牢獄の愛魔法使い 五話
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五話 少しだけ見えた真実

 

 

 

 十月も中旬を過ぎ、そろそろ「涼しい」が「肌寒い」になるようになって来た。

 わたしは冬というのが苦手で、毎年これでもかというほど厚着をしては、逆に熱過ぎて大汗をかいていたりする。

 かといって決して夏も好きではないので、ただ堪え性がないだけなのかもしれない。

「美静ちゃんっ。良い季節になって来たよねー。私、薄着の女の子も好きだけど、コートとか着てる女の子も好きなんだ」

「そうなんだ……。わたしはちょっと憂鬱だけど、雪華ちゃんは元気そうだね」

「もちろん!名前からわかってもらえるように、私が生まれたのも冬だから、四季だと一番冬が好きだよ。静かで、寒いんだけど、人の心は温かくなっていて……クリスマスとか初詣みたいなイベントごとにも欠けないしね」

「そっか、自分が生まれた季節って、特別だよね。――じゃあわたしは、春か……」

 では、菖蒲さんが生まれたのはアヤメのシーズンであるあの五月頃だったのだろうか。そして、そのままその季節が亡くなった季節にもなってしまった。アヤメの旬が終わると同時に、なんてロマンチックを通り越して悲し過ぎる。

 もう世間的には彼女の死は過去となり、わたしや那美子さんも出来る限りは蒸し返さないようにしている。でも、今一度、彼女の生前の軌跡を辿りたい。雪華ちゃんとの何気ない会話から、強烈にそう思うようになっていた。

「あれ……?私、もしかして何か悪いこと言っちゃった?」

「う、ううん。大丈夫だよ。ちょっと昔のことを思い出してただけ」

「昔のこと……美静ちゃんがロリっ子だった時代のこととか!?」

「そ、そうじゃないよ。割と最近のこと。後、わたしって昔から本当にずっとこんな感じだよ。身長がちょっと伸びただけで、童顔だし、スタイルもご覧の通りだし……」

「だがそれが良い!」

「良いんだ……」

 雪華ちゃんはやっぱり、わたしなら何でも良い次元にまで来ているのかな。彼女に見せている「わたし」は本当にまだ一部分で、もちろん本心で交流しているけど、わたしが黒髪じゃなく、ちょっと茶色に染めていた時代のことも知らない。だけど、雪華ちゃんはほとんどわたしを溺愛していて、よく考えると不思議な関係だな、と思う。

 彼女があんまりわたしを好きでいてくれるから、わたしの方でも、まるで生まれてからずっと一緒にいた幼馴染のように、彼女には悩みも、弱い面も、時たま感じるどうしようもない憤りも、全てを見せている。ぶつけるのではなく、見せる。それがただの相談相手と、友達との大きな違いだ。

「あっ、もうすぐお昼休みも終わっちゃうね」

「次は……教室だよね。いやいや、いい加減私も時間割をきちんと頭に入れる時期ですよ」

「そうだね。ちゃんと記憶してても、たまに予期せぬ実習が入るけど、そこは仕方ないしね」

 わたしの成績は、ペーパーテストの方でもちゃんとトップをキープしている。

 他の先生は違うけど、那美子さんは授業中にやった小テストの満点を取った人を読み上げるスタイルを取っている。その時にわたしの名前がなかった時はなく、そのことで那美子さんにも褒めてもらえた。

 皆は実習を喜び、ペーパーテストを嫌うけど、わたしはどちらも同じぐらい好きだ。魔法の理論や歴史を勉強するのはすごく楽しいし、やっぱり箒を乗り回すのも最高に気持ち良い。昔はこんなに学校が楽しいと感じたことがなかったのに、今のわたしはすごくいきいきしているみたいだ。

 その理由は、わたしが魔法に憧れてそれが大好きだったのもあるけど、雪華ちゃんという友達の存在や、特別親しい先生である那美子さん、それから、妬むこともなくわたしを評価して、頼ってくれる同学年の他の生徒の力も大きい。押し付けられるようにクラス委員になったけど、今になって思えばそれで本当によかったと思う。適当に見えて、深く人のことを考えてくれている。それが那美子さんという人なんだろう。

 本当、那美子さんには感謝してもしきれないほどお世話になっている。だから、彼女にまたお願いをするのは正直心苦しいけど……わたしが心から「菖蒲さんの分も生きる」ためには、開けなければならないパンドラの箱がある。

 いや、その中身は絶望とも希望とも、無為とも判断が付かず、それ故にいつか必ず確かめないといけない。そしてその「いつか」はきっと、今でも良いはずだ。

 

 

 一度決めたわたしの行動は早くて、放課後いきなり那美子さんと話を付けた。今週の土曜日に菖蒲さんの家に入ることになり、三日経って土曜日。菖蒲さんの家の前で待っていると、箒に乗った那美子さんが現れた。

「よう、おはよう。十分前に着いたつもりなんだけどな」

「おはようございます。三十分前にはいましたので」

「そんなにか。暇じゃなかったか?」

「いいえ、本を読んでいたので」

 本のタイトルは「神泉の伝説」の最終巻。遂にこの日が来てしまい、わたしはもう彼女達の物語を読めなくなってしまった。でも、泣きはしない。わたしの中でこの作品は永遠となるはずなのだから。

「そうか。じゃあ魔力も十分ということだな?だったら、この家の鍵を開けてみろ。物理的な鍵と魔法の二重ロックになってる。鍵を回しながら、その鍵に魔力を込めれば良いだけだけどな」

 そう言って渡された鍵は、美しい銀色に輝いている高級そうなものだ。いや、多分これは銀製。本当に高い物だと思う。

「はい。こんな感じ……ですか?」

 ただ鍵を鍵穴に挿すだけでは、確かに回すことが出来ない。そこで鍵に魔力を注ぎ込むことをイメージしてから回して見る。そうすると驚くほど簡単に鍵は開いて、立派な木製の扉のドアノブを回して空けることが出来た。

