真・恋姫†無双〜愛雛恋華伝〜 48:【動乱之階】 己が内に棲むモノ |
◆真・恋姫†無双〜愛雛恋華伝〜
48:【動乱之階】 己が内に棲むモノ
例えどんな願いであっても、望むものへの道が示されると聞いたなら。
人は、どのような望みを思い浮かべるだろうか。
諸葛亮は、「"劉備の下で"平穏に民が笑って暮らせるような御世」を望んだ。
覚悟を決め、気持ちを落ち着かせた後。彼女は改めて、太平要術の書を開く。
浮かび上がる、彼女の望むものへの道標となるだろう文字。
諸葛亮はそれらを木簡に書き写しながら、内容を吟味し、頭の中でその効果を反芻する。
確かに効果的であろう内容ではあった。
しかし、それらは今の漢王朝の下では実行し難いものも少なくない。
なにしろ、民を治めるため漢に牙を剥け、としか取れない内容さえ記されていたのだから。
今ならばそれも有用だろうことは、諸葛亮にも理解できる。だが実行しようとは思わない。
王朝の体勢が弱体化し、近衛軍一派の改革によって不安定になっているといっても、望んで中央に歯向かうつもりは彼女にはなかった。
黄巾賊のような轍は踏まない。
示されたのは方法だけ。結果まで保証してくれているわけではない。
すなわち、どのような結果をもたらすかは未知数。
同時に、どのような結果にもなり得るということに他ならない。
そのことを胸の内に留めた上で、諸葛亮は書に写し出された言葉を拾い上げ、時に捨てていく。
漢王朝を敬いながら、他と軋轢を生むことなく、劉備の影響力が広く強く及ぶ手段を練り上げようとする。
諸葛亮は知と思考を総動員させ。
太平要術の書に操られることのないよう気を張り巡らせながら。
浮かんでは消えていく文字たちと向かい合う。
劉備は、「"少しでも多くの人たちが"笑って過ごせるようになること」を望んだ。
手を差し伸べると、その人が笑ってくれる。それが嬉しかった。
すべてを救いたかった。目の前の人、そしてその先にいる人たちもすべて、笑顔になって欲しかったから。
だから、手を伸ばした。伸ばし続けようとした。
けれど、すべてを救う事はできない。彼女はそれを黄巾賊制圧の際に痛いほど思い知った。
それでも、諦め切れない想いはある。手の届かない先にいる人たちにも笑っていて欲しかった。
劉備は思う。そう考えることは罪なのだろうか、と。
救えるのならば、少しでも多くの人を救いたい。
涙に暮れることなく、笑顔で日々を過ごせるような世の中にしたい。
そのために自分が出来ることは何だろう。
この平原で、何をすればいいんだろう、と。
北の幽州は、友である公孫?の善政名高く。
西の冀州は、名門として知られる袁家、袁紹の治世から程よく収まっている。
南の楊州は、時折蜂起が見られたものの悪い話を聞くことは少ない。
周囲は、彼女自身の治める地よりも問題なく治まっている。
劉備の目には、自身の治める地が、他よりも見劣りするように見えた。
だがこれは無理のないことではある。
先に挙げた3つの州はそれなり以上の時間と辛苦を経て今の姿になっている。
好評悪評問わず、その在り様というものは一朝一夕に出来上がるものではない。
劉備は平原を治める地位に就いてまだ日が浅い。治世のほどがよろしくないと断じてしまうのは、比べる方が酷と言うものだろう。
それでも、劉備は求めてしまう。周囲よりも平和に治まった、笑顔のあふれる民と地というものを。
今はまだ、至らないところだらけの新米領主でしかない。
だからといって、理想を求めてはいけないということはないはずだ。
周りに負けないような、素晴らしい地にしてみせよう。
他の州の民が羨み、思わず移り住んでしまいたくなるような、住みよい場所を、自分が作る。
まずは、青州に笑顔を。
叶うならば、それを少しでも遠くまで。
