フェイタルルーラー 第一話・流転の姉弟
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一 ・ 流転の姉弟

 

 鬱蒼とした森の中を、二つの影が疾走していた。

 

 まだ日は高いというのに辺りは暗く、肌寒ささえ感じさせる。先頭を走る少年の腰からは長剣が下げられ、走るたび軽い金属音を立てた。

 二人は脇目も振らず、何かから逃れるように必死に走り続けた。時折少年が探るように背後を振り返るのみだ。

 

 フードからは白金色の髪が見え隠れし、十三歳前後に見える外見とは裏腹に、彼の瞳は湖底のような凍てついた冷たさを放っている。

 深く昏いそこには、年相応な明るさは微塵も無い。

 

「姉さん。あいつが追って来ている」

 

 息を切らせながら、少年はもう一人の影へそう呟いた。

 姉というからには女性なのだろうが、その姿は男性の着衣を身に纏っている。フードに覆われた頭部からは、緩やかに波打つ蜂蜜色の髪がこぼれ落ちていた。

 

 長い時間走り続けていたのか、姉弟はふらつきながら足場の悪い獣道を踏みしめた。

 彼らの背後には何も見えない。ただそこにはどす黒い暗闇があるだけだ。

 

 ひたすら走り続け、とうとう姉弟はがくりと膝をついた。息は切れ、心臓は激しく鼓動を打つ。

 このままでは追いつかれると、姉は覚悟を決めた。足を止め、蜂蜜色の髪をなびかせて弟へと振り返る。緑柱石を思わせる瞳は、青白い顔の弟を映し出した。

 

「エレナス、ここは二手に分かれよう。あいつの狙いはわたしだ。二手に分かれれば、お前を追いはしまい」

「それはだめだ! それこそあいつの思う壺だよ。それに姉さんをそんな危険な目に遭わせる訳にはいかない」

 

 硬い表情の姉を見やり弟は懇願したが、彼女の意思は揺ぎ無かった。

 感情無く冷厳な態度の姉に、とうとう彼は折れた。じっくりと議論を交わす暇は彼らには無い。混沌の闇はすぐそこまで迫っているのだ。

 

「……分かった。あいつを振り切ったら落ち合おう」

「ではこの森を東へ行った先にある、レニレウス王国への国境で。往来の多い国だそうだから、紛れて身を隠す事も可能だろう」

 

 そう告げると、姉弟は示し合わせたように身を翻した。それぞれ異なる獣道へと分かれ、全力で駆け出した。

 

「きっと、また会える」

 

 姉はぽつりとそう呟いた。彼女の言葉はは遠く儚く、すでに弟には届かなかった。

 

 

 

 西アドナ大陸。遥か昔、創世の神アドナが創り上げた箱庭と揶揄される大陸だ。今となっては本当に神など存在したのか、それすら誰も知り得ない。

 ただ四王国の各王家に受け継がれる王権の証『王器』だけが、かつて神たる者が存在した事実を示すのみだ。

 

 王器は神から統治を託された証であり、その所有権はアドナが定めた代理人である『代行者』のものだ。いわば代行者が認めた者だけが王として君臨出来た。

 今から五百年ほど昔、四人の代行者はそれぞれ人間の王に自ら王器を授けた。

 

 岩山と荒野に生きる頑強なる王には黒曜石の剣を、冷徹なる海の王には銀盤の鏡を。聡明な湖水の王にはトケイソウを模した王冠を。

 そして草原と森の王には蛇をかたどった弓を。

 

 代行者たちが建てさせた四つの国々は衝突を繰り返しながらも、五百余年続いた。ただその永い時の間に国家の在り方はねじれ、内部に腐敗をもたらしていた。

 ねじれは腐敗を加速させ、更なる暗部を生み出す。

 人の寿命がいずれ尽きるように、国もまた寿命を迎えつつあったのだ。

 

 

 

