絵の人とのタッグも二回目で、この人の作品にはこの絵、って決まっているんだな。

「これ、買ってみます。アニメも、見たいですね……」

「買うのは、今日のところはあたしが払うけど、アニメはやめといた方が良いぜ」

「えっ?もしかして、声優さんが合わないとか、作画崩壊ばっかりとか?」

「いや、今は八月の中頃。夏アニメは始まって結構経ってるぜ」

「あっ……一巻だけ読んだ段階だと、きっとネタバレになっちゃいますね。三巻ぐらいまで買います」

「そういう解決法に出たか……」

 あらすじを読んだ感じだと、わたしでも楽しめそう。人気作品なんだし、一気に買っても大丈夫かな。

「他には……あっ、那美子さん、もっと買って良いですか?」

「入学祝の前借と思って、好きなだけ買えよ。魔法使いにとって、こういうのに使う金は必要経費だから、遠慮しないでくれ」

「あ、ありがとうございます」

 そうか。魔法使いになると、漫画もラノベも胸を張って買いまくって良いのか……そんな打算でなる人もいそうだな。それも立派な一つの夢を見る理由だし、そういう魔法使いこそ成功しそうな気もする。萌えに造詣が深いということは、それだけ魔力の回復がしっかり出来るということだ。魔法使いとして大事な才能に違いない。

「これは……ヒロインの胸が大きい。こっちも、中途半端にあって嫌。あっ……ロ、ロリ巨乳…………」

「美静、お前そこまで胸のこと気にしてるのか?」

「貧乳にしか感情移入出来ないんです……それがわたしという人間、ひいては人種に背負わされた過酷な運命なんです」

「そうなのか……」

 三次元の胸はむしろ、天に与えられたものなのだから、それほどコンプレックスを感じない。問題は、いってしまえば自由に描き変えられる二次元において、巨乳に描かれるキャラクターの方だ。世が世なら、そのキャラは貧乳にされていたかもしれないし、作者の考え次第で、同じ性格の男性キャラが登場していたかもしれない。それなのに、たまたまそのキャラが巨乳になっていることに、コンプレックスを感じざるを得ない。……特に、巨乳である必要が特にないキャラ。

 かといって、巨乳イコール包容力があるとか、お姉さんキャラというキャラ付けもどうも許せない。じゃあ、貧乳の年上の人は卑屈で、心まで狭いのか、という話だし、そのせいで貧乳を馬鹿にされていた日には……。ああ、だからわたしは貧乳キャラがヒロインの作品を選ぶ。一番ストレスなく、素直に楽しむことが出来るから。

「ところでお前は、ああいうのに興味ないのか?」

「BLですか?」

「あ、ああ。よくわかんねーんだけど」

「ほどほどですね。むさ苦しい、汗臭いのはないです。百合ぐらい美しく、奇麗に絵が描かれているなら、楽しめますよ」

「なるほどな……」

 でも、わたしの一番は普通の男女カップルかな。あまりマニアックなジャンルはそもそも手を付けていないし、やっぱりラブコメの基本は男女、という頭がある。リアルでは男の子に中々話しかけられないし、出会いもないけど、二次元でぐらい甘酸っぱい恋のお話が楽しみたい。

 後、わたしの好みといえば、登場キャラクターの年齢が低い作品かもしれない。ロリショタ好きという訳ではなく、舞台が小学校とか、中学校とか。まだ精神的に未熟だからこそ、先生がすごく格好良く見えたり、恋愛というものがまだ全然よくわかっていなかったり、そうやってやきもちしているのを見るのが好きで、思わずにやにやしてしまう。思えばその時、わたしは一番萌えを感じているのかも。そんな考えが過ぎる。

「でも最近、あんまり小さい子の出る作品ってないですよね……」

「これも最近の傾向かもしれないけど、大学が舞台ってのが多くなったよな。ほら、最近とりあえず洗礼を受けるために魔法学校行って、卒業後は職業魔法使いじゃなく、大学通って、その後魔法使いになるか、魔法の使える普通の社会人になるか考える、ってパターンが多いからな。その辺り、時勢を反映しているんだろ」

