Shine & Dark Sisters 一章
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Shine & Dark Sisters

 

 

 

一章 姫の騎士か狩人の犬か

 

 

 

 会員制ゴスロリ喫茶。

 およそ萌えやオタクといった言葉とは縁遠いこの田舎町に、そんな店の噂が流れ始めた。

 まず、その響き自体が怪しいと思うのだが、その辺りどうだろう?

 メイド喫茶ならぬゴスロリ喫茶。その時点でちょっと普通じゃないし、会員制というのが一番ひっかかる。

 たとえ店員がメイド姿でもゴスロリ姿でも、つまりは喫茶店。誰でも自由に利用出来る店であるべきなのに、一見さんお断りなんて儲ける気があるのか、と疑いたくなる。

 まあ、俺は生涯行かないであろう店だ。経営状況を憂いてやる必要もないか。

 ……と、俺は考えていた。今朝、学校の教室での友人、来丘祐一が話しかけて来て、俺をその店に誘うその時までは。

 

「なぁ、近江。行こうぜー、SDSー」

「えすでぃーえす?新作のゲーム機か、どっかの会社の名前か?」

「シャイン&ダークシスターズだよ!お前も聞いたことぐらいあるだろ。ゴスロリ喫茶だよ」

「あ、ああ……」

 急に何を言い出すのかと思えば。確かに俺は暇な人間だが、あんまりそういうのに興味がないことはわかっているだろうに。

「なんだよ。乗り気じゃないなー」

「当たり前だろ。行くなら一人で行けよ。俺みたいなノリ悪い奴と行くより、そっちの方がずっと良いに決まってる」

「いや、そうもいかないんだって。会員になる時は絶対に二人じゃないといけないんだよ。で、俺の同志は皆もう会員だし、ノーマルな友達はお前ぐらいだろ?」

「……変なシステムだな」

 二人連れしか会員登録出来ない?まるで危険な商法みたいだ。俺の偏見があるせいかもしれないが、やっぱりいまいち乗り気にはなれないぞ。

「登録は有料なのか?」

「タダって話だけど、会員になるからにはその一回だけは絶対利用しないとな。コーヒー一杯飲むぐらいなら、俺がおごるからさ!良いだろ?」

「仕方がないな。一回だけだぞ」

「おお、ありがとう。心の友よ!」

 未だかつて、こんな感じのことを言う奴に良い奴はいただろうか。いたとしても、それは劇場版だけの話だな。

「意外にお前もはまったりしてな」

「……馬鹿言うなよ」

 メイド喫茶ですらよくわからない人間が、会員制のゴスロリ喫茶なんて怪しげなものに惹かれる訳がない。……変なフラグじゃないぞ。

「じゃあ、携帯で登録するからお前の名前を入力してくれ。パスワードも決めてくれよ」

「ああ。一人一人パスワードが違うんだな」

「パソコン、携帯の両方からアクセス出来るマイページがあって、予約とかが出来るんだってさ。後はポイントの引換とか、イベントの確認も出来るんだ」

「へぇ……」

「こう、ハイテクって感じだよな!燃えるっ」

 そのテンションはよくわからないけど、確かに新しい感じだ。喫茶店もパソコンを利用するような時代なのか。

 名前の欄は“ニックネーム”ということになっていて、別に本名じゃなくて良いらしい。でも、いちいち偽名を考えるのが面倒なので“近江義次”と本名を入れて、パスワードは適当に入れておいた。いくらなんでも生年月日とかが危険なのはわかってるからな。

「ん、終わったぞ」

「おう。なんだ、本名か」

「他に何を入れるんだ?」

「俺なんかほら、来丘ルカだぜ」

「……普通に痛いな」

「HNぐらい、人の勝手だろ!」

「この名前で呼ばれたりするんじゃないのか?店員に」

「ま、マジか!?もう決定押しちゃったんだけど」

「ご愁傷様。ルカ君」

「おうよ……義次ちゃん」

 こんな馬鹿な友人と一緒に、俺は初めてコスプレ喫茶なるものに入店することとなった。

 もしも来丘がいなければ、あいつ等との出会いもなかった。……それは、幸運だったのだろうか?いや、俺はこの出会いを意味のある、大事なものだと考える。

 運命の神なんてオカルティックな存在がいて、運命のレールなんてものが敷かれているのかもしれない、と無神論者の俺が特別に信じよう。それだけ大事な出会いだったのだから。

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「……ここか」

 その建物は、普通の繁華街に存在していた。外装はちょっとおしゃれな、あくまで一般的な喫茶店といったところだ。

 やたらとくるくるとしたヒゲの生えた自体で書かれた店名の看板と、その近くにある立札の“会員制”の文字がなければ、何も知らずに入ってしまいかねない。実際、なんとなく足が向いてしまいそうな魅力がある。

「おー、オーラあるなぁ」

「まあな」

 否定はしない。こんな田舎じゃなく、もっと都会にありそうな洗練された感じだ。瀟洒、とでも難しい言葉で言うのか?

 でも、中にはメイドならぬゴスロリ衣装のウェイトレスがいる訳で、店は見かけによらない、ってやつだな。

「じゃあ入るか」

「え、入るの?」

「お前が誘ったんだろ。入る以外に選択肢はないと思うが」

「いや……なんかこう、いざ入店、ってなると緊張するって言うか、さ」

「ちょっと特殊だけど要するに喫茶店なんだし、自然体でいれば良いんじゃないか?」

「だ、だよな。でもさ、秘密の花園感がないか?なんて言ったってゴスロリなんだし。メイド喫茶とは格が違うぜ」

「はあ」

 メイドとゴスロリだと、後者の方が格上なのか。初めて知った。

 まあ、来丘がヘタレなのは今に始まったことじゃない。店先でいつまでも立っているのは不審だし、外開きの扉を開く。よくある喫茶店と同じように、からんころん、という鈴が鳴って、かすかにコーヒーの匂いが香る店内へと足を踏み入れた。

 すると広がるのは、数百年前のヨーロッパにタイムスリップしたかのようなアンティーク空間だ。落ち着いた色合いの木製のテーブル、椅子、振り子時計……そして、そこには二人のウェイトレス。

 片方は金色のウェーブのかかった長髪に、白いドレス。もう片方は銀色の長いツインテールに、黒いドレス。瞳の色はどちらも緑で、アンティーク人形のように真っ白な肌をした、完璧という言葉すら出て来るほどの――美少女。

 “ゴスロリ喫茶”の看板娘として、申し分ない容姿の店員だろう。俺だって思わず、心臓の鼓動が早くなってしまう。

「おかえりなさいませ。お兄様」

「おかえり。お兄ちゃん」

 二人のウェイトレスは真っ直ぐにその大きな瞳で俺を見つめ、この手の喫茶店では恒例なのだろう。わざわざ足を運んで来た客にするとは思えない挨拶をする。

「え、えーと。どうも」

「もう一人のお兄様は?」

「あー……あいつ、なんか緊張してるみたいで」

「あはは。変なお兄ちゃんだね」

 本当にな。来丘の方が俺を誘って来たのに、まるで俺が主体的にやって来たように、先に入ることになってしまうなんて。

 それにしても、テーブルはたった二つ。他に客の姿は見えない。まさか来丘の奴、貸し切ったのか?それとも、元から二人しか客を入れないという不可思議過ぎる経営方針なのか。

「えっと、お兄ちゃん名前なんだっけ。ずっとお兄ちゃんって呼んでるから忘れちゃった」

「名前?ああ。俺は近江義次。店の外にいるのが来丘だよ」

「では、義次お兄様。私とディアちゃん、どちらをご指名いただけますか?」

「指名って……俺、この店のシステムをよくわかってないんだけど、まさかウェイトレスが付きっきりなのか?」

「うん、そうだよ。知らなかったの?お兄ちゃん」

 知らなかったも何も、俺は自分の名前を打って登録しただけで、この店を利用すること自体が乗り気じゃないからな……何一つとして知らされてないし、訊く気もなかった。

 どうやら、この店では客はこのウェイトレスの二人の兄という設定で、どちらか片方の“妹”と一緒にお茶を楽しむ、って感じになっているらしい。しかしこの二人、見た感じ中学生かそれ以下なんだけど、バイトか?なんだかブラックな気がしてならない。

「えーと……と言うか、来丘。早く入れ。どっちの子か選べるみたいだけど、お前はどっちが好みだ?」

 正直、二人ともすさまじい美少女だし、顔の作りがよく似ている辺り、双子なのだろう。ただ、若干金髪の白い服の子は垂れ目で、銀髪の黒い服の子は釣り目なようだ。垂れ目の子は静かに柔らかな声で、釣り目の子は、はきはきと明るい声で喋っている。