 西アドナ大陸の南に、深い森に囲まれた城があった。白い城壁は朝陽を浴びて輝き、その神々しさは例えようもない。

 そのバルコニーに一人の青年が立っていた。長い黒髪をうなじでまとめ、手摺から眼前に広がる樹海を眺める。

 憂いを湛えたスミレ色の瞳には、新緑に映える森さえ映ってはいなかった。

 

「何か悩み事でもあるのか、フラスニエル」

 

 不意に声をかけられ、青年は驚き振り返った。そこに見慣れた男の姿を見止め、ふと表情を和らげる。

 黒髪にスミレ色の双眸。背格好まで青年によく似た男は、黒い軍属の制服を纏っている。

 

「リザル従兄上。こんな早朝に城まで参られるとは珍しいですね」

 

 青年は微笑みながら従兄を迎え入れた。雰囲気のよく似た二人は共にバルコニーから朝露に濡れる木々を見下ろした。

 

「少し痩せたんじゃないか。来月には婚姻の儀があるというのに、一国の王がそんな事でどうする」

「それは……分かっています。日々強大になるダルダン王国とレニレウス王国に対抗するには、アレリア女王との婚姻が最善である事は」

 

 若き王は俯きながら呟いた。

 

「ならどうしてためらう必要がある。あれほど美しく聡明な女性はなかなかいない。それに子供の頃から兄妹のように育ってきた仲だろう」

「……だからこそ私にはためらいがあるのです。彼女を妹のようにしか思えない。妻として愛していく自信が無いと言ったら、従兄上は笑いますか」

 

 王の苦悩に、リザルは笑わなかった。むしろその苦しみを痛いほど感じたのか顔をそむけた。

 

「臣下としては、婚姻を進言する。だが従兄としては心中を理解しているつもりだ」

 

 その言葉に二人は沈黙した。

 木々のそよぎだけがさらさらと舞い、重苦しい空気を押し流していく。

 

「そうだ。久しぶりに森でも行かないか。セレスに猟犬を用意させよう」

 

 重い沈黙を破り、リザルは王に提案した。

 兄弟も無く、すでに両親も他界している王には従兄の存在が大きかった。年齢も三歳ほどしか離れていないのもあり、実の兄弟にも等しかったのだ。

 そんなリザルの心遣いに、フラスニエルは柔らかく微笑んだ。

 

「猟犬は必要ありません。馬だけでのんびり歩きたい。同行してもらえますか」

 

 王の申し出をリザルは了承した。

 

「猟犬を今から用意していたのでは、セレスの手間が大きいでしょう。あの子はよく働く子だから仕事を増やしてはかわいそうだ」

「狩猟場の森番くらいしか取柄のない息子だ。王に仕える身なのだから、命令ひとつで動く。何でも言いつけてくれ」

 

 気さくな言葉にフラスニエルは救われる思いだった。

 懐深いこの従兄がいなければ、今頃自分はどうなっていたのだろうか。

 

「では馬と弓の用意を」

 

 了承しバルコニーから去る従兄を見送り、フラスニエルはふと空を見上げた。

 晴れ上がった天空に、押し寄せる暗雲が一筋たなびいている。

 

「雲……」

 

 誰に言うでもなく、王は一人ぽつりと呟いた。

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二 ・ 暗雲

 

 独り暗い森をひた走りながら、躍る懐に女は手を当てた。

 指先が硬い金属を探り当て、無意識に彼女はそれを握り締める。

 

 今やその短剣だけが、彼女を護るたったひとつの武器だった。それを彼女に与えた男が今どこにいるのか、それすら見当もつかない。

 彼の言う『神器』を探し出せば会えると思っていた。だが女の身で剣を探し出すのは容易ではない。そして彼女は人間ではなく、精霊人なのだ。

 

 数百年前までは、精霊人も人間と同じ街や村で暮らす者も多かった。だが人間の数倍にあたる寿命を持つ精霊人は、非常に子供が生まれにくい特徴があった。

 その間にも人間は着実に人口を伸ばし、少数亜人種である獣人族や有角族を脅かすほどにまで成長していった。

 

