落日を討て――最後の外史―― 真・恋姫†無双二次創作 19
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【19】

 

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 地下牢は薄暗く、濡れた黴の匂いが漂っていた。放り込まれてから一日ほど経っただろうか。時間感覚が徐々に曖昧になり始める。

 光源は所在無く揺れる火ばかりである。焦げた油の匂いが鼻先を擽っていた。

 甘寧には――分からなかった。

 あの男が、かの張角を討ち取った虚だというのはひと目で分かった。

 ただ、どうして虚が自分の素性を言い当てることが出来たのか。なぜ、荀ケ襲撃が孫策の指示であると看破できたのか。

 まるで妖術である。

 しかし、淫祠邪教を許さない曹孟徳が妖術使いを抱え込むようなことはないだろう。

 ではやはり情報が漏れていたのか。

 あの男は、小蓮の移送先まで知っていると言っていた。事実か否か確認は出来ない。けれども出立前に、雪蓮の眸に僅か見て取れた狼狽から察するに、真実なのかもしれぬ。

 そんなことを、薄暗闇で考えていると。

 硬い――足音がした。

「なんだ、元気そうじゃないか。慧のやつ言い付けを守ったようだな」

 漆黒の男が、明かりに照らされて立っていた。

 甲高い音を立てて牢の扉を開き、中に歩み入ってくる。

「今からくつわを外してやる。おまえの受け答え次第では、孫家を助けてやらんでもない。よく考えて口をきけよ」

 虚は無表情にそう言い放って、甘寧のくつわを外した。

「く、は――」

 しかし未だ両手両足には鎖の縛が施されており、座ることすらままならない。

「さて、甘興覇」

 虚はそっと甘寧の顎に手を添えて言う。

「返事はどうした」

「な……んだ」

 答えると、虚は小さく瞠目して、思案するような顔になる。  

「そうか、顎が上手く動かないのか。まあ、だが俺の知ったことではない。やはりおまえは甘興覇だったわけだ」

 なるほど、と虚は微笑む。

「さて、話を聞かせてもらおう」

「――ッ」

「俺は別に構わないんだ。反抗したいならすればいい。ただ、俺の飼い主が袁術諸共、孫家を縊り殺すだけだ。曹孟徳にはその準備が十分にある。陳留の門に吊るされた孫家の姫君たちの生首を拝みたいのか」

「き、さま――」

「俺は、すぐにでも孫家皆殺しの号令を出そうとした主を諌め、わざわざ時間を割いて、おまえの言い訳を訊きに来てやっている」

 どこか愉しげに話す虚であるが、その実何を考えているのか、まるで読めない。

 この男の思考感情は濃密な黒い霧に覆われている。

 不気味だった。

「今回の一件。孫策の画策だな」

 甘寧はじっと虚の双眸を見る。

 呪詛の籠った冷酷な視線が、こちらを蝕む。

 この男は――人間の眼をしていない。

 さりとて獣の眼でもない。

 それこそ、他者を呪うために用意された呪具のような眼だった。

 作り物だ。

 作り物めいて見えるのだ。

「そうか、答えないのか。分かった」

 虚はすっと背中を向ける。

「ま――待て」

「わきまえろ甘興覇。おまえは今、温情を受けているのだ。それを蹴るというのなら、俺はもうおまえに用はない。さっさと戻って飯を喰う」

 呆れたように虚は肩を竦めた。

「わ、私はどうなっても良い。だから――」

「孫家は助けてくれとでもいうのか? おまえごときの首ひとつでどうにかなるとでも言うのか。一日牢に放り込まれただけで、頭の中身がとろけたのか、甘興覇」

 虚は冷徹に言い放つ。

「孫文台殿に照会すれば――孫伯符の首で手打ちとなるか」

「待ってくれ、あの方は――」

「余裕がなくなっているぞ、甘興覇。それでは孫伯符が本当に黒幕のようじゃないか。慌てるなよ、手ごたえのないやつだな」

 言うわけには、いかぬ。

 自らの失態で雪蓮を、孫伯符を死なせてはならない。

 ――あの方は。

 次代の孫家を背負って立つ人間なのだ。

「私の――独断だ」

「なに?」

「今回の一件は、この甘興覇の独断だ……! 孫家は関係がない」

 言うと、虚は下らないとでも言いたげな顔で嘆息した。

「もう少しマシな嘘はつけないのか」

「……なん、だと」

「そんなことは孫家へこう問い合わせればすぐに分かるんだ。『曹孟徳が筆頭軍師荀ケを襲撃せし甘興覇を捕縛した。曰く、孫伯符の指示だという。返答次第では孫家の再興も露と消えよう。孫家の矜持と誠意を見せられたし』――どうだ」

