嘘つき村の奇妙な日常(5) |
幻想郷という場所は人里を始めとするごく一部の地域を除いた全土において、古き良き弱肉強食の理が今も罷り通っている土地柄である。
夜に人里の外を出歩く不用心者は妖怪に食われたところで自業自得だし、博麗の巫女もそれくらいの人口変動に目くじらを立てない。外に出ていいのは自衛を心得た者か、他者を襲う力を持った者だけだ。
無論、原住民のほとんど全数はそのことを暗黙の了解として心得ているので、妖怪の標的になるのは概ね何らかのアクシデントに見舞われて陽が落ちる前に安全な場所へ辿り着けなかった者か、時折結界を越えてやって来てしまう外来の人間に限られる。一週間に一度来れば幸運な餌を己の胃袋に引っ張り込むために、妖怪達は涙ぐましい努力をしている。
直接襲いかかる者は人間より少々優れた力を持つ程度の、下等な連中だ。抵抗されて失敗することも多いし、他の連中とかち合ってまずはそちらを排除しなければならないこともある。だから多少の術の心得がある中級以上の妖怪ならば、音や光、または幻想的な術を用いて獲物を自身の領域へに誘おうと考えるものだ。特に夜の闇を恐れる人間にとって、人家を錯覚させる音や話し声は効果的な罠となる。
今現在、三人の妖怪が置かれている状況のように。
「幻聴だと思うかい?」
ぬえが残る二人に尋ねながら、片手を振る。三叉戟が音もなく彼女の手の上に現れ、それを固定するかのように一匹の蛇が戟とぬえの腕とを縛りつけた。彼女は歯を剥いて獣のような笑みを浮かべていたが、目線に浮かれた様子はない。
「私には何人かが連れ立って、浮かれ騒いでいる声に聞こえるわね。こいしはどう?」
「私にも似たような声に聞こえるかなあ」
三人の耳には、確かに同じ声が届いていた。
くすくす。
あははは。
げらげら。
数人どころか十数人分の笑い声に加え、何らかの楽器の音色が胞子の雲の奥から聞こえてくる。音を聞いたぬえが、笑顔を半面だけ崩した。
「聞き慣れない音楽だね。騒霊(プリズムリバー)三姉妹の、騒々しい音楽によく似てる気がするけど」
「ヴァイオリンとアコーディオンだわ。知ってる」
再び歩くリュックへと変貌したフランドールが、スペードマークを二つ繋げたような魔杖を構える。
「庶民の音楽ですってよ。お姉様が馬鹿にしてた」
「こんな森で騒ぎ立てる庶民がどこに居るんだ? せめて篠笛と和太鼓にしてくれないもんかね」
「ぬえったら、妙なところで古風なのね」
こいしが希薄な笑顔のまま、森の奥に手をかざす。
「どうやら、幻聴だけじゃないみたいよ」
森の奥に、人魂じみた光の群れが何の前触れもなく現れる。それらは誘蛾灯にも似た、暗闇の中でも不気味に輝く燐光だった。
「お迎えが来たか。ぞっとしないな」
「私がこういう悪戯を仕掛けられる側になるなんて、夢にも思わなかったわ」
彼女らの言葉が示す通りに、それは錯覚ではなく本物の人工光に見える。月明かりがほとんど届かず、生えるがまま枯れるがまま倒れるがままの灌木群がみっしりと周囲を覆い尽くして、それらを侵食する毒々しい色彩の茸がおびただしい分量の胞子を吐き出し続けているこの魔法の森の中で。
「さて、誰が先に行く? 毒味役なら慣れてるよ」
斥候を決める算段を二人に持ちかけたぬえに対し、フランドールが鋭く反応した。
「何よ、抜け駆けするつもりかしら? 独り占めは許さないわ。ぬえは意地汚いんだから」
「そうそう。三人一緒でなくちゃ」
一斉に両肩へしがみついた。目を細め自身を睨む二人を交互に眺め、ぬえは失笑を浮かべる。
「おいおい。戦術の問題だぞ? あれがえげつないものだったら、どうするつもりだ」
「その時はその時。何とかするって言ったでしょ? 私達に臆病は似合わないわ」
「しょうがないなぁ。怪我した時は自己責任な」
「上等」
腕を解くと、三人足を揃えて歩き出す。横一列に並んで倒れた木々を踏み越えて行く様子は、たった三人ながら進軍する歩兵部隊にも似ていた。
近づくにつれて、森の奥からの光はどんどん強いものに変わる。変わらず胞子を吐き続ける茸の群れをも明るく照らし、魔法の森が白に染められた。
光があまりに強くなって、目を細めた瞬間――
ランタンタ ランタンタ
ラタタタタ ラタタタ
――魔法の森と全く異なる景色が周囲に広がった。