 ついには亜人種たちを放逐し、人間だけの集落を築く者まで出てくる始末だった。

 人間の傲慢さに限界が来た精霊人たちは街を離れ、各々静かな森や草原などに居を構えたのだ。

 

 今では彼ら精霊人は、人間から見れば珍しい存在でしかない。

 時には捕獲されて奴隷商人に売られる事すらあった。若い娘ならなおさらだ。

 そんな中、彼女は正体を隠すために人間のふりをし、男性の姿に身をやつした。なるべく顔を隠して歩けば、誰も彼女を気に留めない。

 

 マルファスに出会ってからの数十年間、彼女――シェイローエはただひたすら剣を探し求めた。

 たった一人で誰にも頼らず、まるで自らの罪をあがなうかのように。

 

 神器を求め四王国に属さない自治集落を訪れた時、破壊され荒廃した街の中で、彼女は一人佇む精霊人の少年を見つけた。

 家を焼かれ両親を失ったその少年を、彼女は自らの弟として連れ帰り育てた。

 

 それは贖罪のひとつだったのかもしれない。

 双子の弟を追い詰めた罪は、彼女の中で肉を喰む鋭い牙のように食い込み続けていたのだ。

 

 

 

 シェイローエの追想は、背後に迫る気配に中断させられた。

 何かがいる。姿は見えないが、それは確実に彼女へと迫りつつあった。

 

 振り向けば森の瘴気が渦を巻き、今にもシェイローエを飲み込もうとしている。

 懐の短剣を引き抜き、シェイローエは構えた。

 刃は青白く薄い輝きを放ち、彼女の手許を柔らかく照らし出す。

 

「さあ、逃げ場は無いぞ。もう誰も助けてはくれない」

 

 昏い影を引きずるように一人の男が現れ、楽しげにそう呟いた。暗闇を従えているかのように見えるのは、男の風体が異様だからだろう。

 黒の長衣に地を這うほどの黒髪、そして仮面の奥にある赤い眼が、男の不気味さを際立たせている。手には巨鎌を携え、まさに異形の類だ。

 その低い声は愉悦に躍り、獲物を噛み殺そうとしている野獣を思わせた。

 

「……誰の助けもいらない。わたしは自分自身のために、そしてお前のために最後まで独りで戦う」

 

 シェイローエの覚悟を男は鼻で笑った。

 

「そうか。ならば致し方あるまい。殺してでも手に入れるまで」

 

 男は両手に巨鎌を構え、シェイローエへと斬りかかった。

 振りかぶった鎌の切っ先が彼女を捕らえる瞬間、シェイローエは飛び退いた。巨鎌の刃は彼女の外套を捉え、フードを切り裂く。

 外套からあらわになった素顔は、二十歳前後の女性の貌だ。女神もかくやと思わせる美貌に、男は満足そうに微笑む。

 

「そんな短剣で私に勝てるとでも思っているのか。さあ言え。神器の剣はどこだ」

 

 にじり寄る男に物怖じもせず、シェイローエは相手を睨みつけた。

 彼女が脅迫に屈しないのを悟り、男は再びシェイローエへと近付いていく。

 

「そんな剣は存在しない。もし持っていたとしてもお前に言うつもりもない」

 

 シェイローエは後退しながら、そっと懐に手を入れた。

 男がそのしぐさに気付いた時すでに、彼女の手には紙片が握られていた。

 女性の声で紡がれる古代語の響きと共に、突風が舞い上がる。辺りの木々を薙ぎ倒しながら竜巻がうねり、巨大な鎌首をもたげた。

 

「子供騙しだな」

 

 男は薄笑いを浮かべ、左腕を竜巻へと突き出した。その手には何もない。迫る竜巻は轟々と唸りを上げ、土くれを巻き上げながら男へ接触する。

 その瞬間。男の掌中で荒れ狂う竜巻が消し飛んだ。岩塊や倒木を巻き込んだ巨大な嵐蛇は跡形も無く消滅し、残されたのは抜けるような蒼天だけだ。

 

