〔AR〕その12
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「お邪魔しますよ」

 阿求の部屋に通された客人は、珍しい人物だった。

「あら、豊聡耳さんではないですか。こんにちは」

 稗田家は自らの蔵書を解放しているため、それを見るために様々な人妖が顔を見せるが、この仙人、豊聡耳神子が普通に訪ねてきたのは、初めてのことだった。

 普通でない訪ね方があったのかというと、それは昨シーズンの冬に行われた三者会談であるのだが。

「ずいぶん秋めいてきましたが、まだ日が射している間は暑くてかないませんね」

「確かに。私は気候の安定した仙界に住んでいるから、下界の残暑は堪えるわ」

 そうこぼす神子だが、表情は実に涼しく、その玉の肌には汗の一つも伺えない。仙人と人間の代謝は違うようだった。

「それで、本日はどのようなご用件で? もう一度幻想郷縁起を改めますか?」

「いえ、そちらはもう、以前布都が借りてきたものを読んで頭の中に入っています。特に問題もありませんでしたからね。今日は、君に見解をうかがいたい案件があってね」

「はい、なんでしょうか?」

 まだ内容はわからないが、かの偉人に意見を求められるというのは、阿求にとって不可思議さと愉快さが入り交じった感情を抱かせる。

「稗田阿求、君は最近、神霊とも幽霊ともつかない、不可解なものを目撃することはない?」

「? それは、いったいどういうものでしょうか?」

「そうか、私の言葉に心当たりがあるようなものは見ていないようね」

 阿求の返答は実に率直で簡潔だったが、それに対して神子は、いくつもの情報が得られたかのように一人で頷いた。今この一つの問いかけで、神子は阿求に記憶を想起させるようにしむけ、それを自らの鋭い「耳」でもって聞き取ったのだ。

「それならばそれでよろしい。少なくとも、人里で暮らしていて、そのような話は人々の口に上っていないということだね」

「はぁ……」

 この一対一での「話の早すぎる」受け答えは、慣れないと全く会話のペースをつかめないで、あわてふためくだけになってしまう。阿求も、あまり慣れているとはいいがたい。

「あの……その不可解なものというのは、果たしてなんなのですか?」

「不可解なもの、としかいいようがないね。最近、下界を散策しているとき、何故か度々それを知覚するのよ。妖怪でもない、精霊でもない、妖精でもない、神霊でもなければ、幽霊でもない。なにせ、存在を知覚しても、姿があるわけでもないし、匂いや音もない。さらには触りようもないので、結局よくわからないのよ……あ、決して私の気のせいで片づけることはなきよう」

 阿求はびくりと肩を震わせる。さりげなく思考を読まれると驚かざるを得なかった。

「さて問題だ。果たしてそのようなものに何か心当たりはあるだろうか?」

「ううん……さっぱりわからないです……わからないですが」

 本当に阿求には全くもってよくわからない話だった。ただ、こう思う。

「それはまるで、妖怪が妖怪として定義づけられる前の、曖昧模糊な状態そのままであるように思えます」

「……なるほど、面白い捉え方です。その見方によるならば、私が感知した何かは、妖怪の原材料とでもいえるものでしょうか」

 神子の発言はややもすればセンセーショナルだ。

「原材料って……それではまるで、妖怪を作ることができると言っているようなものではありませんか」

 阿求の発言も少々飛躍にすぎている。だが、逆転の発想として、神子相手に冗長な繋ぎは必要ない。

「卵と鶏の議論だけど、人間が妖怪を作ってきたのは、事実の一側面にすぎないとはいえ、歴然たる真実。無論、自らの驚異になりうるものを進んで作るわけがなく、結果的にそうなったケースが大抵でしょう。普通は、妖怪は集団の中で自然に生まれるもの……」

