鴉姫とガラスの靴 三羽
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三羽 眠らぬ街の美少女

 

 

 

「三日ぶり、かの」

 長濱と別れ、家に帰る途中。アパートのすぐ近くに見覚えのある女性がいた。

 先日の服装はかっちりとしたスーツだったと記憶しているが、今日の御園は私服姿で、ロゼ色のシャツに黒いベスト、ネクタイと中性的なコーディネイトだ。下もスカートではなくパンツと、もう外はかなり暑いのに露出が少ない。

「御園か。もうなんか久し振りみたいな感覚だな」

「うむ。しかし、お主が元気そうで何よりじゃ。わしの方では、依然として何も掴めておらんからの。そちらが襲われでもしていないか心配じゃった」

「そうか、ありがとう。けど、よく俺がまだ家に帰ってないってわかったな」

「なに、別にお主に会うためだけに来ていたのではない。この辺りはこの街の中でも比較的景色や雰囲気が良いからの。気ままに散歩に来ていたのじゃ。お主に会えればよし、会えなくてもリフレッシュになってよし、ということじゃ」

 確かに、この辺りはビルがあっても五、六階ぐらいの低いものばかりだし、公園もある。住宅も高層マンションではなくアパートだし、中心地に比べて温かみのある風景が広がっていると言えるだろう。御園は、そんなこの辺りが好きなのか。

「ところで悠よ。わしに会って、何か感想はないのか?」

「……感想って、その服のことか?」

「無論じゃ。以前に会った時は、仕事の帰りじゃったからの。今日は休みなので、自分なりに合わせた私服なのじゃ」

「よく似合ってると思うぞ。暗い色の服に、銀髪がよく映えていると思う。……けど、俺にそういうのを求められても、通り一遍のことしか言えないから、参考になるかどうかわからないけど」

「なに、お主に本気で批評をしてもらいたい訳ではない。ただ、男から見て不自然ではないか、とな。人の娘らしい格好はどうも落ち着かんから、出来るだけ男のような服を着ているのだが、どうも浮いている気がしての」

 自分が浮いていないか、か。鳥の化身でも、そんなことを考える人がいるものなんだな。

「あんたは、そういうこと気にするんだな」

「ほう?」

「いや、深月のメイドさんが、平気でこの街中をメイド服で出歩いているみたいだから。確かに今時、メイド喫茶もあるんだしそう珍しくないけど……」

「浮いておるじゃろうな。まあ、それが似合うのなら良いのじゃが、わしのように背が高い女がふりふりの服というのもおかしいと思っての。生徒に感想を求めるのも気恥ずかしく思い、お主に訊いてみたのじゃ」

「生徒?仕事って、学校の先生か何かなのか」

「正確には塾の講師じゃな。お主等が勝手に想像する通り、わし等は頭が良く出来ておるようじゃ。数術の勉強をしてみると、思いの外覚えられるし、面白くなっての。今は高校生に数学と理科を教えておる」

「へぇ……」

 意外、というほどでもないが、御園もまた人の社会で普通に働いて生きているんだな。この分では、本当にこの街には、そして、この国には大勢の動物の化身達が混じっていて、それを知らずに俺達は生きているのだろう。そう思うと軽い恐怖と、なんとも言えない不思議な感じがする。

 ついさっきすれ違った人が、動物の究極とも言える進化系かもしれないなんて。

「ちなみに、塾でも普通にその名前を使っているのか?」

「そうしたいのはやまやまじゃが、まあ、出来んの。アレフチナ・ヴァルナフスカヤなどという、実に噛みそうなロシア人の名を名乗っておる。日本語に慣れた口には、自己紹介すら難しくての」

「アレフチナ……なんだって?」

「ヴァルナフスカヤじゃ。まあ、覚えなくとも良い。わし自身が時々忘れそうになるぐらいじゃ」

「それはまずいだろ」

「うむ、しかし、なぜこんな名前にしてしまったのかの。適当にロシア人の名前をネットで調べてそれを使うというのは、やはり無理があったか……」

「そんなに適当に決めたのか」

「ロシア語など欠片も知らんからのぅ。名前はこんなだが、帰国子女で日本語しか喋れぬことにしておる。まあ、自分の故郷はもっと他にあるのじゃろうが、日本に来てからの記憶しかないからの。身も心も日本の梟、ということじゃ」

 鳥の姿では美しい銀羽のフクロウ、人の姿ではどう見てもロシア人。しかしその実体は年寄りのような話し方の、日本的美女ということか。初見で出会ったら、さぞ驚くことだろうな。俺は初めにフクロウの姿を見ていたので、身構えることが出来ていたが。

「家はこの街にあるんだよな?」

「うむ。鳥の姿で適当な公園の木で寝ている、などということはないぞ。もっと中心部の、高層マンションじゃ。少し住みづらいが、羽休めには最適と言ったところじゃな」

「鳥だけに、か」

「ほほ、洒落がわかっておるの」

「オヤジギャグのレベルだけどな……」

「それが理解出来ているということは、お主もまた親父の心がわかっているのじゃな」

「……いや、その理屈はおかしい」

 とんだ言いがかりだ。さらっと理不尽なことを言ってくるのだから、油断も隙もないな。

「まあ、それは良い。くれぐれも気は抜かず、何かあればわしを呼ぶようにな。――では、失礼」

「そっちこそ気を付けてな。おやすみ」

「梟と夜に別れる時に、その挨拶かの?」

「ああ、あんたにしてみたらこれからが本番、か」

「夜にこそ、状況は動くものと言うからの。これ以上、被害を出す訳にもいかぬし、今夜はずっと見回りじゃ」

「そうか、頑張ってくれ」

「じゃから、お主は安心して休んでくれれば良い。ではおやすみなさい、じゃ」

 今日はそのまま飛び去ることもなく、銀髪を揺らしながら御園は少しずつ闇へと紛れて行った。

 月明かりに照らされた銀髪はいつまでもきらきらと輝いていて、その姿が完全に消えるまで光を返し続ける。

 

 深月――カラスが白昼を黒い羽で飛ぶのなら、フクロウは宵闇の中を白い羽で駆ける。奇麗に対照になっている。なんとなくそう思った。

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「ただい――」

 自分の部屋のドアノブに手をかけようとした時、明らかな違和感があった。

 まるで、俺の家であって俺の家ではないような奇妙な感覚。しかし部屋の番号は合っている。

「深月、木樺さん。いるのか?」

 嫌な汗がどっと噴き出す。それでも中に入ってみると、人の足音が聞こえた。音の大きさからして、女性で間違いない。知らない誰かが入っているという訳ではなさそうだ。

「婿様。おかえりなさいませ」

「あ、ああ。ただいま。……俺の思い違いか」

 迎えてくれたのは木樺さん。別段、不思議なことではない。気を引き締めるように御園に言われたから、意識し過ぎていただけだろうか。

 ……だが、そんな考えは一瞬にして打ち消された。

「木樺さん。それ……」

 いつも通りにメイド服姿の木樺さん。しかし、その腰には初日以来見ていなかった、長大な日本刀が佩かれてあった。やはり木樺さんのような小柄な女性が持つには不釣り合いな、武骨な凶器が。

