外史の果てに 第一章 捨てる神あれば拾う女神あり(三)
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この世界に来て、初めての朝を迎えた。

 

人間の適応力とは凄いもので、一晩そこで寝てしまうともうそこが慣れ親しんだ場所のように感じられた。

 

続いて響くノックの音。

 

ちなみにこの世界にノックという行儀はなかったのだが、一刀がその意味などを伝えると司馬懿は快く受け入れてくれた。

 

そして今、一刀と司馬懿は現在街の中を闊歩していた。

 

仲達曰く、”少なくともこの世界で生きて行くのなら、実際に人を見て、物を見て、経験するのが宜しいと思います”だそうだ。

 

勿論、司馬懿に話を聞くというのも必要なのだが、ある程度街を歩いて浮かんできた疑問を片付ければ常識は身に付くという考えらしい。

 

「天の御使いなんて噂が広まるほどだから、どれくらい荒れてるのかと思ったけど…案外平和そうなんだね?」

 

早速、疑問に思ったので聞いてみる。

 

「それはきっとここを治めている曹操殿のお蔭でしょうね。

今の時代には珍しく不正を嫌い、民を思う厳しくも優しい人ですから。……ただ」

 

「ただ?」

 

「少々性格に難があると言いますか……」

 

言い濁す辺り言い辛いことなのだろうか。

 

まぁ確かに、ここを治めている人物のことを街中で噂するのは余り行儀が良いとは言えないだろう。

 

「それより北郷様、喉は乾いていませんか?実はお勧めの茶屋があるのです」

 

「ホント?じゃあ、案内して貰ってもいいかな」

 

「畏まりました」

 

自然と前を歩き出した司馬懿が、徐に一刀の手を握り駆け始める。

 

あまりはしゃぐようなイメージがなかったので驚いたが、その後で安堵した。

 

こんな乱世に生きる司馬懿でも、元の世界の年頃の女の子のような面を持っていることがなぜか一刀には嬉しく感じられたのだ。

 

 

 

 

 

 

茶屋に着いて一息入れる。

 

ふと思ったのだが、あの司馬懿とこんなにも自然と話せているというのは、実はもの凄いことなんじゃないだろうか?

 

色々なことが一気に押し寄せてきて忘れていたが、司馬懿といえば魏を天下へと導いた軍師の筆頭だ。

 

あの三国志で御馴染みの最強軍師である孔明とも知略で渡り合った数少ない天才軍師。

 

三国志を詳しく勉強したことがないので、それ以上のことは色々と抜け落ちているが、

きっと彼女はこれから魏を天下へと導く立役者となるのだろう。

 

「北郷様、お茶がきましたよ」

 

「おぉ、なんかいい匂いがする」

 

深呼吸をすると、茶葉独特の香りを感じられる。

 

暫く香りを楽しんでいたのだが、そこで彼女から向けられている視線に気づいた。

 

「あれ、もしかして俺、なんかマナー……いや、行儀悪いことしてたかな?」

 

「いえ…お気に触ってしまったらすみません。

ただ、殿方というのは香りなどを楽しむ風情がなく、茶が届けばすぐに飲んでしまう印象だったので…」

 

「この時代の人はそんなにがさつなのか……」

 

「しかし、北郷様はそのようなこともなくしっかりと香りを楽しんでいるご様子。

こうして味だけでなく香りや色も楽しんで頂けるのは、紹介した者として嬉しく思います」

 

笑顔で感謝を述べる司馬懿に一刀は見惚れ掛け、誤魔化すように茶を啜った。

 

「しかし、曹操…様はやっぱり凄いんだな。まだ魏を建国する前なのにしっかりと街を管理していて」

 

「北郷様の世界では曹操殿は有名なのですか?」

 

「何と言っても天下統一を為す寸前までいった人だからね。最後は病気で子供の曹丕が引き継いだんだったかな」

 

「では、この乱世を治めるのは曹操殿なのですね……」

 

