真・恋姫†無双異聞〜皇龍剣風譚〜 第三十話 家族になろうよ 前篇
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                                   真・恋姫†無双異聞〜皇龍剣風譚〜

 

                                    第三十話 家族になろうよ 前篇

 

 

 

 

 

 北郷一刀の執務室の扉が叩かれたのは、晩秋の日差しも高くなって来た時刻の事であった。

「はい。どうぞ〜」

 一刀は、扉に向かってそう返しながら、紙に書き掛けの行を終わらせてしまおうと、集中を切らさぬ様に気を配った。紙は、この時代では未だ貴重品だ。一刀もこの時代で可能な製紙技術を色々と試してはいたが、まだ普及の段階には至っていない。

 

 とどのつまり、しくじると賈駆こと詠に手厳しいお小言を頂戴する事になる。そんな訳で、憂慮すべき事態は出来うる限り回避したかったのである。

「……よし、と。やぁ、どうもお待ちどうさ―――って、何だ、焔耶じゃないか」

 大きく息を吐いて筆を置いた一刀が待たせたままだった来客に顔を向けると、そこには、魏延こと焔耶が、何とも落ち着かなさそうに佇んでいた。

 

「む、何だとは何だ!ワタシが此処に来ては悪いのか!」

「いや、誰もそんな事は言ってないさ。唯、珍しいのは事実だろ?」

 一刀は、不機嫌そうに頬を膨らませる焔耶に苦笑いを返すと、茶を入れようと立ち上がった。

「ワタシは……その……何と言うか、書物や墨の匂いがあまり好きじゃないんだよ!」

 

「一軍の将が胸張って言う様な事か、それは?第一、桃香の所には足繁く通っているじゃないか」

 一刀は、意味深に微笑んでそう言った。今一刀が居る執務室は城にあるのだが、魏、呉、蜀の武将達がそれぞれ寝起きしている屋敷にも、一刀の執務室が用意されている。

 その中でも、蜀の屋敷にある執務室は劉備こと桃香と兼用で使用していて、これは、『今までもそうして来たから、同じ方が落ち着く』と言う、一刀と桃香二人の意見を尊重して決定した事だった。で、焔耶はと言えば、一刀が蜀の屋敷で過ごしている時には決まって、一日に数度は用など無くとも執務室を訪れていた。それも、頬を赤らめいそいそと、細く扉を開けて桃香の名を呼ぶのである。

 

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 その様子は、絵に描いた様な恋する乙女の姿そのもので、桃香に笑顔を向けられた時の喜びようたるや、((傍|はた))から見ているこちらがこそばゆくなってしまう程なのだ。

「違ッ!?あ、あれは、その……何と言うかだな!えぇと……そう!武人たるもの、己が主の身の回りの安全には、常に注意を払っておくべきと思っての事だ!」

 

「成程な。で、あわよくば精勤のご褒美に、桃香に“可愛がって”貰おうと―――」

「か、かわ!?い、いやそれは、別にそんな破廉恥な期待などしている訳では……あぁ、桃香さまいけませんこんなに日の高い内からその様なダメですそこは凄く敏感な―――」

「フム、図に当たっていたか。お〜い、焔耶。戻って来〜い」

 

 一刀としては、焔耶の妄想がどこまで加速するのか興味がない訳ではなかったが、急須の中の茶葉が良い塩梅に蒸れた事もあって、百合百合しい((楽園|ガンダーラ))へと絶賛旅行中の焔耶の虚ろな目前に手を((翳|かざ))し、何度か指を鳴らしながら呼び掛けて見た。

「ハッ!?ワタシは一体……」

 

「お帰り、焔耶。茶が入ったぞ。こっちに来て、座ったらどうだ?」

「お、おう。ありがとう……って、何をいけしゃあしゃあと!自分でワタシを誘導しておきながら!!」

「別に、誘導って程のもんでもないだろ、あれ位……。お前が悪化してるだけじゃないのか?最近、稟とよく一緒にいるみたいだし、それで((感染|うつった))とか?」

 

「失礼な!妄想が感染などするか!」

 焔耶は、剣呑な目付きで一刀を睨みながら、それでも言われた通りに執務机の前に設えてある長椅子に、勢い良く腰を下ろした。何だかんだで、根は素直な娘なのである。

「ははは。冗談なんだから、そう拗ねるなって。詫びって訳じゃないが、取っておきの菓子を出してやるから、それで勘弁しろ、な?」

 

 一刀がそう言って、キャビネットに似た棚の戸を開けて菓子受けを卓に置くと、焔耶は“そっぽ”を向いたまま、ちらりと視線を落とした。

「ふぅん。((軟落甘|なんらくがん))(日本の落雁の原型とも言われる物)か」

「そう、栗の軟落甘だよ。旬だからな。一杯引っかけた後に濃い茶と一緒に食うと、また美味いんだ、これが」

 

 焔耶は、一刀の言葉に漸く機嫌を直したらしく、軟落甘を一つ摘まんで呆れた様に首を振った。

「“両刀使い”ってやつか?まったく、お館は食い物にまで節操がないな。おまけにジジ臭いし―――お、イケるな、これ」

「お前ね、それじゃあ俺がヒヒ爺ぃな上に衆道(男色・少年愛)の気があるみたいじゃないか……」

「ふふん。いっその事、そっちも目指してみたらどうだ?朱里や雛里とか―――他にも、大喜びしそうなヤツは居ると思うが」

 

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 焔耶が、何故か得意気な顔でそう言うと、一刀は腕を組んでわざとらしく唸ってみせる。

「むむむ……そうか、俺に男がデキるとみんなが喜ぶのか……じゃあ、頑張ってみようかな……」

「ブハッ!!?」

瞬間、焔耶は口に含んだ茶を勢い良く噴出して、大慌てで両手をブンブンと振った。

 

「お、お、お、落ち着け、お館!!今のはちょっとした冗談で、決して本気と言う訳では!あ、いや、もうお館に意中の男が居ると言うならワタシが止める様な筋合いではないとは思うがしかし―――ん?」

 焔耶は、そこまで一息に捲し立てると、漸く、一刀が顔を下に向けたまま、目に涙を溜めて笑いを押し殺している事に気付き、赤くなった顔を更に赤くして大声を上げた。

 

「((謀||たばか))ったな、お館!!」

「クックックッ……!!いや、す、すまん焔耶。こっちも冗談のつもりだったんだが、ククッ、お前があんまり必死なのが可愛くってさ……ヒィ、腹筋痛い……!」

「もう知らん!まったく、悪辣なヤツだ!!」

 

「悪辣ってお前……そもそも、頑張ってどうにかなるもんでもないだろ。まぁ、焔耶は“そっち”の気もあるし、生々しく感じちゃったのは分かるけどさ」

「な!?違う!私はそんなんじゃない!」

「どの口が言うかね?この前、三人で“した”時だって、桃香に責められて嬉しそうにしてたじゃないか」

「い、いや、あれは!ワタシがやめてくれと言うのに桃香さまとお館が激しくするから―――はっ!?」

 

 焔耶が慌ててそこまで言ってしまってから、はたと気がついて一刀の顔を見遣ると、案の定、一刀はニヤニヤと面白そうに笑いながら、焔耶の顔を眺めていた。

「お〜や〜か〜たぁ〜!一度ならず二度までも、ワタシを謀ったな!?」

「それは“自爆”って言うんだぞ、焔耶。―――で?」

 

「ん?なんだ、その……“で?”とは……」

「いや、何か話す事があったから、普段は寄り付きもしない此処に((態々|わざわざ))来たんじゃないのか?」

 一刀は、これ以上((揄|からか))って鈍砕骨でも振り回されたら堪らないので話を元に戻してみると、焔耶は暫く考えた後、「そうだった!!」と言って、半ば長椅子から浮かせていた腰を再び落ち着け、何やら重たそうに口を開いた。

 

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「あー……実は、話と言うのは他でもない……桃香さまの事なんだ」

「桃香?桃香がどうした。風邪でも引いたのか?」

「いや……」

 一刀が怪訝そうにそう尋ねると、顔焔耶は力無く首を振る。

 

「実は、ここ二・三日、桃香様のご様子がおかしかったんだ……。何やら、手紙らしい物をながめて深い溜息を吐かれておられた所も、何度かお見かけしたりして……。で、『何かあるなら、相談して下さい』と、願いもしたのだが、『何でもない』の一点張りで、取り付く島もないのだ……」

「ふむ、あの桃香がなぁ……」

 

 一刀は、心配そうな顔をして俯く焔耶に断りを入れてから、煙草をパックから一本を振り出して火を点け、それを咥えたままで天井を仰いだ。桃香はああ見えて、芯は太いし度胸もある。加えて、相当な頑固者でもあるから、いざ、こうと決めたら鉄面皮も貫いて見せる気骨の持ち主だ。

