嘘つき村の奇妙な日常(9)
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 妖怪は、基本的に徒党を組まない。ミスティアと響子、そしてフランドール達三人の妖怪のように、チームを組む方がむしろ特殊なケースなのだ。

 だから、立ち向かってくる妖怪は原則として一度に一人だけであるという固定観念を誰しもが持つ。その認識は時にあり得ない油断を招くこともある。

 

「ふむ。即興の作戦にしては上々の戦果でした」

 

 クラウンの目の前に、暗闇で覆われた忘れ傘亭の屋根が見える。朝の太陽の下にわだかまった闇は、どういうわけか全ての光を拒絶していた。

 

「もう終わりましたので、闇を閉じても結構ですよ」

「えー、まだ太陽が出てるじゃない。そんな明るい場所に出たら、火傷しちゃうわ」

 

 暗闇の中心から、能天気な声がする。

 

「難儀なものですねえ。ですがそれでも、あんまり派手に闇を広げていると村人達が不安がりますので、ほどほどにお願いしてよろしいですか?」

「仕方ないなぁ」

 

 闇の球体が栓の抜けたバルーンのように萎んで、直径二メートルほどの大きさになる。真ん中には、両腕を十字架のように広げた少女の姿が見えた。

 

「これでいいかしら?」

「結構です。さて、首尾を確認しておきましょうか」

 

 屋根を滑り降りると忘れ傘亭の正面へと軽やかに着地して、扉を開ける。中では小傘とミスティア、そしてリグルの三人が佇んでクラウンの到着を待っていた。小傘が酒場の一角、個室への扉を指し示す。

 

「多分、そこの部屋に落ちたと思うわ。けれども、本当に開けて大丈夫かしらね?」

「リグルさんの毒虫が惚れ薬を運んでくれたのなら、問題はありますまい。仮に大丈夫でなければですね」

 

 無造作に個室へ近づいていき扉を開ける。天井を見上げて、小さく口笛を鳴らした。

 

「……今頃、この宿屋が全壊してましたね」

 

 個室には山のように積み重なる家財道具と、その上に倒れた二人の男女がいる。そして個室と二階の部屋を隔てる筈の天井は、綺麗に消え失せていた。

 多足虫の群れが個室から這い出てくる。リグルは虫達を招き寄せながら、眉根を寄せクラウンを見る。

 

「協力しといてなんだけど、こんなことして本当に大丈夫かな? 正直言って、反則だし」

「そうですかね? 私にはこれまでこういう手法が取られなかったことの方が、不思議でなりませんが」

 

 妖怪達は不安な顔を見合わせた。

 

「美学の問題よね。みんなで寄ってたかって一人を退治するなんて、美しさの欠片もないしー」

 

 宿の入り口に闇が立っていた。中に入ると同時に闇は消え、黒いツーピースの金髪少女が跡に残る。

 クラウンは肩を竦めて、後から現れた宵闇の妖怪ルーミアを見る。

 

「必要悪という奴です。実際ここまでの奇襲を行わなければ、彼女に勝つのは難しいでしょう?」

「今回はね? 大妖怪相手に知略で勝ったところで、後でどんな仕返しをされるか分かったもんじゃない。そこの妖怪は後ろ盾も強力だし」

「何、その時はその時、また撃退すればよろしい。彼女も協力してくれますし、ねえ」

 

 個室の中へ呼びかける。倒れていた二つの人影が身じろぎして、ゆっくりと起き上がった。里の男、そしてフランドールが頭を振って瓦礫の山を降りる。クラウンは軽く屈みフランドールに目線を合わせた。

 

「あなたの本当のお名前は?」

「フランドール・スカーレットよ。嘘つきさん」

 

 満足げに微笑み、昨晩とは打って変わって従順になった彼女へと告げる。

 

「あなたにはお聞きしたいことがあります。一緒に館まで来てください。それから、そちらのあなた」

 