「その鍵はお前が持っとけ」

「えっ……?良いんですか」

「多分、あいつはその方が喜ぶだろうからな。これからはお前が自由に出入りすると良い。あ、でもあいつの持ち物の中にはヤバい物も相応にあるだろうから、それにはあたしが封印を施しておくぜ。冗談みたいな話だが、人を喰い殺すような魔本とか、触った相手の魔力を奪って暴走する魔道具があったりするんだ」

「そういう物騒な物を、菖蒲さんが収集していたんですか?」

「魔法使いには色々と事情があるからな。そりゃ、あいつも好きで集めたんじゃないと思うが……いや、案外そういうのにはノリノリかもな。それに、あいつにしてみれば箒の時点で十分強力な魔道具だったんだ」

「あ、ああ……」

 アイリス・ブーケという名前の箒。魔法使いの相棒ともいえる箒には大抵が名前が付けられているけど、それは持ち主が勝手に付けたものであり、職人が生み出した時から名前の付いている物は少ない。しかし、この箒はアヤメのような外見と、名前を与えられている。しかもそれ自身が魔法使いの魔力を何倍にも引き上げてくれる強力な能力を持っていて、これだけの物を菖蒲さんがどうやって手に入れたのか、実は那美子さんも知らないという。

 わかっているのは、これが生前の菖蒲さんの相棒であり、今はわたしの手の中に収まっているということだけ。その出自も、果たして菖蒲さん以前の持ち主がいたのか、それもわからない。

「ま、入ろうぜ」

 初めて入る、菖蒲さんの家。外観はよくある洒落た洋風の一軒家、といったところ。その中は、外見に違わないアンティーク風の家具が並べられた中世のお屋敷のような、落ち着いた豪華さのある豪邸だった。

 明る過ぎない照明は、なんとシャンデリア。自然な木の模様を活かしながらも、金か真鍮で装飾のなされたタンスやクローゼットもすごく趣味が良い。今時こんな家、テレビのお部屋紹介番組でも中々見られない。それぐらいお金と手間がかかっていて、何より家具集めのセンスの良さが光る、素晴らしい生活空間だ。

「菖蒲も玲菜も、こういうのが好きだったんだ。家具を買う金は二人が出し合って、ここまで揃えたんだな。どれも数十、数百万ってするんだから、あいつ等の稼ぎがよくわかるだろ?」

「そ、そんなに儲かるものなんですね。薄給ではないと聞きましたが」

「仕事によればな。魔法使いは大勢の人間の命も、財産も背負うことが結構ある。そういう仕事をきちんと成し遂げれば、かなり稼げるな。ほとんどタダ働きみたいな仕事ももちろんあるから、そう考えたらバランス取れてるんだけどな」

「そうなんですか……」

 お金が欲しくて魔法を使う訳じゃないけど、それ一つで生きて行こうと思うのだから、やっぱりお金の話は気になってしまう。永遠に続くかと思われた不況も、魔法の存在によって多少は改善されていて、どんな職業でも生活に困るほど稼げない、ということはない。魔法使い以外の働き口もかなりある。……ただし、どんな職種でも魔法が使えるかどうかは大きな採用基準となって来るから、現代人はやっぱり魔法から離れられないということになる。

 かつてのわたしのように、魔法の才能がないと思われている人間は、逆に魔法じゃないという部分を強調して商売していく必要があった。この辺りは、農薬や遺伝子組み換えを行っていない、というところを売りにした昔の農家さんとも似ているかもしれない。今だと無魔法、無強化、といったところだ。実際に土魔法使いの農家は多いし。

「いくら友達でも、死んだ奴の部屋を漁るってのは抵抗あるが、家族も他に親しい奴もいないしな……。美静、お前は書斎を適当に見てみろ。前にちょっと見た感じだと、あそこには主に日記類、メモ書き、雑誌の切り抜きのスクラップブックなんかがあったはずだ。目ぼしい物があったら、拝借して良いんじゃないか」

「わかりました。那美子さんは?」

「見た目は奇麗だが、この辺りのタンスなんかには服以上に魔道具が詰まってるんだ。役に立ちそうな物と、ヤバいのをより分けておこう。玲菜のも残ってると思うから、雪華にも参考になる物はあるだろうし、完全に一日仕事だな。お前も暇が出来たら、増援に来てくれ」

「た、確かに大変そうですね……。では、ちゃちゃっといってきます」

 ちゃんと書斎の位置は訊いていなかったけど、普通は書斎といえば二階かな、と思って階段を上ると、やっぱり大量の本棚と、大きめの机のある書斎の扉が開いていた。

 もしかすると居間以上に広いその部屋は、玲菜さんと共有のものだったのだろう。机は二つ、本棚も菖蒲さんの物と玲菜さんの物とに分けられているようで、この部屋にある本はどれも趣味の本のようだ。菖蒲さんは主にミステリー小説、玲菜さんは伝奇小説の類が好きだったらしい。まだ若い女性なのに、恋愛ものが好きだったりはしなかったところが、なんとも天才魔法使いである二人らしい。

 菖蒲さんの机が、すぐに彼女の物とわかったのは、近くの窓にかかっているカーテンがアヤメの花をあしらった物だったからだ。かといって、玲菜さんのカーテンが雪や氷の柄という訳じゃなく、明るいオレンジの物だったけど、わざわざアヤメのカーテンを玲菜さんが選ぶようなややこしいことはしないだろう。それに、玲菜さんの机には日記帳が見当たらなかった。反して菖蒲さんは、一日一ページ書くことの出来る日記帳が、なんと七冊も書き上げられていた。

