【十分間】No.1~No.5【ストーリー】 |
No.1 別れの前に
人のいない教室にカツカツとチョークが走る音が響く。
黒板に色とりどりの線が引かれ、交差し、重なり合う。黒板の中央にあるは、「祝卒業」の三文字。そしてそれを囲うように描いた花の絵。少しでも見栄えがよくなればと緑のチョークで葉や蔦なども描いてはみたが、どうも蛇足のようになってしまったのが悔やまれる。僕はそこまでこういったデザインが得意ではないし、気の利いた性格でもないからどうしても無難以上のものはできあがらない。
チョークを一度置き、ふうと息を吐く。誰もいない教室に僕の溜息が響いた。
校内共通の壁掛け時計を見ると、時刻は四時。いつもなら放課後おしゃべりをする生徒や、部活動にいそしむ人々の姿が見えるのだけど、今日は誰もいない。明日の卒業式を控え、三年生たちは午前中には帰宅した。準備を任された一、二年生も多くは作業を終え帰路についているだろう。
では何故僕がこの教室にいるのか。答えは簡単だ。僕が卒業を控えていない二年生で、この学校の美術部員だから。
僕が所属する美術の恒例行事の中に、卒業式に三年生の教室の黒板に絵を描く、というものがある。いつから始めたのか、また誰から始めたのかは知らないが、少なくとも僕が入部した時からはすでにあった。去年は計五人ぐらいで三クラスある三年生たちの教室を飾ったものだ。
その時は五人での分担作業だったので早い時間に終わらせ、部員みんなと安いファーストフード店に行ったりしていた。とはいえ今は僕一人。年々数を減らしていたこの美術部は僕の代で新入部員一人を記録し、その翌年は入部者ゼロ。そして、明日卒業する先輩たちは四人。これで、この美術部の部員は僕一人になる。
一人で描いた黒板を見る。基礎の部分はほとんど完成し、あとは細部を仕上げていくだけ。休みなく作業を続けていた甲斐あってか、ここの黒板を仕上げれば最後だ。しかし、すでに外には夕暮れが見え始め、腕も疲れを訴え始めている。
「こんなことなら先輩の申し出受けるべきだったかなあ」
思わず声が出る。僕が一人で作業をすることを知った先輩たちは、手伝おうかと声をかけてくれた。けど、僕はそれを断った。先輩たちの卒業を祝うための作業を、卒業する本人たちにさせるわけにはいかない。
ただ、……本音を言うなら、今は先輩と同じ空間に居たくなかった。
ちらりと黒板の横にある名簿を見る。そこに書かれたとある人の名前。
僕が、女性として憧れていた先輩の名前だ。
笑顔が素敵な人だった。少し引いたところのある、おしとやかな女性で、物静かに笑うその仕草が美しかった。思慮深く、聡明で、だけどどこか抜けたことのある人だった。
その名の羅列を見るだけで、彼女の姿が僕の脳内に広がる。綺麗に微笑む彼女を囲むように、黄色い花が咲き乱れる。その黄色い花を殺さないように、いや、より際立たせるようにひっそりと桃色の花が混ざる。その奥ゆかしさが彼女と重なり、さらに引き立てているようだった。
そこまで考えて、むなしくなり思考を止める。僕がいくら先輩に恋い焦がれようと、彼女にとって僕はあくまでも後輩でしかないのだから。
教室の引き戸が動く音が聞こえる。
突然のことに驚いた僕は、勢いよくその音が聞いたほうを見た。
「お疲れーまだ残ってたの?」
「斉藤さん?」
訪問者は同じクラスの子だった。今時珍しい黒縁の眼鏡をかけた長髪の女の子で、生徒会役員。所謂、優等生という存在だ。同じクラスなので少しぐらいは話をしたこともあるが、僕とは特別大きな関わりのある子ではない。
「どうしてここに?」
僕がそう言うと、彼女は後ろに隠し持っていたものをそっとだした。自販機で売られている紅茶のペットボトルだ。
「ちょっと差し入れだよ。遅くまで頑張っている美術部員さんに、生徒会から」
そういって彼女は僕の方にペットボトルを投げた。近い距離とはいえ、乱雑に渡されたペットボトルは、僕の手をすり抜ける。重力によって落ちたそれは床を踊るようにはねた。そのままころころと転がり彼女の元へと戻る。ペットボトルの飲み物にまで拒絶されたような気がして、なんだかむなしくなった。