「俺の時代ではね。ただ、俺の知ってる歴史じゃ仲達(呼称は字を呼び捨てにしてほしいと言われた)とかは男だったし、全部が全部その通りとは限らないんだよね」

 

「性別が変わってしまってるというのは興味深いですね。では-------」

 

そこから司馬懿の質問攻めに逢い、この日は陽が沈む前まで彼女の知的好奇心とやり取りをしていた。

 

これではどちらが何も知らないのか分からなかったが、一刀は彼女との会話がとても楽しかった。

 

自分の世界に少なくとも彼女だけは興味を持ってくれている。

 

そのことがとても嬉しかった。

 

 

 

「んー、お茶もそうだけど茶菓子も美味しかったなぁ」

 

「でしょう?是非、また一緒に行きましょうね」

 

憩いのひと時を終えて、店を出たその時だった。

 

「ど、泥棒っ!!」

 

叫び声の聞こえた方を見ると、何やら小包を脇に抱えて剣を片手に振り回している男が、こちらの方向に走ってきていた。

 

「どけぇ、どかねぇと殺しちまうぞっ!!!」

 

興奮しているのか、道行く人を押しのけて絶叫に近い声を上げながら走っている。

 

そして気が付けば逃げ惑う人々に押し出されるように、一刀と司馬懿は盗人の前にいた。

 

「どけっ!!こいつが見えねえのか…っと、こいつは丁度良いな。

そこの女、人質としてこっちに来い!!」

 

舐め回すように司馬懿を見た男は、下品な笑顔を浮かべながら剣をこちらに突き付けてきた。

 

「北郷様、私が人質になりますからその間にお逃げください」

 

男に気付かれないようにこっそりと一刀に耳打ちをしてくる。

 

”じゃ、お言葉に甘えて”なんて薄情な言葉を言える訳がない。

 

彼女は一刀をこの世界で生かしてくれている恩人だ。

 

いくら刃物が怖かろうと、そんなことを言われてはいそうですかと頷けるほど一刀は腐ってはいなかった。

 

「いやいやいや、流石にそれはできない相談だよ」

 

「私にも多少、武の心得があります。油断したところを取り押さえますので北郷様は----」

 

「おいっそこの兄ちゃん!!何コソコソ話してやがる?」

 

ならば話は早かった。

 

彼女にその心得があるというのなら、自分はそれを安全に行える為の道化となろう。

 

「じゃあ、俺が気を引くからその隙によろしく」

 

そう短く告げると、返事を待たずに一刀は男に向かって走り出した。

 

闇雲に突っ込む訳ではなく、司馬懿から遠い方向へ走り意識を逸らす。

 

男は一刀が捨て身で挑んで来たと思い、剣を構えるが一刀は走りながらそれを潜るように低い姿勢で足元へと突っ込んだ。

 

振り下ろされた剣が肩を浅く切り裂いたが、アドレナリンで昂ぶった今はそんな切り傷は苦にならなかった。

 

そして一刀が起き上がった時には、男は司馬懿に投げ飛ばされ周囲の人間に羽交い絞めにされてしまっていた。

 

 

 

”じゃあ、俺が気を引くからその隙によろしく”

 

そう言われ引き留めようと叫んだが、彼は聞き入れては…否、聞く耳も持たずに走ってしまっていた。

 

その背中を見た時、司馬懿の心はトクンと確かに高鳴った。

 

 

----司馬懿にとって、世界は退屈なものでしかなかった。

 

天才であるが故の孤独。

 

周囲と自分の間に出来る決定的な隔たり。

 

大人にも引けを取らないその頭脳は、この時代には……いつの時代にも疎まれた。

 

疎まれ、名家として生まれたこの身分が、他者との関係をより難しく複雑にしてしまった。

 

その彼女が今日まで孤独に埋もれずに生きてこれたのは、純粋に家族の温もりがあったからだろう。

 

周囲が気味悪がる頭脳を、母や妹たちは褒めてくれた。

 

家族があったからこそ、司馬懿はこうして今に至る。

 

そんな彼女が、初めて興味を持った相手が一刀だった。

 