「――貴様」

「孫文台、孫伯符はこの問いに対してしらを切るような人物か? 否、しらを切れるような人物か?」

 しらは、切らぬだろう。

 恐らくは、孫文台が孫伯符の首を刎ね、今回の責任を取らせる形になる。

 この暗殺未遂は袁家の圧力があったとはいえ、孫家の一方的で卑怯で理不尽な攻撃なのだ。曹家から何かしら先制攻撃があった訳でもない。

 本来なら、この男が言ったように、袁術孫家共々、曹操に滅ぼされても致し方がない状況にある。

 事態は重大だ。

 だからこそ、任務を成功させねばならなかった。

 けれども――そうはならなかった。

 ならば、どうにか現状における最善手を打たねばならない。

 可能なのだろうか。

 この、漆黒の男を相手にして。

 自害――という二文字が脳裏を過る。

 しかし、それは最悪の下策だ。舌でも噛もうものなら、この男は容赦なく、彼の主へ侵攻を進言するだろう。報復戦争になってしまう。

「焦った頭で考えたところで、良い知恵は浮かばんぞ、甘興覇」

 虚が失笑する。

「ただ、この状況に至って尚、忠義第一に行動するか。見上げたものだ」

「……」

「だがおまえはまだ勘違いをしている」

 虚は言って屈み、そこへ落ちている組木細工を拾い上げた。牢に放り込まれた当初、眼の大きな少女が抱えて来たものの一つだった。

「これは爪を剥ぐための道具だ」

 さらに別のものを拾う。

「これは腕を固定するための台。ここに縛り付けて、指の関節に釘を打ち込む」

 本でも朗読するかのように、虚は残虐な言葉を軽々しく口にする。

「これは石抱き。これは蝋浸し。それから――」

 虚は器具の解説を続けていく。中には聴くに堪えないものもあった。

「これらを使えという声もある。薬漬けにしろという声もある。だが、おまえも女だ。綺麗な身体で死にたかろう」

 不思議と、今の虚の声に怨嗟の色はなかった。

「話す気にはならんか」

「私の、独断だ」

「――意固地な女だ」

 虚がすん、と鼻を鳴らした。

「食事を持って来させたよ」

 意外な言葉だった。

「腹が減っているだろう。俺もいったん上に――」

 そこまで言いかけて、虚は瞠目した。

 足音が近づいてくる。

 歩幅は短い――女だろうか。

 

「にい……さま」 

 

 小柄な少女だった。短い髪にあしらった飾り布が愛らしい。

「流琉。こんなところで何をしている」

「あの、その方にお食事を」

「そんなことは係りの者にさせればいい。ここはおまえの来ていい場所じゃない」

 甘寧は、諭すように言う虚を注視してた。

 まるで、別人だ。

「わ、私、兄様のお役にたちたくて、その」

 少女は料理の器を抱えたまま、狼狽えている。

 虚はそんな彼女に嘆息すると、乱雑に少女の髪を撫でた。少女は擽ったそうに目を細める。嬉しそうだった。

 甘寧は驚愕している。

 今の虚の眼は――作り物の眼ではない。生きている人間の眼だった。

 少女に優しげな視線を送っている。

 兄が妹に向けるような。

 父が娘に向けるような。

 男が女に向けるような。

 その全てに似ているようで、そのどれとも違う眼差しを放っている。

 そこには労りと慈愛があった。

 だからこそ――甘寧は恐ろしくなる。

 これほど優しい目をできる男が、敵である自分の前では『人でなくなる』のだ。

 生き物から作り物になるのだ。

 少なくとも甘寧の眼にはそう見えていた。

「仕方がないな」

 虚は――淡く笑った。

「すんだらすぐに上へ上がって来るんだぞ」

「はいっ」

 少女は元気に返事をする。

 それを認めて、虚は潔く地下牢を去って行った。

 その背中に、甘寧は何も言うことが出来なかった。

 