その彼女が、臣下に心中の不安を悟らせる様な態度を見せていた。しかも、信任篤い焔耶にすら話せない事で悩んでいると言う。

 

「―――となると、お袋さんの事かもなぁ」

 一刀が独り言のようにそう呟くと、焔耶は目を丸くした。

「どうしてそんな事が分かるんだ、お館は?何か知っていたのか?」

「いんや、何にも。そもそも俺、ここ二・三日、城に籠り切りだったから桃香には会ってないし。もうすぐ年の瀬だから、警備隊の仕事が忙しくてなぁ。ま、それは兎も角、俺は唯、焔耶の話の中にあった“鍵になる言葉”を繋ぎ合せて推理しただけだよ。いいか―――」

 

 一刀は、菓子を一つ口に放り込むと、それを茶で呑み下してから、再び口を開いた。

「まず、桃香が手紙を読んで悩んでいた。で、その内容は誰にも話してない、と」

「応。そうだ」

「ならつまり、それは、“公人としての桃香”が直面した悩みじゃないって事だよな?」

 

「そうか……うむ、確かに……。もしも王としての御悩みならば、ワタシ―――は兎も角、朱里か雛里には、ご相談あそばされる筈だからな」

「だな。だから、桃香の悩みは私事である、と。で、更に、桃香に私信を送って来る様な間柄の人物となると、大方、故郷の誰かか、私塾の頃の学友って事になる。何せ桃香は、私塾を出てからは実家に住みながら筵売って生計を立ててたらしいし、その後はすぐに愛紗や鈴々、それに俺と一緒になったんだ。つまり、俺たち((義兄弟|きょうだい))が全く知らない交友関係は、かなり((狭|せば))まって来るだろ?」

 

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「成程な。もし、お館や愛紗、鈴々も知っている共通の故知の事で悩んでおられるならば、義兄弟の内の誰かしらには打ち明けておられる筈、か」

 焔耶が難しい顔で茶碗を口に運びながらそう言うと、一刀は『よくできました』とでも言いたそうな微笑みを焔耶に向ける。

 

「その通り。共通の故知が困ってるなら、桃香が俺達に黙っている筈はないからな。で、相手が学友だとして、桃香が悩まなきゃいけない様な内容の話となると、病気か、昔の((好|よしみ))を頼っての仕官斡旋の嘆願―――と大体こんな所だろうが、どれも一人で抱え込む必要があるような事じゃないよな?病気にしろ仕官の斡旋にしろ、それこそ朱里や雛里に相談すれば済む話だ」

 

「うむ。あの二人なら良く効く薬も数多く知っているだろうし、仕官に値するかどうかを見定めるのにも適任だろうからな」

「そう。で、ここまで考えてみれば、学友の線はかなり可能性が低くなる。となると、後は故郷の人って事になる訳だが―――」

 

「そこだ。今までの説明で、手紙の送り主がご学友の可能性が低いのは分かったが、どうして故郷からの手紙だと、それがすぐに桃香さまの御母上の事と、お館には分かるのだ?何らかの事業の資金提供を、桃香さまを介して現在の国主の華琳に頼みたいとか、考えられそうなものは幾らでもあるだろう」

「まぁ、色々と理由はあるが……その中で“一番の”となると、今ここに居るのが焔耶、“お前だから”さ」

「な、何だと!?」

 

「いいか、焔耶。愛紗も鈴々も、昨日は城に出仕して来てたんだ。俺の所にも顔を出してくれた。でも、『桃香が悩んでるみたいだ』なんて、二人とも一言も言ってなかった。確かに、愛紗は融通が利かない所があるし、鈴々は天真爛漫だけど、自分の義姉が深く悩んでる事にも気付かない程、鈍感じゃない。だが、実際問題として二人は気付かず、“お前は”気付いた。俺が思うに、桃香は二人に対して、かなり神経使ってたんじゃないかな?」

 

「それこそ、訳が分からん。もし桃香様が、お母上に関する事をご相談するとしたら、義兄弟であるお館たちこそが相応しいではないか……」

 焔耶が、僅かに悔しそうな感情を滲ませながらそう言うのを聞き、一刀は、その焔耶の態度がとても好もしいと思った。見方を変えれば、焔耶が一刀たち義兄弟に抱いている感情は、一刀自身が、華琳と春蘭・秋蘭の三人や、雪蓮と冥琳二人の関係に対して抱いているものに、極めてよく似ていたからだ。

 

 別に、同じベクトルで存在価値に優劣を付けられている訳では、決してない。それは理解している。だがしかし、彼女達の間に流れる、いや、“確固として存在している”不可視の揺るぎない絆を見せつけられる度に、一刀も今の焔耶と同様、僅かな嫉妬を感じずにはいられないのだから。

「なぁ、焔耶。実は、俺、愛紗、鈴々の三人は持って無くて、桃香だけが持ってるものが、一つだけあるんだよ。何だか分かるか?」

 

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 一刀は焔耶に優しげな視線を注ぐと、煙草に火を点けながら立ち上がって、窓を開け放った。外の空気は既に肌を刺す様で、秋の終わりを如実に物語っている。

「何だ。ここに来て、謎掛けでもするつもりなのか、お館は?」

「はは。いや、もう何度も、焔耶は答えを口にしてる筈なんだけどな?」

 

「む、そうなのか?」

「あぁ。俺たち三人が持ってなくて、桃香だけが持ってるもの……それは、“肉親”だ」

「あ―――」

「愛紗と鈴々は、幼い頃に死に別れたそうだから、殆ど孤児みたいなもんだからな……最も俺の場合は、死に別れって訳じゃないし、十分に一緒に居られた。確かに、二度と会えないって事で言えば、同じ様なもんかも知れないけどさ―――まぁ、それでも、俺は自分で選んで((外史|こっち))に帰って来たんだから、気を遣ってもらう様なもんでもないんだけどね。でも、“桃香だから”なぁ。そんな事言っても、絶対、気にするだろ?」

 

「そうだな……桃香様だからな……そうか、全て合点がいった。そう言う事なら、桃香様は、お館たちには決して相談できないだろうな。そして、だからこそ桃香様のお悩みは、お母上に関する事柄だと言う訳か」

 焔耶の親も既に他界してはいたが、その時には元服も初陣も済ませていた年齢だった。だから、親を見送る悲しみは知っていても、幼くして親を失った寂しさを理解する事は出来ない。愛紗、鈴々を姉妹と呼び、接しながらも、“親が居るのは自分だけ”と言う、その矛盾。桃香と言う少女ならば、それを負い目と感じてしまっていたとしても、なんら不思議はない。

 

「気にする事なんてないのになぁ。親が元気で居てくれるのは、何よりの事なんだから」

「そう、だな……。で、どうするのだ、お館?どちらにしても、何か手は打ってくれるのだろう?」

「手を打つも何も、普通に正面から聞いてみるさ。俺たち三人でな」

「三人……で?」

 

「そ、兄妹三人で。『水臭い真似なんかするな』って言ってやりゃ、いくら桃香だって話してくれるだろ。どうせ、今夜は屋敷に顔を出すつもりだったし。ま、差し当たっては、だ―――」

 一刀はそこで言葉を切ると、窓を閉め、執務机に置いてある灰皿で煙草を揉み消しながら、部屋の入り口まで行き鍵を下ろした。

「??お館、なぜ鍵なんか下ろすんだ?ワタシが出て行けないじゃないか」

 

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「良いんだよ。焔耶は出て行かないから。この鍵は、“入ってこられない為に”掛けたんだ」

「はぁ?―――って、おわぁ!?」

 一刀の頓狂な言葉に怪訝な表情を浮かべた焔耶は、それを驚愕に変えて、次の瞬間には長椅子に寝そべっていた。無論、一刀が押し倒したからである。

 

「な、な、な、な、何をしてるんだ、お館!!」

「桃香じゃなくて、俺からの“ご褒美”じゃ嫌か?焔耶」

「嫌な訳な―――じゃなくて!嫌とか良いとかではなくだな!理由を言え、理由を!!」

 焔耶は、顔を真っ赤にしてわたわたと慌てふためいて抵抗を試みはするのだが、何せ相手は『三国一の種馬』の異名を取る北郷一刀である。“こう言う状況”には滅法強い。

 

「だから、一生懸命、桃香の事を心配してくれた可愛い焔耶に、ご褒美だってば。嫌じゃないなら、受け取って欲しいんだけどな?」

 『大切な人の役に立てない』―――そんな気持ちのまま、一刀は焔耶をこの部屋から出したくはなかった。優劣など付いてはいないと。四人の義兄妹の間にある絆は、決して焔耶自身の想いや、桃香や自分が焔耶に向ける想いを阻害するものではないのだと、教えてやりたかった。

