銀の槍、妖怪退治をする |
「……この程度で俺に勝とうなど百年は早い」
「ちくしょー! 覚えてろ!」
近くの野原で妹紅を返り討ちにした将志は、仕事を請けるべく仕立て屋に向かう。
すると、そこには何やら多くの人が集まっていた。
その人影は、都の役人の格好をしていた。
「……何事だ?」
将志は怪訝に思いながらも店主に話を聞くために店の中に入ろうとする。
すると役人の一人が将志に声をかけた。
「そこなもの、すまないが鑑 槍次と言う人物に心当たりは無いか?」
鑑 槍次とは将志が現在名乗っている偽名である。
それを聞いて、将志は首をかしげた。
「……その人物に何の用だ?」
「実はな、上皇様に仕えていた女官、玉藻前が白面金毛九尾の狐で上皇様の病の原因であったことが分かり、この度討伐軍を結成する運びとなった。それに槍次殿にも参加するようにと言う辞令が出ているのだ」
将志はため息混じりに首を横に振った。
「……鑑 槍次とは俺のことだが、何故俺が借り出されることになっているのかが分からないのだが?」
「何を申すか。鑑 槍次と言えばあの神懸りの槍兵、槍ヶ岳 将志の再来とも言われる腕利きの兵と町中で噂されているのだぞ。その話は宮中にも届いている。今までは得体が知れなかったゆえに声が掛からなかったが、此度は相手が相手だ。汝にも参加してもらうぞ」
役人はその神懸りの槍兵本人を目の前にしてそう言い放った。
それを聞いて将志はため息をつく。何故なら、この妖怪退治は普段のものとは訳が違うからだ。
普段、将志はどんなに危険な相手であろうと、妖怪退治の依頼は単独で受けることにしている。
何故なら、将志は依頼された妖怪退治の仕事はその全てを討伐しているわけではないからである。
何故討伐の依頼をされるに至ったか、何故そのような行動を取ったのかを詳しく調べて妖怪当人と話し合い、交渉が成功すればそれに乗っ取った行動を取り、気がふれていたり決裂した場合のみ退治するというスタンスを取ってきたのだ。
しかし、今回はそうではない。
討伐軍という大勢の他者が居る中で働かなければならないのだ。これでは交渉など出来はしない。
将志には話を聞く限りでは、玉藻前が何故上皇を病に煩わさせたのかが分からない。更に女官として仕えていたと言う事実から、気がふれているとも考えられない。
将志がどう考えようとも、単独で交渉したほうが上手くいきそうな相手なのだ。
だが、それももう遅い。
既に軍が編成されてしまっている以上、将志はそれに従うしかない。
単独先行などしてしまえば、今度は自分に周囲の目が向き、自らの周囲にまで手が回ってしまう恐れがある。
主の身の安全を一番に案じる身として、それだけは避けなければならないのだ。
「……良いだろう、その依頼引き受けよう。ただし、条件がある。俺は今回、殿にしか付かない。それでも良いなら引き受けるとしよう」
将志は額に手を当てながらそう答える。
すると、役人は眼を見開いて驚いた。それも当然、殿とは軍が崩れて敗走するときに勢いのある相手の攻撃を抑えるという、もっとも危険な役割なのだから。
「良いのか? 相手は白面金毛九尾の狐、押しも押されぬ大妖怪なのだぞ?」
「……なに、俺も仕事柄妖怪退治をこなしている。そのような強者ならば、命を懸けるには相応しい相手だとは思わないか?」
将志はあえてニヤリと笑いながら役人を見やった。
役人はその将志の常人から少し外れた瞳を見て、思わず後ずさった。
「……ま、まあ良い。そういうことだ、汝にはこれから宮中に来てもらう。付いて来い」
「……ああ。では主人、行って来る」
「ああ。せいぜい稼いで来い」
将志は店主と軽く挨拶を交わすと、役人の後について行くことにした。
将志は宮中にて司令官から作戦の説明を受けた。
幾ら名が知られているとはいえ、将志はここでは一兵卒に過ぎないので話を聞くだけである。
司令官の話を聞きながら周りを見回すと、そのほとんどが武装した武官達だった。
「(……無謀な)」
将志は内心でそう呟いた。
何故なら、相手は妖術を使ってくると言うのに、揃えている駒はほとんどが何の対策も取られていない武官であるからだ。
これでは、妖術で惑わされて同士討ちになるのが眼に見えているのだった。
「(……どうすることも出来ないか……)」