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 少女は、せっせと世話を焼いてくれた。

 汚れた口元を清め、料理を一口ずつ運んでくれる。口にしたことのない料理だったが、捕えた刺客に喰わせるものとは到底思えないほど美味であった。

 甘寧は美食家とは程遠いが、それでも朝廷からの客人に出したところで恥ずべきところはないのではないかと思えるほど、良い味だというのは分かった。

 曰く、この料理は少女がこしらえたものであるらしい。

 更に、この料理はあの虚が考案したものだという。

 武に優れ、智に秀で、さらに料理や繕いものまでできるというのだ、あの男は。

 いったい何者なのだろう。そんなことを思った。

「お口に合いますか?」

 少女はそんなことをいう。

 鎖を打たれた罪人に言うセリフではない。

「ああ、美味い」

 だがそう答える。

 そうすると、少女は嬉しそうに微笑むのだ。彼女は、甘寧が荀ケを傷付けた下手人だと知っているのだろうか。

 恐らくは知るまい。

 だからこそ、このように無邪気にしていられるのだ。

「おまえは――」

 意図せず、言葉を発していた。

「はい?」

「あの男の妹なのか?」

 問うと、少女は首を横に振った。

「いいえ。でも、お慕いしています」

 少女は真っ直ぐな視線で言った。

 ということは、兄替わり、なのだろう。血の繋がらぬ兄弟姉妹など珍しいものではない。

「恐かったですか?」

 おもむろに少女はいった。

「――なに?」

「兄様――虚さまは怖かったですか」 

 恐ろし、かったのだろうか。

 ――だろうな。

 誤魔化しようもなく、あの男の冷徹な作り物の双眸は。

「そうだな、恐ろしかった。おまえの兄君は」

 思わず素直な感想が口を付く。

 この少女が素直なせいだろう。

「でも、兄様は優しいですよ」

「兄は妹には優しいものだ」

 そう言うと、少女は少しだけ不機嫌そうに眉根を寄せた。

「あなたにも優しいですよ」

「あれは、そう甘い男ではないだろう。そんなことでは曹孟徳の片腕は務まるまい」

 少女は首を横に振る。

「食事の用意は兄様の独断です。華琳さまは――曹操さまは知りません」

「そう……なのか」

「それに――」

 と少女は少し言い淀んだ。

「見張りの衛士を、その――皆、女の人にしたのも、兄様です」

 少し言いづらそうだった。

「……そう、か」

 甘寧は何と言って良いか分からなかった。

 ただ、彼女の意図は分かる。

 甘寧は逆賊であり、また――女である。

 衛士が男であったなら、手足を拘束された甘寧は碌に抵抗できまい。

 できずに。

 凌辱されるかもしれない。

 筆頭軍師を手に掛けようとした悪徒である。憂さ晴らしに犯してやろうと、末端の兵が思ったところで不思議ではない。

 曹操軍の軍規は厳しく、統制も取れていると聞く。

 ただ、それでも事故的な出来事を全くなくしてしまえるかと言えば、そうではないのだろう。

 ――おまえも女だ。綺麗な身体で死にたかろう。

 虚の言葉がよみがえる。

 浅ましい敵将を、それでも女として扱うというのだ。

 あの男は、一体何を考えているのだろう。

「兄様が言ってました。抗いがたい事情というものはどこにでもあるのだ、って」

「――」

「立場上許すことは出来ないが、同情はすると」

 だから、と少女は続ける。

 

「事情があったんですよね。桂花さまを、荀ケさまを斬ろうとしたことにも。斬らなければならなかったことにも」

 