「ご、ごめん」
「あぁ、いや、いいよ」
あわてて拾おうとする彼女をその場に留め、僕は落ちたペットボトルに手を取った。
「わざわざありがとう」
「あ、うん、どういたしまして」
僕が礼を言うと、彼女はにっこりと微笑む。普段あまり表情を変えない子だったから、少し新鮮だった。
「えっと、もう終わりそうなの?」
「うん、あと仕上げだけ。斉藤さんは生徒会の仕事終わったの?」
「あ、うん。だから差し入れついでに手伝えないかと思ったけど……。私には無理そう」
そういって彼女はがっくりと肩を落とす。たしかに成績優秀、との噂はよく聞くが、美術系実技が得意という話をあまり聞いたことがなかったことを思い出した。
「なら、ちょっと話し相手になってくれる? 一人で黙々と作業するのにも飽きてきたところだから」
あまりにも気落ちする彼女を見て、思わずそんなことを口にする。その言葉に彼女は驚いたようにあこちらを見た。普段からまともに話をしたこともないし、変に思われただろうか。
「あぁ、その、嫌なら別に……」
「へ、あ、いや、別に嫌なわけじゃないから! え、えっと私でよければいくらでも!」
あわてたように彼女は一気に捲し立てる。その様子がいつもの彼女とは違って見えて、なんだかおかしかった。
僕は手にチョークを取り、作業を再開する。飾り付けられた花の一枚一枚に手を加えていく。細かいとこまで丁寧ね、と昔先輩に褒めてもらえたのが嬉しくて、それから細部にこだわる描き方をするようになった。
「やっぱり絵上手いね」
背後から聞こえる斉藤さんの声に、はっとする。思い出に浸かっている場合じゃなかった。
「そうでもないよ」
「ううん、すごい。私は全然だし……」
「まあ、好きなことだしね」
「あ、そっか……」
背中で彼女が言いよどむ気配を感じる。失敗したかな、と思いつつどうすればいいのかわからないので、ただ腕を動かし続ける。
「あ、えっと、美術部の、部長さんだったっけ。かっこいい男の先輩いるよね」
ぴくりと、小さく肩が震えた。会話が途切れたことで、話を切り替えようとした斉藤さんが次に話題にしたのは、今僕が一番聞きたくない人の話題だった。
「友達が憧れてたんだけど、彼女とかいるのかな、あの人」
震えそうになる手を必死で止める。気づかれてはいけない。
「いるよ、彼女」
「え、ホント? まぁかっこいいもんねぇ」
あの子には言わない方がいいかなあと、彼女はそっと呟く。僕はというと、心の動揺を押し殺すことで精一杯だった。
『私たち付き合うことになったのよ』
先輩たちの引退間近、いつもと同じ素敵な笑顔で、彼女は僕にそう告げた。相手はもちろん部長で、僕自身もお世話になった先輩だった。笑顔が素敵なあの人は、僕が知らないところで、別の人の隣を定位置として選んでいた。僕が先輩たちの手助けを断ったのはまぁ要するに、そういうことだ。彼ら二人と同じ場所にいて、正気でいられる自信がなかった。
別に先輩を妬むつもりなんてこれっぽっちもない。僕にあったのは、この人なら仕方ないという諦めと、尊敬する先輩を祝福する気持ちだ。だけど、それでも彼女の隣にいるべき人が自分でないということを突きつけられる気がして、怖かった。
「えっと……どうかした?」
「あ、ごめん、なんでもないよ」
急いで取り繕う自分のなんと滑稽なことだろう。未練だらけではないか。そんな自分に反吐が出そうになる。
「ねぇ、斉藤さん……」
「え、なに?」
「もし、斉藤さんの好きな人に恋人ができたらどうする?」
「え、えっ……」
声に出してからしまったと思った。いくら失恋で傷心しているとはいえ、親しくもないクラスメイトにする話題ではない。そんな簡単なことを失念するような状態になのかと思うとさらに情けなくなる。
「ご、めん、今の忘れて……」
「わ、私なら、」
僕が止めようとする前に、彼女声がそれを遮る。