"少しでも多くの人たちが、笑って毎日を過ごせるような世の中にしたい"
そう願って。
彼女は、太平要術の書を手に取った。
これまで劉備は、臨む理想の大きさに反して余りにも非力だった。
どうすればいいのかさえ分からず、哀しみに暮れることも少なくなかった。
だが今の彼女は、理想に向けて進む具体的な手段を手に入れた。
それを心の支えにして、自ら精進を重ね、汗をかき、頭を捻りながら実行に移す。
自分の言動が徐々に反映されていき、平原の評判がよくなっていくことに、劉備はかつてないほどの充実感を感じている。
太平要術の書は、確かに彼女の望む術を示した。
だが、しかし。
義勇軍として動き出したばかりの彼女ならば、"すべての人々が"と、望んでいたかもしれない。
だが黄巾賊との戦いを経て、良くも悪くも、彼女は少なからず現実の姿を見た。
ゆえに、劉備の望みは"少しでも多くの人々が"と形を変えた。変わってしまった。
彼女はまだ気付いていない。
現実によって曇りを見せたその理想では、どう足掻いても、すべては救えないということに。
冀州を治める袁家の下へ、治世について学ぶために通っている劉備。このところの彼女はすこぶる機嫌がよかった。
それは付き添いと護衛として同行している鳳統と関羽も同様で。引き締めてはいるものの、雰囲気は明るいものを醸し出している。
「何かいいことでもありましたの?」
袁家の長・袁紹の目には、久しぶりに顔を合わせた新米領主一行の姿がそう映っていた。
常日頃から笑顔の絶えない彼女が、傍から見て機嫌がいいと分かるぐらいに浮かれている。理由は察することが出来ずとも、何かいいことがあったのだろう、と、傍目に思わせるほどに。
聞けば、劉備の治める平原の雰囲気や生活の程度が上向いて来ているのが感じられているとのこと。自分の手掛けてきたあれこれが、身を以って感じられるほどになって嬉しい、というのが理由のようだった。
それを聞いた袁紹も、なるほど、それならば領主として浮かれるのも無理はないだろうと察する。
元よりそれを学び平原の統治に役立てたいという想いが、劉備をわざわざここまで脚を運ばせているのである。
それが現実に実になっていると領主自身が感じており、風聞として伝え聞く青州の評判も悪くはない。
同時に、袁紹からしてみれば平原が活性化する理由のひとつとして、冀州の内政の一端に触れているからだとも考えていた。
「もちろん、このわたくしを、この袁家を模範としているのですから。よく治まっていくことは当然ですわね」
袁家の治世の術が反映されているのだからそれも当然だろう、という考えに至って、袁紹の気分もよくなっていく。思わず高笑いをしてしまうほどに。
冀州を治める州牧・袁紹が詰める政庁。その一角である政務室のひとつ。
そんなところに彼女が足を運んだのは、ほんの気まぐれだった。二枚看板と称される側近・顔良と文醜を引き連れることなく現れたことからもそれは察せられる。
劉備に対応している内政官たちがどんなことを教えているのか。
袁紹が、畏まり礼を取る内政官たちの広げていた内容を覗き込んだのも、本当に気まぐれでしかなかった。
袁家の血がそうさせるのだろうか、袁術ほどではないにせよ、冀州の内政は基本的に"それ"をこなせる人間に割り振り任せてしまうことで進められている。それらをやや飛び抜けている者、つまり顔良や文醜といった将の地位に立つ面々が指揮をし取りまとめ、最終的に全体の把握と大きな判断を袁紹が行っているのだ。言い方は悪いが、末端の者が実際にどんなことをしているのかまで彼女が把握しているわけではない。
だからこそ彼女は、まさか冀州を運営する金銭の流れや規模についてまで、他の州の人間である劉備に明かしているとは思いもしなかった。
穏やかだった袁紹の雰囲気が、がらりと剣呑なものに変わる。