「少し、状況が変わりました。私は婿様のお帰りを待ち、出るつもりだったのですが、姫様は既に出られています」

「状況?深月はどこに――」

「申し訳ありませんが、姫様の命令です。婿様は決して今回の件には関わらないで、と」

「どうして……いや、そうか。あいつ」

 帯刀した木樺さん。既に飛び出した後の深月。そして、今もまだ捕まっていない殺人鬼。

 これ等の情報から推測することの出来る状況は、そう多くはないだろう。ミステリー小説の仲の名探偵でなくても解ける。簡単な謎だ。

「しかし……この家は婿様のものですし、内側から鍵は開けることが出来ます。婿様が私の言い付けを破られて外に出ることは十分に可能ですよね」

「木樺さん」

 また憎いことを言ってくれるな、このメイドさんは。

「端的に申し上げますと、姉さんが今、花鳥庵に来た相手と交戦中と思われます。ですが、姉さんはかつて私と同じ剣を修めながらも、練度は私に劣っており、しかも他の仲間を守りながらであれば、一人で抑えきるのは難しいでしょう。そこで、姫様が救援に飛び出した次第です。護衛として私は共に行くべきでしたが、姫様のご命令があったので、あなた様をお持ちしておりました」

「そうか。わかった。俺に出来ることは?」

「とりあえず、梟奥殿にご連絡を。尤も、そちらの方もきちんと街を見回ってくださっているのであれば、異変には気付かれていることでしょうが。

その後は、少し遅れて花鳥庵まで。姉さんが倒れるようなことであれば、すぐに感情的になられる姫様のこと。平静を保たれることは絶望的でしょう。婿様、あなたが姫様の心を救って差し上げてください」

 返事を返すより先に、携帯を開く。ついさっき御園とは別れたのだから、このことには気付いていないだろう。すぐに連絡出来れば、急行してもらえるはずだ。

「婿様。それから、こちらをお持ちください。ただの木刀ですが、相手も所詮は狼であり、人。人外の化物ではないのですから、刃のない武器でも本気で殴れば十分なダメージが期待出来ます。万が一の護身用にお持ちください。それではっ」

 適当に木刀を転がして、木樺さんも家を飛び出して行くのが視界の端で見えた。すぐに雀の姿に変わり、夜の空を突っ切っていく。

「御園。聞こえるか?」

『もしもし。良好だが、どうした?声が慌てているようだが』

「それが――」

 ここからは時間の勝負になる。俺も歩きながら事情を話し、花鳥庵に向けて駆け出した。

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「相手は狼一匹って話じゃなかったの?」

 花鳥庵に向かう途中に出会った人外を睨み、深月は思わず歯ぎしりした。

 相手は緑や赤、それに黄色という、奇抜な色の髪の毛の男性。その特徴的な風貌から、オウムかインコの化身であることは明らかだ。そして、この種類の鳥はペットとして輸入されることがある。それはつまり、密輸もまた然り――。

「この際だから、その狼と一緒に人間への復讐をしようって訳?非生産的な営みをして、何が楽しいんだか」

 戦いは避けられない。殺気ばしった相手の目をみて判断して、刀を鞘から抜き放つ。普通の刀とは明らかに異質な、黒い刀身を持つそれを。

「あんたも鳥類なんだし、出来るだけ怪我はさせないようにしてあげる。けど、峰打ちをするにしても、当たり所が悪いと死んじゃうんだからね」

 相手の得物もまた、どこで調達したのか刀。リーチでは深月の物に勝るが、使う者の力量と、武器の性能が違う。

 音もなく走り出して肉迫すると、まるで未知の鉱物で作られているかのように妖しげな光を放つ小太刀が、音すらも殺して宙を滑る。振り抜く直前で逆手に持ち換えられたそれは、相手の胴を打つ。返しの一撃で刀を持っている方の腕。最後に後ろに回り込み、腰を殴り付けると、文字通り腰砕けになった。

「ふん、あたしに剣で勝てるのは木樺だけよ。もっと現代的な武器でも持って来なさい」

 もう動いて来ないのを確認すると、そのまま走り抜ける。仮に追われることになったとしても、必ず木樺が後から来るのだから、対処は任せてしまえる。今は何より、奇跡を、そして花鳥庵を救うことが先決だ。

 この時間ならもう男連中は帰っているだろう。しかし、花鳥庵は女性の方が戦いの技能を持っているという、一般的なイメージとは逆の特徴を持っている。それはもちろん、女性はその多くがメイドであるからなのだが、男性がいるということは、守る対象が増えているということを意味する。急いで駆け付けなければ、取り返しがつかないことにもなりかねない。

「これからもこんなのばっかりなのかしら……鳥も相当な数いるとしたら、飛んで行く訳にもいかないわね」

 とにかく急ぐのなら地形を無視して空を飛んで行ってしまえば良いのだが、夢中で走り出して来たので、その思考に至ったのは今頃だ。戦うべき相手が件の狼だけではないとわかった今では、その方が良かったかもしれないが――。

「梟がいたのなら、鷹や鷲がいないとも限らないわよね」

 仮に鳥の姿であっても、深月は全く無力という訳ではない。が、猛禽と鴉が戦えば、結果は検証してみる必要もないだろう。多少の時間を食ってしまったとしても、人の姿で行く必要がある。

 まだ人が歩いていても不思議ではない時間だが、刀を鞘に戻す時間も惜しい。黒髪を振り乱し、再び闇の中に潜って行く。

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『悠。ここにおったか』

「御園っ。よく来てくれた」

 もう何日も訪れていないので、おぼろげになっている記憶を頼りに花鳥庵を目指していると、軽くエコーのかかったような声が響いた。鳥の姿の時の御園が喋る時の声だとすぐにわかる。

『軽く偵察がてらに寄り道をしておっての。すぐに来れなくて悪かった。しかし……この街が夜も騒がしいのは当たり前じゃが、やはり今夜は尋常ではない。他のわしの仲間は何をしておった……と思うのは責任転嫁じゃな。悠、わしの後について来ると良い』

「ああ、頼む。……けど、あんたも戦えるのか?」

『何か武器が使えるという訳ではないがの。この足の爪と、クチバシは飾りではないつもりじゃ。籠さえなければ、人でも突き殺して脱走出来るからの……』

 どうも素直に笑うことの出来ない微妙な冗談を言い、ばっ、と大きな翼を広げて滑るように御園が飛び出す。俺を大きく引き離してしまわないように速度を調整してくれているが、雄大に宙を泳ぐ大きなフクロウにはまるで王者のような風格があり、なんとなく近寄りがたく感じてしまう。

 と言うか、夜道でこんなに立派なフクロウに出会ってしまったら、ショックで気を失いかねないだろう。……夜にカラスを見てもやっぱり恐ろしいだろうし、失神する人が出て来て事故が起こらないように祈るばかりだ。

『この街の各所に、わしの元仲間が配置されておる。どうやら、人との共生を望むコミュニティである花鳥庵を潰し、そのままこの街の一角を占拠しようという計画らしい。たった一人の旗揚げに呼応して、このように大きな計画を立てるとは。想像よりずっと図太い連中じゃったな』