「――おまえ、知っていたのか」

「はい」

「知っていて、私のために包丁を握ったとでも言うのか」

「はい。兄様の言い付けですから」

「おまえは納得できるのか」

「できます。兄様を信じていますから。兄様は正しいって、そう信じていますから」

 強い意志を湛えた眸で、少女は言った。

「美味しく食べて貰えたようで、良かったです。もうすぐ兄様がいらっしゃると思いますから、私はこれで」

 そう言いながら、少女は食器を片づけ始める。

 己の身内を襲った女が。

 逆賊が、悪徒が汚した食器を、その白魚のような指先で片づけている。

「――かたじけない」

 絞り出すように甘寧は言った。

 少女は優しく笑って、首を横に振る。

「おまえの兄君に伝えてくれ。全て話すと。そして改めて、孫家の存命を伏して願いたいと」

 小さく頷いて、少女は牢を去って行った。

 

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 3

 

「甘興覇が吐いた」

 虚はそう言った。

 華琳は書斎でその報告を訊いている。

「早かったわね」

 率直な感想を述べた。相当な手練れの狗だと聞いていたが、予想外に早く落ちたらしい。

「どんな風に可愛がったのかしらね」

「無傷だ」

「――なんですって?」

「だから無傷だ。ああいう手合いは、拷問すると寧ろ意固地になる」

 虚は肩を竦めながら、流琉が良くやってくれたよ、と言った。

「あなた、何をさせたの?」

「なあに、少し情けをかけさせただけだ。ああいう相手には、厳しく追及する者と優しく甘やかす者、冷暖ふたりで尋問するのが鉄則だ。俺が厳しく詰り、挑発する。流琉が俺のいないところで、優しげな言葉を掛ける。あれは細作などやっているが義侠心に篤い武人だ。年端のいかない少女が、憎むべき敵であるはずの自分へ懸命に世話を焼く姿を見てどう思うか。自分も誠実に応対すべきでないかと思うだろうさ。誠実さと、主に対する忠義と――その折衷点を探そうとするだろう」

「で、何と言ってきたの?」

「今回の黒幕は袁家の老害。やつらが袁術に圧力をかけ、荀ケ、虚、程cと軍師暗殺を企てた。初めに選ばれたのは筆頭軍師の桂花。袁家は孫家の末姫を軟禁場所から移送し、その情報を盾に、孫文台ではなく、孫伯符に迫ったらしい。その辺りの人選は、小ズルい限りだ。老害どもは、孫文台は最悪孫尚香を切り捨てると踏んだんだろう。末姫がいなくとも、孫伯符、孫仲謀がいれば、孫家は再興できるからな」

 そこで虚は言ったん言葉を切る。

「さてそこで――どうしても妹を見逃せなかった哀れな姉は、母には話を伏せたまま、泣く泣く刺客を放った。だそうだ」

「それで、あなたは甘興覇を放逐しろというのね」

 そうだな、と虚はわざとらしく思案してみせる。

 この顔は、悪巧みをしている顔だと、華琳は知っている。だから、少しだけ呆れもした。

「こういうのはどうだ。『こちらで甘興覇なる病者を保護した。聞けば孫呉の将だという。本人であるか否か、照会も兼ねて引き取りに参られたし』なんてさ」

 喉をくつくつと鳴らして笑いだす始末である。

 この男――意外に子供なところがあるのだ。

 そこが、可愛らしく見えたりするのだけれど。

「きっと青い顔して孫伯符が飛んでくるぜ、くっく」

 実に愉しそうである。

「本当に良い趣味をしているわね。桂花だけじゃない、あなたも手の平に穴が開いたというのに」

「穴が開いただけだよ」

 虚が笑う。

 ふたりきりでいるとき、華琳の前で、虚は少年のように笑う。

 白い歯を見せて、にかっと笑う。

 それはとても魅力的で。

 けれども、少しだけ寂しくもある。彼はどんなに辛い時も、愉しそうに笑うものだから。

 ――困った男ね。

 華琳は苦笑する。

「ん? 何だよ」

「何でもないわ。まあ、桂花もあなたに任せると言っていることだし、甘興覇の扱いについてはあなたの言う通りにしましょう」

「了解した」

 満足げに虚は頷く。

「一刀。今日ここに呼んだのはもうひとつ」 

 そういうと、虚は小首を傾げた。

 

