すみません。こいつの兄です。34
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 月曜日の朝、俺はいつもよりも早く家を出た。学校とは反対方向の電車に乗って、市瀬家に向かう。

「真奈美さん。起きてる?」

部屋のドアをノックする。

「…う、うん」

「服、着てる?」

ドアを開ける前の重要な確認だ。

「…下着は、着てるから大丈夫…」

ほらな。重要な確認だ。

「上も着て。下もね」

「うん、ちょっと待って」

部屋の中でクローゼットを開ける気配がする。

 ふと、背後にも気配を感じる。振り返ると、廊下を挟んだ反対側のドアの隙間から美沙ちゃんが様子をうかがっていた。左目だけで。ドアの隙間は四センチだ。

「や、やぁ。お、おはよう…」

「……」

「……」

「…まだお姉ちゃんを迎えに来てるんですか?」

しばしの沈黙の後、ようやく左目だけでたずねられる。

「修学旅行のすぐあとだからね」

クラスメイトが乗り合わせた路面電車で漏らして、そのまま逃げ帰ってきたのだ。今日、真奈美さんが学校に行くなら、俺も付き添っていく。

「……」

ぱたん。無言でドアが閉じる。エロゲ・コレクションを見られたあとでは、歓迎されるわけもないけれど、それにしても『まだ来てるのかよ』はダメージが大きい。

 反対側のドアが開く。

「着替えた…お、おはよう」

真奈美さんはジャージ姿だ。

「おはよ。…学校行く?」

「………う…」

むぎゅ。おわっ。

 予想していないタイミングで抱きつかれた。んー。まぁ、いいか。真奈美さんに抱きつかれるのは、温かくていい匂いがするしね。しばし、そのまま棒立ちになって、抱きつかれるがままにされる。ふんわりと甘い、少しバニラに似た香りが鼻孔をくすぐる。おいしそうなと言っていい香り。危ない。つい、舐めたいと思ってしまった。真奈美さんだって女の子だ。舐めたりしたら大変なことになってしまう。

 そのまま、しばし抱きまくらされる。

「…が、学校…いく…」

真奈美さんが、静かに離れる。離れる間際に、真奈美さんと自分の間からひときわ強く真奈美さんの香りが匂って来てあぶない。

 舐めたい。

 まずい。そんなことをしたら、本格的に変態だ。

「朝ごはんは、まだだよね。食べる?」

ふるふる。食欲ないか。ま、いいでしょ。たまに朝食抜いても…。そいじゃ、少し早いけど学校行こうかな。

 …うわ。

 階段に向かって方向転換した視界の端に、ドアの隙間から覗く美沙ちゃんの左目が見えた。

 真奈美さんに変態行為を働かないか監視されていたのか…。よかった。間違って舐めちゃったりしなくて、本当によかった。気づかないフリをして、真奈美さんの手を引いて階段を降りる。階段を降りきったところで、ドアの閉まる音を聞いた。

 学校に行く道すがら、真奈美さんに気になっていることを聞く。

「あのさ、やっぱり美沙ちゃん、俺のこと避けてるかな…」

「…さけて…ると思う」

やっぱり、そうか。

「やっぱりエロゲが渡ってしまったのが、まずかったのか…」

「……わかんない…でも…」

「でも?」

「うち…お父さんしか、男の人っていないから…」

そうか。女系家族だから、男のああいうグッズというかブツに対して免疫がさらになかったのか。これが、まだお兄さんがいたりすれば、多少は慣れるんだろうけどな。というか、初めて見た男性向けコンテンツが陵辱調教エロゲというのは威力絶大だ。

「そっか…いきなり、あれじゃなー。うちの妹は、ああいうの平気だから、そんなに深刻なことになっている自覚はなかった…」

「……深刻…うん…そうかも…深刻」

実姉からの肯定をいただいた。

 これは、使い魔の妹をもってしても駄目かもしれないな。諦め入ってきた。

 

