真恋姫無双幻夢伝 第四話 |
真恋姫無双 幻夢伝 第四話
男は囲まれていた。手が届くかと思うほど低い雲が空を覆う。風には雲を流す力はなく、重い湿気に体が浸かる。日光が届かない風景は硬質を帯びた色をしている。
男は囲まれていた。早朝に降った雨。地面には小さな水たまり。茶色く濁った足元の中で、一輪だけ咲く花の黄色が眩しい。
男は囲まれていた。にぶい銀色の剣が多数、目の前に突き出されている。それを持つ男たちの眼の色は、剣の色に劣らず濁り切っていた。
音のない情景。否。音は追い出されていると言った方が良いであろう。肌がぞわっとざわめくほどの殺気に。
ザッと誰かが砂利をかいて、一歩近づいた。しかし囲まれている男が逃げる様子はない。かといって戦う姿勢も取らず、ただただ真っ直ぐ立つ。
眼光を鋭くする彼の足元にはもう一人、男が血まみれで横たわる。彼は、死んでいた。
曹操を迎えた翌日、アキラは食材の調達を終えて帰路についていた。しかしその手荷物は少なく、鶏肉類はそこに入っていなかった。というのも、鶏肉は肉屋ではなく、この町の郊外にいる畜産農家から直接送られてくるからだ。
複数の農家から信頼を獲得したアキラは、彼らから毎日鶏肉を売るよう契約した。現在でいうと、契約農家システムであろう。アキラにとっては調達の手間と大量の鶏肉を安価で仕入れられること、農家にとっては中間搾取が無い分高く売れることが利点となる。
今回アキラが買い物に出かけるのも三日ぶりのことだった。本来ならば日常品は流琉の役目だし、アキラが担当の店用の食べ物は一週間ごとに買い物する。今回の買い物の理由は
「まさかお通し用の野菜が底をつくとは…」
春蘭の食べ過ぎが原因だった。お通しを山ほど消費した結果、一週間分溜めていたのはすっからかんになっていた。アキラの手にかかる袋にはチンゲン菜などの野菜が入っていた。思わぬ仕事に嬉しさ半分、ため息を漏らした。
町角を曲がり、家を目指して歩く。大通りの騒々しさはまだ小さく聞こえる。ここは中下層の町人(商人)たちが住む場所であった。スラム街とは異なり鼻を裂くような異臭もしない、ある程度の清潔感を保っていた。しかし全ての家が藁ぶきの屋根であり、路地を通る人々の服装は貧しさを隠せてはいない。
それでも井戸端会議の声、子供がじゃれ合う声が入れ混じり、全てをプラスに変えるような活気が満ち溢れていた。アキラはこの場所がこの町で一番好きだった。
アキラの姿を見た途端、子供たちが遊びの手を止め呼びかける。
「あっ!アキラ兄ちゃん、お帰り!」
「おう!相変わらず元気だな!」
わらわらとアキラの周囲に集まる子供たち。子供たちは長身のアキラを見上げて言う。
「ねえねえ、今度は何のお話をしてくれるの?」
「ぼくは南のはなしがいいな」
「えー?!わたしは北のおはなしがいい!」
普段から各地の旅行体験を聞かせているうちに、すっかりアキラは子供たちのアイドルになっていた。まだここに来て一年足らずだが、その快活な性格や目立つ容姿のおかげで大人たちからの信頼も獲得し、流琉や季衣の面倒をよく見てくれるようになった。もう何年も暮らせば、この町の顔役にもなれるだろう。
「分かった、分かった。じゃあ、東で聞いた話をしよう」
「どんなの!どんなの!」
詰め寄る子供たちを宥めつつ、アキラは手ごろな木箱の上に坐った。子供たちもその前の地面に坐る。熱心に見つめる子供たちの目線を受け、アキラは話し始めた。
「ある男が歩いていると、正面から赤い桶を頭の上に担いだ男がやって来てな…」
しかし話し始めてすぐにアキラは中断し、子供たちの後方に顔を向ける。不審に思う子供たちは、後ろに感じた気配にびくっと反応して振り返った。
「面白い話をしているな」
首領格と思われる男がアキラに話しかける。その後ろには十人以上の男たちがずらずらと並んでいた。
「はて?何かご用でしょうか」
アキラは立ち上がり、笑顔で話しかける。その一方で彼の眼には男たちの腰にぶら下がる剣を捉えていた。こんな場所に持ってくる物ではない。
子供たちは物々しい雰囲気にすっかり怯えていた。その子供たちを男たちは悪しざまに追い払った。そしてアキラに徐々に近寄る。
「これを見たらわかるだろうよ」
後ろの一人が引きずるようにアキラに“物”を渡した。
「……!…」
足元に投げられたのは血まみれの男だった。それは昨日アキラの下に来た“影”であった。
急いでしゃがみ、ぐったりとした男を抱いた。しかし彼の息はもう無かった。パックリ開いた口からは“舌”が消えていた。
