Shine & Dark Sisters 五章
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五章 重ねた誓い

 

 

 

「よう、近江」

「来丘。ひと月ぶり」

「どうしてかくも、夏休みというものは心待ちにしている間は長く、いざ突入してみると短いものなのかねぇ」

「いきなり哲学的だな。いや、心理学的な話か」

「諸行無常の響きあり、だよ。全く」

 怒涛のごとき二ヶ月が経過し、俺は再び登校して来ていた。

 ひと月も学友と会わない日が続くと、日常とそれ以外は逆転して来るもので、セラ達のことばかり考えている夏休みだった。もう完全に俺の“普通の日常”は武具を手に取ることで、特訓がない日は店で双子のどちらかと会話を楽しんだり、ディアの部屋でゲームをしたり……。すっかり生活拠点は二人の家に移ってしまっている。

 そんなものだから、家からこうして学校までえっちらおっちら歩いていくのがどこか不自然で、もう二年の二学期だというのに、初めて学校に行くような心地がした。

「で、青春してたか?」

「青春……?まあ、そこそこにはしてた、と言えるかもしれないな」

「なんとまあ、お前らしい答えで安心したよ。もっとこう、滅茶苦茶楽しんだぜ!とか自慢しても良いもんなのに。夏休みだし」

「めちゃくちゃたのしんだぜー」

「棒読みで復唱すんなっ。ま、楽しめなかったと言われるよりは気分良いんだけどな」

「そういうところから察するに、お前の方は訳ありか」

「おうともさ……」

 珍しく来丘の表情が険しくなって行き、周囲にはどす黒いオーラのようなものが立ち込めて見える。これは……相当に病んでいるな。

「酷なことかもしれないが、俺に話してみないか?」

「いや。是非聞いて欲しかったんだ。俺のこの、失われた一ヶ月を!」

「あ、ああ」

 自分から望んだこととはいえ、これは長くなりそうだ。アニメのことを語らせたディア並に話が続くと思った方が良い。

「端的に言って、俺は一つ、病気をしたんだ。そのせいで夏休みが終わった」

「どんな病気か聞いても」

「腹痛」

「おう……」

 あるいはここは、笑いどころだったのかもしれない。でも、俺はとてもじゃないが来丘の奴を笑ってやる気にはなれなかった。

 さすがにひと月続くほど酷く腹を下したことはないが、その辛さは多少なりとも知っているつもりだ。同情はしてやるが、奴を笑うことは俺には出来ない。

「夏休みの頭にな、カニを食ったんだ。ああ、豪勢な食事だったよ。今思えばあれが死亡フラグだったんだな」

「あたった、か」

「最初の一日は平気だったよ。だが、奴は二日目にその魔手を俺に伸ばして来やがった。想像を絶する痛みと、何時間トイレに籠城しようともまるで見えて来ない光明。人間の唯一の対抗策である投薬も、本当に恐ろしい化け物には役立たないのだと思い知ったね」

「それで一ヶ月ずっと?」

「ああ。信じがたいだろうな。でも、俺はものすごく汚い話だが――食っては出し、食っては出しを繰り返し、何度医者に通っても治らなかったんだ。時間だけが俺を癒してくれたが、あまりにも遅過ぎた。奴等は、俺の貴重な高校二年の夏休みを奪い取って行ったんだ!」

 それはもう、本当にご愁傷様としか言えない。俺は俺で大変な日々を送っていたが、来丘と比べては可哀想なほどに充実した日々だった。そう、俺は間違いなくリア充をしていただろう。

 対して来丘はその真逆……SDSに行くどころじゃなかっただろうし、ひと月ずっと家の中か……。

「来丘。来年頑張れ」

「思いっきり受験だよ!ああ、最後の楽しめる夏休みが終焉を迎えた……俺の青春はコールドゲームで終わりさ」

「まだ大学の休みがあるだろ?そこで挽回すれば良いだけの話だ」

「はぁ、それもそうだけどな。幸い、今年の夏はそんなに欲しいゲームもなかったし」

「それなら良かったな。何事もプラスに考えて行けば良い」

「はは、そうだな……って、お前らしからぬ爽やかな発言だな。何かあったのか?」

「柄じゃなかったか?まあ、俺もいつまでも前までの俺じゃないってことだ」

 勘が鋭い、と言うよりは俺が傍から見て、すっかり変わっていたのだろうか。

 セラとディア。遠い外国の生まれなのにすごく日本に馴染んでいて、だけどちょっとした世間話や習慣からはドイツの香りが漂う、特徴的な二人との交流は、俺に新たな価値観を教えてくれて、前よりも少しは人当たりも良くなったのではないだろうか、と自分でも思っている。

 それに、日本で生まれ育ちながらも、自国の文化の面白さや不思議さをそれほど意識していなかった俺に、二人は新たな気付きを与えてくれた。七夕だって、ディアに言われなければ空を見上げてみようとも思わなかっただろうからな。

「なんだよ、にやにやしやがって」

「そ、そんなだったか。いや、俺の方でもこの数ヵ月、色々変化があったからな」

「SDSに通い始めたことか?」

「それだけじゃないさ。大きな変化は、正にそれだけどな」

「はぁ、お前は良いねぇ。充実した日々を送っていて」

「でもお前も、夏休みは残念だったけど普段はそこそこに楽しめてるだろ?何も、日々に変化や事件があることだけを充実した生活と呼ぶんじゃない。究極、ゲームをしているだけでもそれを本当に楽しめているのなら、俺はそれが充実した日々だと思うが」

「お、おお。なんかすごい良いこと言ってるっぽいぞ」

「十六歳の主張ってところだ。最近、死生観も含めて色々と考えることがあるんだよ」

「壮大って言うか、根暗って言うか……あんまりそういうこと考え過ぎると、ハゲるぞ?」

「なっ、ハゲ……!?」

 思わず頭のてっぺんを触ってしまった。よ、よし。まだ十分に毛はあるな。

 冗談でも恐ろしいことを言ってくれるな、こいつは。

「はは、まあ、あんまり思い詰めないで行こうぜ、って話だ。お前は前々から、根暗なところあるしな」

「そ、そうか。……ありがとうな」

 なんだかんだでこいつは、人のことをちゃんと見ているんだな。ちょっとだけ、救われた気がした。

 俺達はいよいよこれから自分達のするべきことを果たすことになる。

 つまり、かつての神。現在の悪霊とでも呼べる存在を倒すだなんて言う――率直に言って非現実めいていて、同時に誰が聞いても無謀なことだと思うようなことだ。

 今日の夜、俺はいよいよ姉妹の父親と会い、正式に二人の協力者となる誓いを立てることになる。そして、双子もまた正式に家業を継ぐことになるのだった。そうなってしまえば、深夜は寝るための時間ではなく、自分のもう一つの仕事を果たすための時間になる。

 誰にも見られず、誰にも知られることはない。しかし、今の時代に生きる人を守るために必要な仕事だ。

 まだ詳しい話はこれからだが、かつての神は姿を変容させつつ苦しみ、この世に良からぬ影響を与え続けている。たとえば、異常気象や事件事故の一部には、間違いなく神の負の伊吹が関わっているのだという。また、信仰を失ってその名も失われているとはいえ、神は神。なんとその影響は世界の全てに出て来るらしい。――逆に言えば、この小さな日本の国で神を葬る仕事をしても、世界的に役立つということだ。

 姉妹がこの国にやって来た理由は、もちろん俺のような協力者を探すためでもあったが、八百万の神の国である日本をそろそろ攻めなければならない時期だったという話もある。邪推をするようだが、二人が日本に興味を持つようになったのも偶然ではないのかもしれないな、とも思う。

「ともかく今は学校だ」

 もしかすると、もう後何回も授業を受けられないかもしれないのだから。

 

 

 

 営業時間の終わったSDSで十数分ほど待っていると、扉が開いた。

 慌ててセラとディアが迎えに出る。そう、来るのはランドルフ・ハイドフェルトさん。他でもない二人の父親である男性だ。

『こんばんは。お父様(お父さん)』

「ああ、こんばんは。二人が元気そうで何よりだ」

「そんな、数年来に会ったみたいに大げさだよ。先週、お兄ちゃんの話のために会ったでしょ?」

「はは、そう言えばそうだったか。いやしかし、しっかりと顔を合わせるのは数ヵ月ぶりだろう。二人とも、少し雰囲気が大人っぽくなったようだ。やはり、日本に来た意味は大いにあったようだね」

「はい……本当にありがとうございます」

「何、感謝されるほどのことではないよ。それに、万事首尾よく行っているんだ。――奥の彼が、そうかな」

「うん。近江義次さん」

 ランドルフさんがこっちにやって来る。俺が座って待ち構えているのは失礼なので、椅子から立ち上がって迎えた。

 話には聞いていたが、ランドルフさんはディアと同じ銀髪で、それを美しくセットしている。俺の両親と同じぐらいの年。つまり四十代のはずだが、三十代ぐらいのように見える、とても若々しい中年紳士だ。

 仕事着のままで来たのか、高級そうなスーツを身にまとい、ネクタイやポケットから顔を出しているハンカチも、何もかも高級感はあるのに嫌みったらしくはなく、とにかく品が良い。

 セラやディアが娘であることが素直に頷ける、男なのに見とれてしまうような容姿の人だ。

「は、初めまして。娘さん達のお世話になっています。近江義次といいます」

「こちらこそ初めまして。娘から聞いているだろうけど、私はランドルフ・ハイドフェルト。こちらこそ娘達がお世話になっているね」

 俺よりも少し背が高いランドルフさんは、娘達と同じ翡翠のような色の瞳を細め、優しそうな笑顔で手を差し伸べた。その手を取り、がっちりと握手をする。意外なほど大きな手が、この人が長年戦い続けて来たことを証明しているようだった。

