〔AR〕その11
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 さとりが紅茶を取りに談話室を開いた瞬間、彼女は入り口を塞ぐ石像となった。

 談話室の中は、惨状だった。

「よこせー! よこせー!」

「うにゅー! うにゅー!」

 談話室の中央付近に備えられたテーブルの上で、二人の少女が激しく格闘している。おかげでテーブルに置かれていた花瓶や茶菓子入れの籠が無惨にも地面に転がって、決して安くはないカーペットをぐちゃぐちゃに変質させていた。ちなみに、花瓶も地下では調達することができない上等なものだ。

「lava=ersチョコレートよこせー!」

「うにゅー! これは私が先に見つけたのー! こいし様でもだめー!」

「……」

「た、助けてください、さとり様……」

 人型に変化したお燐が、石化するさとりの足下に這いよった。髪の毛や服が毛羽立っており、おそらくは壇上の二名を止めに入って返り討ちになったことが伺える。

「おくうは毎度毎度食べ過ぎなんだよー! 無駄に背丈とおっぱいばっかでかくなるくせにー!」

「うにゅ! こいし様が小さいだけだよー!」

「なんだとこのー!」

 取っ組み合いをしているうちの一人、こいしは、その一言で著しく激昂した。すると、一際強く、もう一人の当事者である霊烏路空の顔面に両手を叩きつけた。そして、チョコレートで黒ずんだ唇に親指を突き込み、既に咀嚼されどろどろに溶けたチョコレートで満ちる空の口蓋をこじ開けようとした。

「がががが!?」

「ちくしょー! かわいそうにこんなにとろけた私のかわいいチョコレート、せめてもの弔いにおくうのおっぱいと卵でチョコレートケーキを作るんだからー!」

「うにゅがー!?」

「こいし様! いろいろとやめてください!」

 さとりの足にしがみつきながら、お燐はこいしの凶行を制止する声をあげるほかなかった。

 一方のさとりは……。

「……」

「さとり様……もう埒空かないですよ……さとり様?」

 お燐はさとりの無反応さを不自然に思ったが、それを理解するより前に、さとりは、談話室の入り口にセットされていたスリッパを一組取った。その動作は、場の混乱に比べて、実に静かでゆっくりとしたものだった。

 その間に、こいしは空の口に複数の指をつっこんでさらに押し広げていた。空の口からは止めどなく涎とチョコレートがあふれだし、こいしの指と袖口、空の口周りと服を汚していくが、それに誰が構うだろうか。

 いや、構う者はいる。その者は、端から見たら鳥肌が立つようななめらかな手つきで、重なったスリッパを分け、それぞれの手に保持した。

 こいしは、抵抗する空の口の開き具合を両手でロックしていた。続いて、空と同じように口を大きく広げたかと思いきや、小振りな舌を精一杯口蓋の外へと延ばす。

 そのまま、あろうことか、こいしの顔面は、泣きわめく空の顔面に距離を近づけていく。そのままこいしと空の顔面が密着すれば……おおよそ想像したくもないが想像に難くない、見るも浅ましい痴態の光景が上演されることは必定であった。

 その発想に哀れにも思い当たってしまったお燐は、しかして自分の目を覆い隠すより前に、一迅の風の如き何かが視界をかすめたのを感じた。それは、妖獣の動態視力を持ってしても捉えられない速度だった。

 お互いの顔とチョコレートのことしか認識していないこいしと空に、その強襲者を察知できるはずもなく。

 後一歩、数ミリでこいしの舌が空の黒い口の中を侵略せんとしたところで。

 パッシィーーーー……ン。

 この惨状を喜劇に変えるかの如き、あまりにも鮮やかな快音。

 こいしと空はテーブルの上から転げ落ち、したたかにカーペットの床に脳天落下した。

 そしてその二人とテーブルを挟んで、スリッパを二刀に構えているのは、他ならぬさとりだった。

「……二人とも」

「あ、あう……」

「ぐじゅ、ぐじゅ……」

「おくうは口を閉じてさっさとチョコレートを胃に収めなさい。これ以上カーペットを汚すことは許しません」

 遠目からその様子に釘付けになっていたお燐は、さとりの声音に背筋を総毛立たせた。今この場には自分を含めて四名しかいないが、もし他のペット達がいたら、蜘蛛の子散らすが勢いで逃げていったことだろう。