 

 だが結局のところ、何時でも、言葉は想いを超える事は出来ないのだ。だから―――。

「ん……ちゅ……おや……かたぁ……」

 人は、口付けをする。肌を合わせ、抱き締め、貫き、受け入れる。

「可愛いよ、焔耶。焔耶のそういう顔、大好きだ……」

『お前が大切だ』と、自分の全てで相手に伝える為に。長椅子でその行為に没頭する二人の上に射す晩秋の日差しは、思いの外、優しかった―――。

 

 

 

 

 

 

「とまぁ、そんな訳なんだよ」

 日も暮れ切り、秋風と言うには随分と寒い風が吹く宵の口。一刀が居るのは、蜀の屋敷にある一刀の私室である。一刀は昼間、焔耶から聞いた話と、その結果、自分が辿り着いた推論を語り、思い思いの格好で((寛|くつろ))いでいる二人の義妹を見遣った。無論、最後の部分は盛大に省略させてもらったが。

話を黙って聞いていた関羽こと愛紗は、((憤懣|ふんまん))やるかたなしとでも言うような顔で((緩々|ゆるゆる))と首を左右に振り、溜息を吐いた。

「まったく。桃香様も、本当に水臭い。お一人で御悩みになるなんて……いや、それ以前に、悩むような事ではないでしょうに……」

 

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 椅子に座って腕組みをする愛紗の言葉に、一刀の寝台の上で((胡坐|あぐら))をかいて話を聞いていた張飛こと鈴々も、勢い良く首を振る。

「ホントなのだ!子供がお母さんを大事に思うのは、当たり前の事なのだ!鈴々、そんな事で怒ったりしないのだ!」

「まぁまぁ、鈴々。落ち着けって。桃香にしたって、俺達の気持ちを((慮|おもんばか))って、今この時も一人で悩んでるんだから」

 

「しかし、焔耶の話からだけで桃香様の御悩み事を見抜いてしまわれるとは、流石ご主人様です」

 一刀に頭を撫でられて、少しは機嫌を直したらしい鈴々の顔を優しく見守りながら愛紗がそう言うと、一刀は、鈴々の頭をぽんと軽く叩いて、卓を挟んだ愛紗の向いの椅子に腰を下ろした。

「いや……実は、もう一つ、心当たりがあるもんだからさ」

 

「そうなのですか?」

「あぁ、焔耶には……ってぇか、他の誰にも、口が裂けても言えないんだけどね。ま、二人なら―――と言うよりも、二人には良い機会だし、聞いといて貰わないといけないな」

 一刀はそう言って、煙草を一本取り出すと、口に咥えるでもなく、指でそれをクルクルと回して弄んだ。

「―――あれは、黄巾党討伐の頃の事さ。丁度、今くらいの季節で、俺が初めて経験する筈の((外史|こっち))での冬が、本当に間近に迫ってた……。なぁ、二人とも。桃香が昔は、結構、故郷の話をしてくれてたのを、覚えてるか?」

 

 一刀にそう水を向けられて、二人の義妹は、示し合せた様に同時に頷いた。

「はい。子供の頃の事や、御母上の事も」

「“お姉ちゃんのお母さん”は、とってもお料理が上手だって話も聞いたのだ!」

「だよな。俺にも、たくさん話してくれたよ。でさ、ある晩、見張りだった俺の所に、桃香が夜食を持って来てくれて―――その時も、二人でそんな話をしたんだよ。まぁ、あの頃の俺達には、共通の話題なんて仕事以外では殆どなかったし、お互いに、自分の思い出話くらいしか話せる事がなかったんだなぁ……」

 

 一刀は、懐かしそうに苦笑して、煙草のフィルターで卓を叩きながら、そう言った。

「で、空気も澄んでて―――星が馬鹿みたいに綺麗でさ。だからかな?思わず、言っちゃったんだよね……『お母さん、どうしてるかな』って」

「それは……」

 愛紗の何とも言えない顔に正解を見る様に、一刀は自嘲を浮かべて小さく頷く。

「ホント、空気読めないクソガキだよなぁ……でも、やっぱりガキだったからさ、言っちゃったんだよね。そんな、しょうもない事さ……」

 

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「そうかぁ。だから桃香お姉ちゃん、あんまりお母さんの事、言わなくなったのか……」

「いや、まったく以て面目ない……」

 一刀が、頭を掻いて溜息を吐く鈴々に頭を下げると、腕を組んで黙っていた愛紗は、小さく首を振った。

「過ぎてしまった事は、致し方ありますまい。そもそも、何の準備も覚悟もなく、突然に見知らぬ世界に放り出されれば、残してきた者の事を気遣うのは当然です。鈴々とて、ご主人様を責めている訳ではありませんよ。そうだな、鈴々?」

 

「うん!お兄ちゃんが悪いなんて、鈴々言ってないぞ!元気出すのだ!」

「ありがとな、二人共……」

「いえ、その様な……ともあれ、差し当たっての問題は、桃香様にどう言ったら御悩みを打ち明けて頂けるのか、ですね。何せ、筋金入りの頑固者ですし……」

 

「そんなの、簡単なのだ!」

 愛紗の溜息混じりの言葉に被せる様に、鈴々が大きな声で挙手をする。

「はい。じゃあ、張飛君」

 一刀が、教師宜しく鈴々を呼ぶと、鈴々は寝台から勢い良く飛び上がって仁王立ちになり、拳を握り締める。

 

「お兄ちゃんが、何時もみたいに桃香お姉ちゃんをヒィヒィ言わせて骨抜きにすれば、お姉ちゃんは直ぐに素直にな―――いだッ!!?あ、愛紗、何で叩くのだ!?」

 鈴々が、煙を上げる脳天を両手で押さえながら涙目で抗議すると、愛紗は顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げた。愛紗の後ろでは、椅子に座った一刀が、疲れ切った様子で目頭を揉んでいる。

「殴りもするわ!!年頃の娘が、背後に炎を背負って言う様な事か、この不埒者!!」

 

「だって、朱里に見せてもらった本には、そう書いてあったのだ!『女なんて、一回抱いちまえば後はどうにでもなる』って!……違うのか?」

「朱里……勘弁してくれよ……」

「一度、じっくり話した方が良いのでしょうか……」

 

 脱力した愛紗が、再び椅子に腰かけながら呟くようにそう言うと、一刀は苦笑して頭を振った。

「いや。流石に、鈴々や星でさえ立ち直るのに四・五日も掛る愛紗の本気説教はマズいだろ。朱里なんて、精神崩壊を起こしかねん……まぁ、それについては、また追々考えるとして―――」

「ご主人様、今サラッと酷い事を仰りませんでしたか?」

 

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「やっぱり、正面突破しかないと思うんだよ、うん」

「無視ですか……」

「まぁまぁ愛紗、このままじゃ話が進まないのだ」

「お前が言うな!」

 

 結局、それから四半刻(約三十分)ほど話し合った結果、これから皆で桃香の所に行こうと言う結論になり、三人は、一刀の私室から程近い桃香の部屋まで足を運ぶ事にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

「えぇと……これは、もう一回、音々音ちゃんと摺り合わせをしないとだよね……」

 桃香は、竹簡を眺めながら独り言を呟き、あとで質問したいと思った箇所に、朱墨で疑問に思った事を箇条書きにして行く。彼女は、自分に曹操こと華琳や孫策こと雪蓮の様な、天才的な閃きなどありはしないのを、ちゃんと分かっていた。威厳がないのも同様だ。

 

 何せ、つい数年前までは筵を売って生活していたのである。そもそも、漢王朝の重臣の家柄である華琳や、地方の有力豪族だった孫家の面々とは“人の上に立つ”という事のスタートラインからして、十年以上のハンデがあると言っていい。自分に威厳が無いせいで、仲間達が人知れず苦労している場面も、きっと数多あるに違いない。

 

 だがしかし、自分でやると決めたのだから。自分は天才などではないし、血筋など殆ど言い伝えの域だと、最初から分かっていたのだから。才能だの家柄だのを、言い訳になど出来ないではないか。せめて、精一杯、丁寧に。皆が出来うる限り納得の行く形で物事を進められる様に、出来る事をしなければ。

 そう思うから、何時もの通り、行燈の灯りで、自分に上がってきた案件を吟味しているのだ。だが―――。

 

「ふぅ……」

 桃香は筆を持ったまま、それを戻す事もせずに深い溜息を吐いた。

「あ―――いけない、いけない!もう、油断すると、すぐこれだよ……」

 ここ数日、気が付けば、想いは遥か?郡にある故郷の村へと飛んで行ってしまう。あの、慎ましい裏庭に立派な桑の木のある、小さな家に。

 

