〔AR〕その8
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「おねえちゃぁ〜ん」

 さとりが談話室で休憩をしていると、いきなり、シロップが空間に浸透していくような声がした。

「だーれだ?」

 それからワンテンポ遅れ、しかしさとりがソファーから腰を浮かす前に、さとりの視界がふさがれる。あまりにも予想できすぎた展開に、さとりは苦笑するほかなかった。

「はいはい、こいしね。私の妹」

「あれ? わかっちゃった?」

 背後からさとりの両目を手のひらで隠す少女、古明地こいしは、冗談ではなく、本当に意外そうな様子で返答した。

「癖ってのは無意識で出るものでしょ? こいしが、私の背中を見つけたときに目隠しするのなんて、今まで数え切れないほどあったじゃない」

 さとりは妹の心を読むことはできないが、長年一緒に暮らしてきた中で、事細かな行動の傾向を把握している。

「というよりもねぇ。最初におねえちゃんなんて言ったら、その時点でわかるじゃない」

「あー、そういえばそうだねぇ」

 こいしは感心したように頷いた。わざと惚けているわけではなく、本当にそう思っている風であった。

「それよりこいしは、おねえちゃんに言うことがあるのではなくて?」

「えー……あー……あ、そうだ! ただいま、お姉ちゃん」

「ええ。おかえりなさい、こいし」

 古明地こいし、実に一ヶ月以上ぶりの帰宅である。元から頻繁に放蕩してはいるが、最近は命蓮寺に入信したこともあり、こいしが地上へ出向く頻度は上がっていた。

「ホームステイとは言え、今回は長かったわね。便りを読んだ限りでは、特に問題はなかったようだけれど」

「うん。ちゃんと白蓮さんの言うこと聞いてたよ」

 こいしが特段面倒を起こさなかったことは、数日に一度白蓮から送られてくる手紙でさとりにはわかっていた。流石に、こいし特有のつかみどころのなさや、夢遊病的な振る舞いには幾分か手を焼いたようだったが。

「お寺はいつも騒がしかったけど、地霊殿はとても静かだねぇ」

「……お寺って読経と鐘の音以外聞こえないイメージがあるけど」

 地霊殿は、元々地底の中でも際だって静寂に切り取られた場所である。さとりは古い記憶と書物の知識から、寺を地霊殿と同じような騒音レベルだと思っていたが、どうにも違うようだった。

「いやいや全然。そりゃ流石に旧都ほどではないにしろ、いろんな妖怪たちが集まってくるから、何をしなくたってにぎやかだよ」

「そんなんじゃあ、人間の入信者なんてこないでしょうに」

「でも、何人か身寄りのない人間の子供を引き取ってもいるよ。私、お勤めとしてその子たちの相手をしてたもの」

「意外。こいしにはそういう才能があるのね」

 白蓮の手紙で、命蓮寺滞在中のこいしが何をしていたかも伝えられていたさとりではあったが、改めて本人の口から聞くとなると、やはり驚きを禁じ得なかった。

 イマジナリーフレンド「そのもの」が子供と遊ぶというのは実に不思議な話だ。ある本を読んだものは、そんな感想を抱くかもしれない。

「お姉ちゃんは、私が居ない間どうしてたの?」

「私はいつも通りよ。ペットの世話をしながら、本を読んだりしていたわ」

 嘘は言ってないが、正確ではない表現だった。さとりはこいしに対して、自分が書き物をしていることをはっきり言及しないようにしている。別段隠しているわけではないので、こいしにはさとりが書き物を趣味にしていることは知られているが、何となく身内に対して気恥ずかしさが拭えないからだった。

 加えて、この度は、こいしが居ない間にバイオネットのサービスが始まった。さとりはそこに覆面作家「Surplus R」として自著を投稿しており、そのことは他者へ一切口外していない。そのことだけは、いかに唯一の肉親のこいしが相手といえども、絶対に知られたくはなかった。ある意味、肉親だからこそ、なところもあるが。