「代行者となった私に符術など通用しない。『死』の名を冠するこのシェイルードにはな」

 

 男はシェイローエに歩み寄り、彼女の右手を掴むとひねり上げた。

 小さな悲鳴と共に手から短剣が滑り落ちる。だが苦悶の表情の中、睨みつける緑の瞳はなお意志を失わない。

 シェイローエの決意を秘めたまなざしに、シェイルードはぽつりと呟いた。

 

「何故です姉上。何故私に従おうとしない。この世界を全て死滅させようとも、あなただけは生かしておこうと思っているのに」

「わたしに下らない情けなどかけるな! わたしを殺さなかった事、いずれ後悔するぞ」

 

 まるで気概を損なわない高潔なその姿に、男は冷たい笑みを浮かべた。

 

 

 

 ネリア王フラスニエルとその従兄が王家の狩猟場へ着いたのは正午過ぎだった。

 昼だというのに森は薄暗く、人の気配どころか動物たちの姿すらない。

 

 ネリア王家の直轄地であるため大型の肉食獣はおらず、密猟者が動物を盗み出す事件がまれにあった。

 森番が仕掛けた罠によって密猟者を捕らえる事もあったが、そもそも御料地に足を踏み入れる不届き者はそれほど多くは無かった。

 

「静かですね」

 

 王は轡を並べる従兄にそう呟いた。

 鳥のさえずりだけが木々を揺らし、包容している全てに安息をもたらしている。

 

「ああ……。静か過ぎるな」

 

 子供の頃よく森で遊んでいた二人には、異変が手に取るように分かった。

 動物の気配が無いのは、息を潜めているからなのだ。

 

「何かがいる。密猟者か」

 

 辺りを見回したが人影も無く、二人は慎重に馬を進めた。草を踏みしめる蹄の音だけが響き、森全体が静まり返っている。

 重苦しさに耐え切れなくなったのか、フラスニエルは静寂を破った。

 

「セレスは森番のためにあまり邸宅には戻らないと聞きました。まだ小さな子供ですし、一人で番小屋に置くのは不安ではありませんか?」

 

 思いがけないフラスニエルの言葉に、リザルは一瞬口をつぐんだ。

 

「ああ、心配は心配だが……妹が面倒を看てくれているから問題ないだろうさ」

「……まだ奥方の事を引きずっておられるのですか」

 

 その問いには何も答えず、リザルはただ馬を進めた。その背に愚問でしたと言葉を濁し、フラスニエルが後に続いた。

 

「分かっているさ。あれからもう五年経っている。何度も後添えの話をもらったが、どうしてもその気にはなれなくてな」

 

 ふと空を仰ぎ、リザルは遠くを見つめた。その瞳に森を覆うほどの暗雲が映り、彼は声を上げた。

 

「黒い雲……」

 

 二人は顔を見合わせた。どす黒い雲は次第に広がり、森全体を覆い尽くしていった。

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三 ・ 密猟団

 

 姉と袂を分かち、エレナスは暗い獣道をひた走った。

 

 本当にこれでよかったのか。姉を置き去りにして自分だけ助かるなど、恥以外の何者でもない。

 ふと姉の声が聞こえた気がして振り返ると、背後には何も無い暗がりだけが広がっていた。

 

 ここまで来たら進む他ない。

 覚悟を決め、エレナスは独り森の外を目指した。

 太陽の光を求め、明るい方へと生い茂る下草を掻き分けながら歩く。

 

 急に視界が開け、エレナスは木の少ない広場のような場所へと出た。

 人気のない森の中心部に近いというのに、そこらかしこに焚火の形跡や黒ずんだ血溜りがある。

 

 想像もしていなかった人間の痕跡にエレナスは戸惑った。

 焚火跡を見るに多人数がいたと彼は推察した。もし武装集団であれば、エレナスに勝ち目は無い。

 

