〔AR〕その3
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 時間は少し遡る。

『――ということです。よろしくお願いしますわ、古明地さとり様』

 陰陽玉の白黒の境界線から迸った、立体的な幻影は、それで途切れた。幻影が消え去った後も、かの者の声は、地霊殿の静寂に残響を残したように感じられた。

 さとりは、少しの間その陰陽玉を手の上で転がして観察したが、それは何の反応も示さず、また霊的な力はもう残滓すらないことを把握すると、静かにテーブルに置いた。

「はぁ……」

 誰の目にもわかる、あきれた風なため息。さとりは軽く眉音を寄せて、陰陽玉と同じテーブルに置かれた箱に目をやる。

 お燐が地上で受け取った謎の箱と陰陽玉。その正体について、ご丁寧に陰陽玉そのものが説明してくれた。本物そっくりの幻影が陰陽玉から出現し、肉声で語ったのだ。どのような術であるかは定かではないが、さとりは似たような術に心当たりがあった。

 幻影を見た瞬間のお燐の反応から、幻影の正体がお燐への依頼主であることがすぐわかった。紫色のドレスの妖怪。

「さとり様、一体これはどういう……」

「私もさっぱり、といいたいところだけれど」

 さとりは、ずっと自分の横に座っていたお燐の方を向いた。

「額縁通りの話は、今さっきの式神による幻影から聞いたとおりよ。その意図を考えるとなると、よく言えば無料お試し期間に当選、悪くいえば……そう、実験台ね」

 一瞬、モルモット、と言いそうになって、さとりは舌を強ばらせながら言葉を出した。彼女は、あまり比喩や慣用句で動物の名前を用いることを好まない。迂闊に動物を例えに出すことは、対象となった動物を馬鹿にしてしまうような気がするからだ。また、お燐が例えを理解できない可能性を考慮したという事情もある。地霊殿にはモルモットもいるからだ。

「なんで良い方と悪い方を考えるんです?」

 そのようなさとりの必要以上の思考回転なぞ知る由もなく、お燐は続けて訊ねる。

「つまるところ、あの幻影の説明だけでは、納得できないからよ。建前になりつつあるとはいえ、地上と地下は不可侵条約を結んでいる。そんな両者の間に、情報を交換する仕組みを取り付けるなんて、あまり愉快な想像はできないわね」

 先ほど述べたよりも、さらに悪い考えもまたさとりの中にある。端的に言えば、地下への侵略、である。

 かの妖怪が、地下の荒くれ者をダイレクトに刺激することはないにしろ、間接的な方法で地下世界の自由を束縛する手段を講じないとは限らない。古今東西、妖怪というものは実はからめ手に弱い。腕力主義の典型ともいえる地下世界の風潮を考えると、なおさらそういった侵略手段は懸念される。

 ただ流石にそれは考えすぎであると、さとりは自戒する。まず、相手のメリットがあまりに思いつかない。

 そればかりでなく、協力を呼びかける相手の人選……すなわち古明地さとりを選んだことについても不可思議だ。彼女は隔絶された地下世界でも、さらに一層周囲と断絶している。万が一、さとりの協力が得られたとして、それがどれだけ有利に働くものか。恐れられていることを生かしたマインドコントロール? その手が及ぶ前に、荒くれ者たちとて手を打つだろう。

 相手の意図について、考えれば考えるほど、納得がつかない。それが、さとりに色々とあらぬ憶測を誘発させる。幻影相手ではさとりの読心も当然通用しない。

「ともかく、どうするんですか?」

 お燐はテーブル上の箱を開けて、中身をのぞき込む。中にはさとりもお燐も見たことのない機械が入っていた。

「どうしましょうね……地下世界でこれを扱えそうなのは、まず私以外いないでしょう。しかし、その私自身、地上に知り合いなんていないから、使い道なんてない」

 そう、最大に不可解な点がそこなのだ。さとりは、開いた箱から、説明書と思われる小冊子をとりだし、ぺらぺらめくりだした。だが記述はほとんど頭に入らない。

 地上を行き来することがある地霊殿の身内は三名――死体を漁りにいくお燐、山の核融合施設に手伝いにいくおくう、そして最近仏門に入信したという妹のこいしは、全てちゃんとさとりに地上の出来事を話してくれる。

 今のところ、さとりが地上と連絡を取る必要性は、皆無なのだ。相手がそのことを考慮しないとは考えにくい。ちなみに、仕事柄一応関係がある是非曲直庁については、全く別口で使者や手紙がやってくるので、除外である。

 そんな自分を選んだ、地上の妖怪の意図は? 考え込むと眠れなくなりそうだった。

「ん?」

 ふと、冊子の一部に目が止まった。

 ページ内の見出しには、「匿名機能」とあった。冊子で風を起こすことをやめて、さとりは該当部位を読み始めた。

『BIONETでは、匿名機能をサポートしております。文章を送信する際、パネル操作で「匿名」ボタンを押すか、情報書式に匿名を記すことで、匿名機能を利用可能です。匿名機能を用いた文章は、送信者にまつわる一切の情報を非公開にすることができます』

 その後にも、機能についての細かいルールが説明されていたが、さとりの興味を引いたのが、その一節だった。

(匿名――つまり正体を隠す? そんなことをして何の意味が?)

 密告の類ならともかく、手紙とは、送り手と受け取り手の素性がわかるようにしておくものではないのか。さとりは奇妙な感覚にとらわれる。

 同時に、さとりの思考に、一つの仮定が浮かぶ。

 正体を隠せるというのであれば。

 文章の書き手に、人間も妖怪も関係ない。

「さとり様?」

 冊子をめくらなくなったさとりを、お燐は不審そうに眺めた。

「――お燐、この機械は、私の部屋に置いておきます。後で運んでおいてちょうだいね」

「いいですけど――使うんですか? これ」

「ええ」

 冊子から視線を上げたさとりは、本当にささやかな微笑を見せた。

「わからないことを考えこんでも仕方がないわ。どうせなら、少し都合の良い方に使わせてもらうだけね」

説明
twitterにて週間連載していた東方二次創作小説です。

前>その2(http://www.tinami.com/view/504161)
次>その4(http://www.tinami.com/view/504163)
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火焔猫燐 古明地さとり 小説 東方 東方Project 

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