 

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故郷の村に住む((簡雍|かんよう))と言う老人から手紙が届いたのは、四日ほど前の事だった。この老人は、夫婦で劉親子の事を何時も気にかけて居てくれた人で、桃香の父が健在だった幼い頃は、良く遊んでもらったものだ。

 宛名を読み、懐かしい故郷の近況に心を躍らせていたのも束の間、手紙の内容は、『母が倒れた』と言う衝撃的なもので、既に快方に向かっているものの、せめて一度位は顔を見せに帰って来られないかと、昔のままの力強い字でしたためられていた。

 

 確かに、故郷には義勇軍を旗揚げして以来、もう何年も帰っていない。無論、十分な仕送りはしているが、母一人を故郷に残してなに不自由の無い生活が出来ている事を考えれば、親不孝も甚だしいと思う。過去に一度、蜀を興した際に、軍師陣からの提案で、母に一緒に暮さないかと手紙を書いた事はあったが、『母の事は気にせず、大願成就の為に働きなさい』と、あっさり断られてしまった。

 

 正直、ほっとした。まったく罰当たりな事だとは思うが。何故なら、彼女の周りに居る多くの仲間達は、既に親を亡くしている者が殆どだったからだ。

 平均寿命が、正しく『人生五十年』の時代である。環境によれば、もっと短くなる事は多々あるし、それ自体は、決して不自然ではない。だが、彼女の義兄妹達―――愛紗と鈴々―――は、幼くして両親を亡くしている。愛紗は十歳かそこらまでは一緒に暮らしていたらしいが、鈴々の方は、殆ど顔も覚えていないと、何時か言っていた。

 

 主でもある北郷一刀は、訳も分からぬままに見も知らぬこの世界に放り出され、突如、全てを奪われたのである。その事を桃香が痛切に理解したのは、義勇軍として黄巾党討伐に当たっていた頃、不寝番だった一刀に、夜食を持って行った時だった。

 意中の人と、夜中に二人きり。緊張しない筈がない。沈黙が怖くて、桃香は他愛のない事をたくさん喋った。だが、結局、生まれ故郷から殆ど出た事の無かった桃香には、母や故郷の事くらいしか話の種などはなく、幼い頃、母に大目玉を食らった時の話をし終えた時、とうとう沈黙が訪れ―――その中で、彼がぽつりと呟いたのだ。

 

「お母さん、どうしてるかな……」

 と。この世界の何処にも存在しない故郷を想い、突然に行方が分からなくなった自分を案じて日々を暮らす家族を想い―――そうして、直ぐにそれらを振り払い、自分に決まりの悪そうな微笑みを見せた一刀の胸中は、如何ばかりであったろうか。

 

 よくよく考えてみれば、幼くして両親を失った義妹達だって、綺麗さっぱり割り切っている訳でもないだろうに。自分の命令で死んでいった敵味方の将兵達だって、誰かの家族なのだ。

 だから桃香は、故郷の話をしなくなった。時折、届く母からの手紙を読む事ですら、“手紙をくれる家族が居る”事に、嬉しさと背反する罪悪感を感じてしまう。

 

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「(明日こそは、帰れないと返事を書こう)」桃香は、この数日で何度目になるかも分からない台詞を心の中で呟き、すっかり乾いてしまった筆に墨を付け直そうと、硯に筆先を伸ばした。その時、誰かが扉を叩く音がして、桃香は驚き、少し身を震わせた。

「はぁい。どなたですか?」

 

 大丈夫。何時もの通りに、喋れている。自分の声の調子を確かめながら桃香が扉に顔を向けると、外から僅かな間を空けて、返事が返ってきた。

「あ〜。俺、一刀。桃香、話があるんだけど、少し良いか?」

「え、ご主人様!?ごめんなさい、今、開けますから!」

 

 桃香は、また、じくじくと痛み出した罪悪感を心に封じ込め、がっちりと施錠をすると、大急ぎで扉の前に走り寄った。

「寒いのにお待たせしてごめんね、ご主人様―――って、あれ?愛紗ちゃん、鈴々ちゃん?」

「桃香お姉ちゃん、遊びに来たのだ!」

「夜分に恐れ入ります、桃香様」

 

 一刀の後ろに並んで立っていた義妹達は、桃香の驚いた顔を見て挨拶をした。

「ううん、気にしないで!三人が揃って私のお部屋に来てくれるなんて、凄く嬉しいから!さ、どうぞどうぞ!」

 桃香が、申し訳なさそうな愛紗に笑顔を向けて三人を招き入れると、一刀は意外そうな顔をして頷いた。

 

「そう言えば、四人の内、誰かの私室に全員が揃うなんて、初めての事じゃないか?」

「ですね。大体、外で顔を合わせる事が多いですし」

「お仕事の場所も違うしなー」

 愛紗と鈴々が同意してそう言うと、桃香も改めて驚いた顔をする。

 

「だね〜。もう何年も一緒に居るのに……結構、新鮮かも」

「野営の時の天幕も、それぞれ違うしなぁ―――あ、仕事中だったのか?ごめんな」

 一刀が、机の上に広げられた竹簡と筆箱を見て桃香に顔を向けると、扉を閉めた桃香は、笑って首を振った。

 

「ううん、気にしないで。もうそろそろ、終わりにしようと思ってた所だから―――あ、みんな、お茶飲むよね?」

「鈴々、酒がいいのだ!」

「こら、鈴々!!」

 愛紗が、屈託なく酒を所望した鈴々の脳天に拳骨を落とすのを見た桃香は、クスクスと笑いながら、火鉢に乗せられていた((薬缶|やかん))を降ろし、急須と茶碗を取り出した。

 

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「あはは。ごめんね、鈴々ちゃん。私、あんまりお酒とか飲まないから、部屋には置いてないの。でも、今度からは、ちゃんと準備しておくね?」

「桃香様!その様なお気遣いは―――」

「いや、それも良いんじゃないか?愛紗」

 

「え?」

 痛がる鈴々の頭を撫でてやりながら一刀がそう言うと、愛紗が驚いて一刀を見る。

「((義兄妹|きょうだい))水入らずで杯を交わすなんて、もう随分とやってないだろ?偶には、そんな席を設けたいじゃないか」

 

「それは―――」

 満更でもなさそうに言い淀む愛紗に、手際良く茶を煎れ終わった桃香も、茶碗を差し出しながら微笑みを向ける。

「そうだよ、愛紗ちゃん。みんな、公の場では立場もあるけど、こう言う時は唯の義兄妹なんだから」

 

「それは、まぁ……ご主人様や桃香様がそう仰って下さるのでしたら、いずれ……」

「うん、そうしようよ♪で、今日はどうしたの?みんな揃って……」

 桃香がそう言いながら、自分も茶碗を持って椅子に座ると、一刀はおもむろに口を開いた。

「桃香。故郷から、手紙が来たんだろ?」

 

「え!?え!!?」

「ご、ご主人様!?」

「うわ〜。直球なのだぁ」

 一刀の言葉に、当の桃香ばかりか、愛紗と鈴々も驚いて、一刀の顔を見詰めている。だが、それで良いのだ。こう言う時は、相手に考える暇を与えてしまってはいけない。相手の心の準備が出来ていない内に奇襲でカマを掛け、思考を混乱させた方が、リアクションを引き出し易くなるからである。

 

「そうなんだな?」

「う、うん……皆、元気にしてるから、って―――」

「嘘だ」

「え!?そ、そんな事ないよ!何でそんな事―――」

 

「じゃあ、どうして、そんなに辛そうな顔してるんだ?」

「あ……」

 桃香は、自分が完璧に作り上げていた筈の笑顔が、一刀の奇襲によって跡形もなく吹き飛ばされている事に、初めて気がついた。不安と、罪悪感と、自己嫌悪に塗れた顔をした自分が、薄っすらと結露した窓に映し出されていたから。

 

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 不意に、爪が食い込むほど強く握り締められた桃香の拳に、大きな手が重なった。

「ご主人様……」

「意地の悪い事をした……すまない、桃香。でも、こうでもしなきゃ、お前の強さに邪魔をされて、俺達はお前の本心を聴けないと思ったんだ」

 

「いいの……でも、どうして……」

「昼間、焔耶が俺の所に来てね。凄く……心配してた。悩んでるお前を見てるのが、辛そうだった」

「そっか……焔耶ちゃんが……悪い事しちゃったな……」

「愛紗や鈴々に気取られない様にばかり、神経を使い過ぎたんだろ。焔耶も、お前の事を佳く見てるからな」

 

「うん」

「話してくれよ、桃香」

 一刀を見、真摯な眼差しを向けて来る二人の義妹と見て、もう逃げ場はないと悟った桃香は、大きく息を吐いた。

「先一昨日、屋敷に、隊商の統領さんが来てね。?郡から、手紙を預かって来た―――って」

 

 差出人が、幼い頃から世話になっていた人だったと言う事、母が倒れたと言う事、峠は越したが、一度くらい顔見せに帰って来られないかと頼まれた事―――そして、その頼みを断ろうと思っている事。

 一度、溢れ出した言葉は、自己嫌悪の濁流となって、全てを押し流す。簡単なのだ。自戒を破るなどと言うのは。

「で―――どうして断るつもりなんだ、お前は」

 

「だって…………」

「俺達が、嫌がるとでも思ったのか?」

「違う!……違うよ……でも……」

 桃香の口からは、続く言葉が出て来なかった。『自分にだけ肉親がいて申し訳ない』。そんな、傲慢で手前勝手な罪悪感を、どうして目の前に居る人々の前で口に出せようか?