「さて、ヒルダも後から来るのだが、もう少し時間がかかるようだ。先に話を始めておこうか」

「お母様も来られるのですか?」

「もちろん。娘の付き合っている人を一目見ておきたい、と言っていたよ。それにしても、礼儀正しく感じの良い好青年だ。セラが見定めただけのことはある」

「そんな、見定めるなんて傲慢な言い方です。私の方から、その……一目惚れ、のような形だったのですから」

「な、一目惚れだったのか?」

 全くの初耳だ。てっきり、店に通っている内に、と思っていたのに。

「はは、そうだったのか。ふむ。こう言うのは正に傲慢かもしれないが、どことなく私の若い頃に似ている気もする。セラは昔言っていた通り、私に似た人を好きになったんだな」

「昔、ですか?」

「あれは、五歳になるかならないかの頃だったか。パパと結婚すると言ってくれて、子煩悩だと自覚しながらも嬉しかったものだよ」

「そ、そんな昔のことをほじくり出さないでくださいっ」

 ぼっ、とセラの顔が赤く染まる。父親の前でも赤面癖は健在なんだな。その様子を見てランドルフさんも笑っているし、家族の中でも有名なんだろう。

「ねーねー、あたしは何か言ってた?」

「ディアか、そうだな……不思議とディアは結婚だの好きな人だのには、興味がなかったようだ。それより、ヒルダにべたべたしてばかりで、その筋を疑ってしまうぐらいだったよ」

「あはは。セラちゃんはお父さんっ子だったけど、あたしはその逆だったもんね。……今でも、ちょっと百合の気はあるかもだよ?」

「それはそれで、私は否定しないつもりだよ。ただ、結婚はしてもらいたいところだけどね」

「良い相手がいればねー」

「まあ、早い内から結婚なんてするものではない。ゆっくり考えなさい。私とヒルダの結婚は早かったがね」

「ほとんどお見合いに等しかったですからね。当時の写真を見せてもらいましたが、お母様だけ今の写真かと思ってしまいましたよ」

「ヒルダは本当、年を取らないからね。シワの一つも出来ないなんて、真剣に吸血鬼か何かのようだよ」

 前にもセラが言っていたのを聞いたが、夫にまでそんなことを言われる人なのか。確かセラと同じ金髪のはずだが、どんな美女なのだろう。自然と興味をそそられてしまう。

「すまない、近江君。少し関係のないことを語らってしまった」

「いえ、僕としてもすごく面白い話でしたから」

「それなら良かった。後、少し一人称に無理があるようだが、いつも通りで良いよ。敬語も必要ない」

「そ、それはさすがに。一人称だけ、俺でいかせてもらいます」

「本当に礼儀正しい青年だ。あまり自分の国以外で言うことではないかもしれないが、今時珍しいんじゃないかな」

「目上の方なのですから、敬語を使うのは当然ですよ。少なくとも、俺はそう学校や親から教育を受けています」

「しかし、素直に教育されたことを励行しているのだから、やはり立派だよ。セラも過剰なほど敬語を使いたがるし、やはり似た者同士が惹かれ合うのかもしれないな」

 ランドルフさんはうんうん頷きながら、身振りで俺に着席を勧めた。さすがにここでも俺以外が座り終えるのを待っていたら逆にくどく見えるので、素直に腰を下ろす。すぐにランドルフさんも俺の向かいに座り、続いてセラが俺の隣、ディアが父親の隣に座った。

『……なんか、娘さんをください、ってアレみたいだな』

 小声でセラに言ってみると、案の定、真っ赤に茹で上がった。……って、あんまりに耐性がなさ過ぎるだろう。

「さて、本題に入ろう。君がこうしてここにいるのは、セラの恋人だからというだけではない、とは既に聞いている。長い間、慣れない戦闘の訓練で大変だっただろう」

「正直に言えば……そうですね。でも、嫌にはなりませんでした」

「それは、義務感から?」

「もちろん、引き受けたからには二人を守るために戦えるようにならないと、とは考えていました。しかし、それだけではなく、俺自身の意志で戦闘の技術を身に付けました」

「つまり、セラとディアを守りたいという意志があった」

「はい。義務感じゃなく、使命感、そう言えると思います。戦う相手が神じゃなく人であったとしても、俺は守りたかったですから」

「なるほど。――うむ、合格!君はやはり、セラの彼氏として相応しい人物だ。不届きな男がちょっかいをかけて来たとしても、君がいれば撃退してくれることだろう」

「へ?も、もちろんですけど」

 これ、本題、か……?

 セラは相変わらず赤面だし、ディアは笑いを堪えている。……果てしなく言葉は悪いけどこのオッサン、また子煩悩を全開にしてたのか!

「ははは。まあそれは良い。君には本当に感謝している。常人の考えつかないような戦いに身を投じる、その覚悟をしてくれたことを」

「俺が必要とされていて、俺もまた二人の力になることを望みましたから。こう言うのも変ですが、嬉しいぐらいです」

「そうか。その言葉を聞いて、少し安心した。――セラ、ディア」

『はい』

「彼と共に、私の後を継いで“狩人”となってくれ。決して楽な道ではないだろうが、お前達には姉妹と、近江君がいてくれるのだから、きっと私のように自分の運命を呪ったり、全てが嫌になったりするようなこともないだろう。どうか頑張って欲しい」

「もちろんです。私にお任せください」

「あたし達がちゃんとやってみせるから、お父さんはしっかり休んでね」

「そうだな。隠居には少し早いが、会社や趣味の方に精を出させてもらうよ」

 ランドルフさんは、優しい父親の顔で娘達を順番に見て、最後に俺を見て再び握手を交わしてくれた。この握手が、彼より二人を守る使命を託された、そう判断して良いのだろう。その信頼に応えるために全力を尽くさなければ。

「さて、次は具体的な話をしないといけないね。ある程度は娘達から話を聞いているだろうが、君達の戦う相手のことだ。セラとディアにはもう何度か話してはいるが、再確認しておくに越したことはない」

「はい。わかりました――」

 と、セラが頷いたところで再び扉が開いた。堂々と不審者が玄関扉から侵入して来る訳もない。訪れたのはセラとディアの母親。ヒルダ・ハイドフェルトさんで間違いないだろう。

「こんばんは。相変わらず、感じの良いお店だわ。ここに住んでしまいたいぐらい」

「お母様。ありがとうございます。開店当初からは私が自分なりに模様替えをしてみたりもしたのですが」

「とっても良いわ。さすがセラね。どこかの芸術音痴とは大違い」

「は、はは。言うねヒルダ」

 思いっきりランドルフさんが苦笑い。意外なことに、芸術にはあまり明るくない人なのか。

「ディアも元気そうで良かったわ。セラにあまり迷惑をかけていないでしょうね?」

「も、もちろん!もうあたしも十五なんだから、わがままばっかり言ってませんよ。ははは」

「それなら良いのだけど。それで、あなたが二人の?」

 ヒルダさんの目――娘達とは違い水色だ――がまっすぐ俺に向けられる。ディアとそっくりの少し吊り上がった、強気そうなぱっちりとした瞳だ。吸い込まれそう、という表現がしっくり来るほど強い目力がある気がする。

「はい。近江義次といいます。二人にはお世話になってばかりで……」

「堅苦しい挨拶は良いわ。あたし、そういうのはあまり得意じゃないの。そんな人間がなんでハイドフェルト家に来たのか、って疑問でしょうけど」

「は、はは」

 前にセラが見た目では自分は母親、ディアは父親に似ている、しかし性格は逆だ、と言ったが正にその通りだと感じた。まるで数年後のディアを見ているような口調で、名家であるハイドフェルト家の入ったからには自身も相当な家の出身だろうに、それを感じさせないほど仕草なども良い意味で俗っぽい。

 セラと同じくウェーブのかかった金髪は肩に当たる程度の長さで切られていて、身長は娘より三センチほど高い程度。細身なのに出るところは出ていて、その身を包む衣服は娘達と同じフリルだらけのドレス。色は大人が着るものとは思えないピンク色だが、これもよく似合っている。二人がゴスロリなら、ヒルダさんは甘ロリと言ったところか。

ともあれ、これぞ英国貴族、と言えるような華やかな容姿をしている。そして何よりも、説明を受けなければ二人の姉かと思うほど顔も声も若々しい――どころか幼く、少女そのものの高い声がよく響く。

「あら、あたしとしたことが。自己紹介が遅れてしまったわね。ご存知でしょうけど、ヒルダ・ハイドフェルトよ。夫は色々と裏の仕事もやっていたけど、あたし自身は外様だし、あまり家の事情には詳しくないわ。でも、親として娘の命を預けることになるあなたに直接会いに来た次第」

「どうもご丁寧にありがとうございます。こちらからお家に伺ってもおかしくはないことでしたのに」

「ふふっ、まだ交際を始めて数ヶ月で家には上げてあげないわよ。でもその積極性、嫌いじゃないわ。ウチの人にも欲しいぐらい」

「こ、こほん。ヒルダ。あまり未来ある若者をいじめないであげてくれないか」

「あら、いじめるなんて心外だわ。なるほど、セラが惚れるだけあって実直そうで良い人。顔もスタイルも悪くない。昔のあなたより色男かもしれないわね」

「娘の彼氏を口説くのもやめてくれないかっ」

「口説く?そんなことしないわ。ただ、そうね。あえて点数を付けるなら――ふぎゅっ!?」

「いい加減にしないか。――近江君、すまないね。我が妻はいささか以上に子どもっぽいところがあるんだ」

「は、はあ」

 思いっきり頭に拳骨を落として止めたぞ、この人……。

 正直言って、雰囲気に流されそうになっていたので助かったが、まさか妻に対して鉄拳制裁とは。娘達がそうであるように、この人も結構なスパルタンなのか?

