嘘つき村の奇妙な日常(12) |
「ねぇ、あなた。言葉は話せる?」
「きぃ」
返答の代わりに、蝙蝠は小さく鳴いた。こいしの指に掴まり、時折だらりと翼を広げる。
『どれだけ飛び回っていたのかは知らないけれども、大したものだわ。こんなのを抱え続けたのだから』
こいしの傍で、人形が何かを持ち上げてしげしげと観察している。長さ二十センチ、直径一センチのごくごく標準的な試験管だ。それを、こいしの手に収まるほどの蝙蝠が運んでいたということになる。
試験管の底に、淡い蛍光ブルーの色を帯びた白い粉が沈んでいる。パチュリーはそれに興味を覚えた。
「何なのかわかる?」
人形は横に首を振った。
『リンクしているのは視覚聴覚の情報だけだからね。ただ、フランドールがこれを残す前に置かれていた状況、あなた達が被った災難などから推測をすることはできる。これは恐らく』
『代われ、パチュリー。お前の推理はじれったいぜ』
人形が魔理沙の声を発する。
『ちょっと、せめて大人しくしてなさいよ』
『お前は薬学関係の書物を漁って、惚れ薬とやらの正体に当たりをつけてこい。指示は私が出す』
『資料探しならあなたが一番速いわ。適材適所』
『……わかったわよ』
数秒の沈黙。椅子をずらす音の後、魔理沙の声が再び人形から聞こえてきた。
『あー、あー。マイクテスト、マイクテスト』
「あなた達のやり取りから、ずっと聞こえてるわ?」
人形が口元に手を当て、咳払いを一つ。アリスの人形操術はあまりに精密だった。
『その粉は村人やぬえをおかしくした、惚れ薬って奴と見て間違いないぜ。フランは、食べ物を調べていたんだろう? あいつは襲撃を受けた時に自分の一部を切り離して、それだけ持ち出したんだ』
「それって、ただの推理よね?」
蝙蝠、すなわちフランドールの分身が翼を広げて頻りにキイキイと鳴き始める。
『ほれ、フランもその通りだと主張している』
「本当に? あなた彼女の心は読めないでしょ」
『読めなくても察しはつけられるわ。その試験管は、フランからのメッセージと捉えるべきね』
アリスの声が、魔理沙にフォローを入れる。
『彼女は襲われる最中に何を持ち出すべきか咄嗟に考え、その試験管を選んだ。それにはきっと大きな意味があると、私は思うわ』
こいしはもう一度蝙蝠を見る。心なしか、彼女が首を縦に振っているように見えなくもない。
「分かったわ。多数決で推理が正しいことにするね。でも、何から薬が出てきたのかしらね」
『私は、全部と仮定するね』
再びパチュリーの声がした。続けざまに重量感のある紙の束が置かれる音が、断続的に聞こえてくる。
『それは作物の段階で、成分として含まれているという仮定でもある。それらを育む土も全て、ね』
「誰かが仕込んだとは考えなくてもいいの?」
『仮に特定の誰かが食事に惚れ薬を盛ったとして、あなた容疑者を一人に定められる? 宿を仕切っていた二人の妖怪はおろか、全部の村人が嘘つき達の言いなりと見るべきその村で』
人形が、こいしを見上げている。薄ら寒い北風が一陣吹いて、夕暮れが近づきつつある丘陵の風景に寂寥感をもたらした。
「全員が全員、疑わしいってことかしら」
『そう。だから全員が全員犯人だったらと考えた』
西日に照らされた集落が遠くに見えた。刻一刻と影が伸びる様に、村が動くような錯覚を感じる。
『村人達は、どうやって惚れ薬を摂取しているか。やはりその手段は食事であり、引いては土である。それも嘘つきが地道にばら撒いているとか、そんなレベルのものではなく――』
パチュリーの言葉を聞きながら、こいしは周囲の光景に釘付けになっていた。
村が動いている。比喩でも錯覚でもない。
集落が湖上の船のように地面を滑り一種の流れを作り出している。それらは一様に嘘つき達の館へと集まって群体を構成するかのようだった。
『――村自体が嘘つきである可能性を示唆するわ』
変化が終わった頃には、村の様相は一変していた。一つの城塞都市がこいしの目の前に広がっている。館を中心として煉瓦造りの家が密集している様子は、村というより一つの要塞であった。
「そうね。たった今、よく理解できたわ」
『おいおい。どうなってんだ、こりゃ』
魔理沙の声が舌を巻く。続いてパチュリーの息を吐く音が聞こえた。
『館に忍び込んだ際、ぬえが何かを言いかけていたでしょう? 館だけではなく村全体がと。あいつは自分よりも正体不明なものが存在するのが許せない性分だから、村の正体にも多分気がついていた筈よ。村全体が異界というより、一個の妖怪だと考えればしっくりくるわ』
『待てパチュリー。それじゃ、惚れ薬ってのは』