 フランドールの横に並んだ男を見る。

 

「ちょっとそこの広場に行って死んできてください。いやまあ、どこで死んだって一緒なんですが、同じ場所で死んでくれた方が後処理が楽なものですから」

「ちょっと、待ってくれ」

 

 妖怪達は無表情で、クラウンと男の様子を眺める。異論を挟もうとする者はいない。

 

「死ぬったって、どうやって死ねばいい」

「道具がないのなら、お貸ししますよ?」

 

 クラウンの手に、太い荒縄が現れる。男は笑顔を浮かべると、何の躊躇いもなくそれを受け取った。

 

「有難うよ」

 

 確かな足取りで、男は宿を出る。

 

「惚れ薬の効能で人間も妖怪も嘘つきの言いなり。でも、どうしてわざわざ殺す必要があるの?」

 

 ミスティアがクラウンに尋ねる。

 

「儀式みたいなものです。人間を止めた者でないと、この村じゃやってけませんので」

「違いないわ」

 

 フランドールを手招きする。

 

「二人のお連れは、今どちらに?」

「二人は、村の結界を調べに行ったわ。村から出る方法を探すためにね」

「結界? ほうほう」

 

 クラウンは彼女の言葉を咀嚼するように腕を組む。

 

「何か、勘違いがあるようですな。まあ、そのうち出て行く必要などなくなります。村から出たいとも思わなくなりますからね」

 

 フランドールが、そして周りの妖達が顔に笑みを浮かべた。それがさも当然であるかのように。

 

「では、行きましょうか。聞きたいことはそれだけではありません。他の皆にも紹介したいですしね」

 

 小傘がクラウンを呼び止める。

 

「部屋が壊れちゃったんだけど」

「散らかった家財は、男衆を呼んで片付けて貰えばいいでしょう。天井の破損は、すぐ直りますので」

 

 彼女達の背後、個室の中で変化が生じた。個室の周囲の壁が一人でに粘土のような動きで盛り上がり、破壊された筈の天井をたちどころに塞いでいく。

 小傘はその不可思議な再生を見届けることなく、扉を閉める。無人となった個室の中で小さな黒影が動きだし、光る何かを抱えて窓の外に飛び出したが、それを見咎める者は部屋に残っていなかった。

 

 

 §

 

 

 サトリ崩れの古明地こいしは、第三の眼を閉ざすことで自らに流れ込む意識、そして自分自身の意識をも否定した妖怪である。

 故に彼女は常に無意識で行動できるだけでなく、自己の存在を万物の無意識にできる。よほど彼女のことを注意深く見られる……例えば知り合いなどの……者を除いては、直視しない限り知覚できないし、仮に見つけても視線を外したらすぐに忘れてしまう。

 全てを正体不明にするぬえの力と組み合わせると、彼女の能力はこの上ないステルスとして機能する。侵入する「だけ」なら、ぬえの自信は過剰ではない。

 適当な窓から部屋に潜り込み扉を開ける。無骨な石煉瓦造りの通路が左右に伸び、両側には等間隔で木造の扉が並んでいた。他者の気配はない。

 

「どうやって調べるの?」

 

 こいしの問いを傍らに聞きながら、ぬえは妖獣としての聴覚を研ぎ澄ませる。ゴウン、と少し遠くで重い物体が動く音が響いた。

 

「一団で動くのも効率が悪いね。二手に別れよう。こいしはいつも通り。私は正体不明のタネをつけて行く。見つかった場合はまあ、何とかするさ」

「それぞれ、何を調べるのかしら?」

「ひとまずは、しらみ潰し。他の部屋と違うものが見つかったら逐次覚えておくってことで。こいしはあっち。私は反対側を調べる」

 

 こいしに廊下の一方を指し示し、背中を向ける。それだけで、彼女の気配は完全に絶たれた。ぬえは気にすることなく壁に手をつき、その感触を確かめながら通路を小走りに進む。