さすがにこれはよろしくないと、その内政官たちをすぐさま叱り付け。顔良ら内政に関わる将を呼び出すよう命じる。
正に豹変といっていい変わりようだった。
「待って袁紹さん、違うの!あっ、違わなくないんだけどそれだけじゃないっていうか」
更に叱り付けようとする彼女を前にして。
劉備は、これまで教えを受けていた内政官たちを庇い立てた。
州牧と、他州のいち地方の相。比べるまでもなく、すべてにおいて後者の方が劣っている。
ましてや前者は何代にもわたり漢に仕えて来た名家である。ぽっと出の義勇軍から成り上がった領主では、名実共に敵うところなどあるはずもない。こうして治世を学ぶという名目で訪れ言葉を交わせること事態が、袁紹の余裕と寛大さによって許されているに過ぎないのだ。
完全ではないにしろ、劉備もそれは理解している。
関羽と鳳統は言わずもがな。いち領主の家臣でしかないふたりが、袁紹を前に顔を下げずに同席出来るのは異例であり温情であることを十分に理解している。
そして、他州の政策や運営、人事の扱い様に口を挟むことなどできないことも、ふたりは理解していた。
だがひとり、劉備は、その理解が深いところまで及んでいなかった。
彼女らしく、"情"が先走ったがゆえに。
「劉備さん。確かに、貴女方が治世を学ぼうとするその姿勢を善き物として招き入れましたわ。
ですが、これは明らかにその範疇を超えています。
治世の術を教えることと、その内情を漏らすことは等しいことではありませんのよ?」
袁紹は激昂する一方でいぶかしむ。
主の怒りを前にして身を縮めている数人の内政官。彼らは長く袁家に仕えている一派だった。
仮にも内政と資産の運用に携わっている者たちだ。余所の者に伝えていいものと悪いもの、その判断や加減の分からない者ではないはずなのだが、と。袁紹は疑問に思う。
とはいえ、目の前に広げられている物はそうそう晒していいようなものではなく。
そして、それらが他の州の領主の目に入ってしまったことは変え難い事実。
彼女は袁家を背負う者として、起きてしまった事実に対して何らかの処断をしなければならない。一端とはいえ、これは一族の懐具合を晒されたに等しく、うやむやにして流してしまっていいことではないのだから。
「とはいうものの、貴女方がそこまで深い内容を求めたとはさすがに思えませんわ。
だとすれば、こちらの困った方々が自分から見せてきたのでしょう」
内政官たちを睨みつけていた視線が、劉備、関羽、そして鳳統へと移される。
「……鳳統さん。少なくとも貴女は、治世に携わる者として余所に漏らしていいものかどうか、という判断はできたはずです。
どういった経緯からこういうことになったのか、話していただきますわ」
分かっていて情報の露見を享受していたのならば、それはそれで許し難い、と。
静かに告げられた言葉は、有無を言わせぬ重さに満ちていた。
普段から大きい袁紹の態度、言動。名家という名の蓄積に裏打ちされたそのひとつひとつが、今、対する者を威圧するにまで達していた。劉備と鳳統が身をすくめ、武将である関羽でさえも身じろぎしてしまいそうなほどに。
実際に袁紹は、次第によってはこの場で劉備たちを拘束しなければいけないと考えていた。
だが彼女の耳に、劉備が小さく、本当に小さく呟いた言葉が飛び込んで来る。
「まさか書の影響がこんなところまで出て来るとは思わなかったし……」
……書、とはなんのことだ?
思うや否や、袁紹の頭の中でいくつかの知識が繋がる。
先だって洛陽から伝えられた、曹操に遣わされた夏侯淵たちが述べていたもの。
それは確か。
「……太平要術の、書?」
袁紹の漏らした声に、鳳統と関羽が身を震わせる。
劉備は、知っているのか、といった驚きの表情を見せた。
「本当にあるのですか?