「朝廷から召喚があったわ」

 

 虚の表情が変わる。

 軍師の顔になる。

「黄巾党の件か」

「そうよ。張角を討ち取った褒賞だそうね。孫家の件が片付いたら洛陽へ向かうわよ」

「向かうわよって、俺もか?」

「あら、あなたにも召喚がかかっているのだもの。討ち取ったのはあなたでしょう」

「なんだそれ、きみが行けばいいだろうに」

 

「興味があるのよ。天の御遣いに」

 

 そう言うと虚は愉しげに笑った。

「久し振りに聞いたねそれ」

「そうね。巷では、白い御遣いは、黒い魔王に塗りつぶされてしまっているけれど」

「天を名乗る男を、朝廷は放っておかないか」

「いずれ通る道よ。適当に誤魔化すわ。あなたを失うわけにはいかない」

「天の御遣いを名乗ったのは間違いだったかな」

「いいえ、陳留近郊に流れ星が落ちたのは噂になっていたし。あなたの当初の服装がアレだもの。名乗ろうが名乗るまいが同じよ」

 虚は瞑目して苦笑した。

「話はそれだけか」

「ええ、それだけ」

「じゃあ、俺は戻る。警邏隊の報告を受けなければならない」

 華琳は片眉を上げて、虚の退出を促す。

 彼はそれを受けて、さっさと部屋を出て行ってしまった。

 

「――お茶くらい、飲んでいきなさいよ……ばか」

 

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 4

 

「慧、いるな」

 人気のない廊下を歩きながら、虚は言った。

「うに。ここにいるよ」

「朝廷から召喚があった」

 言うと、傍らを歩く慧は瞠目し、そして楽しげに笑う。

「遂に来たね」

「ああ」

 

「御遣いには死んでもらうとしよう」

 

 虚の言葉に、慧はいよいよその表情を喜色に染める。

「あーしが、おにーさんの役に立つ時が来たね」

「今でも十二分だ」

 慧はその言葉に応じるように、背伸びをして、虚の頬に唇を寄せる。

「へへへ、あいじょーひょーげん」 

「支度をしておけよ。甘興覇の件が済んだらすぐに立つ」

「りょーかい。んじゃね」

 直後、慧の気配が消えた。

 御遣いの死。

 これは虚としての、或いは北郷一刀としてのけじめなのだ。

 北郷一刀は滅さねばならぬ。

 滅ばねばならぬ。

 だから死ななければならない。

 消えなければならない。

 虚は廊下を行く。

 昼間の日差しが差し込んでいる。

 遠くに、調練の声が聞こえている。

 目で捉え、耳で聞き、肌で感じ慣れた、陳留の空気。

 それにも別れを告げておかねばならない。

 小さく嘆息する。

 しかし、その息はすぐに呑み込むことになった。

 

         「お兄さん」

 