 仕掛けの存在を想像させるような、煉瓦の隙間は見当たらない。ぬえは手近な扉に取り付いて、軽く木戸を小突きその反響音を聞いた。

 

「扉にも仕込みなし、と」

 

 ドアノブに手をかけ、奥に押し込む。何の抵抗もなく暗い空間が口を開いた。かび臭い匂いがする。

 

「使ってないのかね? 嘘つき以外に小間使いでも住まわせているかと思ったんだけど」

 

 後ろ手に扉を閉めて夜目を働かせる。埃が積もり、蜘蛛が巣を張った殺風景な小部屋である。向かいに入ってきたのと同じような扉がもう一つ。それ以外には簡単な机と椅子に、マットレスがないベッド、そして朽ちかけたテーブルしかなく物置ですらない。

 

「本当に連中だけで使ってるのかな? スペースの無駄遣いだね、こいつは」

 

 一度元の通路に戻るべく、背後のドアを探る。

 ――冷たい石の感触だけが手を撫でた。

 

「……はい?」

 

 視線を向けて、唖然とする。入ってきた筈の扉がどこにも見当たらず、無骨な石壁が元来た道を塞ぐ。

 壁に触れ直しながら、ぬえは脂汗を流し始めた。入ってきた扉はおろか、痕跡すら見当たらない。

 

「どんな手品を使った……?」

 

 口元が引きつり、野獣のような笑みに凄味が増す。汗に反して、表情には高揚感が満ち溢れていた。

 改めて正面のドアを見る。元来た出入口が消えた現状、部屋を出る扉は一つしかない。先ほどと同様、扉の先の安全を慎重に確かめながらノブを押す。

 部屋に入る前と似た通路が正面を横切っている。ぬえは素早く部屋を飛び出して扉を閉め、すぐさま反転して扉の様子を見守った。変化はない。

 ゴウン。さっきのものと同じ重低音が今度はより近くで、よりはっきりと聞こえた。

 ぬえは扉を睨み、現象の正体に考えを巡らせる。紅魔館のメイド長と同クラスの時空間操作者の存在、高度な幻覚、こと幻想郷では枚挙に暇がない。

 しかし結論を言えば、この館に施された仕掛けはぬえが予想したどの幻想的現象でもなかった。

 扉に生じ始めた変化は、突然だった。木戸が何の前触れもなく、周囲の壁と同じ灰褐色に変化する。続いて扉の形状が粘土のように変形し、数秒ほどで周囲の石壁に溶け込んでしまった。

 

「……おい……」

 

 扉の変化を見届けてから、ぬえは一言だけ呟いて周囲を見る。ゴウン、ゴウンと重い音が今度は二回、立て続けに聞こえた。

 唐突に、ぬえは通路を走り出す。全力疾走に近い姿勢で、こいしを探索に向かわせた方向へ。

 

「やばい。これは、やばい」

「何が?」

 

 前につんのめりそうな勢いで急ブレーキをかける。右手では、こいしが丸い目でぬえを眺めていた。

 

「予定変更、いったん逃げるぞ。この屋敷は拙い」

「どうして?」

 

 問答無用でぬえはこいしの手首を引いた。

 

「屋敷自体の作りが、変化し続けてる! こいしも見ただろう、扉が壁に変わる様子、またはその逆!」

「珍しいお屋敷よね」

「珍しいなんてレベルじゃ……」

 

 足が止まる。通路に並んでいた筈の扉が、見渡す限り一つも見当たらない。

 

「おい、これ……」

 

 ゴウン! 至近距離で轟音が響く。同時に通路の前後が、せり出してきた岩壁によって塞がれる。

 

「もう、雪隠ってこと……」

 

 ゴウン! 今度は天井が変質する。石煉瓦の天井に代わり、網目状のスリットを持つ換気口が現れた。間髪入れずに青白いガスが二人の頭上から降り注ぐ。

 