いえ、なぜ、貴女が知っているのです」
袁紹とて、信じていなかったわけではない。非公式とはいえ、仮にも洛陽から直接知らされた情報だ。その書は確かに存在し、効果の程は定かではないものの不穏を生み出すものとして認知されているのだろう。
それが仕える漢という王朝から来た情報であり、信用に足る友人の言葉であるなら疑う余地はない。
もちろん、彼女は自分なりの解釈と納得を経て受け入れている。
その上でもやはり、太平要術の書は存在するだけで危険であると判断したがゆえに。気に留めており、こうして記憶が思い浮かんで来た。
まさか在り処をたどる糸口がこんな間近にあるとは想像だにしていなかったけれども。
いや、だからこそなお腹立たしい気持ちに駆られると言った方が適当かもしれない。
「貴女は、それがどれだけ危険なモノなのか理解しているのですか!」
「で、でも袁紹さん」
袁紹が吼える。
それに身をすくめ、手を上げながら、発言許可を求めるかのように恐る恐る、劉備は声を掛けた。
「袁紹さんは、曹操さんたちから話を聞いただけなんですよね?」
「……そうですわ。
ですが、それは洛陽の中核にある近衛の者の言葉です。
現状では、それは漢王朝に最も近い者が下した判断になるのですから、漢の臣下としてそれを疑う余地などありませんわ。
それに、あの華琳さんが、これだけの大事に対して軽率な判断をするとは思えませんし」
これでも、あのおチビさんを相応に信用していますの。
そう言いながら、わずかに柔らかい笑みを浮かべる。
だがすぐに、自分が何を口にしたのか気付き、再び眉間にシワを寄せてみせる。
「ともかく。その書の存在が知れた以上、放って置くことはできませんわ。
私個人としても、また黄巾たちのような華麗でない輩が現れることは避けたいですし」
劉備は逆に、袁紹のその物言いに眉を顰めた。
確かに黄巾の人たちがしたこと事態は許せることじゃない。そうせざるを得ないほどに追い詰められた民が、指標のないまま動き出したがために太平要術の書に煽られてしまったのだと。
民を導く指標として働くべきはその地の領主であり、その者に民を見る目と目標、そして理性があれば、書は必ずしも害をなす存在ではない、と、劉備は主張する。
事実彼女は、諸葛亮ら仲間の手を借りながらも、平原の統治と治世に手応えを感じ始めていた。だからこそ冀州での勉強にも力が入る。
結果として見てはいけない部分にまで踏み込んでしまったことは謝るが、太平要術の書を悪し様に言うのはやめて欲しい。使い方次第で役に立つものなのだから、と。
不快感を顕わに、袁紹は更に眉間の皺を深くするが。
その後の言葉に驚愕し、心を揺さぶられてしまう。
「じゃあ、袁紹さんも実物を見てみる?」
後に、関羽と鳳統は言う。
この時に、主である劉備を止めることができていたなら。
もっと違う未来になっていたに違いない、と。
青州・平原。
今、この町の住民たちは動揺し、いったい何が起きるのかと怯えていた。
それも当然であろう。少数とはいえ、この地に他勢力の軍勢が入ってきたのは黄巾賊の跋扈した時以来のことなのだから。
兵たちは隣接する冀州のもので、引き連れているのは、その州牧である袁紹。
平原の住民たちも、姿は知らずともその身形などの噂は聞き及んでいる。隣接する州を治めている長であり、長く漢に仕えている袁家の名は他州のいち庶民の耳にまで行き届いていた。
そんな雲の上といっていい人間のひとりが、自ら兵を引き連れ他州にまで足を運ぶ。不安を覚えるのは当たり前だ。
だがそれもすぐに落ち着いていく。
武器を携えた一行を先導するかのように進む、平原を治める領主・劉備の姿が認められたからだ。
民の気持ちを、その存在だけで穏やかにさせることができる。
彼女がどれだけこの地に受け入れられているかが分かるだろう。
一行を出迎えたのは、平原の留守を預かっていた軍師、諸葛亮。
彼女は冷静に、そして淡々と、袁紹らに対し礼を取った。
袁紹らは、諸葛亮とも面識はある。
初対面の時から変わらず、見た限りの彼女の印象は、まだ幼く小さいと言ってもいい。
にも関わらず、今の彼女は実際よりも遥かに大きな威容を以って映る。齢相応にわたわたしてみせるようなところは微塵も感じさせない、そんな佇まいを見せていた。
むしろ、見た目にそぐわない緊張感を湛えていた。
いうなれば、張り詰めた危機感のようなものを。
「それでは、こちらへ」