「私なら、その、多分ショックは受けるだろうけど、その、諦めたくないかな……」
続く彼女の言葉に驚いて、僕は思わず後ろを見る。
そこには顔を真っ赤に染める斉藤さんの姿があった。
「あ、え、えっと、別にその人の恋人になることを、じゃなくてね、お、想いを伝えることを、諦めたくないかなって……」
しどろもどろになりながらも必死に話そうとする彼女を僕は呆然と見つめる。いつもは彼女の知的さを出すのに一役買う眼鏡も、今は恥ずかしがる彼女を隠すための蓑になってしまっている。その眼鏡のレンズに、僕の姿が映り込んだ。精一杯に言葉を探す彼女と、自分自身の差がそこにはありありと映っている。
「だから、その、恋人ができても、好きだったことだけは伝える、かな。それから祝福すると……思う」
そこまで言い切ると、途端に彼女はしゅんと萎れてしまった。少し間をあけて、そろりと顔を上げる。
「ご、ごめんね、なんか、その……」
「いや、僕の方こそごめん。なんか混乱させてしまったみたいで……」
僕がそこで言いよどむと、その場に沈黙が横たわった。
あまりにも気まずかったので、僕はまた黒板のほうを向いて作業を再開する。また静かな教室にカツカツとチョークの音が響きだした。
長く、短く、低く、高く。様々な音の螺旋になって、その動きは僕たちの耳へと飛び込んでくる。何も話せずにいる僕らと違って、チョークと黒板はとても仲が良さそうに会話を続けていく。
それからどれくらい時間が経ったのか。その間、僕たちに言葉はなかった。作業はほとんど完了し、チョークと黒板の音もやがて止まる。
「……そろそろ帰ろうか、斉藤さん。もう作業も終わったし」
「あ、う、うん」
荷物をさっと片づけ、チョークを入れ物に直す。預かってる鍵を手に取って、僕たちは教室を出た。
廊下を歩いてる間も、僕たちはずっと何もしゃべれずにいた。
職員室に鍵を返し、昇降口で靴に履きかえた僕たちは、校門を潜り学校の外に出る。明日、ここを通ってしまえば、先輩とはお別れだ。
「家まで送ってくよ。僕のせいで遅くなったからね」
「あ、ありがとう」
ゆっくりと通学路を家に向かって歩いていく。空は夕焼けで赤く染まっていた。
「ねぇ、さっきの話だけど……」
「え?」
そのまま何もなく帰るのだろうと思った矢先、斉藤さんが口を開いた。
「えっと、君はどうしたのかな、って……」
僕は、どうしたのか? ……先輩に恋人ができたことを知って、叶わない相手と知って。
「僕は……諦めたよ。伝えることも」
この震える喉は、ちゃんと聞き取れる言葉を発してくれただろうか。この震える足は、最後まで歩みを止めずにいてくれるだろうか。
「……そっか」
彼女はそう言って頷いた。
僕はそれから何も言わなかった。彼女ももう、何も言いだそうとはしなかった。
静かな、別れの前の午後だった。
end
No.2 森のウサギ
とある森でいつも仲良く遊んでいる動物たちがいました。
彼らはいつもみんなで川遊びをしたらい、木登りをして過ごしています。
そんな仲の良い彼らですが、あるウサギだけはみんなと一緒に遊ぼうとはしません。
いつも、みんなと違うことをしたがるのです。
最初はみんなもウサギの意見を聞こうとしてましたが、だんだんとそれも減っていきました。
ある日のこと、動物たちはみんなでピクニックに行くことにしました。
ところが、どの道で向かうかで討論が起きてしまいました。犯人はもちろん、あのウサギです。
みんなが安全な道を行こうと言っているのに、ウサギは滝の近くを通る道を行こうと言うのです。
その滝はとても大きく、踏み外すと大変なことになります。また、近くにオオカミの縄張りもあり、とても危険です。
みんなが反対するも、ウサギは頑として譲ろうとしません。
そんな言い争いが激しくなってきたところで、一匹のリスが、
「そんなに言うなら君一人で行けばいいじゃないか」
と言いました。ほかの動物たちもリスの言葉に同意します。
ウサギは一瞬ひるんだような顔をしましたが、