「豊聡耳さんは、誰かがそれを使って妖怪を生みださんとしているとでも?」

「ほう、すぐにそこまで思い至るのは見事。『君達』がもう二百年早く生まれていれば、私の運命は変わっていたかもしれません」

「さて。貴方がこの場に仙人として現れることはなかったかもしれませんよ?」

 こちらの背景を根源まで見通す、そのいたずらな視線に呆れ、阿求は皮肉を返した。

「まぁいいでしょう。君が述べた考えは、一つの可能性の行き着く先です。もう少しまとめると、私の懸念は……なにが起こるかわからないということ」

「どういうことです?」

「君が提示した懸念は確かに大いなる驚異をもたらすことだろう。だが、誰かが何かを起こす、そのアウトラインがわかっていれば、そのどこかに対処すれば済む話。可能なことをやればよいのです。本当に困るのは、何かが起ころうとしているときに、何が起こるかわからない状態なのです。それでは、手の出しようもない」

 上に立つものとして、広い視野で見たときの見解だろう。阿求も元を正せば、政治の近くで仕事をしていたようなものであり、その考えはなんとなく理解できる。

 実際、神子が述べていることは、ただの杞憂で片づけるには少々捨ておけない気がしてきた。阿求は、流石に真顔になり、茶化すことなく頷いた。

「しかし、貴方の懸念はわかりますが、実際現状何もわからない状態では何をしようもありませんね。だからこそ懸念されるのでしょうが……そもそも、何故、私にこんな話を?」

「君は評判の知識人だからね。まず君に話を聞くのが効率的だと思ったまで。この後、君以外にも何人か声をかけてみるつもりよ。ただ、君に最初に声をかけたのは正解だった。得られた知見は予想以上に有意義だったよ」

「お褒めに与ったと解釈させていただきます」

 ひとまず、自分の言葉が相手の利になったようなので、その点は阿求は素直に喜んだ。

「そうですね……お返事の確約はできませんが、私の方から紫様に今の話を伝えてみたほうがよさそうですね」

 自分一人の認識では手に余ると考えた阿求は、ごく自然に、この手の面倒事にはこれ以上ないくらいの適任者を選出した。

 それに、神子がやや目の色を変えて食いつく。

「紫……八雲紫のことですね? ふむ、彼女の見解も是非とも聞いてみたい。というより、まず私は彼女と直接会合する義務がある。それは、彼女の方にもね」

「あれ、紫様、未だに貴方にコンタクトとってないのですか? てっきり既にナシがつけられてるかと思ってましたよ」

「はい。向こうが避けているのかどうかはしりませんが、幻想郷の実質的な施政者ともいうべき彼女に会わないという選択はありません」

「幻想郷の施政者になるつもりはないと、以前おっしゃいませんでした?」

「その考えは変えていませんよ。ただ、それとは別に、彼女が何者なのかは知っていて損はないでしょう」

「うーん、その考えを否定はしませんが、あの方は言っちゃなんですけど面倒くさいお方ですから、直接あったら後悔するかもしれませんよ?」

 酷い言いぐさだが、すでに千年三百年近く付き合いのある相手だけに、阿求の紫に対する認識は他のものより一歩踏み込んでいる。踏み込んだ分だけ酷い言いぐさになるともいえるのだが。

「まぁ、わかりました。近日中に紫様には文を出しておきます。ただ、怠けているようで忙しい方ですから、返信速度は期待しないでくださいね」

「助かります……ところで、君はどのように彼女と連絡を……何? バイオネット?」

 阿求は口で説明しようか迷ったが、神子がバイオネットと口走ったことで、情報が伝搬していることがわかったので、あえて黙ることにした。

「……なるほど、ちまたで人気を博しているバイオネットとは、そういう使い方ができるものでしたか」

「以前はこちらからコンタクトをとるのも大変でしたが、今は一応、紫様は専用の連絡先を作ってくれたので、手紙を出すだけならば簡単です。あ、一応、私専用の連絡先ということになってますので、他言は無用でお願いします。手紙も私の方から送りますので」