「……まずは談話室を片づけて、その後に服を全部洗濯かごに入れて体を洗ってきなさい。説教はその後です」

「は……」

「はひ……」

(こいし様が有無をいわさず従ってる……これはさとり様久々のご立腹だ……)

 あまりの恐怖に、お燐は下腹部がちぎれるようなしまりを覚えた。もし猫状態であったならば、反射的に失禁していたかもしれない。

 そう。これが、これこそが、古明地さとりのもう一つの恐ろしさであった。

 

 食堂にこいしと空を連れだって、さとりが姿を現したのは、談話室の一件から二時間後のことであった。

 夕食の時間が差し迫っていたので、お燐は気を回して四人分の夕食を用意していた。他のペットの食事は担当のペットがやってくれるので問題はない。

 さて、食堂にやってきたこいしと空は、そろって青い顔でぐったりとしていた。どちらも能天気が服を着ているような性格であるだけに、このグロッキー状態は珍しい。それだけ説教が凄かった証左でもあるので、珍しいと思うよりも先に、お燐の肝はただ冷えるばかりであったが。

 さとりの方も、あまり顔色はよくなかった。頭痛をこらえるように眉根をしかめており、お世辞にも機嫌がよいようには見えない。

「お燐、ありがとうね、夕飯用意してくれて」

「い、いえ……残り物と缶詰をかき集めただけですから……」

「それと、しばらくチョコレートは買い込まなくていいわ。時間があるときにクッキーでも焼きます」

「承知しました……」

 おそらくは、説教の際、チョコレート禁止令でも敷かれたのだろう。お燐としては、こいしと空が喧嘩する原因が減るのと、ブランド品であるlava=ersチョコを買いに苦労をする必要が当分なくなるのは喜ばしいことだった。が、さとりの疲れ顔をみると手放しに喜べるものでもない。

『いただきます』

 四人は席について、食事を始めた。

 ……食べ始めて数分、誰も声を発しようとはしない。普段からおしゃべりであるお燐はおろか、条件反射で生きているようなこいしですらもだ。ちなみに、空は大体口いっぱいに食べ物をつっこむのでしゃべれなくなるが、今日に限っては焼き鳥の缶詰をひとかけらずつ、啄むようにおとなしく食べていた。

「……おくう、守矢神社はどうでした?」

「うにゅ!?」

 口火を切ったのは、普段食卓ではあまり話さないさとりだった。空は羽と髪を総毛立たせて驚く。まだ怯えているようだった。

「……もう怒ってないわよ。あちらはどうでしたか?」

「え、ええと……じょ、じょーおんかくゆーごーのじっけんを手伝ってました。なんか、制御棒を水につっこむと、いつの間にかお湯に変わったりしていました」

「なにそれ。いつもおくうがやってることじゃん」

 さとりが口を開いたことで場の張りつめた空気がゆるんだと見たお燐は、なるべく自然な風に口を挟んだ。それに対して空も、幾分か顔に色を取り戻し、お燐の発言に口をとがらせた。

「ちがうよー。私だったら水なんてすぐ水蒸気にしちゃうもん。でも守矢神社でやったのはね、もっとゆっくりだったよ」

「……常温核融合ね」

 実は、さとりは空が守矢神社でなにをしているかは大まかに把握している。さとりは、守矢神社ともバイオネット経由で連絡を取り合っていたのだ。

 さとりと守矢神社は、数年前から因縁のある仲だ。守矢の二柱は、自らの目的のために地底に干渉し、さとりのペットである空に強大な力を与えて利用しようとした。その際に、地上と地底が共に異変に巻き込まれ、かなり複雑な事態に発展しかけたのであった。

