嘘つき村の奇妙な日常(3) |
世の中に悪の種は多々あれども、その中で格段にたちが悪いのが、無自覚の悪であるとぬえは考える。
何しろ悪意がない。ゆえに平然とした顔で悪事をこなす。利用するのは容易いが、それは同時に利用されやすいことも意味している。とても不安定で、扱い辛い存在でもあるのだ。
そんな意味で、不意に現れた第三者、無名の丘に住む幼い毒人形メディスン・メランコリーは三人の異変同盟にとっても警戒するべき対象であるのだ。もっとも、彼女らが巻き込まれた事件に彼女が深く関わっていたことも注視の一因であるのだが。
「みんなどうしたのよ、そんなに身構えちゃって。今日の毒はちゃんと控えめよ?」
こいしが背後にフランドールを庇い、動かない。
「その控えめな毒でフランが調子を悪くしたことを思い出せ。今日は竹林の薬師に何か言い含められていないだろうね?」
メディスンは事情など素知らぬ様子で首を傾げ、赤いリボンを結ったショートボブの金髪を揺らす。
「言ってることが分からないわ。そんなことより、今日はここに聞きたいことがあって来たの」
霊夢もまた口元を押さえ、札で軽く扇いでいる。
「千客万来ね。参拝客だったらなおよかったけど。それで、聞きたいことって?」
「この前、大きな花見会が神社であったと聞いたわ。そこに、幽香が来なかったかしら?」
「幽香……?」
フランドールとこいしが、円らな目を瞬きした。
ぬえが一人、怪訝に顔を歪める。
「聞いたことがあるな。太陽の畑に住み着いている、古強者の妖怪か」
太陽の畑とは無名の丘のほど近く、幻想郷南西に立地する平原である。厳密には畑ではなく夏になると無数の向日葵によって野原が覆い尽くされるため、この異名がついた。人間はおろか、妖怪すらもこの畑に近づくことは稀である。向日葵が一斉に太陽の方向を向くなど、妖精達による不気味な現象も去ることながら、この地に住み着くという存在を恐れての忌避に他ならない。
その存在が、幽香こと風見幽香。四季のフラワーマスターの異名を持つ花の操り手であるが、彼女にとってはその能力すらもただの手妻に過ぎない。
「一つ誤りがあるわね。あいつが太陽の畑に住んでいるというのは間違い。何が楽しいのかは知らないけれど、幽香は花の咲く場所を目指して幻想郷中を渡り歩いているのよ」
霊夢が、ぬえの言葉に付け加える。それを聞いたメディスンは、臙脂色のドレスの裾を掴み俯いた。
「そう。この時期はスーさんが一番元気だからね。丘にも遊びに来てくれるんだけど、今年はなんでか来てくれないの。そろそろ見頃も終わっちゃうのに」
メディスンの周囲を舞う妖精にも、心なし元気がない。スーさんとは、春半ばが開花のピークとなる鈴蘭やその精霊達の総称である。
「あいつの姿なんて見てないわ。あんまり沢山妖怪が来るもんだから、誰が来て誰が来てないかなんて一々覚えていられないけれど」
「やっぱり来てないんだ。どこに行ったのかしら。あなた達も幽香を見なかった?」
人形の矛先が三人に向いた。まずフランドールが肩を竦めてメディスンに告げる。
「私は分からないわね。まずもって四百九十五年も閉じ込められてると、面識ある妖怪の方が珍しいわ。こいしはどうかしら? 無意識放浪の間に見たことくらいはあるんじゃない?」
こいしが銀髪を揺らす。
「どうかなあ。地底と地上が通じるより前に会ったことがあるかもしれないわ。でも今より私の存在が無意識の中にあった頃の話だから、会っても覚えていないかもね」
ぬえが苦笑した。彼女ならではの言い方だ。
「そんな昔の話は、聞いてないだろうに。確かその妖怪は人里にも顔を出すんだっけ? それにしては一度も会ったことないな。それなりの妖怪が近くに来てるんなら、気配くらいは感じそうなもんだけど」
「ぬえの気配読みとか、当てにならないじゃない」
「外野黙れ。まあ普段から流浪している妖怪なら、一回くらいは姿を見せないこともあるんじゃないか。案外どこかで道草でもしてるのかもしれない」
「でも、幽香は毎年遊びに来てくれてたのよ?」
メディスンがなお食い下がる。コトン、と霊夢が湯呑み茶碗を盆に戻す音が小さく響いた。
「あいつはそこそこ長生きしている妖怪だからね。そろそろ、楽隠居でも始めたのかもしれないわ」
「ラクインキョ、って何?」
ぬえがじっとりとした目を霊夢に向けた。そんな視線などお構いなしで、彼女はメディスンに語る。