「占拠って、そんなのが出来るほど、あんた達は大勢いるのか?」

『全員が敵に回っているとは想像したくないが、仮にそうだとして、百にも満たぬ数じゃろう。しかし、内に秘める人への憎しみと、野性の狂気は本物じゃ。街の人間が太刀打ち出来る相手じゃないの』

「でも、警察が黙っていないんじゃないのか?そんなの、一種のテロみたいなものだろ」

『動物になって散り散りに逃げれば、第三者から見るとただの集団幻覚じゃな』

 まんざら勢い任せの行動でもない、ということか。もし相手の思惑通りに事が進んだら、動物の化身達の間だけの話ではなくなる。なんとかして阻止しないとならない――俺に出来ることはあまりに少ないだろうが。

『ところで悠よ。お主、物騒な物を持っておるの』

「あ?……ああ、護身用に、って渡されたんだ。いざとなれば、振り回すぐらいは出来る」

『ほほ、頼りがいのあることじゃ。近頃の男子にしては力があるようじゃの。いくら木刀といえど、それなりに重さはあるだろうに』

「そうだな……これをずっと振るうのはさすがにバテるだろうけど、しばらくは持ちそうだ。最低限、自分の身は守れるかな……と思う」

『まあ、無理はしないことじゃ。何、元々はそれほど気が強い者達ではない。少し血を見せてやったり、痛みの恐怖を教えてやれば大人しくなるじゃろう。――くく、久し振りの狩りの時間じゃ』

 フクロウの表情なんてわからないが、今の御園はサディスティックな笑みを浮かべていることだろう。理性のない狂気が恐ろしいのはもちろんのことだが、御園が理性的な中に見せるこの「野性」にもまた恐怖を感じざるを得ない。彼女が味方で良かった。本当にそう思う。

『悠。ぼーっとしていては、安全を保証出来んぞ。幸い、まだ近くに敵はいないようじゃから、ずんずん進むとしよう』

「あ、ああ。行こう」

 街の中心部はともかく、住宅地には最小限の街灯しか灯っていない。もうかなり目は慣れて来ているが、方向に自信がないので先行する御園をただ追い続ける。銀の羽はどれだけ辺りが暗くても目立ち、道標には良いがそれは同時に敵にも気付かれやすいということになる。

 御園の羽ばたきの音が変わったかと思うと、押し殺したような男の悲鳴と、アスファルトに倒れ込む人影が見えた。

『それなりに二枚目の男だったのじゃが、顔を引っ掻いたのはやり過ぎだったかの……』

「イケメンは滅んでも良いんじゃないのか?」

『ほう、自らの滅亡を望んでおるのか』

 ……本当、言っていることが冗談なのか本気なのかわからない人だ。

 それから、辻を一つ、二つと曲がる度に御園はその爪を赤く染めて行き、やはり道路に倒れる人が量産された。男だけではなく女性もいて、余裕がある状況なら「服が敗れて地肌が」なんていうドキドキポイントもあっただろうが、今はそうゆっくりもしていられない。

 しかし、そう花鳥庵とは距離がないはずなのに、まだ木樺さんに追い付いたり、深月と合流したりすることが出来ないなんて。木樺さんが鳥の姿で行ったのは当然のことだが、深月は人の姿で走って行ったのだろうか。

『次の角を右折で最後じゃな。じゃがこの臭い……濃厚な血のものじゃ。血みどろの現場を見ることになるかもしれんぞ』

「覚悟は一応、出来てる。まさか深月とかのじゃないよな?」

 答えはない。自分の目で見て確かめろ、ということか。

 駆け足で花鳥庵の正面の道路に出ると確かにそこには、無数の死体……にも見える倒れた人の姿がいくつもあった。どれも刀傷が付けられていて、深月か木樺さんがしたことだと思うが、呻き声を上げている人もいる辺り、致命傷ではないらしい。

 かなり大規模な戦いがあったようで、血飛沫の後もいくつかあるが、立っている人間の姿はない。建物の中に引き込んで戦っているということだろうか。

「御園。匂いとかで二人がわからないか?」

『そうは言われてもの……こう血の臭いが濃くては、鼻が利きづらい。そもそも、わしは二人の匂いを知らんからの。なんとなく女の匂いはわからんでもないが、そう当てになりはしないじゃろう』

「とにかく進んで、見つけ出すしかないってことだな」

『うむ。どの道、やんちゃな者どもは締め上げねばならんしの。お主にとっては遠回りになって申し訳ないが、いわゆるところのローラー作戦じゃ』

 虱潰しに屋敷中を探す、ということか。二人とも順調に中に入っているのなら、中は相当な乱戦になっていることだろう。奇跡さん達屋敷のメイドも戦っていることを考えると、誰が敵で誰が味方かもわからない惨状になっていることも予想出来る。自分の身は自分で守っていくしかないな。

「じゃあ、行くか」

 フクロウの翼で軋む両開きの戸を開くことは出来ない。古びたそれを俺が開けると、早速、見知った顔が刀を手に無双状態を繰り広げている姿が確認出来た。いや、正確には見知ったメイド服、だろうか。

「木樺さん!」

 邪魔になるかもしれないが、俺が来たことを知らせるために大声を張り上げる。それによって俺に敵の注意が向くが……。

『四狼ごときに乗せられた阿呆が。目を醒ますが良い』

 大きな銀フクロウの爪の餌食となる。今のなんてかなり深く背中を裂いたようだが、本当に手加減は出来ているのだろうか。

「婿様。どうやら姫様はもっと奥、婿様がここを初めて訪れた時の寝所の辺りにいると思われます。私は全く問題ありませんから、どうぞお先へ」

 言いながら、刀の一振りで目の前の相手を気絶させる。わざと峰打ちをしているという訳ではなく、刃には血が大量にまとわり付いているのが見える。一度砥がないことには使い物にならないのだろう。

「わかりました。――御園」

『全く、梟使いの粗い男じゃの』

「初めて聞いたぞ。その言葉」

 木樺さんが一人で平気なのは、決して強がりや変なフラグではなく、事実だ。その証拠に白と黒のメイド服は返り血こそあっても、全く裂かれたり自身の血で汚されてはいない。ちゃんと目で捉えることすら難しい太刀筋は、正確に首や腰を致命傷にならない力で強打していて、もう少しゆっくり観戦していたら十数人はいる相手を全て倒してしまいそうだ。

 だが、とりあえず深月を発見するのが第一だ。フクロウというよりは、タカかハヤブサかといった勇ましさで突撃する御園によって開かれた活路を突き進む。

 途中、どうしても邪魔になる男がいたので、覚悟を決めて木刀を正面から振り抜いた。高校の時に体育の授業でやった剣道の動きをそのままなぞり、右胴を思い切り打つ。そのまますれ違い、振り返りもせずに走り抜けた。生身に木刀の一撃を受けた痛みは相当のものだろう。防具ありで竹刀を受けても、衝撃は殺しきれないのだから。

