恋姫†無双 外史『無銘伝』第10話 (3)
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 明朝。

 俺たちは長沙を目前に、敵に感づかれないよう速度を落とし、迂回し、隠れながら進軍した。

 そして、真昼。

 太陽の光が勢いを増し、陽炎立ち上る中……。

 劉表軍の軍勢の海の中に沈む、長沙、孫権居城を視界に捉えた。

「指揮している将は2人、文聘と黄忠だ」

 敵の包囲陣を遠目に、甘寧が言う。

「旗で分かるな……包囲陣東側が文聘。西側が黄忠だ」

 劉表軍の劉旗の他に、文と黄の牙門旗が見えた。

「陣立てが……遠目に見ても堅いな」

「城攻めなのに、逆に守ってるみたいな陣形ですね」

 と甘寧と周泰が評する。

 確かに、敵は城から距離をとって、土嚢や馬防柵を張り巡らせ、防御重視の構えをとっていた。

「兵糧攻めってことかな」

「これだけの兵数を抱えて……」

 見たところ、包囲陣の総兵力は五万近かった。

「攻める気がなさそうだな。ということは、おそらく蓮華様たちは無事だろう。城の中に封じ込められてはいるが」

「そうだな……」

 城壁の上には孫呉の牙門旗。

 その存在は蓮華の健在をあらわしているようで、少し胸が熱くなった。

「しかし、守りが堅いということは簡単に逃れられぬということ。単純に外から奇襲をかけたとして、小火で終わってしまうだろう」

 厳顔が分析する。

「いくつか策を組み合わせ……しかし、できれば城内の周瑜殿と連携をとりたいが……」

「待って。桔梗、黄忠がこちらに寝返ってくれれば、一気に脱出できると思うんだけど」

「……それは儂も同意しますが――」

 と、桔梗が思春を見る。

「厳顔殿を信頼しないわけでは無いが、黄忠殿が寝返らなかった場合、私たちの存在があちらに露見してしまう。そうなれば、形勢は最悪になる」

「う…………そう、か」

 確かに、黄忠が寝返ってくれるかどうかはわからない。

 つい、前の三国志世界では味方だったから……と思ってしまうが。

「では、紫苑の奴に……黄忠に寝返りを提案するにしても、別の策を巡らせ、事を仕掛ける直前、ということでよろしいですかな?」

「……それで頼む」

 思春は頷く。

「ううん……黄忠、なんとかなりそうだけどな……」

「はは、あやつは物腰は柔らかいが、一度決めたことは守る芯がありますからな。劉表軍に義理かなにかがあれば、頑として撥ね付けてきますぞ」

「そうか…………そうだよな」

 璃々ちゃんの事もあるし、そこは慎重だろうな……。

「ん? 黄忠…………あ、そうだ。城内への連絡だけど弓矢でやるのはどうかな。黄祖がいるから、敵の弓兵のところに潜り込んで」

「む…………簡単では無いが、試してみる価値はありそうだな」

 俺たちは策を出し合い、やがて作戦準備のため散開した。

 

 厳顔と華雄は一刀と離れ、周泰と共に西側の偵察に向かった。

「しかし――」

 と厳顔。

「お館様は敵も味方として見ているせいか、どうにもやりにくい」

「そうだな」

 華雄はまだ使い慣れない武器の具合を確かめながら、返事をする。

 2人とも、愛用の武器は目立つため陣に置いておいて、今は地味な剣一本のみ佩いている。

「考えてみれば、華雄殿もかつては董卓軍であったな」

「ああ。桔梗が北郷軍に入ったのとほぼ同時期だな、私がこちらについたのは」

「お館様の言う、前の世界の記憶とやらがそうさせるのか……出会って間もない我らも厚遇され、信頼されてるのを感じる」

「そうだな。元々敵だった私を荊州まで一緒に連れて行くとはな……」

「華雄殿自身はどう思っているのだ? お館様……北郷どのについて」

「ん……? ふむ。どう思っているか……か」

 華雄は目線を下に、そして空に向け、

「大して日月が経っているわけではないから、己の心を正確に表せる気はしない……だが、あいつの目や顔、言動に接すると、心がもやもやしたり逆にはっきりしたり、変な感じだ」

 言葉通り、華雄の表情は複雑だった。

「あいつがこの前、前の世界云々と言い出して、それで少し分かった気がする。あいつは…………今私が抱いている気持ちの先にいるんだ。ただの好意とかじゃない……なんというのか……」

「ふうむ。それがわかったら、華雄殿もお館様と同じ、ということかな」

「同じ……」

「相思相愛?」

「ばっ……」

 華雄は頬を紅潮させた。

 ふっふっふっ、と桔梗は笑う。

「ぐむむぅ…………な、なら、桔梗はどうなのだ? あいつのことをどう思っている? どう感じているんだ?」

「さて。好いているのは確かではあるが……そうだな」

 桔梗もまたしばし考える。

「華雄殿の言ったことと同じところがあるが、お館様はわしが示す忠義や情義、愛情の一歩先を行っている感じがする。こちらが一ならお館様は十を、十なら百を返してくる。それも……当然のように」

 そこで桔梗は頬を掻いた。

「その……わしも少なからずの親愛をもって仕えているせいか……あの無邪気な顔で深愛を返されると……うずいてくる」

「は?」

「色々な意味で」

「……なんのこった」

「……それがお館様の元々の性質なのかどうかわからんが……しかし、わしの頭で理解できる経験も理解できぬ経験も、お館様の一部。丸ごとを受け入れて仕えねば、信愛に燃やし尽くされてしまいそうだ」

 と、わずかに身体をくねらせ、桔梗は言う。

「はは、北郷もお前もよくわからんぞ……」

 呆れたような顔で華雄は半笑い。

「紫苑も、お館様のことを気に入ると思うのだが……」

「ああ。黄忠か……よく知らんが、それぞれ事情はあるだろ。それこそ、桔梗も益州……蜀で色々あってこっちに来たんだろう?」

「そうだな……」

 厳顔は、先ほどまでとは違う神妙な面持ちでつぶやく。

「と……周泰の隊と離れすぎてるな、少し詰めるぞ」

「ああ――」

 華雄が早足で先に行く。

 厳顔はそれをワンテンポ遅れて追った。

 だが、桔梗の目は華雄の背を映してはおらず、どこか別の場所を見ていた。

「蜀、か…………」

 誰にも届かないつぶやき。

 それを遥か遠くに放つ。

 空の向こう、遙か彼方。

 地の向こう、境界を越えた場所……。

 彼女は知っている。

 境界の向こうの状況、劉備・北郷軍、曹魏、孫呉、その他の中原勢力が知らぬ、果ての世界の状況を。

「…………彼奴は……まだ、生きているのか…………?」

 その問いにも、誰も答えはしなかった。

 

 