 これに関して、流石にさとりは黙っているわけにもいかず、両者の関係はともすれば剣呑にならざるを得なかったが、気がつけばいくつかの外部勢力が間に挟まることで、自然と妥協案が固まっていった。

 すなわち、さとり側は空にヤタガラスの力を保持させておくことを守矢神社の二柱に認めさせ、それを担保として、空を二柱の事業に協力させることを取り付けたのだ。実際にはさらに細かなやりとりがあったのだが、大筋ではそのような関係が確立した。

 ところで、さとりと守矢神社が直接会合したことは、実はほとんどない。二柱側がさとりとの接触を避けているというのもあるし、さとり自身もおいそれと地上に出て行ける身分ではない。よって、両者のやりとりは、書簡を当事者である空が中継する形をとらざるを得なかった。

 ……実はこれが度々トラブルの種になり、第三者の協力を仰がざるを得ないことが、度々生じたのであった。一時は、仕事量を増やしてしまうのを覚悟の上で、お燐に連絡役を任せることも考えられた。というか、実際そういうこともあった。

 だが、そこで今年の初夏に、バイオネットのサービスがスタートした。これによって、大きな距離を隔てている地霊殿と守矢神社の間でスムーズに連絡が取れるようになり、情報交換に支障がなくなった。書簡のやりとりではどうしても把握しきれない現状も、バイオネットを使えば遙かに素早く知ることができるようになり、おかげでさとりの心労は幾分か減った。

「お姉ちゃん、常温核融合ってなに?」

 こいしも場の雰囲気が読めたのか、ようやく口を開いた。さとりは、少し顔色を持ち直し、こいしに向けて優しく答えた。

「私も詳しくはわからないけど、簡単にいえば、今まで旧地獄の灼熱跡地を使っていた核融合とは違って、ごく普通の環境……たとえば、今私たちが食事をしている食堂や、地上でも使うことができるエネルギーの生み出し方ね。守矢神社が、その技術を確立させれば、おくうは今みたいにいちいち地上に行かなくても済むかもしれないわ」

 空はヤタガラスの降霊によって、核融合を操る力を得た。これは太陽活動の元である超高温高圧の熱核融合を主に司るが、常温核融合は特殊な触媒と電力によって実現される。守矢の二柱は、空が常温核融合を扱えるように実験と訓練を行っているのだ。

 これは、両者に大きな利点がある。守矢神社は地下灼熱跡を利用した核融合炉のコスト高を頭痛の種としており、それに頼らない独立したエネルギー機関の開発に注力している。今現在の計画が軌道に乗れば、わざわざ地下とやりとりをする必要がなくなるというわけである。

「どうしておくうがお役ごめんになるの?」

「守矢神社が使ってる核融合炉は、おくうの力が不可欠だからよ。でも、常温核融合は、その限りではないみたい」

 一方で、さとりとしては、常温核融合の技術が確立することによって、彼女自身がいったとおり、空を地上に送り出す必要がなくなるという点が大きかった。圧倒的な力をもった空から目を離さなくて済むようになれば、さとりの精神の均衡がさらによくなることは間違いなかった。

 また、空が運良く常温核融合の技術をものにできた場合、それを地下世界に持ち込むことも期待できる。それを何かに使うという野望があるわけではないが、カードはあるに越したことはなかった。

 とまぁ、そのような思惑を内心に秘めながら、さとりはやんわりとした言葉を出した。この場にいる全員が、複雑な事情をすんなり理解できるタイプではないからだ。故に説明は簡素で、幾分か正確さは欠けていた。

