Re:birth 2話 |
エルシールは疲弊しているようだった。トニーノは数日間滞在した国を見てそう判断した。
西武特有の帽子と衣装、そして小麦色の肌と焦げた土の色をした長髪と剃り揃えられたあごひげ、彼は大陸を流離うマリアッチであった。
彼は麦わらの詰まれた荷馬車の後ろに座って、自慢のギターを気分の赴くままかき鳴らしていた。道中は山の中だというのに、幸い盗賊にも襲われず。無口な荷馬車の主と気障なマリアッチは、初夏の熱を帯びた風を浴びながら、山の中を通る二本の轍を通っていた。
彼は宿場町を渡り歩き、ギター一本で大陸中を歩いてきた。北部や西部と比べれば、北部に近い東部に位置するこのエルシールは非常に過ごしやすい気候だ。地吹雪も砂嵐もないこの地方は、気候的に恵まれていることもあって文化の発展が著しく、大陸経済の中心と言っても過言ではなかった。
「良ーい天気だねえ、おやっさんよぉ」
空の七割を雲が覆っているような曇り空だったが、西部の砂嵐と強烈な日差しが日常の彼にとっては、この天気はとても過ごしやすい天気と気温だった。御者は彼の問いかけに応えることなく、荷馬車を引く馬に鞭を軽く一本入れてやった。
馬が鼻を鳴らして少しペースを上げ始めた時、馬車の背後、つまりトニーノの見ている方向から男が三人ほど走ってきている事に、彼は気付いた。
「おいおい、盗賊かよ……おやっさんもっとスピード……いや、なんか様子が変だ」
身なりは獣革製の衣服と質の悪そうな剣と斧を各々持っている上に、もじゃもじゃに生やした髭など、どこからどう見てもあからさまな盗賊だったが、雰囲気がどこかおかしかった。
こちらへ走っている事は走っているのだが、意識はこちらへ向けられていない。何か後ろから迫りくるものから逃げるような走り方にトニーノの目には映った。そしてそのうちの一人が、むしろトニーノ達に助けを求めているかのように、手を振って存在をアピールしていた。
「なんだありゃ……おい、おやっさん! 馬車止めてやれ!」
御者がトニーノの声をきいて馬車を止めると、盗賊の三人は息を切らせながら追いついてきた。
「た、たたたたすけてくれ! 襲われてるんだ!」
三人の内、一番目上と思しき男がそんなことを口走った。額には玉のような汗が噴き出していて、その瞳は完全におびえきっている。体格的にも人数的にも負けているトニーノ達に、そんなことを言ってしまう辺り、錯乱の度合いはかなり大きいらしい。
「おいおい、落ちつけよおっさん、何が追っかけて来てるんだ?」
「ば、化け物だ! ……ゲホゲホッ、化け物が、そこまで来てるんだよ!」
せき込みながらトニーノにつかまろうとする盗賊をあしらいながら、彼は辺りを見回す。ギターなど自分の持ち物は、盗賊が欲しがるとも思えないし、この荷馬車が積んでいるものは麦わらだ。欲しがるとすれば馬くらいなものだが、それでもわざわざこんな芝居をするなんてことはあり得ないと思えた。
「もう、おっさん共ってばもうヘバったんですかぁ? 図体がでっかい割には運動不足ですぅ」
鈴のような声が頭上から掛かった。
盗賊たちは一様に怯え、脇にいる二人に至っては腰を抜かし、半泣きになっていた。トニーノが目を向けると、そこには牛革のボンデージを纏い、長大な戦斧を担いだ銀のウェーブヘアを揺らす少女が居た。
「さ、息が切れたんならさっさと有り金置いていくですぅ。命があるだけ儲けもんですよぉ……フフフッ」
「や、やめてくれっ! ……なあ、助けてくれよマリアッチの兄ちゃん。あの化け物、俺の子分をみんな……」
「……あんた、ここら辺を根城にしてるゲルンスト盗賊団の首領だな、あんたの子分って言うと百人はいたはずだが」
無口な御者がようやく口を開いた。掠れたような低い声だったが、盗賊の頭領には十分聞こえたようで、更に顔を青ざめさせて、ガタガタと震えはじめた。
「そ、そうだよゲルンスト盗賊団のゲルンストだよ! ……部下、部下だと? あの化け物の所為で……」
「歯ごたえの無い愚図ばっかりだったですぅ。もうちょっとマシな人がいると思ったのに肩透かしですぅ」
つまらなさそうに少女は言う。
「まあ、エルシール城下まで行ける足を見つけてくれたことは感謝ですぅ。その旅賃をおっさんが払ってくれれば大目に見るですぅ」
長大な戦斧を軽々と振り回して、ぴたりと三人の盗賊に矛先を向ける。その刃は有り金置いてそのまま逃げるか、殺されて死体の身ぐるみを剥がれるか、どちらにする? と訊いていた。
「わ、わかった、わかったから見逃してくれ!」
「大目に見るって言ってるのにしつこいですぅ、さっさと払わないと頭と胴体をバイバイさせるですよぉ」
少女は彼らに向けた戦斧を降りあげて、苛立たしげにしゃべる。かわいらしい声とは裏腹に、戦斧を持つ腕に筋が浮かび上がった。