 長沙包囲陣北西、黄忠本陣。

 そこに俺たちは侵入していた。

 俺たちと言っても僅か三人。

 俺、甘寧、黄祖の三人だ。

 黄祖を先頭に俺と甘寧が脇を固める形。正確には、なにかあったら脇から刺すよ? の形。

 甘寧から聞いたところ、黄祖には、

「下手なマネをしたら劉磐を殺す」

 と言い含めてあるらしい。

「見られてるなぁ……」

 周囲からの視線を感じる。

「服装が服装だからな」

 と、甘寧。

 俺はいつも通りのフランチェスカの制服。

 甘寧は先の山中の戦いで得た敵兵の服に俺が貸した迷彩服。

 そして黄祖はいつも通りの特攻服なのだが……。

 いかんせん、黄忠率いる部隊の服装が画一的なせいで、浮きまくっている。

 黄祖に合わせた結果がこれだ。

「気にするな。堂々としていろ」

 と言う思春の顔がちょっと赤い。

「…………着いたぞ」

 本陣の中心、衛兵がかためる黄忠の本営のところまで来た。

「……劉表軍所属の黄祖だ。黄忠将軍に取り次ぎを」

「しょ、少々お待ちを」

 伝令が本営の中に入っていった。

 少しして、

「あらあら。奇抜な格好の人たちが来たって言うから誰かと思ったら……」

 本営の陣幕をちょこっとずらし、紫苑――黄忠が顔を見せた。

「ふふ、久しぶりね」

 その言葉が、俺にかけられたものだと錯覚した。

「阿射ちゃん。ともかく、中に入りなさい」

「あ、ああ。紫苑……あがらせて貰うよ」

 黄祖がそう返事をすると、紫苑は顔を引っ込めた。

「阿射ちゃんってのは、その、私の愛称みたいなもんだ」

 振り向いて、黄祖が説明した。

「そうか……そういうことか」

 俺は胸がぎゅうううっと締め付けられる思いがした。

 紫苑は俺を知らない。

 わかっていたはずなのに、わかっていても、顔を見るとつらい。

「知り合いでも何でも、気づかせるな」

「分かった……」

 甘寧に念を押されて、黄祖は一度深呼吸し、本営の中に足を踏み入れた。

「何をやっている」

 一歩目から黄祖は咎められた。

 甘寧によってでは無い。

 中にいた黄忠とは別の女性の声にだ。

「黄祖、いや、阿射? お前は襄陽守備についているはずだが」

「げっ……ぶ、文聘、さん」

 文聘という名は、確か、長沙包囲陣のもう1人の将の名前だったはず。

 その女性はベリーショートの赤い髪に黒目がちの丸い目。

 首元に大きなゴーグル、そこから下はマントで覆われていて体躯を隠している。

「説明して貰おうか」

「ぐ、ぐぐ」

 言葉に詰まる黄祖。

 彼女は脂汗を浮かべ、文聘を見た。

「あらあら……そんな訊き方をしたら、話せるものも話せなくなってしまうわ、仲業さん」

「……親戚とはいえ、軍中で情は禁物だぞ」

「まずは聞きましょう。阿射ちゃん。話してくれる?」

 紫苑が緩衝となって、間を取り持つ。

「……襄陽が孫策軍に包囲されて、私の部隊が城外で攻撃したけど……失敗した」

 淡々と、黄祖は事実だけを話した。

 どこまで話して良いかは事前にすりあわせ済みだ。

「なんだと……ということは、襄陽はもう……」

「いや。今どうなっているかはわからない」

「どういうことだ? 陥落したからこっちに来たんじゃ無いのか?」

「その……それを確認する余裕も無く……隊がバラバラになって……」

 言いにくそうに、途切れ途切れに説明する黄祖。

「……ちょっと待て。それでここまで逃げてきたのか? …………まぁ、お前の所の部下はそんなものか。賊のころから変わらんな」

「…………」

 ぎしっ、と奥歯を砕けんばかりに噛みしめる黄祖。

「なんだその目は」

 ドゴッ――!

 と鈍い音を立てて、鉄拳が黄祖の頭に打ち下ろされた。

「ぐぅっ……く、うううう」

 黄祖は涙をこらえ、悲鳴をこらえ、ただ唸るだけ。

「私の軍が治める江夏で暴れ回っていた賊の頃の怨恨を水に流し、劉表殿に取りなしてやった恩を忘れたか小娘」

「っ……す、みません、でした……!」

 声を絞り出す。

「ふん……ん? 後ろの部下は……」

 と、ここで俺たちを見た文聘が目を見開いた。

 ――ばれたか!?

 寒気が走るが、

「おい、劉磐はどうした!?」

 焦点は別の所だった。

「い、いや……あの」

「戦死したのか!?」

「な、無い無い、違う! 生きてる!! で、でもちょっとここには……」

「…………言っておくが。劉磐が無事で無ければ、私では無く劉表殿に殺されるぞ」

「……わかってます」

 素直に黄祖は頷く。

「負けたことは、兵家の常としてまだ赦される。が、負けた後、そこから事態を悪化させることは将として失格だ」

 文聘は首の下のゴーグルをつけ、

「守り切れなかった城は、後で死ぬ気で取り戻さなければならない。攻めの将の苦しいところだな。…………だが、それができなければ、お前はここで終りだ」

 そう言い残し、文聘は軍営を出ていった。

「…………っ」

「お疲れ様、阿射ちゃん」

 黄忠が労いの言葉を掛けると、黄祖の強ばった顔が少し緩んだ。

「苦手だ……あいつ」

「そうでしょうね。合わなそうだもの」

 紫苑は苦笑いし、

「前の阿射ちゃんなら、目をつけられることも無かったんでしょうけど」

「賊になる前か……? 無い無い。あり得ない」

「もう……髪もこんな色に染めちゃって」

 と紫苑は悲しげな目で黄祖の金の髪を手でくしけずる。

 ちょっと母親の手つきだった。

「べ、別に良いだろ……金色だって」

「悪いとは言わないけど。根元は色が戻っちゃってる……これはちょっと変じゃない?」

 黄祖の金髪は染めているものらしい。なるほど、根元は紫苑と同じ紫に近い黒髪だ。

「これは、染め直す時間が無かったから……」

「そう……でも、そうね。髪を気にしている場合じゃ無いのかしらね。髪は女の命というけれど」

 黄祖の髪を梳き終ると、紫苑は若干距離をとり、

「これからどうするの? 兵糧の補給等なら協力できるわ。城の包囲中だから兵は貸してあげられないけれど」

「そうだな……」

 ちらり、と黄祖は俺たちの方を振り返り、

「…………」

 思春はかすかに首を縦に……というより顎を下に動かした。

「兵はいらない。兵卒からやり直すよ」

「あら。殊勝なことを……」

 自分の頬に手を置き、紫苑は微笑む。

「それなら、私の所の弓隊に加わってみる?」

「……頼む」

 ぺこっ、と低頭して、黄祖はお願いする。

「阿射ちゃん、弓が得意だったものね」

「……ちょっと自信なくなってるけどな。当たるには当たるんだけど……」

「調子を崩しているの?」

「狙いがずれるんだよな……」

「そう……私にもそういう時期の覚えがあるわ。あとで見てあげましょう」

「ん……それも頼む」

「…………」

 俯く黄祖の頭を撫でる紫苑。

「いたっ!」

「あ……ごめんなさい。叩かれたところだったわ」

 さっき文聘に鉄拳をうけた場所は小さなこぶができていた。

 そして、用意ができたら黄忠配下の弓隊に顔を出すということを約束し、俺たちは本営を出ることにした。

 帰る直前、俺は軽く紫苑の顔を見た。

 彼女は俺の視線に気づいたのか、顔を上げて目を合わせた。

 そして、紫苑は俺に笑みを浮かべ――そしてまた顔を伏せ、何かの書類に目を通し始めた。

「…………」

 やっぱり、初対面なんだよなぁ……。

 と、改めて思って、俺は砂をかむような思いを抱え、その場を離れた。

「はぁ……」

「ふぅ……」

 ため息が重なった。

 俺と黄祖。

「なんだ……同調してるぞ」

 甘寧は気味悪げだった。

「いや、俺はちょっと罪悪感が」

 紫苑を騙してることになるわけだし。

「私ほどじゃないだろ…………私は……仲間を、裏切ることになるんだ」

 黄祖は顔を蒼白にして、

「これじゃ……劉磐を返して貰っても……」

 消え入りそうな声。

 その姿に、つい救いの手を差し伸べようと――

「……安心しろ。お前が劉表軍を裏切ったことは誰にも伝わらない。知っているのは私たちとお前だけだ。今も。これからも」

 俺が口を開く前に、甘寧が背を向けたまま言った。

「…………そういう……ことじゃ、ねぇ」

 黄祖が口を尖らせるが、甘寧は聞く耳を持たず、黄祖の背を押して包囲陣から抜けた。

 

 

 長沙城から少し離れた森の中。

 俺含め、甘寧たち潜行軍首脳部はそこに集合していた。

 二千の軍勢はここからさらに離れた場所に配置されている。補給の問題もあるので、南の異民族に混じって、食糧掠奪にまわっているらしい。

「弓兵による合図の手配は完了した。そちらは」

 甘寧が報告し、周泰に尋ねる。

「長沙城包囲全周の偵察、完了しました。狙い所はやはり、北と南。文聘軍と黄忠軍の継ぎ目かと」

「定石だな。それはあちらも解っていそうな所だが」

「はい。継ぎ目には兵員も多く、将も副将級が配置されています。しかし……」

「む?」

「それでも、文聘、黄忠本陣周囲に突破をしかけるよりはマシ……かと」

「そこまでか……」

 周泰は首肯した。

 周泰と一緒に物見に向かった華雄、厳顔も同意見なようだった。

「文聘将軍の本陣の堅固な陣形からもわかりますが、守りに特化しています。その本陣は言ってみれば、長沙城の外に築かれた城、向い城と言っても過言では無いでしょう。城内、城外の連携で崩しにかかっても、圧殺されてしまう可能性は大です」

