フェイタルルーラー序章・宿命の双子
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 冴え渡る宵闇の中、一羽の大きな鳥が宙を舞っていた。

 

 夜に飛ぶ鳥がいるだろうか。黒いカラスは辺りを気にかけることもなく、ただ悠然と北の空を目指した。

 巨大な尖岩へ差し掛かったとき、それはゆっくりと旋回を始め、次第に高度を下げて岩の張り出しへと降り立った。

 

 カラスが降り立った先は石造りのバルコニーに見えた。巨大な岩と思われたものは内部をくり抜き加工された岩城だ。

 不意にバルコニーからカラスの姿が掻き消えた。元いた場所にはふわりと紙片が落ち、一人の男がそれを拾い上げる。

 

 びっしりと古代文字が書かれた紙片を懐へ仕舞い込み、男は城の内部へと歩み入った。

 

 黒曜石の床は男の靴音だけを反射し、廃墟のような城内に木霊する。

 長い廊下を抜け観音扉を押し開けると、そこには大広間と思しき空間があった。

 

 円形のドームを模した広間は灯りも無く、天井の崩落部からこぼれ落ちる月光だけが辺りを照らし出す。

 男の気配に気付いたのか、広間の奥から人影が歩み寄った。

 

「来たのか、マルファス」

 

 人影は男にそう呼びかけた。暗がりから現れたその姿は、青銅の杖をついた物腰の柔らかい老人だ。白く長い髭は足元まで届き、白髪もだらりと伸びている。身に纏う長衣は月光を反射して紫色に輝いた。

 

「お久しぶりです、グシオン師。あなたから呼び出しとは珍しい。四王国の建国以来ですね」

 

 マルファスと呼ばれた男は慇懃に挨拶を返した。老人グシオンとは対照的に若い彼は黒髪に黒いコートを羽織り、印象的なスミレ色の瞳だけが彼の経てきた月日を偲ばせた。

 

「あれからざっと五百年くらいでしょうか。今や存在している代行者は、僕とあなただけだ。『死』は消滅し『狂』は何処へともなく消え失せた。所詮我々は神から代行者として選ばれた存在。創世神に成り代わろうなどと、過ぎた妄想なのです」

「いいや、儂はまだ諦めていない。人間たちに四王国を建国させ、そこで我々代行者を新たなる神として祀らせる。この定義が間違いだったわけではない」

 

 そこまで言うとグシオンは言葉を切った。虚空を見つめ、独り言を呟くように心中を吐露する。

 

「儂は完全な神を造ってみせる。神の源となるものが信仰だとすれば、人間たちの思いが念の集合体となって、神へと昇華できるはずなのだ」

 

 憑かれたように笑う老人に、マルファスは憐憫とも取れる表情をした。

 

「そのような顔をするでないマルファスよ。『執』の代行者として儂はただひたすら己の執念のために存在してきた。それこそが我が喜びであり存在理由なのだ」

 

 不意にグシオンの背後にあるカーテンが動いた。マルファスがそちらへ目を移すと、一人の幼い少年の姿があった。

 血のような真っ赤な瞳に黒髪と黒い肌。そして尖った耳が人間ではない事を示してる。普通ではない子供の容貌に、マルファスは驚きを隠せなかった。

 何よりも彼を驚かせたのは、子供でありながら憎悪をたぎらせる、ぎらぎらしたまなざしだった。一体どんな扱いを受ければこのような目になるのか。

 

「あれは異形種……」

「左様。つい最近森で拾ったのだ。異形種こそ生まれついての選ばれし存在。儂はこの子供こそが『完全なる神』として君臨できると確信した」

「何を考えているのです。あれは破滅の相。関わる者全てに災禍の炎を撒き散らす。それはあなたすら例外ではない」

 

 冷え切った薄笑いを湛えるグシオンに、マルファスはどんな説得も通じない事実を悟った。

 

「あなたは僕にとって師のような存在。だからこそ最後の忠告と思ってお聞き入れ願いたい。あの子が異形種だから危険なのではない。生まれながらに闇を背負っているのです」

 