『村という妖怪が生み出した分泌物のようなもの。いわば血や汗、排泄物ね』
『うへぇ、勘弁』
人形が飛び上がり、こいしの肩に乗る。
『私達はこれから類似薬物の存在を調べるわ。少し待って貰えれば、惚れ薬の正体も分かるかもよ』
こいしはパチュリーの質問へと答える代わりに、指先で蝙蝠の口元を悪戯のようにくすぐった。
「あなたお腹空いてる? 私達を探して飛び回っていたのでしょう?」
蝙蝠が目を細めて、もう一度小さく鳴いた。
「少しだけど、お弁当を分けてあげる。食事してる間に、調べものが終わってくれるといいわね」
§
熱された鉄板が肉を焦がし、シューシューという音を立て続ける。抗い難い芳香を放つ厚いステーキにナイフを入れると、薄桃色の肉汁が溢れ出た。
フランドールは賽子状に切り分けた肉を口に運ぶ。喜びも感動も顔に表さず、ただ無感情に、黙々と。
「他に何か、欲しいものはあるかな?」
大食堂に、クラウンが現れる。
「血が少ないわね。できれば人間のがいいわ」
「それは調達に時間がかかるかな。まあ善処しよう。食事中済まないが、君に見てもらいたいものがある」
そう言うと彼は胸ポケットから一枚の紙片を取り出して、テーブルの上に置いた。ナプキンで口元を拭い、紙を手に取る。
写真である。彼女達にとっては新聞紙で馴染みのモノクロームではなく、色がついていた。中身は、人間の集合写真である。全部で八人が写っていた。
フランドールは写真の一番隅に視線を合わせる。他の七人から顔を背けるようにして、困り顔を浮かべた男である。彼女は顔を上げてクラウンの表情を見ようとしたところで、写真の大半が手で覆われる。
「見て貰いたいのは、この部分だよ」
隠れなかった場所には、一人の少女が写っていた。
見かけ上の年齢は、十代後半から二十代前半か。青い目、金色の長い髪、そして病的に白い肌。
「さっき言っていた『最も美しいあの子』ね?」
「ご名答」
写真の少女は髪の長さも瞳の色もフランドールと異なるが、吊り上った大きな目や顔立ちはよく似ている。もしもフランドールが人間なら、五年後には瓜二つになっていたかもしれない。
「嘘つき村に迎えねばならない、八人目の嘘つきさ。僕達は、ずっと彼女の影を追い求めてきた」
「それで彼女とよく似ている私に、八人目の嘘つきの代わりになってほしい、と?」
「望むのは仮初めの嘘つきなんかじゃない、本物さ。どうだい、写真を見て何か思うところはないか」
フランドールはクラウンの顔を、入念に観測する。彼の笑顔は、引きつっていた。
「何かと言われても、よく似ている、以上の感想は持てないわね。私は、彼女とは別人」
「そうか……」
クラウンはそのまま黙り込んだ。ステーキの鉄板はいつの間にか冷えて、肉を焼く音も消えている。
「何か言いたいことが、あるのではなくて?」
彼は小さな呻きを口から漏らした。
「私はサトリではないけど、あなたが言いたくても踏み出せないでいることが分かるわ。あなたは私に、八人目の嘘つきそのものになってくれと思っている」
「違う」
クラウンの否定に構わず、フランドールは続けた。
「あなたが惚れ薬を以てそう命じれば、私は写真の彼女以上に八人目の嘘つきを演じることができるでしょうし、愛されもするでしょうよ。ただあなたは、そうすることによってこの村の嘘が明るみになってしまうことを恐れているのではないの?」
「この村は、嘘つきに満ち溢れているよ。今さら、暴かれて困る嘘なんてあるわけがない」
「それもまた、嘘ね」
クラウンの体が、小さく震える。
「八人の嘘つきが揃うことで、真の楽園へと至る。あなた達にどんな経緯があってそんな条件の設定に至ったのかは知らないけれど、これだけは分かるわ。八人揃っても、楽園は何も与えない」
「そんな筈はない。君に何が分かると言うんだ」
「この村を見れば、色々とね。望んだものが何でも手に入り、皆が仲良しで争いもない。そんな欺瞞に満ち溢れた楽園が、あなた達の望みなのでしょう? でも、そんなものは楽園ではなくただの堕落」
「黙れ」
短い一言と共に、フランドールは詰問を止めた。クラウンは写真を取り上げると、ポケットに戻す。
「条件が整っていないだけかもしれないじゃないか。事実村人が増えることで、この村は僕達の望んだ形になりつつある。あと少しなんだ」
言い残して、足早に食堂を後にする。
フランドールは少しの時間彼が去った後を眺めていたが、再びナイフとフォークを取ってステーキの残りを平らげることに専念した。
肉の一片を平らげる際、彼女は何かを呟くために口を動かしたが、クラウンの命令は絶対だったので声が出てくることはなかった。