「文聘本人の実力もわからない分、運否天賦になってしまうか……」

「黄忠将軍については、文聘将軍ほど鉄壁の陣ではありませんが、非常に柔軟な構えを見せています。攻めと守りの切り替わりが滑らかで、練度の高さがうかがえます。こちらも、挟み撃ちをしても、受け流されてしまうでしょう」

「古くからの友人として、黄忠本人を評すると」

 周泰の言葉を受けて、厳顔がそれを補足する。

「戦場において冷静沈着で状況判断が的確。混乱するような事態といえば……家族の危機くらいしか思い浮かばぬ」

「家族、か」

 俺は璃々ちゃんとそれを愛しむ紫苑の姿を想像した。

「…………人質は常套手段、だが」

 甘寧が冷酷なことを言うが、

「それはやめて」

 俺が即座に否定すると、

「ん」

 と、すぐにひっこめた。

 そして桔梗が補足を追加する。

「黄忠本人の武力についていうと基本的に穴が無い。接近できれば勝機はある。超遠距離からの正確な狙撃を避けて、近づけるならな」

「……孫権様を逃がすのに狙撃手を相手にはしたくない。逃げられたとしても、後ろから射られかねん」

「だろうね。ってことは、周泰の言うとおり、北か南か?」

「その点も含め、情報を城内に送り、周瑜殿の知略を絡めて戦う」

「ですね。あちらの状況はここからではわかりませんし」

 二週間攻囲され続けている長沙城の城壁は、ところどころ傷ついているものの、いまだ分厚く、陥落を拒み続けている。

 その向こうに彼女たちはいる。

 その安否は、まだ誰にもわからない。

 

 

 長沙包囲陣西側。黄忠陣営。

 いわゆる攻城塔、衝車の上に俺たちは乗っていた。

「開戦時はもうちょっと多かったんだけど、壊されちゃってね。相手も手強いわ」

 と、紫苑。

 今回は俺と周泰と黄祖の三人で、黄忠の弓隊に加わった。

「気をつけてね。最上層は狙われやすいわ」

 木の段を踏み、上へ上へ。

「おっ……すごいな」

 思わず声を上げる。

 視界が一気に高くなった。

 城の城壁の高さと比べると少し低いが、十分弓が届く距離だ。

 楯を片手に、上層の端っこへ。

「敵は火矢でこちらを狙ってるわ。でも今は、油も矢も貴重になってきたんでしょうね。ほとんどは石を投げてくる程度よ」

 と言った矢先に、ガンっ! と衝撃で塔が揺れた。

「うおっ……! 結構くるな!」

 壁に手をつき、黄祖は驚く。

「ほとんど脅しだけど、当たればただじゃ済まないわね」

「しかし、石をどうやって投げればこんな威力になるんだ? 私の弾弓みたいなものか?」

「いえ……ほら、見て。あの将が手で投擲しているみたい」

「手で?」

 腰を落とし、胸のあたりまである柵に隠れていた俺たちは少し顔を出し、城壁の上を見る。

「…………あ」

 城壁の上には孫呉の城兵に混じって、1人の少女が立ちはだかって睨みをきかせていた。

「亞莎……っ」

 後ろで周泰のかすかな声。

「狙いは大ざっぱだけど、威力はそこそこ。とはいえ、あの子1人しかこの距離じゃ届かないみたいだから、そこに注意しながら、こちらも弓で牽制して」

「わかった」

 黄忠の指示と黄祖の頷きをよそに、俺は亞莎の様子をじっと見ていた。

 遠目で判断は難しいが、怪我などはなさそうだ。

「…………?」

 一瞬、亞莎と目が合った気がした。

 もちろん、気のせいだろう。

 亞莎は近眼だしな……。

「えっと弓は、と」

「無くしたの? じゃあ、あまり強い弓じゃ無いけれど、この弓を――」

 予備の弓を黄祖に手渡そうとした時、

「危ない!」

 向かいの城壁の兵が動いたのを視認し、周泰が叫んだ。

 俺は咄嗟に紫苑と黄祖を押し倒し、床に伏せた。

「はっ!」

 さらにその上から周泰が楯をかざし、被弾を防ぐ。

 ガッ、ガガッ!

 破壊音の響きを聞きながら、恐怖の雨をやりすごす。

「もう大丈夫です」

 周泰が掩護の楯を外し、俺たちは顔を上げた。

「ありがとう。阿射は部下に恵まれたわね」

 周泰と俺に礼を言う紫苑。

「こんな感じで、まだ敵は余力を残しているわ」

 紫苑は乱れた髪を直しつつ言う。

「本来なら将軍がこんな前線に立つことは無いのだけれど……」

 と黄祖を見るが、

「いや。やる……やらせてくれ」

 黄祖は意思をかえなかった。

「わかったわ。気をつけてね……どうかこの娘をよろしく」

 俺と周泰の肩に手を置いて頼み、紫苑は攻城塔を降りていった。

「む、胸が痛いですね……いい人みたいですし……胸大きすぎですけど」

 と周泰。

「そうだね……」

 黄祖含めて仲間に入れられる道があれば良いんだけど、と俺は思い始めていた。

「お〜い。やるんじゃないのか?」

 と、黄祖。

 意外と声が暗くないのは、甘寧や文聘がいないからだろうか。

「じゃあ、弓矢に手紙を結わえて……あとは、一発じゃおかしいから俺たちも弓を」

「階下に数人を控えさせていますので、同時に発射させます」

「良し。やろう――!」

 俺たちは一斉に弓を構え、撃ち放った。

 矢は弧を描き、次々に長沙城城壁を越えた。

 巣に帰る鳥のように、空を滑り、視界から消えていく。

 あのどれに手紙が結わえられているかはわからない。

 だが、確かに――

 脱出への狼煙はあげられた。

 

 