「その男がお前の名前を吐いた。お前がこいつの頭だな」
死体を抱いたまま、アキラは頭を上げずに返答した。
「…それで」
「ちょっとついてきてもらおうか。そいつがお前の名前以外に何も吐かずに舌切って死んだものでな。代わりに色々と聞きたいことがある」
「何を聞きたい」
「宮廷内をこそこそ調べていた理由。そして」
男の目が鈍く光る。
「汝南のことについて」
「………」
もう路地に人影はない。危険を察知したのか、町人は全員家の中に入った。
アキラは「すまぬ」と死んだ男に言い残して地面に横たえ、立ち上がる。その首領の男を睨み、言う。
「お前ら、正規の兵では無いな。なぜ近衛兵が調べに来ない」
「………」
答えない。いや、答えられないのか。アキラはその様子を鼻で笑った。
「ふん。“奴ら”もあのことには負い目を感じているのか。今更掘り返したくないと見える」
首領格の男が手を挙げた。後ろの男たちが剣を鞘から引き抜いた。そしてその剣先をアキラに向ける。
「おしゃべりはそこまでだ。ちょっと来てもらおう」
鳥の鳴き声も止む。音は、彼らの殺気に押しつぶされた。
対峙するアキラと男たち。剣先を突きつけたまま、じりじりとアキラに詰めよる。武器を持たないアキラになす術は無い。首領の男は内心ほくそ笑んだ。
ところが、いきなりアキラは険しい顔を崩しペロッと舌を出した。男たちはその行動に理解が及ばず、つい気を抜いてしまった。
(しめた!!)
アキラはその隙を逃さず、すかさず木箱を投げつける。ぶつけられた木箱に一人がよろめく。
「やなこった!」
「…くっ…!」
アキラはその隣にいる他の男を蹴倒し、その穴を突破口に、一気に大通りの方へと駆け出した。
「くっそ!まて!!」
首領はすぐさま男たちを二つに分け、一つを別の道から先回りさせ、もう一つを自ら率いてアキラを追った。
誰もいなくなった路地を静寂が包む。家から出てきた子供たちが見たのは、壊れた木箱と舞い上がった土埃だけだった。
「しつこいな!もうあきらめろ!」
「ふざけるな!」
大通りに出たアキラをなおも追う男たち。そこを行く通行人は間をスルスルと駆け抜けるアキラに驚き、後からやってくる男たちに突き飛ばされた。突き飛ばすことによるロスが大きいのか、アキラと男たちの距離は段々と開いていく。
「ふう、この調子だと大丈夫だな」
安心の声を漏らす。ところがアキラは正面からもう一団やってくるのが見えた。
「げっ!うっそ〜!」
先回りしていた奴らの仲間だった。ここは一本道。あっという間に茶屋の前に追い詰められるアキラ。その周りを息絶え絶えの男たちが囲み、見物人がその外側から恐る恐る見ていた。
「か、観念しやがれ!」
さすがに丸腰で何人も相手することはできない。茶屋の中に逃げ込もうにも、アキラ達の勢いに押された通行人がすし詰め状態で、とても行ける状態ではない。
(どうする…!)
すると突然、男たちの後ろの方から声が上がった。
「お前たち!街中で暴れることは、この関雲長が許さんぞ!」
青竜偃月刀を構える女性。なめらかな黒髪を片方縛った美人であったが、その容姿とは裏腹に目は体を射抜かれるかと思うほど厳しく睨み付けていた。
「一人を複数で囲むなんて、卑怯とちゃうんか?」
もう一人、茶屋から人をかき分けて女性が現れた。髪を後ろでまとめ、胸にさらしを巻いた装い。目がギラギラと輝いていた。
「霞!ちゃんと捕まえないと駄目よ!」
「分かってるっちゅうに!」
茶屋の中から発せられる声に大声で答える霞という女性。肩に担いでいた飛龍偃月刀を不満顔で構えた。
「二人増えようが同じことだ!やれ!」
首領の一声で一気に襲い掛かる男たち。しかしその勇ましい姿は一瞬だけだった。
「ハァアアア!」
「うりゃああ!」
一閃。彼女たちが武器を使うと数人が吹き飛ばされ、突っ立っていた男たちに当たる。首領が我に返る頃には、仲間の中で立っている者はいなかった。
「なんや。こんなもんかい」
つまんなそうに霞と呼ばれた女性は言う。もう一人は青竜偃月刀を向けて言い放つ。
「後はお前だけだ」
二人に挟まれた首領。剣を抜くも、すでに及び腰になっていた。戦うまでもない。すぐさま剣を捨て降参すると思われた。しかし
「くそっ!」
「あっ!」
「しまっ!」
最後の抵抗とばかりに、そいつは丸腰のアキラに襲い掛かった。アキラの胸へと一直線に延びる剣。二人は見たくないとばかりに目を背ける。首領の頬に笑みが浮かんだ。
ところが、首領は手ごたえを感じなかった。それどころか自分の視界が逆さまになっている。
(?!??)