もちろん、将志が守護神としての力を発揮すれば妖術を防ぐことが出来る。
しかし神と妖怪を平等に扱わなければならない立場である将志には、当人達が持つ信仰に応じた力しか振り分けることが出来ない。
よって、将志はあくまで人間の一兵卒としてこの戦に参加しなければならないのだ。
将志は憮然とした表情で作戦の概要を聞く。話が終わると、司令官の号令と共に周囲の武官が鬨の声を上げた。
将志はただその様子を冷ややかな視線で眺めるのだった。
場所は移って那須野の平原。
そこでは、阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられていた。
将志の懸念どおり、狐の妖術によって惑わされた武官たちが同士討ちを引き起こし、軍は総崩れになったのだ。
「このままでは持たん、撤退するぞ!」
「ひぃぃぃぃ!! おいて行かないでくれ!」
「ぎゃあああああ!!」
悲鳴と怒号がそこらじゅうに響き渡る。
我先にと逃げ出す者を、操られた者が次々と斬り殺していく。
もはや他人のことを気にする余裕のあるものは一人も居なかった。
「……頃合か」
そんな中、将志は動き出すことにした。
逃げ惑う兵士達の中を掻い潜り、まっすぐに九尾の狐の下へ向かっていく。
「おおおおおおおお!!」
「……ふっ!」
「ぐっ……」
襲い掛かってくる操られた兵を、将志は手にした槍の一突きで沈める。
九尾の狐に近づくにつれその数は増えていき、将志はそれらを全て倒していく。
将志の通った後には操られていた兵達の骸で道が出来、最後には戦場に立っているのは将志だけとなった。
「……すまない」
将志は眼を閉じ、自らが手にかけた兵士達の冥福を祈る。
ふと、将志は近づいてくる気配を感じて顔を上げる。
やがて、目の前に青白い狐火が見えてきた。その中心には、美しい黄金色の体毛の九尾の狐が立っていた。
「……しぶとい奴だな。さっさと滅びるが良い!」
九尾の狐は現われるなり将志に妖術を放つ。将志はそれを躱し、九尾の狐に近づいていく。
「……戦いの意志は無い。俺はお前と話をしにきた」
将志は槍を下ろしたまま近づいていく。
「そんな戯言を信じると思うか!」
しかし、九尾の狐は構わずに妖術を放ってくる。
将志はそれを避けながら、ため息をついた。
「……そうか。ならばこれでどうだ?」
将志は手にした漆塗りの柄の槍を地面に突き刺した。そして背負った銀の槍の布にすら手を掛けることなく、手ぶらのまま再び歩き出した。
そのあまりに異様な行動に、九尾の狐は酷く驚いた。
「く、来るな!」
九尾の狐は後ずさりしながら妖術を放つ。青白い狐火が将志を取り囲み、一斉に襲い掛かる。
「……どうした、そんなにおびえることは無いだろう? 俺は話がしたいだけなのだが……」
将志はその間をすり抜けながら更に近づいていく。
その様子に九尾の狐は恐怖した。
自らが大妖怪であるという自覚はある。
しかし目の前の得体の知れない存在はそんな自分におびえることなく、しかも自分の攻撃をものともせず近づいてくるのである。
それもあろう事か、武器すらも捨ててこちらに向かってきているのだ。
目の前の光景が信じられず、九尾の狐は恐慌状態に陥った。
「くっ、来るな来るな来るな!!」
九尾の狐はがむしゃらに妖術を放ちながら後ずさっていく。
しかし将志はその妖術を次々に避けていき、どんどん近づいてくる。
「……っ!? しまった!?」
気がつけば、九尾の狐は平原の傍にある森にまで下がっていた。
背後には大きな柿の木が立っていて、彼女にはそれが巨大な壁のように見えてパニックを引き起こす。
退路が無くなった九尾の狐に、将志はどんどん迫っていった。
「……くっ!」
九尾の狐は思わず眼を瞑った。目頭には涙が浮かび、歯は強く食いしばられていた。
しかし、自らの最期を覚悟していた九尾の狐を待っていたのは、優しい抱擁だった。
「なっ!?」
「……怖がることは無い。先程も言ったが、俺はお前と話がしたいだけだ」
将志は怖がる狐に優しく声をかけ、なだめる様に背中を撫でた。
強張っていた体から、どんどん力が抜けていく。気がつけば、九尾の狐は将志に身を委ねていた。
しばらくして、相手が落ち着いたことを確認して将志は身体を離した。
「……落ち着いたか? これで、こちらに敵意が無いことを信じてもらいたいのだが……」