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「蓮華様、冥琳様――!」

 長沙城本営。

 総大将である孫権と軍師である周瑜と、他数名のみが入れる場所に、その出入りを許された数少ない一人、呂蒙が転びそうな勢いで入室してきた。

「何事だ……!?」

 報告書と地図に埋もれていた周瑜が立ち上がった。

「敵か? どの城壁だ?」

 孫権が剣を手に将几から腰を上げた。

 二人とも今日、食事も休憩もとっていない。

 兵と共に食べ、休み、戦い続けている。

 疲労は重く、若干顔にやつれが見て取れる。

 それでも、戦意は萎んでいない。

 その理由は――

「い、いえ、敵はいつもと同じように、遠巻きに構え、弓兵と攻城兵器による遠距離攻撃のみに終始しています」

「では何があったのだ? 城兵の喧嘩か?」

 鉄壁の絆を誇る孫呉でも、さすがに末端にほつれはある。増して今は籠城中だ。

「い、いえ、今のところその様子はありません」

「じゃあなんだ?」

 ちょっともどかしいといった感じで周瑜は尋ねる。

「し、思春さんから手紙が来ました!!」

 だぶついた服の袖から、手紙を取り出し、二人の目の前に示す。

「なにっ!?」

 二人は瞠目して呂蒙の近くに詰め寄った。

「西側城壁から撃ちこまれた敵の矢に結ばれていたんです」

 手紙は孫権の手にわたり、広げられた。

「…………姉様の軍が襄陽城を包囲している」

「襄陽……!? 劉表の本城だな」

「この救援に劉表が北上するのを狙って、脱出せよ、とのことだ」

「そうか……包囲の兵が減ったのは、そういうことか」

「甘寧が潜行させてきたのは兵数二千、周泰を伴ってきたとの事だ」

「二千か。ギリギリのところだな……。しかし、思春と明命がいるなら話は違ってくる」

「それと…………? 北郷軍の将も二人?」

「なに? 北郷?」

 蓮華と冥琳は首をかしげた。

 冥琳もさすがに想定外だったらしい。

「襄陽城攻撃に加勢してくれるというならまだ分かるが……、長沙まで来たというのか? 馬鹿な」

「しかし、思春がこんな虚偽を書くわけがない」

「そうですね……ともかく、いるということにしておきましょう」

「さらに、劉表軍の内通者もいる、と。これらを用いて、脱出の計画を決め、城壁西側から合図を以て指示を下されたし……以上だ」

 孫権は手紙を冥琳に見せ、確認させた。

「…………来ましたな」

 眼鏡の奥の目を光らせて、冥琳は独言のようなつぶやきを発する。

「…………ようやく、反撃の時か」

 孫呉の炎のような戦意を抑えて抑えて、安易な発散を戒めた。

 そしてそれは、この時のためだった。

「兵士さんたちも喜びます。これで、我慢しなくても済みますね」

 と、明るい顔を見せる亞莎。

 孫権という君主、周瑜という軍師の下、唯一といえる将として前線の兵を励まし守り戦い続けた。

 彼女もまた、炎を心の中に宿していた。

 敵を焼き尽くす炎を。

「伝令! 糧秣の庫を開け! 兵士達と軍馬に十分な食を与えよ。当直の兵はいつも通りに、それ以外の兵は休ませること。ただし、武器、防具の手入れだけは怠らないように」

 周瑜が指示を飛ばす。

「冥琳、明日夜までに作戦立案いけるか?」

 孫権の問いに、

「朝までに終えましょう。時間をかければ、潜行軍が露見する確率が上がりますから」

「ふっ」

 孫権は笑い声を漏らした。

「神速……孫呉の戦いの基本だな。こんな時でも変わらないか」

「そうですね」

 含み笑いの周瑜。

「あ!」

 疲労した二人の低調な笑いが重なる中、呂蒙が声を上げた。

「な、なんだ?」

「どうした?」

 視線が自分に集中して、亞莎はちょっと萎縮して、

「い、いえ……あの、西の城壁に矢文が射掛けられた時に、攻城塔の上に、北郷さんがいたように見えたんですけど」

 その言葉に、二人は口をポカンと開け、

「…………ありえん」

 冥琳は失笑した。

「無い無い! 絶対無い! 北郷軍が来ていることだけでも耳を疑うというのに、あの男が来ているわけ……」

 ぶんぶん、と首を振って蓮華も否定した。

「というか……いたら…………困る」

 半月にわたる籠城。

 貴重な自分用の飲み水をちょっとずつ使って、身体を拭いたりはしているが、孫呉の姫としてはクオリティが下がりつつある自分の今の姿。

 それを…………あいつに見られる?

 ちょっと、泣きたくなった。

「さすがにそれは目の錯覚だろう」

「そうですね……。では、北郷さんはいないということで……」

「うむ」

「……それでいい」

 こうして一刀はいないことにされたのだった。

 

 

 

「合図が来た……明日の昼過ぎに、仕掛けるぞ」

 甘寧が戻ってきた。

「さすが、早いな……」

 と華雄。

「明日か。桔梗、こちらの準備は?」

「万全です。すでに、長沙郡の近くに来ているとのこと」

「よし。じゃあ、それを念頭に兵の配置を考えてくれ」

 と甘寧に進言する。

「助かる。いま潜行軍は食糧の調達を済ませ、回り込ませているところだ。当日の攻撃は、長沙城包囲陣の北側から行う」

「やっぱり、黄忠と文聘の隙間を狙うんだな」

「ああ。力攻めでこじ開ける形になるな」

「兵力的にはきついな。北側の兵力は一万五千ぐらいだろ?」

 敵全兵力が五万前後。

 黄忠、文聘の本陣がある東西側に各一万。

 副将級が配置されている南北側に各一万五千。

「私が黄祖を利用し敵内側に入り、攪乱する。明命は精鋭をもって切込み、道を開け。北郷達は侵入口を固めてくれ」

「了解っ」

「腕が鳴る……ようやく、戦いの時か」

 身を隠しての地味な行軍が続いたためか、桔梗が愉しげだ。

「桔梗……戦闘前に、黄忠のところに行くの忘れないでね?」

「お、おお、忘れていませんとも」

 ……本当かよ。

「今日はこれで休むことにしよう……明日からは、激戦になる」

 そう言って、思春は軍議を終え、解散させた。

 寝床に行くのか偵察に行くのかよくわからない方向へ去る彼女を、俺は追いかけた。

「……何か用か」

 背中で俺の気配を感じたのか、思春は顔も向けずに言う。

 素っ気ない言葉だが、声色は前より優しい感じがする。

「いや……足は大丈夫?」

 横に並び尋ねる。

 森の中、木立の合間を二人で歩く。

 傍目から見れば恋人同士の散歩にもみえるかもしれない。

「調子は八割ほど戻った。明日の作戦が始まるころには全開でいける」

「そっか。良かった」

「お前は……」

 と、横目で俺を見る。

「大丈夫か?」

「俺? ああ、熱中症っぽかったからか……いや、今は何ともないよ」

 昨日は歩くのも怠かったが、今は元気だ。

「……」

 甘寧は足を止め、すっ、と俺の方に手をのばし、

「えっ?」

 頬に手を添えた。

「…………問題はなさそうだな」

「う、うん」

 顔が近い。

 目鼻立ちがはっきりとわかり、その目に映る自分さえ確認できる。彼女の瞳の中の俺は、驚き、今にもだらしなく口元をにやけさせる寸前だった。

「なんだ…………顔が赤いぞ。熱か」

「いや……はは、戦いの前だから興奮してるのかな」

「そんな性格とは思えんが。まぁいい、お前も少し歩くか……?」

「ん? 甘寧も?」

「そうだ…………熱を冷ますために歩いている」

「そっか」

 陽が傾き、風は冷たくなってきていた。

 道がそれほど広くないため、袖と袖がふれあうぐらいの距離で、俺たちは歩く。

「明日の戦い――」

 葉擦れの音のように流れる澄んだ声。

「私たちは命を賭けて戦う」

 当たり前のように、彼女は言う。

「――うん」

 それを咎めたり、止めたりなんてできなかった。

「戦況によっては、呉にたどり着くこと無く、命を落とすだろう」

「それは――」

「もし、私が死んだら……お前に、孫権さまが呉に無事に帰還するまで、見届けて欲しい」

 彼女は珍しく、睨んだり見下ろしたりする事無く、俺から視線をそらす。

「甘寧……?」

 不安になって足を止めると、

「思春」

 と、短く彼女は自分の真名を告げた。

「この戦いに限り、真名を預ける……生き残ったら忘れろ。死んだら……墓に持って行け」

「…………思春」

 久しぶりに口にする彼女の真名。

「お前の本当の狙いはわからないし、今更訊かない。ただ、私と同じ目的、孫権様救出だけは一致しているのだと、ここまでくればわかる。呉の全兵は、孫権様の盾となり、死ぬのが役目だ。見届け役としては……お前ぐらいしかいない」

「思春、俺は…………」

 手を伸ばすが、彼女は一歩先を行き、俺から離れていく。

「頼んだ。北郷……一刀」

 そして、彼女は去っていってしまった。

 風のように。

 体の熱を奪い、消えていった。

 心に、ざわめきを残して。

 

 

 