「あんたはまだ大して生きてないから、分からないだろうけれどね。妖怪って生き物は長く生きてると粗方のことをやり尽くしてしまって、生きてるのに飽きてくるのよ。そのうち外に出て行くのも面倒になって、身を隠すようになるわ。それが楽隠居」
「幽香が飽きるなんて、考えられないわ」
メディスンは即答した。やはりこの妖怪は幼い。ぬえもフランドールも考えずにはいられなかった。そんな幼い妖怪に、飽きの話をする霊夢も大概だが。
「あんたが考えようと考えまいと。鈴蘭畑に幽香が来なかったのは、紛れもなき事実でしょう? 心の隅に留めておかないと、がっかりも大きくなるわ」
「どんながっかりがあるって言うの?」
残る三人が無言で霊夢を見ている。彼女はそんな三対の視線を、弾幕戦闘と同様に受け流した。
「楽隠居を長くこじらせると、そのうち誰もそいつのことを覚えていなくなるわ。完全に忘れ去られた妖怪が辿る道はただ一つ。無に帰るのよ」
無に帰る。
早い話が、妖怪にとっての完全な死を意味する。
「そんな筈ないわ。私が幽香を覚えているもの」
「今はね。でも、二年三年とあいつが来ない時間が積み重なっていくと、そのうち記憶は曖昧になるわ。どんな姿だったか、どんな声をしていたかも覚えていられなくなって、果てにはあいつがいない状態が当たり前になる。そういうものよ」
「私はそんな薄情じゃないわ」
埒が明かないと思ったのだろうか。メディスンは足早に踵を返した。
「他の人にも幽香を見なかったか、聞いてくる」
「構わないけれども、あんまり毒を撒き散らさないように気をつけなさいよ」
メディスンは、足早に境内を飛び出して行った。うららかな春風が吹き、もう一度葉桜の枝を揺らす。
空になった茶碗と急須を乗せた盆を手に、霊夢が立ち上がる。その背中に、ぬえが声をかけた。
「えげつないな、博麗よ。もう少しいい言い方も、あったんじゃないのかね」
「そうかしら? どの道いつかは理解するんだし、それなら早い方がいいんじゃないの? あんた達はどうしようもなく長生きだし、いい機会でしょ」
乾いた口調で言い切ると、拝殿の裏手へと消える。再び煤けた風が吹き荒れて、境内に散り落ちた桜の花弁を今一度舞い上げ、吹き溜まりを作った。
フランドールが顔を上げる。
「霊夢の言うことって、本当なのかしらね」
「気になるかい、箱入り娘」
ぬえに対して、口を尖らせた。
「だって信じられないじゃない? 四百九十五年は気が狂うほど退屈だったけれど、私は生きてるわ」
「まあ、それでも博麗の言ったことはあり得ない話じゃない。心が死ねば妖怪はあっさり死ぬもんさ。だから長生きな連中ほどそうならないよう、周囲に変化を与えて退屈を紛らわせようとする。現に四百九十五年は、一様に変化がなくはなかっただろう?」
フランドールは目を細めて、自身の幽閉の自伝を想起する。それは破壊と喧騒に満ち溢れていた。
「花の妖怪が幻想郷の開花を眺めて回るのもまあ、退屈しのぎっちゃ退屈しのぎなんだろう。だけど、その一点を注視して生き飽きたと結論づけるのも、いささか早計な気がするよ」
ぬえが三叉の戟を杖にして、寄りかかる。
「それにね。一つ思い出しちまったことがある」
§
話は数日前。ぬえが命蓮寺で、至極退屈な勤行をこなしていた折に遡る。
長時間の座禅によって凝り固まった筋肉を伸ばす。関節はおろか、背に生えた非対称の奇怪な翼まで、メリメリと音を立てるようだ。相も変わらず白蓮の折檻は大変容赦がないので、一瞬たりとも気が抜けない座禅行であった。そんな中でこいしだけはただ一人即身仏のごとき不動を保ち、信者妖怪の密かな注目を集めていた。無意識半端ない。
次の勤行までの休憩時間は、僅かである。その間どうやって羽を伸ばそうなどと洒落でもなく考えていると、山彦の幽谷響子の姿が目に入って来た。
いつもは聞き諳んじた経を唱えながら羯諦羯諦と姦しく境内の掃除に勤しんでいる少女である。
それが今日に限っては、どうしたことか。灯篭の根元に腰かけ竹箒に頬杖などつき、憂鬱な溜息など吐き出しているではないか。セミロングの毛髪からはみ出した長い犬耳もだらりと垂れ下がり、陰気を殊更に主張している。
そんないつもと違う様子が幾分気になったこともあり、冷やかしてやろうと思ったのだ。響子のすぐ脇まで近づいていって、声をかけた。
「おい、幽谷」
「ほいぃ?」