 つまり、十五歳。魔法学校に入学した年から書き続けていたということだろう。軽く中を覗いてみると、たくさん書いている日と、そうじゃない日の差が激しく、なんとも菖蒲さんらしい日記だ。日記の内容はやっぱり、学生時代から一貫して玲菜さんや那美子さんのことばかり。ただし、那美子さんが登場するのは一年生の年の中頃からになる。これは那美子さんがわたしのように後期の入試に受かって、秋から魔法学校に通い始めたからだろう。そして、那美子さんの記述について、どうも引っかかるところが目立つ。以下、抜粋。

 

『今日も那美子は半泣きで私のところにやって来た。どうも、また実習で上手くいかなかったらしい。とりあえず抱き締めて、ご飯を一緒に食べて愚痴を聞いてあげた。ところで今日のお弁当、すこぶる不味かった。どう考えても醤油の分量が多いし、本当に玲菜は……』

 

『今日も今日とて、那美子は半泣きで私達の教室にやって来る。今度は悲しいんじゃなく、嬉し涙で。なんと一気に席次が良くなったという話だった。それは良いとして、玲菜の料理は本格的に殺人食の様相を呈して来た。どうも本人は上達していると思っているらしく、大胆なレシピの改変に踏み切っては、隠し味という名の全てを台無しにする材料を入れ、人の寿命を縮める逸品にまで昇華させている。注意しても聞かないし……』

 

『那美子が遂にグレた。いや、前々から不良っぽいのは知ってたけど、遂にクラス一位の成績になり、嬉しさで軽く天狗になっている風に思える。良いなぁ、私は玲菜がいる限り永遠の二位だろうし、玲菜を謀殺する計画を実行に移すべきかもしれない。そんなのは良いんだけど、今日は学校で玲菜にお弁当の文句を言ってやった。あんたの料理はやっぱり塩分が多過ぎる、と。そしたら明日からは砂糖を倍入れるという。違う、そうじゃない。ついでに言えば私はあんたのモルモットじゃない』

 

『いよいよ学年末試験が終わり、上位者の名前が張り出された。順位は一位から玲菜、私、那美子、……、……、奇しくも上位者の内四人が私のクラスから。担任のK先生は鼻高々、って感じだった。それにしても、やっぱり私達が一緒に練習をしていた那美子の成績がここまでになって嬉しい。彼女は後期入学だし。魔法使いも良いけど、先生にもなりたいな……と思った。三十ぐらいまで魔法使いして、その後先生になる?そんな先生も多いし、選択肢としては大いにありかもしれない。

 そして、玲菜のお弁当を興味本位でお母さんが栄養士だという子に渡して、その栄養価を調べてもらったら、致死量の塩分と糖分が検出され、このままこんな物を食べ続けたらありとあらゆる生活習慣病を併発しかねないという結果が出た。駄目だ。二年からは私が頑張って朝起きて作る。私はまだ死ねない』

 

『今日も、朝起きれなかった……明日からは目覚ましを五つに増やそうと思う。ところで今日は現役の魔法使いの人の話を訊いた。やっぱり私は、魔法使いになりたいんだと思う。その決意が固まった』

 

 ざっと読むつもりが、気付くと一時間以上じっくりと読み込んでいて、菖蒲さん達の学生時代がかなり鮮明に見えて来た。

 中でも、今年一番の衝撃は那美子さんの過去だ。成績が伸び悩んでいたのは、本人が繰り返す才能がないという言葉から、まだ理解出来る。でもまさか、それが原因で泣いて菖蒲さん達に縋っていたとは……。

 後、今までは神秘のヴェールに包まれて、まるで天の上の人のように感じていた玲菜さんが料理下手で、しかも菖蒲さんに謀殺まで計画されていたとは。それは冗談にしても、菖蒲さんの本気の苦悩が見て取れて面白い。

 そして何より、菖蒲さんとわたしが出会ってからの日記。六月まで書いたところで、とうとう未完のまま打ち捨てられてしまっている日記帳には、彼女のわたしへの本心が残されていた。

 

『結論から書くと、美静ちゃんはすごく可愛い。これ以上がないってぐらい私好みの容姿、性格で、応援してしまいたくなるところは、那美子にも似ているかもしれない。今の仕事に満足している彼女にはお節介かもしれないけど、もっと似合う舞台があると思う。何か私に出来ることはないだろうか』

 

『悪魔契約。お世辞にも良い響きとは思えないけど、美静ちゃんのためにも可能な限り情報を集めないと。なんとなく資料の目星は付いているし、仕事の合間に色々と探してみよう。……それにしても、最近の私はすぐ近くに玲菜がいるような感覚がする。一年経って、彼女を失った悲しみが改めて強まった?――いや、きっと違う。あえて言葉にするのなら、再会の予感。縁起でもない話だけど』

 

『必要な情報は全部揃った。多分、これで美静ちゃんに魔法を授けてあげられる。でも、同時に変な胸騒ぎがある。決して幸福の予兆などではなく、もっと不吉なもので……多分これは、美静ちゃんや那美子ではなく、私自身に降りかかる何かの予感だ。だから、ちょっと今日は残りの紙面で今までのことをまとめてみたいと思う。それから、皆へのメッセージを。

 私が魔法使いを志した理由は、決して何か明確な野望があったからじゃなく、なんとなく魔法使いに憧れたから。そして、同時に人に何かを教えるのも、人と話すのも大好きだから、先生にもなりたいと思った。玲菜や那美子との学校生活は楽しくて、充実していて、家族がいない寂しさを感じる暇もなく、私は幸せだった。

 社会に出てからは、目に映る人を、お節介でも無理矢理助けて、お金よりも自分のしたいこと、また自分でするべきだと思ったことを優先して来て、今があるのだと思う。美静ちゃんと出会えたのは本当に偶然だったけど、こうして最後まで世話を焼くことになって、私としてはすごく満足している。彼女自身も喜んでくれたら、もうこれ以上にいうことはない、かな』

 

 ここで次のページに移っている。本来なら、明日の日記を書くべきページに。

 