『小気味良い一振りじゃったな』

「……死なないよな?」

『お主、人の体を豆腐か何かと勘違いしておらんか?』

「でも、死ぬ時はあっさり死ぬのが人間なんだろ。あれと全く同じ力で面を狙っていたら……」

 ハンマーではないのだから、頭蓋骨がどうこうという話にはならないだろう。それでも、頭が切れ、出血ぐらいはするかもしれない。脳震盪も起きるかもしれないし、意識が飛んで、そのまま戻らないことも考えられる。一歩間違えれば人を殺していた行為だった。

『お主は、どうも優し過ぎるの。言動や立ち居振る舞いはぶっきらぼうに見えるというに』

「よく言われる。けど、これで罪の意識を感じないほど感覚の鈍った人間に、俺はなりたくないな」

『尤もじゃ。……まあ、わしがその意見に賛同すると、自分自身を憎むことになるのじゃが』

「あんたは、そんなことないだろ?相手のことを思っているからこそ、それを救おうと力を振るってる」

 その奇麗な羽や美しい爪を血に染めてまで。

『わしは――。はぁ、あまり褒められるのに慣れていないのじゃから、からかうでない。初めて会った時、謎かけのように言っておったであろう?わしは誅殺者や粛清者と呼ばれる。仲間の不正を正すのが、コミュニティの中での役割じゃ。その義務を全うしているだけのこと』

「でも、そんなの放り出して自分勝手にやっても良いだろ?多くの仲間が寝返っているのだから」

 ちょっと意地悪が過ぎただろうか。前を行く御園の顔はわからないし、そもそもフクロウの表情なんてよくわからないが、悔しそうにしている気がする。

 しかし、入り口近くに敵は集中していたのか、俺が退けた相手の他には誰も遭遇することなく奥へ奥へと足を進ませることが出来ている。そして、俺のあの朝起きた部屋や、深月と初めて会った大広間が見えて来た。

 そこにいたのは、奇しくも黒い刀を手に戦う深月。相手は赤茶色の髪を持つ青年。その髪型は動物としての種族名と同じ、ウルフカット。

 考えるまでもなくそいつが主犯なのはわかる。ただの包丁やナイフとは違う、大きな鉈のような軍用ナイフを持ち、小太刀を扱う深月と刃を重ね、弾き合い、電光石火のフェイントの応酬。そこからの体術を駆使した背中の取り合い。それが互いに失敗に終わると、再び距離を取って様子を伺う。

 驚くべきは、全く相手の男に遅れを取らない深月の動きだろう。それほど敵が大柄という訳ではないが、筋力や体格ではどうしても劣る。それをカバーする速度と、力学に基づいた合理的な体術。足などはバレリーナかと思うぐらい高く上がり、隙さえあればすぐにでも相手の首を蹴り上げ、気絶させるぐらいは出来るだろう。

『なるほどあれが鴉の姫か。正直、四狼が対等に戦えているのが不思議なほどの腕前じゃの。しかも肉体美と顔立ちの可愛らしさを兼ね備えておる』

「ああ、俺の――彼女はあいつだ」

 婚約者という言葉は、口に出すのが恥ずかしかった。彼女と言うだけでも十二分に赤面しているだろうが、逆にここでちゃんと言わなかったら、深月に悪い気がする。

 それにしても……急いで来たは良いが、決着はもうまもなく付こうとしているところだった。どう見ても剣の腕では深月が圧倒していて、力任せな先の読めない技で相手はごまかしているものの、無茶な暴れ方をしたのか、息が荒い。対する深月は余裕の表情だし、相手の攻撃のいなし方もまるでダンスを踊るように軽やかなものだ。

 フェイントとして一瞬だけ突き出されたナイフを一気に切り上げて弾き飛ばすと、ステップを踏むように距離を詰め、突然の後ろ回し蹴り。体重と遠心力の乗った一撃が跳ね飛ばすほどの威力を生み出し、体勢を崩した相手に刀を突き付け、動きを封じてしまう。

「もう少し楽しめると良かったんだけど、素人にしてはよくやった方、ってところかしら。前に人を殺したのはあんたで間違いないわね?」

 返事はない。それを肯定と受け取っても問題はないのだろう。件の四狼というオオカミだとは、既に御園の言葉で裏が取れている。……深月には多分、届いていないのだろうが。

「はぁ、ほらそこの梟。こっからはあんたの仕事でしょ?ふん縛るなり、手錠かけるなりして連れて行きなさい」

『ほほ、お初にお目にかかるの。花鳥庵の姫君よ』

「詳しくは後で良いわ。今はすぐにこのむかっ腹の立つ騒動を収めたいの」

 明らかに怒りを浮かべながら、御園に向けて男を蹴り渡す。刀を使わずに倒したのは良いが、そんな風に追い討ちを加えられては相当痛いことだろう。とりあえず合掌だ。

「すまないの。では、すぐに連れて行くとしよう。姫君、そして婿殿。また会おう」

 人に戻った御園がどうやってこのオオカミを連れて行くのかと思ったら、用意の良いことにいかにも頑丈そうなロープを取り出した。腕を縛り、足を封じて、首根っこを掴んで引きずって行く。

「獣の姿になって逃げようとしたら、今度は首輪をしてやるからの。むしろその方が犬の散歩をしているようで平和的じゃし、歓迎するのじゃが」

 また微妙な冗談を言って、視界から消えて行く。まだ残っているかもしれない残党も、自分達の旗印が倒れたともなればもう牙を剥くこともないはずだ。――なんだかあっという間だったが、一件落着だな。

「悠。来ちゃったのね」

「あ……すまない。木樺さんには言われてたんだけど」

「もう、奥さんの言うことはちゃんと聞いてくれないと。悪い婿ね」

「まだ結婚してないからな……」

「屁理屈は良いの」

「わ、わかりました」

 思わず頭を下げてしまう。俺はもしかすると予知能力に目覚めたのかもしれないな。俺の十年後の未来が見える気がするぞ。

「本当はね、あたしがこんな刀を使って戦う姿を見られたくなったの。実践をほとんど初めてなんだけど、あたしは料理とかよりもずっと、剣の腕を上げて、護身のための体術を体得するために時間を費やして来た……それは誇りでもあるんだけど、結局はその、戦いのための、殺しの技能じゃない。……あなたにだけは見て欲しくないな、って」

「深月。そんなこと」

「わかってる。あたしが可愛過ぎるのはわかってるし、戦う姿が一種の芸術であることも踏まえた上で言ってるの」

「そこまで言うつもりはなかったんだけどな……」

 相変わらず、すごい自信をお持ちでおられることだ。けど、前にも言っていたようにちゃんと努力をした上で手に入れた技術なのだから、それを自慢することを否定してやる必要はない。可愛さは、天性のものだけどな。