身を返し、諸葛亮は先導するようにして歩み出す。
袁紹ら、そして劉備らも、彼女の後を追うように歩を進め、平原での政務を司る建物へと入っていった。
冀州へ出向いての勉強会。これには劉備と共に、付き添いとして軍師と護衛の将が同行している。
今回の冀州行きに同行したのは、鳳統と関羽。これは本当にたまたまとしか言いようがない。
太平要術の書を知るのは、平原において極一部の者に限られる。
そして実際に書に目を通したのは、劉備と諸葛亮のみであった。
同じ軍師である鳳統は、自ら拒否したということもあるが、主と親友があらぬ行動を始めた際に止められる冷静な頭脳を残すために。
関羽と張飛は、独断を物理的に止めるための抑止力となるために。
書に目を通す人間をふたりに限ったのは、いざという時に備え、書に染まった者は少ない方がいいという判断からである。
此度はそれが逆に仇になった。諸葛亮はそう考えた。
書の存在が余所に漏れてしまう危険性。鳳統もそれは理解してはいるが、実際に目を通した諸葛亮の方がより深く認識している。
自分であれば飛び掛かってでも止めただろうに、と思わなくはない。
だがいつまでも起きてしまったことに気を取られていてもいられない。
まずは目の前の袁紹に対して、どう対応するか。
そしてその背後にある近衛軍に、ひいては漢王朝そのものに対してどうすべきか。
もちろん、劉備をはじめ諸葛亮らも、漢に弓引くつもりなど毛頭ない。世の乱れを正そうとする気持ちはあっても、皇帝に成り代わろうなどという野心は持ち得ていないのだ。最悪の場合は、書を手放し、王朝へ収めることも已む無し、と。
一方で諸葛亮は、中央を相手に無用な諍いを生まないために、袁紹を引き込むことも考えている。
彼我の身分差などは承知の上。袁紹という人物は本来であれば、自分はもちろん主である劉備も、家柄はもちろん公的な身分までその足元にも届かない存在なのだ。そんな彼女を、言い方は悪いが利用する、ということも視野に入れる。
隣の州であり、かねてより勉強のためという名目でやり取りはあるのだ。不審さは限りなく緩和されるだろう。
もっとも、すべては袁紹の反応や思惑次第ではある。
書に記された"袁紹の望み"がどんなものなのかは、諸葛亮も想像するしかできない。
普段の尊大な態度は鳴りを潜め。袁紹は、らしくもなく緊張を覚えていた。
平原へと入り、諸葛亮の出迎えを受け、難しい顔をした彼女の先導により、想像以上に厳重な書の扱いを見る。
袁紹は、少なくとも軍師勢は書が持つ危険性の程度を理解していると察する。それでもなお、覚悟を決めて利用しようとしている。そう感じられた。
理解はできる。だが、受け入れられるかとなれば話は別だ。
かの黄巾賊の騒動を広めた原因とも見なされる、太平要術の書。世を乱す要因となりかねないそれを用いようとする劉備らを、漢王朝から治世を預かる者のひとりとして、袁紹は受け入れることはできない。そんなものに頼ろうとすることは、彼女の誇りが許さない。
だがそれでも、ひとりの人間として、書の存在に好奇心を掻き立てられた。
そこを突く様に、胸の奥で疼くような何かが彼女をわざわざ青州まで足を運ばせ。
今、"それ"に対面させる。
一見みすぼらしく見える書物。題名もなく、内容はうかがい知ることが出来ない。それと知らなければ、手に取ることもないのではないかと思われる、"それ"。
袁紹は書を手に取り、ゆっくりと表紙をめくった。
袁紹は、そこに記されていたものに驚かされた。
彼女の生まれから育ち、境遇、それらの成り立った経緯など。
袁家の長である彼女でさえ知らない、けれど示唆されれば納得できるような事情や事柄まで。
"袁本初"にまつわるあらゆることが、このみすぼらしい書の中に収められている。
震える手、慄く心を必死に抑え付け。
袁紹は、太平要術の書を読み進めていく。
彼女の威、それを支える情感。それらがなぜ生まれたのか。そして、袁家の長として求めるべきものは何なのか。
気付かなかった、いや、気付こうとしなかった自らの望みを知り、袁紹は目が見開かれる。
嵐のように乱れる胸の内を慮ることなく、書は無情なほどに淡々と文字を浮き出していく。
その内容が、己の望むモノを手に入れるための術に差し掛かろうとして。
袁紹は本を閉じた。
まるで悪鬼が乗り移ったのか如き形相で、砕けよばかりの渾身の力を込めて。