 俺にはどちらが好みなんてすぐには言えないし、無理に来丘を店の中に放り込んでやった。

 途端、声のない悲鳴を上げる我が友人。ウェイトレスの二人の可愛さに驚愕し、まともな発声すら出来ない、って感じか。

 かろうじて指で黒い服の子を示し、必然的に俺は白い服の子の接待を受けることになる。

「お兄様。こちらの席へどうぞ」

「お兄ちゃん。こっちに一緒に座ろうよ」

 二人の少女が俺達をテーブルへと案内し、向かい合わせで俺は白い服の子と同じテーブルに座らせられた。

 真っ白な肌に、絹糸のように美しく滑らかな金髪。身にまとうドレスは決して安物じゃないことは、あまり女の子の服に詳しくない俺でもわかる。改めてこうして見ると、息をして動いていることが信じられないほど、人形めいた微笑だ。

「お兄様。お兄様は、あちらのお兄様に無理に連れて来られたのですか?」

「あ。ああ……その通りだよ。多いのか?そういう奴って」

「どうでしょうか。もうひと月ほど営業させてもらっていますが、二日に一度はそのようなお兄様がいらっしゃいます」

「十分多いだろ、それ」

「ふふっ。そうですね」

 目を細め、口に手を当てて上品に笑う。この子は正統派のお姫様、って感じだろうか。黒い服の子は、おてんばなお嬢様みたいな雰囲気があったな。

「では、簡単に当店のシステムを説明させてもらいますね。もちろん、もう二度と来られなくても良いのですが、一応、この店を利用されるからには知っておいていただきたいので」

「それぐらいは聞くよ。来たからには、注文もさせてもらうし」

「ありがとうございます。では、少し長いお話になってしまうのでお飲み物だけでも、ご注文をどうぞ。メニューはこちらになります」

 二人で使用するには大き過ぎる机の片隅にあった、大きなアルバムのようなメニューをこっちに渡してくれる。ただのメニューなのに見た目はかなり品が良く、中身は世界文学全集か、セピア色の写真達か、といった風格がある。……実際に書いてあったのはコーヒーや紅茶といった当たり前のメニューだったが。

「意外と安いな……」

 コーヒーが二百円、紅茶もアイス、ホットどっちも二百二十円。どれを見ても、この手の店にありそうなぼったくり的な価格設定ではなく、普通の喫茶店と比べても安めの、かなり良心的な値段に見える。

「当店は、お兄様方の心を癒すサービスをさせてもらっていますので、価格設定も必然的に安めになっています。癒されるために大金を払わせられては、本末転倒というものですから」

「なるほど」

 心を癒すサービス、か。つまるところ、メイド喫茶もそういう店なんだろうな。ただ、この店のウェイトレスはゴスロリで、値段も安い。その代わりに会員制、って訳だ。

「じゃあ、アイスレモンティーで」

「ありがとうございます。では、少しお待ちを」

「え?」

 すっ、と女の子は席を立ち、厨房があるらしい店の奥へと消えてしまった。数分して、その手に二人分のレモンティーを持って戻って来る。

「当店はお飲み物、お料理、全てを私達が手作りさせてもらっています。……もちろん、手の込んだものは冷凍食品であったり、レトルトだったりするのですが、それはメニューにも明記していますから」

 見ると、メニューには確かにオムライス(冷凍)、カレーライス(ルーはレトルト)などの表示がある。隠さない姿勢はすごく感心出来るところだな。普通の喫茶店も、手作り風に冷凍食品を出して来るのだから。

「どうぞ、お兄様」

「あ、ありがとう」

「兄妹ですから、そう畏まらないでください。お兄様」

 ……なんとなく、来丘の気持ちもわからないでもない。なんだろうか、この血の繋がっていない相手に兄と呼ばれることのむず痒さは。しかも俺は一人っ子、きょうだいなんてものを全く知らないせいか、その気恥かしさが増幅されている気がする。

「説明に戻らせてもらいますね。当店は既にご存知の通り、会員制のゴスロリ喫茶となっています。会員登録の際、および初のご来店時には必ず二人でなければならない、というシステムを採用しています。これは会員制であることの閉塞感を取り払うと同時に、一人で来られたお客様が勝手をされることを防ぐためのものになります。お兄様には面倒な思いをさせてしまい、本当に申し訳ありません」

「いや、そんな頭を下げられても。来丘に付き合うって決めたのは、俺の意思なんだし」

「ありがとうございます。お兄様」

 深々と頭を下げてくれる女の子に慌てつつ、喉も乾いていたので紅茶に手を付ける。初めからシロップは入っていて、ストローも挿してくれている。

「ところで、君、名前は?いつまでも名前を知らないんじゃ、不便だし」

「あ、そうですね。私は姉のセラフィーナ・ハイドフェルト。あちらは妹のディアナです。私のことは名前が長いので、セラかセナとでもお呼びください」

「セラちゃん、とでも呼べば良いか?それか、さん付け?」

「お兄様のお好きなようにどうぞ」

 何気なく聞き流したけど、普通に外国人なんだな……英語の名前っぽいけど、姓の方は聞き慣れない。フランスかどこかの言葉だろうか。

「それで、ですね。当店は通常、予約をいただいたお客様の入店しか受け付けてはおりません。最大二時間、時間を指定していただき、その時間の間だけ入店をしていただく、という訳です」

「じゃあ、今日は来丘が予約してたんだな」

「はい。ただ、会員登録の際に顔写真などはいただいておりませんので、お名前の確認をさせてもらいました」

「なるほどな。これからは顔を覚えてもらえるのか?」

「いいえ、お陰様でたくさんのお兄様方に利用してもらっていますから、店内で写真を撮らせていただくんです。もちろん、写真はお兄様方にもお持ち帰りいただけます。ポラロイドですので」

 よく店内を見ると、確かにアンティーク家具の中に一台、古いカメラがあるのが見える。ある意味であれも骨董品だが、今時ポラロイドカメラを使っているとは、ずいぶんと粋な店だ。

 姉妹の趣味や持ち物とは思えないから、経営者――つまりは親の物かもしれない。

「今回は二人で来たけど、次から一人でも良いのか?」

「はい。その時に私達姉妹、どちらを指名するかも決められます。そうすることで、空いている方で他のお兄様をお相手出来ますし、何かと手続きが円滑に済みますから。他は、会費などは無料ですし、申し出がありましたら利用者名簿から名前を削除させてもらうことも出来ます。逆にいくら利用されなくても、勝手に削除することはありません」

「会員でいると、何かあるのか?」

「店舗の利用以外では、年賀状、暑中見舞いのおはがきを用意させていただこう、と考えています。もちろん、その場合は住所を教えていただく必要がありますので、大体ひと月ほど前から希望される方には住所の入力が出来るフォームを用意させてもらいます。そのためにも当店の公式ホームページを月に二度程度はご確認いただければ、と思います」

 猫を被ったように甘ったるい声の妹のディアナとは違い、清流のせせらぎのように落ち着いた声音で話すセラは、その後も諸注意をいくつか丁寧に説明した後、一息つくようにレモンティーを少しだけ口にした。

 立ち居振る舞いも話し方も大人びていて、どこか年不相応にすら思える。実際のところ、何歳なのだろうか。訊けば教えてくれるのだろうか?あんまり込み入った質問は避けようと思うのだが。

「さて、ではお兄様。まだ一時間半ほど時間がありますので、ごゆっくりお寛ぎください。と言っても、娯楽のための道具などはありませんので、調度をご覧いただくか、私とお話していただくしかないですね。せめて今は現実を忘れ、妹のいる風景をお楽しみください」

「妹がいる、か」

「ご所望とあれば、姉キャラでも良いですが」

「えっ。そんなの出来るのか?」

「私は一応、ディアちゃんの姉ですから。二人きりの時はそれなりにお姉さんっぽい振る舞いをしているのですよ?」

「まあ、しっかりしてるからな」

「ありがとうございます。ディアちゃんは年齢以上に子どもっぽいところもありますので、姉としては……って、あんまり妹のことを悪く言ってはいけませんね。可愛い妹ですから」