「どうせなら、本当のダンスを見せてあげたいのよ。――そうね。今なんて、丁度良いんじゃない」

「は、は?」

「社交ダンスって学生時代にやってるでしょう?一緒に踊りましょうよ。えーっと……しゃるうぃだんす?」

「の、のーさんきゅーだ!こんな殺伐とした戦いの後にダンスって、これはミュージカルの演目か何かか?それより後片付けとか、住んでる人が無事かを確かめるのが先だろ」

「そ、そう言われてみればそうよね……踊りたかったけど」

「もっと然るべき時に、然るべき場所でやってくれ」

 全く、手と手を取り合ってダンスなんてした暁には、恥ずかしさで爆発しかねない。それに、もし踊るにしても、ちゃんとした格好をするべきだ。

 俺にスーツが似合わないのは大学の入学式で立証済みだが、きっと深月のドレス姿はよく似合う。それを見ないというのも損だろう。

 まあ、何にせよ、敵にも味方にも甚大な被害は出ていないようで良かった。そう言えば奇跡さんや他のメイドさんの姿はないが、どこかに避難しているのだろう。放っておけば敵は全て木樺さんが掃除してしまうところだったし。

「主犯はやった……けど、悠。実はまだ残ってるの」

「え?」

「まだ花鳥庵が完全に解放された訳じゃない。奇跡の話だと――ああ、あの子は今、別の部屋にいるんだけど――一つ、完全に占拠されてしまった区画があるのよ。この屋敷の本館は奇跡達がそれこそ、獅子奮迅の働きで頑張って守りきってくれたんだけどね」

「その言い方だと、離れか何かがあるのか?外から見た限りではわからなかったが」

「離れじゃなくて、地下があるのよ。普段は絶対に足を踏み入れないんだけど、ここが“花鳥庵”として機能出来る、要の部分なの。つまり、この屋敷を外からボロ屋敷に見せて、人の手が入ることを回避するのに必要な術の力を常に発揮している部分ね。壊したり暴走させたりは出来ないんだけど、あたし達のような鳥類には聖地とも言える場所だから、どうしようもない大怪我を負った時に訪れたりするの」

「そうか……と言うことはこの屋敷は、そのパワースポットの真上に建てられた、ってことか」

「簡単に言えばそういうこと。自分達で建てたんじゃなくて、外観は外から見たこの屋敷と全く同じものが元からあったの。中を改装した感じね」

 深月達にはまだまだ謎が多いが、聖地という言葉が使われる以上、相当な要所なのだろう。確かにそれを他人に占拠されたままという訳にはいかない。

 後もう一仕事だけして、俺の「異常な日常」を取り戻さないとな。

「深月、俺も付き合おう。さっきちょっと戦ったんだが、十分やれそうだ」

「ええ?良いわよ。あたし一人で十分なのはわかったでしょう」

「手伝いたいから志願してるんだ。お前がどうしても嫌って言うなら、引き下がるが……」

「初めての、共同作業ってことね?」

「そうだな……って、んな訳あるか!!」

 思わずノリツッコミなんてしてしまった。この姫様は本当、もう……。

「でも、そうね。ここまで来ちゃったからには、あたしの戦いを最後までちゃんと見てて。そう何度もこの刀が振るわれて欲しくはないけど、将来の夫として、全てを見届けて欲しいの」

「ああ。ふ、夫婦は隠しごとしないって、前言ってたしな」

「よく覚えてたわね。じゃあ、隠さないついでにあたしの裸も見る?」

「……もしここで脱いだりしたら、愛を込めて露出狂の称号を贈呈しよう」

「の、のーさんきゅーで」

 深月の場合、これは割と本気で言っているんだろうからな。自分の体に自信があり過ぎるというのも困ったものだ。

 本音を言えば、本当に見事な……って、何を考えてる。

「それで、その地下にはどうやって行くんだ?」

「ハシゴを隠してあるのよ。その場所は丁度この辺りの廊下。えーっと……ここかしら」

 何もない、普通の板張りの廊下を深月が多少体重をかけて踏むと、すぐ近くの床板の一メートル四方ぐらいが九十度回転し、地下に下りるためのハシゴが姿を現した。

「忍者屋敷……?」

「この手のお屋敷の定番でしょ?」

「そういう定番は別に踏襲しなくても良いんじゃないのか。雰囲気は出てるけど、利用しづらいだろうし」

「滅多に行かない場所だからこれで良いのよ。それに、今回みたいに敵に奪われないためなんだけど、さすがに勘が良い、ってとこかしら。多分、下に忍び込んだのはさっきの狼なんかより、ずっと強くて頭も回る奴よ。奇跡を出し抜いて、的確に要所を狙って来たんだから」

「今まで戦ってた相手は全部陽動、ってことなのか。でも、そこまでしてその地下を取る意味があるのか?」

「利点があるとするなら、そいつが鳥類だった場合ね。極端に言えば、聖地の力を受けている限りは不死身になれるもの。さすがに死体が蘇ることはないけど、実質的に無敵になる訳ね」

「……楽しくない話だな」

 それどころか、絶望すら見える。そんな奴をどうにかする方法なんてあるのか?

 いくら深月達が人とは異なる力を持っていても、相手はもっと超常的な後ろ盾を持っている。それを突破する方法なんて――。

「所詮、相手はアウェーにいるのに変わりないわ。それに比べて、あたしはここの長よ?外の世界は知らなくても、ほんの数十坪のこの面積は間違いなくあたしの庭。ちゃんと対処法は頭の中に出来上がっているわ」

「それなら、信じるぞ?」

「ええ。あたしの裸を賭けるわ」

「……どう考えてもお前に得しかないベットだよな」

「信じてもらって良いということよ。上はもう木樺達に任せて、行きましょう。さっさと叩き出してやるわ」

 ハシゴは木造建築に似合わない鉄製のもので、握ってみるとひんやりとしている。それに構わず深月は半分ほどまで下りると、そこから一気に飛び降りた。さすがに身軽だ。俺は足をくじく予感しかしないのできちんと下までハシゴを使う。

「意外と明るいものなのか」

 一寸先は闇、といった景色を想像していたが、松明が灯っている。床は石畳、壁と天井は石組みと、ゲーム的に言えばお城の地下迷宮とでも名付けられるダンジョンのようだ。和風の屋敷の地下にこんなに広大な地下室が広がっているとは。

「侵入者が灯りを点けているのね。でも、さすがに自分の周りは暗くしてるみたい。根暗な奴なのかしら」

「根暗って……」

 でも、言われてみると、一角だけ灯りがなく、暗く沈んでいる部分がある。一帯を明るくしている方がまだ偽装効果がありそうな、見え見えの隠れ方だ。いや、むしろ誘っているのか。さもなくば、本当に明るいのが嫌いなのか。

「――この屋敷の長、鴉谷深月が直々に、本気で相手してあげるわ。あたしに敬意を払って、真っ向から戦うならそれでよし。尚も姿を隠すというなら、容赦なく斬るわよ」

 小太刀を正眼に構え、静かに待つ。一つ、二つ、三つ。

 答えが示されないと悟ると、他の刀剣とは明らかに異質な黒い刀身を持つその大脇差を手に、一気に駆け出した。

 走るというよりは駆ける。駆けるというよりは“翔”ける。宙を疾走するように肉迫して音もなく振り被る。その速度自体は速いが、モーションが大き過ぎて、俺でもその気になれば避けられるような単調な攻撃だ。本気でこの初撃で斬り捨てるつもりはない、ということだろう。

