涙の向こうに微笑みを。 |
夜行列車に揺られて数時間。私は、懐かしい故郷の街に降り立っていた。
昨日の出発は急だったし、列車でも結局はほとんど眠れなかったから、疲れは全然抜けていなくて、だから足取りは重い。……いや、違うか。眠れなかった理由も、足が進まない理由も、本当はもっと別にある。
昨日、私の両親が大急ぎで伝えてくれたのは、とても信じられない、それこそまるで奇跡のような報せだった。
アルが、目を覚ました。
それを聞いたとき、私は思わずその場にへたりこんでしまった。ただ、ただ安心したのだ。そして、心底嬉しくもあった。だから、こうして今から逢いに行けることも、もっと喜んでいいはずだ。けれど、少し時間を置いた今となっては、喜びよりも何よりも、もっと大きな一つの感情が私の中に渦巻いている。
私はアルに、全てを話さなきゃいけない。もしこの日が来たらそれは絶対だと、ずっと前からそう決めていた。私がこの三年間にしてきたこと。仕方がないからと、クリスのためだからと、そんな風に自分を騙して、そして確かに重ねてきた、アルへの裏切りの全てを打ち明ける。そのときアルはなんて言うだろう。アルは優しいから、それでも私を赦してくれるんだろうか。アルは、――私は、それでいいんだろうか。
どれだけの間、そうして考え続けていたのか。気が付けば、私は目的地である病院にたどり着いていた。まだ朝早くだったからか、辺りに見える人影は少ない。けれど、時計を見ればすでに面会時間にはなっている。受付を手早く済ませ、アルの待つ病室へと進む。もう何度通ったのか分からないぐらいだというのに、今日は静かな廊下に響く靴音と、私の心臓の鼓動がやけに大きく感じる。確認しなくても分かる病室の名札を、それでもあえて確認したのは、少しでも気持ちを落ち着ける時間が欲しかったからかもしれない。
212号室、アリエッタ=フィーネ。
そこに書かれた文字は、壁の向こう側にアルがいることを告げている。あとはドアを開けるだけ。それだけなのに、それだけだから、そうするには相当の時間と、努力を必要とした。
何も今すぐに告げなくてもいいじゃないか。もっとアルが元気になってからでも。ふと、この期に及んでそんなことを考える自分がいることに気が付いて嫌になる。それどころか一周回って可笑しくさえあった。そして皮肉にも、そのことが私にドアを開く勇気をくれた。何を言おうが言うまいが、どうせ私は嫌な女なんだ。軽い自嘲とともにドアをノックし、決心が揺らがないうちに、返事も聞かずにドアを開けた。
そこには、アルがいた。ベッドから身体を起こして、こちらを向いて。ちょうどノックに返事をしようとしたところだったのだろう、彼女は一瞬だけ驚いたような顔をして、しかしこちらをしっかりと見て微笑んだ。
それは紛れもなく、私の良く知るアルだった。でも、違う。違うのは私だ。今の私には、そんな風に微笑んでもらう資格はきっとない、のに。
「――トルタ」
立ち尽くしたままの私の代わりに、アルが語りかけてくれる。それで、私は思わず鞄も放り出し、アルの許に駆け寄っていた。
「……アル。アリエッタ」
何とかその名前を呼んで、差し伸べられた手を握る。触れる肌は温かく、弱い力だけどしっかりと握り返してくれるのが分かる。その感触に涙を流しそうになって、何とかこらえた。駄目だ。私が泣いちゃ駄目。ここに来た理由を、果たさなくちゃ。
「私ね、アルに言わなきゃいけないことがあるの」
声が震える。それでも、言わなくちゃいけない。深く息を吐いて一度気持ちを落ち着ける。気休めにしかならなかったが、何もしないよりはましだ。そうして俯きかけた顔を上げると、アルがゆっくりと首を横に振るのが見えた。
「ううん、大丈夫だよ。心配かけたね。ごめん」
ちょっと困ったような、優しい笑顔。この笑顔が、これからの私の話でどうなってしまうのだろう。不安と罪悪感、悲しみに絶望。色々な感情が綯い交ぜになって、ぐるぐると私の中で渦を巻く。
「そうじゃない! アルが、姉さんが謝ることなんて何にもないの! ただ、私が――」
感情が抑えられず、どうすればいいのかも分からず、気付けば私は叫んでしまっていた。自分で何を言っているのかも分からない。これじゃきっと、もっとひどくアルを傷つけてしまう。でも、どうすればいいのだろう。なにもわからないまま、私がまた何かを言おうとする。
そのとき、不意にアルの右手が私の背に回された。何も言われないまま、ただそのまま抱き寄せられる。その力は悲しくなるくらい弱かったのに、どうしてか私は逆らうこともできなかった。アルの鼓動を強く感じて、力が抜けそうになる。それでも何か言おうとする私に、言い聞かせるように、なおも優しくアルが言った。
「違うの。分かってるよ、トルタの言いたいこと全部。私、見てたんだから」
見てた?
一瞬、アルが何を言っているのか良く分からずに、言葉を失ってしまう。それで少しは冷静になれた。……でも。アルはずっとここにいた。今にも起き出しそうな顔で、ここで眠っていた、それは私が良く知っている。なのに、何故だかその言葉は本当だと、何かに納得してもいた。
そして、アルはただ一言を重ねる。その一言で十分だった。
「今度は、トルタのおかげだよね」
それは、幼い私の精一杯の強がりに、応えてくれる言葉。それを聞いて、今までの全てが報われたと思った。良くは分からないけれど、アルは本当に私たちのことを見ていてくれて、全てを知った上でこうして話してくれているんだ。そう、信じることができた。
「――――姉、さん」
言葉がこぼれる。その続きは嗚咽にかき消されて言葉にならず、今度こそ涙が溢れて止まらない。きっと、そうでなくともこの気持ちは言葉にならなかっただろう。それでも、言葉にしなくてもお互いの気持ちはきっと伝わっている。
「トルタも、辛かったよね」
うん。
「がんばったよね。ありがとう」
うん。
「私の歌、ちゃんと聴いてくれたかな」
――うん。
「もう、大丈夫だから」
うん。
姉さんの言葉に心で答えながら、私は止め処なく涙を流す。頬を伝う雫は、今では温かく、愛おしいとさえ感じることができた。そして、思う。
私は、幸せになろう。もう今でも十分に幸せだけど、もっと、もっと望んでみよう。アルにだって負けないくらいに、そしてみんなで一緒に、幸せになろう。
だって。きっと私にも、もう冷たい涙《あめ》は降らないんだから。
Fin.
説明 | ||
シンフォニック=レイン、グランドフィナーレまでの作品全体に関する致命的なネタバレを含みます。ご注意ください。 ■S=Rはトルタの物語でもあると思うので、原作の構成としてはそこに触れないのが正解だとしても、グランドフィナーレ後の彼女がどうなったのだろうかというのは気になります。しかし何であれ、やっぱり彼女には幸せになってほしいと、そう思わずにはいられません。というわけで気が付いたら筆を執っていた次第。 | ||
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