夜でありながらなお先端が光り輝く奇妙な灯りによって照らされた、街路の上に三人はいる。先ほど聞いたものと同じ音楽が、今度はしっかり聞き取ることができた。道の片隅ではオーバーオールの男が小さなお立ち台に乗って、伸び縮みする蛇腹を持つ奇妙な装置、すなわちアコーディオンを両手に抱えその音を奏で出している。その周囲では和洋様々な衣装に身を包んだ老若男女が踊り騒いでいた。
「想像していた隠れ里とは、ずいぶん趣が違うな」
残る二人に先んじて、ぬえがそんな感想を述べる。手にした戟を構えた体勢のままで。
「まるでお祭り騒ぎね。それにしても本当に幻想郷なのかしら、ここは」
フランドールがこつこつローファーの踵を鳴らし、足元の感触を確かめる。今まで彼女らが踏みしめていた腐葉土と菌糸が折り重なる不安定な森の地面が、整地された欧風の石畳へと変貌を遂げていた。道の両脇には、煉瓦造りの素朴な家屋が軒を連ねている。
「旧都とも少し違う感じがするわ。まさに異界ね」
こいしの言葉は残る二人の代弁となったかどうか。ぬえ達は顔をしかめ、武器を構えたまま出現した石造都市の様子を見回す。物騒な姿の三人が現れても、周囲の人々は変わらず音楽に合わせ踊り続けていた。彼女達の存在に全く気づいていないのか。
「これ、どうしようか……」
ぬえが二人を見回して、対応を問おうとした刹那。異様に陽気な声が三人の耳を劈いた。
「やあ、ようこそ。嘘つき村へ!」
舞うような身のこなしで、一つの影が三人の目の前へひらりと降り立つ。それの姿を見ると、ぬえとフランドールは自分自身の両目を何度か擦ってから首を前へと突き出した。
恐らく男であろう彼は、街路にいた他の誰よりも特異な衣装を身に纏っている。赤黒菱形チェックのパンツと上着はタイツのように細身の体躯へ纏わりつくが、袖口と襟、そして上着の裾は花弁のように外側へと広がり、先端にピンポン玉のような球体が飾られる。頭に被った帽子も三又に分かれ、先端は玉飾りだ。顔は白粉で塗り潰されており、鼻に丸いつけ鼻を引っかけ、目と口には笑顔のように吊り上がった隈取りが施されていた。
まさしく、道化師以外の何者でもない。
硬直した三人の前で、道化は右手を左胸の辺りに添えて、恭しくかつ大仰に彼女らへと頭を下げた。文字通り絵に描いたような笑顔が眼前に迫る。
「よくこの村においでなされましたお三人様。道に迷われましたかな。それともその大荷物を見るに、ご旅行の合間とか? まあ、どちらでもよろしい。時は夜。しかも今は楽しき祭の真っ最中。いずこの宿へとご逗留なされるがよろしいでしょう。きっとどこでも歓迎されますからね」
一息にまくし立てる道化の言葉を三人は仰け反りながら聞いていたが、その口上が終わったところでようやくぬえが重々しく口を開く。
「最初に、なんつった? 嘘つき村だって?」
「ひひっ、その通り!」
甲高く、鼓膜に響く笑い声と共に、道化は両腕を開いて街路を指し示してみせた。
「この村は七人の嘘つきが取り仕切っているので、誰からともなくそう呼ばれるようになったのですよ。何、年がら年中嘘を言ってるわけじゃありません。ただ、正直過ぎると馬鹿を見ますからね」
彼は口を抑えて腹を抱え、さらには肩を震わせてくぐもった笑いを漏らした。そんな道化師の様子を眺めるぬえとフランドールのしかめっ面は、一段と険しいものに変わっていく。
「何が楽しいのか知らないけど、嘘つきだろう? どいつもこいつもよくここに住み着いていられるね。見たとこ騒いでいる連中は、大半が人間に見えるが」
道化師の背後に見える群衆に視線を配る。服装、性別に一貫性はないが、幻想郷の妖怪にありがちな獣の耳や翼、そして妖気が見える者はない。
「左様、ここに住む村人の多くはお三方と同様に、この村へ迷い込んだ方々です。でも皆さん、この村に滞在なさっているうちに居心地がよろしくなってしまったようでして。この村に住居を持って、面白可笑しく暮らしているのでありますよ。多少の嘘が混ざっていた方が、誰しもが気楽に過ごせるということの証拠ではありますまいか」
「人間にも妖怪にも、みんな裏表があるからね」
不意に、こいしが口を開いた。残る二人の視線が、第三の眼を封じたサトリ妖怪に向けられる。
「嘘をついてでも隠しておいた方がいい心もあるし、その心の所為で傷つく人もいるわ。嘘に塗れていた方が、幸せな人もいるのでしょうね」
「話が早くて助かります。この世の中はとかく嘘で溢れているのでありますよ」
道化師は化粧の下でも満面の笑みを浮かべていた。