「はは。二人は髪の色は違うけど、顔はそっくりだし双子なんだよな?」

「その通りです。私は母に似て、ディアちゃんは父に似たようですね。性格はどちらかと言うと逆ですが」

「君達のご両親なら、まだ若くて奇麗なんだろうな」

「自分で言うのも変ですが、とても。と言うか、あれはほとんど化物レベルですよ?お母さんなんて、十代と言っても通じるような見た目なんです。私達がもう少し成長すれば、三姉妹だと思われるかもしれないほどなんですから」

「そ、そんなにか」

「はい。あの人は絶対、不老不死か吸血鬼なんです」

「お、おお」

 意外と激しい言動の女の子だな。今までは大人びていたのに、急に年相応の子どもの部分が出て来た気がする。

 性格が大きく違う姉妹だし、喧嘩なんかも多そうだ。これはその時に出るような彼女の素なんだろうな。

「こほん。まあ、今はお兄様しか家族がいない、という設定ですので」

「設定なんて言って良いのか?」

「メタ的な発言はこれまで、です。初回のお兄様ですから、こちらもこれぐらいの方が接しやすいのでは?」

「確かに。あんまり役になりきられても、ちょっと怖いしな」

「そういうことです。居心地の良い場所でありたいと思いますので、お兄様のご要望は大体お聞きしますよ」

「じゃあ、もっと素を出してくれ、とか?」

「うふふ。それは難しいですね。お兄様はお客様ですから。お客様商売をしている人間として、あまり失礼な態度は取れません。近頃はツンデレ喫茶なるものがありますが、私としてはあれには反対ですね。たとえお芝居であっても、お客様は丁寧にもてなす。それが私のモットーです。……ディアちゃんはそうでもないみたいですが」

 セラの視線がディアナと来丘のテーブルの方に泳ぐ。それを追うと、さすがにそろそろ平常心を取り戻した来丘は、鼻の下を伸ばしてディアナと話していた。内容は……俺にはちょっと理解が難しい。どうもかなりコアなゲームなりアニメなりの話をしているみたいだ。

「あの子は、すぐに自分の話したいことを話してしまって……理解出来るお兄様なら良いのですが、そうではないお兄様も少なからずいらっしゃるのに」

「へぇ、俺みたいなのが他にも?」

「それもありますし。単純に癒しを求めていらっしゃる、社会人のお兄様もそれなりに。さすがに、中年以降の方は今のところいませんが。……ゴスロリですしね」

「まあ、ゴスロリだからな」

 ここが、メイド喫茶とは決定的に違うところだ。

 なんとなく誰にだって理解?されているメイド喫茶ではなく、ゴスロリ喫茶。ゴスロリという言葉を知らない人はもう少ないだろうが、その衣装を着た女の子のいる喫茶店に、おいそれと入って行けるのはまだ若者ぐらいだろう。しかもウェイトレスはまだあどけない少女の双子。軽い犯罪臭すらするからな。

「ところで、お兄様は高校生の方でしょうか」

「ああ、この制服な。近くの明生、って男子高の生徒だよ。大したことない高校なんだけど、家から近いから通ってる」

「明生、ですか。この店までは結構遠いのでは?」

「そうだな。ここは駅前通りにあって、明生はかなり奥まったところだから。ま、来丘の家からは近いから、あいつの家まで見送ってやるついでみたいなもんだ」

「では、あまり気軽にはご利用出来ませんね」

「まあ……そうなるかな」

 心から残念そうな顔でそう言われてしまうと、最初で最後、という最初の決意も揺らいでしまう。

 と言うか、俺自身かなりこの店に対して、嫌悪に近い偏見の目を持ってしまっていた。中で働いているのは当然ながら、それ相応の常識を持った同じ人間なのに、まるで別の世界の人間がいるかのような錯覚を覚えていた。

 セラと話していて、少なくとも不快な気持ちにはならないし、可愛らしいのにどこか知的な匂いを漂わせる彼女との会話は、疲れた心を揉みほぐしてくれているようだ。――この店の趣旨というものが、大分わかって来た気がする。確かにこれは、人生の癒しとなるだけの魅力のある店だ。

「お兄様」

「うん?」

「いえ、そう言えばお兄様は、このお店に来てくださった方の多くがされる質問をされていませんよね」

「へぇ、何の質問だ?まさか、スリーサイズとか」

「そ、そんな訳ありませんよ。いえ、結構されますけど、企業秘密です」

「されるのか……」

「大して胸がないのは明らかなのに、物好きなお兄様方ですよね」

「や、やっぱり毒舌だな」

「ドイツだけに?」

「あ。ドイツ出身なのか」

「はい。ハイドフェルトという苗字はドイツ語です。父がドイツ人で、母がイギリス人。私とディアちゃんの名前は英語ですね。だからとは言いませんが、紅茶は大好きです」

 しかし、日本語も流暢だ。全く日本人の血は流れていなさそうなのに不思議だな。この年で勉強して覚えた?イントネーションまで完璧だし、それはちょっと妙な話だ。

「あ、ああ。質問って年か」

「正解です。十人に九人はその質問をされ、更に十人に八人ほどは驚かれます」

「十三か十四じゃないのか?高校生には見えないけど」

「残念。高校には通っていませんが、十五歳、高校一年生になっていてもおかしくはない年齢です。驚かれました?」

「まあ、それなりには。でも、そうか。俺の一つ下か。あんまり女子高生は見ないけど、まだありそうだな」

「ふふっ、お兄様は見た目通り、クールな方ですね。お母様に似ているのか、私達姉妹は実年齢よりいくらか若く見えるようです。もう身長は伸びないみたいなので、ずっと今のまま、ちんちくりんですね」

「順調に母親と同じ、見た目詐欺の道を辿るのか」

「そうなれば面白いですよね。本当に私達と母が姉妹だというネタが使えますよ」

 自分の言葉に自分で受けたのか、あはは、と子どもっぽい笑いを隠すことなく見せてくれる。大人びた笑いよりは、この方が自然で良い、と思った。

「なんだかごめん。セラのことばっかり話させて」

「そんな。……少なくとも、あちらよりは健全な話をしていると思いますから」

「あっち、な」

 言うまでもなく、来丘の方だ。前のめりになって話しているのはディアナの方で、すさまじいマシンガントークなのがわかる。よくもまあ、あのスピードで話すネタを消化していてネタ切れにならないな……セラよりも圧倒的にお喋りなんだろうか。

「ディアちゃんは本当に楽しそうにお兄様方と話すんです。あっ、もちろん私もそうなのですが、本当に誰とでもすぐに仲良くなってしまうんですよ」

「いかにもそんな感じだな。明るくて、活発で……」

「落ち着きがない」

「そ、その通りで」

「でも、決して悪い子ではないですし、私よりはよほど発展性のあるお話が出来ると思いますので、次の機会があればあの子もお願いしますね」

「あ、ああ。長時間は疲れそうだけど」

「ふふ、確かに。二時間も予約される方はそういませんよ。持って一時間、三十分で満足されるお兄様も多くて」

「その点、セラとはいつまででも一緒にいれそうだ」

「長くいても、楽しくはないかもしれませんが」

「いや、そんな」

「ありがとうございます。お兄様は本当、お優しいんですね」

 小さく微笑み、椅子に座りながらでも丁寧な礼をする。立っていれば、スカートの裾を掴みながらする、あの典型的なお辞儀をしていそうだ。ディアナはともかく、セラは本当にザ・お嬢様と言った感じの女の子で、こうして働いているのがちょっと信じがたい。

 これを全て役作りでやっているとは思えないし、ハイドフェルト家というのは俺が知らないだけで、国では有力な名家なのかもしれないな。

「お兄様は、高校二年生なんですよね?学校は楽しいですか」

「楽しいか……まあ、普通ってところか。嫌じゃないから通ってるんだけど、そこまで楽しめてるかって言えば微妙だ」

「あら、それは寂しいですね。私はこちらに来て、進学することもありませんでしたから、高校というものが少し羨ましいです」

「親の都合とかで無理矢理だったのか?――あ、いや、また立ち入った話をしてごめん。こんな馴れ馴れしい客なんて他にいないよな」

 こういう店は初めてでも、俺が店員の事情を根掘り葉掘り聞きたがる迷惑な客、というのはよくわかる。これだとまるで個人情報を全て聞き出そうとしている変態だ。

 さすがにセラも嫌な顔をすると思ったが、笑顔をいつまでも崩さない。その笑顔も、見せかけのものではなく、ふわっとした本物の笑みのように見えた。

「良いのですよ。本当に話したくないことは話しませんから、お兄様はご自由に質問してください。

どうして日本に来たか、ですね。両親の都合というのも確かにそうですが、私もディアちゃんも望んでこの国にやって来ました。本気で嫌がれば、親戚のお家に預けてもらうことも出来たんですよ。でも、二人とも日本が大好きで」