「あぁわかった一人で行く!」
と吐き捨てるように言い返し、そのまま滝のほうへ行ってしまいました。
一人になったウサギは滝の近くへとやってきました。
轟々と音を立てる滝は、今にもウサギを飲み込んでしまいそうです。
ウサギは少しびくびくしながゆっくりと滝の近くを進んでいきます。
すると、突然オオカミの声がしました。ウサギはびっくりして足を滑らせました。
小さな体が宙に放り出され、真っ逆さまに滝へと向かっていきます。
もうだめだ。
ウサギはそう思いました。
しかし、いくら待っても水に落ちた気配がありません。
不思議に思って目を開けると、ウサギは空に浮いていました。
「大丈夫かいウサギさん」
ウサギの頭上からトリの声がします。
間一髪のところで、彼がウサギを助けたのです。
トリはそのままウサギをみんなのところへ運びました。
ほかの動物たちと合流できてほっとしたウサギは、
「もう意味もなくみんなと違うことはしないよ」
と言いました。
end
No.3 悪意なき微笑み
*ツイッターにて、山田麻里さんからのリクエスト「砂漠のガラス」の作品です。
「なぁ、本当にあると思うか?」
「……知らない。あるって聞いただけ」
無感動な相方の声音に、少年は肩をすくめる。
生まれ故郷を旅立って早十日。未だにこいつのことはよく分からない。
「無責任だな。見つからなくて困るのはお前だろ」
「困る。けど、事実は事実。私はそのまま言っただけ」
「……ハイハイ」
全く、どうしてこんな変な奴とよりにもよって砂漠の中を彷徨わなければならないのか。
砂漠の太陽がじりじりと二人を照り付けていく。
大自然から与えられる、無期限の罰。
人が神のテリトリーに入るなという、一つの警告。
ここまで分かりやすい警告だ、従えるものなら従いたいと少年は恨めしそうに太陽を睨み付けた。
少年――イハラの家は貧乏だった。
父は死に、母と自分の二人。日に三度の飯は食えず、それどころかその日の食い物にさえ困る日々。
それでも母と力合わせて働き、生活を保ってきた。
決して裕福ではないが、かといって不幸というわけではない。
イハラはなんだかんだ言って、この生活を気に入っていた。
しかし、先月に母が死んだ。大したことはない、ただの流行り病だ。
だが、金のないイハラたちには治療代を払うことなど到底不可能だったというだけで。
とはいえここまではよくある話だ。
実際イハラも母の死を悲しみはしたものの、これからの生活について悲観はしなかった。
目の前の少女に会うまでは。
「……なぁ」
「何?」
「お前なんでオレに声かけたんだよ」
イハラの問いに、少女はこちらを振り向きはしない。
ただずっと前を向いて砂漠の中を突き進んでいる。
「……単純そうだったから」
「オイ」
喧嘩を売られたと見ていいだろうか。
「あと、あなたが一番信じてくれそうだったから」
虚を突かれ、イハラは一瞬固まった。
幸運なことに自分が悪人だと思うような人生は歩んできていないが、かといって善人ではないとも思う。
信じてくれそう、という印象が出るタイプの人間ではないと思う。
イハラは不思議そうに、前を行く少女を見る。
故郷でたまたま出会った少女。
最初の一言は「私に付き合ってほしい」だった。
そしてほいほいとそれに付き合った結果、貴族の屋敷に潜入。
お宝を奪い去ろうとしたところを警備隊に見つかり、二人そろってお尋ね者だ。
「まったく、なんでこうなったのだか」
「あなたが、私についてきたから」
「…………そう、だけど」
「あなたこそ、何故私について来たの?」
イハラは苦い顔をして目を逸らした。
言えるわけがない。美人だったからホイホイついて行きました、など。
「……オレのことはいい。それより、お前はなんでこんなことをしてるんだ」
貴族の屋敷に忍び込んだり、伝説上の存在を探したり。
少なくとも、自分とさほど変わりない少女が自分からすることではない。
「探してる」
「……何を」
「仲間」
何を言い出すんだこの子は。