「失礼。本人が言うように、ヒルダはあまり家の事情を把握していなくてね。まあ、私がそれを防いだ感もあるのだが、この件に関しては部外者に近い。あまり口を挟ませないようにするから、落ち着いて聞いてもらえるだろうか」

「は、はい。それでお願いします」

「全く、融通が利かない夫で困るわ。すぐに束縛してばっかり。……まあ、夜については、それはそれで楽しいのだけど」

「ヒルダ。私に君をこの場に呼んだことが間違いだったと思わせないでくれ。あまりに酷いと、レッドカードを出させてもらうよ。――それから近江君、ヒルダの言うことは基本的に嘘だと思って欲しい。私は緊縛プレイになど興味はないからね」

「も、もちろん疑ってなんかいませんよ」

 ディアが小悪魔なら、この人はスケベ大魔神だな……ランドルフさんのセーブがないと、どこまでも危険なことを言いそうな気がしてしまう。娘の二人が、ヒルダさんの遺伝子を色濃く受け継いでくれなくて良かった。ディアがもし下ネタを軽々しく言うような子だったら、今以上に気付かれが酷い日々になっていたに違いない。

「さて。君達の戦うべき相手がかつて神と呼ばれた存在である、そのことは既に説明があったはずだ。具体的には、神話に語り継がれる神もいるが、あまりのビッグネームは未だに神の性質を失わずに生き残っている。信仰はなくとも、名は人々の間に残り続けているという訳だ。これらの神とぶつかるようなことはないから、まず安心して欲しい」

「ビッグネームと言うと……ギリシャの神々とか?」

「ゼウスやヘラ、半神ではヘラクレスなどだな。後は北欧神話も意外な残り方をして、根強い人気を博している。どんな風に今の世に残っているかわかるかな」

「ゲーム、ですか。日本のゲームにはやたらと北欧神話の単語が出て来ますよね。俺はつい最近まで知らなかったのですが、少し授業で触れることがあって驚きました」

「ほう、それは良い授業だ。オーディンやトールといった神の名はもちろん、北欧神話世界を構成する言葉はファンタジーRPGの世界観ととても相性が良いようだね。レーヴァテインやグングニルはかのエクスカリバーにも並ぶ知名度だろう」

 どれも、昔よく遊んでいたゲームに出て来た伝説級の武器達だ。レーヴァテインはすごく強い剣、グングニルはすさまじい槍、といった程度の認識しかないが、それでおおよそ間違ってはいないはずだ。

「よって、神という呼び方をしているとはいえ、実質的にそれは民間信仰の対象。俗に精霊や神霊と呼ばれるような存在だと考えてもらえれば良い。近代化や植民地支配の結果、そういった古くからあったものが失われ、かつて崇められていた彼等は途端に人々の間から忘れ去られていった。三つも四つも世代が変わってしまえば、その残滓すら感じられなくなってしまうだろう」

「そして今の時代になって、それ等が暴れている……」

「忘れてもらいたくないのは、彼等は元来、人が好きだということだ。だから、好きで暴れ狂っている訳ではない、そう私達の先祖は考え、私もそうだと思っている。尤も、かつての一族の仕事は、本当に狂い、邪神や堕天使と呼ばれるようになった存在を殺すことだったのだが」

 昔と今では、状況が違うということか。信仰がありながらも、人が度々そうであるように道を踏み外した神を殺していたハイドフェルト家。それが今では、信仰を失ったせいで狂ってしまった神の相手をしている。

 以前は憎しみや怒りの気持ちを相手にぶつけられたが、今となっては哀れみや申し訳なさの気持ちが強いのかもしれない。

「まあ、昔話については今はしなくても良い。この日本は、八百万の神の国と呼ばれる通り、今も昔もたくさんの小さな神がいる国だ。そして、意外なほどにそれ等の多くは未だに神のままの姿でいてくれている。全てがそれなら、我々がこの国に来る必要もなかったのだが、残念ながらそうもいかないがね」

「どれぐらい、この国には戦うべき相手がいるのですか?」

「正確な数はわからないが、まあ、セラとディアの世代が暇をすることはないぐらいには。決して楽な仕事にはならないよ」

「そうですか……」

 ランドルフさんの言い方がどことなく軽く、表情も明るいので楽観しても良いかもしれないと思っていたが、そうも上手くはいかないか。まあ、それなら俺が必要とされることもないだろうな。

「安心しろ、とは君達に戦わせる以上は言えないが、私の知る限りのことは全て話すから、どうかあまり気負わないで欲しい。少し専門的な言葉を使うことになるが、近江君も神との戦いがどのように進むのか、それは気になるところだろう。是非聞いてもらいたい」

「はい。お願いします」

「では。先ほど、私は精霊や神霊といった言葉も使った。つまるところ、人が信仰する対象は、それが現人神ならぬものではない限り、実体を持たない。現実的に言えば、そこに神や霊といったモノは存在していない。全ては人の空想上の産物だ。だが、信仰の力が集まれば、彼等の信仰するモノは空気や、ご神体と名付けられたただの木や石ではなくなる。実体こそないが、そこには確かな意思を持った人ならざるモノが出現するんだよ。つまり、霊だ」

 一気にそこまで説明して、いつの間にかにテーブルの上に出されていたアイスティーを口に含む。セラはずっと俺の隣にいたので、ディアが気を利かせて用意したのだろう。

「この霊という存在。これこそが神の正体であり、今となってはすごく不安定になっているモノだ。その理由は、そう複雑な思考をしなくてもわかるだろう。元が信仰から生まれたモノなんだ。その信仰がなくなれば、不安定になり、やがて消える。君達が戦うこととなるのは、消滅を目前にしたかつて神であった霊達、という訳だ」

「消える直前に狂って暴れている、という訳ですか。……そう考えると、ちょっと悲しいような気もしますが」

「自分達にとって有害だから倒す。しかし、その種もまた自分達が蒔いていた。皮肉な話だよ。だが今更もう、人々は神なる不確かなものを頼り、信仰することは出来ない。眠らせてあげることのみが花向けになると、そう考えている」

 身勝手だと糾弾されても文句は言えない理屈だと、俺も聞いていて思った。でも、みすみす自分達自身が生み出した神によって、自分達が不幸を被り、下手をすればそのまま滅びる。それを黙って見ている訳にもいかない。力ある者が、その業を背負わないといけない、そうなっているのだろう。

 次にその役目を担うのがセラとディア、そして俺になったという話だ。……迷うよりも先に結果を出す。それがするべきことだろう。

「さて、この実体を持たない存在。いかにして倒したものか。それが最大の疑問になるだろう。いや、武具や霊力を使って戦うことは既に聞いているはずだが、どのような理屈で本来なら触れられないはずの存在に触れ、斬ることが出来るのか。それが疑問だと思う。

 簡単に言えば、目には目よ、の理屈だ。霊には霊をぶつける。人の持つ霊、霊力とは目には見えない力、つまりは気合や精神力と表されるあれだ。その力が我が一族は強く、それゆえにただの武器に霊力を宿して斬ることで霊を傷付けることが出来る。人を相手にする場合は体は傷付けず、精神だけを削り取るという芸当も出来る。そして、君の今使っている武器はそれ自身の霊力だけで神を斬れるという訳だ。もちろん、使い手はかなり選ぶのだが」

「でも、どうして俺なんでしょう。セラは前に血筋だと言いましたが、ドイツの武具が日本人の俺に適応する、そのことが疑問でした」

「ふむ。中々鋭い。その武具の理論的な話になるが、つまるところそれは使い手の霊力ではなく、血の霊力を増幅させている、という言い方が出来る。もちろん、武具自身も霊力の塊のようなものだが、深めに深められた一つの民族の血に反応し、その姿を変容させるという物だ。血が濃ければ良いのだから、日本人でもドイツ人でも構わないという訳だよ。ただ、知っての通り私はヒルダというイギリスの女性と結婚しているし、我が家は純血のドイツ人の家系とは決して言えない。だからセラやディアがその武具の力を引き出すことは不可能、ということになる」

「なるほど……セラも言っていたことですが、日本のような島国は都合が良かったんですね。一時は鎖国もしていたし、比較的血が濃いと考えられる、と」

「そういうことだ。後一つ、どうして霊によって君達が肉体的に傷付けられるか、これだけ説明しておこう」

 ランドルフさんはさっきよりも長めの休憩を挟み、じっくりと紅茶を飲んでいた。

 一気に説明をされたが、どれも理解はそう難しくはないし、俺に直結する事柄なのだから真剣に聞かざるを得ない。特に苦はなかった。

「ん、ところでヒルダはどこに?姿が見えないが」

「お父様がお話をされている最中に、二階へ行かれましたよ。私達の部屋に興味がある、と」

「そうだったか。全く、落ち着きのないやつだ。――近江君も、そうは思わないか?」

「えっ……でも、それはそれで楽しいですよ、ね」

「もう少し私が若ければ、良かったのだがね。私は肉体と共に精神も枯れる一方だ。それなのにヒルダは今も尚、十代の体と心を持っている。羨ましい限りだよ。特に心、いや、魂と言えるだろうか。私はもうどうやっても、少年の心は取り戻せない。でも彼女は少女のままで――すまない、また脱線してしまった」

「いえ。俺もヒルダさんのことには興味がありますし」

 社交辞令じゃない。ランドルフさんが言うように、永遠の少女でいる彼女のことが不思議で、出来るならば色々と伺いたいところだ。今はそんな時じゃないのはわかっているが、これから、詳しく話を聞くような機会も出て来るのだろうか。

