嘘つき村の奇妙な日常(4) |
禁忌(タブー)というものは、どこにでも存在する。危険が山ほど転がっている幻想郷においては尚更のことだ。
立ち入り禁止の札を立てておいてもひねくれ者が気安く足を踏み入れようとする、そういうレベルの禁止事項とは格が違う。下手をすれば命を失う恐れもあるのが、禁忌というものである。
「この森の奥が、妖怪もろくに近づかない危険地帯だってことは知ってるな?」
雑然とした部屋の奥から現れた魔理沙の手には、盆が抱えられていた。その上には、湯気の立つ黒い液体で満たされたマグカップが五つ乗っている。
「やばいものがあるって話だったか」
「主に、森の中に植わってる茸がな。そいつがばら撒く胞子がやばい。幻覚幻聴酩酊と症状は様々だ」
ぬえの質問に答えつつ、マグカップを卓に並べる。三つはぬえ達の分、一つは自らの分。もう一つは、この魔法の森に建つ彼女の家に戻る前に声をかけたもう一人の客人のためのものだ。
「茸の見せる幻覚を魔法と勘違いした奴が、ここに魔法の森って名前をつけたわけだ。まあ実際魔力を高めるトランスにも使うことがあるんだぜ。お陰で胞子に耐性のある変わり者の魔法使いだけがここに住み着くようになったと」
「自分のことを差し置いて、よく言うわ」
客人こと、アリス・マーガトロイドが呆れた風でマグカップを受け取る。彼女の肩に乗ったブロンドヘアの人形が、同意するように何度も首肯した。
「変わった味のコーヒーね。えぐ味がなくて飲みやすいけど、独特の風味があるわ」
残る二人に先んじてマグカップの液体を味見したフランドールが、そんな感想を述べる。
「乾燥したマジックハーブの根を焙煎して煮出した似非コーヒーだよ。解毒作用があって、森の茸にも耐性がつく。森の奥へ触媒採取に行く時は、こいつよりも強力な中和剤を飲んで抵抗をつけとかないと危険なことになるんだぜ」
「なるほど。茸の胞子に耐性があるお前達がさらに対策を打たないと、とても行けたもんじゃないと」
ぬえもまたコーヒーに口をつけ、窓の外を見る。昼なお薄暗い原生林が古ぼけた洋館のすぐ近くまで迫ってきていた。木々の形が薄く霞む程度の瘴気が風景を緩慢に覆っている。魔理沙の話が真実なら、その正体は全て胞子ということになる。
「……で、その危険な危険な魔法の森の奥深くから誰かの声が聞こえてきたってのか」
魔理沙が神妙な表情で頷いた。金色の長い髪から覗く好戦的な瞳には、いつもの茶化すような笑みが欠片も見当たらない。
「どんな感じの声が?」
「間隔としては三日から五日くらいに一度、一時間くらいに亘って聞こえてくる。種類としては男の声だったり女の声だったりするし、一度に数人ほどの声が聞こえて来ることもある。まあ例えて言うなら、里の喧騒を遠巻きから聞いているような感じ、だ」
ぬえとフランドールが固唾を飲む。窓の向こうに見える鬱蒼とした森には、不気味なほど動きがない。
「無意識が聞かせちゃった、なんてことは?」
こいしの質問だった。幻聴の可能性である。
「そう思うだろうと予想したから、証人を呼んだ」
アリスへと視線を注ぐ。金髪碧眼の人形遣いは、マグカップをテーブルに戻すと重々しく肯定した。
「魔理沙の言ったことは本当よ。幻聴じゃないわ。私も自分の家で、魔理沙と同じ時間によく似た声を聞いたから。二人が別々の場所で同じ声を聞くのを、さすがに集団幻聴と片付けるのは難しいでしょう?」
ぬえは黒いワンピースを少し反らして、カップに残った最後のコーヒーを平らげた。
「隠れ里の類いかな? これまでも似たような声を聞いたことはあるのかい?」
「いや、ない。聞こえ出したのは少なくとも一ヶ月くらい前からだな。毎日聞こえるわけじゃないから、これまでは放置してたんだが」
一ヶ月前。
時期としては、無名の丘の鈴蘭が咲き始める直前か。少なくとも、ミスティアが失踪した時期よりも前であることは間違いがない。
「つまり、調査はこれからってことか」
「これからにはこれからだが……」
そこでどうしてか魔理沙はじっとりとした視線をアリスに向けた。彼女と人形が一斉に手刀を作り、横方向に振り回す。その仕草を確認してから彼女は三人に視線を戻した。
「……実害がない限りは、放っておこうかと思っていたところでな。何なら譲ってやってもいい」
と、微妙に視線を外しながらそんなことを言う。
「何だい、気味悪い。いつもだったら真っ先に飛びついて行きそうな話なのに」
「私もちょっと前まではそう考えていたんだけど、お前達の話を聞いて事情が変わった。この件には、もしかするとあいつが絡んでいるんだろう?」