 戦いの時――

 の、直前。

「久しぶりだな、紫苑」

 酒瓶片手に、旧友に会いに来た桔梗。

 敵だらけの中を無造作に、まっすぐに、本営を訪ねてきた。

「本当に、豪胆というか……」

 紫苑はあきれ顔で桔梗を迎えた。

「それで? どうしたのかしら?」

 陣中ゆえ、一杯だけ盃を受ける紫苑。

「たしか中原の様子を見にいっていたのではなかったかしら?」

「うむ。董卓亡き後どうなるか、ここからではわからぬ事も多いからな。しばし近くで傍観してみようかと、悪く言えば物見高い気持ちで行ったのだがな」

「そうね。なかなか帰ってこないから、なにかあったのかと思ったわ」

「ふむ。あったと言えばあった。実はな…………璃々にムコを連れてきた」

「ええ!!?」

「冗談だ」

 目を丸くする紫苑に、呵々と笑う桔梗。

「本当は、お主とわしにふさわしい男を探してきた」

「あらあら…………私には璃々がいるのだけれど?」

「はっは、そんな事を気にする小さい御仁ではない。器の大きいかたよ。それこそ、天下一つを平らげるほどに」

「それは…………」

 紫苑は、困ったように眉尻を下げ、

「主君、ということかしら」

「左様。見たところ劉表殿に厚遇されているようだが…………」

「利用されているだけかもしれないけれどね。年が近いうえ、娘がいるというのも、信頼されている理由かしら」

「ふむ。外では無く、内に安定を求める人物、ということか」

「そうでしょうね」

「…………その安定を、捨てろと安易には言えんが」

 ぐっ、と酒をあおり、

「短き平穏よりは長き平和を望まぬか?」

 酒瓶を紫苑の方に向けた。

「…………」

 紫苑は、一口、酒をすすった。だが、盃を空にすることはなく、

「私一人なら……いいえ、璃々と私だけなら、まだその誘いを飲むことも考えたのだけど」

「なんだ……? 劉表に義理でもあるのか?」

「まぁ、それも多少。それと放っておけない娘が一人増えちゃったみたいだから」

「……んん? 誰のことだか分からんが、連れて行くわけにはいかんのか?」

「ちょっとね。今強引にやると折れてしまいそうだから。それに……」

「それに?」

 紫苑は花開くように微笑み、

「こういう誘いは、本人からしてもらいたいわ」

「……ふっ、乙女という年じゃあるまいに」

 桔梗も失笑して、紫苑に差し出した酒を自分で飲んだ。

「あなたに言われたくないわ」

「ははっ、しかし、失敗した。お館様を連れてこれば良かったのだが……なにやら今は合わす顔が無いとか何とか……」

「え? ……もしかして私の知っている人なのかしら?」

「さてな」

 紫苑はごまかして椅子から腰を上げた。

「いや、しかし残念だ。お主がいないなら、わし一人で独り占めということになるな」

「…………なんだかそう言われると変な気分になるわね」

 と紫苑も立って目線を合わせる。

「だが、お館様の様子からして、一度誘って駄目でも、二度三度と誘いに来るだろう。今度は直接な」

「そんなに求められるような将かしら? 私は」

「多分今お主が思っている自分の価値より、お館様の評価の方が高いぞ。将としても、女としても」

「持ち上げられるのは苦手だけれど」

「支えたい、と。では、自ら飛び込んでゆくのだな。もし、お館様に惚れたなら」

 どん、とテーブルの上に酒瓶を置き、桔梗は去って行った。

 紫苑は桔梗を陣の外まで見送り、帰ってくると、残された酒瓶を持ち上げた。

「飲みかけ……いえ、新しいのね。わざわざ二本……自分で飲む用を用意するなんて、桔梗らしい」

 苦笑を口中に含んで、紫苑は盃に酒を満たした。

 そして――

 遠くで、喚声が上がった。

 紫苑は盃の酒を飲み干し、弓をとった。

 恋する前の、姫である前の将軍は戦場へと向かった――

 

 

 長沙城北。

 劉表軍一万五千が配置されている。

 その内訳は、文聘軍一万、黄忠軍五千である。

 指揮するのは文聘軍の副将。

 混成軍である包囲陣北軍は、文聘軍と黄忠軍の境目に監視塔を設けている。

 攻城塔と同じつくりだが、長沙城からは遠く、弓矢の届く範囲ではない。ただ敵を監視するための……そして味方を監視するためのものである。

 味方の監視。

 それは、軍令を無視して、許可無く持ち場を離れる違反者を捕らえるため。さらにいえば、敵と内通した者が陣中を混乱させるのを防ぐためでもある。

 これにより、文聘軍と黄忠軍という内実が異なる二つの軍を連絡させている。

「これを終えたら――」

 黄忠軍に紛れた甘寧は言う。

「混乱に紛れ戦場を離れろ。城内の我が軍が脱出し、安全圏に入った時点で劉磐を解放する」

「……わかった」

 黄祖は頷き、黄忠軍から離れて、ゆっくりと監視塔の方へ向かった。

「止まれ! 許可証無くして持ち場を離れるな!」

「……許可証ならある! ほら、見ろ! 黄忠将軍の印だ!」

「なにぃ? ……こちらに連絡は来ていないぞ? 傷病兵の補充か? ……がっ!?」

 監視兵が視線を全体から黄祖の持つ許可証に集中させたことにより生じた隙に、甘寧が潜り込んだ。

「っ……ぐぁ……!?」

 監視塔の他の兵も、緊急事態を告げる鐘を鳴らす暇も無く殺された。

 そして甘寧は包囲陣の北、文聘軍のところへ侵入した。

 その事件に気づく者は無く、黄祖は監視塔の上に登り、仲間の遺体を片付けて床に座り込んだ。

 血の臭い。

 それは監視塔の中だけでは無い、外からもその臭いがしはじめていた。

 戦いが、始まったのだ。

 

 

「て、敵襲!!」

 文聘軍副将に報告が届いた。

「なんだ、城から打って出てきたか?」

「いえ! 包囲陣の外からです!」

「敵の増援か!?」

「おそらく!」

「ちぃ……! 哨戒の兵は何をしていた! 敵の規模は!?」

「は、五千にはいかないかと!」

「ならば、黄忠軍の部隊を当たらせろ! 城の連中が呼応してくるぞ、門周辺を固めろ!」

「ははっ!」

 副将の命を受けて、伝令が陣の外へ。

 そしてそこで伝令は殺された。

「…………」

 甘寧は無言で死体を捨てる。

 同士討ちに驚き、固まっている周囲の兵を誘うように、甘寧は背を向けて駆け去る。

 

 

「全軍っ! 錐行の陣のまま突入せよ!」

 周泰率いる二千の軍が、鋭い矢印型の陣形で北包囲陣、文聘軍と黄忠軍の隙間に突進した。

 そこに布陣していた劉表軍は、指揮官からの指示が無くどちらの軍が当たるかすら決まっていなかったため、現場の小部隊による場当たりな対応しかできず、周泰軍は敵陣三分の一までほぼ無傷で突破することに成功した。