「貴族の宝や、あるかどうかも分からないガラスが?」
「そう」
付き合いきれるか。イハラは素直にそう別れを告げたい気持ちになった。
しかし、今の彼は故郷を失った無一文。
少女の探す『砂漠のガラス』にかけるしか、生きるすべは残されていない。
とは言え本当に実在するのだろうか。
砂漠の中で自然とできる、純度の高いガラスなんて代物が。
「嘘くさいよなぁ」
「でも、さっきの集落の人は言ってた」
「キラキラしてスーっとしててすごくいいもの、な」
なんだそれ、と口を挟みたかったが、双方真面目に話し込んでいたのでそれはさすがにはばかられた。
「草の中にあるって。いっぱい草のあるところ」
「そもそもこんな砂漠に植物なんて生えるわけないだろ……」
やっぱり嘘つかまされたんじゃないのか。ここまで歩いてきたのが全部徒労に終わるかと思うと、イハラは正直倒れそうだ。
「おい、やっぱり諦めたほうが……」
「あ」
「うおっ」
急に少女がぴたりと立ち止まった。
それに合わせて、イハラも体を急停止させる。
「なんだよいきなり……」
「あった」
「は?」
イハラの抗議も聞かず、少女はじっと真っ直ぐ前を見据える。
仕方なく、イハラもそれに倣った。
「……マジかよ」
目の前に広がる砂の色。
変わり映えの全くしないそれの中に、ぽつりと見える緑。
聞いた通り、草だ。植物だ。何かを包み込むような形をした見たこともないほど大きな植物が、二人の目の前に現れた。
「あった、あった」
「おい、待てよ」
はしゃぎながら、少女はその謎の植物へと走っていく。
イハラもあわててそこへ駆け寄った。
「ねぇこれどうやって開けるのかな?」
「まだ安全かどうかも分からねえのに触ろうとすんな、って」
イハラの制止は遅かった。少女は好奇心のままにその植物へと手を伸ばす。
包み込まれた葉の部分。そこに振れた瞬間。それが二つにぱかりと割れた。
「うあああああっ」
ここしばらくはまともに聞くことのなかった、流れ出たものの音が盛大に耳を打つ。
服がそれを全て吸い取りとてつもない重量を発生させる。濡れる衣服を持って緩慢に腕を振るいながら、イハラは叫んだ。
「これの、どこがガラスだって!?」
植物の中からあふれ出たのは、大量の水。
どうやらこの植物は砂漠地帯にわずかに降る雨を貯める性質があるようだ。
「ガラスじゃなかった」
「見れば分かるっ」
キラキラしてスーっとしてすごくいいもの。
なるほど、太陽に照り付けられた水はキラキラ光るだろうし、水を浴びればスーっとした気分になるだろう。
砂漠という降雨量の少ない場所では、水は何よりの宝だ。
「仕方ない、今回は失敗」
「仕方ないで済むか!」
振り回された身としてはたまったものではない。
「次は別の物を探す。……何がいいかな?」
「オレに聞くな、二度と付き合わねえからな」
吐き捨てるようにイハラは言う。
すると、ずっと前しか見ていなかった少女が、覗き込むようにイハラの顔を見た。
彼の眼前に、整った少女の顔立ちが迫る。
「イハラ、一緒に来てくれないの?」
「っ! ……」
少女と出会って、付き合うことになった原因をイハラはふと思い出した。
ちくしょう、この悪魔め。
「わーったよっ。行けばいいんだろうがっ」
イハラがそう言うと、少女はにんまりと口角を上げた。
悪魔の笑みだ。そう思いながらも、イハラはその顔から眼を逸らすことができない。
これから先のことを思い、イハラは自分の将来を悲観した。
自分は一生、この少女から逃れることはできないのだろう、と。
No.4 火祭り
「みてみて! あれすっごい!」
興奮した様子で、一人の少女がある一点を指さしながら叫んだ。少女が指さした先にあるのは一軒の家の窓。そこには小さな鉢植えが飾られている。
「なんだろうね、あれ。なんかみどりのばらみたい」
彼女は必死に隣にいる少年に声をかけるが、少年のほうはまるで興味がない。
「みどりのばらなんてないよ。それよりはやくかえろう。おれつかれた」
