〔AR〕その19
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「どう、おいしい?」

(((おいしいー!)))

 地霊殿の中庭で、さとりはペットの猫達に餌をやっていた。

 この中庭は、妖怪化していないペットの餌やり場であり、休憩所の役割を果たしていた。万一、ペット同士が諍いを起こした時は、種類だけでなく、妖怪化しているかそうでないかで、即座に生死が決まってしまうからだ。よって地霊殿の中では、ある程度ペットのタイプによって住みわけがされている。

 地霊殿が途方もない規模のペット屋敷であるというのは、地底では有名な話であり、実際に主人のさとりも、ペット全体を把握しておらず、知能のある妖怪化したペットに管理を分散させている。

 よって、こうして今のように、さとり自身から餌やりなどの世話を受けるのは、地霊殿のペット達にとってはラッキーデイなのである。色とりどりの毛並みの猫達は、一様に満足そうに餌を味わっていた。

 その様子を眺めながら、さとりはここ数日のことを回想した。

 いや、何かあっただろうかと努めて回想しなければ、思い当たらないくらい、ここ数日は平穏で何もなかった。

 こいしが『Surplus R』の秘密に肉薄した件は、あれ以来何も起こらなかった。というより、その次の日から、こいしはまた命蓮寺に合宿に行ってしまったため、以来顔さえ会わせていない。

 こいしと同じように、空は、時折火力調整のために旧灼熱地獄で仕事をする以外は、もっぱら守矢神社の方へ赴いて実験に精を出していた。お燐が一番そばにいる時間が長いが、それでも彼女は買い出しや死体集めに奔走しているため、ずっと地霊殿にいるわけではない。

 その結果、さとりは一人の時間が増え、かつ、まともに言葉を交わす相手に乏しくなっていた。お燐や空のように、ある程度の知能を持ったペットは他にもいるが、やはりこいし、お燐、空ほどべったりとはいかない。

 回想しているうちに、餌の皿はほぼ空になっていた。頃合いと見たさとりは、猫達をよけながら皿を取り上げる。猫達は、餌をもっととねだったり、スキンシップを計りたいがためにめいめいすり寄ってくるが、さとりは謝りながらもそれらをはねのけた。

「ごめんね、やることがあるから」

 皿を抱えて、さとりは中庭を後にした。途中、屋内に入る手前で、さとりは扉のそばに備え付けられている刷毛で体中についた毛を払う。ただでさえペットが多いので焼け石に水なところはあるが、まめにこのように服を整えておかないと、あっと言う間に毛玉になってしまう。

 食堂の台所で皿を片づけ、紅茶で一息入れた後、さとりは自室に戻って残っていた仕事をすぐに終わらせた。中庭での餌やりは、実は昼食後の休憩のようなものだった。時刻はまだ昼下がりであり、夕食まで大分時間がある。完全な自由時間だった。

 となると、やることはほとんど決まっている。さとりは、注意を払いながらも、自室ドアの正面に置いてあるバイオネット端末を動かした。古明地さとり側のアカウントには、特に新着メッセージはない。

 では『Surplus R』側はどうか。確認してみると、いつも通り『Initial A』からの手紙が来ていた。思わず、さとりの頬がほころぶ。最近のさとりは、その名前を見るだけでうきうきとした気分になれた。早速、紙に転写する。

 カタカタと音を立てる端末。次々に紙に手紙の内容が転写されていく様子を眺めていくうちに、さとりは、普段とは違うことに気づいた。

「これは……」

 転写された紙は二枚。一枚目はいつも通りであったが、二枚目は、普段の文字の手紙ではない。紙一面に広がるモノクロの犬と少女のイラストだった。そして、イラストに大々的に踊っている文字が、さとりの目に飛び込んでくる。

 

>アリス・マーガトロイドの人形劇 in オータムフェスティバル

>会場:人間の里、竹の広場 開演:神無月の某日、○の刻、×の刻の二回講演

>演目:『頼れるアルフレッド』 原作:Surplus R

 