「敵、包囲狭めてきますッ!」

「速いのは右の黄忠軍……、全軍左斜め前へっ! 押し返しつつ道を開け!」

「承知っ!」

「私と兵百のみ右の黄忠軍に当たる! 真正面からではなく、上から攻撃を! 全速ッ!」

 命令一下、左右に分かれ敵に向かって突撃する。

 一方は、いまだ戸惑い前進が遅く、足並みも揃っていない文聘軍の方へ向かう。

 対してこちらは速度の乗った、軽装の周泰軍。

 軍の破壊力は、速度に依るところが大きい。

 よって――

「おおおおおお!! ぶっ殺せぇええ!!」

「やれえええええっ!!」

 周泰軍は文聘軍と衝突するやいなや、敵軍を食い止め、後退させた。

 そして周泰とたった百の兵が相対する黄忠軍勢は――

「敵の武器を見切り、かわします!! 敵を慌てさせて!!」

「応っ!」

 元々周泰の旗下部隊であった兵たちは、速攻に優れている。

 たった百とはいえ、尋常では無い速度で接近する敵に、黄忠軍は驚き、足を止めて迎撃態勢に入ろうとしたが、

「はあああぁっ!!」

 態勢が整う前に周泰たちは間近に迫り、黄忠軍の兵たちはまばらに武器を突きだしたが、

「今っ!」

 攻撃範囲を見切られ、躱され、

「はあっ!」

 飛ばれた。

 周泰は敵の槍を、足で地面に押さえつけて、それを足場にジャンプした。

 他の兵もほぼ同じ動きで敵の上へと飛翔し、前列の敵兵を飛び越す。

「へやあああああああ!!」

 一閃、後方の敵を頭上から斬り下ろした。

「ぐあっ!」

 血しぶきが舞う。

 着地した周泰は、そのまま体を低くして、敵の足元をすり抜けた。

 飛び越された前列の兵は混乱して振り返るが、それが逆効果。槍の穂先が後方の味方に向かい、混乱が伝播する。

「ひっ!?」

 そして、所によっては混乱のまま味方を討ってしまう兵が出てしまった。

「み、味方だっ!?」

「やめろっ、うわっ!!」

 自滅する黄忠軍。

 そこに誰かの声が響いた。

「敵はあそこだ!」

「いやっ、あっちだ!!」

 その叫びに、兵士達は右往左往して、戦いどころでは無くなってしまった。

「ふぅ……!」

 血振りをして魂切を鞘に収め、敵陣中から抜け出る周泰。

 同じく渦中を抜け出した部下を率い、元の軍と合流を果たす。

「ぐっ、だ、駄目だ! 援軍! 援軍を!! 黄忠軍はなにをやっている!」

 文聘軍副将は憤った。

「みすみす敵軍の侵入を許すとは……! ええい! 黄忠軍では無く、北東側の部隊をこっちに寄越せ!」

「し、しかし、文聘将軍の守りが薄くなってしまいますが」

 北側の包囲陣は文聘軍副将の指揮の下にあるので、当然、北東の部隊も副将の指揮下である。

 だが、東側の文聘将軍の兵数は一万しかなく、場合によっては北東側、あるいは南東側から兵を送らなければならない。

「安心しろ。文聘将軍の守備力は城一つ分だ。こちらはこちらで集中する! 北東の部隊を回り込ませろ! 私は侵入した敵を抑えに行く!」

「了解しました!!」

 伝令が飛ぶ。

 それを遠目に、潜伏していた甘寧は動きだす。が、今回は伝令を捕らえること無く見逃した。

 甘寧は先ほどまで、敵の指揮を把握し、伝令を斬り、追跡者を振り切り、また陣中に忍び込むというのを繰り返していた。

 だが、ここで甘寧は、作戦が第二段階に移ったのだと理解し、敵包囲陣の外に出た。

 

「今は耐えろ……! 城攻めを忘れ、守り抜くのだ!」

 前線に出た文聘軍副将が叫ぶ。

 戦況は当初の勢いこそ弱まったものの、今だ周泰軍に押され、じりじりと後退する局面となっている。

 反対側にいる黄忠軍とは連携がとれず、手持ちの文聘軍の兵で傷口を広げないようにするしかない。

「敵勢、陣の半分近くまで侵入!」

「ぐっ、くうううっ! だが、ここまで来たということは、城内からの脱出敢行が北門からであることは確実ッ! 文聘将軍と黄忠将軍に増援要請をっ! こちらに兵力を回せと!!」

 その指示が伝令に伝わりきる前に、響動めきが地を揺るがした。

 震源地は――2カ所。

 東と西、文聘本陣と黄忠本陣がある方角だった。

 

 

-3ページ-

 

 

 

 

 

「孫呉の勇者たちよ! 天佑を待ち、ひたすら耐え忍んだ者たちよ! 今我らは解き放たれる! 我らの友、仲間の助けによって!」

 東門、口火を切ったのは孫家の世嗣、孫権。

「しかし! 我らの友もまた苦境の中にある! ただ身をゆだねるだけでは、双方ここで敗死するのみだ!」

 馬上にあって剣をとり、籠城で疲弊した兵たちを鼓舞する。

「敵を斬り、手を差し伸ばせ! 友を助け、そして助けられよ! 開門ッ!」

 前を向き、兵士達を背に、重々しく城を守り続けた門を開ける。

 音を立てて、ゆっくりと開かれる大門に向かって、孫権は剣尖を向けた。

「行け! 兵士たちよ! 敵の包囲を突破せよ!!」

 門が完全に開放される。

 東門――そしてもうひとつ同時に、南門も。

 

 

 

「敵増援は北から?」

 西側の黄忠は、様子を窺っていた。

「ははっ、ついで、敵城東門、南門が開け放たれ、東からは敵の城兵! 南からは、火牛が出現したとのこと!」

「火牛!? ……派手なことを」

 黄忠は微苦笑し、

「……脱出を賭けるなら、北からの確率が高いと見たほうがいいかしら。こっちには何も仕掛けてこないようだし西側から兵を送って――」

 本陣の中央から城の北側を向いて、兵を動かしかける黄忠の視界の端に、砂塵が映った。

「え……?」

 砂塵は西の丘からだった。

「まさか…………こちらからも敵!?」

 黄忠は信じられぬ思いで、その砂塵が近づいてくるのを視認した。

 

「兵たちよ! 死に場を失った我が友たちよ!」

 長沙城の西の平原に、魏の旗が翻った。

 眼前には黄忠の本陣とそれを守る軍勢。

「我に従い敵を打ち砕けい! 突撃!」

 命が下り、千の騎兵が丘を駆け下りる。

「桔梗様の朋友とはいえ、当の桔梗様からのご命令! 遠慮無くいかせてもらうぞっ!!」

 蜀の勇将、魏延は叫び、我先にと疾走突撃した。

 

 

 

「どういうことだ!?」

 華雄は眉間に皺を寄せた。

「西からの増援、魏延の突撃と共に北門から脱出するのではなかったのか!?」

「まさか伝達に失敗が……?」

 桔梗も声を低め、疑念を口にする。

 俺は的盧の馬上から、轟音が鳴り響いている東方を見やる。

 しかしさすがにここからでは、全く様子は分からなかった。

「……事情はわからない、けど……」

 顔を前に向ける。

 周泰率いる二千の軍勢は、一心不乱に敵陣を裂き崩し、道を切り開かんとしていた。

「孫呉の兵は信じて戦っている。孫権や周瑜、呂蒙たちを。俺たちも信じて戦うしか無い……」

 俺たちの持ち場は、周泰が突入した黄忠軍勢と文聘軍勢の隙間の入り口で、閉じられないよう広げ続ける事だ。

 敵は当初の混乱から立ち直りつつあり、勢いが衰えない周泰軍先頭部隊を相手にするより、回り込んで絞め殺そうと考えたのだろう、陣形を変えて軍勢をこちらに差し向けつつあった。

「桔梗! あの部隊を横から攻撃だ! 葉雄! 桔梗の討ち漏らした敵を迎撃!」

「心得た!」

「応ッ!」

 東から迫ってくる敵への対応を指示する。

「あと少し――」

 わずかな距離だ。

 彼女まで。蓮華まで――!

 

 

 

「城内より打って出た敵兵は、現在ここ本陣の第一防柵を攻撃! 突破しつつあり!」

 文聘軍本陣。

 文聘は急報を受けてマントの前を開き、両腕に手甲を装着した。

「率いているのは誰だ?」

「旗は孫旗と呂旗! 現在は呂旗が先頭です!」

「孫権と……呂蒙か。数は?」

「およそ8千!」

「ほぼ全軍……ならこれが本命か。……両翼を狭めよ。本陣を固めるのだ!」

 ゴーグルの位置を軽く直し、装備を調え終える文聘。

「第二防柵までの後退を許す。弓兵隊を左右両翼に展開させよ。敵の意気を削ぎ、こちらに招き入れろ」

「ははっ!」

「私は第三防柵に向かう」

 文聘は赤い髪を手でかきあげた。

 まるでその髪の色に染められたかのように、手甲が赤く燃えるような気を放っていた。

「さて……城を築きに行こうか」

 ぐるりと肩を回す文聘。

 彼女の顔は、攻城戦をしている時よりも生き生きとしていた。

 

 

 

「左右後方に気配! 弓隊!」

 脱出を強行する軍の先頭を走る呂蒙が、隊の後方へ伝える。

 眼鏡をかけた彼女は、視力が悪く、至近距離の敵しか把握できない。かわりに、気配で周囲をサーチし、捉えることができる。

「横からの攻撃は絶対に防いで下さい! 歩兵の皆さん! 盾を構えて掩護を!」

「呂蒙様……! 敵が柵から後退していきます! 追いますか!?」

「っ…………追撃します! 呂蒙隊!」

 傷つきつつも士気の高い兵をまとめ、采を採る。

「この一歩が脱出への道となります! 前進を!」

「おおお!!」

 文聘軍本陣を守る一つ目の柵を越え、二つ目の柵へと猛進する呂蒙隊。

「……っ蓮華様! どうかご無事で……っ!」

 振り返ること無く、敵を撃ち倒していく亞莎。

 後方に孫の旗。

 けれど、その下に孫権の姿は無かった。

 

 

「第3伯(百人隊)半壊ッ!」

「第6伯、伯長が戦死! 部隊が押されています!」

「うう、まだっ……! よ、4伯と3伯入れ替えっ! えと、あと……っ、6伯は1伯と合流させて下さいっ!」

 周泰隊はついに敵陣の縦半分を貫き、そこで止まりつつあった。

 2千いた軍勢は消耗し、その損耗率は一割に届きつつある。

 それでも何とか隊をまとめあげ、戦いを続けようとする明命だが、彼女の統率能力はそこまで高くない。彼女も、彼女の部隊も、護衛や密偵という役目に特化しているため、正面きって大軍を相手にできるタイプではないのだ。

「よおしっ、敵は弱まっているぞ!

