妹婚(シスコン) 幼な新妻高坂桐乃 |
妹婚(シスコン) 幼な新妻高坂桐乃
妹婚劇場 幼な新妻高坂桐乃の波乱万丈な朝
『桐乃……俺と結婚してくれっ!』
『…………アンタみたいな冴えない男、このアタシ以外にお嫁に来てくれる娘なんている訳ないもんね。仕方ないから……そのプロポーズ、受けてやるわよ』
『本当かっ!? ああ、今日は生涯最高の日だぜぇ〜〜っ!』
『し、幸せにしてくれなきゃ……嫌だかんね』
結婚に関する制度が変わり実の兄と妹が結婚できるようになった。しかも年齢無制限で。婚姻率を高めて少子化対策の為に試策の一環だった。
その制度を利用してアタシと京介は正式な夫婦になった。
夫高坂京介18歳高校3年生。妻高坂桐乃15歳中学3年生。
学生結婚、しかも妹婚したアタシ達への世間の風当たりは厳しい。そして経済的な事情も考えると先行きが明るいとは決して言えない。
けれど、アタシは世界で一番大好きな人と誰憚ることなく正式に結婚することが出来たことを最高に喜んでいる。京介もきっと同じ想いに違いない。だってアタシ達は世界で一番幸せなカップルなのだから。
これはそんなアタシと京介の大変なこともあるけれど幸せな日々を綴ったストーリー。
「京介っ。起きてよ〜。もう朝だよ〜」
京介の体を背中側に揺する。高坂家の幼な新妻であるアタシの1日は愛する夫を起こすことから始める。
ちなみに今アタシは京介と同じベッドの中にいる。ついでに言えば服は着ていない。パンツさえ履いてない真っ裸。でも、正式な夫婦なんだし、新婚1ヶ月なんだし別に全然おかしくはない筈。
「桐乃か〜ぁ。まだ6時前なんだろ? もう少し寝かせてくれよぉ」
実兄であり夫でもある京介は目も開けないまま情けない声を出す。
「ダ〜メ。アタシが朝練で出掛けるんだから京介も一緒に起きて欲しいの」
京介の背中を擦りながら再度声を掛ける。
アタシが京介を熱心に起こそうとしているのには色々と面倒な事情が背後に控えているから。夫婦で一緒に寝起きしていないと面倒なことに繋がるのが今のアタシ達、というかアタシの現状だった。
「桐乃がキスしてくれたら起きるぞ〜」
京介は半分寝たまま条件を提示してくる。けれどそれは困った条件だった。
「本当に、キスだけで起きてくれる?」
「それはどういう意味だ〜?」
「だって、昨日は……」
口の中でごもりながらベッドの中を移動して夫の正面に位置を変える。そしてもう慣れたけれどやっぱりまだ恥ずかしいキスを京介にお見舞いする。
「早く起きてね……」
重なり合うアタシと京介の唇。すると突然京介の両腕が伸びてアタシの背中に回ってきた。男の強い力で引っ張られてあっと言う間にアタシの体は京介に抱き寄せられた。
アタシの胸が意外と逞しい京介の胸と引っ付きあう。そして更に京介の舌がアタシの口内に侵入して来た。
「チョッ!? こ、これじゃあ……昨日と同じ展開じゃんっ!?」
アタシの懸念した通りの展開になってしまっている。
けれど京介はキスも止めてくれないし抱き締めた腕の力も緩めてくれない。そして何より……今は朝なわけで。京介は健全な男子なわけで。まあ……そういうことになっているのが足に当たる感触で分かる。
「昨日と同じになったら刺激が強くて俺は起きると思うんだよな〜」
他人事のように平然と述べる夫。でも言ってる内容はエロオヤジそのもの。
「スケベなことしか考えてないアンタのことだから……どうせアタシが嫌がっても初志貫徹する気なんでしょ」
「はっはっは。その通りだ。さすがは俺の妹にして妻。俺の行動がよく分かっているな」
「…………ばかっ」
何か誇らしげに語っている京介を横目に目覚まし時計を見る。時刻は5時30分。昨日の失敗を元に30分早く起きるようにしていた。
これなら……京介が欲望の赴くままに動いても朝練に遅刻することはないだろう。アタシは安心して目を閉じて京介の目覚めに付き合うことにした。これも新妻の立派な務め。
「首筋に残るように歯型とキスマークつけるなんて信じらんないっ!」
「キスしている最中、お前は何も言わなかったじゃないか」
洗面所で並んで歯を磨きながら黒く痣になっている首筋を鏡越しに見て文句を付ける。
アタシの首筋には即バレの痣と歯型がついている。シャワーの時に擦ってみたけれど何ら効果なし。今すぐ取れそうにない。
朝連の最中にランニングウェアで首元を晒していれば「昨夜はお楽しみでしたね」と部員達にからかわれることは必定。
アタシの夫は本当に要らない苦労ばかり背負わさせてくれる。
「あのねえ……ああいう最中に緊張しちゃってアタシが何も言えないし動けなくなるのは京介だけが知っていることでしょ! もっと気を使ってよ」
「俺達もう結婚して1ヶ月になるだろ。そろそろ慣れてくれよな。黒ね……」
ギロッとした瞳で京介を睨む。
「悪かったよ。これから気をつけるよ」
ションボリとうな垂れる京介。
「結婚したのに昔の女を例に挙げるとかマジ止めてよね。次言ったら離婚だかんね」
「本当に悪かったってば」
京介は何度も何度も頭を下げる。
本当にこの男はデリカシーと呼ばれるものがまるでない。何でこんな男を夫に選んでしまったのか自分が自分で分からない。まあ……幸せなんだけどさ。
「ほらっ、いつまでも突っ立ってないで歯磨きが終わったら着替えてご飯食べるわよ」
「ああっ」
背中をバシバシ叩きながら夫を誘導する。
さっきの話をいつまでも引っ張るのはアタシ達の精神衛生上非常に良くない。それが分かるから日常に戻るように急かす。
アタシ達夫婦の危ういバランスなんて日常生活の上で幾らでも見えてくる。その上に自分達から危険をプラスする必要なんて少しもないのだ。
着替え終えて2人揃って食卓へと向かう。ここからが日常生活における第一の難関。
「おはよう」
「おはよぅ」
声を掛けながら2人揃って台所に足を踏み入れる。
「おはよう京介。桐乃さん」
「おはよう京介、桐乃くん」
お母さんとお父さんが挨拶を返してくる。
2人とも挨拶する声色は以前と同じ。けれど、この挨拶にも大きな問題が含まれている。
2人はアタシに対して“桐乃さん”“桐乃くん”と呼んだ。これが意味するものは何か?