「はは。それはありがとう。彼女もあれで、結構な人生を送って来ているんだ。また話したいね。

 よし、後少しだし、一気に話してしまおう。基本的にはかつての神達は、人や建造物を物理的に傷付けることはない。それもそうだ、彼等には実体がなく、霊体のみが存在しているのだから。ならば、それを倒そうという人間も、彼等に襲われたところで精神的にダメージを受けるだけではないのか?これが真っ当な考え方だろう」

「ええ、普通に考えれば、こっちと相手は同じ条件になっているはずだと考えられると思います」

「だが、そうはいかない。なぜか?理由は簡単で、我々の持つ強い霊力、それ自体が相手にも作用し、実体を持たないはずの神にも物理的なダメージを与える力を与えてしまうようだ。ただ、その作用はほぼゼロ距離でのみ働く。結果として、実体に戦う君達のみが、神によって身の危険を被ることとなる」

「それは、武具で霊力を補っている俺も同じなんですか?」

「記録によれば、そうなる。尤も古い文献だから、確実性はないのだが。現に私が多少なりとも怪我を負っているのだから、ほぼ同等の力を得ることが出来る武具の使用者も同じことだろう。……そこだけは、くれぐれも注意してもらいたい」

「はい。……わかりました」

 死を意識する、と言うと大層な響きだが、自然と緊張が高まって行くのは確かだった。

 そんな緊張を解すように、ランドルフさんは表情を崩して続ける。

「とは言うものの、私だって娘や君をいきなり自分達だけで戦いに行かせるほど無責任な大人ではないつもりだ。最初の内は私も同行し、見守っていることにしよう」

「良いのですか?お父様は忙しいのでは」

「そうだよ。お父さんの時ならまだしも、あたし達は三人もいるんだから。ね?」

「なに、私もそこまで切羽詰っている訳ではない、今日みたいに適当に時間を作ることは十分に可能さ。それに、きちんとお前達だけでやれるとわかれば、そこで私がついて行くのはやめよう。そう心配はしないで欲しい」

「う、うーん。ホント?」

「嘘はつかないよ。むしろ、大事な娘達を心配しながら仕事をする方がずっと効率も落ちるだろう。どうか、一緒に行かせてもらえないか」

 双子は尚も不満そうだが、結局のところは父の意見を尊重したいのだろう。渋々ながらも頷く。すると、丁度ヒルダさんも二階から戻って来た。

「ヒルダ。今、私の方でも話が終わったところだ」

「あら、そうなの?真面目な話をしているところに、あたしが華々しく割り込んで台無しにしてやろうと思っていたのに」

「頼むからやめてくれ。――では、ヒルダも戻ったことだし、私はこの辺りで失礼するよ。セラ、ディア。ヒルダは残して行くから、気を付けて」

「はい。今日はありがとうございました。お気を付けて」

「初陣は土曜日だったよね。来てくれるのなら、その時にまたね」

「ああ、その時まで元気にしているんだよ。近江君も、娘をよろしく頼む」

「は、はい。こちらこそ、まだまだ娘さん達にはお世話になると思いますが、よろしくお願いします」

 最後にヒルダさんのことを軽く抱きしめ、ランドルフさんは店を出て行った。……ああいうことが一切の恥じらいがなく出来る辺り、日本の人じゃないんだな、と思った。

「ふふっ。近江君、軽く顔が赤くなってるわよ?」

「なっ、そ、そうですか?」

「ウブなのね。色々と教えてあげたくなっちゃう」

「お母様っ」

 俺の真正面に座ったヒルダさんは、そのまま体を乗り出して来る、がその頭をセラが軽く押さえて迎撃する。前にディアにはトイレットペーパーを投げていたが、母親にも実力行使をするのか……。

「もう、セラは相変わらずお堅いわね。ディアは近江君に色々と仕込むの、賛成派よね?」

「えっ、ええ!?あ、あたしはそんな」

「嘘ばっかり。あなたがあたしと同類なんてこと、母さんにはわかっているのよ。こんなおっぱいしちゃって」

「お母様。そこを動かないでください。口を縫い合わせますから」

 ディアの胸に伸びる手をセラが容赦なくはたき、軽く頬をつねってヒルダさんの暴走を止める。

 ああ、なんとなくこの親子の関係はわかってしまった。つまりはこういうことなのだろう。悪乗りの過ぎる母親を、しっかり者の長女が多少バイオレンスに抑制し、次女は徹底的に守られている、と。

「いはい、いはいわよセラ!いきなりつねることないじゃない」

「先に変なことを言ったのはお母様の方です。お兄様の前なんですし、少しは自重というものをしてもらえませんか」

「もう手遅れだし、良いじゃない」

 最もだが、その開き直り方はどうなのか。思いきり突っ込みを入れたいところだが、交際相手の親だし、あまり強い言葉はかけられない。今はセラに全てを委ねるしかないだろう。

「全く良くありません。そんなことよりお母様、どうかもっとためになることを話してくださいよ」

「ためになる?あたしはあの人の仕事関係のことは全然知らないし、年の功と言っても大した知識がないのは知っているでしょ。出来るのはせいぜい、性教育ぐらいよ」

「そうではなく……えっと、折角専業主婦なのですから、私達に役立つ生活の知恵だとか」

「えー、それぐらい、今じゃなくても話せるじゃない。近江君がいるんだから、もっと楽しまないと」

「……遠回しに言ったのが駄目でしたね。これ以上、お兄様の前で暴れてもらいたくないので、どうか当たり障りのないことだけ話していてください。と言うか、私をあんまり怒らせないでください。すごく血圧が上がっていると思いますよ、今」

 セラの顔からはどんどん力が抜けて行って、心なしか血色も悪い気がする。まだ週の始めで元気があるはずのセラをここまで消耗させてしまうなんて。さすがセラとディアの母親、と言ったところかもしれない。

「ふふっ。はいはい、あまりセラをいじめてあげたら可哀想だものね。ディアを毒牙にかけることにするわ」

「ええ?お母さん、何かあるとすぐにあたしに絡み過ぎだよー。確かにお母さんのことは好きだけど、あんまりその、エッチな方面はあたし苦手だし……」

「じゃあ、健全なエロで行く?」

「結局エロじゃん!さり気なく胸揉もうとしてるし、お兄ちゃーん、助けてー」

「お、俺か?」

「なるほど……近江君、あたしにディアの胸を触るのをやめて欲しければ、あなたがあたしの胸を揉んで止めることね!」

「それはあんまりに謎条件過ぎませんか!?絶対、俺に触らせたいだけでしょうっ」

「大正解ー。ねぇ、すごく柔らかいわよ?セラはもちろん、ディアとも比べものにならないと思うんだけどなー」

「うっ……」

 セラの彼氏になり、彼女を愛すると決めた俺だが、さすがにすさまじい美人のヒルダさんと、スタイルのわかりづらいゴスロリ調のドレスの上からでもはっきりとわかるその巨乳には、男として心惹かれてしまわないことはない。

 見た目だけなら数年後のめちゃくちゃ胸の育ったセラ、と言ったところだし……目を合わすと駄目だ。思わず魅了されてしまう。

「ねぇ、見て。伸びをするだけでこんなに揺れるのよ?」

「見ませんっ。俺はセラが一番なんですっ」

「案外ガードは硬いわね……ちょっと苦手なタイプだわ。でもセラ、良い人を選んだものね」

「私のお兄様ですから」

「お兄様、か。恋人同士なのにその呼び方って、少し変じゃない?名前で呼ぶぐらいして良いんじゃないの」

「いえ。お兄様は、恋人であると同時に、やはりお兄様なので。あ、もちろん、お店のお客様としての意味ではなく、姉妹共通の愛称と言いますか……」

「こだわりがあるのね。それなら別にそれをやめろとは言わないけど、ちょっと不思議な感じ。あなた達、結婚してもその呼び方で通すつもりなの?」

「け、結婚?」

「ちょっ、ヒルダさん」

 これには俺も突っ込まざるを得ない。と言うか、ちょっと話の流れが急過ぎないか?なぜにそこで結婚という単語が出て来るっ。

「あら、結婚を前提に付き合っているのでしょう?」

「そ、その。まだ私は、結婚とか、そういうのについては……」

「だからと言って、遊びではないのなら、事実として結婚が前提にある訳じゃない」

「まあ……そうなりますけども。その時はさすがに、義次さん、とでも呼ぶと思いますが。はい、これでこのお話は終わりですっ。お母様、どうか下ネタや恋の話から離れてください」

 ああ、びっくりした。意外と冷静にセラが流してくれたのが救いだ。顔は真っ赤に染まっていたが。

「あたしがその話題を取り上げられたら、もう何も話せないわよ。基本的にエロだけで出来てるような人間なんだから」

「胸を張って言えることではありませんよ……」

 実際に大きな胸を強調するようヒルダさん。――それにしても、お父さんがセラと同じ常識人なのに、お母さんはディア以上に強烈と言うか、とんでもない人だ。なんとなく二人の母親らしいが、やっぱり長く一緒にいると、寿命すら数時間単位で奪われそうな気がする。

「まあ、今日は折角だからこっちでご飯も食べさせてもらうわ。ゆっくり親子と、その彼氏さんの会話を楽しみましょう?」

「お母様。もう私達はご飯を済ませてます」

「……コンビニでも行って来るわ」

 

 こうして、本当にいつまでもヒルダさんは帰らずに店に残り、九時近くまで俺達は翻弄することとなってしまった。

 正直言って、エロ主体のトークは聞いていて頭が痛くなってくるほどだった。そう頻繁には会える人ではない、な。

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 今日は、お父様とお母様のお二人と久し振りにゆっくりとお話しました。