「だから、日本語も話せるのか」

「かなり頑張りました。翻訳では日本語の情感は中々伝わりませんから、どうしても原文で読みたかったんです」

「日本が好きって、具体的にはどの辺りが?ディアナはなんとなくわかるけど……」

「ええ。ディアちゃんは日本の昨今のサブカルチャーが大好きで、漫画やゲームもかなりの数を持っています。ドイツにいる間も翻訳ではなく日本語版を輸入してやっていたぐらいこだわりがあるんですよ。――私の方は、日本の伝統文化の方に造詣が深いつもりですね。あまり高価な物は買えないのですが、掛け軸や陶芸品、それから刀や鎧といった武具も大好きで。そうは見えないと思いますが、自分で筆を握って書道をしたりもしています」

「へ、へぇ、それは本格的だな」

 そこまでコアな日本好きとは……確実に普通の日本人よりも日本の伝統文化がわかっているだろうな。コレクションの方向性にはセレブリティが発揮されているが。

 今はゴスロリを着ているが、書道の時は和服なのだろうか。書道着なる物があった記憶がある。

「ですから、今の私達はこの国に来れてすごく嬉しいですし、毎日の生活や、このお店でのお仕事も楽しめているんですけどね」

「そうか……もう一度高校生活をやり直すって訳にもいかないんだし、今をもうちょっと大事にしないとな」

「素敵な考え方だと思います。……でもこんなの、ゴスロリ喫茶の“妹”が言うことじゃないですね。結果的にお兄様を説教するようなことになってしまいました」

「気にしてないよ。癒しって言うのは、無条件で甘えさせてくれるのもそうだろうけど、俺の場合は適度に叱ってもらえた方が効果ありそうだ」

「お兄様は自分に厳しい方なんですね」

「いや、きっと自分には甘いからこそ、誰かに注意してもらいたいんだ。そうやって注意してくれるような友達もいないし」

 今まではそれが普通だと思っていたのに、まさかいやいや来たゴスロリ喫茶で、自分を叱ってくれる“妹”に出会うなんてな。こうなってしまうと、本当に俺はまたこの店にやって来ないといけないみたいだ。入ってみるまでは、もう二度と来るつもりなんてなかった、そのはずなのに不思議なものだ。

 それだけ、セラが良い子だということだろうな。一個しか年の違わない俺が言うのは偉そうだが。

「……もうすぐ時間だな」

「そうですね……あっという間でした」

 しばらく俺とセラはゆったりと話し続けて、気が付くと予約の時間が迫って来ていた。相変わらず来丘達はすさまじい勢いで話しているが、予約時間を守らない訳にはいかない。俺が席を立つと、セラもすぐにディアナのテーブルに向かって行った。

「それでは、いってらっしゃいませお兄様。またのお帰りをお待ちしております」

「いってらっしゃい、お兄ちゃん。すぐに帰って来てね?約束だよ」

 それぞれのキャラクターのよく出た見送りの言葉を背中で受け取って、店の外に出る。……こんなに暑かったんだな。気が付いたら季節はもう初夏と言える六月の頭。地球温暖化か何か知らないが、制服の暑いこと暑いこと、夕方なのにな。

「はぁー、最高だったなぁ、ディアナちゃん」

「そうだな……」

 そんな俺の感想を聞いて、さぞ来丘は驚いたことだろう。

 でも、本当にまた俺はこの店に戻って来る。これは確実なことだ。

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「ディアちゃん、見つかりましたか?」

「ううん。やっぱり簡単にはいかないよね……ある程度以上の年齢の男の人ばっかり来るお店を一ヶ月もやってるのに、ここまで見つからないなんて」

 閉店後のゴスロリ喫茶。双子の少女は店の掃除をしながら言葉を交わす。

 セラはタンスや窓に雑巾をかけ、ディアナは箒を操ってフロアのゴミを集める。それなりに外が暑い季節とはいえ、水仕事を姉であるセラが引き受けたのは妹への思いやりからだ。

「実は、ディアちゃん。私、見つけてしまったかもしれません」

「ええ?それ、ほんとなの、セラちゃん」

「まだ確証はないですけど、次にディアちゃんを指名してくれた時、確かめてみてください。あの人……近江さんですよ」

「近江さん?あ、あのお店に入るの嫌がってた人と一緒に来た人だっけ。見た感じ、あたし達が探している人には思えなかったけどなぁ」

「あなたは自分の目をどれだけ盲信しているんですか。実際にお話をして、それから思い返してみて……私にはあの人のように思えました。私達の“Ritter”になるべき男性は」

「セラちゃんが言うなら信用出来るけど、そっかぁ……あの人があたし達の“Hund”なんだ」

「ディアちゃん、それ、仮にあの方がそうだったとして、本人に言うのはやめてくださいね。この国的に言えば、hundとは、ダックスフントの犬種を連想させてしまいます。猟犬というのもあまり良い響きではありませんし」

「でもセラちゃんのritter、騎士なんて気取り過ぎだよ。そうやって格好良い言葉に置き換えるのは、それはそれで詐欺臭いよー?」

「うっ……。で、でも、私達の救世主とも言えるお方ですよ?騎士と呼ばずして、他に何と呼ぶと」

「だからhundだよ。あたし達のワンちゃん」

「そうですか……まあ、呼び方はこの際何でも良いですよ」

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 俺がセラ達姉妹と出会ってから、平凡な一週間が経った。それはつまり、俺と来丘の予約の縛りが解かれたことになる。

 幸い、今日は特に用事もない。登校してから教室で携帯を開き、予約状況を確認する。すると、ディスプレイを予想通りに予約ありの表示が埋め尽くす。こうして見ると、最初の一回が奇跡の産物だったのがわかるな。そして、奇跡は二回も続けて起こらない。

 とりあえず今日は閉店時間の夜七時まで予約でいっぱい……と思ったら、都合の良いことに六時に空きがある。ぱっと見るだけではわからないが、白い色で時間帯が塗り潰されているのはセラの予約のみ、という意味らしい。つまり妹のディアナは予約のない、フリーの状態という訳だ。

 丁度、次はディアナとも頑張って話してみたいと思っていたし、これは思わぬ僥倖だ。他の誰かに予約を取られる前に六時からの予約を取り付ける。一度画面を更新すると六時も灰色で塗り潰され、完全に今日の予約はいっぱいになった。

 しかし、一時から開いているんだが、その時間帯も予約が埋まっているんだな。社会人が食事がてらに来るのか、仕事や学校を休んででも利用する熱心な客がいるのか……。以前なら笑い飛ばしていただろうが、順調にあの店の常連客となろうとしている今、人のことは言えない。だからと言って、店のために学校を休んでいてはセラの言葉を無視することになるし、俺はそんなことは出来ないな。

「ディアナか……」

 セラの話では、姉が日本の伝統文化に興味を持っているのとは対照的に、日本の現代のサブカルチャーが大好きで、わかりやすく言えばオタクな女の子だ。多分、俺の詳しくないその分野以外の話もしてくれるんだろうけど、あんまり気を遣わせたくはないな。何か昔好きだった漫画かアニメを思い出しておくか。

 最近はすっかり漫画を読まなくなり、なんとなく母親の趣味でミステリー小説を読んでいた程度だから、今流行りの作品なんてとてもわからない。来丘に付け焼刃の知識を習うのも何か違うし、頼れるのは自分の過去の記憶だけだ。

「いよっし!ギリギリ予鈴前だっ」

 どたどたとうるさく走って来るのは来丘だ。いつもこんな感じのギリギリの時間に登校するんだが、もう少し余裕を持つということは出来ないのか。そう思って何時に起きているのかを聞いてみると、なんと俺よりも早かった。ただし、その日に提出すべき宿題を起きてからやるから、時間がかかるそうだ。ちなみに宿題がない日はゲームをやっている。……なんとまあ、大した奴だ。

 ちなみに寝起きで目が覚めきる前に宿題をしているから、あまり正答率は高くない。そもそも来丘の成績自体が赤点ギリギリなんだから、宿題を確実に出しているのは赤点対策だな。