それは2人がアタシを実の娘としてではなく京介が連れて来た嫁として扱っているのだ。主にお母さんの意向で。というか完全にお母さんの意向で。
「朝食の支度もせずに随分とゆっくりした起床ですね、桐乃さん」
早速お母さん、いや、この場合はお義母さんの嫌味攻撃が飛んで来た。
「京介…さんを起こすのが手一杯でこの時間になってしまいました。すみませんお義母さん」
精一杯の営業スマイルを浮かべながら自己正当化に務める。
「私が京介の世話をしていた時は、この子をちゃんと起こした上で朝食も完璧に準備していたけどね」
「グッ! ですが、アタシは料理はその、ちょっと……」
お義母さんに料理の話を持ち出されて言葉に詰まる。
結婚を機に料理に再チャレンジしてみた。けれど、結果は3回トライして3回とも救急車を出動させたという散々なものだった。
「そうよね。桐乃さんは料理一つまともに作れない全くのダメ嫁だものね」
「クゥッ」
お義母さんの嫌味な一言にグサッと来る。
「何か文句でもある? 何なら今日から食事当番を代わってくれて構わないのよ」
「…………文句は何もありません。お義母さんの言う通りです」
悔しさに体を震わせながらお義母さんの言葉に頷く。
「まったく、京介ももっと家庭的な子をお嫁に連れて来てくれれば良かったのに。真奈美ちゃんとか瑠璃ちゃんとかあやせちゃんを連れて来てくれるのを楽しみに待っていたのに。よりによってこんな派手な遊びしか覚えてない家事のいろはも知らない子だなんて。はぁ」
大きな溜め息。
「…………っ」
「お袋っ! いい加減にしてくれっ!」
怒りが爆発しそうになった所で夫が代わりに文句を言ってくれた。ちょっと格好良い♪
「私は京介に散々言って来たわよね? お嫁にもらうなら家庭的な子にしなさいって。私と父さんと同居して家事をこなしてくれる子にしなさいって」
「そ、それは……」
京介はお義母さんから目を逸らした。やっぱコイツ、頼りにならない。
「今この食卓にいるのが瑠璃ちゃんだったらどんなに良かったことか。ハァ〜」
わざとらしく大きな溜め息を吐くお義母さん。
アタシは学力優秀で陸上やモデル活動で優秀な成績を収めている自慢の娘から、家事技能に劣る使い勝手の悪過ぎる欠陥品の嫁へと評価がランクダウンしていた。
そう。このお母さんこそがアタシの日常生活に暗い影を落とす最大の存在だった。
お母さんは別にアタシと京介の結婚自体には反対しなかった。アタシと京介の仲を昔から怪しんでいたし、むしろアタシが京介と結婚することを予測していた節があった。
けれど、それは結婚に反対しなかったというだけのことで、京介の嫁としてのアタシを認めるのとは全くの別問題だった。
現代っ子なアタシはお母さんにとっては最も認められないタイプの嫁だったのだ。
そのせいで結婚して1ヶ月。毎日のように嫌味を言われ続けている。心がおかしくなってしまいそうなぐらいに。
「母さん。桐乃くんも毎日精進して家事技能が少しずつ上昇して来ている。もうしばらく様子を見ようじゃないか」
一方で結婚に最後まで反対していたお父さん、今はお義父さんは結婚後はむしろアタシに好意的。というかお義母さんの嫌味からアタシを守ってくれている。
けれどその守り方というのが息子の嫁に対して気を使っているというガード方法。中学生の実の娘に対する親の庇護とは一線を画している。
アタシと京介が結婚したことで高坂家は大きく変わってしまった。その原因はアタシにあるのだと思うと申し訳なくは思う。
だけどあの状況下では妹婚をすることしかアタシにも京介にも進める道はなかった。だからこの異常な状況も自分が撒いた種と甘受するしかなかった。
「桐乃、まだ食べ終わってないのか? 早く食べないと朝練に遅刻するんだろ?」
家族がこんなにもギクシャクしていると言うのに、その変化にまるで気付いていないダメ夫兼兄。情けなくなって溜め息を吐き出しながら返答する。
「今食べるわよ」
見苦しくない程度に素早く箸を動かして朝食を綺麗に頂く。ここで見苦しい様を見せるとまたお義母さんにネチネチ言われてしまう。
「人妻になったのに朝から趣味活動とは良いご身分ね」
隙を見せなくてもネチネチ来るのがこの姑の特徴だ。
「アタシの高校推薦には陸上部の活動も大きく影響していますので」
「県外の高校に入学して別居することになるならすぐ離婚してくれても構わないわよ」
「ご心配なく。京介が進学する予定の大学から一番近くて陸上が強い高校に特待生で進学する予定ですから」
嫁と姑の密かにして激しいバトル。
「桐乃〜。食べ終わったなら早く行こうぜ〜」
このハーレム王が沢山の女に囲まれながら何故平然と生活して来られたのか改めて理解しながら箸を置く。
「食器を洗ったらすぐに行くわよ」
こうしてアタシの1日は姑とのバトルで心も体もヒートアップして始まるのだった。
妹婚劇場 諦めない女
陸上部の朝練では首筋のキスマークと歯型を散々からかわれてしまった。
でもこれは仕方ない。京介に今朝好き勝手させてしまったアタシの自業自得だし。
それに、からかわれるぐらいは今となっては可愛いもんだ。
肉親との結婚である妹婚に対して露骨な嫌悪感を表明する連中もこの学校には多いのだから。
妹婚にはとかく否定的なイメージが付きまとっている。
その代表的なものが近親相姦と死だ。
近親相姦のイメージは去年あやせとアタシが大喧嘩した時に良識派を気取る人間がどれだけ忌み嫌うかは理解していたつもり。
実際に酷い罵声を浴びせられる時もあるけれど、もう慣れてしまっているせいかあまり答えない。むしろ法律で認められた権利を非難する輩を口で思い切り攻撃し返している。
けれどもう1つ付きまとっている死のイメージの方が厄介だった。
妹婚制度はその導入に当たって様々な悲劇或いは惨劇を引き起こした。
結婚を名乗り出ようとしたごく少数の兄妹達を次々に不幸が襲った。ギャルゲー、ラノベ主人公気質の男達が次々と凶刃に斃れていったのだ。
『あんちゃん……ウチと結婚して欲しい。レイシス・ヴィ・フェリシティ・煌の誕生日祝いにウチと結婚して欲しいんじゃ』
『ハッハッハ。そうかそうか。小鳩はお兄ちゃん離れ出来ない甘えん坊さんだなあ。よし、誕生日のお祝いには小鳩の言うことを何でも聞くと決めたからな。俺と結婚しようぜ。あんちゃんはいつまでも小鳩と一緒だ』
『本当け? ウチ、嬉しい〜〜♪』
『タカ……お前は実の妹と結婚するというのか? 10年前からの親友だったこの私とではなくて……もう、タカを殺して私は生き延びるしか道はない。覚悟っ!』
『小鷹のお嫁さんになってペロペロされ尽くして小鳩ちゃんのお義姉ちゃんになってペロペロし尽くすというあたしの完璧な計画が……こうなった以上小鷹を殺すしかないわっ!』
『理科は正妻の座にはこだわりませんが……先輩が小鳩さんしか見なくなって捨てられるのは耐えられません。ならばこの場で殺してあそこの部分をホルマリン漬けですっ!』
『男の中の男のあにきが妹萌えなんて軟弱な属性に走るなんて……あにきには理想のあにきのままでいて頂く為にここで死んで頂きます』
『わ〜結婚おめでとうなのだ、お兄ちゃん。でも、うんこ吸血鬼はぺっぺっぺなのだ』
