嘘つき村の奇妙な日常(2) |
平和とは戦争と戦争の間の時間のことだ、なんていう言論が幻想郷の外ではまかり通っているらしい。真理の一端ではあろうが、少し気の利いた言い方はないのだろうかと、博麗霊夢はぼんやり考える。
幻想郷にあって戦争に代替し得るものは、極小的視点では弾幕ごっこであり、引いては異変だ。その抑止力として存在するのが、博麗の巫女という存在ではなかったのか。軒先でいいお茶を飲んで異変の兆候に備えてさえいれば、暫定的平和は約束されてのんびりお茶も飲めていいこと尽くめの筈なのに。
半歩、体を左にずらす。緋袴が揺らめくと同時に、数本のナイフが飛来して霊夢の両脇を掠めていく。赤と青、柄が二色に塗り分けられたナイフが。
「ったく、尋常じゃない動体視力しやがって」
声と共に、二回三回とナイフの雨が霊夢に向けて降り注ぐ。軽く息を吐きながら、彼女はその全てを僅かな位置調整だけで擦り抜けた。体にはおろか、特有の服から独立したラッパ袖や頭の後ろで結った大きなリボンにも傷一つつかない。
「動くどころか、止まって見えるわ? 全部直線の弾幕なんだから、当然よね」
「そういう意味じゃなくってだな……あ痛っ!」
袖から札を取り出して、上空に投げ放つ。奇妙なほどゆっくりと舞い上がったそれらは自分の意思を持つかのように、空中にいる胡乱な攻撃者をめがけ収束し、次々に突き刺さった。
「くっそ、痛い、痛い、痛いっての!」
不平を吐きながら、影が落ちてくる。封獣ぬえは地面に激突する寸前にどうにか体制を立て直すと、黒豹のように油断なく獲物の姿を見上げた。
霊夢は人差し指を一本立てる。
「これで残り一枚。もう何枚か積んでもいいのよ」
「余裕だな、博麗よ。いいんだよ三枚で。こんなの本番からは程遠いものだし」
幻想郷の弾幕決闘協定によって、戦前互いに提示したスペルカードは三枚ずつ。すでにぬえは二枚を破られ、霊夢は一枚の損耗もない。
「そうそう、早く終わりにしてお茶にしましょうよ。ぬえじゃ九枚積んだって勝てっこないんだし」
外野からの声に、思わず霊夢が舌打ちを重ねる。残念ながら厄介者は一人ではなかった。ぬえがいるなら、当然最近つるんでいる残り二人もいるのだ。声のした拝殿の方を眺めて、目を回したくなった。
「ちょっと、人のお茶菓子を勝手に突付かないで! 上等なものなんだから、それ!」
賽銭箱前の階段を腰かけの代わりにして、古明地こいしとフランドール・スカーレットが肩を並べて座り込んでいる。共に、饅頭を一つずつ手に持って。
「上等なものなんだって、フラン」
「傍目には、とてもそうだとは思えないけどねえ。食べてみたら分かるかしら」
「だから、試食するな! 屋敷に帰ってメイド長のケーキでも食べてろ!」
拝殿に戻りかけた霊夢の目の前を、一筋の光芒が通り抜けていく。
「そら、三枚目だぞ。余所見してると事故るぞ」
青筋を浮かべながら、改めてぬえを見る。三叉の戟を両手で構えた彼女の背後からレーザー光が現れ、中途で五本に分離し霊夢を掴み取る巨大な手形のように猛然と飛来する。
相変わらず奇怪な弾幕だ。神経がすり減る弾幕の持ち主同士が引かれ合ったのは、果たして偶然か。どうあれ、油断してやるつもりはない。
霊夢はレーザーの狭間に滑り込みながら、無言で自分のスペルカードを取り出した。
§
ここは幻想郷の東の果てにある、博麗神社。
人里から離れ過ぎたその場所を訪れるのは、人間より妖怪の方が多い。それは当然たった今賽銭箱に寄りかかって、湯呑みを傾ける三人にも当てはまる。
「ないわー。チキンボム三連発とかないわー」