『那美子へ。もしあなたがこれを読んでいるなら、私はもうあなたの傍にいないか、いたとしてもまともな状態ではないと思う。だから、文面上だけのお願いになってしまうけど、あなたを親友と見込んで頼みたいことがある。

 本当なら私がしたかったことだけど、美静ちゃんのことはあなたが見ていてあげて。彼女が望むのなら、あなたの知る限りの魔法の知識を与えて、あなたの出来る限りの稽古を付けてあげて、彼女が望む魔法使いになれるように全力を尽くしてもらいたい。それが私のただ一つの願い。

 それから、遺産相続について。私には家族がいないはずだけど、遠い親戚なんかが来て揉めると嫌だから、明言しておくと、家は日向那美子に。家の中の物品の全ては佐金美静に相続します。後は当人が思うように役立てて。どれも天国には持って行けない物だから。

 人は私の人生を短く、決して充実していなかったものだと言うかもしれないけど、私としてはすごく濃密で、やりたいことの半分は出来た人生だったと思います。……まだ半分だけだと思うけど、贅沢は言えないよね。やっぱりまだまだ生きたいよ。でも、きっとこれは定められていたこと。それに抗う術がないのなら、私はこれで満足していこうと思う。さようなら。

 

 なんて、もし私がこの日記を書いた翌日に死ななくて、後からなんらかの理由で私以外の人がこれを読んでいるのなら、思いっきり笑ってね。こんな遺書みたいなこと書くなんて、悲劇のヒロイン気取りかって。全然キャラじゃないのに、馬鹿みたいだね』

 

 次のページから先は、白紙。白紙。白紙。白紙。白紙。

 書かれるはずの言葉はあったはずなのに……いや、菖蒲さんが運命というものを受け入れていて、彼女の死が定められていたことだというのなら、次のページに書かれる言葉はそもそもなかったということだろうか。

 でも、あまりに哀しくて、日記帳を手に、声も涙もなく泣いた。嗚咽すら出ない。多分わたしは、完全に言葉を失いながら泣いているのだろう。

 どんな声を出せば良いのか、どんなことを考えて泣けば良いのか。それすらもわからない、どこか現実離れした現実の哀しさ。悲しさの洪水、あるいは濁流。菖蒲さんの体を抱くように日記帳を抱き、しばらくそうして……そっと机にそれを戻した。

 さすがにこれを持って帰ってしまう訳にはいかない。こんな、菖蒲さんの魂が文字という形になって残っている物を手元に置いていたら、間違いなく毎晩泣いてしまう。わたしは決して図太くは出来ていないし、涙を堪えることもそう易々とは出来ない。今はただ、涙の出し方もわからないぐらい悲しんでいるだけだ。

「菖蒲さん」

 続く言葉はない。頭の中で考える。わたしは立派な魔法使いに。あなたの分も人を助ける。あなたのくれた魔法と共に人生を歩む。いつかあなたの仇討ちを。

 どれも正しくて、どれも間違っている気がした。違う、やっぱり菖蒲さんは、わたしの人生が菖蒲さんが原因で歪むことを決して望まない。わたしはわたし自身の目標を立て、それに向かって行くべきだ。そう菖蒲さんは言ってくれているはずだ。

 だからわたしは、あの言葉を繰り返す。

「未来に愛を、明日に輝きを」

 きっとこれがわたしの全て。漠然としている。どこかで聞いたことがある。途方もない。だけど、これがわたしの誓い。

 わたしはこの誓いを守り、明日も菖蒲さんにもらった魔法を使い続ける。大切な人と共に生きながら。

「菖蒲さん、今日のところはこの辺りでお暇させてもらいます。また、来ますね」

 まだこの家を出るつもりはないけど、なんとなく菖蒲さんはこの部屋にいる気がした。元からそうだったように扉を空け放ったままで下に降りる。階下では尚も那美子さんが菖蒲さんの収集品と格闘しているみたいだ。

「那美子さん。遅くなってすみません」

「お、来たか。いや、あたしも結構楽しみながらやってるし、気を遣わなくても良いぜ。しかし、よくもまあこんなに珍品を集めたもんだ。ここにある物を全部売れば、冗談抜きでこの家と同程度の家を丸々一軒買えるぐらいの金額になる」

「そんなに、なんですか」

「ああ。とりあえず現時点でお前に渡しておきたいと思ったのはそれだ。このまま置いてても邪魔になるし、家に持って帰ってくれ。もう戻ってくれなくて良いぜ。後はあたしがやっておく」

「え、でも鍵が……」

「合鍵は作っておいたよ。自分の家でもないのに、複製した方を人に渡すのも失礼ってやつだろ?それに、あいつはこの家の全てをお前にやるって残したんだ。一応、家自体はあたしのもんらしいけどな。鍵も家の備蓄品の一つみたいなもんだ、もらっとけ」

「は、はい……」

 銀製の鍵をスカートのポケットの上から確認して、言われるがままに端にどけられていたわたしのための物を拾い上げる。

 一つは四つ折りにされた紙。もう一つは見覚えがある小さな瓶に入れられたコバルトの粉末。それから、その下にあるのは……一冊の本。日記帳とは明らかに違う、魔力を全体から感じる魔法の世界の書物だ。

「服のデザイン……?」

 ある意味で一番気になる白い紙きれを開いてみると、それは手紙やメモではなく、洋服のデザインが描かれたものだった。色鉛筆で簡単な彩色もされていて、デザインした人――つまり菖蒲さんのセンスが光る、とても可愛らしくあって、魔法使いらしいミステリアスさもある衣装だ。ただ、ここまでの完璧なデザインがされている割には分解図というものがなく、いまいちどうやって袖が縫い付けられているかなど、詳細なところが見えて来ない。これ一枚で服を縫うことは無理そうだ。