 お父様は言葉には決して出しませんでしたが、きっと日本に来ても尚、忙しい日々を送られていることでしょう。

 お母様は……まあ、相変わらずですね。別れ際には激励の言葉をいただけて、それは純粋に嬉しかったですが。

 

 しかし、中学生になってから書き始めたこの日記ですが、日本に来てからはディアちゃんにも書くように進めて良かったと思います。

 一週間分ほど溜めてから読み返すと、当時の私の考えがわかって少し不思議な気持ちになります。最近は、不安や自分を励ます言葉が繰り返し綴られていますが、今になってそれはプレッシャーではなく、躍進力になっていることを感じます。

 ディアちゃんは最近、少し元気がありませんが、それを安心させてあげるのも姉である私の役目。明日はお店とは別に、ディアちゃんの好きなトルテを作ってあげようと思います。

 

九月三日 月曜日

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九月八日 土曜日

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 朝起きた時から、心にはざわつきがあった。胸騒ぎとまではいかない、ちょっとした違和感。きっと、これが俺なりの緊張というやつなんだろう。さすがに、当日にもなれば俺でもそれを感じるんだな。

 自嘲気味に笑いながら昼間をぼんやりと過ごし、日が暮れてから家を出る。

 すっかり頭ではなく体が覚えた道を歩く。その途中に携帯が鳴った。電話ではなくメール。セラからのものだ。

 夏以降、俺とセラは本当に短文だったが、多少はメールを交わし合うようになった。以前の付き合っているのかどうかわからないような関係よりは前に進んだのだと思う。

 セラは短い文章の中に、少し上等な言い方をすれば平安時代の貴族の歌のやりとりのように、深い意味や詩的な情緒を込めてメールを送ってくれる。それに対する俺の返信も、ちょっとしたシャレを入れてみたりして、結構頭の体操になるものだった。

 今回のメールを確認してみると――。

 

『すぐにお店に来てください』

 

 短文は短文だが、事務的でそっけない調子。セラにしてはちょっとたんぱく過ぎる印象だ。

 このことから察するに、どうも俺は彼女が思うよりも遅く家を出てしまったらしい。そのため、よそよそしい怒りを込めたものになっている。

 自転車に乗って急ぐのもありだと思うが、もう家からは結構離れているので取りに行くぐらいなら歩いた方が早い。

 やや駆け足になって店へと急ぐ。すると、店の前にはセラが立っていた。……相当お怒りなのかもしれないな。

「あ、えーと、セラ」

 慌てて取り繕うように口を開く。まるで飲みに行って帰るのが遅くなったサラリーマンみたいだ、なんて思った。

「お兄様。唐突な話ですが、お父様がドイツへと帰られることになりました」

「――え?」

「会社の事情があり、私もはっきりとは把握していないのですが、どうしてもお父様が生身で出なければならない会議が入ってしまって。ですから、今夜は私達三人だけで切り抜けなければなりません。……よろしくお願いします。お兄様」

「ああ、もちろんだ。当初の予定通りになっただけだし、変に身構える必要もないだろ」

 父親が見守ってくれているということは、セラやディアの大きな心の支えになっただろうが、俺だってセラと交際しているのだし、ディアとも決して浅からない関係だ。肉親とまではいかなくても、二人を励ましてあげることは出来ると確信している。

「そうですね。それに、折角二人暮らしを始めたのに、いつまでもお父様に頼っていては自立とは言えません。きちんとするべきことを果たし、お父様に認めてもらいたいと思います。――では、もう少し日が暮れるまで中で。軽くですが、夕食も用意しています」

「俺の分までありがとうな」

 セラに扉を開けてもらい、店の中に入ると上品な紅茶の香りが鼻の中へと入って来る。テーブルの上には朝に食べるのよりは少しだけ豪華なトーストが用意されていた。紅茶のカップも三つ並べてある。

「お兄ちゃん、こんばんは」

「こんばんは。……って、近くで見るとやたらと肉々しいな、これ」

 食パンの上に乗っているはピザ風の具だと思っていたのだが、よく見れば野菜成分は皆無であり、大量のベーコンの上にチーズが乗せられた代物だ。このアメリカ的な豪快さを誇示し続けている料理がセラの手で作られたとは考えがたい。

「セラちゃんはずっと電話してたから、あたしがちゃちゃっと焼いたの。これぞジャンクフード、って感じだよねー」

「ベーコンは予め炙られてありますし、地味に手間はかかっているのですけどね。ディアちゃんに軽食を作ってもらうと、大体こんな感じになるんですよ」

「普通に食欲はそそられるけど。結構、腹にはもたれそうだ」

 既に腹は減りつつあったので、椅子に座ると用意されていた濡れタオルで手を拭き、早速トーストに手を付ける。

 見た目から味が予想出来る料理ながら、ベーコンとチーズの油を一気に取り込むことによって、喉ではなく体が潤っていくのを感じる。機械は油を注さないと動きが悪くなるが、人間もそれとそう変わらないのかもしれない。特に青春期の若者には油と肉が必要不可欠だ。

「ふふっ、良い食べっぷり。どう、美味しい?」

「不味い要素があるだろうか?――いや、ない。さすがだぞ、ディア」

「おおー、思わず反語を使うレベルに気に入ってくれたんだね!」

 ものの数分で食べきって、セラが淹れてくれた紅茶を飲む。ぎとぎとになった口内がこれで洗い流された気分だ。実際は、脂が紅茶の上に浮かぶほどの脂っこい料理だったんだが。

「ところで、二人とももしかして、その服で出るのか?」

「え?ええ、もちろんそのつもりですよ」

 ついさっき店の営業時間は終わったばかりで、まだ二人ともゴスロリ服のままだ。残暑が厳しいとはいえ、クーラーがかかっているためか二人とも長袖に膝丈のスカート姿でいる。半袖にミニならまだが理解出来るが、この服を着て戦うことが出来るとは考えづらい。

「案外これ、生地は薄くて軽いんだよー。夏の始めと終わり用って感じだね。そもそもお兄ちゃん、あたし達が何年ゴスロリを着ているとでも?」

「ど、どれぐらいなんだ」

「アルバムを見る限りでは、赤ちゃんの頃からお母様に趣味で着せられていたようです。記憶がある限りでは、五歳の頃には既に着こなしていましたね」

 三つ子の魂百まで、ってやつか……ゴスロリの英才教育を受けていたんだな。それが良いことなのか悪いことなのかはわからないが……よく似合う容姿なのは間違いないから、ヒルダさんのしたことは称賛されて然るべきだ。

「ですから、どうかご心配なく。私はともかく、ディアちゃんの服は暗い中での迷彩効果も期待出来ますしね」

「実体がないような奴に迷彩なんて効果あるのか……?」

「なんかね、意外にも視覚に頼ってるんだって。だから隠れるとか奇襲するとか、そういうのはすごく有効みたい。つまり、セラちゃんを囮にしてあたしが持って行く、って作戦ですよ」

「人をスケープゴートにしないでください。逆に言えば、嗅覚はなく、聴覚も鋭いという訳ではない、ということです。このことは念頭に入れておいてください」

「作戦を立てる時に役立ちそうだな。他には、何か追加で聞いておくべきことはないか?」

「そうですね……これはお父様の推論なのですが、相手はお兄様より、私達を優先的に狙うのでは、と仰っていました。お兄様の霊力はやはり、武具の力に頼るところが大きいですので、素の霊力の強い私達の方に強く惹かれるだろう、と」

「じゃあ、俺が前に出て食い止める、というのは効果が薄そうだな。どっちかが狙われてから、間に守りに入った方が良いか」

 スピードの面で大きく不利のある俺にとってそれは、中々に難しい話だ。

 結局、どれだけ特訓をしても、あの大きなタワーシールドを持ったまま自由自在に動き回るなんて出来なかった。重さの問題じゃなく、やっぱり大きさによる取り回しの難しさの関係だ。かなりそのサイズは把握出来ているが、町中であんなものを持ったまま走り回るなんて絶対無理だ。

 剣に関しても、ほぼ同様の問題がある。セラの斧も大きいには大きいが、俺に比べるとその使い手自体が小柄だから、まだなんとかなる。案外、理に適った武器の選択だということだ。

「それから、まだ肝心なこと言ってなかったよね。そもそも、戦うべき神がどこにいるのかって」

「……それもそうだな。二人出会って結構経つが、ばったり出会ったようなことは一度もないし」

「ふふっ、それもそのはず。普通には会えないんだよね。神は霊体、つまり目には絶対に見えない。時たま、霊感ってのがある人が見たり、何かの条件が重なって写真に映り込んだりはするけどね」

「二人に霊感はないのか?」

「残念ながら、霊力が強いことと霊視の出来る特殊な目を持つことは違いますから。ただし、そんな我々でも強引に霊の姿を目にすることは出来ます」

 そこまで言うと、唐突に二人は席を立った。俺もなんとなく真似をして立ち上がる。

「言葉では説明しづらいことだし、あたし達もよく仕組みはわかんないんだよね。――だから、実際に見て感覚を確かめて」

「大雑把に説明すれば、霊力をぶつけることで霊体の姿かたちを確認する、という方法です。コウモリが超音波の反射で地形を探るのと理屈は同じですね」

 二人は両手を合わせると、目を瞑って呼吸を重ねるように何度か深呼吸。そして、次の瞬間には店中が黒いモヤのようなものに包まれた。ガス状に拡がるそれは清潔な店内を汚すようで、二人が発生させたものだとは考えがたい。

