ガールズ&パンツァー 我輩は戦車である 〜潜入編〜 |
我輩は戦車である。名をチーム名にちなんで『あんこう』という。
『W号戦車D型』という制式もあるが、先日改修を受けF2仕様となったことで正確には『IV号D型改』と呼ぶべきかもしれない。もっとも、これらの判断が面倒ならば『W号』で事足りる。
そんな私だが、本日は一風変わった風景を目にしていた。
「とうっ!」
冷たい甲板の上にしなやかに着地する少女の耳に付けられたインカム。これが今の私の感覚器官だ。
「待たせましたね。潜入(スニーク)ポイントに到着しました」
それに手を当て不敵な言葉を紡ぐのは我らがあんこうチームの装填手、秋山優花里殿である。
《こちらあんこうチーム、良く聞こえるよゆかり…じゃなかったグデーリアン》
「ふっ。長いようでしたらユカークでも構いませんよ?」
《もっと意味わかんないからそれ…》
無線による通信先の武部殿は呆れるばかりだ。それ程に本日の秋山殿はノリノリである。
《プラウダはサンダースと違って警備が厳しいと思うから、気をつけて》
「はい。吉報を待っていてください、西住殿」
西住隊長の言葉にうなづき、秋山殿は一人プラウダ高校の戦車道の拠点へと足を向けた。
ことの始まりは、秋山殿がプラウダ高校の戦力調査を買って出た事である。
彼女は先のサンダース戦の際も偵察行動を行い、見事な実績を上げていた。最初こそ難色を示していた西住隊長であったが、彼女の熱意と自分達が無線でサポートをするという条件つきで許可を出したのだった。
《無線の感度はどうでしょうか?》
「すこぶる良好です。さすが戦車の無線機はアマチュアと違いますね」
秋山殿には五十鈴殿の声も明瞭に聞こえてくるようだ。
現在、秋山殿の使用しているインカムは私の無線機を通して西住隊長の私室まで繋がっている。我々戦車の無線機を増幅器として使用する事で、長距離の通信を可能にしているのだ。無論これは本来の使い方ではないのだが、自動車部の協力でなんとか形になっている。今や西住隊長の私室は一時的な司令部と化し、部屋には秋山殿以外のあんこうチームが揃っていた。
《…べつにケータイでよかったんじゃないか、これ》
「それではわびさびがありませんっ!」
冷泉殿の指摘はもっともなのだが、秋山殿はその辺りにこだわる人物であった。こちらとしても秋山殿のインカムに私の一部が流用されているからこそ、こうして彼女達の様子を知る事ができるのでありがたい。
《まずは予定通り、プラウダの制服に着替えられそうな場所を探してください。その後、相手戦車の偵察をしましょう》
「了解です!」
西住隊長の指示の元、するすると換気用ダクトへ身を進ませる秋山殿。
その手腕は実に手馴れたものである。………手馴れすぎていて将来が不安なほどだ。
《サンダースの時もそうでしたけど、どうして優花里さんが他校の制服を持っているのでしょう?》
「企業秘密ですっ!」
五十鈴殿の疑問はもっともなのだが、気にしたら負けのような気もする。
当面の目標は試合相手の戦車の種類と台数の調査である。可能ならば対戦する選手とその戦略についての情報も入手したいが、あくまで二の次だ。何よりも秋山殿自身の安全が最優先。それが西住隊長の方針である。
《…優花里さん、くれぐれも無理はしないでね》
西住隊長の声は不安げだった。友人が敵地で孤立しているのだから当然だろう。
「分かってますよ。帰ったら皆さんと戦車カフェで乾杯しましょう」
………その台詞に言いようの無い不安を覚えるのは私だけなのだろうか。
ほどなくして、秋山殿はダクトから誰かの個室と思われる部屋に降り立った。
極力音を立てずかつ速やかに。この機敏さと行動力は流石といえる。彼女の斥候としての資質が優れている事は疑いようが無かった。
「まるで伝説の潜入工作員になった気分です。これだから他校への潜入は止められませんね」
これで真正の戦車・軍事オタクでなければなお良かったのだが。
早くその恍惚とした顔を戻してください、秋山殿。