「わぁ……!」

 さとりは、普段であれば絶対に誰にも見せない、しかしある意味で外見相応ですらある、無垢な感嘆を花開かせた。

 これは間違いなく、先日の『Initial A』とのやりとりにあった、人形劇の宣伝チラシだ。

「なんて綺麗なイラスト、素敵なデザイン……」

 見るほどにため息が出る。写実画を基礎としつつ、鉛筆かなにかで濃淡を付けることで、ファンシーさと暖かみを兼ね備えている。描かれたラブラドールレトリーバーは、まるで写真に納められた本物のアルフレッドそのものにさえ思えるほどだ。

 浮き足だって、さとりは自室に戻ると共に手紙を読む。

(前略)

>先日許諾を頂いたRさんの小説の人形劇化ですが、なんとか秋祭りでの講演に間に合うとのことです。僭越ながら、私も拙い筆を執って、宣伝広告などを作らせていただきました。今回のお手紙に添付いたしましたので、よろしければごらんになってください。

 さとりは、再度広告チラシを見る。ページの右下のはしに、控えめなフォントで、『広告制作:Initial A』と印字されていた。

「すごいわ。Aさんって、こんなに絵を描くのがお上手なのね」

 見れば見るほど、その巧みなタッチにさとりは心奪われた。さとりには芸術鑑賞の趣味はないので、あまり絵のことには詳しくはないが、それでも『Initial A』が非凡な腕前であることは疑いようがない。

 さとりは、まるで自分の小説に挿し絵を描いてもらったかのような気分になった。勿論、直接的に小説にあわせたのではなく、あくまでも人形劇宣伝の為のイメージイラストであるわけだが、自分に連なるものがこのように形となるというのは、何か言葉にできない高揚がある。

(前略)

>人形師のアリスさんも気炎を上げた意気込みで取り組まれているので、当日がとても楽しみです。

>もしよろしければ、Rさんも是非人里のお祭りに遊びに来て、そして人形劇を見てほしいなと思っています。

「……行きたいなぁ」

 とても自然に、それこそ無意識のうちに、さとりは呟いた。

 それが非常に難しいことは、勿論承知している。隣接した旧都にさえ滅多に出歩かないさとりが、地上にまで足を延ばし、あまつさえ多くの人が集まるであろう人里のお祭りに赴くというのは、大きなリスクを伴うものだ。

 そう、普段の落ち着いたさとりであれば、そう考え直して終わるところだった。

 しかし今のさとりは、得も言われぬ多幸感のあまり、外見そのままの無邪気な子供に立ち返っていた。

 さとりは想像する。大勢の人々が祭りの熱気に浮かれてはしゃぐ中、広場の中心で演じられる、犬と少女のお話。周り巡る人形の数々が、言葉という糸で物語というタペストリーを紡いでいく……。

「……はっ」

 そんな美しく幸せな夢見心地に、さとりは少しの間まどろんでしまった。本当に居眠りしていたように、崩れた肩を持ち直す。

 だが、その夢想は、一片も崩れはしない。

「……できるかしら」

 この数百年、考えもしなかったことだ。人を襲うのではなく、人と楽しむために、自ら出向くなど。

 まずさとりは自分の知名度を考える。地上で恐れられていたのは、随分と昔のことだ。今でも同族が活動しているかどうかも、実はさとりにはわからない。

 以前お燐やこいしに、稗田阿求という人間の話を聞いた。その人間は、妖怪の話を集め、人間にその危険度を知らせるため本にまとめているのだという。

 稗田阿求に、地底の住人について聞かれたお燐やこいしが、特にさとりのことをどう話せばいいか訊ねられた時、さとりは、適当に怖がられるようにしてかまわない、とあまり真剣に答えなかった。地底にこもっているさとりにとっては、どうせ地上での知名度など大して重要ではなかったからだ。

 あれから幾分か時間が経ち、自分はどう知られているのか。さとりには判断できる材料はなかった。正直、それを確かめる時間は、秋祭りまであまり余裕はない。こいしやお燐に聞くのも不自然であろう。

「つまり、出たとこ勝負ね……だけど」

 さとりには一つ、楽観材料がある。妹のこいしだ。

 こいしもまた本来は恐れられる覚妖怪だ。にも関わらず彼女は平然と地上に姿を現し、あまつさえ最近では仏門に入ってさえいる。これは、彼女の特別な事情故のことでもあるのだが、それでも、未だかつてこいしが大きな問題を起こした話を聞かない。彼女もまた、稗田阿求とやらの手で本にまとめられているにもかかわらずだ。