「最初の二スペルで崩せないあんたが悪い」
黒いワンピースの上に作った破れ目もそのままに、ぬえは霊夢の右隣でぼやきながら茶を啜っていた。言葉とは裏腹に、その態度はさばさばとしている。
「ちぇ、つまらん。やっぱり千年も生きていると、レベルアップなんて滅多に起こるもんじゃないや」
「何よ、ぬえ。あんた京都の一件で、自分が最強の何かになれたとか錯覚してたの? 私達が協力してようやくどうにかなった癖に」
霊夢を挟んで左隣にフランドールとこいしが座り、四分の一ほどの大きさになった饅頭を弄んでいる。粘り強い交渉の末に霊夢は上等な饅頭のうち一つを取り戻し、二人は残る一つを半分ずつ分け合うことで妥結したのであった。
「まあ、今回は立ち位置の再確認ってところかな。所詮は外の話であるし」
「物差しの代わりで、弾幕ごっこに付き合わされるこっちはたまったもんじゃないわ」
霊夢が不機嫌に茶を喉に流し込む。ついこの前に三人が幻想郷の外界で大立ち回りを演じて来た件について、彼女は興味を持たない。無関係だからだ。
「だいたい、いきなりやって来たと思ったら『博麗、弾幕ごっこしようぜー』って、球遊びするみたいなノリで挑みかからないでほしいんだけど」
「おっと、勘違いしてくれるな。私も別に、伊達や酔狂で弾幕ごっこをふっかけたわけじゃないんだよ」
怪訝な顔を作る霊夢の前で、ぬえは悪童のごとき顔を喜色に歪めて言い放った。
「ずばり。ストレス解消の為である」
ぬえの額に、煎餅の一撃が突き刺さった。
ざあ、と一陣の風が吹き抜けて、ピークを過ぎた葉桜に残る僅かな花弁を吹き散らす。
「なお悪いわ!」
「まあ、ぶっちゃけた話をするとだね」
めり込んだ煎餅を引き抜き、二つに割る。
「久しぶりに外の世界の空気を吸って、気がついたことがある。やっぱり寺の中は退屈だってことだ」
「そうなのかしら? 割とあそこの修行は楽しいと思うんだけどな。座禅とか」
ぬえは渋い顔をして、半分に割った煎餅の片方をこいしに差し出した。こいしがそれを更に割って、大きい方をフランドールに渡す。
「寺の勤行を楽しいって言い切るのはお前くらいさ」
こいしは最近、ぬえが居候する命蓮寺に在家信者として出入りするようになった。僧侶の聖白蓮が、彼女の持つ能力に着目し誘ったものだ。
「朝の定刻に起きて、庭の掃除やら野良仕事やらに身をやつして、決まった時間に二度の質素な食事。規則正しい生活って奴にはどうにも慣れない。そも妖怪って奴は、誰かに制御される生活なんて嫌いな生き物なんだよ。他の連中も実際、聖の見ていないところではサボってるしね」
「私が言うのもなんだけれど、あんた達そんなんでよくあの僧侶に着いていってるわね?」
霊夢の言葉を聞き流しながら、ぬえは細かく割り砕いた煎餅の破片を口に含んだ。
「寄らば大樹の陰。人間も上手い諺を思いつくものだけど、実践してみると見たくもないものが見えてきてしまうわけだ。かといって今更寺を抜け出して、フリーに戻るのも心もとないしなあ」
乾いた音を立てて薄い塩味の煎餅を口の中で粉砕しながら、遠景を眺める。小山の上から臨める春の青空は平穏そのもので、死にたくなるほど退屈だ。
「……隠れ家でも作るか。一人になりたい時だけ、人知れず篭れて過去の栄光を懐かしむ場所でも」
「神社の近くは止めなさいね。私が落ち着けないわ」
そんな時突然反対側に座っていたフランドールが、首を横に九十度傾け金色のサイドテールを揺らしてぬえを視界に収めた。
「ねえ、ぬえ。その隠れ家ってどんなの?」