 学校の廊下で、真奈美さんが立ち止まる。教室の前で躊躇う。

 それでも、自分から扉を開けて中に入って行った。真奈美さんえらいなぁ。ホームルームの始まるぎりぎりまで、一組で時間をつぶすことにする。

「あ、二宮…。市瀬さん。おはよう」

廊下を通りかかった三島がわざわざ一組の教室に入ってくる。

「…三島さん…おは、よう」

真奈美さんと三島は、いつのまにか仲良くなっていた。修学旅行一日目にお風呂で真奈美さんを救助したのは三島だしな。別に不思議はないけど。三島は男子相手には凶暴極まりないが、反面さばさばしていて、そういうところも女の子っぽくない。真奈美さんと、いい友達になってくれるといいな。

 そんなふうに、また俺はお兄ちゃん視点で真奈美さんを見る。

「…二宮。聞きたいことがあるんだけど、ちょっと来てもらっていい?」

「はぁい。なにかにゃー?三島さん。拷問かにゃー。処刑かにゃー」

語尾を可愛くしても、三島の冷え切った視線は変わらない。

 三島に連れられて、廊下の特殊教室のある人通りの少ない端に移動する。

「二宮さ…。ゲームセンターにいるところを宮元先生に発見されて強制送還って、本当?正直に言いなさい。他の誰にも言わないから」

言葉の後ろに括弧書きで『(正直に言わないときは、殺してくださいと自分から哀願するようになるわ)』と書いてあるのがなぜか伝わってくる。つづく二秒の間に、俺の脳裏に十五通りのむごたらしい死に方がフラッシュバックする。臆病者の俺は敵に捕まったら俺は一秒でゲロるのをポリシーにしてる。

「いや…実は、話は逆で、先に真奈美さんを連れて高速バスに乗ってた」

「…市瀬さんの体調が悪かったから?」

「体調…かな。とにかく、真奈美さんは修学旅行を続けられそうになかったから」

「二宮…」

三島は、そこで言いよどむ。こいつの心の中では三十二通りの拷問方法からどれにしようか悩んでいるのかもしれない。できれば、あまり痛くないのにしてほしい。

「二宮…。市瀬さんのこと…そ、そんなに…好きなの?」

「は?」

思わぬことを言われた。真奈美さんは、真奈美さんという生き物で女の子ではないのだ。女の子よりも、むしろヤシガニに近い生き物だ。好きとか恋とか愛とか、そういうのとはあまり関係ない。

「…いや。好きってことはないと思う。放ってはおけないけど…。上野の言ってた、お兄ちゃん状態だ。なりゆきで面倒を見始めたら、放置できなくなった。そういう意味では、兄妹愛みたいのはあるかもしれない」

「二宮って、妹萌え属性なの?」

「間違うな。リアル妹がいる人間はけっして妹萌え属性にはならない」

「ああ…そういえば、二宮ってあの美少女の兄なのよね」

「美沙ちゃんは、真奈美さんの妹だぞ」

「わかってるわよ。二宮真菜ちゃんでしょ。知ってるわよ。あの不思議ちゃん系美少女。二宮のくせに、周りに美少女多すぎよ。ラノベの主人公じゃあるまいし…。とっとと爆発しなさい」

そのままプリプリと怒って三島は行ってしまう。

 

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 月曜が過ぎ、火曜が過ぎ、水曜日が過ぎる。あと二日間でまた週末がやってくる。

 

 そんな木曜日の夜、妹が俺の部屋にやってきた。

「にーくん。と、途中経過の報告っす」

言い直そう。木曜日の夜、俺の使い魔が部屋にやってきた。くくく。

「聞こうか…くっくっく」

あー。黒いマントとか、ばさぁって翻したい。中二病が感染したかな。

「まずは、こちらをご覧くださいっす」

 妹が持参したノートパソコンを開く。

青を貴重とした画面に、大きな字で《美沙っち、誤解解決ソリューションのご提案とロードマップ》と書いてある。親父の仕事の資料そっくりだ。そういえば、こいつなんでも丸ごと暗記できるやつだった。どこかで親父の資料を見たのを丸暗記してたんだな。

 妹が次のページへと進む。

 《現状の問題とインパクトの概要》と書いてあり、黒い影絵のような人と矢印とエロゲのパッケージの画像で、「美沙っち」「エロゲ」「にーくん」がつながれている。俺を示す《にーくん》アイコンは《男子》という円の中に入っている。