 文聘軍副将は勢い込んで、槍を天に衝き上げた。

「2千でまともに1万5千を相手にできるはずはないのだ! そのままねじ切れろ! 孫呉ッ!」

 その声が聞こえたのかどうか、周泰は乾いた呻きを洩らした。

 彼女の周囲には敵が迫り、逆に味方は減りつつあった。

「ッ! このっ!」

 死角から飛び出てくる敵の切っ先をはね飛ばし、魂切で突く。

 血しぶきを浴び、視界がふさがれたところを、さらに敵が重なってくる。

「くっ、ふぅうううう!!」

 殺気を感じ取り、剣を引き抜いて斜めに飛び退る。

「ふあっ!?」

 それを追って敵の弓が射掛けられる。

 周泰は躱しきれないと見た二矢を、一本は魂切で、一本は脛当てで受けた。

「ううっ、くううっ!」

 無傷だが、矢の勢いを殺しきれず、しびれが手足に残る。

 戦闘能力の一時的喪失。

 そこに敵は前進して距離を詰めてくる。

 味方も同様に、敵に押し戻されている

 後方の気配から考えると、黄忠軍勢も周泰隊に反撃を開始しているようだ。

 包囲陣に打たれた楔は、確実に先細りしている。

「……このままじゃ……まずい、っ……!」

 魂切を握る手に汗がにじむ。

「あれが指揮官だ! 殺せッ!」

 ついに明命一人を目指して敵軍が集中し、殺到する。

 ガンッ! ギィィィン!

 剣が交錯し、金属音が立てつづけに耳朶を打つ。血なまぐさい臭いが鼻をつき、死臭がそこに混じりつつあるのを感じる。

「ぐっ!?」

 受け損ない、腕に浅い裂傷がつけられる。痛みは無いが、将として、ここから先の傷は看過できないと周泰は判断した。

「限界……です」

 明命は肩を落とし、敵に包囲されるのを待った。

「ちょっと早いけど……はじめますっ!」

 顔を上げ、魂切を振りあげる。

「周泰隊! 全兵散開っ!! 独力で劉表軍をかき回して!!」

 その号令で、周泰隊という楔は消滅した。

「な、なんだ!? 敵が逃げてるぞ、追いかけろ! ぐおっ!?」

 一人の周泰隊兵を追えば、別の周泰隊兵に討たれる。

「落ち着け! 敵は分散しただけだ! 各個撃破を……ひっ!?」

 そして、冷静な将兵を狙って、周泰兵は暗殺を仕掛ける。

 周泰隊は2千の霧と化して、劉表軍を覆ったのだ。

「足並みを乱すな! 戦列をそろえよ! 槍先を下方に!」

 文聘軍副将は再び攪乱されつつある部隊の後ろで、旗本の兵を集結させた。

「さっきいた敵の将はどこへ行った……? まぁいい、あぶり出せ!!」

 混乱を通り越して混沌となった戦場を見わたす。

 敵は最後の足掻きとばかりにバラバラに攻撃してくる。

 だが、足掻きの割には効率良く、慣れた動きで戦っているように見える。

 その様子から考えると、そういう単独攻撃を得意としている連中の集まりなのだろう。

 となると、その反面、統率のとれた攻撃を苦手としているということだ。

 つまり――

「最初から、我が陣を突破するつもりなどなかった……?」

 分散攻撃はどんなに効率が良くても、陣を分断するほどの力は無い。道を切り開くことができないのだ。

「……では、城の東門から出撃したという軍勢は、陽動ではない……のか?」

 文聘軍副将は目を見開いた。

 そして、後ろ――城の東方へと体を向けると、

「バレてしまいました」

 近くで、悲しげな声が響いた。

 声のした方向に、一人の少女が屹立していた。

 敵の血と自分の血にまみれて、傷だらけになりながらも、魂切一本を頼りに、ただ一人、敵将への道を切り開いた。

「た、単騎だと……!」

「身軽です」

 ドサッ、と音を立てて、つかんでいた敵兵を地面に放り捨てた。

「混乱続きの前線に留まり続け、指揮を執っていてくれたおかげで、すぐに居場所が分かりました」

 周泰の言に文聘軍副将は臍を噬むが、

「……ふっ、名将とは、常に兵たちの前にあって戦う者よ」

 と、強がりを言う。

 周泰は、それに笑みを浮かべて、

「名将で良かったです。お互いに」

 礼と共に、剣を横に払う。

 文聘軍副将は槍を構えて防ごうとするが、魂切はそれより速く、その首へとたどり着いていた。

 ザシュッ…………!

 戦場に首が飛ぶ。

 その時だけ、世界が無音になったような気がした。命が消える音だからだろうか。

「名無しの名将、討ち取りました……!」

 勝鬨とはいえない小さな宣言。

 敵陣の隙間に潜り込んでいる周泰兵たちは、声をあげるわけにはいかない。

 でも、戦場は確実に沸き上がっていた。

 

 

 長沙城東部、文聘軍本陣。

 呂蒙率いる脱出軍は第二防柵に取り付き、抵抗を受けながらもこれを突破。

 第三防柵へと攻めかかった。

「ついに来たか」

 文聘将軍は左手で右手首を掴み、ゆっくりと、右拳を握った。

 敵先鋒の顔が見えた。

 片眼鏡をつけた、長袖の将。

「そりゃ長すぎじゃないのか……?」

 袖が長すぎて手が見えない。

 武器は持てているようだが、邪魔だろうに。

「まぁいい。勇気ある敵先鋒、第二防柵まで打ち破るとは見事」

 文聘は第三防柵の後ろに立った。

 柵は二重になっていて、柵と柵の間に土嚢が積んである。高さは人2人分ほど。

「だが、ここから先へは行かせない。どうしても行きたいなら――」

 強く、強く拳を握り込む。

 彼女の拳は赤く燃え、光り輝いていた。

 文聘はその拳を振りかぶり、

「この城を破って見せろおおおっ!!」

 

 ドォオオオンッ!

 

 柵と柵の間、土嚢の壁を殴りつけた。

 衝撃で地が揺らぐほどの気。

 それが土嚢へ伝わり、ぐるりと、中の土がかき混ぜられ、固められた。

 そして、それは土嚢両側の柵にも伝わり――

 