「……っ、ええ?どんな悪人面の男かと思ったら」

 暗闇から飛び出したその姿――それは、綿のように真っ白な長髪を持つ小さな女の子だった。ただし、淡い青色の瞳は、真っ直ぐに深月を憎しみを込めて睨み付けている。

「白い髪に白い肌、青い目……アルビノかしら。まあ、それは良いわ。いずれにせよ、あんたが危険な相手なのは変わらない。斬りに行くけど、問題ないわね」

「……深月。彼女に質問があるんだが、良いか?」

「多分、あたしと同じことよね。あたしが訊くから良いわ。ちょっと離れてて」

「あ、ああ」

 女の子は何か武器を持つ訳でもなく、ただ視線と態度だけで深月を威嚇している。その姿を見ているだけでは、刃物を持って現れた深月を警戒しているだけの、気弱な女の子のようにすら見えるのだが。……本当にそんな女の子なら、そもそもここにいる訳がないんだよな。

「あの狼をけしかけたのは、あんたよね?人間を一人殺めて、それによって他の大勢の人間が慌てふためくのを楽しむ。中々に良い趣味と言わざるを得ないわね」

「私は……」

 か細い声が、妙にはっきりとした響きを持って広大な地下室に満ちる。普通に喋るだけではこんなのはあり得ない。御園の「念話」のように特別な力を使っているのだろう。

「私は、この世に絶望している。だから――」

「とりあえず人を苦しめて、仲間も傷付けて、どれも上手く行かなかったっぽいから、ここで死ぬつもりなのかしら?ここで即死して聖地を血で汚せば、あんたはこの世に確かに呪いを残したことになるから」

「私の人生は、全く狂ってしまった。この国まで珍しさを買われて連れて来られ、好事家に飼われたことまでは良かった。ああいう人種は決して“美術品”を傷付けはしない。でも、あの日現れた、あの呪わしき男が全てを奪った。主人の命も、他の金品も、そして、私の未来さえ」

 叩き付けるような声が空気を震わせ、壁を打つ。彼女の激情に呼応して、声の強さは増しているのかもしれない。小さな声のはずなのに、軽い衝撃波が生じている。

 加えて、それほどの高音ではないのに、耳を塞ぎたくなるようなノイズが鼓膜を揺るがす。彼女は、声に特徴を持つ動物なのか?

「未来、ね。それなら、特に不自由もなく生きて来たあたし達が言えるようなことは何もないわ。けど、あんたには同じような境遇の仲間がいたんじゃないの?少し刺激してやれば、人間を殺すことも厭わない人を強く憎む仲間が」

「……私は、本質的に孤独だった。ただ、死なないために群れ、決して目立つことなく隠れ潜んでいた。全てを終わらせるために」

「その結果がこれなの?いずれにせよ、あまり利口なことをしたとは思えないわね。成し得たことも、この小さな国のたった一つの街でちょっとした事件を起こしただけ。あんたの絶望というのも、案外底が浅いということになるわね」

「それは――お前達が。お前達が私の邪魔をしたからだ!邪魔がなければ」

「全て上手く行っていた?ここを落として、その後、この街の人間を殺し尽くすようなことが果たして出来た?――現実的な話じゃないわよ。この街に人外のコミュニティが出来て二十年。一度も人に刃を向けることがなかったのはそれが理由。

 一般人と比べれば、あたしの力は強いかもしれない。今の平和な国を生きる日本人にはない殺しの技を持っている。けど、平和に生き過ぎたのはあたし達も同じよ?かつてのあたし達の祖先は、今よりずっと寿命が短かった。代替わりが早ければ、それだけ過去あった技能や知識も早く失われて行く。あたし達末裔も、人間に毛が生えたぐらいの力しかないのよ。鴉が零落したのも、かつての神性を失ったからなのかもしれないわね」

 深月の話す調子も、陰りを帯びて来ていた。その言葉にはある意味での同情も含まれているのかもしれない。

 彼女達、野生動物は間違いなく人間によって侵略され、今尚迫害を受けているのだから。

 そんな環境の変化への適応のために人の姿を取るようになった訳だが、複雑な思考や長命化は、自分達の今立たされている環境がいかに劣悪で、理不尽なのかも浮き彫りにさせてしまった。――結果として人が憎まれるのであれば、それもまた道理だと思える。

 でも、だからと言って――。

「人とあたし達の立場を逆転させて良いかと言えば、答えは否だし、そもそも叶うはずがない望みよ。それに、あんた自身、頭では理解しているんじゃないの?」

「何を――暗闇しかない世界で、私が何を見出すって言うの?」

「あんたの今まで知っていた人間はどうしようもない奴ばっかりかもしれないけど、全体で見ればそうでもないこと。そして、それは同族とも共通している理屈だと、経験的にあんたはもう知ってる。気に入らない奴がいるからってその種を根絶やしにしていたら、とっくにこの世界から生き物は死滅しているでしょうね」

「人と動物の悪を並列に考えるのか!?人間は他の動物とは一線を隔する巨悪。それの収めるこの世界もまた、腐敗しきったものだと、どうして気付かない?――私はこの十年で理解した。だから、あなた達とは絶対に相容れない」

 その場の空気が変化する。今までの状況が嵐の前の静けさであるならば、今は正にその嵐が実際に姿を現し、全てを飲み込もうとしているところだ。

 少女はどこに隠し持っていたのか、銀色のナイフを何本も構え、狙いを深月に絞っている。どういった種類の動物かはわからないが、御園のように鳥の方の姿で戦うような猛禽や猛獣の類ではないらしい。

「死ぬつもりだったら、勝手に一人で死んでくれて良いのに、どうして最後の最後にあたしに喧嘩ふっかけて来るかな……。まあ、初めから死ぬのは止めるつもりだったんだけどね」

 矢か銃弾か、といった速度と精度で自分に向けて投げられるナイフを小太刀で軽く迎撃し、またあの軽やかな疾走で距離を詰める。投げナイフで戦って来る以上、接近戦の方が圧倒的に有利だ。そして、体格や得物のリーチでは圧倒的に深月が勝っている。これなら、傷付けて止めることは出来なくても、捕縛することはそう難しくないだろう。

「一つ、あんたに教えておいてあげるわ。あんたが鳥類であれば、ここにいる限り傷付いて死ぬことはない。けど、即死をすればその限りではない。それは知ってたみたいだけど、もう一つ、大事なことの知識が抜けているようね」

 接近を許してしまい、投げるはずだったナイフを手持ちに切り替える。しかし、刀による一撃を捌ききれるはずもなく、ナイフは弾かれて宙を舞った。丸腰の少女の体に深月が叩き込んだのは刀ではなく、蹴り。胃を真下から抉るような、小さな少女相手にはやり過ぎとしか思えない本気のキックで、哀れ少女は吹き飛ばされて床に頭を打ち付けた。当たり前のように血溜まりが出来るが、すぐにその血は止まる。