 顕在意識のおぼつかないこいしが問題ないのであれば、自分もうまく立ち回れば、なんとかなるのではないか。それは、さとりとしては未だかつてないポジティブな推測であった。

 しかし、やはり素性がまるわかりの状態で外に出る勇気は、今の高揚したさとりでも存在しない。ある程度の変装は必要だろうか。

 さとりは思い立ってクロゼットを開け放つ。そして眉根を寄せた。ほとんど外出しないが故に、さとりの所持する服に礼服やよそいきと呼べるものはほとんどない。どれもこれも、フリルの多い色違いの代わり映えしないデザインばかりだ。変装に耐えるようなものはない。

 前述の通り、秋祭りの日時まで時間はない。新たに服を仕立てあげるのは難しいだろう。

「あまりやりたくはないけど、こいしの服を借りるか……」

 こいしの服も似たようなものだが、彼女の場合は帽子がセットであるため、少しはごまかしが利く。ほかの人型ペットはどれも服のサイズが合わないので、体格がほとんど一緒のこいしのものを使う以外に選択肢はないといっていいだろう。

 問題があるとすれば、こいしに服の無断借用(前提)がばれれば、さしものこいしも怒るのは間違いないことだ。特に帽子がお気に入りなので、仮に帽子を痛めたりなどしたら、当分口を利いてくれなくなるだろう。

 そしてそのこいしだが、秋祭りで命蓮寺出展の屋台の手伝いをすることが決まっている。つまり、さとりがこいしの衣装を着て人里に行くというのは、自ら無断借用を白状しにいくようなものである。

「チョコレート解禁に加えて、新しい帽子の購入も視野に入れないとかしら……うう、めんどくさい」

 予想されうる様々な必要投資を算出して、さとりは一人頭を抱えた。命蓮寺の修行で、以前より少しでもこいしの物欲が抑えられているのを、さとりは祈るばかりだった。

「まぁ、悩んでいても仕方ない……ほかにやるべきことは」

 クロゼットに背を向けて、机に戻ると、手紙が目に留まった。

 それで、さとりははたと気づく。

「そうだ、Aさんにはどう返事を書こう」

 それは単純に手紙の返事を書くというだけではなく、自分が人里の祭りに赴くことをどう伝えるかだ。

 間違いなく、『Initial A』は人里の住人だ。人里に行けば、出会える可能性がある。

 だが、向こうは、おそらく『Surplus R』が古明地さとりであることなど露も知らないだろう。もし会えば、驚かしてしまうかもいれない。

 しかし。

「まぁ、そこは変装すればなんとかなるでしょう。第三の目を懐に隠して、帽子で髪型を隠せば、顔だけで私だとはわからないはず……いやそもそも、いくら私の情報が知れていたとしたって、向こうが私の顔を知っているわけもない」

 そう考えると、さとりは急に『Initial A』に直接会いたくなってきた。『Initial A』の誠実で真っ直ぐな文筆は、自分をひねくれものだと思っているさとりにとっては、眩しいくらいだった。きっと、彼? いや彼女? は、文字通りの素直で気持ちのいい人格であろう。

 一度でいいから、会ってみたい。自分とは全く違うタイプであるが故に、さとりは『Initial A』に不思議な魅力を感じていた。心を読めてしまうのはフェアではないが、それでも言葉を交わしてみたいと思った。

 さとりは、いてもたってもいられず、紙とペンを取りだした。そして、素早く手紙の返信に取りかかる。

 内容は、人形劇化への喜びと、『Initial A』の広告イラストを賞賛する言葉。秋祭りに赴くつもりであることを伝えることも必要だ。

 そして最後は、こう締めくくるのだ。

>是非、一度私と直接お会いしてくれませんか?

>そして、一緒に人形劇を観ませんか?

説明
twitterにて週間連載していた東方二次創作小説です。

前>その18(http://www.tinami.com/view/528329)
次>その20(http://www.tinami.com/view/531937)
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