「那美子さん、これはどう使えば?」

 服のデザインもそうだし、悪魔契約の魔法陣が描かれていたコバルトの粉末も、わたしにはいまいち使い方がわからない。

 どちらも菖蒲さんの財産ではあるかもしれないけど、現時点でのわたしに持たせて価値がわかる物ではない気がした。

「予想が付かないか?そのままじゃ使えなさそうな服のデザイン画、雷の悪魔を召喚する時に使った宝石の粉末」

「え、えーと……」

「いつまでも支給品の法衣を着ているようじゃ、魔法使いとしては二流ってやつだぜ。学生の間はそれでも良いかもしれないが、学外でも制服を着ているようじゃ、“天才”魔法使いとしては格好が付かない。

 ……あいつ、お前が将来的に着ることになる法衣までデザインして用意してやがったんだ。コバルトは法衣を紡ぐ際に“つなぎ”にするための物だな。役目を果たしたら消してしまう武器と違って、ずっと服として着たり、洗濯したりしていく法衣は、魔力だけじゃなく魔力をよく帯びてくれる宝石も混ぜて作った方が良い」

「なるほど……法衣って、自分で作る物なんですね」

 それも驚きだけど、まさか菖蒲さんがわたしの法衣のデザインまでしてくれていたなんて……わたしは本当に、どれだけ彼女にお世話になるのだろう。亡くなられて尚、彼女の残した物に感動させられてしまうなんて。

「制服みたいに買っても良いが、職業魔法使いは普通自作だな。やっぱり身に着ける物だし、自分自身の魔力から作った方が相性良いに決まってる。もちろん、あたしのこれも自作だぜ。サイズ合わなくなってもすぐに直せるしな」

「まさか……まだ大きくなっているんですか?」

「な、んな訳ないだろっ。Z軸じゃなく、X軸方向にデカくなることだってあるんだ。二十歳過ぎた辺りから、どうも脂肪が胸じゃなく腹に……って何言わせてんだ!」

「え、ええー?」

 明らかに自爆だった気がするんだけど、その怒りはちょっと理不尽ってやつじゃ。

「それで、こっちの本は……」

「ああ、悪魔契約についての奥義書……の写しだな。より上位、って言うと変だが、情報量の多い書物である『大奥義書』は原典が図書館にあるだけだが、こっちの写本は結構多いんだよ。それでも安い本じゃないんだが、普通に本棚に入ってやがった。お前のために買われた本だろうし、お前が最大限に活用してやれ」

「そうですか……わかりました。ありがとうございます」

「その感謝は、菖蒲にな」

「はい……っ」

 写本といっても、この本自体の魔力が凄まじい。普通の紙で作られた本じゃないのは明らかで、恐らく古くから「神木」とされている、特別な木から作られた強い魔力を持つ紙に、やっぱり普通のインクじゃなく、このコバルトのような宝石を混ぜたインクで文字の書かれた本なのだろう。となると、当然ながら手書きだ。ざっと見た感じ、五百ページはある本なのに。

 おいそれとは見ることすら出来ないであろう魔本と、お手製の法衣のデザイン画を同時に持つというのも、中々にシュールな光景かもしれない。けど、どちらも等しく大切な菖蒲さんの財産だ。

「法衣の作り方は、また明日にでも教えるからな。んじゃ、お疲れ」

「はい、お疲れ様です。お先に失礼します」

 菖蒲さんの家を離れる。わたしが今まで思っていた以上に、わたしのことを想ってくれていた生涯の先輩の家を離れる。

 またいつでもここには来れるのに、立ち去ることがなんだかすごく寂しいことに感じた。

 

 

 

 日曜日。新しい一週間の始まり。わたしと雪華ちゃんにとっては、魔法の特訓の日。

 那美子さんは昨日の疲れを感じさせない活力溢れる笑顔で現れた。……といっても、既に今日は朝から会っている。

「さてと、まずは雪華。今日はお前に嬉しい知らせをやろう」

「おっ、なんですか?もしかして、美静ちゃんをお嫁にもらって良いとか?」

「あー……それはまあ、お前が自力でなんとか口説き落とせ。もっと目先の利益のことだ」

「で、ですよねー」

 雪華ちゃん……嬉しいことで真っ先にそれが挙がるのは、本気?

「お前をしごく時間がかなり短くなるだろう、って話だ。今日は美静の現時点の実力を測る。つまりはまあ、あたしとの決闘だ。美静、問題ないよな」

「一対一の決闘ですか。……わかりました。前に一度だけしましたけど……今ならわたしにも多少の自信は、あります」

 なんとなく、そんな予感はしていた。新しい、完全に自作の法衣を作り、奥義書から更に様々な知識を吸収出来た。まだまだ那美子さんの知識と経験には遠く及ばない。でも、一瞬で負けてしまうようなことはないはず。

 彼女を超えるのはまだまだ先になるだろうけど、現時点でのわたしの全てを出し切る。それがこの半年の集大成になる、そんな気がしていた。

「よし、気迫は十分ってとこだな。ハンデのために、あたしは炎魔法しか使わないが、手加減はしないからな。法衣ごと焼かれる覚悟をしとけ」

「はいっ……!」

「おぉー、強気な美静ちゃんも最高に素敵だっ」

 とりあえず雪華ちゃんのことはスルーして、今着ている上着を脱いで、法衣の準備をする。

 そう、わたしは那美子さんのようにいつも法衣を着るのではなく、必要に応じて着替えるスタイルを取ることにした。理由は……菖蒲さんのデザインしてくれた衣装はすごく立派なものなんだけど、わたしがいつも着て歩くにはあまりに可愛過ぎて、正直わたし自身、痴情に耐えられそうにないから。かといって、後から法衣を呼び出し、着替えるというのも中々に恥ずかしい。なぜかといえば。

「きゃー!美静ちゃん今、最高に魔法少女みたいだよっ」

 魔法による着替えとは、誰もが思い浮かべる「魔法少女の変身シーン」に限りなく近い。体を魔法の光が包み、徐々にそこに法衣が召喚されて、少しずつ法衣に着替えていくことになる。ご丁寧に法衣は末端の部分から出来上がって行き、胴体の部分は最後。おしまいに黒いリボンが帯のように腰に結ばれて完成だ。