「痛みまでは緩和されない。つまり、今のあんたは猛烈な吐き気、脱力感、ついでに頭痛に苛まれることになってる。――悠、外道っぽいことだけど、許してくれるわよね?」

「ま、まあ、な……」

 なぜか爽やかな笑顔で訊かれてしまい、どう答えれば良いのかわかるはずもない。

 映像的には幼女虐待だったが、恐ろしいことを計画していた凶悪犯を無力化した、という点では功績を褒められても良い。……んだろう。

「さて、問題はこれからね。この子がとりあえず鳥なのは確定だけど、どんな鳥ならこんな芸達者なことが出来るのかしら」

「あの“声”か?」

 超音波のような、念話のような、不思議な力を持った声。超音波と言えば、コウモリも考えられるが、あれは哺乳類だし、少女の小柄で華奢な外見とも少しそぐわない。コウモリは案外太っていたりするからな。

「それもそう。でも、悠。残念ながらこれ、偽者よ」

「……は?」

 倒れた少女の体を更に蹴り上げると、それが無数の羽毛に変化した。まるで忍者がする「変わり身の術」のようだ。あるいは、陰陽師が使う人型に切った紙の身代わりかもしれない。

「完全に遠隔操作だったのか、ヤバそうと思って本体とすり替わったのか知らないけど、有り体に言えば逃げられたわ。……あたしとしたことが、思わず本気で語ってて、こういう可能性を探るのを忘れていたわ。はぁ、木樺か奇跡にお小言をもらうことになりそうね」

「こんなことを出来る鳥が、本当にいるのか?」

「動物の化身は皆、何かしら一芸に秀でているのよ。鴉は知略とリーダーシップ。雀は家事やその他雑務の能力。梟は念話や知識の貯蔵って感じね。花鳥庵にあんな能力を持つ鳥はいないし、いくら同じ鳥類だからって、全部の能力を把握するなんてどだい無理な話よ。……当分は受身に回る必要が出て来そうね」

 今回の件で、あの子は事実上、完全に孤立したことになるだろう。次に何かをするとしたら、必ず単独行動になるはずだ。それで何をするのかわからないが、まだまだ気が休まる時は来ない、ということか。

「はぁ。でも、こんな簡単にここを放棄するとは思わなかったわ。てっきり自殺するとばかり読んでいたのに。やっぱり、作戦を立てたりするのは楽しいけど、推理はてんで駄目ね。暇に任せてホームズは全巻読んだのに……」

「でも、あの子はお前をどうにかしてから、やっぱりここを汚すつもりだったんじゃないのか?」

「わからないわ。意識はあったんだから、その気になれば倒れてからでもナイフを心臓か頭に刺して死ねた。でも、それをしなかったのだから……後で会議ね。相手の意図がわからない以上、次に何をするかもわからないし、何より――」

「どうした?」

「試合に勝って、勝負に負けた感じが嫌」

「そ、そうか」

 さすが、この姫様は誇り高く、負けず嫌いでいらっしゃる。

-5ページ-

「あの娘か……名も知らんの」

 花鳥庵の事後処理は木樺さんが中心になってやってくれていたそうで、俺達が上に戻った時にはおおよその片付けは終わっていた。

 そして、日を改め、俺が大学から帰って来るのを待ってもらって作戦会議を開くことになった。

 場所は俺の家で、相手方の事情に精通しているはずの御園にも来てもらい、早速あの女の子の正体がわかれば、と思ったのだが。

「名前も知らないって、あの子はあんた達と話もしなかったのか?」

「うむ。傍にはおったが、一言も口を聞かず、余程暗い過去があるのか、下手をすると喋れんのかと思っておったが……」

「では、何の鳥かもわかっていない、と」

「そうなるの。しかし、ともかく珍しい鳥であるのは確かじゃ。わし等は皆、第一としてこの国の外にいる動物ばかりじゃが、その身代わりを作る術や、声を増幅させるような力を持つ者は他におらんからの」

 一通りのことを話した訳だが、御園も、木樺さんもあの子の持つ特性に合致する鳥を知らず、まるでお手上げの状態だ。

 せめて、白い鳥ということで範囲を限定出来れば良かったのだが、アルビノともなればあらゆる鳥が白い羽を持つ可能性がある。むしろ、元から白い鳥を弾くことは出来る訳だが、それでも尚、鳥類なんて無数にいる。

「木樺。あの身代わりの羽はどうなの?何か特徴とかあるんじゃない」

「それが、あれはどうやら自身の羽ではなく、布団か枕かを裂いて取り出した市販の羽毛のようです。羽に特別な力があるという訳ではなく、羽に力を込めて人型にすることが出来る、という力のようですね」

 唯一の痕跡も空振り。彼女が残したものは他にナイフもあるが、これが何かの手がかりになるとも思えない。これもまた密輸されて来た武器のようだ。

「まあ、アルビノの鳥というだけでかなり珍しいのじゃ。仮に鳥の姿で現れても、見間違えることはなかろう?他にこの街で真っ白な鳥など見たことがないからの」

「そうね……人の姿なら、あんなに小さくて髪が真っ白な子なんだから、やっぱりこれも見間違いようがないわ。けど、これからどうするつもりなのかしら。あれで諦めるとは思えないけど……」

「その監視こそ、梟奥さん。あなたがなされることですよね?」

「う、うむ。もちろん心得ておるが、そう怖い顔で釘を刺さずとも良いじゃろう?」

「怖い顔は生来のものです。気になさらないでください。あなたは部外者なのですから、信用はゼロなんです。どれだけ念を押しても、やり過ぎということはない風に感じますが」

「お堅い護衛殿じゃのう……」

「誰かの命をお守りするとは、そういうことです」

 御園に突っかかれば突っかかるほど、笑顔が深く深くなっていく木樺さんがこれ以上のないほど恐ろしい。深月と御園は意外と仲良く出来そうなのに、ここで引っかかるとは……。

「そ、それは良いとして。あの狼はどうしたの?」

「四狼か……うむ。人の手に委ねることにした。他の者は皆、わしが一喝しておいたからの。もう変な気は起こさんじゃろう」

「発言力高いんだな。まだ若いのに」

「若いと言っても、二十年以上生きておるのじゃぞ?大体からしてわしは、発言力の高い立場におったからこそ、お主等にコンタクトを取ったのじゃしな。お主等とて、下っ端の話は鵜呑みに出来まい」

「そういう説明が一切なしだったけどな。あんたが悪い人間とは思えなかったから、あっさりと信じたが」

「人徳の現れ、じゃな」

「梟ですけどね」

「ほほ、雀殿はやはり、チュンチュンと元気じゃの」

「そういうあなたはホーホーうるさいですけどね」

「あんた達、喧嘩ならよそでやってくれない?」

 二人の間で電流が流れ、バチバチとスパークしている映像が見えるようだ。遂に主人である深月が従者をたしなめ、俺は俺で御園を引き離そうとする。

 御園も、もうちょっと落ち着いた対応を取ってくれると思ったが、理不尽な悪口を言われることは許せないようだ。プライドが高いのは知能が高いとされる鳥類共通の特徴なのかもしれない。