「どこにも出かけてないの〜?」

「出かけようもないわよ。旧都にだって滅多に用事がないのだし」

「お姉ちゃんも、命蓮寺になら遊びに行けると思うんだけどなぁ。あそこの人達なら、きっと大丈夫だよ」

 こいしの発言に、さとりは眉を顰める。それは、姉妹の経歴を考えると有り得ないものだった。流石にさとりは呆れて、語気を沈めてこいしに言う。

「そうもいかないでしょう……いくら命蓮寺の方達が平気でも、あそこは人里が近いんだもの。私が出て行ったら無用な混乱を招いてしまうわ」

「そうかなぁ」

「貴方は随分長い間心を読まなくなったから、忘れてしまったかもしれないけれど、『覚』は、そこにいるだけで人間にも妖怪にも不安を強く与えてしまうのよ」

 そう。だからこそ、さとりはバイオネット上でさえ自身の素性を欠片も見せないようにしている。自身の素性が知れたら、小説を読んで貰うどころの話ではなくなる――さとりは、そう考えていたのだった。

「じゃあさ、今やってる、なんだっけ――そう、バイオネットだバイオネット!」

 さとりは堪えきれない戦慄に背筋を震わせた。こいしの発言が飛躍するのはいつものことではあるが、いくらなんでも心を読んだかのように狙い澄ませたタイミングだった。

「あれって、白蓮さんも使ってたけど、遠くの人の書いた文字が読めるんでしょ? お姉ちゃん小説書いてるんだから、それ使ったら『あの寝不足妖怪にこんな一面が!』って驚かれるんじゃないかなぁ」

 ギクギクギク! という効果音が、具現化して追い打ちしてきたような畳かけだった。

 これが、こいしの無意識の力の無意識たる所以といえる。こいしの何でもない無自覚な言動が、相手の回避したいと思う事柄への意識を、意図せず揺さぶるのだ。ちなみに、寝不足妖怪の寝不足とは、こいしがさとりを比喩表現するときに好んで用いるもので、さとりの細い双眸に由来する。本人にはそのつもりはないのだが、さとりの双眸はどうにも寝ぼけ眼のように腫れぼったい開き方をしているのだ。

「ば、馬鹿なこというんじゃないの――私は、心理を言語化することで、その仕組みや働きを研究し、より深く心を読めるようになろうとしているだけであって、小説の執筆はそのための訓練なのよ、そう、訓練! それを、いちいち他の人に読んでもらおうなんて思わないわよ」

「えぇー、でもせっかく書いたのが、読まれることもなく埋もれちゃうなんて、つまんないと思うなー」

「私は別にいいのよ」

(早く話題逸らして!)

 なんとかポーカーフェイスを保ちつつも、さとりは内心滝のように冷や汗が溢れていた。そしてこいしの無意識に、別のことに興味を持つよう祈る。

「あ、お姉ちゃん! 『lava=ers(ラヴァーズ)チョコレート』全部食べてないでしょうね!」

「へ? あ、ああ、あれね。まだ沢山有るわよ。この間お燐に買い足して貰ったから、好きなだけ食べなさい。うちでチョコレート食べるのは私と貴方とおくうくらいだし」

「やた! おくうに取られる前に全部食べちゃう!」

(やた! これで解放される!)

 こいしは正面の姉に目もくれないどころか、談話室のオブジェクトの一切に実体がないかのように、するりと戸棚に移動する。そして一番上の菓子棚を全開にして、犬のように中身を漁りだした。

 こうなると、無意識の心変わりが起こるのもしばらく先延ばしになるだろう。こいしの大好物である地底ブランド銘菓『lava=ersチョコレート』は、冷え固まった溶岩と見紛うような外見と、その外見を裏切らない異様な頑丈さ故、一個食べるのにもそれなりの時間を要する。こいしはそれを一度に最低五個は食べないと気が済まないため、当分談話室から動くことはないだろう。

 さとりは、こいしから見えない角度で、ほっと安堵の息を漏らした。そして、まだある程度熱いポットで、こいしの分の紅茶を淹れて、すぐに談話室を後にした。

 

 自室に戻ったさとりは、机上のバイオネット端末の画面が点灯している様子にすぐ気付いた。

 部屋の鍵を閉め、机に向かって椅子に座り、端末のディスプレイを眺める。端末を私有化しているさとりは、自身の匿名アカウントの管理ページに画面を止めていた。操作を習熟していくにつれ、この管理ページを起点にしても、バイオネットの利用にはなんの支障はないことがわかったからだ。

 ちなみに、命蓮寺との手紙の遣り取りを行う『古明地さとり』側のアカウントは、一日一回だけポストを確認するか、手紙を送る時しか使っていない。利用時間でいえば、『Surplus R』側のアカウントの方が圧倒的に長いのだ。