 少女が立っている。

 色の淡い癖毛。

 翡翠色の眸に物憂げな光を湛えた少女が、目の前に立ってこちらを見ている。

「朝廷から召喚があってのですね」

 風は言った。

 いつになく感情の読めない声だった。

 否。

 風の方に変化はないのかもしれない。

 おかしいのは、きっと。

 ――俺の、方か。

「あったよ」

 ふたりは足を止めている。

 手を伸ばしても。

 吐息を漏らしても。

 届かない距離で、互いを見つめ合っている。

「お兄さん」

「なんだ」

「お兄さん――」

「……なんだ?」

 尋ねても、風は口を開かない。

 獰猛さの欠片もない、静謐な眼差しで――彼女はこちらの心中を見透かそうとしているのだ。

 眠たげな表情を浮かべながら。

 けれどもきっと、懸命に。

 そしてそれが――まるで嫌ではなかった。

 そのくせ、虚は自ら心中を語ろうとはしない。

 難儀な男なのだろうなと、自分でも思う。

 何と言ったものだろう。

 何を語ればいいのだろう。

 今この瞬間、どのような言葉を口にしても、浅薄な誤魔化しに成り下がりそうな気がした。

 そんな言葉を、彼女は待っている訳ではないのだろう。

 それは分かるのだけれど。

 ならば彼女は何を待っているのか、虚にはそれが分からない。

 否、分かっているのかもしれない。

 分かりたくないのだ。

 それはきっと、彼女にだけは言わなければならない言葉で。

 だからこそ、彼女にだけはいう訳にはいかない言葉なのだから。

 そんなもの分かってしまう訳にはいかなかった。

 酷い苦味だけが、胸の内に広がって、とても痛んだ。

「部屋に戻るよ」

 視線を逸らして、それだけ言った。

 風の表情は変わらなかった。

「――あまり、根を詰めてはだめなのですよ」

 擦れ違ったそのとき、彼女は零すように言った。

 虚は振り返る。

 風は――振り返っていなかった。

 彼女の小さな後ろ姿は、そのまま静かな足取りで廊下の先へ歩いて行って、すぐに見えなくなってしまった。

 それでも、虚は暫くそこに――己の物だと宣言した少女の姿を幻視し、声を幻聴していた。

 

 つづく。

 

-5ページ-

 

《あとがき》

 

 

 

 

 

 

 ありむらです。

 

 

 

 まずは、ここまで読んでくださっている読者の皆様、コメントを下さったかた、支援をくださった方、お気に入りにしてくださっている方、メッセージをくださった方、えっとそれから……兎に角応援して下さっている皆様、本当にありがとうございます。

 

 

 皆様のお声が、ありむらの活力となっております。

 

 

 

 さてさて思春さんは壊れずにすみましたね。

 

 次回は――ちょっと考え中。

 ですが愈々舞台は洛陽へ移ります。

 こうご期待!

 

 ではこのへんで。

 

 ありむらでした。

説明
独自解釈独自設定ありの真・恋姫†無双二次創作です。魏国の流れを基本に、天下三分ではなく統一を目指すお話にしたいと思います。文章を書くことに全くと云っていいほど慣れていない、ずぶの素人ですが、読んで下さった方に楽しんで行けるように頑張ります。
魏国でお話は進めていきますけれど、原作から離れることが多くなるやもしれません。すでにそうなりつつあるのですが。その辺りはご了承ください。
あと私の描く一刀さんは悪鬼と相成りました。皆様が思われる一刀さんはもういません。ごめんなさい。
それでもいいじゃねえかとおっしゃる方。
ありむらは頑張って書き続けます。どうぞ、最後までお付き合いの程をよろしくお願い致します。
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コメント
かりんさんかわゆす(山本)
思春が無事でヨカタ (Alice.Magic)
Yosuyama様 毎度すみません汗 直しておきます汗汗(ありむら)
グリセルブランド様 ぶち壊しww(ありむら)
shukan お愉しみに!(ありむら)
Joker様 そうですね、わたしもなるべくキャラは殺したくないです(ありむら)
「なあに、少し――年端のいかない少女が、憎むべき敵であるはずの懸命に世話を焼く姿を見てどう思うか。――」 <はずの>と<懸命に>の間に然るべき台詞が入った方がよろしいかと。それから この男――意外に子供な<ことろ>があるのだ。→<ところ>かと  しっかし、虚さんは台詞の一つ一つに色々と含ませますね。風の回期待してます (Yosuyama)
思春 「私に乱暴するつもりだろう、エロ同人みたいに!!(シリアスぶち壊し)」  (グリセルブランド)
思春が無事?に解放?されてよかった。まぁ、全ては一刀の思惑通りみたいですか。拠点も楽しみです。(shukan)
あくまで滅すべきは老害ども、ですよね。天下統一の物語とはいえ、原作キャラの悲惨な末路は見たくないぜ・・・。(孔明)
Sky high様 かつ丼ww 食べさせてもらうの熱そうwwww はふはふw(ありむら)
決めた! 次回は風の回にします!! こうご期待!!(ありむら)
一刀考案の尋問中に差し入れされる料理…もちろんかつ丼ですよね(笑)(Sky high)
尋問回は難しかった……筆力不足を痛感します(ありむら)
尋問回でしたが・・・飴と鞭の差が激しいですね!? ただ、それさえも虚の掌の上ということですか・・・。(本郷 刃)
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