自分が宙を舞っているのだと気づくころには、地面にドスンと体を打ちつけていた。訳も分からず倒される首領。打ち付けた衝撃が体に走った。思わず顔が歪む。
「ぐっ!!」
「大丈夫か〜?」
茶化す口調のアキラに激昂した。「くそっ!」と右手を必死に動かす。投げ出された際に放した剣を見つけるためだ。しかしどれだけ動かしても右手は、剣に触ることが出来なかった。
「探し物はこれかい」
鼻先に先ほどまで持っていた剣が突きつけられていた。その剣の向こうにはにやりと笑うアキラの顔。仰向けになった彼は呆然と諦めるしかなかった。
その表情を見たアキラは剣を放り捨て、静かに立ち去ろうとした。ところが
「待たれよ!」
と、その進路を防がれてしまう。先ほどの女性二人が彼の前に立ちふさがっていた。「待て」と言ったのは黒髪の方だろう。そしてもう一人はなんだかニヤニヤしていた。なに、こいつ?
(状況を説明するのは面倒だな)と瞬間的に判断したアキラはすぐさま彼女らに頭を下げる。
「ああ!言い忘れておりました。この度は助けていただきありがとうございます」
「うむ…って、そういうことではなくて「勝負や!」
(えっ)という表情で二人は見ると、霞は不気味なほど良い笑顔を浮かべていた。もう一度。なに、こいつ?
「なあなあなあ!さっきのはどうやったんや?」
「ええと、ですね…」
「なるほど!言いたくないと。いや、皆まで言わずともわかるで。勝負して実際に見せるという訳やな」
「違うだろ!」
黒髪の女性が語気を強めて止めようとする。
「まずはこの状況の説明をだな」
「でもさっきの気にならへん?」
「むう…しかしだな」
「私は気になるぞ!」
急に茶屋の屋根の上から声が降ってくると同時に、「とおっ!」という掛け声と共に人が三人の前に飛び落ちてきた。昨夜店を訪れた客の一人。星だった。
地面にひらりと降りた星はアキラに詰め寄った。
「先ほどの技、見事!私が見込んだだけのことはあるな」
「は、はあ」
いきなり現れた助け舟に、霞は便乗する。
「ほら!なんや分からんけどこいつもこう言っているで。頼む!暴れたりなくて体がうずうずしとるねん。先に戦ってもええやろ?」
「だ、だが」
「お願い!この通りや!」
霞は手を合わせて拝んだ。
「…後でちゃんと事情を聞くというなら」
多少面倒になったのか、黒髪の女性は譲歩した。しかし事態は逆にもっと面倒なことになった。
「待て!先に戦うのは私だ!」
星が名乗りを上げる。霞は勿論黙っていない。
「なんでやねん!後から来ておいてそれはないやろ!」
「私は昨日から目をつけていた。先約は私にある」
ぐちゃぐちゃと続く星と霞の言い争いを額に呆然と黒髪の女性は聞いていた。それ以上にアキラは自分の運命が勝手に動かされていく、そんな感覚に襲われていた。
「じゃあ、こうしよう!この三人でまず戦い、勝った奴がその男と戦うと」
「よっしゃ!それでええで!」
「待て!なんで私まで入っているのだ!」
ふとアキラは三人の足元を見る。先ほどのリーダーが踏みつけられ、ぴくぴくと動いていた。…死ぬんじゃないか?しかしそんな“些細な”ことには目もくれず、彼女らの話し合いはまだ続く。
「この際お前とでもええ!早よ勝負せい!」
「『お前と“でも”』とはどういうことだ!」
「う〜む。らちが明かないな…そうだ!店主に直接決めてもらおうではないか!」
長い話し合いを中断して三人は振り向く。当然、彼の姿はどこにもなかった。
スラム街に向かう道。アキラは先ほどの死体を担いで歩いていた。
彼の頭の中では、季衣と流琉の姿が映し出されていた。彼女たちとの色々な思い出。そして彼女たちの色とりどりの表情。それを考える内に、彼の視界が涙でかすみ始める。
(もう潮時だな)
と、彼は感じた。相変わらず太陽は姿を現さない。灰色の情景の中にアキラの姿は溶けていった。
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物語が動き始めます。 追記=主人公の名前を「アキラ」に統一します。 |
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