 マルファスの願いもグシオンには届くわけもなかった。

 妄執に駆られ、それを是として永らえてきたグシオンには、己の執着だけが全てだったからだ。

 

「必要とあらば僕がその子供を殺しましょう。『罪』の名を冠するこの身、今更どんな穢れも厭いはしない」

「もう決めた事なのだ。知識を与え、成長した頃にあの祭壇へと連れて行く。碑文の洗礼を受けさせるつもりだ」

 

 その言葉にマルファスは口をつぐんだ。

 

 碑文の祭壇。それは有限生命が、無限生命である代行者に生まれ変わる場所だ。気の遠くなる太古から存在し、誰が建てたものかすら知り得ない。

 おびただしい数の骸が転がる石床からは巨木がそびえ、いかに多くの人々を養分としてきたのかを物語っている。

 あの碑文に触れれば、九割九分死んでしまうだろう。マルファスはそう思い、それ以上の追求をしなかった。

 

「分かりました。これ以上は何も言いますまい。また会える日を願っています」

 

 それだけ言うとマルファスはグシオンに背を向け、元来たバルコニーへと歩き出した。

 足音響く廊下で、ただ得体の知れない不安だけが募り、彼はふと足を止めた。

 振り向けば背後には混沌とした瘴気が渦巻き、真っ黒なあぎとを開けている。

 

「念のために……神器を捜さなくては」

 

 バルコニーへ出るとマルファスは大ガラスを召喚し、その背に乗った。

 舞い上がると眼前には朝焼けた天空が広がり、白い明星がちらちらと明滅している。

 

「異形種とて人の子。家族の中で育てば、破滅の道を歩まずとも済むものを」

 

 マルファスの呟きは、身を切る夜風の中へと掻き消えた。ただそこにあるのは未来を憂う、導く者の姿だった。

 

 

 

 異形種の存在を知ってから数年間、マルファスは少年の親族を探し続けた。

 世界が崩壊する前兆と言われる異形種。その親族を探し当てるのは、神の代行者といえども骨が折れた。

 本題に入れば誰もが口をつぐみ、関わりないと門を閉ざす。そして探しているのは人間よりも警戒心の強い精霊人たちなのだ。

 

 ただひたすら探し続け、彼は一軒の屋敷を訪れた。いくつか点在する精霊人の集落では、この森が最後になる。

 小川を越えて緩やかな丘を登り、かろうじて道と分かる跡を辿りながらマルファスは進んだ。

 訪れる者も少ないのか往来もまるで無く、耳に届くのは風のそよぎだけだ。

 

 急に視界が開け、樫造りのがっしりとした屋敷が見えた。質素でありながら頑健に建てられ、百余年以上も風雨を凌いできたのが見受けられる。

 見れば小さな庭には、一人の少女が薪を割っている姿があった。男手が無いのか、両手でナタを振るいながら少しずつ割っている。

 

 マルファスは驚かさないよう、ゆっくりと少女へ歩み寄った。緩やかな蜂蜜色の髪は滑らかに肩から滑り落ち、昼の日差しに映えている。

 近付く足音に少女が振り向いた。尖った耳が陽の光を遮り、新緑の瞳が鮮やかにマルファスを捉える。

 

 少女の相貌にマルファスは息を呑んだ。かつて存在した伝説の美姫や、傾国の美女にも劣らない容姿だけではない。グシオンが連れていた異形種の少年に驚くほど酷似していたのだ。

 作業の手を止めると、少女はマルファスを見据えた。明らかに歓迎されていない。むしろ他人を寄せ付けない空気さえ感じるほどだ。

 

「あなた……誰?」

 

 警戒を解かず少女はマルファスに訊ねた。何も知らない者から見れば、彼は人間の若い男にしか見えない。

 精霊人も来ないようなこの地を訪れる人間など、いる訳もないのだ。

 

「僕の名はマルファス。異形種を探している」

 