「よっ、近江。良い朝だなぁ!」

「テンションを上げまくっているところを悪いが、公式サイト見てみろ」

「ん?ああ、SDSな。俺はもう予約しているさ!朝一に起きて!」

「そ、そうだったのか。もしかして六時からの一時間、セラを予約したのはお前か?」

「ん、いや、俺は五時からだぜ。そんなこと訊くってことは、お前は六時からなんだな」

「ああ」

 来丘は未だに信じられない、という顔で俺の方を見る。来丘に並ぶ勢いで予約をしているんだから、それもそうだろう。

 俺自身、あの店……と言うか、あの姉妹に惹かれているというのに実感がないぐらいだ。

 こんな風に自分が思いもよらないものにはまるなんて、あるものなんだな。

 

 ――そして、まもなく俺はもうただの客ではなくなってしまう。

 俺が二回目の来店を決めたのは、もしかすると運命に引き寄せられていたからの行動なのかもしれない。

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「おかえりなさい、お兄ちゃん」

「ああ、ただいま」

 微妙に慣れない言葉と共に店内へと招き入れられて、ディアナの案内を受ける。セラのテーブルには社会人だろう、スーツ姿の若い男が座っていて、改めて客層の広さを感じる。これぐらいの年から、下手をすると中学生ぐらいまでが対象になるのかもしれない。

「何か飲む?お兄ちゃん」

「そうだな、じゃあこのライムソーダで」

「アイス?ホット?」

「……誰がソーダ水をホットで飲むんだよ」

「あはは、じょーだんじょーだん。素敵なツッコミありがとうね、お兄ちゃん」

 予想はしていたことだが、いきなりそんな冗談を飛ばすディアナ。ある意味でこっちの方がリアルな妹と接しているような感覚があるな。……同時に間違いなく疲れそうだが。

「はい、持って来たよ。ホットライムソーダ!」

「またそんな冗談を……って、本当に湯気出てるぞ、これ!」

「なーんて、ドライアイスでしたー」

「だ、だよな。炭酸を加熱したりしたら、間違いなく泡が出なくなるだろうし」

 なんともしょうもないトリックだった。よくそんな小ネタのためにわざわざドライアイスを取って来たな。その芸人(?)魂はすさまじい。

「お兄ちゃん、マジレスしてくれるから楽しいね」

「まさか妹に遊ばれると思ってないからな……」

「えー、兄妹の交流だよー、兄妹愛だよー」

 愛の形がこんな冗談やイタズラとは、セラも色々と苦労しているんだろうな。先に彼女と話していた身としては、ひたすらに姉の心労を慮ってしまう。

 しかし、注文したライムソーダだが、これが中々に美味い。炭酸は結構きつめで、ライムの風味もよく利いている。多分、実際に果汁を絞って入れているんだろう。さすがに種が入っていることはないが、細い実の絞りかすが入っているのがわかる。

 既製品じゃなく、簡易ながらも厨房で調理してから出すとは、ただ女の子が接待をするだけではない、というこの店のこだわりがよくわかる一品だ。

 尚、ディアナは同じ物ではなく、普通のオレンジジュースを持って来ている。あんまり炭酸は好きじゃないんだろう。

「えへへ、前はセラちゃんと話してたから、初めてだね。お兄ちゃん」

「ああ。まあ、お手柔らかに頼むよ」

「ふふー、どうかな。あたし、面白いお兄ちゃんはけちょんけちょんにしちゃうんだよー」

「そ、そうか。じゃあディアナ……」

「あたしのことはディアって呼んで?セラちゃんもお母さんもそう呼んでるから」

「わかった。ディア」

「えへへー、なぁに?」

 愛称の呼ばせ方まで違うとは。セラはある程度自由に呼ばせてくれたのに、ディアナは“ディア”限定なんだな。他に思い付くものもないが、愛称で呼ぶほど長い名前じゃないような気もするのに。

「ディアは日本のアニメとか漫画が好きなんだよな。それで俺、昔見ていたアニメでな……」

「おー、なになに、何のアニメ?あたし、アニメのDVDだけで一部屋埋まるレベルに持ってるから、大体知ってるよー」

「ロボット戦記タフゼットって言う、俺が小学生ぐらいの時に流行ったロボットアニメなんだけど、わかるか?」

「タフゼット!さっすがお兄ちゃん、良いセンスだね。あのアニメはあたし的に、日本の巨大ロボットものの転機となった名作だと思うよ。なんと言っても、それまで巨大ロボットは搭乗するか、遠隔操作するのが主流だった。一応、このタフゼットも遠隔操作型ではあるんだけど、主人公の動きがロボットに連動しているんだよね。これが後に搭乗型と上手く融合して、科学世紀ジャスティダイザーに見られる、装着型のロボットが生まれたんだよ。そもそも、タフゼットの魅力はその斬新なロボットの操り方もそうだけど、何よりの見所は子ども向けアニメでありながら、よく考えるとかなりどろどろとした主人公周辺の人間関係と、その恋模様。中盤では主人公が軽々と略奪愛をやってのけるし、ライバルの横恋慕があったり、深夜三十時のアニメと言っても過言じゃないね」

「……あ、ああ」

 な、なんてコアなうんちくの数々だ。もう俺が語れるのなんて、主人公のロボットのどこが格好良いとか、そんな感じの個人的な趣味のことばかりじゃないか。

 ある程度は覚悟していたが、ディアの知識は本物なんだな……この分じゃ、どんなアニメの話だって出来てしまいそうだ。

「他には俺、十二少年の旅なんかも好きだったな」

「あー、ネタバレが全開になっちゃうけど、タイトルの十二少年というのは、十二歳の少年と思いきや、十二の平行世界に存在する全く同じ少年、というトリックが最っ高に熱い作品だよね。正直、今から見ればパラレルワールドとかタイムリープとか珍しくもなんともないけど、当時から平行世界要素を取り入れ、かつ“旅”の要素であるところの時間旅行、果ては次元旅行を織り交ぜるそのセンス。しかもそれでいてストーリー的破綻はなくて、現代のアニメの雛形の一つとなっている作品なんだよね。ラストの怒涛の展開が本当に息つく暇を与えなくて、DVD見ながらずっとドキドキしてたな……出来ればリアルタイムで見たかったよ。来週を首をながーくして待ってただろうけどね」

 や、やっぱりすごい。俺も相当楽しんでいた作品だが、確かに完璧にディアは抑えるべきところを抑えている、って感じがするな。こんな昔の作品が今にまで影響を与えているっていうのは初めて聞いたんだが、そう思うとこの流れを受け継いだ作品というのを見てみたい気もする。

 いやしかし……このアニメ大好きのドイツ人の妹はどこまで知識があるんだ。セラの時も思ったけど、絶対そこらの自称オタクよりアニメを見てるし、知っているだろう。俺がよくわからない世界とはいえ、そこまで日本のことを愛してくれているなんて嬉しいな。

「ねーねー、他は?」

「そうだな……アニメは小学校の四年ぐらいで卒業した記憶があるし、あんまり覚えてないな。この二つのアニメも、ディアと語れるとは思えないし」

「あたしのことは気にしないで、お兄ちゃんの好きなだけ語ってくれて良いよ?あたし、アニメの話はするのも好きだけど、聞くのも好きだもん」

「そうか?」

「そうなのっ。自分の好きな物を他の人も好きでいてくれるって、嬉しいよね。逆に嫌いって言われると自分のことのように悲しいし、あるものが嫌いな者同士、というのも変な連帯感が生まれたりするよね。お兄ちゃんはアレ、嫌い?」

「アレってなんだ。何か業界的に有名なアニメがあるのか?」

「ううん。あたし、アニメはなんだって好きだもん。それを嫌いなんて言わないよ。ほら、あの黒い虫とか、お兄ちゃんも嫌いだよね」

「ああ、ゴキ……」

「お兄ちゃん、ここゴスロリ喫茶だから!ゴスロリ妹と夢の時間を過ごすお店だから!そういう汚い系の単語は禁止っ」

「す、すまない」

 さすがに女の子のお店で名前を出す生物じゃなかったな。確かにあれは俺も嫌いだし、出来れば関わり合いになりたくない。逆に好きな奴なんているのか、という話になるが、ペット用のアイツがいたりするらしいからな。世の中わからないものだ。

「それは良いとして、お兄ちゃんはさ、何かスポーツとかしてるの?」

「スポーツ?いや、部活にも入ってないし、体育でサッカーとか野球をたまにするぐらいだけど」

「ありゃ、そうなんだ。あんまり筋肉はなさそうだけどすらっとしてるし、何かやってるのかなーって思ったんだ」

「細いのは生まれ付きだろうな。親は二人とも細いし」

「うー、羨ましいなぁ。あたし、油断するとすぐに太っちゃうの。セラちゃんはオフの時にお菓子食べてアニメ見てるだけだから、って言うけど、運動したら痩せるなんて迷信だよね。だって、セラちゃんもほとんど動いてないのにあたしよりスレンダーなんだもん。ま、おっぱいの大きさだとあたしが勝っちゃってるから、そこは優越感ありまくりなんだけどねー」