 血溜りは恐らく動物を解体した跡なのだろう。毛皮と肉、角と骨などを分け、臓物だけ焼き捨てたのだ。数人で構成された密猟団である事は間違いない。

 慎重に様子を窺い、身を隠しながら彼は人の気配を探る。広場の隅に視線を移すと、人影のようなものが目に入った。

 

 よく見ると子供のような姿だ。だがこんな深い森に子供などいるはずもない。

 魔物の類かもしれないと、エレナスはそっと近付いた。子供らしき影は背伸びをし、木の枝に何かをくくりつけている。

 

 もっとよく見ようとエレナスは身を乗り出した。その時不用意に小枝を踏み折り、その音で影は振り返った。

 

「誰っ?」

 

 素早い身のこなしで影は飛びのいた。小さめの弓に矢をつがえ、エレナスのいる茂みに狙いを定めている。

 

「密猟者だろ? 出てきなよ。ネリア王の庭で好き勝手するのは許さないぞ」

 

 見れば相手は十歳にも満たない少年だった。日焼けした顔に黒い髪、快活そうに輝く目が印象的だ。

 エレナスは敵意の無い様子を示し、ゆっくりと茂みから姿を現した。

 

「驚かせて悪かった。俺は密猟者ではない。通りかかっただけの旅人だ」

 

 値踏みするようにじろじろ見る少年に、エレナスは苦笑した。王家の森とは知らずに足を踏み入れたとはいえ、ただの旅人などと信じてもらえるはずもないだろう。

 

「罠や投擲道具を持っていないようだし、信じてあげるよ。ぼくの名はセレス。この森を管理する森番だよ」

 

 無邪気に笑いながら手を差し出すセレスに、エレナスは面食らった。同じように手を差し出すと握手を交わし、セレスは先ほどまでの作業へと戻る。

 

「そんなにすぐ見知らぬ者を信用していいのか。俺がもし悪い奴だったらどうするつもりなんだ」

 

 その言葉にセレスは手を止めて振り向き、笑いながら答えた。

 

「目を見れば分かるよ。悪い奴の目には、どす黒い光が宿ってるんだ。お兄ちゃんは寒くて凍えてしまいそうな目をしてる」

 

 年端も行かない子供に自らの内面を見透かされた気がして、エレナスは黙り込んだ。

 ふとセレスの作業に目をやると、目に見えないほどの細い糸を木の枝にくくりつけているように見える。

 鳥を捕獲するためのカスミ網にも似ているが、形状がまるで異なっている。

 

「それはカスミ網なのか? 随分と細長く見えるが」

「違うよ。これは対人間用さ」

 

 意味ありげににやりと笑い、セレスは木から離れた。言われてみると、人の目では不可視なクモの糸に近い網が張られている。

 

「この森にはぼくが張った人間用の罠がいくつかあるんだ。動物たちは通らないけど、人が通りたくなる道にね」

 

 それは先ほど姉弟で走って来た獣道を指しているのだろうか。血溜りを見るに、密猟団の被害は相当深刻なのだ。

 

 不意にセレスが立ち止まった。何かに耳を傾け、音を拾おうとしているのが分かる。

 邪魔をしてはいけないと感じ、エレナスは黙ったまま彼の挙動を見つめた。

 

「こっち来て」

 

 何かに気付いたのか、セレスはエレナスの腕を強引に引っ張った。

 二人が身を隠すのと同時に、数人の男たちが広場へと現れた。彼らはめいめい木製の荷車を押し、その荷台にはシカやキツネ、ウサギなどが山と積まれている。

 

「あいつら……」

 

 エレナスの隣でセレスが怒りに震えているのが分かった。実際連中が捕獲した頭数は尋常ではない。

 これが日常茶飯事であれば、森の鳥獣は狩り尽くされ何も残らないだろう。

 しかも密猟団が手を出しているのは王家の威信がかかった直轄地であり、王の兵に捕縛されれば重罪を科せられる。その前に仕事を終えるつもりなのだ。

 

 エレナスはセレスがいきなり飛び出すのではないかとひやひやしていたが、悪い事にその予感は的中した。

 勢い良く潅木の陰から飛び出すと、セレスは手にした弓に矢をつがえ狙いを定めた。密猟者たちはその様子を笑い、冷やかすだけだ。

 