『ど、どうしたんだよみんな? そんな切れ味鋭そうな刃物なんて持ち出しちゃって……俺達、友達だろ? 友達なら結婚を祝ってくれるのは当ぜ……ぎゃぁああああああぁ!?』
『遂に明くんと正式に結婚できる時が来たのですね。姉さん感激です♪』
『妹婚制度で結婚できるのは兄と妹の組み合わせだけだから。仮に姉と弟が出来たとしても、僕は姉さんと結婚する気は絶対にないからっ! って、どうして姫路さんと美波と優子さんと葉月ちゃんは僕に向かって切れ味鋭そうな包丁を構えているの!?』
『明久くんをこの手で討たなければならないなんて私は悲しいです。でも、明久くんを殺す以外にみんなが笑って暮らせる方法が思い付かないんですっ!』
『姫路さん? その理屈はおかしいよね? 殺されたら僕笑えないよ!?』
『思い出の中のアキを綺麗にする為には現実のアキを殺し尽くすしか方法はないわ』
『僕を殺し尽くしたら僕との思い出は血の色に染まるよね!?』
『拳王であるアタシのものにならない明久くんに生かしておく価値はないわ』
『ストレートで分かり易いけれど納得は出来ない〜〜〜っ!!』
『馬鹿なお兄ちゃん。浮気の罪で死んでくださいなのです♪』
『どうして浮気って単語が出て来るの〜〜!? って、ぎゃぁああああああああぁっ!?』
『上条当麻さま。今は空前の妹婚ブームです。ですから、御坂妹の異名を冠する私、御坂10032号と結婚してください。と、ミサカは上条さまの右手を取って自分の胸に押し当てながら押し倒します』
『妹婚? 何だそりゃ? って、俺を無理な体勢で押し倒すんじゃねえよ、御坂妹〜っ!』
『そんなに妹って響きが好きか〜〜〜〜っ!!』
『ゲェッ!? ビリビリ!? いや、これは違うぞ。俺は被害者であって自分から押し倒された訳では……』
『言い訳無用っ! 死になさいっ!! 10万ボルト〜〜〜〜っ!!』
『御坂妹が乗っかっているせいで右手が発動できな……ぎゃぁあああああああぁっ!?』
『智樹お兄ちゃん。今度お兄ちゃんと妹が結婚できるようになったんだって。だからカオスと結婚して♪』
『ははっ。カオスは結婚なんて単語をもう知っているんだな。偉いぞ。ナデナデ』
『わ〜い。お兄ちゃんに撫でられた〜〜♪』
『……残念です。マスターをペド撲滅法に従ってこの手で処刑しないといけないなんて』
『そうよっ! 智樹が手を出していい妹系ヒロインは私だってのによりによってカオスに手を出すだなんて。恥を知りなさい、このペド智樹っ!』
『ヴァーカヴァーカ! 桜井智樹のペタンコ好きヴァーカ』
『智ちゃん。よりによってそんな小さい子を狙うなんて……覚悟は出来ているわよね?』
『桜井くんは巨乳好きだと思っていましたがそっちだったとは……残念です』
『ちょっと待て!? 俺はカオスの頭を撫でただけだぞ。それなのに、何で人類を10度滅ぼしてまだお釣りが出そうな武器で俺を狙……ぎゃぁあああああああああぁっ!?』
妹婚制度は数多くの殺人事件を生み出した。
その事件の全ての被害者がハーレム王と呼ばれる男で加害者は全員無罪を言い渡された。けれど、これらの事件の存在によって妹婚制度は死と結び付いてイメージされるようになっていた。
実際、アタシ達の場合も結婚をみんなに報告した歳に沙織が黒服の男達を呼び出したりせなちーが京介が男達を弄んで捨てようとしていると包丁を構えたりと大変だった。
そんなこんなで妹婚者が側にいると殺人事件に巻き込まれると恐怖を抱く人は多い。だもんで学校内におけるアタシの地位は誰もが羨む完璧優等生美少女から側にいて欲しくない危険人物へと変わってしまった。
幸せの為に自分で選んだ道とはいえ、その零落ぶりには心の中で涙が出る。
ちなみに京介の場合は男色疑惑やキモオタ疑惑で元から校内での地位が極端に低かったのであまり変化がなかったらしい。羨ましいような羨ましくないような。
そんな訳で結婚後のアタシの学校生活はとても静かなものになった。
たった1人の例外を除いて。
「ねえねえ桐乃〜〜。京介さんをわたしに頂戴〜♪ じゃなくて、京介さんに関する情報をわたしに頂戴〜♪」
アタシが教室に入り席に着いた途端にその女、新垣あやせはやって来た。
長きに渡る、そして熾烈を極めた京介争奪戦は妹婚という形でアタシが勝利を収めた。その筈だった。
だってアタシと京介は正式な夫婦になったのだし、もう誰もアタシ達の間に割って入ることは出来ない。
そう考えるのが普通。ていうかそれ以外に解釈はあり得ない。
けれど、結婚してもなおアタシの勝利を決して認めようとしない蛇のようにニョロニョロウネウネ執念深い女が1人だけいた。
「ねえ、京介さんって、酢豚にパイナップルを入れる派かな? 入れない派かな?」
元親友で現在煙いだけの存在となった新垣あやせはニコニコしながらアタシに尋ねた。
今はお昼時間、場所は教室の中。1人静かにお義母さんの作ったお弁当を食べていたらこの女の顔が突然眼前に現れたのだ。
「何でアタシの“夫”の料理の好みをあやせが知らなくちゃいけない訳?」
夫の部分を強調しながらあやせに質問する。
「何でって、京介さんと一緒に食事することもあるし、わたしの作った物を食べてもらうこともあるから相手の好みは知っておきたいじゃないの」
あやせは笑顔を崩さないまま忌々しい答えを口にする。
「ほらっ、わたしって今偶然にも京介さんと同じ予備校に通っているでしょ。中学と高校という差はあるけれど同じ建物で学んでいるから偶然会うことも多いの」
偶然という言葉を連発するストーカー女。
説明する必要もないだろうけど、あやせが偶然京介と同じ予備校に通い出したなんて事実は存在しない。京介の行動を全て把握した上で同じ予備校同じ日を選んでいる。
何より推薦で既に高校進学が決まっている人間がわざわざ予備校に通う必要はない。京介目当てなのは明らかだった。
「確かにあやせは京介と予備校内で出会うことがあるのかも知れない。でもね、“夫”の食事はアタシが管理しているんだからあやせが心配することはないわよ」
不倫願望女の目論見通りにはさせない。
「おにぎり1つまともに握れない料理技能0の桐乃が何を言っているの? ぷぷぷ」
あやせは馬鹿に仕切った瞳でアタシを指差して笑っている。マジムカつく。
「京介にはちゃんとした夕食を食べる分のお小遣い与えてるんだし、あやせの料理は必要ないっての」
「外食よりコンビニのお弁当より真心篭った手作り料理の方が京介さんも喜ぶと思うけどなあ〜」
「あやせが京介の為に真心を込める必要はないっての」
「必要ならあるよ。だって、京介さんは将来わたしの旦那様になる人なんだし」
「京介の妻はアタシだっての!」
「今は、でしょ?」
あやせの澄ました物言いマジムカつく。
「夫婦なんだから未来永劫2人が死ぬ時まで一緒だって!」
「そんなこと言って、もう夫婦生活は限界を迎えているんじゃないの?」
「そんなことないわよっ! 今朝だっていっぱいエッチしてから学校に来てるんだしっ!」
喋り終えてから気付く。自分がとんでもなく恥ずかしいことを口走っていることに。
ドキドキしながら教室内を見回す。白く冷たい視線がアタシに四方八方から降り注いでいた。