 

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「桃香様……」

 今まで、直立不動で一刀と桃香の遣り取りを見守っていた愛紗が、桃香の傍に歩み寄り、その肩に手を置いた。

「確かに、ご主人様にも、私と鈴々にも、肉親は居りません。ですが……ご主人様は、ご自分の意思で、自分の生きる世界を定めたから―――」

 愛紗はそこで、一刀の瞳を見据えた。一刀の、小さくとも力強い頷きが、愛紗に再び言葉を紡がせる。

 

「私と鈴々は、自分にはどうしようもない理由で、失ってしまったからこそ―――」

 愛紗の言葉に呼応して、寝台に腰掛けていた鈴々が、愛紗の反対側に回り、二人の義姉の手を取った。

「“それ”が、いかに大切で、いかに掛け替えのないものであるのか、誰よりも知っているつもりです」

「愛紗ちゃん……」

 

「どうか桃香様。御母上に、お顔を見せに行って差し上げて下さい。例え乱世が終わろうとも、人の命が限りある物である事に、変わりはないのですから。このまま御母上に会わずにいれば、貴女は、きっと後悔をする」

「愛紗の言う通りだ、桃香」

 

 逡巡を見せた桃香の手を、一刀はもう一度、優しく握り締める。

「俺達は義兄妹だろ?なら、桃香のお袋さんは、俺達にとっても母親同然だ……俺達に、親孝行させると思って、行ってくれないか?」

「うっ……うっう……」

 

 嗚咽を堪える喉が、痛くて仕方がない。

「い、良いのかな?私……お母さんに会っても……良いの?」

「変なお姉ちゃんなのだ。自分のお母さんに会いに行くのに、誰かに許してもらう必要なんかないのだ」

 鈴々は屈託なくそう言うと、桃香の頭を、幼子をあやす様に優しく撫でつける。愛紗も、それを咎めはしなかった。

 

「よし、決まりだな!……いや、待てよ……」

「どうしました、ご主人様?急に考え込んだりして……」

 愛紗が、突然に腕組みをして唸り出した一刀を怪訝そうに見ながらそう尋ねると、一刀は、何かを閃いた様な顔をして、ぽんと手を打った。

 

「良い事、思いついた!」

「果てしなく嫌な予感しかしないのですが……一応、お聞きします」

「うん。折角の機会だし、義兄弟全員で、お義母さんに会いに行こう!」

「え!?ご主人様も、愛紗ちゃんも鈴々ちゃんも一緒に来るの!?」

 

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「そ!どうだ、良い考えだろ?」

 『どんなもんだ』と胸を張る一刀の横で、鈴々が嬉しそうに飛び上がる。

「サイコーなのだ!みんなで旅をするなんて、凄く久し振りなのだ!!ね、桃香お姉ちゃん!」

「う、うん。それはまぁ……私は、皆と一緒に旅が出来るのも、皆がお母さんに会ってくれるのも嬉しいけど……」

 

 鈴々に水を向けられた桃香が、ちらと愛紗の方を見ると、生真面目な義妹は、案の定、豊満な胸の下で腕を組み、渋い顔をしていた。

「しかし、ご主人様。実際問題として、我等四人が一度に長い間、留守にすると言うのは、難しいのではないですか?」

 

「俺の方は、何とかなると思う。少し、考えがあるんだ。それに桃香の方も、近々、成都から((聳弧|ショウコ))がこっちに来るって言うし、暫くの間なら、朱里と雛里の補佐を頼めるだろ?」

「確か、馬謖と王平を連れて来るんだって言ってたのだ。ね、お姉ちゃん」

「うん。馬謖君の謹慎が明けたから、一度、ご主人様に拝謁をお願いしたいって、朱里ちゃんが言ってたもんね」

 

「それは……最近、成長著しいと聞き及びますし、内政面は彼女ならば、まぁ……」

 聳弧とは、諸葛亮こと朱里の弟子の一人で、最近、正式に軍師となった((費?|ひい))の真名である。

「愛紗……鈴々、うんとお仕事頑張るのだ!愛紗のお手伝いも、一杯するのだ!だから……」

「うぅ……あぁ、もう!分かった!分かったから!そんな捨てられた子犬の様な眼で私を見るな、鈴々!!」

 

 愛紗は、鈴々の上目遣いの凝視に耐えられなくなってか、そう大声で言ってしまってから、深々と溜息を吐いた。

「ありがとう。無理を言ってすまないな、愛紗」

 一刀が、苦笑交じりにそう礼を言うと、愛紗は鼻を鳴らしてそっぽを向いて見せる。

 

「どの口が言うのですか。どうせ、私がこの様に答える事など、お見通しだったのでしょうに」

「はは。まぁ、そろそろ付き合いも長いからな」

 何だかんだと言いながら、愛紗が鈴々に甘いのは、先刻承知の事なのだ。

「しかし―――この分だと、皆に買ってくる埋め合わせの為の土産代が、高く付きそうですなぁ……」

 

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 愛紗が諦め気味にそんな愚痴を呟くと、一刀は、また苦笑して頭を掻いた。

「あは、あははは……そこは、ほら……俺達、常日頃から真面目に働いてるしさ……ちょ〜っとだけ、皆のタンス預金に凹みを作ってもらうのを許容して頂きたいな〜、なんて♪」

「やれやれ……一度頷いてしまった以上は、致し方ありますまい。まぁ、確かに我々は、“約一名を除いて”至極真面目に働いていますから、それ位はどうにでもなりますしね」

 

「に、にゃ〜!?愛紗、何でソコで鈴々を見るのだぁ〜!?」

 愛紗にカマボコの様な眼で見詰められた鈴々が、猫が威嚇でもするようにそう言い返すと、愛紗は呆れた様子で首を振った。

「まったく、自覚があるのならば、もう少し日頃の行いを改めて欲しいものだ……」

 

「ふふっ、あはははは!」

 三人の義兄妹達の遣り取りを見ていた桃香は、自分でも抑えられなくなって、とうとう声を上げて笑ってしまった。図星を突かれた鈴々が、頬を膨らませて、その様子を見咎める。

「お姉ちゃんまで、ヒドいのだ……」

 

「ううん、違うの。ごめんね、鈴々ちゃん。私……幸せだな、って。こんなに優しくて、こんなに強い人達が傍にいてくれて、凄く、凄く幸せだなって、そう思ったから……だから、笑っちゃった」

 桃香はそう言って居住まいを正すと、義兄妹に向かって頭を垂れ、両手を掲げて、包拳の礼を取った。

「ご主人様、愛紗ちゃん、鈴々ちゃん。こんな情けない私の義兄妹になってくれて、いつも助けてくれて、本当に本当に、どうもありがとう……」

 

「お、おい。よせよ、桃香。今さら改まって、水臭い……」

「そうです、桃香様!どうか、お顔を上げて下さい!」

「にゃはは。二人とも、お顔真っ赤っかなのだ〜」

 桃香の突然の行動に慌てふためく一刀と愛紗を他所に、鈴々は朗らかに笑ってそう言うと、勢い良く桃香の豊満な胸に抱きついた。

 

「きゃ!?鈴々ちゃん?」

「鈴々も、桃香お姉ちゃんがお姉ちゃんで嬉しいのだ!どうもありがとう、なのだ!」

「ふふっ。うん、ありがとね、鈴々ちゃん」

 先程とは逆に、今度は鈴々の頭を愛おしそうに撫でる桃香。そんな二人を見ながら、愛紗は嬉しそうに微笑んだ。

 

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「いやはや。あの二人には敵いませんね、ご主人様」

「あぁ、そうだな。まったく、見せつけてくれるよ。おぉ、アツいアツい」

「なんだ、お兄ちゃん、ヤキモチ焼いてるのか?じゃあ、仲間に入れて上げるのだ!」

 おどけて言った一刀の台詞を耳聡く聞き取った鈴々は、キラリと目を光らせると、勢いよく態勢を変えて、一刀の胸に飛び込んだ。

 