突然の質問に、面食らった。真紅の瞳が好奇心で瞬いている。正直、意外な相手に興味を持たれた。
「え、どんなのって言われると、説明に困るな……魔法使いの大図書館に、その手のものが載っている読み物はないのか? 例えば誰も寄り付かない山の奥とか僻地とかに自分の住処を作って、人目を気にせず暮らせるような場所を隠れ家っていうんだ」
この説明が、正しいかどうかは分からない。癖の強い黒髪をわさわさと掻き毟る。
「まあ、この幻想郷にはプライバシーなんてものを屁とも思っていない奴が多いし、そうそう簡単には隠れ家に向いた場所が見つかるとは思えないけどね。あーでも、私が周りを正体不明にしちまえば、多少人目に付く場所でも気づかずに過ごせるかも……」
「いいわね、それ。作りましょうよ、私達の隠れ家」
ぬえの顎が落ちた。遠くで甲高く鳴く野鳥の声と、霊夢が茶を啜る音とが侘しく響き渡る。
「いや、私一人が隠れられる場所があればいいっていう話なんだけど。何で複数形になるわけ?」
「気に入ったからよ。人目につかない隠れ家なら、ぜひ私も欲しいわ」
「ああ、そういうことなら私も乗りたいな」
こいしの黒い丸帽子が、傾いてぬえの方を向く。二対に増えたどんぐりまなこを、細い目で見つめた。
「あのさ、お前ら自宅組だろうに。それがどうして隠れ家とか欲しくなるのよ?」
「何を言ってるのよ。居候だろうと自宅だろうと、一人の時間は欲しいんだから。差別しないで頂戴」
「立ち入り禁止の地下牢住まいといつでもどこでも無意識のプライベート固有結界を構築できる奴に、そんなことを言われてもなあ」
フランドールが舌打ちしながら指を振る。
「分かってないわねえ。もう少し、想像力を働かせなさいよ。あそこのプライバシーなんて、なきにも等しいんだから。いつ逃げ出しても分かるように、魔力ビーコンが大量に仕込んであるのよ、あの部屋。加えて紅魔館には、時間を止めるメイド長がいるわ」
「時間を止めるっても、さすがに空気読むんじゃ」
「空気の読み方が微妙に抜けてんのよ、咲夜の場合。この前こいしと一緒に寝た時なんか、いつの間にかシーツが取り替えられてて戦慄したわ」
こいしが相槌を打つ。
「そうそう。あの時もかなり汚したのに、いつの間にかまっさらになってたりね」
「……お前らは寝ただけでシーツが汚れるのか」
二人がいわくありげな笑みを浮かべる。彼女らとぬえに挟まれた霊夢は三人の話に全く興味を示さず、饅頭の最後の一欠片を口の中に押し込んだ。
とりあえず、この件を深く追求するのは諦めた。不毛だからだ。本題に戻る。
「……私は、自分用の隠れ家が欲しいんだけどな?」
「ケチなことを言ってんるじゃないわよ。別に毎日入り浸るってわけでもないんでしょ? 留守の間だけ使わせて貰えれば、それでいいのよ」
「お前らが着いてくると、それだけで絶対済まなくなるから言ってるんだけどね……」
若干の殺意を孕んだ目線が、ぬえを容赦無く縫いつける。言うんじゃなかった。
「それに、今後私達が異変同盟を続けていくんなら、アジトの一つくらいはあった方がいいでしょう? 幻想郷の全てを盗むって志は、まだ有効かしら」
その言葉を聞いて、天を見上げる。綿飴のような雲が浮かぶ空の狭間を、ツグミが数羽群れをなして飛んでいく様子が見えた。
「……そういや、そんな話もあったね。鬼に喧嘩を売りにいくつもりが有耶無耶になったり隙間妖怪に連れ去られたりしてたから、すっかり忘れてたけど」
「まあ咲夜だったら、幾らだって館の空間を弄ってくれそうだけれど。天狗どもからお酒を掻っ攫ってきた時のこともあるし、盗品を保管しておく場所は必要なんじゃない? 聞き耳立てられる心配なく、悪巧みできる場所も必要でしょ」