穴があったら入りたい。アタシの最低まで悪化した評判はあっさりと底値を更新してしまった。
けれど、そんなアタシの空気の読めない発言よりも更にダメな反応を見せる女がいた。
「何よそれっ? 自慢のつもりなのっ! わたしだって京介さんを誘惑していっぱいエッチなことをしてもらうんだからっ! 京介さんの色に染めてもらうんだから〜〜っ!」
大声で人の亭主を寝取ると宣言する元清純派現エロイだけの人。
「アンタの言ってることは不倫宣言よ。裁判したらアタシが勝つわよ」
「不倫はねっ、日本の文化なのよっ!」
「もうこの女には何を言ってもダメだわ」
去年の夏のあの日、アタシがコイツを家に連れて来なければこんなキチガイを生むこともなかったのに……。
ドッと疲れが湧き出る。
あやせを一時預かりしてくれる人物はいないかと周囲を見渡す。
と、加奈子の姿が目に入った。髪をストレートに下ろすようになった加奈子は前よりもとても大人っぽい雰囲気を纏うようになっている。雰囲気だけじゃない。言動も以前と比べて随分落ち着いたものになっていた。
その加奈子にあやせを託そうと思って目を合わせる。
「………………っ」
けれど加奈子にはすぐにそっぽを向かれてしまった。
加奈子はアタシと京介の仲を認めてくれていない。それどころか結婚報告してから口も聞いてくれない。
妹婚とはそういう制度なのだ。兄妹間の結婚が法的には認められても、人々の認識を変えるには至っていない。ううん、多分永遠に理解されないに違いない制度。
アタシは悲しい気分になりながら再び不倫願望女と向き合うしかなかった。京介の顔が思い浮かぶ。会いたいなって思った。
放課後になった。
今日は陸上部の練習はなし。お義母さんに頼まれた買い物をして帰る予定。
教室内でアタシにさよならの挨拶をしてくれる子はいない。結婚前との待遇差にちょっぴり涙が出そうになりながら鞄を持って教室の外へ出る。
京介の顔ばかり頭に思い浮かびながら靴を履き替えて校舎の外へと出る。遠巻きに奇異な視線に晒されているのに気付かないフリをしながら校門へと出て行く。
するとそこには思い掛けない人物が門の外に待っていた。
「京介っ♪」
愛する夫の顔を見てアタシは一気に嬉しい気持ちでいっぱいになった。
「何? 何? アタシのこと、迎えに来てくれたの?」
「ああ。今日は放課後陸上の練習のない日だからな」
「いつの間にそんな気が利く男になったのよ〜♪」
嬉しさを京介に抱きつくことで表現する。
「おっ、おい。人が見てるって……」
「いいじゃん♪ アタシはこんなに嬉しいんだし。ご褒美にキスしてあげるね」
首に手を回して京介にキスをプレゼントする。
「桐乃のクラスメイトや部活仲間だって見ているかも知れないんだぞ。や、止めろって」
慌てる京介が凄く可愛い♪
そんな京介の可愛い顔をもっと見たくてキスの嵐を降らせる。
「まずいって! 桐乃、明日から学校でいたたまれなくなるぞ」
「いいのっ! アタシには京介さえいてくれればっ!」
この中学校はもうアタシの居場所じゃなくなった。だったら、京介との今さえあればもうどうでも良い。
「教育的指導という名のジェラシーアタックッ!!」
頭の前で腕を×の字に組んだ女が飛び込んで来てアタシ達に体当たりして来た。
「痛えっ!」
「アイタっ!?」
京介が身を呈して下敷きになってくれたおかげでアタシは怪我をせずに済んだ。でも痛いことには変わりがない。
「ちょっとっ! いきなり何をするのよ!」
ぶつかってきた非常識女に文句を述べながら正体を確かめる。犯人は
「こんにちは、京介さん」
何事もなかったかのように丁寧にお辞儀する不倫執着女あやせだった。
予想通り過ぎる犯人だった。
「京介さんとこんな所で会えるなんて感激です〜。今日はどうしてこの中学に?」
「ああ。桐乃を迎え……」
「もしかしてわたしに会う為だったりするんでしょうか。だったら本当に感激です〜」
「いや、だから桐乃に会いに……」
「わたしも丁度時間が空いている所で、よろしければ近所の喫茶店で2人でお茶していきませんか? コーヒーの美味しいお店をみつけたんですよ♪」
あやせは全く話を聞こうとしていない。一方的に自分の欲求だけを京介にぶつけながら体を擦り寄らせている。昔からそういう傾向の強い子だったけど、最近は特にそう。
「あのなあ。俺は妻である桐乃を迎えに来て一緒に帰る所なんだよ」
京介はあやせを引き剥がしに掛かる。
あやせも京介にはっきり言われてしまうと立つ瀬がない。ざまあ。
でも、転んでもただで起きないのが新垣あやせの真骨頂。
「近親相姦なんて汚らわしいです。生まれて来る子供も健康でない可能性が高まります。お兄さんはさっさと桐乃と離婚して、血が繋がっていない普通の女の子と再婚すべきです」
その再婚すべき普通の女の子とやらがあやせ本人を指していることは言うまでもない。
けれど、前半部の批判は結婚前から絶えず色んな人から聞かされ続けているものでアタシ達にとって耳の痛いものだった。
京介もとても苦い表情を浮かべている。
「京介さんは一刻も早く桐乃と別れるべきですっ! それが京介さんにとっても桐乃にとっても最善の道なんです!」
勢い込むあやせ。そんなあやせの剣幕を見ているとアタシも不安になってしまう。本当にこんな誰にも祝福されない結婚生活を続けていて良いのかと。
でも、京介の答えは違った
「確かにあやせの言うことはもっともだと思う」
「じゃあ!」
「それでも俺……桐乃のことが好きなんだ。愛してるんだ」
京介から出た予想外の言葉にハッと顔を見上げる。京介は真剣な表情であやせを見ていた。
「桐乃のことが好きだから……だから別れるなんて出来ない」
京介は力強く首を横に振った。あやせの話は受けられないという固い意思表示。
「京介……っ」
アタシは自分の夫がこんなにも格好良いだなんて知らなかった。ううん、知ってはいたけれど改めて格好良い所を見せられて惚れ直してしまった。
「で、ですがっ!」
「…………もう止めておけよ、あやせ」
尚も食い下がろうとするあやせの肩を叩いた少女。加奈子だった。
「加奈子……っ」
「あやせの気持ちも分からないでもない。でもな、あんまり見苦しい真似はすんなよ」
睨み合う様にして視線を交わすあやせと加奈子。けれどそのメンチ勝負はすぐに加奈子の勝利に終わった。加奈子の哀愁を含んだ視線はあやせに苦手意識を誘発したのだった。
「今日の所は加奈子に免じて引き下がります。ですが、わたしの考えは変わりませんから」
あやせはアタシを睨むと校門の前から去っていった。
一方で加奈子は京介と見詰め合っていた。
2人とも無言のまま語らない。けれど決して目を逸らさない。その沈黙の邂逅はかつて2人の間に特別な関係があったことを雄弁に物語っていた。アタシの知らない関係が2人の間にあったことを。
「あのさ……」
長い沈黙の果てに加奈子が口を開いた。
「今はまだ無理だけど。何ヵ月後か、何年後にはちゃんと言えるようにするからさ」
「…………っ」
「おめでとうって言えるようにするからさ。だからその時までちゃんと桐乃のこと大切にしてやれよ」
「…………ああ」
2人の雰囲気が凄く大人っぽくてアタシが入り込む余地がない。どうなってるの、この2人?