「おわっ!?こら、鈴々。危ないじゃないか……」

「にゃはは、油断する方が悪いのだ―――あれ?くんくん……」

「鈴々、いい加減に離れんか!」

 鈴々は、愛紗の叱責など意にも介さず、暫く一刀の服の匂いを嗅いでから、不思議そうに顔を上げた。

 

「お兄ちゃん、何で焔耶の匂いがするのだ?」

「「え?」」

 桃香と愛紗の、完全に((同調|シンクロ))した一言を最後に、桃香の部屋は、凍結したかの様な沈黙に包まれた。

 

「えぇと……それは……だな、鈴々……」

「ご主人様……」

「きちんとご説明願えるのでしょうね……?」

 一刀は、全身の汗腺が一気に開くのを感じながら、鈴々をぶら下げたままで、ジリジリとその場を後退した。桃香と愛紗の姿は、発せられる怒気の為か、数倍にも膨らんで見える。

 

「いや……違うんだ、二人とも……これには、海よりも深い訳があってだな……!!」

「ほぉ……主が悩む姿を見るに見かねて相談に来た臣下を手籠めにしなければならぬ程の深い理由、ですか……それは実に興味深いですなぁ、桃香様?」

「そうだねぇ……すごぉく気になるかも……私、海なんか見た事ないから、想像も付かないよぉ」

 

「あぁ……いや……だから……その……えぇい!」

 三十六計逃げるに如かず。最早これまでと悟った一刀は、電光石火で身を翻し、扉に向かって駆け出そうと床を踏み出す。が―――その先には、猛虎が舌舐め摺りをして立ちはだかっていた。

「ゲェ!?張飛!!」

 

 と、一刀が、何処からか銅鑼の音でも聴こえてきそうな台詞を口にするが早いか、扉の前に仁王立ちして待ち構えていた鈴々は、突っ込んで来た一刀腕を掴んで勢いのままに反転させ、背中からガッチリと羽交い絞めの態勢に移行した。

「うぉぉ!?やめろぉ、ジョッカー!ぶっとばすぞぉ!!?」

 

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「また、何を訳の分からない事を……良いぞ、鈴々。そのまま放すなよ」

 愛紗は、一刀の身を呈した渾身のギャグを華麗にスルーして、つかつかと一刀の元に歩み寄ると、彼女にしては珍しく意地の悪い笑みを浮かべながら、後ろの桃香を見遣った。

「さて、桃香様。この元気過ぎる種馬殿への“お仕置き”は、どの様に致しましょう?」

 

「そうだねぇ。やっぱり、種馬さんだし……そうだ!折角、初めて四人で揃ったんだから、皆で“苛めちゃう”って言うのはどうかな?」

「なッ、なんですと!!?」

 桃香の言葉を聞いた愛紗は、一刀の叫び声など存在しないかの様に、にこやかに頷いた。

 

「おぉ、それは良い考え。安易に暴力に頼らず相手に灸を据える……流石は桃香様です」

「説得力ない!そんな邪悪な笑みを浮かべながら言っても説得力ないぞ、愛紗!!てか、今日はもう三発もしたから限か……あ……」

「へぇ〜。そっかぁ、焔耶ちゃん、三回もしてもらったんだぁ……」

 

「あ、その……只今の不適切な発言に関しましては、謹んでお詫びと訂正を―――」

「させると、お思いですか、ご主人様?」

「あはは……ですよね〜……はは……」

「もう諦めるのだ、お兄ちゃん。心配しなくても、天井のシミを数えてる内に終わるのだ♪」

 

「またか!?その発言も朱里の仕業なのか鈴々!?いやそもそも、天蓋付きの寝台で、どうやって天井のシミなんか数えろってんだよ!!」

 一刀は、鈴々に羽交い絞めのまま引き摺られながら、冷静にツッコミを入れてみるものの、それで鈴々の怪力をどうこう出来るものでもない。瞬く間に寝台に投げ出され、三方を義妹達に囲まれて、今度こそ逃げ場を失ってしまった。

 

「焔耶ちゃんが三回なら、私達は四回ずつ位が良いかなぁ、愛紗ちゃん?」

「それが妥当でしょう、桃香様。程良い所でやめてしまっては、“お仕置き”になりませぬ故」

「にゃはは。じゃあ、鈴々イッチバーン!!」

「いや、ちょっと、皆さん落ち着きやがれ下さいコンチクショー!!?」

 

 『4×3は12である』と言う、極めて単純な数式が頭に浮かんだ瞬間、一刀はその数字のあまりの壮絶さに戦慄を覚えた。冗談抜きで、人生初、赤玉さん生誕祭の危機だ。

「ちょっとま―――鈴々、脱がすな!?いや、ホントにもう勘弁し……アーーーーーーーーッ!!?」

 ―――次の日の朝。自室の寝台で干乾びて発見された一刀は、発見者である董卓こと月に、「今度、逃げる時は、窓からにしようと思うんだ……」と言う謎の言葉を残し、完全に意識を失ったそうである……。

 

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「それじゃあ、これで今日の議題は出尽くしたかしらね?」

 曹操こと華琳が、手元に広げてあった竹簡を手早く巻いて元に戻しながらそう言うと、卓を囲んでいる各国の君主と軍師達を見回した。

「そうだな。呉からは、もう特に議題はない。冥琳、あなたの方では何かある?」

 

 孫権こと蓮華が、隣に座っていた周瑜こと冥琳にそう尋ねると、冥琳は優雅に首を振った。

「いえ、蓮華さま。これと言って御座いません。まぁ、強いて上げるとすれば―――」

 冥琳はそこで言葉を切ると、隣で幸せそうに寝息を立てていた孫策こと雪蓮の後頭部を、勢い良く引っ叩いた。

 

「あいたッ!?何するのよぅ、冥琳!折角、人が気持良く惰眠を貪ってたのにぃ〜!!」

「この莫迦者が、真面目に仕事をする様になるにはどうしたら佳いか、各国の識者諸侯に知恵を貸して頂きたい……と、言う事くらいですかな?」

「はわわ……無理です……」

 

「あわわ……不可能です……」

「末期よ。手遅れね!」

「ぐぅ〜〜〜」

「こら、風、寝るな!」

 

「―――だそうよ、冥琳。残念だけれど、その件に関しては、貴女と蓮華で独自に対応して頂戴」

 華琳が、卓に肘を突き、各国の軍師達の反応を見てから愉快そうにそう言うと、蓮華と冥琳は、揃って魂を吐き出す様な深い溜息を吐いた。

「まぁ、予想はしていたけれど、こうまではっきり言われると流石に気が重くなるな……」

 

「申し訳ありません、蓮華さま。私が甘やかしてしまったばかりに……」

「ちょ!?何よ何よ何なのよ!!皆して私を苛めて楽しいワケ!?」

 雪蓮が、切れ長の目尻を吊り上げて抗議の声を上げると、我関せずと茶を啜っていた一刀が、何処か達観した様子で答える。

 

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「雪蓮。この程度で苛められてるなんて思ってるのが、甘やかされてる何よりの証拠だぞ?居眠りしてたのが俺だったら、今頃どんな目に遭ってた事やら……」

「あら。お望みなら、忠実にその状況を再現して上げましょうか?」

「笑えないから止めてくれ、割とマジで。おぉ、ツルカメツルカメ……」

 

 一刀が、華琳の軽口に目玉をグルグル回して返事をすると、今まで黙っていた桃香が、「あの〜」と、妙におどおどした様子で手を挙げた。

「ん?何かあるの、桃香?」

 蓮華に水を向けられた桃香は、遠慮がちの頷いてから口を開いた。

 

「あの、えぇと。議題、って言う訳じゃないんですけど、華琳さんに、ちょっとお願いがあって……」

「私に?どんな事かしら。私の閨に来たいと言うのなら、何時でも歓迎するけれど?」

「ふぇ?い、いえ!!そう言うんじゃないんですけど!!」

華琳の何時もの如くの冗談にも、桃香は慌てて首を振る。こういう初心な反応こそ、華琳が見たいものなのだと気付かない辺りが、華琳が桃香を((揄|からか))いたくなる要因なのだが。

 

「あら、何もそんなに激しく否定する事ないじゃない。流石の私でも傷付くわよ?」

「あぅぅ……ごめんなさい、華琳さん。そんなつもりじゃ……」

「まぁ、いいわ。で、一体この私に、何を頼みたいと?」

 華琳は、桃香のしょんぼりとした様子に加虐心を満足させたのか、微笑みを浮かべて、桃香に話に続きを促した。

 