 菖蒲さんのデザインによるこの法衣は、簡単にいえば黒いゴスロリ調のミニドレスということになる。ただし、濃紺のケープや、まるでアーミーブーツのような黒い革靴、短いスカート丈によって露出されている足を隠すように巻かれたパレオ風の黒い布などは、ゴスロリのイメージとは少し違い、中世の怪しげで神秘的な魔法使いのモチーフだという印象を受ける。

「可愛いー!美静ちゃんマジ小悪魔って感じだね」

「こ、小悪魔?」

「まあ、モチーフは悪魔だろうな。吸血鬼っぽくもあるし」

「吸血鬼……」

 可愛いし、自分でもすごく気に入っているから良いけど、悪魔呼ばわりか……。

『他人の気がしないな』

「こういう時に出て来てくれなくて良いから。ハウスっ」

 急にグラシャ=ラボラスが話しかけて来るものだから、変な汗をかいてしまった。まさか、本当に同族を呼び寄せる効果が……?

 というか、わたしの使い魔。あなたはもっとこう、シリアス要員みたいなキャラなのに、もう少し空気を読んで登場してもらいたい。

「そろそろ始めるか」

「はい。よろしくお願いします」

 気を取り直して、箒を持ち直す。魔力の風が法衣をはためかし、箒にまで魔力が満ちるのがわかる。昨日は奥義書を読み込むのと同時に、萌えもきっちりと補給しておいた。100を超えるという魔力指数がフルに活用されている。魔力切れの心配はなく、常に最高威力で魔法を行使出来る。――那美子さんに対しても、決して無力ではないはずだ。

 

 

『未来に愛を、明日に輝きを――!』

 

『煉獄の果てに救いを――!』

 

 

 真昼の空が暗く、堕ちていく。白いカンバスを何の意味もなく黒い絵の具で塗りたくるような、悪魔的悪事。

 そんなことを考えても、考えなくても、結界に包まれた世界は裏返しになる。

 外の世界がどうであれ、ここだけは魔法使いだけの世界。わたしが何をしても良い世界。菖蒲さんの残滓を感じることが出来る、唯一の空間。

「那美子さん。何をしても良いんですよね?」

「ああ、お前の全てをぶつけて来い。もしあたしから一本取れたら、少なくとも一年の成績は歴代最高のを付けてやる。それほどまでにお前が“天才”だっていうならな」

「そんな称号はいりません。でも、今のわたしの実力が使う属性を絞った那美子さんに匹敵するのなら、それは励みになりますから――全力で、その首を貰い受けに行きます」

 雷魔法使いとして、最初に使う魔法は何か、既に決まっている。那美子さんだってわかっている。箒にまたがったわたしは、飛行強化の魔法を用いて、一気に宙を駆け出す。炎魔法相手に肉迫するのは分が悪い、近付くのではなく大きく距離を取り、そこから第二の魔法を発動させる。

 距離を問わず放つことの出来る落雷、ロングレンジからでも大威力を期待出来る電撃砲、次の一手に繋げるための装備作成。候補はいくらでもあるけど、自分から距離を取ったということは、那美子さんにも時間を与えてしまったことになる。半端な攻撃、布石を打つ程度では、逆に相手に優位を取らせることになってしまう。ここは考えられる限り、最高の魔法でわたしの優位を確立させる。

 描かれる一メートル大の魔法陣。その中心に集まる電撃の束。青い雷の塊は、徐々にその姿を変え、一つの生き物を形作る。以前、那美子さんのものを見た使い魔の召喚。奥義書にあった、既存の召喚魔法の強化形態、ガーゴイルをただの有翼の悪魔から、強力な魔法生物へと昇華させる魔法だ。

「天翔ける蒼雷の竜騎士。グラシャ=ラボラスが眷属の一体。我が招請に応え、顕現せよ」

 姿を現したのは、最早貧弱な翼と手足を持つ悪魔ではなく、筋骨隆々とした、たくましい体躯の翼竜。その大きさは四メートルを超え、手に持つ双剣はそれぞれが三メートルの長さにも及ぶ。

 名前を付けるとすれば、ワイバーン・ナイト、といったところだろうか。自分が想像していたものより、ずっと立派な使い魔を召喚してしまい、思わず自分でもたじろぐほどだ。

 けど、この巨大な竜も、わたしが規定した通りにだけ動く魔法の産物。顔がいかつくて、体が大きいからといって、別にビビらなくても良い。別に、ビビらなくても……。

「そ、そんなにこっち見ないで。すごく緊張するというか、食べられちゃいそうというか……」

 恐ろしげな見た目に反して、騎士という称号が似合うほど大人しく、慎ましやかな竜騎士。でも、肝心の主人の方が大いにビビってしまって、折角の使い魔をまるで機能させることが出来ない。

「これまたデカいのを用意したな。けど、ウドの大木って言葉もあるよな?」

 わたしの召喚に対抗してか、那美子さんが行使したのもまた、使い魔の召喚のための魔法だったらしい。炎属性の大物といえば、炎を吹く竜なんかが思い浮かぶ。でも、那美子さんが用意したのはもっと小粒な使い魔で……。

「行け、お前等!ほどよく焼いて、ステーキにして食うぞっ」

 物騒?な言葉に反応してこっちに向かって来たのは、前にも見た翼を持った目玉。フェニックス・クレスト。ただしその数は全部で十匹もいて、全てが以前にはなかった敵意のこもった赤く充血した……もう弁護の余地がないほど気持ち悪い目でこっちを睨んでるっ。

