〔AR〕その9
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 ゴウンゴウンゴウンゴウン――。

 間断なく続く重低音が、空間のあらゆるものに染み渡る。ここにくれば、否が応にも音の持つ重みを体感できることだろう。

 そればかりではない。少し天井を見上げると、青い氷の結晶のようなものが、ゆるやかにシャンデリアの周りを旋回しているのが見える。冷気を放つ精霊がここの空調を管理しており、摂氏十五度以下を保っている。夏の盛りにこの室温は尋常ではない。

 故に、パチュリー・ノーレッジは、この空間に長居することは避けたかった。常人でもあまり居心地がよいとはいいがたいこの空間で、虚弱な肉体である彼女にかかる負担は、無視できないものだ。

 音の発生源は何か。壁を本棚で敷き詰められたこの部屋の中央部を見ればわかる。そこには、金属フレームの箇体に、合計二十四個の金属の箱が同じ向きに整然と納められていた。箱の大きさは全て同じで、百科事典三冊を重ねたくらいの寸法だ。

 同じ向きに並べられた面には、豆粒代の明かりが、二つ。一方は常に同じ光を放ち、もう一方は不定期に明滅している。

 ここは、紅魔館の大図書館、その最奥に設けられた秘密の場所。厳重な魔法の施錠がかけられており、施工主であるパチュリー以外にまともに入ることはかなわない。

 まともに、はだ。

「ごきげんよう」

「――」

 パチュリーは、気だるげに一瞥をくれた。

 そこに立っていたのは、豪奢な衣装に身を包んだ、金髪の女性。だが、その姿は、空間の裂け目から上半身だけしか出現していない。

「何の用――八雲紫」

 パチュリーは警戒する構えを見せない。どこまでもめんどくさそうな表情だった。

 八雲紫は、薄ら笑いでそれに対面する。

「暇ができたので様子を見に来たのですわ」

「――なら、談話室に移動よ。ここで長話したくないわ」

 この部屋での用事は既に終わっていた。パチュリーは、ここ最近、思い出した頃合いで、この部屋の様子を時々覗きにきている。今日も異常は見られなかった。

「涼しさはちょうどいいくらいだけど」

「音が気持ち悪いのよ」

 

 大図書館の一角にある談話室で、パチュリーと紫は向かい合ってまず紅茶を嗜んだ。紅茶を一口飲むと、パチュリーは喉の乾きが癒えるのを痛感する。やはり、あの場所はどうにも具合が悪い。

「今のところ、あんたが用意した危機管理表に乗っているようなトラブルは起こっていないわ。そもそも、私が見る限り、あれが異常を示した様子はない」

「それは重畳。不定期なシャットダウンくらいは覚悟していたものですけれど、この分では動力源の供給の心配はなさそうね」

「いい加減なものね。地脈はあんたの式が丹念に調べたと言ってたくせに」

「いかに最適な条件を確保できたとしても、やはり自然は自然。一つの意志の元に都合良く動いてはくれないのです。それを巧く飼い慣らし、品質を安定させたのは、紛れもなく貴方の功績ですわ」

 その言葉に、パチュリーはなんとも言えない背筋のこそばゆさを覚えた。称賛を受けることになれていないというのもあるが、それ以上に、この妖怪に誉められても素直に喜べなかった。

「あんなわけのわからない機械がなんで動くのか、不条理を感じる方が強いわね」

 パチュリーはあの部屋の唸る機械群を思い出す。紫からはサーバという呼称を聞いている。あれには、今現在幻想郷全体に広がりを見せている情報インフラ、バイオネットの機能が集約されているのだ。端的に言うと、あの重い音を発し続ける機械の中に、バイオネットでやりとりされるすべての情報が入っているのだという。中に大量の紙と、ものすごく筆の速い式神でも入れているのだろうか、とパチュリーは漠然と思っている。

 ちなみに、二十四個存在するサーバは、通常そのうちの十二個が稼働し、残りの十二個はトラブルやメンテナンスに対応するための予備である。十二、二十四という数字は、どちらも時間を表す重要な値であり、何時いかなる時でも十二分に使えるように、という呪術的意味合いが含まれていた。

 もし、二十四のサーバ全てに不調が起これば、たちまちバイオネットは利用できなくなる。

 このため、あの部屋――サーバルームは極めて厳重に管理されており、その存在はパチュリーと紫しか知らない。仮に秘密が漏れた場合、とりあえず白くて黒い連中を拘束して記憶を操作しなければならなくなるだろう。