「はい。あの、出来るだけ早く、魏の国内を通過する許可を頂きたくて……」

「ふむ。それは別に構わないけれど、蜀の君主である貴女が、直接、私に話を通した方が都合の良い人物が通るの?」

「はい。あの、私が……」

 

「あぁ、そう。貴女が―――って、はぁ?」

「ご、ごめんなさい!やっぱり、急すぎますか?」

「まぁ、他国の君主が入国するとなれば、こちらとしても、それなりの準備が必要だもの……あぁ、そう言えば、貴女は?郡の生まれだったわね。里帰りでもする事にしたの?」

 

 華琳が、桃香の言葉の理由に思い当ってそう尋ねると、桃香は、申し訳なさそうに頷く。

「はい。あの、母が病気だそうで……もう、快方に向かってはいるらしいんですけど、一度、お見舞いに行きたいと思って……」

「そう……貴女の((御御堂|おみどう))様が……そう言う事なら、仕方がないわね」

 

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「え?良いんですか!?」

「何よ。その言い草では、私が突っぱねるとでも思っていた様ね?」

「いえ!そんな事ないですけど……」

 華琳は、桃香に向かって片眉を吊り上げて見せてから、呆れた様に溜息を吐いた。

 

「まったく。私だって、鬼ではないわよ。ただし、出して上げられるのは通行証までよ。それ以上の各地での歓待や優遇については、あまり期待しないで頂戴ね?」

「はい!もちろんです!ありがとう、華琳さん!!」

「はいはい……それで、護衛の方はどうなっているの?いくら急とは言え、その辺りの事はしっかりしてもらわないと。何かあったら、外交問題どころの話ではないのだし」

 

「ほーい。俺で〜す。……何だよ、皆してその目は」

 ひらひらと手を挙げて自分が護衛役であると意思表示した一刀に、魏と呉の一同から、一斉に冷ややかな視線が注がれた。

「北郷。お前な、重要人物が重要人物の護衛などしては、本末転倒だろう……」

 

 冥琳が、呆れた様子でそう言うと、蓮華が、何故か必要以上の勢いで激しく頷く。

「そうよ!第一、ふ、二人っきりで長旅だなんてうらやま……じゃない、破廉恥だわ!断固反対よ!!」

「凄まじくあからさまに本音が出たわね、蓮華……」

「姉様は黙っていて下さい!!」

 

「へいへーい。もぅ、蓮華ってばすぐ怒るんだから。段々、怒鳴り声が母様そっくりになって来たわよ〜?」

 雪蓮は、そこいらの兵卒ならば卒倒しそうな蓮華の怒気をさらりと受け流すと、冷めた茶を一息に飲み干し、豪快に手の甲で唇と拭った。

「それにしたって、一刀は一言も、自分一人でなんて言ってないじゃない。そもそも、もしそうだとしたら、後ろの二人が黙ってないと思うんだけど?」

 

 雪蓮に悪戯っぽい眼差しを受けた“後ろの二人”―――臥龍鳳雛と謳われる蜀の二大軍師は、それぞれに愛らしく頷いて見せた。

「はい、雪蓮さんの仰る通りです。今回は、ご主人様の他に愛紗さんと鈴々ちゃんが護衛に付いてくれるそうなので……」

 

 朱里の言葉を聞いた程cこと風が、興味深そうな表情で口を開いた。

「ほーほー。それはまた、豪華な面子ですね〜。蜀漢建国の礎、桃園の四兄妹が勢ぞろいでご旅行とは〜」

「おや風、起きたのですか?」

 郭嘉こと稟が、大して興味もなさそうにそう尋ねると、風は、不機嫌そうに眉をしかめる。

 

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「はい〜。誰も起こしてくれそうになかったので〜。このまま面白そうなお話に参加出来ないよりは良いかな〜と。兎も角、それならば問題はないんじゃないですか〜?ぶっちゃけ、あの二人を同時に敵に回して勝てるのなんて、個人では恋ちゃん位ですし〜。ねー、桂花ちゃん」

「そりゃまぁ、兵力的に考えても、百や二百の数なら余裕で蹴散らせるでしょうけど……」

 

「逆に、下手に兵力を持って行くよりも、小回りが利く分、安全かも知れませんね」

 稟と荀ケこと桂花が風の意見に同意したのを確認した華琳は、渋々と言った様子で頷いた。

「まぁ、仕方がないわね。多少不安はあるけれど、どの道、一刀と桃香が共謀したのなら、誰が言っても聞かないでしょうし……魏は、賛成と言う事にさせて頂くわ。呉はどうかしら?」

 

「まぁ、既にそこまでの準備をしていると言うのなら、仕方があるまい」

 相変わらず、呆れた様子で眼鏡を押し上げる冥琳の言葉に、雪蓮も頷いた。

「そうそう、“家族”の事だもの。やっぱり、全員で行かなきゃね♪でしょ、蓮華?」

「家族……そう、ですね。そうかも知れません。では、呉も賛成しよう」

 

「だ、そうよ。良かったわね、桃香」

 華琳が、悠然と微笑んでそう言うと、桃香は、嬉しそうに勢い良く頭を下げた。

「はい!皆さん、ありがとうございます!」

「まぁ、それは兎も角、実際問題、四人全員が抜けて、((政|まつりごと))の方は大丈夫なのか?」

 

 蓮華の、今度は純粋な心配からの質問に、雛里が答える。

「それは大丈夫です。皆さん、私と朱里ちゃんにお話しを持って来た時には、既に殆ど、引き継ぎ関係の根回しは終わらせてしまっていたので……後は、急ぎの案件を頑張って処理して頂ければ、問題はないかと」

「でも、一刀の方はどうなの?年末だし、警備隊は見回り強化やら何やらで大わらわなのではなくて?」

 

 華琳が一刀に顔を向けてそう尋ねると、一刀は微笑んで頷いた。

「華琳の言う通り、流石に、この時期に俺の役職が空白になっちまうのは宜しくないよ。だから、助っ人を呼んどいた」

「助っ人?」

 

「そ。お〜い、入って来ていいぞ!」

 一刀が、怪訝そうな表情の華琳に片目を瞑って見せてから、玉座の間の大扉に向かってそう声を掛けると、一つの人影が、規則正しい足音を響かせて、部屋の中に入って来た。

「貴女は―――」

 華琳は、その人物の顔を確認して、意外そうに眼を見開いた。

 

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「皆、紹介しよう。今回、俺の留守中に警備隊を率いてくれる事になった、華雄将軍だ」

 一刀にそう紹介された銀髪の女性は、一度頭を下げてから、厳かに口を開いた。

「只今ご紹介を賜った、華雄だ。宜しく御頼み申す」

「成程……大した隠し玉だわ。漢王朝で驍騎校尉にまで登った将なら、確かに、階級的にも能力的にも、貴方の代理としては申し分がないものね」

 

 華琳がしてやられたとでも言いたげに一刀にそう言うと、一刀は少し得意そうに鼻を鳴らした。

「だろ?しかも、最近では巴郡の警備隊の指揮官もやってもらってたから、警備隊の仕事にも詳しいし、ぴったりだと思ったんだ」

「年度末の定期報告に都に来てみたら、突然にこの様な大役を仰せつかり、誠に恐悦ではあるが、他でもない一刀の頼みとあらば断る訳にもいかん。恩義に報いる為にも、粉骨砕身の覚悟で御役目に当たらせてもらう所存だ」

 

 華琳は、一刀の言葉を受けて所信表明をした華雄をじっくりと眺め、興味深そうに微笑んだ。

「結構な事ね。私、貴女の様な将は嫌いではないわ。その言葉通りの活躍を期待します―――ところで、一刀?」

「ん?」

 

「華雄は貴方を下の名で呼んでいる様だし、“他でもない”なんて言われる位、随分と親しくお付き合いしているみたいね?」

「へ?あ、いや……それは……」

「さっすが一刀♪よっ、憎いね、この種馬!!」

 

「頼むよ、雪蓮。面白がって引っ掻き回さないでくれ……」

「そうです、姉様。不謹慎ですよ!―――で、本当の所はどうなの、一刀!!?」

「あぁ……いや、だから……」

「えぇい、一刀!そこでお前が言い淀むから、諸侯に要らぬ誤解を与えるのだろうが!!」

 

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 周囲の疑惑の視線に耐えられなくなったらしい華雄が、顔を真っ赤にしてそう怒鳴ると、一刀は両の人差し指を捏ね合わせて、乾いた笑いを浮かべた。

「だって……皆、怖いんだもん……」

「“だもん”ではない!まったく……良い機会だからはっきりと明言しておくが、私と一刀はそんな関係では断じてない!!元の主共々、拾ってもらった大恩があったればこそと思い―――」