そうしなければ離れられないかのように、魅入られかけた書の前から己の身体を引き剥がす。
絶え絶えに荒くなった息。呼吸そのものが覚束ない身体。胸の鼓動を落ち着かせようとして、却って息が詰まり咳き込んでしまう。
気分は、最悪だった。
なぜここまで袁家の、いやさ"袁本初"について熟知しているのか。
まるで身体の内側から弄られ犯されているかのような感覚に陥る。
それにも増して、記されていた"望み"に間違いがないことに気付かされたことに気持ちが荒ぶった。
書に従ってしまえ、と、胸の内のナニカが囁く。
だがわずかに勝った、"在るべき姿"を求める"麗羽"としての誇り。
それが彼女を踏み止まらせ、その身と理性を持ち堪えることに、危ういところで成功する。
「……斗詩さん、猪々子さん。帰りますわよ」
ふらふらと、何かに生気を抜かれたかのような覚束ない足取りで。袁紹は部屋を出て行こうとする。
搾り出すようにして、顔良と文醜のふたりに声を掛けはしたものの、他の者には一顧だにすることもしない。
「ちょ、ちょっと姫、どうしたんだよ」
「いきなりどうしたんですか麗羽さま、顔色が物凄く」
憔悴し切ったような主に、ふたりは慌てて付き従う。
部屋の中に残されたのは、招いた側である面々のみとなった。
劉備と関羽、張飛は、何が起きたのか分からず立ち尽くすばかりだった。
一方で、軍師ふたり、諸葛亮と鳳統は、袁紹の反応に驚いている。
彼女が太平要術の書を読み、そこに何が記されていたかは分からない。
だが形となって目の当たりにさせられた己の願望とその手段を目の当たりにして、そこから己を引き離せる意志の強さ。
鳳統はそれに、驚嘆と、羨望に似たものを覚え。
諸葛亮は、やはり驚嘆と、次いで恐れに似たようなものを覚えていた。
幽州・薊。
政庁である城の一室で、関雨は政務に勤しんでいる。州牧である公孫?に仕えているのだから、それは当然なことだ。
だがこの日の彼女は、誰が見ても明らかに挙動不審であった。そわそわしっ放しなのである。
普段の彼女からは懸け離れたものではあるが、事情を知っていれば、その気持ちも分かるしむしろ微笑ましくもある。
幽州を出ていた一刀ら商人たちが、荷と共に戻ってきた。
それを聞いた関雨は、掛けていた椅子を鳴らしながら盛大に立ち上がり。
すぐさま思い直したように座り直した。
想い人が長い旅から戻って来た、という喜びが彼女を衝動的に動かそうとし。
いやいや今の自分はまだ仕事中だ、という、お堅いと称される責任感が彼女の気持ちを押さえ込んだ。
何もまたすぐいなくなるわけでもないのだ、仕事の後でもゆっくり会える、と。
思い直し再び手元の書類仕事に戻ろうとする。
それをひたすら繰り返しており。
「……愛紗、行って来ていいぞ?」
「わたしがどこにいきたいというのですなにをいっているのですかぱいれんどの!」
「分かった、無理かもしれないがとにかく落ち着け」
公孫?の言葉に、過剰な反応を見せる関雨。
部屋の中にいる文官たちが思わず苦笑してしまうほどに、取り乱したその姿は滑稽に映り、そして可愛らしく映る。
「北郷が気になるなら、先に顔を合わせて来い。側でそんなにうずうずそわそわされたらこちらの方が気になって仕方がない」
「う、いや、ですが」
「会って気が済んだら戻ってくればそれでいい。
あぁ、なんなら今日はそのままあがってしまっても構わないぞ」
浮かれたお前の横で仕事をするのはそれはそれでご免だ、と、公孫?。
関雨は真っ赤になった顔を隠そうとするかのごとく、政務机に突っ伏すように頭を抱える。
何やら小さい呻り声が漏れ聞こえるのは、まだ頭の中で葛藤があるのだろうか。趙雲がいればさぞ弄りまくるであろう状況だったが、この場に彼女がいなかったのは関雨にとって幸いだったといっていいだろう。
「……では、お言葉に甘えさせていただきます」
ひとしきり頭を抱えていた関雨は、唐突に立ち上がり。
そう言ったかと思うとまるで逃げ出すかのように、政務室から飛び出していった。
わずかな間ではあったが、赤くなった表情に隠せない喜びの色を浮かべた姿を、部屋にいる全員に晒しながら。
風のように駆け出していった関雨を見送り、公孫?は面映い表情を浮かべる。
「……何ともはや、可愛らしいもんだな」
彼女のつぶやきに、部屋にいる全員が心から同意した。
逸る心を抑えていた、とは贔屓目にもそうは見えなかったけれども。少なくとも関雨自身は、政庁を出るまでは自制しているつもりでいた。