将志がそういうと、九尾の狐は一つ頷く。
そして、狐の状態から美しい女性の姿へと形を変えていった。
「……ああ。敵意が無いのは認める。戦いで武器も持たずに敵に抱きつくような馬鹿はいないだろうからな」
女性は毒気を抜かれた表情で将志に答えた。
それに対して、将志は一つ頷いた。
「……助かる。名は玉藻前で合っているか?」
「ああ。確かに私が玉藻前だ。お前は何と言う名前だ?」
玉藻前に尋ねられて、将志は少し考えた。
「……俺の名前は鑑 槍次と言う。これから話を聞きたいのだが、いいだろうか?」
将志はあえて本名を名乗らなかった。
何故なら玉藻前が将志のことを知っていた場合、萎縮してしまう恐れがあったからだ。
「……話とは、何だ?」
「……お前が何をしたのかを大体は聞いた。だが、俺にはどうにも腑に落ちない部分が多すぎる。それについて、話が聞きたい。……何を思ってそんなことをしたのか、聞かせてもらえるか?」
将志がそう問うと、玉藻前は俯いた。
「話せば長くなるが、良いか?」
「……構わん。その代わり、全てを聞かせて欲しい」
将志は玉藻前の眼を正面から見据えてそう言った。
すると、玉藻前は静かに話し始めた。
「……私は妖狐として生まれ育った。日々を生きるために力を付け、周囲を蹴散らし、ただがむしゃらに生きていた。馴れ合いなど存在しない、弱肉強食の世界だった……だが、人間の姿に化けられるようになって、それも変わった。皆が私に優しくしてくれたのだ」
そこまで話すと、玉藻前の頬が緩んだ。
「ただひたすらに嬉しかった……私が笑えば周りも笑った。みんなが私を笑わせたくて色々してくれた。時の王すら私を笑わせようと必死になった。私はそれが嬉しくて仕方なかったし、楽しかった」
当時を懐かしむように話す玉藻前。
しかし、その瞳の奥には隠しきれない悲しみがあった。
「……でも、上手く行かなかった。私の妖気に狂った王は暴政を布き、国を滅ぼした。そして私が妖狐であることが明るみに出て、私は追われることになった。……あの時は悲しかった……一夜にしてすべてが崩れ去ってしまったのだからな……そのとき、私はもう人間には関わらないと誓った」
そう話す玉藻前の表情は泣きそうな表情であった。
その表情が、当時の強い悲しみを想起させた。
「……だが、それも無理だった。一度人の温かみを知った私には、再び孤独に戻るのが耐えられなかった。だから、私は二度と失敗しないようにあらゆる手を尽くした。あらゆる学問を習得し、社会を学び、妖気の扱いも散々に練習した……」
一つ二つと頬に涙の筋が走る。
そして次の瞬間、玉藻前は感情を爆発させた。
「それでも駄目だった!! どんなに努力をしても私は妖怪でしかなかった!! 私を愛してくれた人は妖気のせいで病に伏せ、私はまた妖怪として追い出された!! 何で!? 何で私はいつも上手く行かないんだ!?」
泣きじゃくりながら玉藻前はそう叫んだ。
将志はその悲痛な叫びをただ黙って聞き入れると、ポツリとこぼした。
「……愛を知り、愛を求め、愛に溺れた末の結末か……」
将志は玉藻前の肩に優しく手を置いた。
将志には、目の前の妖狐の悲しみがどのようなものか漠然と理解したのだ。
何故なら、その悲しみは己が主が感じていたものと非常に良く似ていると思えたからだ。
将志は眼を伏せ、静かに口を開いた。
「……俺にはお前の気持ちが分かるとは言えん。ただはっきりわかるのは、お前は何も悪くないということだけだ。後はただ慰めることしか出来ん。許せ」
「ぐすっ……今の話、信じるつもりか?」
その言葉に玉藻前は鼻をすすりながら将志に問いかける。
将志は、玉藻前の涙を指で拭った。
「……確かに、話の捏造など幾らでも出来るし、上手い者ならそのような演技も出来るだろう……だが、嘘を吐くにしてはお前の眼は綺麗過ぎる。だから、他の誰が信じなくとも俺はお前を信じる」
将志は玉藻前の眼を見て力強く断言した。
「うっ、うぐっ、うわああああああああ!」
玉藻前はその場で泣き崩れた。
それを見て、将志は何も語らずにそっと肩を抱きしめる。
すると玉藻前は将志の小豆色の胴着の裾を掴んで泣きついた。
大声で泣き叫ぶ玉藻前を、将志は気が済むまで泣かせてやることにした。
「……っ!?」