この世界を知らない人ならば、自分と対等に接してくれるのではないか。

 

司馬懿は嘘を吐いていた。

 

確かに彼には聞きたいことがたくさんあったが、彼女が一刀を引き取った一番の理由は、

孤独であることに耐えられなくなったからだった。

 

まだ一日だが、それでも司馬懿は楽しかった。

 

家族の人間以外でこんなにも語り合ったのは久しくないことだった。

 

その彼に危険が及ぶのがどこか忍びなくて、万が一があったとしたらまた自分は一人になってしまう、そのことが怖くて。

 

そう思っての行動だったのだが……。

 

(殿方というのは、こんなにも想像を超えてしまう生き物なんでしょうか…)

 

左右に揺れながら走って行く所を見ると、男を攪乱させているつもりらしい。

 

素人だからこそ通用するが、もしも場数を踏んだ賊が相手であったなら……。

 

(目が離せませんね…傍に居なければ何をしてしまうか…)

 

内心溜め息を吐きながらどこか嬉しそうな司馬懿。

 

男一人ならば何ら問題はない。

 

一刀が隙を作ってくれたのだから尚更だ。

 

動揺した男に一息で踏み込むと、足払いを掛け剣を持った手を捻りあげる。

 

染み付いた動作は正確に身体が覚えていた。

 

後は周囲で見ていた者たちが今だと言いながら男を抑え付け、この騒動は幕を閉じた。

 

 

 

「上手く行ったね、というか仲達ってホントに強かったん-----」

 

「北郷様、血が!?」

 

一件落着と思い、のろのろと立ち上がった一刀に司馬懿が猛烈な勢いで駆け寄ってきた。

 

それはもう顔がくっ付くかと思うくらいの。

 

「ちょっと掠ったみたいだけど、これくらいなら多分すぐに治るよ」

 

実際、血は出ているものの痛みは左程感じていなかった。

 

ただあの世界から持ってきた唯一のものだったので、シミになるなぁ程度にしか思わなかった。

 

のだが…

 

「ち、仲達っ!?」

 

抱き着かれた。

 

抱擁された。

 

公衆の面前で、いきなり。

 

「ちょ、ちょっと状況が掴めないんだけど仲達?」

 

なんか凄い拍手とかされてるんだけど。

 

おい止めろって。

 

彼女凄い名家なんだぞ。

 

こんなことが親御さんに知られたら間違いなく-----

 

「決めました」

 

有無を言わせぬ気迫を感じた。

 

「北郷様、今後はこのようなことがないように私がお傍に控えさせて頂きます」

 

笑顔で言い放った彼女に対し、一刀は首を縦に振ることしか許されなかった。

 

----が、

 

 

「それは困るわね」

 

一刀が固まっていると、人を掻き分けたところに金髪の少女が現れた。

 

凛とした佇まいはどこか風格を思わせ、一刀は一目で彼女が噂の曹操であると分かった。

 

「あなたには私の覇道の支えになって貰う予定なのよ、仲達」

 

「お久し振りです……曹操」

 

溜め息と共に出た言葉が、彼女が曹操であることを示してくれた。

 

しかし、このやり取りは……。

 

「仲達って、もしかして曹操…様と知り合いだったの?」

 

「隠していた訳ではないのですが、誠に残念なことにその通りです北郷様」

 

苦虫を潰したような表情の司馬懿を見るのは初めてだったので、一刀は素直に驚いた。

 

呼び捨てということはそれなりに親しい仲なのだろうが、どうにも司馬懿の反応が宜しくない。

 

一刀の世界で言う、悪友のような関係なのだろうか。

 

「ところで仲達、その隣りの男は誰なのかしら?」

 

「彼は私の個人的な客人です」

 

「客人ね……その客人の傍に控えるなんて、そいつは相当な身分なのかしら?」

 

「個人的な客人ですから…貴女に教えるようなことはありませんね。

彼のお傍に身を置くというのも、私が個人的に望んでいることで司馬家は関係ありません」

 

あれ、なんかこれ、雲行きめちゃめちゃ怪しくなって----

 