「こちらの図で示したように、美沙っちの間ではエロゲを通した形での男子市場の見方がなお支配的で、市場全体にネガティブなインパクトを与えているっす」

こういうのは、どこでおぼえてくるんだろう…。

「特に、にーくん株は連日ストップ安であり、背後には出口の見えない信用問題が存在してるっす」

《これまでの解決ソリューションと問題点》のページに進んだ。

「そこでこれに対する弊社のソリューション1.0では、ラノベとエロゲのシナジーを利用したソリューションで対応してきたっすが…」

なにが弊社だ…。どこかで聞いた単語を丸暗記して適当につなげてるな。

 パソコンの画面は《次世代ソリューションのご提案》に進んでいる。

「…と言った、問題点を踏まえまして2.0世代では、まったく新しいパラダイムシフトを起こす画期的なソリューションをご提案するっす」

丸く円を描く矢印の真ん中に、大きく「新プロセスによる段階的開発」と表示されている。

「このソリューション2.0では、それぞれのリリースを複数のイタレーションに分けてイノベーションするっす」

わかった。

「真菜。ごまかす気だろ。さては、今週中にどうにもできないんだな」

「そそそそそ、そんなことなな、なな、ないっす」

目が泳いでいる。

「ごまかす気だな」

カタカナが説明全体の三割を超えたら、その話の八割はうそだ。

「そそそ、そんなことないっす。第一イタレーションの、スプリント・ワンを週末にリリースして、来週に2.0.1にアップグレードするっす。アジャイルしてリーン・シックス・シグマでプロセスインプルーブっす。CMMIレベル3で、クラウドソリューションでスケーラブル!」

だめだ。このまま大人になったら妹は駄目になる。兄として放置できない。もしもこんなセリフを言う大人がいたら、そいつは確実にクズだ。

「いいかげんにしないと、ステップオーバー・トーホールド・ウィズ・フェイスロックを極めて、デンジャラス・ドライバー・テンリューを御社に垂直落下式でお見舞いするぞ」

「ごめんなさい。まにあわないっす」

妹がしゅんとする。よしよし。

「最初から、そう言え」

「あれは、無理っす」

「そんなに、美沙ちゃんは俺を変態だと思ってるのか?」

「まぁ、変態と思ってるくらいはいいんすけど…」

よくねーよ。

「今の美沙っちに、あまり会いに行ったりしない方が安全だと思うっす。私がおっけー出すまで接見禁止っす」

「接見禁止とか言うな。傷つく。言っておくけど、俺、美沙ちゃんにつきまとったりしてないからな。真奈美さんを迎えに行ったりするから、市瀬家に行くだけで…」

自分で言い訳してて、辛くなってきた。目の前が涙でかすむ。

「ってかさ…なに?美沙ちゃん、通報しそうな勢いなの?」

「いや。むしろ逆っすね」

「逆?」

「…わからないほうがいいっすよ。通報とかはないっすけど、ツー包丁とかはありそうっす。包丁二刀流っす」

料理にでも凝ってるのかな。美沙ちゃんなら、料理上手になりそうだな。お姉さんの真奈美さんが、あれだけの料理上手だからな。

「とにかく、今週中のV字回復は難しいっす」

またどこかで聞きかじった言葉を使ったな。

「…わかった。まだ、あの素敵な作品は世界に公開しないでおいてやる。十万年の昔から続く王国だっけ?十万年前って、クロマニヨン人とかだよな。」

「いややややや、やめてぇーっ!」

楽しいなぁ。このネタでしばらく遊べそうだ。

 

 それにしても、美沙ちゃんに好かれないまでも、ゴキブリ並みに嫌われているのだけは何とかならないものだろうか…。妹まかせにしてないで、自分でも真面目になにか手を打とう。

 

 そう心に決めた。

 

(つづく)

説明
今日の妄想。ほぼ日替わり妄想劇場…のつもりだったのが、ちょっとあいちゃいました。34話目。今回は少しつなぎの話です。

最初から読まれる場合は、こちらから↓
(第一話) http://www.tinami.com/view/402411

メインは、創作漫画を描いています。コミティアで頒布してます。大体、毎回50ページ前後。コミティアにも遊びに来て、漫画のほうも読んでいただけると嬉しいです。(ステマ)
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