「ごほん。とりあえず、この場はもう解散で良いわ。御園、で良いわね?あんたは今まで以上の警戒を本当にお願い。もう誰にも傷付けられて欲しくないから」

「もちろんじゃ。あやつ等、心を入れ替えた者共も総出で警戒に当たろう。もし見つけたら――そうじゃな。前とは逆に、わし等の方からお主等に連絡しよう。婿殿ではなく、姫君自らに連絡を入れるべきかの?」

「そうね。悠は大学に行ってる可能性もあるし、あたしは大体暇してるからそれで良いわ。……木樺は、電話取りたくないでしょう」

「姫様から仰せつかった使命であれば、それに従うのはやぶさかではありませんが」

「余計なトラブルは招きたくないから、あたしがもらうことにするわ」

 ……さすがに深月は賢明だ。手早く携帯を取り出し、御園に番号とアドレスの情報を渡す。ちなみに御園の携帯も前時代的な普通の携帯電話で、タッチパネルの携帯を持っているのは完全に深月だけだ。そろそろ俺も買い替えを考えているのだが、この一角だけを見るとまだまだ浸透していないみたいだな。皆、若者に区分される年齢だろうに。

「後、御園。あたしのことは普通に深月って名前で呼んでくれれば良いわ。従者でもない相手に姫様なんて呼ばせてたら、周りにどんな風に思われるかわからないもの」

「では、深月……と呼び捨てにするのも芸がないの。一つ、小粋な愛称でも付けてみようか」

「芸なんていらないけどね。呼ばれてすぐにわからない呼称なんて、そこのお前、とか呼ばれるのとそんなに変わらないし」

「ううむ、ベタにみっちゃんなどどうじゃ?」

「小学生の呼び名としてはパーフェクトかもしれないけど、高校生に相当する年の相手を呼ぶのには下の下ね」

「あいわかった。よろしくの、みっちゃん」

「……これは、小学生同然として扱われた、と考えて良いのかしら」

「冗談じゃ冗談。普通に深月と呼ばせてもらおう。深月と御園。互いに似た響きの、良い名ではあるまいか」

「“み”の音だけだけどね。まあ、よろしく」

 相変わらず御園の冗談はわかりづらいが、木樺さんとの会話に比べて、なんて和やかなのだろう。逆にどうしてあそこまで御園と木樺さんの反りが合わないのかが謎になって来る。

「月と園。名前の時点で天と地の開きがありますけどね」

「木樺さん。あなた絶対、話をややこしくさせるために、意図的に毒吐いてるでしょう」

「あら、相手を怒らせる意図もなく、毒を吐く者がいるでしょうか」

「いないでしょうね……」

 今回ばかりは御園も聞き流してくれたようだが、全く、ひやひやさせられる。

 木樺さんが本質的にひねくれ者のサディストで、御園が基本的には真面目で愚直な人だから険悪にならざるを得ないのかもしれない。まあ、木樺さんの暴言を深月や俺なら無視しきれるかと問われれば、答えはちょっと微妙なんだが。

「では、そろそろお暇しようかの」

「ああ。ウチの飯は……あんたには物足りないよな」

「健康的過ぎて、鉄分が足りなくなりそうじゃの。別に食わせてもらおう」

「人の生活に口出しするつもりはありませんが、肉ばかりではもれなく太りますよ。尤も、鳩でもないのに胸ばかり張っている乳お化けは、胸にしか脂肪が付かないようですが」

「……ほう、そういう護衛殿は、栄養がどこに行っているのかわからぬ体じゃのう」

「誰かとは違ってきちんとカロリー消費をしているので、余分な肉が付くことはありません。戦闘に脂肪は不要ですしね」

「ほほ、精々、米のついばみ過ぎで舌を切られんようにの」

「お望みとあらば、胸肉を切り落として差し上げますが?命の保障は出来ませんがね」

 もう立ちかけていて、このまま普通に帰ると思われたのに、いつの間にやらこの舌戦だ。もう深月も突っ込みを入れるのを諦め、俺の傍に避難して来る。

 思えば、最近は深月とこうしていちゃ付く……というのも変な表現だが、同じ部屋に住みながらもどこか疎遠だった。プレゼントの件もとりあえず片付きそうだし、これからはもうちょっと構ってあげたい。

「ねぇ、悠」

「どうした?」

「悠は、単純な胸の大きさと総合的なスタイルの良さ、どっちを重視するの?」

「……お前か御園か、って話か」

 個人名は出していないが、このタイミングにそんな質問をするのだから、ほとんど直球で訊いているようなものだ。……一応、やきもちってやつなのだろうか。

「だって、悔しいけどあたしの方が小さいし……」

「大きければ良いって話でもないだろ?後、俺は全く御園を女性として意識とかはしてないからな。そもそも、お前という先約があるのに、浮気なんてすると思うか?」

「ううん。そうよね。……でも、どうしても我慢出来ないなら、妾にしても良いわよ」

「…………冗談で言ってる?」

「まじ」

 どうやら、花鳥庵的には重婚はオーケーらしい。また一つ、鳥類の常識を知ることが出来たな。異文化コミュニケーションは順調だ。

 ……って、何を冷静ぶりながらテンパってるんだ。

「我慢出来ないって、お前、俺のことをどんな奴と思ってるんだ?」

「優しいけど、むっつり」

「まず、その認識を改めてくれ……優しい云々はお前が感じた通りで良いが、むっつりの件は奇跡さんと木樺さんの入れ知恵だろ」

「そ、それもそうね。そう、むしろ悠は奥手だわ。……もっと野獣になってくれて良いのに」

「だから、あんまり俺を困惑させるだけのことは言ってくれなくて良いからな」

 どうして俺はこう、年下の美少女と微妙な猥談をしているんだろう。それはやっぱり、深月がただの女の子じゃないからか?

 なんというか、恋人同士ならもっと普通の会話がありそうなものなんだが。そもそも結婚が前提で、今はその準備期間、という特殊な状況がそれを許していないのかもしれない。じゃあ、俺はいっそのこと結婚の話を早く進めて、宙吊りの状況を脱した方が良いのだろうか。

 いずれにせよ、今回の事件が完全に収束してくれないことには、平穏は訪れないだろうけどな。そのためには御園との連携は必要不可欠なのだが……。

「梟奥さん。時に、メタボリック・シンドロームなどという言葉はご存知ですか?」

「腹回りは太った覚えがないのだがの。そういうお主は、拒食症の気でもあるのかの?」

「ふふっ、バーカ」

「なっ、遂に語彙が尽きおったな!?率直な罵倒が一番頭に来ると、今学んだぞっ」

 ……この状況だ。

説明
昨日は投稿を忘れていました。ごめんなさい
次でラストとなります。前半の動きのなさ(よく言えばほのぼのな日常)から一転、後半は激しく動かそう、と当初から決めていました
古い話となりますが、時川〜は終始戦っていて、小休止的に日常がありましたが、どちらの方が良いでしょうか
最近のラノベの主流は、この鴉姫に見られる形だろうと思います。最後に大盛り上りを持ってくる、という手法ですね
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鴉姫とガラスの靴

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