彼女は重苦しい息を吐き出しながら、ゆっくりと視線だけをぬえに向けてくる。一応ぬえの接近には気がついていたようだが、リアクションする余裕がなかったらしい。
「おいおい、どうしたよ。そこは『おはようございまーす』じゃないのかい。挨拶は心のオアシスだ、なんていつもは言っているくせに」
「うっさいわね。山彦にだって、エコーを返したくない時はあんのよ。ほっといて貰える」
残念ながら、そう言われて放っておいてやるほどぬえはお人好しではなかった。下卑た笑い声を上げながら、響子の隣に腰掛ける。
「そうつれなくすんなよ。愚痴くらいは聞いてやるからさ。大方境内の掃除が面倒になったとかだろう」
「そんなわけあるか。ぬえさんじゃあるまいに」
再び、浮き袋の空気を抜くような溜息を吐き出す。周囲の松林がそよ風に揺られ葉をざわめかせた。
「……みすちー、どこ行ったんだろ」
「みすちー? ああ、いつものバンド仲間か」
響子は夜雀のミスティア・ローレライと組んで、鳥獣伎楽なるバンドを編成している。夜な夜な寺を抜け出しては人里外れに会場を作り、若者を相手にライブを披露する。ぬえも見に行ったことはあるが、シャウトばかりが耳についた記憶がある。
白蓮は響子達の活動を認識しており、無論賛同ができる立場ではない。ただし他の妖怪達は、響子が毎夜寺を抜け出していくのを咎めたところで微塵も利益がないことを知っている。ほぼ黙認状態だ。
さて件のミスティアだが、普段は夜道に出没して胡散臭い八つ目鰻の屋台を開いているのだが。
「この前ライブの打ち合わせすることになってて、屋台に行ったんだけどね。店が閉まってて、あの子どこにもいなかったのよ。みすちーの知り合いにも聞いて見たんだけれど、心当たりがないっていうし。それから一週間、音沙汰がなくって」
「所詮は鳥頭だろう? すっきりと忘れてどこかで遊んでるのかもしれないよ?」
「そんなことないわよ。忘れないように、きちんとメモまで残して覚えさせたんだから」
結局忘れるんじゃないか、と突っ込んだところで白蓮からお呼びがかかり、その場はお開きとなった。
その時は、他愛もない話だと思っていた。
§
「妖怪の失踪?」
「状況は違うけれども、似ているだろう?」
こいしが天を見上げ、フランドールが目を細める。
「時期が偶然一致したってことは?」
「二例しかないからね。他にも姿を消した妖怪がいるとしたらどうだ? 事件の匂いがしないかな」
「異変ってことかしら」
「そんなわけないでしょ」
フランドールの言葉に反応しながら、霊夢が箒を肩に担いで再び現れる。
「妖怪が一人や二人いなくなったところで、異変になんかなるわけないじゃない。むしろ、厄介ごとを起こす奴が勝手に減ってくれてせいせいするわ」
境内の掃除を始める霊夢を尻目に、ぬえが笑う。
「というわけで巫女の案件じゃないことは確かだね。加えて言えば、すでに雪もなくなったっていうのに幻想郷で一番の幻想愛好家がまだ姿を現していない。まだ放置しといて大丈夫な事態ってわけだ」
「妖怪がいなくなっているのに」
「大したことじゃないのね?」
二人は一斉に首を傾げた。まるで難しい謎かけだ。
「じゃあ、消えた妖怪達はどこに向かったのかって話だよ。異変でもなくいなくなったんだとしたら、考えられる行き先が一つある」
勿体つけて、人差し指を立てる。しかし、二人にぬえの言葉を待ってやる優しさはなかった。
「リゾートとかかしら」
「きっと温泉ね」
「当たらずとも遠からずかな。今行方を眩ましてる連中は、住み良い場所を見つけたのかも知れないよ」
住み良い場所。その言葉に二人も感づいた。
「それって、つまり」
「私達の隠れ家候補にもなるってことね?」
笑顔でサムアップする。
「そういうこと。消えた連中の居場所を突き止めて、私達もご相伴に預かろうじゃない。異変同盟の秘密基地だ、妖怪モダンコロニーだ」
水を差すように、フランドールが右手を挙げる。
「突き止めるって言うけど、どうやって? 地道に行方不明な妖怪の足取りを追いかけるのかしら?」
「その辺は心配ないよ。困った時は人に聞けって、誰かが言ってた。そこで訳知り顏して隠れてる奴にインタビューしてみようか」
ばさり、と境内横手の茂みが鳴った。黒い影が、慌てた様子で立ち上がる。
「よ、よお。久しぶり」
霧雨魔理沙が開き直って手を振った。
(つづく)
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