「以上、京介の初めての女加奈子様からのありがたいご忠告ってやつでした」
「えっ!?」
今、加奈子の言葉の中に決して聞き逃せない凄い内容が含まれていたような!?
「じゃあな。京介、桐乃」
それだけ一方的に述べると加奈子は走り去ってしまった。
「ちょっと待って! さっきの言葉を解説しなさいっての!」
騒いでみるけれど後の祭り。加奈子の姿はもうどこにも見られなかった。
「じゃあ、スーパー行って一緒にお買い物して帰るわよ」
怒涛の乱入者あやせと加奈子のおかげで一気に呆けてしまった頭で今後のスケジュールを述べる。
「あっ、ああ。そうしような」
元々アタシを迎えに来た京介の賛同を得て歩き出す。
「京介はさ、加奈子とも付き合っていたの?」
返事がない。京介のこういう場合、それは沈黙の肯定を意味する。アタシの全然知らなかった事実。
「初めての男って……?」
京介はアタシから目を逸らした。今度も事実に違いなかった。
「加奈子に黒いの。京介お兄様は随分と妹の友達キラーなんですね」
京介をギロッと睨む。妹の友達2人に手を出すのは人として終わっているんじゃないだろうか。
2人とも、今は友達だって言えない間柄になってしまったのだけど。
「どうりで女慣れしていた訳ね……」
アタシは京介と付き合うのが初めてだったのに対して、京介はアタシで3人目。人畜無害そうな顔をして相当なプレイボーイさんだったわけだ。何かちょっと面白くない。
このもやもやをちゃんと京介にぶつけてやらないと気が済まない。
「だけど京介はもう一生アタシだけのもんだかんねっ!」
口から出たのは予想とは違う言葉だった。でも、アタシが言いたいことを的確に捉えていた。そう。京介のことでアタシはもう誰にも負けたくない。絶対に。絶対にだ。
「俺の奥さんは桐乃なんだから、俺はずっと桐乃のもんだよ」
京介が手を握って来た。その手はとても暖かくて……アタシの心も体も一気に温かくなった。
「そうよね。アタシのこと校門の前に迎えに来ちゃうぐらい大好きなんだもんね♪」
京介の腕をギュッと組む。これがアタシんだって誰の目にも分かるように。
「今夜はタップリサービスしてあげるんだから♪」
「サービスったって……お前、ひたすらマグロじゃん」
「どんなことされても嫌がらないであげるわって意味よ」
京介と2人並んで歩く。
妹婚には辛いことが多いのは事実。世間は理解してくれないし、親しかった人たちも疎遠になってしまう。良いことなんてほとんどない。
でも、たった1つだけ良いこともある。
それは、絶対に結ばれる筈のなかった人と結ばれることが出来るようになったこと。
京介の特別な存在になれたこと。京介の特別な笑顔を見ることが出来ること。
だからアタシは妹婚という制度にとても感謝している。
「おのれ桐乃〜〜。将来わたしのものになる京介さんとイチャつきやがって〜〜っ!」
どんな障害があろうともアタシは妹婚を続けたい。
京介のことを世界で一番愛しているのだから。
「京介……大〜好き♪」
アタシは自分の素直な気持ちを大きな声で空に向かって叫んだのだった。
妹婚(シスコン)劇場 嫁と姑
『桐乃……俺と結婚してくれっ!』
『…………アンタみたいな冴えない男、このアタシ以外にお嫁に来てくれる娘なんている訳ないもんね。仕方ないから……そのプロポーズ、受けてやるわよ』
『本当かっ!? ああ、今日は生涯最高の日だぜぇ〜〜っ!』
『し、幸せにしてくれなきゃ……嫌だかんね』
色々あって京介と結婚することになった。
法律が変わってアタシと京介は正真正銘の夫婦になることが出来た。
でも、高校生の京介と中学生のアタシが夫婦になるというのはとても大変なこと。
特にアタシ達を取り巻く人々との関係の変化に四苦八苦させられる日々。
その中でも妹婚を果たしたアタシ達にとっては両親との関係をどう築いていくのか。それが最も大きな問題となっていた。
「ちょっと桐乃さん? 洗濯物の畳みがまだ終わっていないようなのに休憩なのかしら?」
「はっ、はい。今畳みます〜」
洗濯に疲れてリビングでテレビを見ながら休憩していたらお母さん、今はお義母さんにまた嫌味を言われてしまった。
アタシは慌ててテレビを消して洗濯物を取り込みに向かう。小走りで向かわないとお義母さんは後でネチネチとうるさい。
お母さんだった時は気が付かなかったけど、まったく大変面倒な人を義理の母親に持ってしまったものだ。
『桐乃が京介と結婚するのは構わないけれど……これからはアンタのことを同居している息子の嫁として扱うわよ』
『えっ? ま、まあ、別にそれで構わないけれど……間違ってはないし』
お母さんに聞かれて適当に返事してしまった。それが大きな間違いだった。
結婚したらお母さんは人が変わったかのようにアタシを扱き使い家事を一任するようになった。もの凄い駄目出し付きで。
陸上やモデル業に専念してきたアタシにとって家事はこれまで全く手を付けて来なかった領域。そのせいで失敗に次ぐ失敗を繰り返している。その度にお母さん、いやお義母さんは大層な嫌味をくれる。
『まったく、洗濯機1つまともに回せないなんて……一体どんな家庭でどんな躾を受けてきたのかしら?』
『こんな家庭でアタシを教育したのはお母さ……いえ、何でもありません』
お母さんは京介に嫁が出来たら家事一切を押し付けて自分は楽をしたいと考える逞しい思想の持ち主だった。
だからお母さんにとっての息子の嫁の第一条件とは家事技能に優れていること。そして家事を面倒臭がらないことだった。
お母さんにとって嫁の稼ぎ能力が高いとか社会的ステータスが高いとかはどうでも良いことだった。専業主婦のお母さんにとっては息子の嫁も専業主婦が当然で、しかも両親との同居と世話を嫌がらないことが最も重要な要素だったのだ。
お母さんが麻奈実…さんを京介の嫁にしようとしていた理由が今になってよく分かった。あやせや黒いのが嫁でもきっと大喜びしただろう。
だけど京介が実際に嫁として連れて来たのは家事技能に激しく劣るアタシだった。お母さんがどれだけ落胆したかは想像するのが容易い。
アタシの陸上やモデル活動を理解して後押ししてくれたのは目の前の人だった筈。だけど今のアタシはそれを言うことが出来ない。
『桐乃さん。生活の為というのは分かるけど、夫以外の男に肌を晒すような仕事はどうかと思うのよ』
『いや、肌を晒すってノースリーブの服の撮影をしただけじゃん…だけです』