 さて、点灯の原因は、手紙が来たというシステム側からの通知だった。

「ああ、命蓮寺から返信が来たのね――って、え?」

 手紙を確認しようか、と一瞬思ったさとりは、その一瞬後に自分の間違いに気付いた。今開いているページは、『古明地さとり』の管理ページではない。

「ちょっと……待って!」

 椅子の背もたれに持たれようとして、その慣性をキャンセルし、バイオネット端末へ食いつくさとり。

>Surplus R

>一件の手紙が届いています

 間違いなく、さとりの匿名アカウント宛に、手紙が届いていたことがわかった。

 わかった途端、さとりは、寝不足妖怪などと決して言われそうもないくらい、ギョッと目を見開いた。

「ほんと……ほんとに?」

 声は震えていた。いつかくるだろうか、と淡い期待を抱いていたものの、いざ実際にその時がくると、さとりは自分でも笑えるくらい動揺していた。妖怪は、人間よりも精神的な揺さぶりに弱い。それがたとえ、他者の精神をのぞき込める覚であってもだ。

 バイオネットは、匿名利用であってもペンネームの類を用いた場合、そのペンネーム宛に手紙を送ることができる。つまり、素性を明かさなくても手紙の遣り取りは可能であるということだ。

 さとりは、今まで『Surplus R』の名前では小説の公開しか行っていなかった。ということは、『Surplus R』宛に手紙が来たということは、すなわち、さとりが吊り橋めいた心境で待ち望んでいた、小説へのリアクションではないのか。

 しかし、さとりはその手紙の内容を確認することを即断できなかった。十中八九、『Surplus R』の正体が古明地さとりであるということは本人以外にわかりようのない事のはずだが、ばれていないという確証がないのもまた事実である。

 もし、送られてきた手紙が、自分の正体を告発するようなものであったのなら……さとりは、どうにも得も言われぬ不安を拭えずにいた。

「ふぅ……ふぅ……」

 荒い呼吸をなんとか整える。一度落ち着かなければ話にならない。動揺したままの頭では、悪い考えの連鎖しか起こらないものだ。

 さとりは、おそるおそる、バイオネット端末を操作して通知の詳細を表示する。端末から手紙を参照する時は、新着の通知から、手紙の送り主などの基本情報の表示を経由して、最後に本文を閲覧できるようになる。形は違えど、それは通常の手紙と同様、手紙の受け取り、宛名の確認、そして開封のち拝読という手順を踏襲していた。

 さて、手紙の基本情報には、ただひとつだけが記されていた。

>送信者 Initial A

「……これは?」

 『Initial A』。単純に訳せばアルファベットの頭文字A、ということであるが。明らかな偽名、というよりペンネームであろう。送信者の表示枠の隣には、匿名を示すマークも表示されている。

 これだけでは、なんともいえない。さとりは、意を決して、ついに手紙の内容を表示させた。

 

>拝啓 Surplus R 様

>梅雨も明け、蝉の鳴き声が夏の暑さを出迎える時期となりました。そんな中、突然のお手紙失礼致します。

>私は、貴方様がバイオネット上にて公開している小説作品群の、名もなき一ファンでございます。わけあって本名は明かせない身分故、仮の名にて書を綴る非礼をお許し下さい。

 

 瞬間、さとりの神経という神経に、電撃が迸った。もはや、無意識に落ち着こうとする心身の作用さえ吹き飛ぶほどの。

 自分でもよくわからない衝動に突き動かされ、さとりは机上の白紙を一枚取り、素早くバイオネット端末に通す。鮮やかな手つきで操作は完了し、ものの数秒で白紙の上には鮮やかな魔力文字が刻まれた。そして、改めて最初から手紙の内容を読みこんでいく。

 

(前略)

>私はバイオネットを開始当初から利用している者の一人です。

>バイオネットのサービス開始一週間ほど経った日に、たまたま友人が共有ページから見つけてきた公開作品の中から、貴方様の小説の存在を知り、その日のうちに虜となってしまいました。

 

(う)

 ビクン、と、冗談のようにさとりの両肩は跳ね上がった。

 

>私は訳有って、古今東西の言い伝えを蒐集する仕事をしており、他の方よりも多少なりとも物語に触れる機会が多いのですが、貴方様の小説には、かつてないほど心を揺さぶられました。