「みたい、っていってるだけじゃない。もう、そんなんだからゆーたはだめなんだよ」
少女の言葉にゆーたと呼ばれた少年はムッとするが、なにも言わずに留めておいた。この幼なじみになにを言っても無駄なことは自分が一番よく知っている。
「ねぇあれいったいなんなのかな? みどりのおはななんてめずらしいけど、あれはおはなじゃないみたい」
少女に言われて、ようやく少年はその"みどりのばら"とやらを見た。たしかに鉢植えの土ギリギリから花が出ているし、普段見慣れた葉っぱや茎も見あたらない。妙な植物だ。
「あれもしかしてはっぱなのかな? あきになったらばらみたいないろにならないかなあ」
「もみじじゃないし、ならないよ」
少年は素っ気なく言うと、一人帰り道を歩きだした。少女にあわせる気などない。
「あ、まってよ! もう……」
慌てて少女は少年の背中を追いかけた。仕方なさそうに少年が少しだけ速度を落とす。
「ねぇゆーた」
「……なんだよ」
ぶっきらぼうに答える少年に、少女はニッコリと微笑んだ。
「もしわたしのいったことがほんとうだったらどうする?」
「は?」
少女の言葉に少年は首を傾げる。
「もしほんとうにあのみどりのばらがほんものみたいにあかくなったらどうする?」
バカらしいといった顔をして少年は少女に言葉を返す。
「あるわけないだろ」
「だからもしよ、もし!」
そう言うと少女は少年を一気に抜かし、目の前の坂を駆け上がった。少年も負けじと追いかけるが、少女の方がスタートダッシュが速かった分、追いつけない。坂を上りきってから、少女は立ち止まった。
「……ねぇ」
いつもと違う少女の雰囲気に少年は戸惑う。
「もし、わたしのいったことがほんとうだったら、そのときは――」
脳裏に浮かぶのは幼い自分と彼女の姿。
「お…ろ……き……」
無邪気だった彼女が幼い頃にした約束。あの言葉の続きは、確か――
「いい加減に起きろ桐谷裕太!!」
「っわぁあああ!」
いきなりの怒鳴り声に驚いて俺は椅子から立ち上がった。そして、今自分が置かれている状況を瞬時に把握する。
「授業中に寝るとはいい度胸だなぁ、桐谷ぃ」
「えっと……ははは……」
「罰として、今週一週間クラス掃除はお前一人でやってもらうからな」
「げ……」
クラス中から歓声が上がる。特に今週掃除当番だった連中の盛り上がりはすごいものがあった。
「いや、でも先生、俺一応部活が……」
「お前が寝てたのが悪いんだ。しっかりやれよ」
「う……」
クラス中から野次が飛んでくる。薄情者め、と俺は胸の中で悪態をつく。
「よーし、授業を再開するぞ。桐谷、この問五を解いてみろ」
「……げ」
クラスメイトの笑い声に包まれながら、俺は深いため息をついた。
「で、こっちに来るのが遅れたと」
「……悪かったよ」
一通りの掃除を終えて、ようやく俺は部活に顔を出せた。そして当然のごとくこの園芸部長に尋問を受けている。
「……馬鹿っぽい」
「うるせーよ、綾香」
授業中に見た夢の少女と同じ顔した園芸部長は、物心付くころから一緒にいる、俺の幼馴染だ。今も昔も、俺はこいつに頭が上がらない。
「まぁいいわ。やっとこっちの方にも顔出してくれたんだし」
そう言って綾香は笑った。なんというか、にやりって感じで。
綾香は部室の棚から何かを取り出すと、俺の前にそれを差し出す。
「見てこれ! この間ようやく綺麗に色が変わったのよ」
綾香が取り出したのは一つの鉢植えだ。そこに植えてあるのは、赤い、薔薇のような植物。夢で見た「みどりのばら」と同じ種類の植物だ。あの時は、これがなんなのか検討もつかなかったが、今なら分かる。多肉植物の一種、通称「火祭り」だ。
「……そうか、もうそんな時期だったか」
多肉植物もモミジやイチョウなどと同じように紅葉する。紅葉し、ひときわ美しい赤い色を出すのが火祭りの特徴だ。
「大変だったんだよ、手入れとかさ。裕太が全然来ないから私一人だったし」
「いい加減、俺以外の部員を見つけろよ」
「できるもんならやってるわよ」