「そ、そうなのか」

 有酸素運動は脂肪燃焼がどうたらとか言うし、それは本当だと思うけどな。

 ……しかし、セラとディアだと、ディアの方が肉付きは良いのか。ゴスロリ服はとにかくもこもこふりふりで、ほとんど体の線がわからないし、本人達から聞かないとわからないことだ。

「あ、そんなの五十歩百歩の違いだと思ってるでしょ?ふふー、あたしはロリ巨乳としてその業界では有名なんだよ」

「なんの業界だよ」

「ゴスロリ業界」

「そんなのがあるのか……?」

「もちろん。広いようで狭い世界だもん、同好の士が集って情報交換をしたりするんだよ」

「へ、へえ」

 ゴスロリの情報交換とは何なのか。微妙に気になるが、それを俺が聞いたところで、という気もする。俺はゴスロリが好きだからこの店に来たんじゃなく、ハイドフェルト姉妹が気に入っているんだし、下手にゴスロリの裏側を知るというのもな。

 夏場は暑くて大変とか、実はドレスの下に何も着てないとか、恐ろしい情報を仕入れかねないし、十中八九夢は壊れてしまう。

「ここだけの話、七センチはセラちゃんとバスト、違うんだよ」

「七センチだって?よくわからないが、それだけ違えばかなり大きさは違うんだろ?」

「うんうん。山の規模で考えるなら、百倍して考えてみて。まあ、正直な話、セラちゃんがつるぺたなだけってトコもあって……」

 そこまでディアが言った時、突然遠くから何かが飛んで来た。白いそれはディアの頭にぶつかり、その発言を途切れさせる。

 ……何かと思ったら、トイレットペーパー一ホール丸々が投げられたようだ。もちろん、それを投擲したのはセラ。二つのテーブルは結構な距離があるのに聞こえたのか。そして、なぜ手元にトイレットペーパーがあったのか。武器として携帯しているのか?

「セ、セラちゃん地獄耳過ぎ……」

「あら、何の話でしょうか。もう、おかしな妹ですよね。ふふふ」

「お兄ちゃん……あれがセラちゃんだよ。白い服着てるけど、お腹の中はあたしなんかとは比べ物にならないぐらい真っ黒なの。天使の皮を被った悪魔だよ……」

 がごん、と二回目のトイレットペーパーアタック。奇麗に一回目と同じ側頭部に当てるという名コントロールを発揮していて、女子野球だってやれそうな腕前だ。……セラみたいな子には絶対に似合わないスポーツだと思っていたのにな。

「バイオレンスお姉ちゃんだー、お兄ちゃん、家庭内暴力なんとかしてよー」

「ええっ、そこで俺に振るのか?」

「振るよ!超振るよ!可愛い妹からのエマージェンシーコールですっ」

「お前が変なこと言わなければ良いだけだろ。自分の本当のお姉さんなんだから、ちゃんと仲良くしろよ」

「うっ、まさかのシリアスタッチのマジレス。でも、そうだよね……セラちゃん、ごめんなさいっ」

 あ、あれ、ちょっと空気が読めてなかったのか?割と本気でセラが怒ってそうだと思ったから、前にセラに注意してもらったように、俺も一応“お兄ちゃん”ぶってみたんだが。

 でも、結果としてはこれで良いか。あんまり身内をネタにするような商売はして欲しくないしな。

「ところで、ディア」

「なぁに、お兄ちゃん」

「この店って、大人はいないのか?両親とか」

「うん。あたしとセラちゃんだけだよ。この建物はあたし達がお店をするために借りただけだもん。実家もそんなに遠くないんだけど、基本的にはここの二階で寝泊りしてるから、ほとんどあたし達の家みたいな感じだけどね。でも、どうして?」

「いや、若い女の子二人だけって、物騒じゃないのかって」

 ものすごく嫌な想像だが、変な気を起こした客が忍び込む、なんてことも考えられる。いくら田舎町だからって、この二人の可愛さなら変態が湧いてもある意味で仕方ないだろう。

「それは大丈夫だよ。念のために七時にはお店を閉めてるし、こう見えてセキュリティも万全だからね。人的被害だけじゃなくて、調度品とかも高級だから、どこの美術館だ、ってぐらいの設備なの」

「すごいな、それは。まあ、下手にガードマンでも雇ったら、店のイメージが崩れるだろうしそりゃそうか」

「そういうこと。でも、お兄ちゃんみたいなイケメンの執事なら、個人的に傍においておきたいけどなー」

「……は?」

 な、なんだ、その提案は。背筋に悪寒が走ったぞ。

 普通なら冗談とか流せるだろうし、むしろ魅力的とすら思える話だろうが、ディアの目は割と真剣っぽい。いや、これは下手をすると本当に俺を傍におきたがってる目だ。たとえるならば――野獣の眼光。

 見た目は小動物系なのに、その殺意とも闘志とも言えるものは、獰猛な肉食獣のそれと変わらない気がする。

「ふふふー、これは冗談じゃないよ。結構真剣なお話。詳しくは七時を回ってから話すけどね」

「七時って、営業時間が終わるんじゃ……」

「だからこそ、なの。帰りがちょっと遅くなること、連絡が必要なら今の内にしちゃってね。……あたしにもわかっちゃった。あなたがあたし達のhundだって」

 なんだかまだ騙されているような気分だが、やはり言い方が真に迫っている。ここまで思わせぶりの嘘をつくほどディアは性格が悪くないだろうし、ここは素直に信じてメールを送っておくことにする。もう高校二年生にもなれば、わざわざ用事の内容を伝えなくても信用してもらえる。腹もそこまで減ってはいないし、何なら軽食を出してもらえるから、そこも問題はないな。

「はい、メールを送り終えたら真剣モードは終わりー。楽しい楽しいお話、しよっ?」

 ヒマワリのように眩しい笑顔と共にウィンクをするディアは、無邪気なのに恐ろしく蠱惑的に思えた。

 その幼い色香は俺の心を鷲掴みにして、彼女と話さないとならない、そんな使命感を与える。俺は子どもの頃の記憶をなんとか引っ張り出して、ディアとのアニメトークに熱中して行った。

-6ページ-

「いってらっしゃいませ、お兄様。お帰りをいつまでもお待ちしております」

 振り子時計が告げる午後七時。セラの客だけが見送られて行き、俺はディアに腕を掴まれて店内に残される。

 そう、手を握る、なんて甘い行為ではなく、俺はディアに腕をがっちりと掴まれて拘束されていた。本気で振り払えば逃げ出せてしまいそうだが、そこまでして逃げ出す理由はない。セラが玄関の鍵を締めるまでそのまま待つと、ディアも腕をどけてくれた。

「ディアちゃん。お兄様に乱暴してはいけませんよ」

「えー、でも逃げられたら嫌じゃない?これからとんでもないこと、聞かされるんだよ?」

「とんでもない、こと……?」

「うふふ、お兄ちゃんが今まで全然知らなかったようなことだよ。あたしはちゃんと説明出来ないから、セラちゃんから聞いてね」

「……あまりお兄様の不安を煽るようなことは言わないでくださいよ。今更、やめることも出来ませんけど」

 ディアは乗り出していた体を引き、椅子に座り直す。するとすぐにセラも椅子を持って俺のテーブルまでやって来て、替えの飲み物――アイスレモンティーを人数分置いた。

「お兄様。まずは落ち着かれてください」

「あ、ああ」

 と言われても、何か言われるとわかっている以上、ある程度は身構えざるを得ない。安定して美味い紅茶に口を付け、俺も姿勢を正すことぐらいしかすることはないな。

「突然ですが、お兄様。いくつか質問をさせてください。――お兄様は、神なる存在を信じますでしょうか。ここで言う神とは、神道、キリスト教、その他の宗教、どれでも良いです。一般的な概念としての神とお考えください」

「哲学的な話か……?まあ、俺はそこまで信じていないが、なんとなく神社に参ったりはするし、多くの日本人が習慣的にやってるレベルでは信仰がある、かもしれないな」

「わかりました。次に、霊と言う存在はどうでしょうか。亡霊、神霊、精霊、どれでも良いのですが、人と同じ肉体を持たない何者かのことです」

「それは、かなり怪しいな。俺に霊感なんてものはないみたいだし、テレビの心霊写真とか心霊現象もトリックだと思ってる。身内が死んだら仏教的に葬式は上げるけど、それだけだ」