 

(ううぅ)

 突如、さとりは紙面から視線を外したかと思うと、意味もなくぶんぶんと頭を振る。

 

>その感動をどうにか感想という形でお伝えしたかったのですが、まだまだ未熟な私には貴方様の作品の素晴らしさを言葉にするには圧倒的に語彙が足りませんでした。今回は、ただただ、貴方様の作品と出会えた幸運を感謝するばかりでございます。

(中略)

>特に私はその深い心理描写と、恐ろしいほど見事な感情の誘導には幾度となく打ちのめされました。

(中略)

(……うわああああああああああああ!!)

 そこがもう、さとりの我慢の限界だった。

 さとりは紙を抱えたままベッドに飛び込んだかと思うと、顔面を羽毛枕に強く押しつけ、履いているスリッパが明後日の方向に投げ飛ばされていくのもお構いなしに、両足を激しくばたつかせた。今この瞬間、さとりの部屋に入室した存在がいたとしたら、おそらくそのスカートの中身は丸見えであろう。

 ――ああ! 今すぐ地霊殿の静謐なビロードの廊下を脇目も振らず全力疾走したい!

 言葉はおろか、衝動ですら表現不能なほどの、耐えがたい多幸感。それは自分の恥部をさらけだしたかのような羞恥心と気恥ずかしさにも似ている。かつてこれほど、自分は幸せとか喜びとかを感じたことがあるだろうか、とさとりは自問した。

 とにかく、手紙にはさとりの書いた小説を絶賛する文言がありったけに躍っていた。あまりにも熱意が籠もったその言葉の数々に、さとりは意味もなく申し訳なさを覚えるほどだった。

 何十秒かベッドの上でのたうち回ったさとりは、顔面を真っ赤にしながら起き上がり、くしゃくしゃになってしまった手紙をさらに読んでいく。

 

(中略)

>このような素晴らしい作品を書き続けるには、如何なるものを見て、如何なる考えを巡らせていらっしゃるのか、勝手を承知しながらも興味が尽きません。

 

 さとりの昂揚は未だ静まってはいなかったが、その一文を読んだところで、若干思考する余裕が復活していた。

「私に、興味を持っている、か」

 勿論、それが架空の小説家『Surplus R』に対しての話なのは、今のさとりでも判断がつく。

 だが、それでも、自分に関係のあるものが、少なからず好意的に認識されたと考えられる事実は、さとりにとってかつてない心境をもたらしたのは間違いなかった。

 とても奇妙な話ではある。相手は顔や名前はおろか、在ることすら知らなかった、彼方の存在だ。それなのに、この充足感はいかなるものなのだろう。

 

>どうか、これからも素敵な物語を綴られていくことを、心より願っております。

>敬具

 

 そこで手紙は終わっていた。

 この手紙が、何かしらの悪戯である可能性は否定できない。が、そのように考える自身の思考の一部を、さとりは放逐した。

 一字一句、書道の見本のように丁寧に書かれたこの手紙が、悪意を持って書かれたなどとは到底思えない。作品の賞賛にしても、過剰な美辞麗句が詰められているとはいえ、的外れなことは言ってない。『Initial A』がさとりの小説を読んでいることは疑いようもなかった。

 この手紙一本を書く労力は、決して軽視できるものではないだろう。その労力に応えてあげたい。さとりは、打算抜きで、本心からそう思った。

 そのためには何をするべきか? さとりは既に見いだしていた。

 ひとつは、これからも小説を公開していくこと。

 もう一つは……。

 さとりは、スリッパを回収することなく靴下履きの状態で机の前に座すると、引き出しから真新しい紙を引き出す。

 筆を執りながら、さとりは息を整える。これからやることは、ある意味で小説執筆の応用と言えた。必要なのは、小説書きとしての自分を呼び出しながら、それをさとり自身の感情で以て動かすこと。異なる二つの自分を、紙一重で重ね合わせるような、絶妙なる境地。

 『Surplus R』は、これより少しの間、小説書きではなく『古明地さとり』の代弁者として、その筆を走らせるのだ。

説明
twitterにて週間連載していた東方二次創作小説です。

前>その7(http://www.tinami.com/view/504352)
次>その9(http://www.tinami.com/view/506675)
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