静かの海で
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 私の目の前には海が広がっている。その海は波が立たず、ただそこにあるだけだ。灰色の砂と石と岩で出来た海。

 名前は『静かの海』。そう、ここは月だ。月の海は昔の学者か誰かが「月の暗い部分には水があるはずだ」と思い込んだからそう名付けられたらしい。だけど実際にはこの様に一面灰色で水気なんかどこにもない。

「静か、って言っても、そもそも宇宙だと音が伝わらないしね。聞こえてくる音は自分の声と呼吸音だけ」

 私はその静かの海を宇宙服のヘルメット越しに見ながら独り言のようにつぶやいた。

「地球の海とはまた趣が異なっていいだろ」

 私の横にいる彼が微笑みながらこちらを見つめてきた。

 月面旅行も珍しくなくなった今、この静かの海は月面の観光地として一般の人でも容易に見られるようになった。ただ、多くの人は月面に建てられたリゾートパークで過ごし、こうして月面に出て月の海を眺める人はごくわずかだ。あまりにも殺風景すぎるのが駄目らしい。

「こうやって見上げる地球もすごく綺麗なのに、それよりも月にまで来て遊ぶ事が第一になってるのはもったいないと思わない?」

「花より団子って昔から言うでしょう? もう二十一世紀も終わるのにそういった所は進歩してないのよ、人間は」

「本当にもったいないなあ」

 彼は残念そうに言って地球を見上げた。私もつられて青く輝く惑星を見据える。地球からは絶対に見る事が出来ない絶景だ。

 そのまましばらく、私達は何も言わずにずっと地球を見つめていた。彼が何を考えているか、容易に予想が付く。

「……また、ここに来よう」

「……うん」

 彼がゆっくりと口を開いて口にした約束に、私は一言だけ返した。

 その約束が果たされるのが、二十年先だという事がわかっていたから。

「次に会う時は、君が五十歳、僕が三十五歳の時だ」

「今は同い年なのに、次に会う時は私が一回りも年上になっちゃうんだ」

「そういう航行だからね」

 彼はもうすぐ、亜光速で飛行する宇宙船で太陽系を遙かに超えた先まで有人探査に向かう。ナントカ効果とかいうものの関係で、彼の時間は普通の人よりゆっくり流れるようになり、歳を取るのも遅くなる。

「やだなあ、あなたよりも早く歳を取っちゃうの」

「ごめんね」

「謝る事じゃないから」

 私は困った顔をした彼に向かって笑顔を見せた。半ば気持ちは嘘だけど、だからといって謝られてもどうにもならない事だ。

「それじゃあ、行こうか」

「うん」

 私達は手をつなぎ、ゆっくりと後ろにある建物の方に振り向いて歩き出した。

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即興小説で作成しました。お題「彼が愛した海」制限時間「30分」
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