 どんな風に攻撃するのかと思えば、赤くなった目が光り、そこから高熱の光線が放たれて、一直線にそれが地面を焼き焦がした。威力は十分。自己防衛反応で竜騎士は攻撃を避けたけど、もし命中していれば巨体の竜といえど、一発で致命傷になりかねない攻撃だ。しかもそれを撃つ使い魔が十匹もいる。那美子さんに召喚勝負を挑んだのが愚かだったのか、わたしと竜がどれだけ協力しても、素早く動き回る目玉を全てを倒すのは難しそうだ。

 なら、仕方がない……折角呼んだ使い魔だけど、時にはそれを捨てる選択も大事だろう。

「ここであの目玉を足止めして。わたしが一気に倒すから」

 数多くの敵を前にしても、全くひるまない竜騎士に全てを任せ、わたしは大きく飛び上がる。いくらあの目玉が機敏でも、雷魔法によって強化された箒の速度に追い付けるはずもなく、上空にもなればあの小さな翼で飛び回ることは難しくなる。空気が薄くなるぐらい高くまで逃れて、反撃の一手。ここは迷うことなく、電撃砲の応用。あの超高電圧を、本当の雷のように地上に向けて放つ。雷に耐性のあるあの竜騎士でも、きっとこの直撃を受ければ、倒れてしまうことだろう。自我のない生き物とはいえ、可哀想だけど……やるしかない。

 展開した特大の魔法陣は帯電を始め、撃ち出すべき雷がその形を成していく。

 時間の経過と共に、雲のない雷雲はその帯電限界量を超えて、圧倒的な光と熱を持った雷の砲撃を放つ――地上に向けて放たれた一撃は、最早雷というより、隕石に近く、全てを燃やし尽くさん勢いで空気を焼き焦がす。

 上空からでは砲撃が地上にどれだけの被害を与えたのか、よくわからない。ただただ、轟音が耳に届くだけだが、少しでも掠っていれば、あの目玉の使い魔も容赦なく消滅させられるほどの威力のはず。全滅は無理でも、甚大な被害を与え、当面の危機は去った……と考えていた。だが、次の瞬間にわたしの耳に届いたのは、声なき使い魔の断末魔ではなく、破裂音。いや、もっと巨大な、爆発音。炎魔法が引き起こす破壊力の高い攻撃の音だ。

 那美子さんが一瞬でこの高さにまで上がって来れるはずがないのだから、これは対空砲火。地上から、あるいは上昇中に放たれた攻撃だというのがわかる。

 眼下に広がる雲の世界の中に赤い球をいくつもいくつも見つけ、全力でその軌道から逃れる。かなり距離があるのに、もうあの火球はボウリング球ぐらいの大きさがあった。実際は人よりも大きいかもしれない。それの直撃を受けたら、間違いなく折角の法衣は全焼し、なんとも雪華ちゃんが喜びそうな脱衣展開が待っている。それだけはなんとしても逃れたい。

 爆発音はそれから何度も響き、その度に特大のミートボールのような火の玉が吐き出される。まるで一昔前に流行った弾幕シューティングを思い出させるような波状攻撃で、回避に専念するわたしはプレイヤーというよりは、侵略者の方なのかもしれない。

 なんとも容赦のないことに、よく見るとこの火球、赤黒くて形も一定せず、不安定な見た目をしている。実際に、火球の多くはわたしの高度まで昇って来る前に広域に及ぶ爆発を起こし、それによって他の火球も誘爆を起こして……下は実に騒々しいことになっている。この火球はかなり不安定で、ちょっとした刺激で爆発してしまうような一種の機雷なのだろう。速度は大したことないが、それにしても危なっかしい。こんなものをぼかすか撃たれたら、いつまでも上空を逃げ回るのも大変で、一度地上近くにまで下りる必要性を感じて来た。

 かといって、このまま普通に高度を落とせば、それこそ相手の思うツボ、狙い撃ちにされる。砲撃は雷というよりは炎の専門分野だし、雷魔法には速度はあっても、防御という概念がほとんど存在しない。一度放たれた高速の砲撃をどうにかすることが出来ないとなれば、なんとかして砲撃自体を阻止、もしくは回避しなければならないだろう。

 このままもう少し飛び回って、下降予定地点をかく乱する……どうも上手くいきそうにない。超高速で落下すれば、狙いが付かないかも……下手をすれば自分から相手の攻撃に突っ込む。いっそ結界の端まで行ってから急降下……距離を取り過ぎると、また召喚合戦になり、わたしの勝ちの目が薄くなる。

 だったら、初めから勝ちの可能性の低い戦い。負け筋を潰すのではなく、一番勝てそうな線を生かしていくしかない。わたしの一番の勝機は、やっぱり炎魔法にはない速さ。熟練の炎魔法使いである那美子さんと、そこそこ雷魔法使いであるわたし。二人の速さ比べをして、それで競り勝てればよし。負ければ、やっぱりわたしは未熟だった、と潔く諦めよう。

 次弾を放つ合図である爆発音が生まれると同時に、九十度旋回。目指すは地上。このまま速さだけに任せて落ちる訳にもいかないので、それに重ねて落雷の魔法を発動。加えて、自分の正面にはお粗末ながら盾代わりの雷球を発生させる。簡単な攻撃なら相殺出来るだろうし、上手くいけば――。

 駆け抜けるところは、火球の放たれたその隙間。無謀に見えるし、わたしとしても半分は賭けになる。でもこの賭けを外さなければ、勝ち筋が生きてくる。自身を落雷に見立てるようにダイブをし、激しい空気抵抗を全身で感じながら、赤く燃える機雷の間を通っていく。上手く火球を避けて通過するが、機雷は不安定な存在。箒の後ろから噴かせている電撃によって起爆し、爆発を起こす。下方から感じる空気抵抗に対抗するかのような、爆風の強力な衝撃。法衣越しに背中に熱を感じる。実際の火傷にはならないにしても、魔力を体に受けるというのは恐ろしい。でも、これこそが狙いだった。