「もしその時がきたら、お風呂を改築しましょうか。空が常温核融合で、うまく温度調節できるようになれば、お風呂も便利になるでしょう」

「それは楽しみねー。おくう、早く常温核融合できるようになってよ」

「うにゅ。がんばります!」

「頭で覚える必要がなければいいんだけどねぇ」

「はいはい、それじゃ、お燐の用意したご飯をちゃんと食べましょうか」

「……あれ、これ、タルボサウルスの大和煮じゃない!」

 こいしが食卓で手に取った缶詰には、力強い書体で「おいしい地底恐竜・太琉墓裟羽流巣の大和煮」と書かれていた。

「ああ、それ、この前勇儀姐さんにもらったんですよ。最近シめたばかりだって」

「その恐竜も災難なものね、おおかた地底湖で酒盛りしてた勇儀に喧嘩売っちゃったんでしょう」

 幻想郷とその周辺には、かつてこの地球上に存在したが絶滅した動植物がいるのだが、地底には伝説上の龍とは別の系統樹に属する龍族……恐竜が息づいているエリアがある。

「うにゅー、恐竜さんだったら、私が丸焼きにしたのに」

「たぶん、スペアリブのあたりはその場で追加のつまみになったろーね」

「違いないわね……こいし、それ、スプーン一杯分をご飯の上にちょうだい。勇儀の作る保存食は癖になる味なのよね」

「はーい」

 さとりが茶碗をこいしに向けて差し出すと、こいしは手際よく缶詰から甘辛いねっとりとした肉をすくい上げて、さとりの茶碗によそった。

「ところでさとり様ー」

「何?」

 受け取った大和煮を箸で崩すさとりに、空が声をかけた。

「地霊殿にもばいおねっとって機械があるんですよね」

「端末なら、私の書斎に置いてあるけどそれがどうかしたの?」

「私もあれ、使ってみたいです」

「そりゃまた、どういう風の吹き回しだい?」

「守矢神社にいるときにねー、早苗が楽しそうに使ってたの」

 空が守矢神社に出張している際、空を直接世話をしているのは、守矢神社の風祝、東風谷早苗である。何度か会ったことがあるが、博麗の巫女とはまた別系統のあけすけさ加減であり、扱いやすさと面倒臭さが同居しているようなタイプだった。心を読むさとり相手に物怖じしない貴重な人間でもある。

 ……ここ最近さとりが直接会った人間の多くは、さとりに心を読まれてもさして動揺していない者ばかりであるが。

「あ、私も使ってみたい。命蓮寺ではマミゾウさんが操作を一手に引き受けてたから、私も使えるようになったら便利だと思うの」

「……それは初耳ね。マミゾウって、確か噂に聞く二つ岩大明神じゃない。ずいぶんな古株なのに端末を使う担当なのね」

「外の世界の機械に似てるから、取っつきやすいって言ってたよ。早苗も元々は外の世界から来たそうだから、よく使っているんじゃないかな」

 さとりの認識として、バイオネット端末の操作は、今の幻想郷や地底の文化水準としてはかなり複雑な部類に入っている。地霊殿で端末を使っているのはさとりだけだが、実際に操作に馴染むのはそれなりの苦労を要した。

「お姉ちゃん、命蓮寺や守矢神社と連絡するのに使ってるでしょ? 使い方教えてよ。それに、お姉ちゃんの部屋にずっと置きっ放しで、お姉ちゃんだけが使っているのはずるいよー」

 瞬間、さとりの頬が僅かに震えたが、この場に居る者達はその意味には気付かない。

「そ、そうね……」

「さとり様、よければあたいにも教えてくださいよ。最近地上に遊びに行くと、よくバイオネットの話を聞くんですよねー」

「じゃあ、ご飯食べ終わったら、みんなでさとり様のお部屋に行けばいいんじゃないかな」

「いいねそれ!」

「う、うん……ちょっといま部屋散らかっているから、ご飯が終わったら先に片付けておくわね……その間、貴方達で食器とか片付けておくように」

『はーい!』

 さとりは、大和煮のたれが良く染みこんだ白米を口にしたが、味がよく分からない。彼女の思考は、これからどのように自分の秘密を守るかという対策にリソースを費やしていた。

 白米を噛み締めながら、さとりはしみじみ思う。地霊殿の主である限り、自分の心労の種の総量が減ることはないのだと。

説明
twitterにて週間連載していた東方二次創作小説です。

前>その10(http://www.tinami.com/view/526400)
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