 

「はいはい、分かったわよ」

 華雄の大声に片手で耳を押さえていた華琳は、もう片方の手で華雄を制して、溜息を吐いた。

「まったく、鼓膜が破れるかと思ったわ……見なさい、朱里と雛里なんて、卒倒しかけているじゃないの」

「むぅ……それは相済まん……」

 

「まぁ、良いわ。それより、一刀も貴女を信頼している様だし、これから一刀の代理を務めるともなれば、顔を合わせる事も多くなるでしょうから、この機会に互いの真名を預けてはどうかと思うのだけれど、皆、どうかしら?」

 

「さんせー♪私は孫策、真名は雪蓮よ。宜しくね?」

「あぁ……いや、その、宜しく頼む……」

 間髪を入れずに華琳に答えた雪蓮が、真っ先に自己紹介をすると、蓮華と冥琳もそれに続いた。魏の将達からも、次々に真名が預けられ、最後になった華琳が、華雄に向き直る。

 

「我が名は曹操、字は孟徳、真名は華琳よ。今後も宜しくね、華雄」

「お、応……」

「……」

「……」

 

「……華雄?」

「あ、あぁ……いや、分かっている!その……」

 華雄の沈黙を不審に思った華琳が話し掛けると、華雄は頬を赤らめて一刀の顔を見た。一刀が、“全ての事情を知っている”桃香、朱里、雛里の三人に視線を走らせると、三人は、ハラハラとした様子で、事態を見守る事しか出来ない様であった。

 

「あー、まぁ、その……なんだ。“諦めろ”、華雄」

「むぅ……」

 華雄は深い溜息を吐くと、赤かった頬を更に赤らめ、眼に僅かに涙まで溜めて、漸く口を開けた。

「わ……私は、性は華、名は雄……ま、真名は……ん、だ」

 

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「えぇと……失礼。上手く聞き取れなかったのだけれど、もう一度言ってもらえないかしら?」

「……れ……ん……だ」

「悪いのだけれど、もう少し大きな声でお願いするわ」

「だ、だから……私の真名はカ・レ・ンだ!!可能性の“可”に憐れむの“憐”で((可憐|カレン))!!」

 

 あっけに取られる諸侯と、華雄の様子が居たたまれず、揃って俯いてしまう蜀勢。その、何とも気まずい、いや、気まず過ぎる沈黙を破ったのは、やはり“あの人”であった。

「ぷッ―――アハハハハ!!も、もうダメ!腹筋壊れる……!!アハハハハ!!」

「しぇ、雪蓮!!お前、幾ら何でも失礼だろう!!」

 

「そうです、姉様!人様の真名を笑うなんて……!!」

 冥琳と蓮華が、凄まじい努力で以て険しい表情を作り、必死に窘めるも、決壊してしまった笑いは最早止めようが無いらしく、雪蓮は両手で腹を押さえ、卓に突っ伏してしまった。

「す、済まない。か……可憐殿。その、我が主は、((些|いささ))か場の空気を読むのが苦手と言うか、傍若無人な所があると言うか……決して、貴公を侮辱している訳では―――」

 

 叩き斬られても文句は言えない程の無礼を働いた主を庇おうと、必死に弁明をする冥琳に、華雄は少し俯きながら、((緩々|ゆるゆる))と首を振って答えた。

「いや……気にしていない。私の真名を聞いてそう言う反応をしなかったのは、今までの人生で五人だけだからな。似合わんのは、自分が一番、良く分かっている。故に、真名を預ける事はあっても、出来るだけ姓名で呼ぶ様に頼んでいるのだ」

 

「成程ね。そう言えば、霞も、月や詠、恋の事は真名で呼んでいたのに、貴女の事は姓名で呼んでいたわ」

 雪蓮の仕出かした事を見て逆に冷静になった華琳がそう言うと、華雄は小さく頷いた。

「そうだ。私がそう頼んだからな。私も、私だけがあいつらの真名を呼ぶのは公平ではないと思って、姓名で呼んでいた」

 

「……俺は、似合うと思うんだけどなぁ……」

 一刀がポツリとそう呟くのと同時に、雪蓮が涙を拭きながら、漸く顔を上げた。

「あぁ、おっかしい!何か、凄まじく親近感がわいちゃうわ♪」

「は?」

 

 華雄が、言葉の意味が分からず、ポカンとした顔で雪蓮を見遣ると、雪蓮は、まだ片手で自分の腹筋を押さえながら、よろよろと椅子から立ち上がる。

「だって、私の真名なんて、雪蓮よ、“しぇれん”。乳離れもしてない内から戦場を引っ張り回しといて、付けた真名は雪の蓮って書いて“雪蓮”。もう、何考えてんだって話じゃない?どうしたって、名前に似合う様な育ち方なんて、する訳ないのにさ。ま、そんな訳で、お互い親には苦労させられたみたいね、“可憐”?似合わない真名を付けられちゃった者同士、仲良くしましょ♪」

 

 雪蓮は、歩み寄って華雄の肩に手を置き、もう片方の手を差し出した―――。

 

-27ページ-

 

                            あとがき

 

 はい、今回のお話、如何でしたか?

 また、随分と長くなってしまいました。肉付けをし出すと、結構増えてしまうんですよねぇ……。と、言うか、日常パートは、この位の文章量が自分には合ってるのかなぁ……。

ともあれ、今回のサブタイ元ネタは、

 

 家族になろうよ/福山雅治

 

でした。テーマ的にもぴったりだったので、迷わずチョイス!

今回は一刀君が色々と大変でしたが、まぁ、彼なら大丈夫でしょうw

桃園の三姉妹は、何故か揃ってのムフフイベントが無かったなぁと思い、今回の様な事になったんですけど、どうでしたかね?

 

 華雄姐さんの真名は、長い事温めていたネタでした。一見不似合いな様ですが、可憐と言う言葉を辞書で引いてみると―――『《「憐(あわれ)むべき」の意から》姿・形がかわいらしく、守ってやりたくなるような気持ちを起こさせること。また、そのさま』―――だそうで、意外と的外れではないのではないかと……何故か放っておけない様な気にもなりますしね、あの方を見てるとw

 

 さて、次回はいよいよ、四凶最後の一角、渾沌さんが登場予定です。新フォームもお披露目のつもりなので、お楽しみに!

 何時も通り、コメント、支援ボタンクリックなど、励みになりますので、お気軽に宜しくお願いします。

 

 では、また次回、お会いしましょう!!

 

 

 

 

 

説明
どうも皆さま、YTAでございます。
十一月中(三十日未明ですけど……)には書きあげたんですが、結局、投稿は十二月になってしまいました。
今回も結構長くなってしまいましたが、最後までお付き合い頂けると嬉しいです。

では、どうぞ!!
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コメント
アーバックスさん>コメントありがとうございます。まぁ、種馬さんですから…。まぁ、あの三人に寄ってたかって絞り取られるよりは、某武将さんの方がナンボかマシかも…気まぐれで助けてくれるかも知れませんし…多分w(YTA)
yosiさん>コメントありがとうございます。デレた焔耶のポテンシャルは、スカウターを壊す位の破壊力があるに違いありません!!www(YTA)
殴って退場さん>コメントありがとうございます。本当に意外と、三人一緒のムフフイベントは一回も無いんですよね…。もしや、萌え将伝の幻の企画とかにあったのでは…とか、妄想していますw(YTA)
劉邦さん>こめんとありがとうございます。もうね、親に隠れて一生懸命観てましたw(YTA)
西湘カモメさん>コメントありがとうございます。結盟したんだから一刀も義兄弟の筈なのに、あまりそこら辺は本編でフィチャーされてなかったので。鈴々は…まだ間に合うと信じたいですw(YTA)
次の機会がないように気を付け…れる訳ないか…。種馬だし…。しかし、窓から逃げるのは止めた方がいいと思うぞ、一刀…。確か良く窓から入ってくる某武将がいたはずだ・・・。(アーバックス)
デレ焔耶が可愛いな(yosi)
さてどんな珍道中になるやらwww。そして三姉妹同時というのが意外と少ないので新鮮に感じてしまう。(殴って退場)
「仮面ノリダー」ネタ懐かしいwwwwwww!?(劉邦柾棟)
やはり唯の旅行じゃ終わらないよね。確かに蜀メンバーで肉親に死に別れた人が多いから、自分だけ親が生きているのは罪悪感や遠慮が出てしまうよね。それを説得させられるのだから男女の仲であるとは言え、正しく義兄妹ですな。にしても、鈴々が朱里に要らんことを吹き込まれて染まっていくのが心配だ。あの頃の純真な彼女はもう居ないのか・・・。(西湘カモメ)
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