それもそうだ。俺は綾香の手にある、火祭りを眺める。よく見る紅葉植物のそれと違い、火祭りの色はどこまでも鮮やかだ。まるで、赤い薔薇のように。
「っ、なんだよ」
ふと顔を上げると、笑顔を浮かべた綾香がいた。夕日に照らされたその笑顔は、驚くほどに綺麗だ。
「ねぇ裕太」
夢で見た景色が蘇る。それはつまり、昔の記憶だ。その時と同じ顔で、彩愛は俺に問いかける。
「昔約束したの覚えてる?」
もし、みどりのばらが、火祭りが赤く染まったら……。
『そうなったら、ずっとわたしといっしょにいてね』
「……忘れた」
「あっひっどーい、なんで忘れるのー!」
「っるせぇよ! だいたいお前もあんな約束してて恥ずかしくねえのかよ!」
「それは……だって……、ってやっぱり覚えてるじゃない!」
「忘れた! 今忘れた!」
「今ってなによ今って!」
燃えるように赤い火祭りを視界に入れながら俺は思った。
今の俺らの顔は、あれぐらい赤くなっているんだろうな、と。
end
No.5 熱い夜の話
*ツイッターにて住田さんよりリクエスト「お風呂上がって布団に潜って寝るまでの話」の作品です。
熱い。熱すぎる。
ほわほわと湯気を出しながら、私は手早くバスタオルを纏うとそのまま自室へと駆け上がった。
今の気分は茹で蛸。きっと体は真っ赤っか。
昔から、風呂に入るということほど嫌いなことはなかった。
別に体を綺麗にすることが苦痛というわけではなく、熱い風呂場にずっといるのが嫌いなのだ。
湯船がなくてもシャワーさえあれば目的は果たせるし、別に出すのはお湯じゃなく水でもいいだろう。
幼い頃から親に訴え続けていたが、あいにく両親には全く理解してもらえなかった。
それどころかそうするのが当然とばかりに、うちの温度設定は四十二度。
それより下げるのは許されない。
おまけに風呂場全体に暖房までかけるので、扉をくぐればそこはさながらレジャー施設のサウナだ。
こんなのに耐えられるうちの家族の神経が信じられない。
裸にタオル一枚という、年頃の女としては許されない格好のまま私は部屋の窓を全開にする。
夜風がざっと部屋に入り込み、私の体を冷やした。
ふうと息を吐き、ようやく落ち着く。
別に私だって、好きでこんな体質のわけじゃない。
この忙しい現代日本で何が悲しくて風呂の時間ですらわたわたと急がなくてはいけないのか。
生活に不便はない。
学校の勉強にもついていってるし、友人関係も良好。
家族とだって、基本はうまくいってる。
だが、この件に関してだけは理解してくれたことは一度もない。
何度か無理矢理公衆浴場にまで連れて行かれたぐらいだ。
当然、私一人途中でギブアップをした。
一回だけ母親に病院に連れて行かれもしたが、特に異常は見つからなかった。
問題の重要度すら周囲の人には全く理解もされない。
病院で異常なしの太鼓判を押されてしまってからはなおさらだった。
――たまに、思うのだ。
私は人間じゃないんじゃなかろうかと。
たとえば私は雪女の末裔か何かで、うっかり今の両親に拾われてしまったとか。
はたまた生まれ変わる前に地獄の大釜で茹でられた記憶が残っているだとか。
それこそ二、三年前は本気でそんなことを考えたものだ。
今思えばあまりにも馬鹿らしく、よくそんなことを考えたとさえ思う。
そろそろ冷えてきたと思い、私は窓をぴしゃりと閉めた。
本当に雪女だったら、夜風に冷えるということも思わないだろうと自嘲気味に笑う。
やっぱり自分はただの人間で、その上でイレギュラーな存在なのだ。
いつまでも裸のままでいるわけにもいかず、私はそっと寝間着に袖を通す。
体の火照りはすでになく、これならぐっすりと眠ることができそうだ。
end
説明 | ||
10分で読めるから十分間ストーリー。 ということで単純に暇なときに書いてたSS集です。 全部で5作。 ジャンルや雰囲気がバラバラですがよかったらどうぞ。 |
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