「ともかく、あの機械はこれからも様子見するだけでいいわね?」

「ええ。何かあった場合、貴方に提供した専用端末がアラートを鳴らしますし、私の方でもモニタリングしてますので、そう神経を使うことはないでしょう」

「なんだか、自分が計画を実行してるって実感がないわね」

 パチュリーは肩をだらりと垂らす。

 あの機械群について、自分がやっているのは、地脈から魔力を汲み上げて供給することと、場所を提供しているだけだ。魔力供給は魔術式が勝手にやってくれるし、場所もメイド長が以前適当に拡張したスペースを転用しただけで、パチュリー自身が汗を流す必要はなかった。

「気にすることはありません。貴方の提案がおもしろかったから、私が好きで準備しただけのこと。面倒は全部押しつけられると思うくらいでよろしいのです」

「ああ、そう……」

 この妙な親切さが、パチュリーには居心地が悪かった。

 そもそものきっかけは、数ヶ月にさかのぼる。

 パチュリーは、ちょっとした魔法を思いついた。単純に言うと、それは知識を共有する魔法だった。元々、紅魔館の知識人として、内外から意見を求められる事が多かったパチュリーは、いっそ口頭で伝えなくても相手の欲する知識を与えられるような方法はないか、と考えたのだった。

 しかし、それを単純に実現しようとすると、暗示や精神支配の域に達してしまい、危険度の高いものになってしまう。安全性のために、知識の共有にはワンクッション置く必要が出てきた。だが、その知識を仲介するための手法が、すぐには思いつかなかった。

 そんな状態でたまたま参加した宴会に、たまたま八雲紫が出席していた。世話話で自分のやっている事を話すと、お互いのバイオリズムがかみ合ったのか、パチュリーと紫の話は大いに盛り上がった。

 酒の勢いで気を許したパチュリーは、紫に魔法の相談をすると、紫は思いも寄らぬ提案を持ちかけた。

 ――幻想郷に、新しい仕組みを作ってみない?

 アルコールと挑戦欲の相乗効果により、パチュリーは熱に浮かされるまま同意した。その日のうちに打ち合わせと段取りは始まり、二人の間には多くの意見と提案が交わされた。そうして生まれたのだが、バイオネットの基礎理論である。

 その基礎理論とは、要するに、幻想郷の自然の地脈を通じて、端末間の情報交換を行うものだ。バイオネットを動かすエネルギー自体も、その地脈からのエネルギーを上手く利用しており、その組成は、治水に似ている。

 五行に通じ、精霊魔法を使うパチュリーは、自然エネルギーの利用を得意としており、魔法としてはまさに得意分野に当たる。そこに、幻想郷の管理に携わる八雲紫から提供される土地の情報が組み合わさることで、幻想郷全体どころか、その周辺領域さえカバーできるネットワークが実現したのである。

 理論構築とその実施によって得られた知見は、パチュリーの好奇心を満たすには十分すぎた。だが、それと同時に、不可解さを拭えなかった。

 それはすなわち、八雲紫の惜しみない協力体制である。

 バイオネット計画は、八雲紫なくして、実現はおろか、理論構築さえままならなかった。それは別に良い。その点はパチュリーは素直に認めている。

 気掛かりなのが、紫がパチュリーの難題を何もかも二つ返事で了承し、実行していることだ。さしもの紫とて、不可能なことはままあったが、それにしても彼女から得られる協力は質も量も十二分だった。

 にもかかわらず、紫から、パチュリーに向けた見返り要求が、未だにないのだ。それが、恐ろしい。

 パチュリーは度々、紫に対して対価のことを尋ねる。しかし、紫は胡散臭い笑顔を崩さず、今し方のような物言いで茶を濁す。二言目には、面白いから、有意義そうだから。ただそれだけである。

 しかし、今更計画を中断するのも難しい。紅魔館にもバイオネットの端末は当然存在するが、親友のレミリアはバイオネット上でネーミング教室を開いてご機嫌であり、メイド長咲夜は人里に品物を発注するときに大変重宝していると、度々礼を言ってくる。皆が、バイオネットの思い思いの使い方を見いだしてきているのだ。

 我ながら義務感を覚える質ではなかったはずだが、パチュリーはこの計画を降りるつもりはなかった。判然としない感情を抱えつつも、その点に於いては、覚悟を決めていた。

 とりあえず、紫との会合では、可能な限り相手の動向や意図を引き出し、少しでも納得がいくような材料を得るようにしている。準備ができる材料さえそろえば、魔法使いである自分が負けることはない。

 そんなところで、パチュリーは紫に尋ねた。

「あんたの方こそ、なんか目立った問題はないの?」

 計画策定時に想定されうる問題はリスト化されてはいたが、実際の運営ではどうしても不測の事態が起こる。パチュリー側で問題がないとすると、残るは紫側の確認になるのだが。