盗賊の首領とその部下二人は、それを見て短く悲鳴を上げた後、トニーノと御者の行先も聞かずに、身ぐるみを荷台に放り投げて肌着のみで走り去ってしまった。あとに残されたのは、荷台に積み上げられた獣革の鎧と斧、そして上等な装飾品の数々だ。
トニーノは、盗賊たちが持っていた武器と戦利品の数々と、樹上でにんまり笑っているボンデージ姿の少女を交互に見て「イクシールにはもう少し時間がかかりそうだ」と思った。
「さて、じゃあそこのおっさん二人、イヴをエルシール城下まで送っていくですぅ。あの小汚い愚図の所為でちょっと疲れちゃったですぅ」
樹上から颯爽と降りた銀髪の少女は、軽い身のこなしで荷馬車に乗り込むと、手に持っていた斧を抱いて寝ころんだ。彼女を受け止めた麦わらが、細かい破片を飛ばす。
「おやっさん、どうする? 俺は急いでるわけじゃ無いから良いけどよ」
「急ぐ旅じゃない、この麦わらも一週間後までに届けろって約束だ」
「ほらさっさと行くですぅ。イヴは急いでるんですから」
顔を見合わせた男二人は、お互いに頷きあい、御者は馬車を反転させ、トニーノは再度ギターで取り止めの無い曲を奏で始める。木々に阻まれ見えないが、森と曇天の向こう側、その先にエルシールがあった。
道を反転して数時間たった頃だろうか、トニーノはふと演奏を止めた。辺りが段々と暗くなり始めたので、今夜の宿で演奏する曲を今の内から考えておく事にしたのだった。
彼はアンコールの類には一切応えず、一夜限り、一曲限り、という約束で酒場で演奏をさせてもらい、報酬を得るという事をずっと続けてきた。幾度となくしばらく滞在しないかと持ちかけられることはあったが、トニーノはそれらすべてを断っていた。もちろん次に近くを訪れたら寄らせてもらう位の約束はしていたが。基本的に同じ酒場で演奏をすることは無かった。
「ギターのおっさん、やめちゃうんですかぁ?」
先程まで麦わらの中で寝転んでいたボンデージ姿の少女、イヴがむくりと体を起こした。銀のウェーブヘアには細かい麦わらが絡まっていて、手入れをするには少し手間がかかりそうに見えた。
「ああ、そろそろ手も休めておきたいし、今夜演奏する曲を考えないとな」
つまらなそうに頬を膨らませる少女。仕草は幼さを残しているというのに、彼女が抱いている戦斧とその服装が、彼女を変に大人びさせている。
彼女の持つ戦斧は刃の片面ごとに神々と悪魔の浮彫がなされており、悪魔たちの中心にあるのは「色欲」を意味する文字だ。戦斧も着ているボンデージスーツも特注品のようで、ボンデージスーツは完璧に過不足なく身体を覆い、また戦斧の塚は美術館にそのまま飾れるほど精緻な装飾が刻まれていた。
「それにしてもおっさん二人とか色気もなにもないですねぇ、干からびませんかぁ?」
憮然と馬車を駆る御者と気障なマリアッチの二人を見てイヴと名乗った少女はあきれたように肩をすくめた。
「ハハハッ、確かにそうだ。でもまあ利点もある」
トニーノは大声で笑い、御者は気にした風もなく遠くに見える町の灯りを眺めていた。
「高価なものを持ってなけりゃ滅多に山賊におそわれることはないし、まあ……あとは色々と気にする必要もないからな」
「あー○○○を○○ったりとかですか? 男の人は定期的にあれしないといけないらしいですし、イヴたち女の子も色々ありますからねぇ」
「……子供がそんなことを知ってるとは、世も末だな」
会話に参加せず、ただ前だけを見ていた御者が、誰にいうわけでもなくつぶやいた。
「偏見ですよぉ、おっさん」
少女はその細くみずみずしい指で戦斧の柄を愛おしそうに撫でた。その手はごつごつとした目立つ間接も、荒れや角質のない、重厚な戦斧を軽々と振り回す指にはとても見えないものだ。
「イヴみたいな子は以外とそういうのに詳しいんですよぉ、言葉を知らないだけで男の人のいやらしい願望とかそういうの全部お見通しなんですぅ」
ふふっ、とイヴはいたずらっぽく片目を閉じた。
「……」
二人の男は、少女の大人びた物言いと仕草に顔を見合わせ、息を漏らす。この少女は見た目と仕草、そして腕力と、どこまでちぐはぐな存在なのだろうか。トニーノの頭にそんな疑問が沸き、それが曲の着想となった。
「ようマリアッチ、また今日も演奏してくれるとはな!」
陽気な酒場のマスターが、演奏を終えたトニーノに歩み寄ってきた。恰幅のいい、少々頭頂部の禿げた彼は、腕っ節の強さなど微塵も感じられないが、彼の持つ剛胆な雰囲気と二重顎は、長年酒場を経営してきた剛胆さを感じさせる。