「では、信じていないと。……わかりました。やはり、これからの話はお兄様にとって、ショックの大きなものになると思います」

「どういうことだ?」

「始めに、お兄様に一つ信じていただきたいことがあります。私は決して理性を失っているのではない、ということです。私はこれからする話は、きちんとした思考能力を持った人間が、ありのままの体験と伝承についてのものです。私が精神に異常を来たしているのでも、とんでもないホラ話をしようとしているのでもありません」

「それはまあ、今までセラと接してたらわかることだし、どんな話をされても信じられる、と思う」

 ここまで念を押すなんて、本当にセラは信じがたい話をしようとしているんだろう。それを本当に俺が受け止め切れるか、と言えばそこには不安が残る。でも、だからと言って笑い飛ばしたり、怒ったりはしないつもりだ。どんな荒唐無稽な話でも、よく聞けば納得出来るかもしれないのだから。

「ありがとうございます。

 まずは、私達の生い立ちについて、以前より詳しくお話しさせてもらいます。ハイドフェルト家とは、ドイツではそれなりに名の知れた企業主の家であり、ユーロ圏の中でも経済大国であるドイツの、更に稼ぎ頭と言える企業の社長を代々しています。その分野は多岐に渡り、例外なく成功を収めており、この日本にもお父様の会社の製品はいくつも入って来ています。

 ここだけであれば、私達はただの大企業の令嬢であり、大した話ではありません。ですが、ハイドフェルト家には裏の顔……いえ、本当のところを言えば、企業主であるということが、本来の生業を隠すためのカモフラージュなのです。我々の真の姿、それは堕ちた神霊の狩人。ドイツ語で“Jager”と自称しています。イェーガーの役目とは、信仰を失くすなどして、神として存在することが出来なくなり、魔物のような姿となったものに安息の死を与えること、となります。ここまではよろしいでしょうか」

「………………ああ」

 あれだけ念を押された後なら、想像以上に壮大で、やっぱり一般常識だけを持つ俺にとっては信じがたい話でも、黙って聞くことが出来る。そして、俺はロクな説明をされる前から、それを信じることが出来ていた。

「ハイドフェルト家の第一子のみが、かつての神を狩るだけの霊力を有し、第二子以降は一般的な人間であることから、ハイドフェルト家では第一子のみが過保護なまでに守られるシステムが出来上がっていました。それは家業を絶やさないための、普通のことだったのですが……お父様の次の代となり、私達、つまり双子の姉妹が生まれました。霊力は二人で丁度半分に分けられてしまい、最早家業を継ぐことは難しくなったのです。

 神に対抗し得る霊力というものは、とても扱いが難しく、半分にわけられたのであれば、姉妹が協力すれば従来通りのイェーガーの力を発揮出来る、というものではなく、外的な力が必要となりました。私達ほどではなくても、霊力を有した人、あるいは武具を持った戦士の協力が必要不可欠なのです。

 もちろん、長く続いたハイドフェルト家ですから、双子が生まれることも少なからずありました。ですから、その時のためにきちんと備えはあったのです。かつて、日本の徳川幕府がそうだったように、ハイドフェルト家には念のための分家筋がいくつかあり、その家の第一子の手を借りる、あるいは強い霊力を有する武器を一般の使い手に持たせることで、家業を続かせて来たのです。……しかし、近年のハイドフェルト家は企業主として成功し過ぎてしまい、その関係で分家とは絶縁状態にあります。経営上のいざこざから、分家は完全に本家と切り離されてしまったのです。――残る方法は、霊力を有する武具を誰かに託し、共に戦ってもらうしかありません」

 ここまで来れば、なんとなくセラの言う“イェーガー”と神の物語が理解出来てくる。そして、どうしてこの話を俺にしているのかも予想は付いた。つまり、次にセラが言うのは……。

「しかしその武具を扱うことが出来るのは、ごく限られた人だけであり、今となっては日本のような島国にしかいないのだと考えられています。大陸の国々では、他国の人との勾配が進み過ぎていて、古くからの血筋を受け継いでいる人はほとんどいないのです。……もちろん、日本人なら誰でも良いという意味ではなく、由緒正しい家柄でなくてはならないとされています。

 ――お兄様。いえ、近江様は、近江の国に縁のある方ですよね。自覚はないかもしれませんが、私の中に流れる血は、あなたが武具の使い手であることを知っています。どうか、私達姉妹のため、そして、現代において忘れ去られ、苦しんでいる神のために、そのお力をお貸しいただけませんでしょうか」

 セラは病人に手を貸すように、ふんわりと俺の手を握った。――俺は、その手を握り返すか否か。

 神や霊なんてファンタジーな言葉が数えられないほど出て来て、挙句の果てには俺の祖先にまで至ったとんでもない話だ。全てが本当だとして、俺が彼女達に協力することを選べば、間違いなく俺の平凡な高校生活は一変する。その、堕ちた神霊というものがどれだけ危険なのかわからないが、きっと命のやりとりをすることになるんだろう。

 俺は間違いなく、セラ達のことが気に入っていた。この店の常連になろうと考えていた。でも、結局のところ、俺は他人だ。このまま断っても、きっとセラは文句を言わないだろう。ただ、少しだけ悲しい顔をして、俺を当たり前の日常に帰してくれる。ディアだってきっとそうだ。

 恐らく、二人はこの店で男の接待をすることで、彼女達の言う武具を扱える人間を探していたのだろう。こんな田舎に店を出した理由は、きっと何かあるのだろう。都会より閉塞的なコミュニティが出来上がっているからかもしれない。なら、別に俺じゃなくてもいつかまた、別の人間が見つかる。そいつが彼女達に協力することを選べば、俺がここでOKしなくても結果は同じだ。血眼になって探し回っていないのなら、そこまでイェーガーの仕事は急ぐものではないらしいし。

 ――でも、答えは一つだ。悩むまでもない。

「セラ、ディア。俺は……」

「はい。わかっています。このような怪しげな話を信じて、危険な戦いに身を投じることなど出来ませんよね」

「俺に何が出来て、俺のすることがどれだけの意味を持つのかわからない。でも、二人が俺を必要としていて、俺を頼ってくれたのなら、それを断ったりしたら俺はもう、この店に来ることが出来ない。……俺は、それは嫌だからな」

「え?あ、あれ、それって、もしかして……」

「私達に手を貸していただける、と?」

「言い方がまどろっこしかったな。そういうことだよ。もしここで俺が断ったら、また二人は頼れる人間を探すという重荷を抱えながら働くことになる。俺も、それにきっと他の客も、二人が笑顔の下で苦悩してるのは、嫌だからな」

「近江様……。ありがとうございます。本当にっ、ありがとうござっ……」

「セラ」

 安心したからなのか、探し人がやっと見つかったことの嬉し涙なのか、セラは泣き崩れてしまった。白い肌を紅潮させ、今まで見せたことがないほど子どもっぽく、大粒の涙をアンティークのテーブルの上に零す。

 俺は一瞬、どうするべきかを迷ったが、きめ細やかな金髪の上に手を置いた。こんな子ども扱いは嫌がるかもしれないが、今俺が出来ることの中では一番自然で、セラを安心させてやれることだろう。

「っく、お兄、様……」

「今までセラ達は、ずっと不安だったんだよな。だけどもう、安心して欲しい」

「セラちゃん。お兄ちゃんをあんまり不安させちゃダメだよ?これからいっぱい迷惑かけちゃうんだから。

 ……えっと、まだもうちょっと、セラちゃんが落ち着くのには時間がかかりそうだから、あたしから改めて言うね。本当にありがとうございます。お兄ちゃん。割と即決だったけど、色々と考えた上で出してくれた結論なんだよね。だったら、あたしからは何も言わないから、あたし達のhundになって戦って」

「ああ。……でも、フントって言うのは?」

「ドイツ語で犬。まあ、ここでは猟犬ってトコだよ。あたし達Jagerが狩人だから、それをサポートする役割、ってことだね。セラちゃんはritter、騎士って表現が好きみたいだけど、呼び方はどうでも良いよね。つまりはお兄ちゃんだから」