しかし玉藻前が泣きついてしばらく経った頃、突如として将志がその場に崩れ落ちた。
「……え?」
突然の出来事に、玉藻前は泣くことも忘れて呆然とした面持ちで目の前に倒れた将志を眺めた。
よく見ると将志の頭にはコブが出来ており、足元にはまだ青い柿が転がっていた。
「…………」
玉藻前は倒れた将志を前に思わず考えた。
まさか頭に柿が当たった程度で気絶した、いやあれほどの猛者がそんなことで倒れるはずが無い。
頭の中で思考がぐるぐると回転を始める。
そしてしばらく考えた結果、
「……んしょっ」
とりあえず持って帰ることにした。
* * * * *
「んしょっ……」
肩に担いだ鑑 槍次と名乗った男を自分がねぐらにしている小屋の寝台に寝かせる。
槍次は完全に気を失っていて、当分起きる気配が無い。
私は槍次の槍と背負っていた赤い布に巻かれた長物を壁に立てかけ、槍次の看病をすることにした。
「…………」
槍次は静かに眠り続けている。
よく見てみれば、妙に達観したその言動に対してその精悍な顔付きは非常に若々しく、異常なまでに整っている。
眼は閉じられているが、その黒耀石のような瞳はどこまでも澄み切っていて、力強い光を放っていた。
銀色の髪は落ち着いた色をしていて、触ってみると心地の良い肌触りがする。
私は槍次の髪から指を滑らせ、頬を伝わせ、唇をなぞった。
思い出されるのは先程この口から発せられた言葉。
「他の誰が信じまいが俺はお前を信じる、か……」
恐らくこの言葉に偽りは無いだろう。
だって、あんなにまっすぐな澄み切った眼で私を見ていたのだ。
何故槍次がそんな眼を出来るのかはわからないが、とにかくそんな奴が嘘を吐くとは思えない。
少し自分の中で美化されている気もするが、それでも人の眼をまっすぐに見て嘘をつくような奴では無いはずだ。
嘘を吐いたのは恐らく自己紹介の名前くらいだろう。
「……ふふっ」
私は緩んでしまう頬を抑えきれなかった。
何しろ、槍次は誰が相手であろうと私の味方になると言ってくれたのだ。
それも、私が妖怪であると言うことを知っているにもかかわらずである。
今まで妖怪だと知れるたびに全てを失ってきた私にとって、これほど嬉しいことは無い。
槍次が何者なのかは分からないが、そんなことは些細なことだ。
「よっと」
私は槍次の眠っている布団にもぐりこむことにした。
布団には槍次の体の熱が伝わっていて、暖かい。
私はその暖かさの中で、先程の抱擁を思い出した。
槍次の抱擁はぶっきらぼうな口調に反してとても優しく、思わずしがみ付いてしまった。
今思うと気恥ずかしいが、それでも思い出すだけで胸の奥が暖かくなるのを感じた。
「……失礼するぞ……」
私は槍次の服を肌蹴させ素肌をさらし、その胸に耳を当てた。
頬に槍次の体温が直接伝わり、鼓動が聞こえてくる。
それはとても心地よく、穏やかな気持ちにさせてくれる。
その状態のまま槍次の顔を見ると、穏やかな表情で眠っていた。
それを見て、私の胸中に何かこみ上げてくるものがあった。
――愛おしい。
今まで何度も感じてきたもの、間違えるはずが無い。この気持ちはそういうものだ。
だが、居ても立ってもいられなくなるほどまでに強いのは初めてだ。
何故かなど知らないし、知る必要もない。
今度こそ上手くやってみせる。
さあ、そのために今は休もう。
疲れた頭では考えもまとまらないだろうからな。
私は槍次の頬をそっと撫で、彼の体温と鼓動を感じながら眠りに就いた。
* * * * *
将志が眼を覚ますと、そこにあったのは知らない天井だった。
自分の身体には布団が掛けられており、どうやら気絶していたらしいことが分かった。
更に、胸の上に何やら重みを感じる。
「……すぅ……」
首を起こして見てみると、そこには安らかな寝顔の玉藻前が居た。
いつの間にか胴着は肌蹴られており、心臓の辺りに耳が置かれている状態であった。
更に九本の尻尾が将志に巻きついていて、動くに動けない状態だった。
「…………」
将志は何も言わずに再び横になる。
抱きつかれるのは慣れているので、将志は特にそれに関して思うことは無い。
「……ふっ……」
ため息をつく将志の胸中は複雑だった。
人の温かみを知り、それを失う。その境遇が、己が主の境遇とどうにも被って見えるのだ。
だとすれば、主の悲しみは如何ほどだったのか?