「わたしには中々きつい世の中ですね……貧乳ヒロインの作品で我慢することにします。でも、これも……うひゃぁ、この子なんか、極上の貧乳ヒロインですよ!」

「お前……絶対もう、自分の属性わかってるだろ。うひゃぁて、そんな声普通出さないぞ。明らかにお前のキャラじゃねーし」

「そ、そうですか?でもこの、きゅっ、きゅっ、きゅっ、とスリーサイズ全部が控えめなこの体型って、理想ですよね」

 同意の声がないけど、あえて断言しよう。わたしは貧乳が大好きだ。二次元の貧乳は本当に大好きで、すごく応援したくなる。敵キャラが巨乳だったりすると特に。

 まず、わたしが思うに、メインヒロインというものは貧乳であってこそ、という哲学があり、黒髪ロングと貧乳はそれそのものが正統派ヒロインの象徴、属性。このどちらも欠けてしまうと、ヒロインというよりは三下、主人公に惚れていても、結局は振られるみたいな、いまいち不遇なキャラっぽくなってしまう。たとえ実際はそうでなくても、第一印象がそうなるのだから仕方がない。

 だから、典型や没個性といわれたとしても、わたしは貧乳ヒロインを推したい。わたし自身がそうだから、とか、そういうみみっちい理由ではなく、やはりヒロインとは永遠に、ヒロインであるべきなのだから。……考えている内に、深過ぎてわたしもよくわからなくなってきたけど、そういうことだと思う。

「という訳で、この貧乳黒髪ヒロインの漫画は買いです。妹が巨乳というのが泣きどころですが、そんな逆境にも負けないヒロインの強い意志をわたしは期待します」

「本当、貧乳に感情移入するな……ある意味すげー執念だよ」

「二次性徴が来ても、胸が膨らんでくれない。そのことの悲しさ、切なさ、やるせなさ、孤独感、疎外感、その全てを、わたしは知っていますから……」

 約三千円分を持って、レジに並ぶこと数分。無事に那美子さんのお金で会計を済ませ、出ようとすると、目に入る物があった。絶対に見逃してはいけない。そう本能が告げたそれは、購入した「神泉の伝説」のヒロインの等身大ポップ。もちろん、売り物じゃないので手に入れることは出来ない。でも――。

「那美子さん、この子と一緒に写メ撮ってもらっても良いですか?」

「ああ……本当、好きだな」

 ポップの横に並ぶ……と、ここでも運命的な出来事が起きた。なんと、この子の身長の設定は百五十三センチ。つまり、わたしと全く同じということになる。まさか、こんな偶然があるなんて。もう偶然とは思えない、これは……必然っ!

 わたしとこの子は、出会うべくして出会って、ここまでの一致性を見せている……ああ、生まれて来てくれてありがとう。だからこそわたしはこうして、あなたに出会うことが出来た。

「那美子さん!わたし、この子のコスプレをすることを真剣に視野に入れようと思うんですけど、どうでしょうか!?」

「別にお前がしたいなら、あたしは止めねーけどな……でも、茶髪で和服着ても締まらないだろ」

「もちろん、脱色ぐらいしますよ。そんなに深い意味があって染めているんじゃないですし、本当のコスプレとは、ウィッグなど使わず、地毛をキャラクターに合わせてこそだと思うんです。たとえその髪の色がピンクでも」

「お前、案外コアなオタクじゃないのか……?」

「い、いやだなー。本で得た知識ですよ。まさか、自分がその知識を活かす日が来るなんて思いませんでしたけど、こんな出会いを果たしてしまったんです。喜んでその運命を受け入れましょう」

 魔法学生の法衣は、制服と決められているという。でも、それは学校内での話。魔法使いの一員となった暁には、外で着る自分用の法衣も必要になる。……そのデザインは、完全に決まった。

「でも、良かったな。そこまで好きになれる作品が出来るなんて。これからは迷わなくて良くなった訳だし」

「えへへ、そうですね」

「お前、萌えのスイッチ入ると、本当に急激にキャラ変わるな…………」

説明
一話にして師匠的ポジションのキャラが退場する
あまり自分の作品内で人死は出したくない主義なのですが、美静には影を背負わせたいと思い、こうなりました
元から暗い子ではあるのですが
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牢獄の愛魔法使い

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