「こ、これが?」

「うん。この霧に触れると、霊の姿が現れるの。ちなみに普通の人には一切害がないよ。見た目は悪いけどね」

「確かに、触っても変な感じはしないな」

 まるでべったりとしたスモッグのような見てくれだが、触れようとしても手は空を切るだけだ。嫌な感じはしないし、全く煙たくもない。

「次に、こうすることで消すことも出来ます」

 再び二人が呼吸を重ね合わせる。すると、黒い霧とは対照的な眩い光が店内を照らし、思わず瞑ってしまった目を開けると、そこはもうついさっきまでの店内と寸分変わらなかった。光に散らされたかのように黒い霧は消えてしまっている。

「お父様は一人でこのどちらもすることが出来るのですが、私達は霊力を分け合ってしまったので、一人では私が霧を消すこと、ディアちゃんが霧を張ることしか出来ません。しかも、一人では力が足りず、ごく狭い範囲に限られてしまうのですよ」

「色々と難儀だよね。だからこそ、あたし達はずっと一緒なんだけど」

 ディアは小さく俺にウィンクを飛ばすと、手を離して椅子にどっかりと座った。セラは静かに座り直す。

「二人で霧を展開している限りは、視認が出来る範囲の全ての霊の姿がわかると言えます。尤も、神はそこら中にいる訳ではないですか、引っかかるものの多くは普通の人の霊ばかりですね」

「……それって、いわゆる亡霊とかそういうのか?」

「だねー。浮遊霊、地縛霊、憑依霊、いっぱいだよ。このお店にはいなくて、とりあえず良かったよね」

「マジか。そのただの霊と、神は違いがはっきりとしているのか?大きいとか」

「大きさは、まあそれほど変わりません。しかし、前にもお話したかもしれませんが神の多くは獣の姿を取っています。オオカミだとかイノシシだとか、四足の獣がほとんどですね。こんな町にそんな動物は普通いませんから、判別は簡単でしょう」

「不思議と、ライオンとかトラとかは全然ない、って話だよね。あんまり複雑なデザインは難しいのかな。向こうも、今にも消えかかっている中ぎりぎりで変身しているんだから」

「となると、俺よりずっと背は低いことになるな。足元の奴を防御する、というのは中々骨が折れるんだが」

「下段防御の練習は十分したけど、盾がおっきいもんね。これが小さなラウンドシールドとかなら、盾自身を動かして対応出来るんだけど」

 あの馬鹿デカい盾は、力の入れ具合を細かく調整して、防御の高さを選ばないといけない。ただ構えているだけだと、バランスを崩させられて俺が尻餅を突いたり、下手をすると盾を跳ね飛ばされるなど、色々と不都合なことが起きてしまう。

 大柄な道具ほど繊細な運用が要求されるなんて、見ている側からすれば思い付きもしないことだ。改めて、扱い方を教えてくれたディアには感謝したい。

「ちなみに、この霧。私は闇の霧と呼んでいるのですが、これは一般の方にも見えてしまいます。霊力を目に見える形で放出するのですから当然とも言えるのですが」

「だけど、こんな見た目だからね。普通は驚いて逃げちゃう訳。で、そうすることであたし達が戦ってても、その姿を他人に見られることはない、ってね。仮にはっきり見ちゃったとしても、霧なんか立ち込めてたら、見間違いか怪奇現象だと思うでしょ?夜なんだし」

「なるほどな……。後者だと思われると、変な都市伝説が誕生しそうだが」

「あはは、その時はその時だよ。“恐怖!首なしゴスロリ姉妹!”みたいな。テレビの取材とか来ちゃうかも?」

「結構笑えないな、それ。後、なんで自然に首がなくなってるんだ」

「もう何も怖くない!」

「いや、さすがにそれは怖いから」

 首なしライダーとか首なし地蔵とか、日本の都市伝説や怪談に出てくる奴は、首がないことが多いからな。その慣例に従ったんだろうが……その新たな都市伝説は斬新過ぎて怖い。西洋なら普通にありそうだけどな。ギロチンで刎ねられたとかそんな感じで。

「怪談は良いですが、とりあえずそういうことで身内にバレる、ようなことは特に心配はされなくても大丈夫です。存分に力を振るいましょう」

「わかった。もうそろそろ、か」

 意外なほどに速く時計の針は進んでいる。もうすぐ八時。帰宅の人も減って来ていて、娯楽施設に乏しいこの町は既に眠っているも同然の時刻だ。

「ですね。お兄様、ディアちゃん。一柱狩ることを目標にしますが、どうか無理はせず、危険と判断したらすぐに引きましょう。こちらが逃げれば、向こうも過剰な追撃はしないはずです」

「おーきーどーきー。始めますかー」

 適度に緊張感もディアにほぐしてもらい、俺達は店を出た。最初の狩人と、その猟犬の仕事をするために。

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 今日で何回、お兄様にご指名をいただけたことになるのでしょうか?

 私は、お兄様の彼女をさせてもらっています。ですが、プライベートで会う時と、お仕事としてお会いする時とでは何かが違うのだと、私は考えています。

 “いつも”の延長線上にあるはずなのにどこか特別で、ディアちゃんが指名された時には恥ずかしながら、軽く嫉妬をしてしまうほどです。

 こんなことを書いていると、いかに私がお兄様のことを深く愛しているのか、何も知らずこのページから読まれた人だってわかってしまいますね。もちろん、この日記を誰かに読ませるようなことはないのですが。だからこそ、のろけることも出来る訳です。

 しかし、お兄様は――

 

「なっ、何を読んでいるんですか!?」

「ん?ああ、セラ。何って、セラの日――」

「訳がわかりません!いくらお兄様でも、日記を勝手に読むなんて、許されざることです!な、なんで初めてお部屋に上げさせてもらった日にそんなことになるんですかぁー……」

「い、いや。セラもディアもどっか行ってるし、手持ち無沙汰だったから」

「暇なら人の日記を読むと、そう言うのですか?」

「いや、悪気はなかったんだ。装丁が奇麗だから、普通に洋書かなーと思って」

「仮にお兄様の考え通りだったとしても、英語やドイツ語で書かれた本なんて読めないでしょうに!それに、日記だと気付いた瞬間に閉じてください……」

「丁度俺のことが書かれてたから、気になって」

「はぁ……もう良いです。基本的にお兄様に読まれて恥ずかしいことは書いていませんので」

「じゃあ、もっと読んで良いのか?」

「ご勝手に。でも、準備が出来ましたよ」

「準備?そういや、何をしてたんだ?」

「お兄様の意識が戻ったら食べていただこうと、半日ずっと、料理を作っていました。私もディアちゃんも、お兄様のためだけに、料理を作っていたんです」

「……そうか。ありがとう」

「ふふっ、今日は今までにないほどのご馳走ですよ。心をこめて作ったのですから、一口も残さず食べてくださいね?」

「お、おお。頑張って食おう」

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 俺の前には、仲良く手を繋ぎ合った二人が歩いている。もちろん、それは件の霧を発生させるためであり、今更俺に仲良しさをアピールしているんじゃない。

 まずは相手を見つけなければならないから、二人を守ると言っておきながら俺は後ろをついて行くしか出来ないのがなんとも情けない図だ。それに、さっきから無数の人やペットの霊が現れていて、その度に思わずびく付いてしまう俺がいる。……いよいよ情けない。

 せめて、二人も怖がっていてくれれば良かったんだが、実際に霧を出しながら町中を歩くのは初めてなのに落ち着いたものだ。やはり手を繋いでいるから安心感があるのだろう。

「なんか、肝試ししてる気分だね」

「そうですね。昔、お化け屋敷に行った時には、ディアちゃんは泣いてばかりいましたっけ」

「うぅー、どうしてそんな細かいこと覚えてるかなぁ!」

「あの時は、ディアちゃんを泣き止ませるために私の分のソフトクリームをあげましたから、覚えているんです」

「食べ物の恨み!?」

「私はあの瞬間、最も強く姉であることを恨みました。狂おしいほどに」

「な、なんか翻訳調だし、本当なんだね……」

 和やか(?)な会話が目の前で会話されている時でも、全く空気を読まずに霊は現れては通り過ぎて行く。二人は完全にスルーを決め込んでいるし、俺にしか見えないのか、とすら思えて来る。

「ところでディアちゃん。いつから片手で斧を持てるように?最近まで必ず両手で扱っていた印象があるのですが」

「んー?片手でも、持つぐらいは昔から出来るよ。さすがに振り回すのは無理だけどね」

「そうでしたか……見た目からは想像することが全く出来ない腕力ですね」

「ふふーん、褒め言葉と受け取らせてもらうね」

「ええ、もちろんそうですとも。とても真似出来ません」

「……一気に嘘臭くなったね」

「含みなんてありませんよ。純粋に、私の細腕では無理、と」

「うわーん!暗にあたしの腕が太いってディスられたー」

「その前にきちんと、見た目からは想像出来ないと言ったでしょう?私が、ディアちゃんの悪口を言う訳ないじゃないですか」

「もう、紛らわしいなぁ。でも、セラちゃん大好きっ」

 手を繋ぐだけではなく、とうとうディアが一方的にセラに抱きついていた。……こんな夜道でゴスロリの女の子二人が抱き合ってるなんて光景を見たら、確かに都市伝説化しかねないな。

「セラちゃん」

「ええ。お兄様、前ですっ」

 ついさっきまで抱き合っていた二人が飛び退き、それぞれの得物を構える。よりにもよって、こんな時に来たか。それとも、まさかの百合好きな神か?