《そんな事より早く着替えちゃってよー!》
「おっとそうでした。了解しました武部大佐」
《大佐?》
「お約束というものですよ♪」
おそらく秋山殿にとってこういうシュチエーションでは通信相手を上官とするのが定石なのだ。きっと深い意味も無いのだろう。
《大佐って、確か相当偉い人ですよね? 沙織さんが大佐でしたらみほさんはどうなのでしょう?》
「西住殿は私にとって永久名誉元帥ですっ!」
秋山殿は着替えながら五十鈴殿の問いに迷わず答えてみせた。
器用にサムズアップまでしなくてもいいと思うのだが。
《そ、そうなんだ…》
当の西住隊長は困惑するばかりである。
《…元帥は前線に出ないだろ》
「うっ!? と、特別な元帥なのです。なにしろ永久名誉ですから!」
《…意味分からん》
冷泉殿の指摘は実に正しい。
とはいえ、秋山殿が西住隊長を特別視しているのは周知の事実である。
《それより優花里さん、着替えたら早く部屋を出て。今この部屋に人が着たらすぐにばれちゃう》
「はいっ!」
このように、西住隊長も秋山殿の好意を流す事を憶えてきてるので問題はない。
………それはそれで問題があるような気もするが、私が気に病んでも仕方あるまい。
そうこうしている内に秋山殿は着替えを終えた。
プラウダの制服を詰めてきたリュックに脱いだ服を入れ、侵入に使用したダクトに隠す。これで彼女が携帯している荷物はポーチに隠しているデジタルカメラだけだ。あとは戦車の安置されている倉庫へ行き、写真に収めるだけである。
「着替え終わりました。これより部屋の外に…む」
《どうしたの?》
ドアノブに手をかけた秋山殿の動きが止まる。数秒の後、彼女はノブから手を離し再び室内に戻った。
「机の上の物が気になりまして。…これは、カチューシャ日記?」
《日記? 人の部屋だし別に当たり前じゃない?》
武部殿の言葉に対し秋山殿は静かに首を振った。
「そうなのですが、その人物が問題なのです。西住殿、カチューシャといえば確か」
《………プラウダの隊長、だと思う》
「やはりそうですか。地吹雪のカチューシャという異名は有名ですからね」
そうか。どうりで秋山殿が気にするはずである。
彼女は期せずして相手校の最重要拠点に侵入していたのだ。
《ホント!? じゃあそこに次の試合の作戦も書かれてるかも!?》
「かもしれません。西住殿、私は読んでおくべきだと思うのですが」
秋山殿の表情は珍しく真剣、否、苦渋に満ちていた。
自分の進言が西住隊長を悩ませる事だと分かっていながら選んだ言葉だったのだろう。
《………》
やはり西住隊長は悩んでいるようだ。
勝利のために情報を得る事。他人のプライベートを除き見る事。
前者は戦車道として当然の道。後者は人として恥じるべき道。
彼女はその狭間で揺れている。揺れる事ができる人なのだ。
ごく一般的な隊長ならば迷わず読むべしと言うだろう。
それはチームの仲間を勝利に導くため、ひいては守るために必要な事だ。
例え人として密かに恥じる事であっても、戦車道を修める者としてなら恥じる事はない。
だが西住隊長はそれを即断しない。
仲間と楽しむための戦車道。人を傷つけない戦車道。我々の隊長の道はそこにある。
例えチームメイトを守れるとしても、対する相手が傷つくならばそれを迷える人なのだ。
「…どういう道であっても、私は西住殿の判断に従います」
《私も!》
《ですわね》
《…好きな方でいいぞ》
そして彼女達は西住隊長の判断を信じる。そこには確かな信頼関係がある。
最近になってつくづく思う。私は彼女達に会えて幸運であったと。
《…日記をポーチにしまっておいて下さい。先に戦車の確認をして余裕があれば優花里さんが試合に関わりそうな所を朗読して、私がメモを取ります。優花里さんは試合に関係ない所を読んでも絶対に口にしない事。最後に日記を元の場所に戻してから帰ってきて下さい》
「わかりました!」
決断は下された。秋山殿はすばやく日記をポーチにしまう。
これが西住隊長にとってギリギリ許容できる範囲なのだろう。