「はああああああ!」

 呂蒙が第三防柵にたどり着き、柵を引き抜いて崩しにかかる。

「んなっ!?」

 柵はびくともしなかった。

「な、なぜ………!?」

 呂蒙はそこまで力があるわけではないが、地面に刺しただけの木の柵程度、思い切り力をかければ、剥がせるという自信があった。

 実際、第一防柵、第二防柵は時間こそかかったが排除することができた。

「こ、この!」

 今度は剣で柵を斬り飛ばそうとするが、ギィン! と甲高い音と共に剣は弾かれた。

「そんな馬鹿な……!?」

「呂蒙殿! これを!」

 追いついてきた部下から戦槌を渡される。

「よ、よぉしっ、これなら」

 重いハンマーを持ち上げ、回転して威力を増して、

「てええええええい! ふあっ!?」

 ハンマーの打撃力は、呂蒙へのダメージだけを残してまたも弾かれた。

「こんな……こんなのって……」

 まるで、壁を相手にしているかのような――いや、ただの壁じゃない。城壁を相手にしているかのような手応え。

「呂蒙殿! 左右から敵が!」

「この壁には攻城兵器しか通用しないの……?」

「うっ、て、敵が柵の上に!」

 壁の裏側からはしごを使って登ってきた弓兵が、呂蒙達を狙って射撃してくる。

「くっ! 仕方ありません! 柵を迂回します!!」

 後退りして、進路を変える呂蒙隊。

 八千対一万という、兵数から見れば大した差の無い戦いは、ここにきて巨大な壁が立ちふさがった。

「残念だな。もっともっと破壊力があるものと思っていたが」

 柵の上から顔を出して、文聘がため息を吐く。

「こんなものでは、私の陣を抜いての脱出など不可能。孫呉の姫たちはここで――?」

 第三防柵を回避するため、目前で方向を転換する孫呉の兵たち。

 文聘の目の前で横腹を見せる軍。

 軍の全容が一望できる状況。

「……騎兵が、少ない?」

 脱出軍のほとんどが歩兵だった。

「逃げるなら馬に乗ってというのが常道……食いつぶしたのか……いや、先刻火牛を使った策を使ったのだ、それは無い。……策? ……まさか」

 脳裏に孫策軍の幹部、その名前が浮かんだ。

 周瑜。

 美周郎の異名を持つ軍師。

 仕掛けたのは向こう、迎え撃ったのはこっち。

 ということは……。

「意図的に、私は本陣を固めさせられた……?」

 ぞわっ、と文聘は総毛立ち、憤怒の皺を顔に刻んだ。

「奴らの狙いは……ここでも、包囲陣北の黄忠隊との隙間でも無い……のか!?」

 文聘は呂蒙隊ではなく、長沙城城壁を睨んだ。

「…………ふっ」

 それはただの偶然だ。

 遠すぎて見えるはずもない。

 けれど、その時、周瑜は城壁の上にあり、白い歯を見せていた。

「……見えたぞ、孫呉の活路!」

 周瑜はわずかに残った城兵に合図を送った。

 そして、城壁の影、息を潜め続けていた孫権たちが動き出した。

 

「すまないな……亞莎、明命。2人の奮闘、必ず報いる……!」

 通常の戦闘服ではなく、飾り気のない平服を着て、孫権は馬を駆っていた。

 東門を開けて、突撃したと見せかけて軍の真ん中で服を着替え、徐々に後退。城壁の影に隠れて、その機を待った。

 そして、その機が来た。

「周瑜の指示通りに陣をすり抜ける! 行くぞ!」

 孫権は、長沙城東壁から北上、北方面へと抜けた。

 そこにあるのは、軍と軍の隙間に作られた活路。生き残りへの道。

「明命に集中してくれた北包囲陣、亞莎に集中してくれた東包囲陣、ならばその間に薄明はある! 脇目も振らず突進せよ!」

 孫権率いる兵たちは全て騎兵だ。

 籠城戦で足を温め続けた騎兵たち。その全速力を以て、脱出を仕掛ける。

 昼過ぎの乾ききった大地を蹴立てて、汗と足跡を後に残して、長沙城から解き放たれんと――

「いいぞ! ほとんど敵がいない!」

 連絡哨戒の兵以外、敵は遠めにしか見えない。

「敵を見るな! 前だけを見よ!」

 さすがに敵が異常に気づいて、孫権軍を取り巻こうと動き出すが、孫権は意に介さない。

「まだ……! まだ真っ直ぐだ!」

 十歩二十歩、さらに前進し、敵が行く手を塞ぐのが見えた瞬間、

「孫権様! 周瑜殿より旗信号きました! 西北方向へ!」

「わかった! 続けっ!!」

 体重をかけて速度を維持したまま馬の軌道を修正し、その方向の敵へ襲いかかる。

「でやああああああああっっ!!!」

 歩兵を馬蹄にかけ、乗りかかり、左右を斬り払い、ノンストップで通り抜ける。

 周瑜の合図通り、蛇行しながら。

「ぐおっ! くそっ!」

「うわっ!?」

 敵の罵声と、味方の悲鳴が届く。

 だが後ろを見ることはできない。

 脱落者を救う余裕は無いのだ。

「ッ……!」

 血が出るほど唇をかみ、涙がにじみかけた目を、眉間に皺を寄せてこらえる。

「劉表っ……!!」

 殺意がにじみ出る声。

 今まで、姉である孫策の庇護下、敵と戦っている時も壁一枚を隔てている感触だった。黄巾党の乱の時も、董卓軍を相手にしている時も。

 それが今、満身から血が噴き出さんばかりの痛みを感じている。

 自分が傷を負っているわけでもないのに。

「絶対に生き残るっ! 生き残って……っ」

 その決意は、

「孫権様ぁ!!」

「があっ……!」

 孫権をかばい、矢を受けて落馬する仲間の姿を見て、余計に燃え上がった。

 後方からの周瑜の旗信号が途絶えている。

 距離的な問題で、冥琳が状況が把握できなくなったのだ。

 敵の影が濃くなる。

 孫権の行く道に、敵兵百人近くが立ちふさがる。

「どけえええええええええええっっっ!!!!!

 怒りのまま、しゃにむに剣を振るい、手当たり次第斬り伏せ、滅多斬りにし、突き、刺し、叫ぶ。

「おおおおおおおおおおお!!!」

 その大音声は、敵を萎縮させ、味方を勇気づけた。

 それでもなお、敵は次々に立ちふさがる。

 劉表軍に特別勇者が多いからではない。単純に数が多いからだ。

 数は、結局の所、力だ。

 そして力は、敵を打ち倒すだけではない。味方を敵の前へと押し出してしまうのだ。

 孫権を止めようとする敵は、最早千を超えていた。

「敵が多すぎる……っ」

 弱音は孫権ではなく、部下からのものだ。

 孫権が率いているのは八百前後。精兵とはいえ数が減り、戦車のごとき突破力が削げ落ちている。

 孫権はそれを理解しつつも、剣を握る手を余計強く握る。

「……もし、生き残れなくとも……っ、この場で、一兵でも多く道連れに……!

 と、興奮が限界を突破しつつある孫権の耳に、玲瓏たる鈴の音に合わせて、

 

「蓮華さまああああああっ!!」

 

 聞き慣れた少女の呼号が届いた。

 千の敵壁が突如割れる。

 そこから真っ直ぐに、少女は駆け寄ってきた。

「遅くなりました……! よくぞご無事でっ!」

「思春!?」

 半月前に単独で姉の所へ緊急事態を伝えに行った、甘寧との再会だった。

「これより、私が脱出路を示します!」

「……わかった! 頼むぞ!」

 再会を喜ぶ声は置いて、この場からの離脱を図る。

「まずはこのまま真っ直ぐ北へ!」

 言うやいなや甘寧は走り出す。

「ちょっ……そっちは敵だらけ……!」

 明らかに敵の数が多い方角だった。

「あちらの敵部隊の主要な指揮官は全て殺してきました。あとは、烏合の衆のみです!」

「わ、わかった……!」

 そんな馬鹿な話も、彼女ならありえるのだろうと思った。

「前衛衝角の陣! 進路を塞ぐ敵を吹き飛ばせ!」

「了解しましたッ!!」

 甘寧が八百の兵をまとめ直し、敵にぶち当てる。

 壁のようだった敵部隊は、薄紙のごとく破れた。

「我らの道を塞ぐ者、ことごとく黄泉路へと落とす……!」

 前、左、右と鈴音を振り、敵を刈り取る。

 がむしゃらな孫権の斬撃と異なり、最小限度の動きで、的確に敵の動きを止めていく。

 速度を落とさずに、しかし、敵を見逃すことなく斬り捨てていく。

 孫権は、自分の視界が開けていくのを感じた。

 まだ敵はいる。

 けれど、もう壁はなかった。

 もはや、足蹴にするべき雑草しかない。

 無人の草原を行くように、蓮華は駆けていく。

 籠城という苦しみの旅路を終える、最後の一歩――

「眼前に敵影無し! 前衛後方へ下がって追撃を警戒せよ!!」

 本当の意味で敵がいなくなり視界が広がる。

 地平線が見えるほどに。

 城から見える空と同じなのに、空さえ広がった気がする。

 籠の中の鳥が、解き放たれたのと同じ。

「――ああ」

 思わず声がこぼれる。

 見上げた蒼穹に、一条の矢が放たれる。

「私は、ここにいる――!!」

 鏑矢を使った合図。

 空という水面に波紋を広げるような独特の高い音。

 孫権、長沙城を脱出、包囲陣突破に成功せり――

 それは、一つの戦いの勝利宣言だった。

 

 

 

 

 

説明
分割三つ目。
長沙城の戦い。
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