 黒い霧は二人が手を離したことで少しずつ晴れていくが、一部分だけ残っている部分がある。また、周囲にはまるでプロレスのリングのように霧が立ち込めていた。ディア一人でも、場所を特定した神の辺りを覆うぐらいは出来るのだろう。敵の姿が俺にも見えて来る。

「オオカミ?いや、キツネか」

 黒い毛並みなので一瞬見間違ったが、長く膨らんだ尾は間違いなくキツネのもの。霊体ということもあってか、その体に色はなく、黒と白の濃淡のみがあるだけだ。

 大きさは普通のキツネよりは大きいが、それでも大型犬よりは小さい。俺にしてみれば相手をしづらい背の低さだと言える。

「キツネとは、実に日本的ですね。やはり食べ物の神様でしょうか」

「飢えているんだったら困るな。こんなところであんな奴のエサにはなりたくないぞ」

 前に躍り出ると同時に盾を展開。まずは本当に双子だけが優先して狙われるのかを確かめる。すると、キツネは見事に俺の横をすり抜けてセラへと襲いかかろうとする。が、俺にだって剣はある。すぐに盾と剣を持ち替え、叩き付ける。当たらない。が、セラが棒立ちでいるはずもない。右手の刀で攻撃、左手の刀で防御を固め、俊敏に動き回る相手にも翻弄されることなく、冷静に対処をする。

 多少は刀が掠っているようだが、有効打を与えなければ“狩る”ことは出来ないらしく、諦めたキツネはディアに標的を移した。予め身構えていたディアは当然迎撃に移るが、さすがに相手も動きは速い。斧で捉えきることは出来ず、防戦が基本となる。

「セラちゃん!」

「ええっ」

 しかしここで姉妹のコンビネーションが発揮される。ディアが斧で相手を弾いたタイミングでセラが走り出し、宙に浮かぶ敵を刀で叩き斬ろうと、矢のように自身もジャンプをした。だが、そこでキツネはなんとディアの斧の刃のない面を蹴り、更に高く跳躍する。――まるでユリアの時と同じだ。ユリアの場合はそこから銃を撃つことが出来るが、キツネが持つ唯一の武器はその爪。がら空きのセラの背中にそれが迫る。

「させるか、この馬鹿ギツネが!」

 一つ、はっきりとしたことがある。こいつは。いや、これから俺達が戦っていくかつての神達は、俺という存在を完全に無視している。まるで、見えていないかのようだ。

 だから、俺が棒立ちで見守っているだけのはずはないのに、こいつは俺の目の前に平気で隙をさらす。俺はただ剣を振り上げるだけで、こいつの体を両断することは出来るというのに。

「いくら俺が地味だからって、スルーしてんな。ぶっ飛ばすぞ」

 遥か高くまでキツネを実際にぶっ飛ばしてから言ってやった。……ちょっと、二人の前で汚い言葉を使い過ぎただろうか。

 なんて思っていると、唐突に脇腹に激痛が走る。そのまま俺は成すすべもなく吹き飛ばされ、地面に頭を打ち付ける寸前のところで腕を伸ばして受身を取ることが出来た。

「お兄様!ディアちゃん、霧を」

「う、うんっ」

 すぐにセラが駆け寄り、俺を守るように刀を構える。

 突然現れた(ように思えた)新手は、巨大な……そう、本当に巨大な犬のような形をしていた。高さだけでも二メートル近くはあり、頭から尾までの長さは五メートルかそこらだ。犬種はしいて言えば、秋田犬辺りに近いだろうか。オオカミに限りなく近い犬、といった印象だ。

「くそっ……罠にはめられたのは俺の方だったか」

「だ、大丈夫ですか?すみません、気付けなくて」

「いや、ただ体当たりされただけだから、ちょっと痛みがあるだけだ。まだ犬で良かったと思うな。もしイノシシなら無事じゃなかったかもしれない」

 冗談のように言うが、セラは真剣の面持ちのままだ。まあ、あいつを始末しないと安心することなんて出来るはずもない。あいつが今夜の大ボスと言ったところか。

 今はディアが相手と睨み合いの状態になっていて、下手に手を出すことも出来ない。とりあえず傷の具合を確認するが、触れると刺すような痛みが走るが、血も出ていないし骨も折れてはいないらしい。ただ、内出血ぐらいはあるだろう。霊体とはいえ、あれだけの巨体の体当たりをもろに食らったのだから。

「お兄ちゃんの仇、取らせてもらうよ!」

 俺は死ぬどころか大した怪我も負っていないのだが、機を見計らってディアが前に出る。高く掲げた斧は幅広の刃ではなく、面積の小さい先端の尖った方の刃を突き刺すように振るい、それを当てるとまではいかなくてもプレッシャーを与えて後退させる。

 さすがに斧を振り回されれば、神であっても多少恐れはするようだ。それに、さっきのキツネと違ってあの巨体の持ち主だ。犬なのだから俊敏性はある程度あるだろうが、体の小回りは利きづらい。ディアの斧とは相性が悪く、単純な力押しでも十分なんとかなりそうな相手だ。

「よし、俺も出る。あれを倒して、今夜は終わりにしよう」

「大丈夫ですか……?あれなら、私達だけでも」

「もしもの時に、盾役は必要だろ?俺は二人の盾になるためにいるんだから、役割を全うさせてくれよ」

 生意気にそう言って、前へと進み出た。痛みはまだある。でも、やれないほどじゃない。

 ディアは致命的な隙を見せないように細かく斧を振るい、相手はそれをただ避けることに徹している。チャンスと言えばチャンスだが、再びあの力で体当たりされれば、相当気合を入れて受け止めなければまた吹き飛ばされるだけだ。咄嗟の防御では対処しづらい。

 なら、受け止めるんじゃなく、上手く避ける。道幅は狭く、あの巨体から隠れるスペースはないが、活用するのは盾ではなく剣の方。これで上手くやっていなして隙を作り、そこを二人に決めてもらうのが一番良い。

「ディア、俺の後ろに隠れてくれ。突進を誘って、一気に決める」

「ええー?お兄ちゃんの後ろで見てるだけなんて、なんか嫌だよっ」

「いや、多分、普通にしている限り俺はあいつに狙われない。でも、俺の後ろに標的となり得るディアがいれば、それを狙って来るかもしれないだろ?そこをなんとかする」

「でもお兄ちゃん、さっきのがまだ響いてるんでしょ?表情を見ればわかるよ……」

「致命傷じゃない。今は俺を信じてくれ」

 半ば強引に俺がディアの前に出て、剣を構える。ことによると、相手は俺の姿すら見えていないのかもしれないぐらい、清々しくあのキツネは俺をスルーしてくれた。さっきの突進も、あれは恐らく俺の近くにいたセラを狙ったものなんだろう。もしその推測が当たっているのなら、これは好都合だ。

 視覚に頼っている相手は、武器から放たれる霊力のみに頼って俺を感知することになり、俺が何を狙い、何をしようとしているかはわかるはずもない。利用価値だらけで、どんな悪巧みをしようか迷ってしまうぐらい有利な条件が俺に与えられたことになる。

 攻撃が止んだことで、犬が攻勢に回る。まずはディアを狙って牙を剥いて飛びかかって来たが、まだジャンプの途中のところで俺が剣を振り下ろして迎撃する。すんでのところで身をよじって避けられるが、やっぱりこいつは俺がいることに気付いていない。その証拠に、俺のいるはずの場所を通り抜けてディアに噛み付くような軌道でジャンプをしていた。相手が俺を見ていないということを頭に入れた上で動くのは少し難しいが、慣れれば一方的にアドバンテージを取ることだって出来るに違いない。

 ディアを常に背中にかばう位置取りを心がけ、セラに標的が映らないよう、出来るならば三人が同一直線上に並ぶように動く。何も言っていないのにセラはそれに気付いてくれたようで、きちんと後方に控えてくれている。

 これなら、上手く俺が相手の突進をいなし、無防備な状態のことをディアにパスして一撃を加えてもらい、怯んだところにセラがトドメを刺す、という連携攻撃を決めることが可能だ。後は、相手が業を煮やして突っ込んでくるのを待つだけ……。

 盾も駆使して攻撃を防いでいると、噛み付きの後、巨大な犬は少し後ろに飛び退った。距離を取ったその後、何をするのかは予想が付く。盾ではなく剣を持ち、深呼吸。ここで勝負が決まる。失敗したら、いい加減に俺の体力に限界が来そうだ。強がってはみたものの、あの一撃は今になって効いて来て、じわじわ俺の体力を奪っている。文字通りのボディブロー、だな。

「ディア、俺があいつを仰け反らせたら、追撃を頼む。セラも!」

『わかった(わかりました)!』

 助走を付け、相手が突っ込んで来る。俺は小さく左に反れ、バットでボールを撃つように両手でしっかりと握った剣をフルスイングした。剣は振り抜かれることはなく、相手の牙に噛まれ、そこで静止する。あの体当たりの威力から想像していたが、正面から受け止めると想像を遥かに超えるほどの力だ。だが、俺の武器は消すのも出すのも自在。唐突に剣を消滅させ、大犬の体勢が崩れてそのまま前のめりに倒れそうになったところに、再び出現させた剣で一撃をお見舞する。これで隙は作れるはず――が、再び剣は牙に挟まれ、その動きを止められた。

 相手にしてみれば俺の剣がいきなり消えるようなことは完全な想定外の出来事だったはずなのに、暴走している相手だとは思えないほど冷静な判断だ。もう同じ手は通じないだろう、別の方法を考えるしかない。

 なんとか相手の力に耐えながらそう思っていると、唐突にさっき体当たりを受けた部分が痛み出した。いや、痛みは永続的にあった。それは小さな針を刺されるような、忘れることは出来ないが気合で克服出来るはずのものだったのだが、今ここに来てそれが火で炙られているかのような、燃える痛みを訴え出す。これが、俺の体の限界なのか。