《…ごめんね。優花里さんは辛いと思うけど》
「構いませんよ。私が言い出した事ですから」
実際、秋山殿の表情は晴れやかだ。西住隊長ならばこういう判断を下すと信じていたのかもしれない。
「では、今度こそ部屋の外に出ます」
《部屋を出る所を誰かに見られないようにしてくださいね》
《…インカムも帽子とマフラーで隠しておけ》
「はいっ!」
五十鈴殿と冷泉殿の指示に従い秋山殿は廊下に出ると、そのまま軽快な足取りで歩き出した。
《まずは学園艦の見取り図を見つけて。出来るだけ早く戦車の確認をしておきたいから》
《あと、変な行動をしない事! ゆかりんはそれでサンダースで失敗したんだからね!》
「了解です。やはり皆さんがいると心強いですね」
いえ、どれも潜入任務にあたり常識的な事です。
秋山殿は以前どれだけの無茶をやったのですか。
「まさかスターリン戦車やドレッドノートまで配備されているとは思いませんでした」
偵察は順調に進み、秋山殿はプラウダ校の戦車を一通りカメラに収める事に成功した。
…いや、危うく秋山殿が調査対象の戦車に頬ずりしそうになった所で西住隊長が静止したおかげなのだが。まったく彼女の戦車好きは筋金入りである。
《うん。それを事前に知っておけて良かった》
西住隊長の言う通り、IS-2やKV-2の存在を知らずに試合へ挑むのは厳しかった。
危険を冒してまで偵察した甲斐があったというものだろう。
《それにT−34が13両ですよね?》
「サンダース付属のシャーマンと同等かそれ以上の性能を持ってますね」
《…しかも数は1.5倍か》
それにしても、いかんともしがたい戦力差である。
冷泉殿の指摘の通り、先のサンダース戦では10対5だったのに対して今度は15対6とさらに差が広がった形だ。戦車保有数の差を埋めるのは至難だろう。
《河嶋先輩は絶対勝てなんて言ってたけど、本当に勝てるのかな?》
《大丈夫。どんなに数に差があってもフラッグ車を撃破すれば勝ちなんだから、やり方はきっとあるはず》
武部殿の不安を払拭するように、西住隊長の言葉は力強いものだった。
おそらく彼女の頭の中ではすでに戦略という名の頭脳戦が始まっているのだ。
《さっすがみぽりん、頼りになるね!》
《うん、精一杯の事はするつもり。優花里さん、そろそろ撤収して》
「了解です。では最初にお邪魔した部屋に戻ります」
秋山殿は足早に着替えをした部屋へと向かう。プラウダの隊長のものと思われる私室で再度着替え、例の日記を読んでから帰還する為だ。
「セーフハウスに帰還しま、し…っ!」
するりと最初の部屋に戻った秋山殿は、その光景を目にして横っ飛びに跳躍。
散らかった部屋の隅へ着地すると同時に腰のホルスターから拳銃を抜き放った。
それを向ける先は本来の部屋の主であろう女性である。
そう、すでにこの部屋の主は帰還していたのだ。
最後の最後で警戒を怠った我々のミスであった。
「…なるほど。侵入者がいたのですね」
秋山殿に銃口を向けられた女性は涼しい顔をしていた。
さもありなん。その女性もまた隙の無い動作で秋山殿に拳銃の先を向けていたのだ。
男子にひけをとらない長身に、黒く伸ばした髪と熱を感じさせない瞳が印象的な女性である。
彼女がプラウダ高校の隊長、カチューシャ女史だというのか。なるほど、そう思わせるだけの威圧感がある。
《ど、どどどうしよう! 見つかっちゃったよ!》
《優花里さん、その拳銃は本物ではありませんよね?》
パニックを起こす武部殿と、あくまで冷静に指摘する五十鈴殿は実に対照的である。
(私物の威嚇用モデルガンです。もっとも、予算の都合で中身は銀玉鉄砲並ですけど)
相手に聞こえないように小声で話す秋山殿。つまり彼女の銃は本当に威嚇の用しか成さないというわけだ。対する相手の銃も本物ではないだろうが、秋山殿よりは実用的なものと見ていいだろう。
交戦は高確率で敗北を意味する。しかし、脱出の道はここしか用意していない。これは、進退窮まったか?