 そのように補足を行った阿求だが、それに対して神子は、何故かわずかに眉根を寄せた。

「わかりました。そこは任せ……」

 返答しようとして、神子は口を噤んだ。そして一拍の後、続ける。

「いや、後日君に改めて私が書いた手紙を渡すので、それを送っていただきたい。少し考えを整理したいのでね」

「はい。それでも大丈夫です」

「それともう一つ。いっそのこと、その手紙を送るときは私も同席させてほしい。バイオネットの使い方を覚えたいのでね」

「かまいませんよ。こちらはいつでも大丈夫ですので、ご都合がよい日に来てください」

「ええ。手紙ができたらまた訪ねることにするわ。さて、それでは今日のところはこのあたりで」

「お帰りで? もう少しゆっくりされていてもかまいませんのに」

「先ほども言ったように、君以外の知識人にも話を聞いておきたいのでね。日が落ちる前にもう何人か当たっておこうと思う」

 社交辞令とはいえ、そういうことであれば引き留める意味はない。立ち上がる神子を見送るべく、阿求も席を立った。

「それにしてもバイオネットか……まるで、私以外の人間も私に近い能力を手に入れたかのようだ」

「あら、ご自分の優位性が損なわれたとでもお考えで?」

 縁側に歩み出す寸前につぶやかれた神子の言葉に、阿求は少し意地悪そうに訊ねた。 

「そうは思いません、今のところは。……ただこれが、機械を介する手間がどんどん簡易なものとなれば、話は違ってくるでしょう」

「どうでしょうね。仮にそうだったとしても、貴方は最初からそういった能力をお持ちならば、他の人よりもスタート地点は先に進んでいるわけです。その有利な分で、他とは違う使い方や立ち回りもできるのではないでしょうか」

 阿求の言葉は、神子に対するおべっかというわけではない。思いつきも含まれてはいるが、クレバーに神子の能力とバイオネットの機能の噛み合わせを考えた発言だった。

 その阿求の発言を聞いて、神子は目を丸くして、珍しく感嘆のため息を漏らした。

「ほう……素晴らしい着眼点だ。流行をうまく取り入れて柔軟に成長する姿勢は、まさに学ぶべきものね」

「恐れ入りますが、当然のことです。私達は、稗田は常に好奇心を歓迎していますから」

 阿求のその言葉に、神子はさらに感心したらしく、何度も頷いてみせた。だが、それと同時に、何故か阿求の紅顔を丹念に見渡した。

 数秒、そんな仕草をした後、突如神子は表情を引き締めつつ、阿求に流し目を送る。

「やはり君は、私が施政者の時代に生まれるべきだったね。そうすれば、君は実に楽しく、そして大いに歴史に名を残せたろう」

「……どういうことです? 貴方の生きた時代は、仏教伝来による蘇我と物部の争乱、そして蘇我氏の大王暗殺など、失礼を承知で言わせていただければ、決してよい時代とはいいがたいものだと思うのですが」

 それを言い出したら、朝廷の近くで心中安穏に暮らせた時代など、平安時代の真っ盛りぐらいではないか、と思いつつ、阿求は否定的に言った。

 その一方で、日本という国の成立の始まりが、リアルタイムで見れたかもしれないという、歴史家の性を自覚せずにはいられなかった。

 だが、神子は自信たっぷりな風に、鼻で笑う。

「そんなもの、私の側室にでもなっていれば、問題はありません。私の宮殿とその住人は、ほぼ治外法権でしたしね」

 ……今、この自称聖人はなんと言ったか。

「君のような聡明で記憶力に優れたものが王族に入りこめば、この国の歴史はもっと早く成長させられたのではないかと、私は今の一瞬でシミュレートしてしまったものよ。国家の成立の段階で、女性の地位を向上させるための施策も敷きやすくなったことでしょう。そう考えると、実に面白いイフが見えてこない?」

「……歴史を記す者は、イフを思い描いても言葉にはしませんよ」

「これは手厳しい。いやあ残念だ」

 本当に残念そうに笑う神子に対して、阿求は目の前で盛大なため息をつきたい衝動を強くこらえた。

「ああ、そうそう。帰る前に一つ提案なのだけれど」

「なんです?」

「君の寿命は長くはないと聞いた。そこで、もし家系のために子供が必要であるならば」

 いきなり何を言うのか、と不審さを感じた阿求に、無造作に顔を近づけた神子は、こう言い放った。

「喜んで私の子種を提供するよ」

「帰ってください!!」

 その叫びよりも先に、阿求の小さな手のひらが、神子の横っ面に紅葉を染めあげた。

説明
twitterにて週間連載していた東方二次創作小説です。

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東方Project 東方 小説 稗田阿求 豊聡耳神子 

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