『息子の嫁が淫らな仕事をしているとご近所さんに思われるのは困るのよね』
『…………水着や露出の多い服の仕事はキャンセルします』
お母さんの娘と嫁に対する態度は随分違う。娘に対しては親に依存することなく自立するように育て、嫁に対しては家にひたすら従順に尽くすように指導。言い換えれば自分が楽出来る為の最善の道を模索する体制。
その体制に現在のアタシは悪い方向へと乗っかってしまっている。
『それから桐乃さん。昨日あやせちゃんと会った時に週末に2人で渋谷に行ったと聞いたのだけど。あやせちゃんはフリーだから構わないけれど、夫がある身でそういう派手な街に夫なしに行くのはどうかと思うのよ』
『えぇえええぇっ!? ……はい、分かりました。これから東京に行く時は京介さんと一緒の時だけにします』
お母さんは割りと放任主義だったけど、お義母さんはやたらと束縛したがる人だった。
嫁ぎ先(実家)での息が詰まりそうになる日々からの唯一の逃避手段である外出さえも良い顔しようとしない。
アタシの幸せ満開になる筈だった新婚生活は姑の存在によってとても疲れるものになってしまっていた。
ちなみにアタシはあやせと一緒には出掛けていない。あの不倫願望女がアタシが京介と会うのではないかと勝手に尾行して来ただけのこと。
「ただいまぁ」
午後7時前、バイトを終えた夫高坂京介が帰宅した。
「おかえりなさぃ♪」
夫の声に安堵感を覚えて玄関前まで迎えに行く。自然と駆け足になっている。
リビングの扉を開けると愛する夫の顔が見えた。嬉しくなってアタシは京介に飛び付いて抱きついた。
「どうしたんだ、桐乃? 今日は随分大胆だな」
「別っにぃ。良いからこのままの体勢でいさせてよ♪」
夫の学生服に顔を埋めてその匂いを味わう。夫の腰に回した手と密着した上半身を通じて夫の温かみと男の人の感触を堪能する。
京介と結婚してアタシは自分の気持ちに素直になってハグ出来るようになった。
京介に自由に抱きつけるようになったのはとても嬉しい。妹から妻になって良かったと思える瞬間。でも、アタシと京介は夫婦なのだからハグだけだとやっぱり物足りなくて。
「ねえ、京介」
「何だ?」
「キス…して」
「ここで?」
「うん」
京介の唇がゆっくりと迫って来る。アタシは目を瞑りわずかに踵を上げて京介を受け入れる体勢を取る。
「桐乃……っ」
「京介……っ」
「ジー……っ」
覗いていますというあからさまな擬音が聞こえてアタシたちは慌てて飛び退いた。
アタシたちを飛び退かせた人物、お義母さんはアタシを不満タラタラな瞳で見ている。
「桐乃さんは目玉焼き1つ調理出来ないのに男を魅了するのだけは得意なのね」
「い、いえ。そんなことは……」
お義母さんに背中を向けたまま直立不動で答える。このネタでまたしばらくネチネチ文句言われるに違いないと思いながら。
「さあ京介。嫁のくせにお料理もまるで出来ない桐乃さんに代わって私が作った料理を食べましょう」
「う……っ」
お義母さんの言葉にグサッと来る。
アタシの料理の腕前は漫画級。悪い方の意味で、だ。アタシの料理の腕前は京介は勿論お義母さんも当然よく知っている。
アタシが料理を作ると救急車がどうしても必要となるので台所には入れてもらえない。そんな訳で毎日嫌味を言われながら料理はお義母さんが作っている。
料理が作れないのはアタシが悪い。それは認める。でも、気にしていることを毎日ネチネチ言われると神経が参ってしまう。特に今まで料理をアタシに教えて来なかった人に言われると、だ。
アタシは夫にSOSの視線を送った。お義母さんの批判を止めてもらえるように。
「分かってるさ、桐乃」
京介は力強く頷いてくれた。
さすがはアタシが生まれた時から見守ってくれているアタシの守護の第一人者。ちゃんとアイコンタクトを理解してくれた。
「京介……っ」
「母さん。桐乃がお腹減ったみたいだからすぐに夕飯にしようぜ」
京介はとても良い笑顔でそうのたまってくれた。
「まったく、桐乃さんと来たら家事は満足に出来ないのにお腹の自己主張だけは一人前なのね」
背後からお義母さんの蔑む声。
「ご飯に……しましょうよ」
アタシは心の中で涙を流すしかなかった。
「京介の馬鹿っ、京介の馬鹿っ、京介の馬鹿っ、京介の馬鹿ぁっ!!」
お風呂に顎まで浸かりながら夫への不満を口にする。
京介は家の中でのアタシの苦労を全然分かってくれない。アタシとお義母さんが結婚前と同じ関係だと思い込んでいる。アタシが毎日お義母さんにネチネチ苛められているのに全然気が付いてくれない。
『へっ? お袋との仲が上手くいってない? 実の兄妹で結婚したことに拗ねているのかもしれないな』
『今日は偶々気分が良くなくて怒りっぽくなっているだけなんじゃないか?』
京介はマザコン属性を持つ駄目夫よろしく姑の嫁いびりに対して鈍感過ぎる。アタシと結婚して今日で丁度2ヶ月。
京介はお義母さんとの不仲を口にする度に中立、というかお義母さんよりに立つ。そんな夫の不甲斐なさぶりに疲れてしまった。
だからアタシは一大決心を固く心に抱くことになった。
ピンク色のパジャマに着替え髪を乾かしてから2階に向かう。結婚するに当たってアタシと京介の部屋を仕切っていた壁を取り払い1つの大きな部屋にした。
それが現在のアタシと京介の部屋。その部屋の扉のノブをいつもより強めに押し開いて中へと足を踏み入れた。
「京介っ! 大事な話があるのよ」
勢い込んで話を切り出す。けれども話し相手である筈の夫は妻の入浴が終わるのを待つでもなくベッドの上に仰向けになって眠り掛けていた。
「ああ、桐乃か。一体どうしたんだ?」
京介は目を開けないまま、上体を起こしもしないまま聞き返して来た。その投げやりな態度にムッとしてしまう。
「アタシと京介の今後に関わる大事な話なの」
声を荒げて語る。すると京介は渋々体を起こした。
「今日も学校と受験勉強とバイトで疲れきってるんだよ。話は手短に頼むぜ」
あくびして如何にも聞く気がないと言った感じ。その態度にますますイラッとさせられながらも深呼吸して冷静に話を続ける。
「あのね。2人でこの家を出ようよ……っ」
家を出る。これこそがアタシの決意の内容だった。
「家を出る? どうしてだ?」
京介は何を言っているのか分からないとばかりに首を捻った。予想していた通りだけど、京介はアタシが何故家を出ようと提案しているのかその理由を分かっていない。