「(……いや、それよりも玉藻前をどうするかだ)」
将志は思考を切り替え、今後のことを考えることにした。
玉藻前はもう人間の社会に戻ることは出来ない。
受け入れるとするならば妖怪の社会になるのだろうが、そこにも懸念事項がある。何故なら、銀の霊峰や妖怪の山では玉藻前を受け入れることが出来ないと将志は考えているからだ。
銀の霊峰では、参拝客に見つかった際に討伐軍が送られることになる可能性がある。そうなってしまうと、芋づる式に霊峰の他の妖怪達まで討伐されてしまう可能性があるのだ。
妖怪の山の場合、既に高度な社会体制が組み上がっていることが最大の難点となる。力の弱い妖怪ならば何事も無く紛れ込むことも出来るが、それを行うには玉藻前の力は強すぎるのだ。
「……どうしたものか……」
将志は思わずそう呟いた。
すると、胸元で眠っていた玉藻前がもぞもぞと動き眼を覚ました。
「ん……おはよう、槍次」
「……気分はど、んっ!?」
将志が玉藻前に今の気分を尋ねようとすると、いきなり口を塞がれた。
玉藻前の腕は将志の首に回されており、口を塞いでいるのは柔らかい唇である。
突然の行為に将志が硬直していると、玉藻前は将志の唇をチロチロと舐め始める。
その段階に至って、将志は何とか冷静さを取り戻して玉藻前を唇から引き剥がした。
「ふふっ、少し乱暴すぎたかな?」
「……何のつもりだ?」
将志の上で楽しそうに笑う玉藻前に、少し頬を赤く染めた将志はそう問いかけた。
「なに、ちょっとした愛情表現だ。しかしこの程度で赤くなるとは、意外と初心なんだな、槍次は」
「……そんなことはどうでもいいだろう」
からかうような玉藻前の言葉に、将志は拗ねた表情で顔を背けながら答える。
そんな将志の頬を玉藻前は愛おしそうに撫でる。
「……こうしてみると結構可愛いな、槍次は」
「……それよりも、先に話し合うことがあるだろう? お前はこれからどうしたいのだ?」
「叶うのならば、私は槍次と共に居たい」
将志の目をまっすぐに見据えて玉藻前はそう言った。
それを聞いて、将志は首を横に振った。
「……すまないが、それには応えられん。こちらとしても事情があるのでな。その代わり、お前が落ち着くまでは俺が支援するとしよう」
将志は玉藻前の要望にそう言って眼を伏せた。
それを聞いて、彼女は残念そうに俯いてしまった。
「そうか……そういうことなら仕方がない。それで、他に私の行く先に当てはあるのか?」
「……あると言えばあるが……ん?」
将志が答えようとすると、突如として小屋の中に新たな気配を感じた。
しばらくして、何もない空間が裂けて中から紫を基調としたドレスを着た女性が出てきた。
「やっほ、将志。調子はど……う……?」
紫は将志に声をかけようとして固まる。
その視線の先には布団の中で横になっている将志がいる。ただしその着衣は乱れている上に、将志の上には見知らぬ女が乗っているのだ。
その結果、紫の頭の中ではよからぬ妄想が繰り広げられることになった。その内容を具体的に言えば、男と女が絡み合う例の行為である。
「……紫?」
硬直している紫に、将志は声をかける。すると、見る見るうちに紫の顔は茹で上がっていった。
「ご、ごごごごゆっくりどうぞ!!」
「あ、待て! それは誤解だ!」
紫はそういいながら大慌てでスキマの中に引っ込んでいく。
将志は紫が何を考えたのかを察して引きとめようとするが、間に合わない。
その様子を見て、玉藻前はくすくすと笑った。
「そうか、お前の本当の名前は将志と言うんだな。いい名前だ」
「……気が付いていたのか?」
「ああ。将志は自分の名前を言うときだけ私から眼を逸らしたからな。偽名ではないかとは思っていたよ」
本名を聞けて嬉しそうに笑う玉藻前。
それを見て、将志はため息をついた。
