何て事は無い |
僕は、衛星画像が好きだ。
宇宙にある人口衛星を使って、世界中の写真を上から映しているのだ。
ぐるぐる、ぐるぐると。
衛星画像を知っていますか?
ご存知の無い方は、一度パソコンを使って探してみるといい。
最近は、色んなサービスがあるからね。
簡単な操作で、世界中を上空から映した画像が見れるようになっているはずだ。
どれも、僕のような一般人が簡単に操作出来るくらい手軽なモノだと思う。
今の技術は、本当に凄い。
小さな都市の、本当に細部まで、とても精密にディスプレイに映してくれる。
沢山並ぶ民家の屋根。
マウスで動かせば、大きくなったり小さくなったり。
スクロールだけで、地球上の何処だって上から見渡せる。
まるで、自宅に居ながら世界中を旅行をしているような気分だ。
コーヒーを片手に、遠くの都市から、まるで行った事も無ような遠い国。
果ては、北極や南極、僕にとっての地球の裏側まで毎日のように見る。
エベレストに、ナイル川。自由の女神像に、日本は国立競技場。
ナスカの地上絵まで、拡大すればきちんと形が分かる。
意外と砂漠って、多いんだな。
僕が使っている衛星画像サービスは、ずっと縮小していくとついには地球の形になるようにモデリングされている。
3Dの球体に、平面の写真を貼り付けているだけなんだけどね。
でも、それは“地球”そのもの。
背景は宇宙をイメージするデザインで、本当に僕が“地球”を見ているんだって事が実感させられるんだ。
これも中々、面白い。
なるほど、確かに海ばかりで地球は青いんだ。
何処かの誰かが言っていた台詞だけれど、まさか、自分がこの目で見て、実感出来る時代が来るなんて。
こうやってディスプレイに収まると、地球はいとも小さな星。
それでもこの星の全ての地。実際に踏みしめるとなると、きっと僕が一生を掛けても無理だと思う。
つまり、僕が今見ているこの都市も、あの国も。僕が実際歩んで、訪れる事は無いのだろう。
そんな、本当は想像も出来ないくらい大きなモノ。
小さな、それでも本当はとてつも無く大きな世界。
神様のように見ている。
そう、まるで神様のように。
僕は、ただの人間なのに、マウスを操作する右腕一本で、こうやって何処へだって飛んでいける。監視出来る。
監視……といっても、これは今より少し昔。過去のワンシーンだ。
三年から、四年前に撮影されたものらしい。
まあ、そんな事はどうでもいい。とにかく、僕はそんな時間がとても好きなのだ。
―――ある時、僕は気が付いた。
それは辺鄙なジャングルの奥地を、また上空より見渡していた時だった。
未開の地。樹海のずっと奥深く、それを見つけた。
「ひと?」
誰も居なくていい筈の、地図を見たって正確な名前が無いようなこの星の果てに。そいつは居た。
こんな僻地に人間が一人立てば、なるほどこうもよく目立つ。
人里離れた木の海が、いくらか空いて地面が見える場所。そこに、ポツンと立っている。
いや、ただ何もせずに佇んでいる訳では無い。
上を向いている。
そいつは、じっと上空を眺めていた。
三、四年前、衛星が映した偶然の瞬間。その時、こいつは上空を眺めていたのだ。
“広く美しい青空を眺めれば、自分の悩みなんてとてもちっぽけなモノに感ずる”
いつか、そんな話を雑誌の紙面で見た。
当日、売れっ子だったアイドルの言葉だっただろうか。こいつも、そんな口なのだろう。
しかし、何故こんな所に居るのだろうか。
こんな場所に旅行者が、どうやって来れる?