「だから嘘つきが村を治めていることを、最初からお知らせした方が却って信用できるという寸法です。何、心配はございません。ご覧ください、村人達の幸せな様子を。皆が皆、嘘つきの幸せな嘘に乗じた結果でございます」
「でも」
こいしは道化の饒舌を遮る形で、抑揚もなくその言葉の後を継ぐ。
「目に見えているものの全部が全部、真実であると限らないわ。私はお姉ちゃんみたく心を読むことはできないから、見ること聞くことをたくさん集めるようにしているの。その上で、見定めさせて貰うわ。あなたの言葉が幸せな嘘なのか、それとも不幸せなペテンなのか」
祭りの音楽が、四人の間から遠のいた。
ぬえとフランドールの表情に多少の笑みが戻り、一方道化師の笑顔は若干強張っている。
そこで彼は掌を上に返し、首を傾け三人に尋ねた。
「ところで失礼ですが、あなた方のお名前は?」
「古明地こいし」
「北条Q太郎」
フランドールが、咄嗟に口元を押さえる。ぬえの名乗った偽名に対し精一杯吹き出すのを堪えながら、彼女は道化を一瞥した。
「それじゃ私は古明地フランとでも名乗ろうかしら」
「本名隠す気バリバリですな、お嬢さん方。そんな構えていただかなくても」
道化は三人の顔を順に確認して、フランドールを見たところで動きを止める。
彼の微妙な様子の変化をぬえは凝視した。ほんの僅かであるが、こいしの言葉でも引きつった程度の笑みが道化の表情から消えている。
「……おおっと、これはいけない」
だが、本当に一瞬だけだった。ぬえの注目に対し、彼は頭を掻いて後ずさりする。
「お嬢様方の美貌に思わず魅入ってしまったようだ。おうい、誰か! 旅人達に宿を貸せる者はいないか」
手を叩いて周囲を見やると、間髪入れない勢いでその問いかけに応える「村人」が現れる。
カツンカツンと甲高い下駄の音を響かせながら。
「はいはい、こちらにぃ」
その姿を見るや、特にぬえがもう一度笑顔を失う。
雨でもないのに大きな紫の雨傘を担ぎ片足歩きで歩み寄ってくるその影は、顔を上げると赤と水色のオッドアイを傾けた。
「あちきの宿にお迎えしま……あれ、ぬえちゃんだ。久しぶりー。ぬえちゃんも迷い込んだのね?」
「なんでお前がここにいる、多々良」
顔を片手で覆うぬえの袖を、フランドールが引く。
「お知り合い?」
「時々命蓮寺の墓地に入り浸ってる野良妖怪だよ。なんでこんなとこで宿屋やってるのかは知らん」
「んふふ、それはね」
雨傘の少女こと多々良小傘は、聞かないうちから三人の前に身を乗り出して、赤い右目を瞑る。
「私、この村で自分の新しい生き方を発見したんだ。嘘つきさん達に新しい働き口も斡旋して貰ったし、今の私は満ち足りてるわ。宿の客も驚かし放題だし」
「そんな宿によく泊まる客がいるもんだな……」
「あなた達はどうなのよ。今なら知り合いのよしみで、お安くしておくけどどうする?」
三人は髪の毛からスカートまで水色で揃えた唐傘お化けを前にして、目線を交錯させる。
「早めに決めておいた方が賢明ですよ。今日の祭は夜通し続きますからね、旅行者を気に留める者は、それほど多くありません」
笑う道化師を一瞥して、ぬえが二人に告げた。
「ここまで来といて、路上泊もなんだ。とりあえず腰を落ち着けてから、今後のことは考えよう」
「若干気に入らないことはあるけど、同感ね。いい加減、この荷物の置き場所を作りたいわ」
「二人がそれでいいなら、私も同じでいいわ」
小傘が声を弾ませる。
「決まりね。それじゃあお三人様ご案内ー」
地についた足を軸にして、くるりと半回転した。それと同時に傘についた巨大な舌が大きくなびく。
肩を落としてぬえが続いた。フランドールもまた歩き出そうとしたところで、こいしに声をかける。
「あなたも少しくらいは、主体性を発揮してもいいのよ? 私達は名案がないだけだし」
「私にはそういうの、難しいかなあ」
彼女も二人を追おうとしたところで、足を止めた。背後に佇む道化師に振り向く。
「何か?」
問いかけを無視して、さらにその周囲を観察した。路上にこいし達などどこ吹く風の村人達が狂騒する。そのまた向こうにはアコーディオンを弾く男。
よく見ると、この男も顔に道化のメーキャップを施している。それがこちらの方を見て、口を歪めた。
「何してんの、こいし。早く行くわよ」
フランドールに呼ばれて踵を返そうとした一瞬。
細い路地の狭間からこちらの方を睨む鋭い視線と、ほんの僅かな時間だけ見つめ合った。
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