「……まあいい、改めて名乗ろう。俺の名は槍ヶ岳 将志。変わり者の槍妖怪だ」
「妖怪? 妖怪が私を助けたのか?」
「……ああ。妖怪も孤高の存在ではない。妖怪の中でも、人間のような社会を小規模ながら作るものが居る。俺はその一つに所属している」
怪訝な表情を浮かべる玉藻前に、将志はそう説明する。
実は、妖怪の山や銀の霊峰のようなコミュニティを持つ妖怪はそう多くはない。
むしろ、自分勝手に行動する者の方が圧倒的大多数を占めるといっても過言ではない。
玉藻前がその存在を知らなくても不思議ではないのだ。
「……そうか。つまり私をその妖怪の社会に迎え入れると言うわけだな?」
「……そういうことになるな」
玉藻前は将志の言葉からそう解釈し、将志はそれを肯定する。
玉藻前は頷いていたが、しばらくすると急に表情が変わった。
「……ところで、今さっきの女は誰だ? 人間ではなさそうだし、将志のことを知っている様だったが……」
玉藻前は将志の頭を抱え込み、真正面からその黒耀の瞳を覗き込んだ。
嘘をつくことは許さない。彼女の瞳は何よりも雄弁にそう告げていた。
「……俺の知り合いの一人で、今回のお前の受け入れ先の当てだ」
玉藻前の質問に、将志は深々とため息を吐きながら答えを返した。
将志の頭の中ではどうやって誤解を解くべきかと言うことを考えていたが、そこでとあることに気がつく。
「……ところで、いつまで俺の上に乗っているつもりだ?」
「……もう少しだけこうさせて欲しい」
将志の問いに玉藻前はそう言って答えた。
腕は首に回され、九尾は将志の身体を包み込むように巻きつく。
その後もう少し、もう少しと延長され、結局一刻ほどその状態が続いた。
しばらくして再び紫が現われたので、将志は事情を説明した。
紫は話を聞くと、しばらく考えて結論を出した。
「なるほどねえ……確かに私のところが一番無難ね。貴方のところは少し人間に知られすぎているもの」
「……頼めるか?」
「ええ、良いわよ。もうそろそろ人手が欲しくなってきたことだしね。……ところで一ついいかしら?」
「……何だ?」
「……その子は何で将志にくっついているのかしら?」
「……む?」
紫の視線の先には、将志の腕に抱きつき尻尾まで巻きつけてべったりとくっついている玉藻前の姿があった。
それは、もう二度と放すかと言わんばかりのくっつきぶりだった。
「……誰かに抱きついていたほうが安心するのではないのか?」
「……そうね、そういえば貴方はそういう人だったわね」
将志の返答にがっくりと脱力する紫。
色の話は苦手なのに、周囲のせいで妙な免疫のついている将志であった。
「……とにかく、玉藻前を受け入れると言うことで良いのだな?」
「ええ、その子がよければの話だけれどね」
その返答を聞いて、将志は玉藻前の方を向いた。
「……だそうだ。後はお前次第だ。俺も紫もしばらくはここに居る。紫とも話をして、ゆっくり考えるが良い」
将志はそういうと玉藻前から離れ、赤い布に包まれた銀の槍を手にとって小屋の外に出た。
いつもどおりの鍛錬を終えて小屋の中に戻ると、どうやら話はまとまったらしく、紫と玉藻前は雑談に興じていた。
将志は銀の槍に赤い布を巻き、背中に背負う。
「……話はまとまったのか?」
「ええ、まとまったわよ。だから今は女誑しについての話をしていたのよ」
「……む?」
若干ジト眼混じりの紫の視線に、将志は首をかしげた。
この男、自分に対する婉曲表現というものが全く通用しない。
「……それで、どのような話にまとまったのだ?」
「この子を、藍を私の式にしてうちに住まわせることになったわよ。うちなら人間の目にはつかないし、安心して暮らすことが出来るわ」
「そういうわけで、紫様から名前を賜ったので改めて自己紹介をさせてもらおう。玉藻前改め、八雲 藍だ。よろしく頼むぞ、将志」