 最早、力が均衡することはない。剣を握る手には満足な力が入らず、簡単に力負けして剣が弾かれる。

 ここで俺が抜かれると、後は総崩れになってしまう。ディアが、セラが、跳ね飛ばされるビジョンが浮かぶが、俺にその悲劇を抑止するだけの力はない。既に俺は、膝から崩れ落ちてしまっていた。時間差で来た激痛は、そのまま俺の体を裂いてしまうような錯覚を覚えさせた。

「お兄ちゃんっ、くそっ……!」

 ディアが慌てて斧を構えるのがわかる。だが、すぐに金属音が鳴り響き、斧が吹き飛ばされるのがわかった、そして、次に飛ぶのはディアの番に違いない。

 ――俺は、俺を頼ってくれた二人を守る、それだけのことも出来ないのか。

 絶望が頭を支配する。俺自身が俺の存在価値を否定する。ここで二人に怪我を負わせるようなことがあれば、俺はもう二度と俺を好きにはなれないのだろうとわかった。

 だから、それは嫌だ。だが、俺が何かをしたところで相手の注意を引くことは出来ない。戦うなんてもっと無理だ。そして、ディアが襲われるのは必定だ。しかも、咄嗟にセラまで駆けて来ている。

 全滅。無慈悲な言葉が頭の上に浮かび、のしかかった。

 俺は、この状況を変えることは出来ないのか。いよいよ俺のものとは思えないほど脳が活性化して様々な思考を紡ぎ出すが、絶望の言葉は消え去ってくれない。その末に、思考は停止され、代わりにボロボロの体が動き始めた。

「二人とも、無責任だが、後は頼んだ。なんとかやってくれ!」

 もう、ディアと相手との間に割り込んで守ってやることは出来ない。俺は突進する大犬に自分自身の体をぶつけて、想像通りに向かい側の塀に叩き付けられた。だが、男一人の体当たりを受け、相手の突進の軌道も多少はずれる。実体を持たない体はコンクリート塀や電柱を貫通して、まるで突き刺さるように一時的に動きを止める。

 相手にとっても、不意の一撃だった。俺は剣も盾も出していなかったから、ほとんど霊力を持たない一般人も同じ。それを感知することは相手には出来ない。後は、すぐ傍にいるディアがなんとかしてくれることだろう。

 ああ、視界がどんどん赤色に染まって行く。――そりゃあ、あれだけ強く頭を打ち付ければ血ぐらいは出るだろうな。

-7ページ-

「お兄様」

「お兄ちゃん」

『無理し過ぎです(だよ)!!』

「か、返す言葉もない」

「お兄様がああして下さらなければ、どうなっていたかわかりません。ですから、これ以上うるさくは言いませんが……」

「それでお兄ちゃんが死んじゃったら、何にもならないんだから!めちゃくちゃ、めちゃくちゃ心配したんだよ?」

「本当に申し訳ない。謝っても謝りきれないだろうが、とにかく謝らせてくれ」

「もう良いです。ただし、相応の罰は与えさせてもらいます」

「ば、罰?」

「この際だからこのお店、隅々まで奇麗に掃除して。それが終わったら、許してあげる」

「は、はあ」

 次に俺の意識が覚醒した時、そこはベッドの上だった。部屋の様子から、病院ではなくディアの部屋であることはすぐにわかり、特有の雑然と置かれた本やゲームがすぐに目に飛び込んでくる。

 外を見ると、夕暮れ。丸一日近く眠っていたことになる。頭に巻かれた包帯や、脇腹に当てられた氷のうなどを見るに、これ等の処置は病院で行われたみたいだ。セラが器用だといっても、素人がここまでやれるとは思えない。

 一応、こうして二人の家に戻って来れているということは、怪我の具合は大したことないのだろう。痛みもそうぎゃーぎゃー喚き立てるほどのものじゃなく、しばらく安静にしていれば良くなりそうだ。

 と、自分の病状を確認しているとセラが部屋に入って来たかと思えばすぐに出て行き、またディアを伴ってやって来た。

 その後は、冒頭の通りだ。

「ご家族には、ゴミを踏んで転び、地面に頭を打ち付けたということにして連絡させていただきました」

「そ、そうか。中々間抜けな理由だな」

「そうです、間抜けです。私にずっと心配させていたなんて、お兄様は世界一間抜けな人です……!」

「セラ……?」

 彼女はベッドのすぐ傍にぺたんと座り込み、肩を震わせていた。手の甲に涙の粒がいくつも零れ落ちていって、あっという間に小さな手の上には大きな水溜まりが出来てしまう。

 三度、ドアが開く音がした。ディアが部屋を出て行くために開いたようだった。

「セラ」

 俺はベッドから半身を起こすと、涙のせいで滑りそうになりながら、その手を両手で握った。今度は俺の手の上に彼女の涙が落ちる。温かい、涙の粒達が。

「ごめん。こんなに、心配させてしまって」

「……どうか、誓ってください。もう、私をこんな風に心配させないと。こんな、胸が張り裂けそうな、押し潰されそうな想いをさせるのは、もうやめてください。あなたが私の恋人でいてくれるのなら。泣き虫で口うるさいこんな私を、まだ好きだと言ってくれるのなら」

「セラ。俺は、君が好きだ。世界で一番、愛してる。だからこそ、俺は君を守りたい。命を賭してでも。だから……」

 その誓いを立てることは出来ない。

 そんなことをしてしまったら、俺は彼女を守れなくなってしまう。彼女が傷付くとわかっている状況でも、それを見過ごさなければならなくなってしまう。それは、この命を奪われることよりも恐ろしいこと。そうはっきりと思った。

「だからはなし、です。誓ってくれるまで私は、ここを動きません」

 次の瞬間、セラは俺の胸に飛び込んで来た。いや、正確には押し倒す、という表現の方が正しい。

 上手いこと俺の怪我している部分は避けて、ぴったりとセラの小さな体が俺の上に乗っかって来る。セラの顔がすぐ傍にある。息がかかるような距離だ。

 何を思ったのか俺は、まだ彼女の目元に溜まっている涙を、指で拭ってやった。物語の王子様のように、少しキザったらしく。

「セラ」

「もしも誓ってくれないと言うのなら、私はお兄様の彼女をやめます。……お兄様なんて、手酷く振ってあげます。こんな酷い想いを私にさせた人なんかっ」

「……それはちょっと、困るな。俺はまだ、セラの彼氏でいたいから」

「私だって、そうです。だから、もう私に心配をかけさせないでください。私を守ってくれるのは良いです。でも、どうかもうあんな無茶は……」

「ごめん、やっぱりそれは約束しかねる。でも、セラ」

「でももなし、です。私から逃げないでください」

「は、はは。セラ、意外と束縛するタイプの子だったんだな」

「そうです。今まで隠していましたけど、私はこんなにもわがままな子なんです。幻滅しましたか?」

「いいや。余計に好きになった」

 俺はセラの背中に腕を回し、二人の体をぎゅっ、とより近付けた。爽やかで、そして甘い香りが鼻をくすぐる。

「誓おう。俺は、君のことを何があっても守り抜く。だから君も、俺のことを守って欲しい。お互いがお互いのことを守り合えば、大丈夫だろ?」

「でも、私の出来ることには限界があります。お兄様のことを、絶対に守り抜ける確証なんて……」

「でもはなし、な。もちろん、俺だって自分の体を投げ打ってやっと二人を守れたぐらい未熟だ。だから、まだまだ二人に鍛えてもらわないといけない。そうしてお互いを高め合っていれば、自分の好きな人と、それから、大事な妹を守れるぐらいには強くなれるだろ?」

「……お兄様」

「セラ、もう一度言おう。俺は、君にも誓って欲しい。俺とディアを守ることを。そうしてくれれば、俺は君とディアのことを全力で守る。……これで良い、よな?」

 翡翠色の瞳の中を覗き込むように見つめ、その中に俺の像を探す。合わせ鏡のようにセラの大きな目の中にはいくつもの俺がいて、セラも同じ数だけいた。それは瞬間瞬間に存在する俺達の姿みたいで、どれか一つ欠けてしまっても、今ここに俺達はいないんだろう。

 ポエマー過ぎる?ああ、そうだろう。俺自身、何を考えているのかわからなくなって来た。

 それでも、今俺が何をしたくて、何をするべきなのかは、はっきりとし過ぎているぐらいわかっている。

「はい。私も、誓います。大事なお兄様のことは、私自身が守ると」

「よし、じゃあ……」

「いつでも、お兄様のタイミングで良いですよ。――私は、あなたに私の体も、この命も託すと決めましたから」

「そうか。ありがとう、セラ」

「こんな時ぐらい、本名で呼んでくれても良いじゃないですか」

「ごめん、セラフィーナ」

「すぐに呼び直してくれたので、許してあげます。義次様」

 そして、俺はそっと彼女と唇を重ね合った。二人の永遠を誓うため。今ここに二人でいられることの喜びを、確かめ合うために。

 一秒が一時間にも感じられるような時をたっぷりと感じて、唇を離した俺達は、嬉しくて。だけど少し恥ずかしくて、曖昧に微笑み合った。

「初めて、でしたね」

「不思議だな。もう付き合い始めて二ヶ月経ってるのに」

「別に、急ぐ必要もありませんけどね。――だって、お兄様がずっと守ってくれるのでしょう?」

「ああ、もちろん。必ず幸せにするよ。セラ」

 

 

 

 もう一度、俺はセラの体を強く抱きしめた。

 彼女は顔を真っ赤にしながらも、もう涙を流すことはなく、最高の笑顔を俺だけに向けてくれている。

 この笑顔を守るためなら、なんだって出来る気がした。

 

 

 

終わり

説明
これでおしまいです
ちなみにデータ量的には、前作の「牢獄〜」以降、250前後で安定しています。ほぼ規定ぎりぎりの長さですね
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