「ありませんわ。いえ、ありますけどないですわ」

「おい」

 聞き捨てならない言い回しにパチュリーの声が力んだ。しかし紫は、少しも悪びれる様子はない。

「まぁまぁ落ち着いて。懸念される事象が確認されたというのは確かですが、検証したところ、この幻想郷に害をなすものではないことがわかりました」

 さりげなくとんでもないことを言い出した紫だが、パチュリーは、思い当たる節があり、どうにか自分の声を落ち着けた。

「――計画時にあんたが言っていた、幻想郷外からの来訪者ね」

 紫はうなずき、話を続けた。

「ええ。やはりバイオネットはその性質上、様々なものを引き寄せる。これについてはサービス開始直後から私の方で対策と監視を続けてきました」

「――それがわからないのよね。幻想郷内で完結しているものに、なぜ外の世界の存在が現れるのか」

「外の世界――というくくりは実は正確ではありませんが、まぁいいでしょう。そうね、貴方は集合的無意識という言葉をご存じで?」

 また嫌な予感がしてきた……とパチュリーは眉根を寄せた。この妖怪との会話は度々妙な方向に飛ぶ。しかしそれは脱線ではなく、話の根幹に関わってくることであるため、始末に悪い。ので、茶化すことはできない。

「……辞書レベルの知識ならね」

「かまいませんわ。集合的無意識とは、知性体の精神の奥底に存在すると言われる認識の井戸、イデアの源、アカシックレコード……それは通常、認識することはできません。

 しかし、もし、集合的無意識を現実世界にプールさせる場所があるとしたら……?」

 八雲紫お得意の、煙に巻いた説明であるが、紅茶の効き目で冴えてきたパチュリーの頭脳は、直感を大いに働かせて、その意図を突いた。

「つまり、想像上の存在が、バイオネットのネットワークによって現出する、ってこと? あるいはバイオネットという人為的な知識の泉に、超常の存在が寄りついてくるともいえる」

「然り。それは、私達の住まうこの世界、次元を超える可能性もありうる。場合によっては、私達は平行世界を観測することすらできるかもしれませんわ。外の世界の物理学者涙目ですわね」

「……なんだかよくわからないけど、とんでもなくでかい話になってない? ほんとに大丈夫でしょうね?」

 パチュリーは胡乱な目で紫を睨んだ。

 この物言いが、いつもの誇大妄想めいたほら吹きであればよいのだが、如何せん相手はどこに核心を持っているのか分からない。注意を払いすぎても足りることはないのだ。

「何事も百パーセントの保証は出来ません。が、リスクを誤差の範囲に収め続ける努力は出来ます。私の方で色々と渡りを付けておりますので、心配しすぎることはないでしょう」

「そこは、あんたを信用することしかできないわね。ただ、なんか危険な兆候が見えたら、必ず教えなさい」

「勿論ですわ……おっと」

 突然、紫は何かを耳打ちされたような顔をした。そして、視線を上に持ち上げる。

 気になったパチュリーも視線を上げると……そこには、真っ黒な鴉がシャンデリアに止まっていた。

「前鬼、わざわざ屋敷まで入ってくることはなかったのに」

「……どこぞの鴉よりもスニーキング能力高いわね」

 全く気付かなかったが、それは紫の式神であった。名前を呼ばれた前鬼は、直角的な動作で紫の肩に飛来する。

「ふむ、そう……わかったわ。おつかれさま。では、一週間有給をあげるわね」

「何がわかったの?」

「ええ、ちょっとね。貴方、最近湖の周辺で紙芝居をやっている男の話を聞いていない?」

 紙芝居? 確か絵をスライドさせて情景を描写する芝居の一つか……と知識を検索しながら、パチュリーは答える。

「そういえば、美鈴が言ってたわ。湖の畔にピンク色の忍者装束を纏った変質者が、子供を集めて何かしていると。メイド達からは、あんなの忍じゃないって言われてるけど」

「まぁ、彼は気さくな方ですから、放って置いて問題ないでしょう。忙しいのにご苦労なことですわ」

「……もしかして、そいつ……」

「さぁて」

 紫は、袖口から扇子を取り出して、口元を覆った。

「ま、願わくば彼のような友好的な存在ばかりだと良いのですけれど。それでは、今日はこの辺で」

 一瞬だった。扇子が開き、閉じたと思ったら、既に紫の姿は消えていた。

 紫が去って幾ばくかの時間の後、パチュリーは溜息を吐いた。緊張していたわけではないが、姿が見えなくなった後の脱力感は大きかった。

「どこから来るのも良いのだけど……」

 パチュリーは、呼び鈴に手をかけた。

「レミィやフランが興味を持って、連れてこい、とか言われる方が困るわ」

 今の時間、やってくるのは咲夜か、小悪魔か。

 どちらにせよ、頼むことは決まっている。二時間ぶりに、本を読むのだ。

説明
twitterにて週間連載していた東方二次創作小説です。

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