「……ああ」
藍の自己紹介を聞いて、将志は頷いた。
「……それで、式にするとはどういうことだ?」
「それについては私の要望だ」
将志が紫に質問を続けると、藍から声が上がった。
将志はそちらのほうを向いた。
「……何故だ?」
「何も式になると言うことは悪いことばかりじゃない。情報の共有が出来るし、遠く離れていてもすぐに連絡が取れる。それに何よりも、主の力が強力ならば命じられたことには自分の全力以上の力を発揮できるんだ」
「……なるほど、本人が納得しているのなら俺から何も言うことはない」
「こっちには色々と言いたいことがあるんだけどな?」
淡々と答えを返す将志に、藍が少し不貞腐れた表情でそう言った。
それを聞いて、将志は首をかしげた。
「……何だ?」
「将志、妖怪どころか神だったんだな。おまけに妖怪としても銀の霊峰と言う一組織の長なんだって?」
「……肯定しよう。確かに俺は建御守人と言う神の端くれであり、銀の霊峰の長になっている。それがどうした?」
藍の問いかけに、将志はそう言って頷きながら切り返す。
それを受けて、藍は拗ねたように言葉を紡いだ。
「私は自分の事をお前に教えたのに、お前は自分の事をみんな隠していたじゃないか。不公平だと思わないか?」
「……一理あるな」
「それだけじゃない。組織の長と一柱の神でありながら、仕えている主が居るとはどういうことだ?」
藍は強い力の篭った視線を将志に向けながらそう尋ねる。
どうやら藍にとっては先程のことよりも、このことの方が余程重要なことであるようであった。
それを聞いて、将志は額に手を当ててため息をついた。
「……話が逆だ。主に仕えたのが先で、長の立場も神としての力も後からついてきたものだ。例えこの先どうなろうとも、俺が主の従者であることは変わることは無い」
将志はそういうと、壁に立てかけてあった漆塗りの柄の槍を手に取った。
「もう行ってしまうのか?」
「……ああ。少しばかり時間を掛け過ぎた。帰ってやることが山ほどあるのでな」
名残を惜しむ藍に、将志はそう言葉を返した。
そして外に出ようとすると、再び藍から声が掛かる。
「将志! 帰ったら、お前のご主人様に宜しく言っておいてくれ!」
「……? ああ、伝えておこう」
将志はどこか不敵な笑みを浮かべる藍に首をかしげながら、小屋を後にした。
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今日も今日とて依頼を受ける銀の槍。今度の依頼は、何やら大事のようである。 | ||
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愛にはぐれ、愛を憎み、愛を求める……ですね。藍の恋心に関しては……まあ将志ですし;; 後誤字修正しました。(F1チェイサー) 白面金毛九尾の狐改め、八雲藍初登場。その境遇を読んでると、何故かGARO第一期のOPが脳裏に浮かんでくる…。しかし、初登場から恋焦がれる女全開だなぁ…。尤も、将志には、殆ど通じてないだろう。それと誤字報告。誤:〜しかも自分の攻撃をもろともせず近づいてくるのである。正:〜しかも自分の攻撃を「ものとも」せず近づいてくるのである。(クラスター・ジャドウ) 神薙さん:男キャラを出す予定はありますのでご安心を。でも、その前に何人女性キャラが出てくることやら……(F1チェイサー) また増えた…どれだけ周りに女を増やせば気が済むんでしょうね…?そろそろ同年とまではいかなくても対等な年齢と実力を持った男キャラが居ないと危ない気がしてきた…。(神薙) |
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