「まあ、それは一理あるかな……」
「どうでもいいけれどあんた達、せめて私の聞いてない場所でそういう話はしなさいよ」
霊夢の言葉を軽く聞き流しながら、煎餅の最後の一欠片を口の中に放り込む。ぬえは僅かな塩っ気を舌で溶かし込みつつ、打算を巡らせ始めた。
要は三人の秘密基地である。一見魅惑的な響きを感じるが、現実を直視するにつれ大きな落とし穴が幾つも空いているのが見えてくる。
首尾よく隠れ家に向いた場所を見つけたとする。生活用品は紅魔館《こうまかん》の余り物を調達してくればいい。問題は快適な隠れ家ライフを維持するための家事を、誰が引き受けるのかということだ。
フランドールはああ見えて料理は三人の中で一番上手にこなせるが、それ以外の家事、例えば掃除や洗濯をしているところは見たことがない。こいしに至ってはもっと深刻で、最初にこちらの言うことを聞かせるところから始めなければならないだろう。
全ての事象が、ぬえに貧乏くじを引かせる方向で動いているようにしか思えなかった。
では拒絶するか? いやいや、どのみち彼女らはぬえの隠れ家を探し当て転がり込んでくるだろう。遅かれ早かれ背負い込むリスクだ。環境を変えるというのは、そういうことだ。
では、停滞か。命蓮寺の天井裏で侘しい昼御飯を食べている自分と、フリーダム過ぎる二名をどやしつけながら彼女らが散らかしたガラクタを片付けている自分と、どっちがいいだろうか?
適度に湿気った口の中の煎餅を割り砕く。
「しゃーないなあ。三人分の隠れ家を探そうかね。綺麗に使えよ? 妖精メイドも掃除係のペットも、隠れ家に連れてくわけにゃいかないんだから」
「大丈夫よ。雑用庶務は黒いのに任せるから」
「想像通りのリアクションをどうも。それで、まず一番の問題はどこに隠れ家を作るかってところかな」
大変迷惑そうな顔をしている霊夢を尻目に、ぬえがフランドールとこいしの正面に回り込んだ。
「狭い幻想郷、大抵の場所が誰か妖怪のテリトリーになってる。私達なら分取れないこともないけど、後々抗争になるのも面倒だからね」
「平和的に交渉するとか、駄目なのかしらね」
「おっとり刀で脅しているのと、大して変わんないような気がするわ、それ」
「じゃあじゃあ、木を隠すのは森の中っていうし、いっそ人里で空き家を探したら」
「駄目駄目、それをやったら間違いなく赤い巫女が真っ赤になって追い出しにやって来るから」
「あんた達、そろそろ怒るわよ?」
「こうして考えてみると、なかなか思い当たらないもんだね。あまり他人が立ち入らず、住み着いても誰にも咎められないような場所なんて」
「無名の丘なんてどうかしら?」
第三者の声。それを聞いた三人は声の正体に気がつくと、一斉にのけぞった。
(つづく)
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不定期更新です/ある程度書き進んでて、かつ余裕のあるときだけ更新します/途中でばっさり終わる可能性もあります/EX三人娘が最初から仲良かったり京都とか言ったりしてますが、同一シリーズの設定です。とりあえずスルーしていただいて構いません/次: http://www.tinami.com/view/502886 前: http://www.tinami.com/view/500352 |
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