「そこの貴方、一体何者なにかしら?」

 

ほらぁ……やっぱりきた。

 

「何者、とは?」

 

「仲達が人と居るということすら驚きなのに、彼女がここまで敬意を表する相手なんて…。

興味が湧いたわ、余程の狂人か、或いは妖術でも使ってるのか……」

 

「曹操、その発言は余りに無礼です」

 

司馬懿の中の何かに触れたのだろう。

 

取り敢えず、一刀は司馬懿を宥めつつも曹操の質問に答えることにした。

 

「あ、いや。良いよ仲達。えっと、俺は北郷一刀と言います。実は俺…私は南蛮の更に下にある国からやってきました。

しかし土地勘もなく行き倒れてしまったところを彼女に助けて頂いたのです」

 

「へぇ…南蛮ね」

 

嘘は言ってない。

 

彼女の嘘は許さないという威圧感から思わず本当の事を言い掛けたが、

折角仲達が御使いであることを隠してくれているのに、それを示唆するようなことを言う必要はないと思いなおった。

 

彼女も俺が一先ずは嘘を吐いていないと思ったのか、訝しげにこちらを見ながらも一応納得してくれた。

 

「取り敢えず、今はまだそういうことにしておきましょうか。

それより先に、盗人が出たという報告を聞いたのだけれど…貴方たちが片付けてくれたみたいね」

 

そこで曹操はなんとこちらに頭を下げてきた。

 

「えっ!?」

 

「こちらの警備の不手際とは言え、迷惑を掛けてしまったわね」

 

「こ、こちらこそ、お役に立てて何よりです?」

 

「なんで貴方が首を傾げるのよ」

 

クスっと笑った表情に、一刀はハッと息を呑んだ。

 

先程まであんなにも重苦しい空気だったのに、彼女が笑ったところでその空気が一瞬で軽くなった。

 

流石は曹操というべきなのだろうか。

 

「春蘭、警備の数を今よりもう少し増やしなさい。秋蘭はこの件の後始末をお願いね。

それと医者を呼んで頂戴。彼の治療をしてあげて」

 

後ろに控えていた二人の女性が、彼女の言葉に背筋を正し短く返事をしていた。

 

今のは恐らく真名というものだから、彼女たちにも別の名前があるのだろう。

 

「じゃあね、仲達。今回は手を煩わせて悪かったわね」

 

「お気になさらず」

 

「相変わらずツレないのね」

 

さして気にした様子もなく、曹操は来た道を戻ろうとしてくるりと一刀へ向き直った。

 

「あなた…北郷とか言ったかしら?」

 

「は、はい」

 

「面白いわね、あなた。無謀と勇気は違うけれど、迷わず盗人に立ち向かったのは評価できるわ」

 

「はぁ…」

 

生返事しかできず、一刀はポカンとしてしまっていた。

 

なぜか司馬懿と曹操の後ろに控える二人から驚きの視線を感じるが、一刀にはその驚きの意味が分からない。

 

「では、またいずれ機会があれば会いましょう北郷。私が男の名前を覚えるなんて、なかなか無いことよ?」

 

そう言って去って行く彼女の後姿を、やはり一刀はポカンと見つめるのだった。

 

 

 

 

 

説明
きょ、今日はこのくらいにしといてやるか…(震え声
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コメント
とっさに口から出たでまかせで正しくもないのに曹操に嘘は吐いてないと思われたのは何故でしょうか。思いっきり吐いてますよね?しかも南蛮の下って意味がわからない。南ってことですか?南蛮という国の更に属国ってことですか?曹操がさらっと流してくれるというのなら嘘もそれなりに作ってくれないと彼女を馬鹿にしていることになってしまいすよ。(PON)
XOPさん 一刀が言った南蛮の下というのはとっさに口から出た言葉ですね。出身地は正直どこでも良かった感じです。あまり厳密に作り込むつもりもなかったので。(あさぎ)
南蛮ではなく東夷でしょうに。それに『もっと下』という言い方は通じないと思いますよ。(XOP)
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