「お兄ちゃんって……それはゴスロリ喫茶での設定だろ。これからはプライベートで会ったりもするんだろうし」

「良いの良いの。あたし達的にはそれが一番しっくり来るんだし、『ほら犬!』とか『騎士様!』なんて言われるのは嫌過ぎるでしょ?」

「た、確かにな」

 だからと言ってよくよく考えると、店の外で堂々と全く血の繋がっていない、戸籍上の繋がりもない女の子から兄と呼ばれるのも、中々に恥ずかしいものがあると言うか、なんと言うか。知り合いに聞かれたら、変な誤解を生みそうで怖いな。俺が(見た目だけなら)小さな女の子をはべらせ、兄と呼ばせてるなんて噂が広まりかねない。

 いや、でも今は二人に協力することだな。もう決めたことだ。後悔するなら、全て終わってからにしよう。

「んっ……」

「セラちゃん、大丈夫?」

「うん、もう、平気です。お待たせしてしまいごめんなさい、お兄様」

「いちいち謝らなくて良いって。これからどれだけの苦労を背負うことになっても、それを恨まないから」

「は、はいっ。ではまず、武具の方をお渡しします。と言いましても、どれだけよく切れる包丁があっても、使う人の技量が未熟ではただ危険だけなのと同じように、武具を持っただけで私達のお手伝いをしていただく訳にはいきません。相応の鍛錬を積んでいただく必要があります」

「まあ、そうだろうな」

 ディアが俺にスポーツの経験を訊いたのは、これが理由だろうか。剣道やその他武道を経験していれば、多少は助けになるはずだ。ウチの高校に道場はないし、経験することは出来なかったが。

「では、お兄様。こちらに」

 双子は立ち上がり、必要以上にゆったりとした動作でテーブルから遠ざかった。武具を受け取るのだから、てっきり二階かどこかに保管されているそれを取りに行くのだと思ったが、今ここにあるのだろうか。

「武具もまた、私達双子に一つずつ、託されています。私には剣が、ディアちゃんには盾が。それその物が霊力で構成されている武具は一定の形を持たず、それゆえにその隠し場所は私達の体の中となっています。それをお渡しするには、互いの体を繋がらせるしかありません」

「……えっ?か、体を繋ぐだって」

 心臓がどくん、と一際大きな鼓動を打ったと思ったら、血液が沸騰しそうなぐらい早鐘を打ち出す。この鼓動をドラムにたとえるならば、スティックがへし折れるぐらいの連打だ。……ドラムにたとえてどうする。どうて……動転し過ぎだろう、俺。

 いやいやいや、でも、それはつまり、そういうことだ。まさか、二人はそれほどの決意があったとは。まだ俺達は知り合って一週間、時間にして三時間とちょっとしか一緒にいない。そんな関係なのに――いや、俺は二人の秘密を聞いた。それだけで相当深い関係になっている、そう言えるのだろうか。

 いや、それにしても、それにしても、だ。まさか、二人とそんな、そんなことをするなんて。

「お兄様。突然のことで驚かせてしまっているかもしれません。でも、私達は既に覚悟が出来ていますので」

 セラは、まるで小さな子どもに言い聞かせるようにそう言うと、しなやかな手を俺に向けて差し伸べる。ドレスの上からでもわかる、細く真っ白な腕だ。……女の子の方が決心しているなら、据え膳食わぬはなんとやら、腹をくくるしかない。

「わかった。セラ、ディア。なるべく痛くしないから」

 腕を取り、おっかなびっくりセラの体を抱き寄せる。たっぷり布の使われたゴスロリ服の上からでも、セラのぬくもりや、女の子らしいふわふわの体の感触はわかった。鼻にはミントのように爽やかな香りが入って来る。これが、セラの匂いなのか。ずっと嗅いでいたいような、どこか恥ずかしいような……。

「お、お兄様っ!?」

「う、うへー、大胆だー」

「セラ。大丈夫だ。……多分」

「あの、お兄様、もしかしてその、誤解をされてませんか?」

「……え?そ、そういうことじゃないのか」

「そ、そういうことが何かはわかりませんが、武具を受け取るために必要なのは、キスです。体のどこの部位でも良いのですが、ここは騎士らしく手の甲にしていただこうかな、と」

「なっ、そ、そうだったのか!?」

 …………とんだピエロだ。くっ、見事に俺の童貞力を発揮してしまった気がする。そ、そうだよな。いくらなんでも、いきなりそんなことはしないよな。でも、キスか。それも中々に緊張すると言うか、あーもう!こんなことの後だから、話すのも恥ずかしいぞ、これ。

「と、とりあえずお兄様。体を……」

「あ、ああ。ごめん。真剣にごめんなさい。なんなら土下座もしますからっ」

「いえ……土下座なんて。その、私も嫌ではありませんでしたので」

「えっ?」

「も、もう。二回も同じことは言いませんっ。えっと、申し訳ありませんが、跪いてキスをしていただけますか」

「わかった。こ、こうだな」

 改めて差し出された手の高さに合わせて床に膝を突き、出来るだけ優しく手首を取って、不格好にキスをした。とんでもなく恥ずかしいが、さっき恥をかいたばかりなので、なし崩し的にすんなりと出来たと思う。

 ……あえて感想を述べるなら、肉の薄い手の甲でも、唇に当たる感触は柔らかかったな。

「ありがとうございます。では、ディアちゃんからも」

「えへへ、どうせならお兄ちゃん、あたしとは犬らしく、足にでもキスする?」

「ディアちゃん!」

「じょーだんじょーだん。セラちゃんと同じように、手の甲にしてね」

 本気で靴を脱ごうとしていたようだが、ディアもきちんと腕を出す。さすがに足にするなんて、変態的な要望には答えられなかったから、セラには感謝だ。

「あ、ふふっ、なんかくすぐったいね」

「そ、そうか」

 セラの時と同じように唇を付けたつもりだが、ディアが敏感なのか二回目で変に緊張していたのか、少しくすぐったかったようだ。唇に当たる手の甲が震え、なんとも言えない心地よさ、のようなものがある。唇をふわふわの綿で包まれるような気持ちだ。

「……何も変わった気はしないが、これで良いのか?」

「はい。剣は戦いたいという意思、盾は守りたいという意思に呼応し、顕現します。早速、武具の使用感を確かめてもらいたいところなのですが、今は夜ですし、ここには武器を振り回せるほどのスペースがありませんので、また後日で良いでしょうか」

「そうだな。でも、日中に公園とかでやれることとも思えないけど」

「お兄ちゃん。あたし達は仮にも、大企業の社長令嬢だよ?この家以外にも、借りている建物はあるんだから」

「郊外に今は使われていない体育館がありましたので、そこを借りています。少し歩くことになりますが、定休日である日曜日の九時頃にこの店の前で待ち合わせ出来ますでしょうか」

「問題はない、な。わかった。また日曜に」

「はい。もう八時も近いですから、お気を付けてお帰りください。……それでは、本当にありがとうございました。お兄様」

「あ、今日の代金はこっち持ちにしとくね。またごひいきにー」

 全く、顔はそっくりなのに正反対な双子だ。

 

 こうして、俺とセラ、ディアの姉妹はただの客と店員ではなく、ディアの言葉を借りるなら猟犬と狩人、セラに言わせれば騎士とその主君という関係になった。

 日常は既に非日常へと変わり始めているのだろう。俺の平穏で変化の少ない生活は破壊されてしまったことになる。

 今更もう、嘆きの言葉は吐かないが。

-7ページ-

 

 

 

 私はずっと、この時を待っていました。

 私が私の役目を全うすることが出来るから。それだけではありません。

 私の騎士様……私を給金や自分の利益のためではなく、もっと純粋な想いによって守ってくれる存在。

 そんな人を私はずっと待っていて、遂に出会うことが出来たのでした。

 お兄様が首を縦に振ってくれた時の喜びといったら言葉に出来なくて、感極まって泣いてしまうほどでした。……正直、恥ずかしかったです。ディアちゃんの前ですら、最近は泣くことがなかったのに。

 もちろん、楽観視してばかりもいられません。私はお兄様に守られると同時に、お兄様を守らなければなりません。もちろん、ディアちゃんのこともそうです。

 姉として、狩人として、ハイドフェルト家の人間として……これから始まる戦いは、様々な責任までも背負った、試練の連続でしょう。

 それを恨むことはしませんし、私は自分自身を、全ての重圧に耐えられる強い人間だと信じています。

 

 六月十四日 木曜日

説明
とことんドイツっ娘の可愛さを書きたいなぁ、と書き始めたものです。結構、難航した記憶があります。かなり楽しんで書いていたつもりなのですが
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