「あいつって? ……ああ、風見幽香のことか」
魔理沙は歯を見せて笑い、カップを両手で抱えた。
「仮に幽香があの声に誘われて居なくなったんだとするだろう? あのドSで残虐で弱虫を虐めるのが大好きな、あいつのことだ。そのまま大人しくしているとは到底思えん。今頃隠れ里の女帝になってるかもしれないな……」
アリスもまた重苦しい表情で魔理沙の言葉に同意している。当然、人形も同様だ。
「それほどのものなのかい、風見幽香は」
「私達は、何度か異変であいつと顔を合わせているからな。あいつはただの暇潰しで異変を起こすし、味方についた時も基本的に暇潰しだし」
「何それ憧れる」
「幻想を抱かない方がいいわよ。後で幻滅するから」
アリスはぬえを嗜めるとテーブルに立て肘を突き、身を乗り出して三人を凝視する。
「この件に関しては私達は傍観するつもり。本当に拙いものだとしたら、あなた達が睨んだ通り霊夢や八雲紫が動きだすでしょうしね。それであなた達は、どうする? あの性悪妖怪の背中を追う?」
魔法使いは一斉に、残る三人を凝視する。仄かなランプで照らされ、魔術の触媒らしき怪しい植物や魔道書などで雑多に散らかった室内に静寂が満ちた。
「私は面白いと思うけれど、どうする? この物件。人目を忍ぶにゃ少々騒がしいかもしれないが」
ぬえの言葉で、二人が顔を見合わせる。こいしはともかくとして、フランドールの顔には不敵な笑みが浮かんでいた。
「私は乗るわ。力のある妖怪が、帰りたくなくなるような場所なんてよっぽど居心地がいいかよっぽど酷い場所かのどちらかだものね」
「よっぽど酷い方だったらどうするの、フラン」
相変わらずの毒が抜けたような笑顔で、こいしが僅かに首を傾けながらフランドールに尋ねる。
「何とかするわ。少なくとも、京都の時には何とかなったからね。あの時はほとんど二人だったけれど、今度は三人よ。黒いのが余計なことをしなけりゃ、余裕で何とかできるでしょ」
「だからその黒いのいうのやめれ。まあそうだな、今回は幻想郷の中で片付きそうだし、大した心配をする必要もあるまい。そうと決まったら早速隠れ里探しと洒落込もうか。話を聞かせてくれて有難うよ」
三人は口々に礼を言うと、魔道書の森をかき分けて部屋を退出していった。少しだけ密度の下がった部屋で、魔理沙は三人のマグカップをまとめ置くと、自分の分のコーヒーを平らげる。
「……あいつらは上手くやれると思うか?」
アリスは自分のマグカップを空にしたところで、ようやく顔を上げる。魔理沙の質問が自分自身に向けられたものであると今更気がついたかのように。
「あなたの方が私よりも、あの三人のことをずっとよく知っていると思うけど。実際に弾幕を交わしたこともあるのでしょう? 私は間欠泉の異変の時にこいしちゃんを見た程度だし」
「私から言わせれば、そのこいしが一番不安でな。まず何を考えているのかさっぱり分からん。まあ、本当に何も考えてないんだがな。残る二人も弾幕は恐ろしいが、集団行動するにはちょいと問題がある奴ばっかりさ。どうなることやら」
アリスは魔理沙の言葉を聞き流すように、人形をもう一体取り出すと耳元に何事かを小さく囁いた。すでに自立していた人形と同様に動き出すと、二体揃ってマグカップを盆に戻し始める。
そして体の大きさに見合わぬ力強さで二体の人形が盆を持ち上げ、台所に飛び去っていったところでアリスが魔理沙を見て重い口を開いた。
「実際のところ、興味があるのでしょう? 森の奥から聞こえる声の正体に」
魔理沙の頬がほんの少しばかり引き攣った。
「別に興味なんてあるわけない。あいつらが調子に乗って、森の貴重な生態系まで破壊して回らないか心配なだけだぜ」
「そう、気になってるのね」
青いワンピースに白いケープを肩にかけたおよそ魔法使いに見えない少女は、魔理沙の言葉をまるで嘘と決めつけ、責めるでもなくそう切り返した。
「なんなら、協力してもいいわよ。私もあの声には興味がないわけじゃないし」
「お、そうかね?」
意外そうで、あまりにも白々しい反応。
「あの子達は、私達にとって都合のいい偵察部隊になってくれる。そう睨んだのでしょう? その偵察部隊が音信不通になる事態は、避けないといけない。魔法使いはブレイン、うまく立ち回らないとね」
魔理沙がニヒルめかした笑顔を浮かべる。
「決まりだな。早速あの恐怖妖怪三人組を捕捉するための策を練るとしようぜ。間欠泉の異変と言えば、あの人形はまだ保存してあるんだろう?」