 自分自身の魔法による加速に加え、爆風を背中で受けたことにより、余分な推進力が生まれる。本来なら一瞬で終わるはずのその追い風も、火球が次々と誘爆してくれるお陰で永続的なものになり、予想以上の加速となって急降下の速度を強力に後押しして、わたし個人での限界を突破させてくれる。

 光の矢か、神風とでもたとえられるような速度。その勢いを殺さずに、地上へと突撃をする。地面を砕き、そこに電流を走らせるために。地上が近付くほど、半数が生き残っていた目玉と、ばっちりとわたしを狙ってスタンバイしている那美子さんの姿がはっきりと見える。それも恐れずに尚も特攻。そして地面にぶつかる直前、雷球を炸裂させる。地上寸前での距離では砲撃も出来ないし、そもそも速度が普通とは違う、捉えられるはずがない。

 雷球の炸裂による反動は、わたしの体を再び宙へと飛翔させ、雷だけが降下の勢いをそのままに地面を砕き、次いで落ちる雷へとバトンを繋ぐ。わたしはきりもり状態のまま避難して、超高高度からの落雷を待った。

 カメラのフラッシュの何百倍という光。轟音。地面と空気を同時に砕く雷の奔流。即座に逃れた那美子さんには当たらなくても、生き残ったフェニックス・クレストを壊滅させるには十分な威力だ。

「那美子さん。ここからの展開、わかってますよね」

「はは、それを言わなかったら、完璧だったかもな」

 菖蒲さんも得意とした高速の電撃。少しでも相手の法衣を破壊した方が勝ちとなる決闘では、これが最大の武器となる。

 わたしはこれを、あの窃盗団の女性相手に使った時と同様、とにかく大量に、網を作るように放った。普通に撃つだけでは、それこそ宣言してしまったのだから、那美子さんに届かない。だから包囲網を作り出し、一瞬の判断ミスを狙う。

 電撃が列を成し、輪を作り、地にも空にも走る。網というよりは一つの空間。結界にも似たわたしのスペースを作り出していくが、それでも那美子さんには当たらない。わたしはまだ、真正面からの殴り合いでは彼女に勝てない、そういうことか――。

「夏のあたしなら、危なかったな。でも、あたしもまだ成長を止めた覚えはない。教えながら、生徒に教えられる、それが教師ってもんって話だったな」

 何重にも重なった電撃はスパークし、激しい火花を散らして包囲の輪を更に複雑に狭めていく。そこに、新たな魔法の閃きが生まれた。

 宙に描かれる真紅の魔法陣。その中心に生まれる熱の塊。発動を許せば、逃げる暇もなく全てを焼き尽くされる。それなら、わたしが取る行動は回避より、更に電撃を放つことより、その魔法を潰すこと。かといって、あの強力な砲撃に瞬間的に放つことの出来る魔法では対抗出来ない。既にあるものをリサイクルし、圧倒的な破壊力を生み出す。

 牢獄の鉄棒を一本一本ばらし、束ねるように細かな電撃を収束、一つの束を作って、それを決戦の一撃にする。既に「放つ」という命令を遂行し終えた電撃は、もうそこに存在することしか出来ない。けど、そこに一つの刺激を与えれば、急降下の時の雷球のような爆発的な雷を生じさせることが出来る。破壊だけではない、雷魔法の新境地。防ぐための攻撃、剣を盾ではなく、剣で弾き返す新たな防御魔法の形だ。

 

 火山から噴き出すマグマのような高熱の光線。それに対抗するのは、光の洪水のような雷の波。瞼を焼くような光が結界中を満たし、次の瞬間にそれ等は収まった。

 

 

 気が付くとわたしのケープとパレオはどちらも消し飛んでいて、他にもいくつか穴が見つかる。対して那美子さんは無傷。結果は明らかだった。

「……負けました、か」

「この際、勝ってほしかったけど、あたしはやっぱり、まだまだお前を教えたいからな。手を抜くことはしなかった。それで良かったよな」

「はい、もちろん……。これからもよろしくお願いします。先生」

 差し出された那美子さんの手を握り返す。そういえば、那美子さんと握手なんてしたことがあっただろうか。想像していたより華奢で、だけど柔らかいその手は、温かかった。

「変な呼び方はやめろよ、調子が狂う。……でも、そうだな。あたしもあえて、こう呼ぼう。あたしの一番の生徒、美静」

「はいっ。先生」

 まだまだ学校生活は始まったばかりなのに、気分はまるで卒業式のようで、思わず卒業証書を探してしまうほどだった。

 今までずっと、那美子さんのお世話になり、教えてもらって来ていたけど、こうして本気でぶつかり合って、やっと心から繋がることが出来た気がした。

 わたしの上に菖蒲さんを重ね合わせているのか、那美子さんは少しだけ目の端に光るものを見せた後、慌てて頭を振って表情を戻して結界を解除させた。闇の世界が壊れ、再び世界は色を取り戻す。夜が魔女の世界と古来呼ばれていたことに、この結界は起因しているのかもしれない。なんとなくそんな気がした。

「よし、じゃあ今日はもうこれで良いか。さすがに疲れたもんな」

「はい。お疲れ様でした。本当にありがとうございました」

「次にやるのは、雪華と一緒に、あたしに勝つ時だな。その時は複合魔法も使ってやるから、死ぬほど対策しとけよ」

「あー……やっぱり、複合とかさせちゃうんですね。これは本当に気合入れないと」

 安らかな疲れと、満足に包まれての家路。わたしと那美子さんは間違いなく幸せそうな顔だったけど、雪華ちゃん一人が不機嫌だった理由は――まあ、言わずもがな。仕方がないといえば、仕方がない話、かな。

説明
後半の山。と言うより、実質的な最終話です
ある意味で、この物語の起承転結の内の「転」は一話かもしれません
主人公の挫折、師匠との出会い、そして死別まで盛り込まれている訳ですから
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牢獄の愛魔法使い

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