酒場の内装は、マスターの雰囲気によく合っていた。よくある大衆酒場のような、テーブルが並べられている訳ではなく、少々手狭な店内に、長大なカウンターと椅子が置かれでいた。黒壇のように重厚感のあるテーブルには硝子製の灰皿が置かれ、そのうちいくつかは客の吸っているものと同じ銘柄の吸い殻が入っていた。マスター自身は一見少し窮屈そうではあったが、見た目とは裏腹に彼は巧みに体を運び、カウンターや戸棚に体をぶつけることなく歩いていた。
トニーノがこの店を訪れたのはつい昨日のことだった。彼の想定としてはもう訪れない、もしくは数年は訪れるつもりのない場所だったが、予定が急に変わってしまったため、すぐに取れる宿はこの酒場しか思いつかなかったのだった。
「今日の曲も良かったぜ、なんつうか、色気というか怪しい感じというか……とりあえず今まで聞いた中では最高の曲だ!」
「それは良かったな、マスター……礼ならそこにいるお嬢さんにしてやってくれ、彼女がこの曲の素だ」
トニーノは気取った動きで帽子をはじくと、悠々とくつろいでいるボンデージ姿の少女を指さした。彼女は演奏の余韻に浸るようにうっとりしていたが、トニーノからの視線を感じると、クスリと笑みを漏らして小さく手を振ってきた。
その動きはやはり年相応のものには見えず、彼女はもしかしたら見た目の成長が止まってしまったのかもしれない、酒場のマスターはふとそんなことを考えた。
この世界には「魔女」と呼ばれる存在がいる。気の遠くなるような過去、それこそ創造神たる「燃える三眼」が旧世界を滅ぼしたとされる太古の時代に遡るほどの時間を経てなお、その血はまれに顕現する。「癒し手」「千里眼」「読心術」などなど、多岐にわたる異能と異形。魔術体系に縛られず、それをそれとして扱う存在。それが「魔女」と呼ばれる存在だ。
「ふぁ……あ、ギターのおっさん、イヴはそろそろお友達のところにいくので失礼するですぅ。代金払っといてくださいですぅ」
酒場のマスターが考えていることなどお構いなしに、イヴは椅子から軽やかに身体を起こして、店を出ていった。肩には長大な戦斧を担いだまま、ドアの向こうにアンバランスなシルエットを残して去っていった。
「あの嬢ちゃんって何者なんだ、トニーノ?」
「……さあな、外見年齢通りの精神を持ってるってことくらいしかわからん」
彼女と話しているとき、彼にはイヴが自分自身を偽っているようには見えなかった。必要以上に相手を挑発するあの言葉遣いも、わざとであるというよりは、礼儀を知らないという感覚が先に立った。盗賊団の首領をもおびえさせる強さを持っている上であれば、彼女の立ち振る舞いも理解できないというわけでもない。
「とりあえず、変な子だったよ」
トニーノの言葉に、隅でグラスを揺らしていた御者が頷いた。
市街地特有の生活臭が入り交じった風が、少女の銀髪を撫で、緩くウェーブのかかったそれは家から漏れる明かりを反射して、艶めかしく輝いていた。
イヴは酒場を出ていった後、夜のエルシールを歩いている。市街地とはいえ夜に出歩く人間は多いわけではなく、目に付く人間といえば、夜遊び目的の男か娼婦、そしてそれらを品定めするようにジロジロと見るごろつきばかりだ。
イヴは身につけているボンデージ衣装も相まって未成年娼婦のようにも見える。実際少なくない男たちが声をかけては、彼女の歯に衣着せぬ物言いに面食らって、ある男は悪態をつきながら去り、またある男は金を片手に食い下がって彼女から手痛い制裁を与えられていた。
「待ち合わせはどこだったですかねぇ? バカみたいに複雑な指定場所を書きやがって、めんどくさいったらありゃしないですぅ」
彼女は口をとがらせて紙切れを見た。そこには暗号化された文章が並び、その暗号を解いてもなお複雑な場所指定が書かれていた。
「もしもそのメモがエルシール側に渡ったときのためだ。こういうことには念には念を押さなければならないからね」
イヴの独り言に、ごろつきの一人が答えた。
「お迎えがあるなんて聞いてないですけど」
イヴは表情一つ変えず、まるでさっきの独り言の続きでも話すように、しかしごろつきに聞こえるように言った。
「そう言わないでくれよ、隊長もあんたに早く会いたがってるんだ。ただでさえ予定が遅れているせいでみんな焦り始めてる」
最後の方はほぼ聞き取れないような声で話している。しかし彼女はその言葉をしっかりと聞き取っているようで、つまらなさそうに肩をすくめて口をとがらせた。
ごろつきは、よく見なければ分からないほど巧妙に泥汚れなどで隠してはいたが、丁寧に剃刀の当てられた顎と、日焼けしたことのないような色素の薄いーーつまりはごろつきらしくない肌をしていた。
「とりあえず、今から案内するよ、淫蕩な少女<ティーン・エイジ・スクブス>」
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