休憩出来る場所も、第一空港だってこの場所には無い。
どう見たって何百キロと離れているはずだ。荷物のような物も、一切無い。
こいつの周りなんて何処を見回しても木、木、木。
富士の樹海なんかが良く「自殺の名所」として謳われるけれど、それは“一度迷うと、出てくる事が難しい”からであろう。
この場所は、ソレよりも遥かに広い“樹海”に見える。
しかもこいつの格好が、いたって普通の都会人なのだ。
どう見たって、未開の地でひっそりと暮らす少数民族には見えない。
それだってこんな場所に、人間が住める訳が無いのだが……。
とにかく、どう見てもこいつは僕と近い国の人間。いや、断言出来る。「日本人」だ。
ワイシャツに、ジーパンで。そこらへんの、何の変哲も無い若者といった風貌なのである。
ただ、手ぶらで、空をじっと。そいつは、ずっと見ている。
こいつは一体誰で、どうやってここに?飛行機でも落ちて、一人遭難した?まさか。
あまりに不可思議な光景。居るはずが無い、おかしな存在。衛星が映した不思議な人間を、僕はじっと眺めていた。
“あまりにポンチな光景”そんなモノをずっと見続けていたら、その内、僕はそんな細かな事は気にならなくなってきた。
ただ、純粋に疑問に思うようになったのだ。
「こいつ、そんなに空が好きなのかな」
こんな遠くまではるばる、大空を眺めにきたのか。
何が楽しいのか、よく分からない。僕には、そんな趣味は無い。
どんなに大きな世界に思いを馳せたって、そう簡単に気が晴れるものか。悩みが解決するものか。
あのアイドルにしろ、こいつにしろ。
“自分が、ちっぽけに見える”だなんて、そんなナイーブな感性は理解出来ない。
何故なら僕は、こうやって上から下を見下ろすほうが好きだから。
こうやって、僕は上からこいつを眺めて。
こいつは、空を眺めて。僕はじっと、こいつを眺めて……。
―――たった今気付いた。
何故、そんな事が分かるのかと問われると答えるのは非常に難しい。
でも、何となく分かるんだ。
こいつは空を見ていない。
その先にある、もっと小さなモノ。もちろん宇宙じゃない。
ずっとずっと先にある、小さな何かを見ている。こいつは、空を見ていたんじゃない。
僕は、そのままパソコンをシャットダウンしていた。
もしかしたら、小さな悲鳴くらいは上げたかもしれないね。
何て、不気味な事だ。あいつが見ていたのは……。
いや、もう考えるのをよそう。
(今日はたまたま、運が悪かった)
そう思えばいい。さっきは運悪く、あんなやつを見つけてしまった。
人のいる筈の無い、あんな辺鄙で寂しい地を眺めていたのが悪いんだ。
小さな、それでも本当はとてつも無く大きな世界。
ぐるぐる、ぐるぐると衛星が廻って。ゆっくり、ゆっくりとこの星を映している。
そこに、たまたまこいつが映った。
それを、僕が見つけてしまった。
明日からは、また、もっと楽しい場所に視点を置いていけばいいじゃないか。
運が悪かったのだ。
あんな所まで、マウスを動かさなければいいだけの話。
そうすれば、もうあいつは居ない。
あんな奴の為に、僕の大切な“地球観察”を阻まれてたまるか。
衛星写真を見ている間は、僕は神様なのだ。
飲み残してすっかりと冷めたコーヒーを捨てた。新しくドリップされた煎れ立てを、カップに注ぐ。
パソコンの電源を入れ、いつもの衛星画像ソフト。何事も無かったかのように、僕は起用にマウスを動かす。
「そうだ、たまには隣の国にでもお邪魔しようか」
韓国は首都、ソウルに向けて地球を回す。今は、“神”になったこの僕が。
しかし、どうしてだろう。
ジーパンに、ワイシャツで上を見上げるあいつ。
空より、宇宙より、もっと先の何かをじっと見つめるあいつ。
なんで、ここにもいるんだよ。
都市の真中で、今度は人に囲まれているという点は違えども。こいつは、地球の果てに居たあいつと同じ野郎だ。
さっきは木、今は人の波に飲まれたって、あいつの異質さは尚も際立つ。
間違いなく、同じあいつだ。
行き交う人々、それぞれの目的地に向かうのだろう。
でもあいつは上を。ずっと、ずっと、上を。
僕は、思わずさっきの樹海に視点を移動させた。
本当だったら、人間なんて居なる筈の無いあの場所。
あいつは居なかった。誰も、いなかった。
「何なんだ、これは」
フランスは、凱旋門の上に。砂漠にも居た。
インドなんかにも、居たな。
とにかく、そいつは何処へでもいた。僕が見る先、その世界に。
どこへでも居た。
驚いて、また元の居た場所に戻れば、あいつは消える。そして、新しい場所を見ればあいつは必ず居た。
一瞬を捉えた筈の写真の中で、あいつは高速で動き回れる。
そして、変わらず見ているのだ。
“空より、宇宙より、もっと先にあるモノ”を。
だいたい、今までこんな奴なんて見かけた事がなかったのに。
今では、どこを見ても、どんな場所に飛んだって、こいつが見ている。
“空より、宇宙より、もっと先にあるモノ”を。
この画像は、一枚の世界画像は、何年も前の同じ時を捉えたモノじゃなかったのか。
どうしてさっきまでここに居たあいつが、今は居ない?