「だって、アタシ達は結婚して新しい家庭を築いているのにいつまでも親と同居して依存っていうのは良くないじゃない」
一般的な理由から先に述べてみる。
「けど、この家にいれば住宅費はタダで済むじゃないか。俺達はまだ当分学生なんだし、2人でアパート借りて暮らすのは経済的に厳しいぞ。この辺結構高いし」
「それは分かってるんだけどさあ……」
至極正論で返されてしまう。そしてついでに京介はアタシが引越しを切り出した理由を全然理解していないことが判明。
「やっぱり……ストレートに言わないとこの鈍感には通じないか」
溜め息を吐きながら理由を直球で述べることにする。
「確かに経済的には厳しくなるのは確かだけど……アタシはこれ以上お義母さんと同居を続けていくのが無理なの。もう耐えられないのっ!」
「無理ってどうしてだよ? 桐乃とお袋は昔から対立したことなんてなかったじゃねえか」
理解してくれない夫に苛立ちが募る。
「だからそれは結婚前の話でしょっ! アタシとお母さんの関係が親子から嫁と姑に変わって全然別のものになったのっ! もうあのイビりにアタシが耐えられないのっ!」
「いや、イビりって、お袋は桐乃の家事が上手くなることを想ってアドバイスしてくれているんだし」
「あれはアドバイスじゃなくてただの陰湿な嫌味だってのっ!」
「けど、桐乃が家事を上手になればお袋だって文句を言わなくなるだろう?」
「どうして京介はいっつもいっつもお義母さんの肩ばっかり持ってアタシを窮地に追い込むのよ……このマザコンっ!」
お義母さんへの怒りが夫へと転嫁されていく。
「別に俺は客観的な意見を述べているだけで、マザコンなんかじゃ断じてねえよ!」
売り言葉に買い言葉で夫婦喧嘩は止まらない。というかアタシの苛立ちの噴出が収まらない。
結婚したらバラ色で埋め尽くされる筈だったアタシ達の新生活はどうにもギクシャクし過ぎている。
こんな筈じゃなかったのにという後悔ばかりが心を占めていく。そしてそんな想いが一定値を越えた所でアタシは口論を止めた。
「もういい。寝る」
2人で寝てもまだ十分に余裕があるベッドに京介に背を向けながら入る。
これ以上の言い争いは気分がより悪くなるだけ。そして京介にその気がない以上、この実家を出て行くことは不可能。
明日は学校に行く前に洗面所を掃除したりとアタシも朝から忙しい。これ以上体力を失う訳にはいかない。
という訳でイライラは収まらないけれど目を瞑って寝ることにする。
「おやすみ」
背を向けたまま夫に短く言い放つ。今夜はもう京介の顔も見たくない。
けれど、京介の方はアタシを素直に寝かせてくれる気はないようだった。
「悪かったよ。気が利かなくてさ」
ベッドの中に入って来た京介が後ろから抱き付いてアタシの腰に手を回して来た。結婚してからアタシの機嫌が悪くなった時の京介のいつもの対処法だ。
京介にギュッとされると全部許したくなるアタシの性分をよく理解した戦術。でも今日はこれぐらいじゃアタシの機嫌は直らない。
「フンだ。今更何よ」
「だから悪かったって言ってるだろう。機嫌直してくれよな。フゥ〜」
京介がアタシの耳に息を吹き掛けて来た。全身がビクッと震える。けれどアタシの体は京介に抱き締められているせいでフゥ〜フゥ〜攻撃から逃れることは出来ない。
「ず、ずるいわよ。アタシの弱点を突いて来るなんてっ!」
「だって俺は桐乃の夫だからな。どこが敏感なのか世界で唯一知っている人間だぜ」
京介は気障っぽい声を出すとアタシの耳たぶを甘噛みした。それはアタシにとって一番弱い箇所への攻撃だった。
「だっ、駄目ぇえええええええぇっ!?」
体が今まで以上に大きく揺れ、その気持ち良さに急激な脱力が訪れる。
アタシは完全に京介のなすがままだった。そしてこれだけで京介の攻撃は終わらなかった。ストロベリートークという名の攻撃が続いたのだ。
「そのさ、今すぐ2人で住むのは難しいだろうけど、俺がちゃんと就職したら2人で物件を選んでこの家から独立しようぜ」
「…………嬉しいけど、まだ何年も掛かるじゃない。ばか」
力が入らず尚且つ京介に抱き締められているせいで文句の声も呟くようにしか出ない。
「それからさ、お袋には桐乃にあんまりキツく当たらないように言っておくよ」
「本当?」
「ああ。何たってお前は……俺の可愛い妹でありお嫁さんなんだからな」
背中から聞こえる温かくて力強い声。
それを聞いてアタシの心はとても穏やかになった。それと同時に兄であり夫である京介への愛情が凄く高まっていることに気付いた。
愛情が高まっているのはアタシにだけ言えることじゃなくて京介にも言えることで。密着しているからその変化にはすぐに気が付いた。
「その……いいのかな?」
何がとは聞かない。言わない。若い夫婦が寝室で一緒に寝るのに際してそんなことを言葉にして確認するのは無粋の極みだろう。
アタシは返事を口にする代わりに体の向きを変えて京介のパジャマの胸の部分を右手でちょっとだけ握る。京介から離れない。それをもって返答とする。
「それじゃあ……いつもの、良いか?」
「ばか……アレすっごく恥ずかしいんだからね」
頬が真っ赤になるのが自分で分かる。
結婚して2ヶ月。始まりはいつも同じ言葉。
「お兄ちゃん……大好きっ♪」
京介の胸に顔を擦り付けながら両腕で夫を抱き締める。
「俺もだぜ、桐乃」
京介がアタシを力強く握り返してくる。この言葉と熱い抱擁がアタシたちの夜の始まりの合図だった。
結婚したのにお兄ちゃんとか呼ばせる京介とかマジ変態。
その要望に答えて毎回お兄ちゃんとか呼んじゃうアタシもマジ変態。
変態同士のカップリング。
まあでも、これぐらいおかしくなければ実の兄と妹で結婚なんてしない訳で。だからこういう変態的性癖があるのも当然なのかもと納得しちゃったりもする。それでもやっぱりお兄ちゃんはないわよねえと心でツッコミを入れながら。
「桐乃がお兄ちゃんのことを愛してくれていて俺は最高に幸せだぞ♪」
顔にキスの雨を降らせながらパジャマのボタンを外しに掛かる京介。
「こんな変態近親相姦魔を夫に選んだアタシもこの馬鹿兄並に駄目よねえ。実の兄と結婚……両親と同居。あっ。そっか!」
現在の状況を打開する急に良いアイディアを思いついた。
「急にどうしたんだ?」
「別に何でもないわよ♪」
京介の首に手を回してアタシから大胆なキスをプレゼントする。
良いことを思いついたおかげで心が凄く軽くなった。