だが一歩外に出ると、彼女は弾かれたように全力で駆け出す。あまりの速さに、その姿をしっかり捉えた人は皆無に等しかった。
当人は気付いていないが、この上なく嬉しそうな笑顔を浮かべていた関雨。表情まで注視する隙を周囲に与えなかったこともまた、彼女にとって幸いだったと言っていいかもしれない。
だが一刀の酒家にたどり着いて、彼女はその笑顔を凍りつかせてしまう。
そこにいたのは、一刀に同行していた商人のひとり。
彼が言い難そうに口にした言葉。
一刀と呂扶は、まだ到着していない。
ここまで上がりっ放しだった気勢の反動か。関雨は、その場で膝をついてうずくまってしまった。
商人の青年自身は何も悪いことはしていない。それなのに、彼は物凄い罪悪感に襲われてしまい。
普段の気丈さの欠片も失くした関雨に慌てて事情を説明する。
彼曰く。道中に立ち寄った青州で所用が出来、運ぶ荷や金銭などを仲間たちに任せ、一刀と呂扶のふたりだけ滞在を伸ばしたのだという。
併せて関雨宛ての便りも預かっている、と、青年は幾束かの木簡を差し出した。
彼の言葉を聞き、目線を上げた関雨。木簡を受け取りながら、いぶかしむような表情を浮かべる。
「……青州?」
そう呟き、関雨は、便りというには大仰な木簡の束に目を落とした。
同じ頃の、洛陽。
漢王朝のすべてを司る王城の一室に詰める曹操の元に、突拍子もない報告が届けられた。
「……どういうことかしら?」
訳が分からない。
理解に苦しむように顔を顰めさせ、ひとり、彼女は言葉を漏らす。
冀州より袁紹が兵を挙げ、青州に侵攻した。
曹操は、俄かにそれを信じることができなかった。
・あとがき
戻って来たとは、大きな声では言えないくらいに間が空いた。
半年ぶりの槇村です。御機嫌如何。
旧36話辺りに続いて、またも麗羽さんが台頭し始める。
どれだけ槇村は彼女を動かしたいんだ、と。
いっそメインで話を作れとか言われるレベル。
そんなわけで、ちょっと違ったところから戦乱の芽が出始めたよ、というお話。
でもこのまま進めようとすると、書きたかったシーンのいくつかが潰れちゃうんだよなぁ。
どうしよう。
と思っていたら、また別にお話のネタを組んでいる自分がいました。
華琳さんベースで、やっぱり一刀がスーパーサブなお話を。
おまけに今更感漂う「ネギま!」ネタでふたつほどネタを組んでいる自分がいて驚愕。
まぁ「恋姫無双」も今更感ハンパないけどな。
今年中にもう一回更新したいけど、正直、微妙だ。
来年1月始めに更新できれば御の字だろう。
自分で言っていてなんですが。
説明 | ||
やぁ、久しぶり(やぁじゃねぇだろ) 半年ぶりの槇村です。御機嫌如何。 これは『真・恋姫無双』の二次創作小説(SS)です。 『萌将伝』に関連する4人をフィーチャーしたお話。 簡単にいうと、愛紗・雛里・恋・華雄の4人が外史に跳ばされてさぁ大変、というストーリー。 ちなみに作中の彼女たちは偽名を使って世を忍んでいます。漢字の間違いじゃないのでよろしく。(七話参照のこと) 感想・ご意見及びご批評などありましたら大歓迎。ばしばし書き込んでいただけると槇村が喜びます。 少しでも楽しんでいただければコレ幸い。 また「Arcadia」にも同内容のものを投稿しております。 それではどうぞ。 |
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やっぱりどこに行っても劉備はダメダメの元凶な気が 料理人一刀くんはどうなるのだろう?(NSZ THR) これから乱世が始まってしまうようで…一刀さんたちは巻き込まれる感じですかね?(summon) お帰りなさい!劉備やらかしたな。麗羽さんは太平要術の書と劉備の両方を始末しようという事かな。良く考え過ぎかな。(tokitoki) お久しぶりです。ずっと待ってました。きっかけがなんであれ動いたのは袁紹で、この動きで乱世が始まるなら劉備達だけが悪いと言うわけではないと思いますが。どこにでも火種はあると言う事でしょう。華琳の覇道とかなんかは火種どころか爆薬ですし。まあこの外史の華琳が覇道を貫くかちと疑問ですが。(陸奥守) 次回から数回青州でのできごとかな?(アルヤ) |
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