 異形種という言葉に少女は反応した。体を硬直させ、その場に立ちすくむ。

 よく似た容姿、そして表情にマルファスは確信した。この少女こそ、あの少年の親族なのだ。

 

「どうか僕に力を貸してほしい。異形種の少年を破滅へと導く者がいる。キミが少年の血縁なら、まだ間に合う」

「……いいえ。もう手遅れよ。弟は両親を殺めて自由を得たの。そうさせたのは他でもない、わたしの父だから」

 

 双子の姉と名乗る少女シェイローエは、これまでのいきさつをマルファスに語った。

 異形種の出生を恥とし、幼い頃から監禁して来た事。ただ食事を与えるのみで、生かすつもりもなかった事。そうして生き延びた子が全てを憎んだ事を。

 

「弟が逃げる夜、わたしは偶然居合わせてしまったの。彼はわたしを見逃した。けれど生き残ってしまった者は、命の責任を背負わなくてはならない」

 

 人でいえば十一、二歳の少女の言葉に、マルファスは心を痛めた。

 

「双子として生まれながら、わたしは弟の存在を知らなかった。自らの存在が弟の犠牲で成り立っているなど、微塵も知らなかった。だからわたしには、この命を懸けても弟を止める責任があるの」

 

 シェイローエの秘めた決意を聞き、マルファスは心を決めた。

 

「ならばシェイローエ。よく聞いてほしい。キミの弟を代行者に仕立て上げようとしている者がいる。僕はそれを止めるつもりだ」

「代行者……。御伽話に登場する、神様の代理人」

「そう。この西アドナ大陸を創り上げたといわれている創世神、アドナの代行者だ。眠りについた神の代わりに大陸の管理をする者たち。僕はその一人でもある」

 

 膝をつき、シェイローエと同じ目線でマルファスは説いた。

 

「キミの弟はこの世の全てを憎んでいる。彼が代行者となり力を得てしまったら、必ず災厄を引き起こすだろう。だから捜してほしい。青白く輝く剣を」

 

 マルファスは懐から小さな紙片を取り出した。古代文字の描かれたそれを手のひらに載せ一言呟くと、紙片は小さな剣へと姿を変えた。

 

「この短剣によく似た剣があるはずだ。見た目は骨董品にしか見えないが、暗闇の中では淡く光を発する。僕ら代行者はこれを『神器』と呼んでいる」

 

 マルファスはシェイローエの手を取ると、小さなその手に短剣を握らせた。

 

「人のために造られた王器とは違い、神器は神が自らのために造り上げた物。今やどれだけ残っているのかは分からないけど、必ず役に立つはずだ」

 

 それだけ言うとマルファスは立ち上がった。そのまま去ろうとする彼に、シェイローエが声を掛ける。

 

「剣があれば弟を……シェイルードを止められるの?」

「恐らくは。神器の力は神にも等しい。神器であれば、神の眷属である代行者を倒せるかもしれない」

 

 最後の一言を、シェイローエは聞き取れなかった。

 

「もし彼が代行者となったら、最初にここを訪れる可能性がとても高い。そうなったら戦う覚悟をしてほしい」

 

 いずれまた会えるだろう、と聞こえた瞬間マルファスの姿が掻き消え、日差しを遮る影にシェイローエは空を見上げた。

 天空を優雅に舞う黒い翼がゆっくりと旋回し、何処へともなく飛び去って行く。

 

 手の中にある細身の短剣が熱を帯び、今あった事が夢ではないと気付かせる。

 短剣を握り締めたまま、シェイローエは飛び去る黒い影をただ見送り続けた。

説明
創作神話を元にした、ダークファンタジー小説です。4417字。

あらすじ・およそ千年前の西アドナ大陸は、四つの王国が割拠する争乱の世だった。
代行者グシオンの野心を知ったマルファスは、それを阻止するため森へと足を運び、一人の少女と出会う。
第一話http://www.tinami.com/view/543058
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タグ
オリジナル ファンタジー エルフ耳 

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