つい先ほどまでの言い分は、どこに行ったのか。しかしアリスもそれをいちいち咎めだてはしない。
「当然。あの人形に仕込まれた機能は役に立つしね。それから、あいつに協力して貰いましょう。悪魔の妹が絡むのなら、きっと協力してくれる筈よ」
§
気心の知れた者同士でのハイキングともなれば、近場でも楽しめるものだろう。結局のところどこに向かうかより、誰と行くかが重要であったりする。
三人とも最初は家人に浮き浮きと自分達の展望を語りながら準備を始め、三日後に森の前へ集結した。知恵熱を出した者がいなかったのは幸いと言うか。
しかし彼女らは魔法の森の奥地へ足を踏み入れて半日、いや数刻で目論見の甘さを思い知らされた。
「ガセネタ掴ませされたんじゃないでしょうね?」
フランドールの不機嫌そうな顔が、霞んで見える。三人に囲まれた焚き火も、どこか頼りない。
基本的に妖怪というのは夜の眷属なので、夜目が利く。宵闇が視界を遮ることはないのだ。ただし、物理的な視界の閉塞となれば話は別である。
「後で仕返しに来られると分かって嘘を教えるほど、奴は愚かではないと思うんだけどね……話に聞いた以上だな、これは。滅多に入りたくもないわな」
銘々が、ハンカチやら手拭いやらで口元を塞いでいる。闇の中でもそれと分かるほど眼前を霞ませる毒の微粒子をまともに吸い込んでしまわないために。
「お弁当、食べたいんだけどなあ」
「やめときなさいこいし、胞子も一緒に口に入れることになるわよ。見たでしょう、あの極彩色を……あんなの妖怪の食べ物じゃないわ」
「お前んとこのメイド長なら、採用しそうだけどね。隠し味として」
フランドールが、ハンカチの影で舌を出していた。風に舞う茸の胞子が焚き火に飛び込み、バチバチと鋭い火の粉を上げる。
「魔理沙の家を借りるべきだったんだな、よくよく考えてみれば。嘘だと分かればすぐとっちめられる」
魔理沙から譲り受けた胞子の中和剤は数日分だ。それがなくなるまで森の中で秘密の声を待ち構えているのは妖怪でも過酷な環境だ。ぬえに至っては、命蓮寺の勤行もある。京都に行った際に一ヶ月以上行方を眩ましていたこともあり、他の妖怪達からの視線が少々刺々しい折であった。
「まったくもう、色々と準備してきたのにね。少し軽量化して出直そうかしら」
「あの、聞くべきかどうか今まで迷ってたんだけど」
ぬえが手拭いをマスクにしたまま、身を乗り出す。
「いくらなんでも、詰め込み過ぎじゃないかなあ」
「好きで大荷物にしたんじゃないのよ」
岩にしゃがみ込んだフランドールの頭より頂点が高い位置にあるリュックサックが、胞子の霧中でも異様な存在感を放っている。彼女にとってはさほど重い荷物ではないが、背負う姿はまるでリュックが歩くかのようだった。
「お姉様が持たせるのよ。実際押し付けてきたのは咲夜や妖精メイド達だけれど、裏で糸引いてるのはだいたいあいつ。保存食でしょ。お着替えでしょ」
「この前の旅行の話が、三倍増しくらいで伝わっているんじゃないか、それ。なんだかんだ言っても、あの家の連中はフランに甘いから」
けらけらと笑うぬえを無視して、フランドールはリュックサックを開ける。彼女はその中の一番上に収まっていた物体を引っ張り出した。
「特に謎なのが、こいつね。パチェから貰ったものなんだけれど、何だと思う?」
「餞別? あの魔術師がか」
フランドールが取り出したのは、頭ほどの大きさがある白い布袋であった。残る二人も手を伸ばして、物体の感触を確かめてみる。
「軽くもなく、重くもなく……何だか、固いものが芯につまってるような感じかな」
「でもこれ、どうやって開けるのかしらね?」
素朴な疑問をこいしが口にする。さもありなん、その布袋は開閉口にあたる部分までしっかりと縫製されており、中身を取り出すには袋を破るしかない。
「秘密の魔法が仕込んであるんですって。パチェは困った時に開けなさいって言ってたんだけど」
「今開けちゃ駄目なものなのかしら」
こいしの疑問である。フランドールは袋を両手で抱えたまま、その謎多き物体をしげしげと眺める。
「確かに魔力が篭ってるのはわかるのよね。まあ、パチェが準備してくれたものなら邪な目的じゃないでしょう。信用することにするわ」
「ごめん、フラン。少し静かに」
唐突にぬえが唇に指をあて、残る二人にも静粛を促した。その仕草を見たフランドールも目を細め、急いでリュックの中へ布袋を再びしまい込む。
変化は、突然だった。
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