よくよく見れば、こいつは笑っている。
こんな小さな画像でも分かる。口元がいやらしく曲がっているから。
笑いながら、見ているんだ。
僕の事を。
(こいつの居ない場所……)
そうだ世界は、地球は、今は僕の手の中にあるんじゃなかったのか?
衛星写真を眺める時。その時は、僕が神様なんだよ。
こんなやつなんて、関係無い。神である僕には、関係無いんだ。
「そうだ、たまには自分の家を見てみたい」
目一杯に強がった挙句、涙目のままふと思いついた。僕の家は、土地が安く、運良く一戸建てに恵まれたベットシティーにある。
マウスをスクロールさせて、日本、僕の住む街、近くのコンビニ。徐々に近付いていった。
青い屋根に、隣の家の大きな車。
間違い、今僕が居る場所。僕の家だ。
そして、見つけた。
玄関から、向かいの家に続く短い通り。
いつも、僕がタバコを買いに行く自販機のすぐそこ。僕の家の、すぐそこ。
そこに、あいつをみつけた。
相変わらず、凄く愉快そうに笑っていた。
僕は、パソコンのコンセントを抜いた。
今度は間違い無い、大きな悲鳴を上げたと思う。
悟ってしまったから。
あいつは、僕を監視している。
僕の居る所に飛んできて、ディスプレイの中から、僕をじいっと見ているんだ。
にやにやと、とても嬉しそうに笑いながら僕に目を合わせる。
何処へだって、来る。
もう、寝てしまおう。
今日は、本当にひどい目にあった。冗談じゃない。
これは絵に書いたような怪奇現象?いや、そういうものなのかどうかさえ疑問な出来事である。
あいつが誰なのか、生身の人間なのか、怪物なのかも分からない。だいたい、何が目的なのか。
……もしかしたら、僕は気が狂っていて、それで見た悪い幻覚だったのではないか?
いやいや、勘弁してほしい。それに、それで済んだ方がまだ納得がいく。
見た目は、本当に普通の人間なのだ。
無論、普通の人間がやるような事じゃないんだけれど。
“ディスプレイの中の写真を動き回って、こちらをじっと見る”なんてね。
理解出来ない事が沢山だったけれど、眠りに着けば嫌でも朝が来る。
辛い事、苦しい事、悩みがある時だって僕はそれを知っている。
空を見る必要も無い、衛星写真だってもう見る必要は無いんだ。
明日から、また仕事だ。もう、見なければいいのだろう。もう、こんな事は忘れてしまえばいい。
そうすればあいつを僕が見る事も、僕があいつを見る事も、もう無くなるからね。
「さあ、おやすみなさい」
当然といえば当然だが、その日の夢は随分酷いものであった。
あいつの顔が、視界一面に広がって。見渡す限り、あいつの顔がずっと広がって。大きくなったり、小さくなったり。
最後には沢山に増えて、笑うんだ。
「ケタケタケタ」
そう、一声に笑い声を上げる。見ないでくれ。
もう、見ないでくれ。
「僕を見ないでくれ……」
―――寝覚めの悪い朝。
パソコンのコンセントは、抜かれて淋しそうに転がったまま。
とにかく、顔でも洗って気持ちを切り替えよう。
今日から、新しい趣味だって探さなくてはならないからね。
本当は、“昨日の出来事”を思い出すだけで取り留めの無い吐き気と頭痛が襲ってくる。
それでも顔を洗うために、僕は洗面所へと向う。冷水で顔面を一喝して、鏡を見た。
鏡に写るのは、見慣れた自分の顔。水ポタポタと滴って、そして気付いた。
鏡に映っている“僕”は、あいつだった。
よくよく考えれば、あいつは僕と同じ姿をしていた。あいつは、僕だった。
いくら、仮想の地球を操ったって僕のいる場所は本物の地球。
広い地球には、僕が居たって何ら不思議では無い。
僕は、神様なんかじゃなかったんだ。だったら、何て事は無い。
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