《優花里さん。諦めないでまずこの部屋を出る事を考えて。騒ぎになっても変装していればすぐに見つかる事はないと思うから》
(はい!)
否。西住隊長はまだ諦めていない。それは秋山殿も同様だった。
早々に諦観した自分が恥ずかしい限りだ。私も彼女達を模範としなければ。
「…貴女、日記を持っていますね?」
半ば確信に満ちた詰問を対する女性は口にする。
《…まあ、バレない方がおかしいな。どうする?》
《素直に話して。もしかしたら交渉材料になるかも》
冷泉殿と西住隊長の意見はもっともだ。
散らかった部屋はこの女性が何かを探していた証拠であり、状況的に秋山殿がもっとも疑わしい。
今さら隠すメリットが乏しいならば、むしろこれを盾に突破口を見出すのが最善か。
「…ええ、持っています。ですが、なぜ貴女がそれを知っているのですかブリザードのノンナさん」
《ええっ? その人、カチューシャじゃないの?》
なんと。秋山殿が相対しているのはカチューシャ女史ではないらしい。
しかし、それでは何故カチューシャ女史の日記を彼女が所持していたのか。
「余計な詮索は無用です。大声を出して人を呼んでもいいのですよ?」
「くっ… では、何故そうしないのですか?」
「私としてはその日記の存在が明るみに出るのは避けたいのです。事は出来るだけ内密に終わらせたい。というわけで提案なのですが、その日記をこちらに返して貰えれば私は貴女を黙認しましょう」
「…本気、ですか?」
秋山殿が戸惑うのも無理は無い。
侵入者を取り逃がした上、報告もしないというのは部隊への重大な背信行為だ。それほどのリスクを冒してまで存在を隠匿しなければならない物だというのか。
「もちろんです。ただし、偽物を渡したりすれば永久凍土に埋まっていただきます」
秋山殿が小さく身震いする。
実際に相対しているからこそ分かるが、ノンナ女史の言葉は本気の成分しか含んでいない。我々が相手を欺く事を企めば、おそらく彼女の言葉通りの結果になるだろう。
《相手の言う事を聞きましょう。日記を机に置いて、そのままダクトから脱出してください》
(即決ですね)
《もともと気が進まなかったし。…優花里さんに無事に戻ってきて欲しいから》
(そ、そうですか。それなら仕方ありませんね)
顔が赤いですよ、秋山殿。
いやはや、西住隊長も罪な御人である。
「では、日記はここにお返しします。まだ内容は目にしてませんでしたので」
「それは幸運でしたね。読んでいたら、後日良からぬ事故に遭っていたかもしれません」
さらりと恐ろしい事を言う女性である。ブリザードの異名は伊達ではないという事か。
「…きょ」
「きょ?」
「今日はこれくらいで勘弁してやりますからねっ!」
捨て台詞を吐きつつダクトへ飛び込む秋山殿は涙目であった。
彼女の気持ちは良く分かる。ノンナ女史の言葉は徹頭徹尾に本心であっただろうから。
「こちらグデーリアン。ミッション完了、これより帰還します」
こうしてプラウダ高校への潜入作戦は幕を降ろした。成果だけを見れば上々の結果だったと言えるだろう。
《お疲れー! カメラは無事だし戦車の事も分かったし、成功だよねっ!》
《…こっちの偵察もバレたけどな》
《まあまあ。無事で何よりですわ》
《それじゃあ、戦車カフェで乾杯しよう! 優花里さんは現地集合だよ!》
サポートに徹した仲間達の激励を受け、彼女は懐かしい母艦への帰路に着く。
「やれやれ。工作員も楽ではありませんね」
…秋山殿。キメ顔をするのはいいのですが、瞳の端の涙をちゃんと拭ってからしてください。
ノンナ女史の恐ろしさが彼女のトラウマにならないか。それだけが私の懸案事項である。
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副題『ユカリギア・ソリッド』 | ||
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