「くそったれ!」

 

 アダムスキー型UFOがぬえの周囲に現れ、壁に対して砲撃を仕掛ける。しかしその程度では周囲の石壁はびくともしなかった。

 

「やっぱりフランと一緒に来ればよかったわね」

「冷静に分析している場合じゃ……!」

 

 頭に手を当てて、ぬえが動きを止める。

 

「畜生、そういうことか!」

「何が?」

 

 彼女の上体が、大きく揺れた。壁にもたれかかりながら、ぬえが必死に言葉を絞り出す。

 

「変化する屋敷の構造! いつでも豊作の農園! この屋敷だけじゃなく、村全体が……!」

 

 全て言い切る前にガスは玄室いっぱいに充満して、二人の姿を完全に覆い隠してしまった。

 

 

 §

 

 

 沈黙した通路の煙が晴れると同時に天井の一部がゴトリと音を立て、人一人が通れる抜け穴が現れる。そこから二本の足が伸びて、軽業師が通路上に降り立った。路上に身をもたれて動かない二体の妖怪を彼は注意深く見下ろす。動き出す様子はない。

 

「なるほど、またぞろ罠の誤作動かと思ったが……今回は当たりだったようだ」

 

 石壁に手を触れる。その一部が今度はラッパ状の管に変形した。軽業師はそこに声をかけた。

 

「三階無限回廊で、侵入者二名を確保したよ。薬が効いてよく眠っているようだ」

『どうだい、散々役に立たないと言われてきたが、今回は上手く行ったろう?』

 

 伝声管の向こうから、くぐもった声が聞こえる。

 

「確かに今回はそういうことにしておいてもいいさ。でも、こんなことは頻繁に起こることじゃあない。上手く行ったのも偶然かもしれないじゃないか」

『相変わらず悲観的だなあ君は。ともあれ惚れ薬は効いてる筈だから、起こしてこちらに連れて来なよ』

「そういうのは、あの臆病者に任せたいんだがね」

 

 軽業師は毒づくと、天井の抜け穴と自分自身との位置関係と動かない二人の様子を何度か確認した。そうやって自身の安全を慎重に確認したところで、ようやく声をかけるに至る。

 

「あー、ちょっと。起きなさい、君達」

 

 軽業師の声に応じ、二人がゆっくり身を起こす。

 

「調子はどうかな? 名前を僕に教えてくれるかい」

「古明地こいし」

「封獣ぬえ」

 

 彼は安堵の溜め息を漏らした。

 

「ああ、臆病の報告通りか。君達は、好奇心旺盛な奇術師が作った罠にかかったんだ。惚れ薬を浴びた君達は、僕ら七人の命令に逆らえなくなった」

「ああ、そうだね」

 

 ぬえが即答する。こいしは無言で微笑むだけだ。ゴウン、と音を立てて閉鎖された部屋が通路に戻る。

 

「君達にも、村の発展に協力して貰いたい。僕達はここに楽園を作りたいんだ。協力してくれるね?」

 

 二人が笑顔を作る。軽業師もまた白塗りの顔に、やや引きつった笑みを浮かべた。

 

「なんで?」

説明
不定期更新です/ある程度書き進んでて、かつ余裕のある時だけ更新します/途中でばっさり終わる可能性もあります/(これまでのあらすじ:EX三人娘は迷い込んだ「嘘つき村」で、調査を開始する。フランドールは村の食物を、そしてこいしとぬえは嘘つき達が住む古風な館をだ。しかし村には思わぬ怪現象が跋扈していた。春先なのに豊作の作物、それを奇妙に思わない村人……そしてフランドールは全ての食物に含まれる奇妙な薬品を発見する。その直後、謎の闇が彼女を襲撃、思わぬ奇襲に昏倒してしまう……オイオイ、こいつぁ拙いんじゃねえか!?しかしこの闇、何処かで見覚えがあるような……)

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