――ア、ワ、レ、ナ。
§
街路を、紙の束を手にした男達が慌ただしく駆け回る。彼らは煉瓦の壁に、同じデザインのその紙を隙間なく貼り付けていた。全て丸帽子と銀髪の少女、こいしの似顔絵が描かれている。
館をすぐ近くに見上げる城塞村の中心に、農具や調理器具などのあり合わせの武装で固めた村人達が集まってお立ち台に立つぬえに注目していた。
「いいか、お前ら。デッド・オア・アライブだ」
男達が顔に緊張を漲らせる。
「お前達が殺すこの顔をよっく覚えておけ。村中に同じ貼り紙をするから、それを見る度に思い出せ。見つけたら即、囲んで棒で叩く! 相手は私と同じ妖怪だ。油断せずにかかれ。いいね?」
仏頂面を作った男達が頷いた。
「それでは、解散する。必ず二人以上で動き絶対に注意を怠るなよ。行け!」
集団が一斉に回れ右をして、四方八方へと散る。
「大捕り物になったわね」
さながら軍隊然と縦横に並んで歩き出す村人達を、ミスティアが目を丸くしながらそう評価する。
「でもなんで、村に貼り紙を出す必要があったの?」
リグルがぬえに尋ねる。
「こいしを追い込むには、無意識を意識で塗り潰す必要があるからね。あいつは人の無意識に潜り込む」
「無意識を塗り潰すって?」
ぬえが片目を細め、人差し指を立てる。
「無意識っていうのは詰まる所、意識を向けてない部分を指すからね。いつもこいしの存在を意識していれば、あいつが潜める無意識をゼロにはできなくとも減らすことはできる。それを大人数でやりゃあ更に限りなく無意識を潰せるいう寸法さ」
「ふーん」
リグルもミスティアも、生返事で応えた。
「二人とも使役できる手勢がいるだろう? 行って連中の討伐に協力してきてよ。意識が増えるだけ、こちらが有利になるんだからさ」
「あんたはどうするわけ?」
「しばらくは、ここで村人どもの指揮をとらなきゃいかんからね。心配しなくとも、嘘つき達に仕事を委譲したら討って出てやるよ。ほら、行った行った」
追い立てられるように、二人の妖怪が歩き出す。
不意にミスティアがリグルの腕を引いて、上空を首で指し示した。リグルが無言で頷くと、彼女らは揃って飛び上がる。
充分過ぎるほどぬえから距離をとったところで、ミスティアが眼下の行軍を見据えながら呟いた。
「あいつ、気に入らないわね」
「同感。嘘つきの指示って言ってたけど、いきなりやって来て何偉そうにしてるんだか」
城塞化した集落を抜け、田園に降り立つ。周囲に青々とした麦畑が広がっているが、それ以外に視界を遮るものは少なかった。
「でも、ルーミアと小傘の仇は討ちたいね」
「まあ、そこそこ人間ごっこは楽しかったし」
地面が、蠢いた。土を食い破り、または上空から飛来してリグルの周囲に多数の虫が集まってくる。
「ここいら一帯は『全軍』の展開が終わってるよ。私達だけで、やる?」
「いいわね、やりましょ? もうすぐ日が暮れる。コンサートには、うってつけの時間帯だわ」
「あの鵺妖怪はいけ好かない奴だけど、あの知恵は聞くに値する。要は数が力になるってことだよね」
集まった虫達が再び拡散していく。群体を成した虫が一斉に動き出す様は、寄せて返す波にも見えた。
「思いっきり頼むよ。この子達は、目に頼る必要がないから大丈夫」
「任せて頂戴。気配を消そうが何しようが、鳥目になってまともに動けるものですか」
ミスティアが羽を広げ、再び地上を離れる。
「さあどこからでも来い無意識。どこから仕掛けて来ようが、対応でき……る……」
気勢を吐こうとして、リグルは途中で口籠った。彼女の視線は、一点に釘づけになる。
田園の畦道、そのど真ん中である。
彼女達の敵が、堂々と歩いてきた。
説明 | ||
不定期更新です/ある程度書き進んでて、かつ余裕のある時だけ更新します/途中でばっさり終わる可能性もあります/(これまでのあらすじ:EX三人娘が迷い込んだ嘘つき村。嘘つきに囚われたフランドールは奇妙な尋問を受ける。嘘つきの一人、クラウンは彼女が嘘つきの八人目だと考えているようだ。一方こいしは危機を脱したが孤立状態に。危機を脱するべく三人の魔女が遠隔通信可能な自動人形を起動させる……) 最初: http://www.tinami.com/view/500352 次: http://www.tinami.com/view/523584 前: http://www.tinami.com/view/519836 |
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