アタシたちが眠りに就いたのはそれから2時間以上経ってのことだった。
まあ、正式な夫婦だから別に問題ないし。
翌日の夕食時。アタシは昨夜思いついた妙案を両親と夫に発表することにした。
「みんなに……聞いて欲しいことがあるの」
カレーを食べていた手が止まり3人の視線が一斉にアタシを向く。
「離婚報告? 私は別に構わないわよ。そうしたら桐乃は娘に戻るだけだし。あやせちゃんは相手がバツイチでも、両親と同居してお世話するのも構わないって昨日も私に言ってくれたし。料理上手で良い子よね」
お義母さんの口から元親友の不倫活動が明らかになる。
でも、負けない。
「あのな、お袋。俺の嫁に対して幾ら何でも失礼だろうが」
「嫁と姑の関係は京介が考えるよりも大変なのよ」
やはり、最大のポイントはアタシとお義母さんが嫁と姑であるというこの点。
このポイントを上手く克服しない限りアタシに明日はない。そしてアタシには一発逆転の為の秘策が既に手中にある。それを今こそ使う時。
「い〜い。よく聞いて」
「別居なら正式に離婚して頂戴ね。じゃないと京介が次のお嫁さんを貰うのに差し支えるから」
大きく息を吸い込みながら言い放つ。必殺の一言を。
「アタシはね、京介の所にお嫁入りしたんじゃないのっ!」
「はあっ? 桐乃、お前は一体何を言っているんだ? 俺とお前は正真正銘の夫婦だろうが」
「本当はね、京介がアタシの家に入り婿で来たのよっ!!」
大声で新解釈を述べ上げる。台所を満たす静寂。3人は硬直して固まった。
「えっと……それだとどう違うんだ?」
いち早く石化から抜け出した京介は意味が分からないと首を大きく捻った。やっぱりどうしようもなく鈍い。
さて、本命のおかあさんはこの告白に対してどう反応するだろうか?
ゆっくりと瞳を向けてみる。
おかあさんは目を瞑ったまま大きく息を吐き出していた。
「つまり、桐乃は私の娘ってことなのね?」
お母さんの声には刺々しい響きが含まれていた。でも、アタシの発言の意味は十二分に理解してくれている反応だった。
「そうよ。アタシはお母さんの娘で京介はその夫なの」
「あの、2人の会話の意味がまるで分からないのだが?」
鈍感な京介はいまだにアタシ達の攻防戦の焦点がどこにあるのか理解していない。だから解説してあげることにする。
「京介はマスオさん状態にポジションが変わったってこと」
「嫁を連れて来て私を楽にさせてくれるかと思えば入り婿だなんて本当に使えないわよね」
お母さんは大きく溜め息を重ねて吐いた。
「桐乃を高坂家の嫁として使役出来ると思ってたのに……私の娘のままだったなんて。これじゃあ嫁姑の関係を利用して家事を全部一任することが出来ないじゃないの」
「じゃあこれからは入り婿の京介に格好悪い様を見せない様にアタシとお母さんの2人で家事を分担しようね」
「仕方ないわね。娘のだらしなさは親の責任になってしまうのだから。ああ〜憂鬱だわ」
話はトントン拍子で好転していく。
「あの……桐乃とお袋が何を喋っているのだか、まるで分からんのだが?」
愚鈍だけが特徴の夫はこの期に及んでアタシ達の会話内容を理解していない。
「要するにこれから京介はお袋オヤジじゃなくてお義母さんお義父さんと呼びなさいってことよ」
「何だそりゃ?」
京介はまたも大きく首を捻った。まあ、この変化はこれからおいおい京介も身に染みていくことだろう。
「ねえ、桐乃?」
「何、お母さん?」
お母さんが眉をしかめながら京介とアタシを交互に見る。
「アンタの夫……ちょっと頼りなさ過ぎない? 全身からヘタレオーラがはみ出しているわよ。お金の匂いも全くしないし、将来苦労するわよ」
「いきなり何を言い出すんだよ? 当たってるだけにヒデェ」
お母さんの攻撃目標が息子の嫁であったアタシから、娘の旦那である京介へと移った。
「桐乃ならもっと良い男が狙えるんじゃないの? 京介さんとはすっぱり別れて、もっと将来お金をいっぱい稼ぎそうな人に乗り換えたら? 御鏡さんとか素敵じゃない」
「さっきまで桐乃を散々いびっておいて、何でそんな簡単に手の平を返せるんだ?」
「あら? 娘の旦那なんて気を使いながらも公的におもちゃにして良い唯一の存在じゃない。京介さん、貴方、桐乃の才能と全然釣り合ってないわよ。男はお金なのにまるでダメね」
「畜生っ! 今になって桐乃が何に苦しんでいたのかようやく理解できた〜〜っ!」
テーブルに突っ伏して嘆く京介。
京介には悪いけれど、しばらくは今のポジショニングを続けさせてもらおうと思う。
それにお母さんもほら、気を使いながらおもちゃにするって言っているぐらいだから少しは配慮が入るだろうし。女同士の根の深い葛藤よりはきっとマシに違いない。
「京介くん。まあ、そんなに気を落とさずに一杯やりたまえ」
マスオに気を使う波平のようにビールを注ぐお父さん。未成年にお酌して良いのとは思うけれど、お父さんなりの義理の息子への気遣いと思って黙っておくことにする。
何はともあれこうしてアタシは妹婚における難題であった嫁姑問題をクリアすることが出来た。
「畜生〜っ。早く就職してこんな家から出て行きてぇ〜〜っ!」
京介はちょっと不満そうだけど。
まあ、夫のそんな不満は今夜ベッドの中でアタシがちょっとでも解消させてあげるようにしよう。
なんたってアタシと京介は天下無敵の妹婚カップルなんだし♪
世界で誰よりも愛しているからね、京介♪
了
説明 | ||
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コメント | ||
mtmsさまへ 何か変化が起きれば刺されるのがハーレム王の役割なので仕方ないのです。無罪にするために妹婚関連だと適用されたのでしょう(枡久野恭(ますくのきょー)) アイネさまへ 元に想定したのが渡る世間は鬼ばかりのようなネチネチした人間関係の物語でしたので(枡久野恭(ますくのきょー)) 小鷹と明久以外は兄妹・姉弟結婚にはならないだろ・・・(mtms) 佳乃さんマジ鬼畜っすwww大介がすげぇいい人やで(T ^ T)(アイネ) |
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俺の妹がこんなに可愛いわけがない 高坂桐乃 | ||
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