 止めようとエレナスが飛び出した瞬間、セレスの放った矢が密猟者目掛けて飛んだ。

 小さな弓だというのに狙いたがわず、男の腿へ深々と突き刺さる。

 

「このガキが!」

 

 悲鳴を上げてのた打ち回る仲間に、他の密猟者たちはそれぞれ武器を抜いた。相手はいかつい男が四人。とても敵う人数ではない。

 

「こっちだよっ」

 

 飛び出したエレナスに気付き、セレスが袖を引き道を指した。

 そこには暗く細い獣道がゆるゆると続き、一見行き止まりのようだ。

 

「大丈夫。この先には仕掛けがあるんだ」

 

 無邪気に微笑む少年を、エレナスは何故か信じてみようと思った。

 子供の頃に住んでいた家を焼き払われて以来、エレナスは頑なに誰も信じようとはしなかった。

 

 両親を殺し、家に火を放ったのは見知らぬ人間だった。それまで小さな自治集落で、種族の違いなど気にせず生きてきた彼には、大きな裏切り行為にすら取れた。

 人間など信用に値しない。信じていいのはただ一人、育ててくれた姉だけだ。

 

 だが今はこの少年を信じてみる気になった。我欲や邪気から縁遠い存在だと思ったからかもしれない。

 それとも彼が掛け値なしに信じてくれているからなのか。

 

 セレスの駆け出した方向へエレナスも走り出した。

 よく知っている道なのだろう。軽やかに倒木を乗り越え、ぬかるみを回避してセレスは走り続けた。

 時折足元に対する注意が飛んでくる以外は、さして問題の無い道だ。振り向けば、武器を振り回しながら男たちが追いかけて来るのが見える。

 

 一人は先ほどのカスミ網にでも引っかかったのか、追って来るのは三人だ。

 

「どうするんだ? 三人追って来てるぞ」

「右に入って!」

 

 その瞬間、セレスは右側へと跳んだ。

 急に視界から人影が消え、勢いがついたままエレナスも横へと跳躍する。

 

 茂みの中へ倒れ込み振り返ると、密猟者たちは二人が身を隠した事にも気付かず直進した。

 直後くぐもった悲鳴と鈍い落下音が響き、怨嗟の声が上がったかと思うとそのまま静まり返った。

 恐る恐る茂みから這い出し獣道の先を見ると、そこには大穴がぽっかりと口を開けている。

 

「あはは、大成功!」

 

 穴の底で蠢く密猟者をセレスは挑発した。

 男たちは罵声を飛ばし悪態をついたが、とても梯子なしに昇って来れる高さではない。

 深さはそれほどでもないものの、ねずみ返しのように壁面を斜めに削って作られているためだ。

 

「これを一人で作ったのか? 驚いた」

 

 素直に感心するエレナスに、セレスは満面の笑みを見せる。

 

「掘るのに随分時間がかかったけど、役に立ってよかった。もうすぐ日も暮れるし、おじさんたちには一晩反省してもらおうか」

 

 見れば太陽は赤く染まり始め、森は更に暗闇を増して来ている。

 

「……姉さんを捜さなくては」

 

 ふと我に返り、エレナスは元来た道を引き返そうとした。咄嗟にセレスがその腕を掴み、引き止める。

 

「だめだよ、日が落ちてからじゃ罠を回避できない。心配だろうけどこの森に狼や熊はいないから、明日の朝捜そう」

 

 セレスの説得に、エレナスは唇を噛んだ。

 自分の無力さを恥じ、暗い森を見つめる。鳥の声も無く、静まり返る森に独り取り残されている姉を思うと気が気ではなかった。

 そんなエレナスにセレスはひとつの提案をした。

 

「この森の傍に番をする小屋があるんだ。今日はそこで夜明かしをして日の出を待とうよ」

 

 小さな子供の気遣いに、エレナスは心苦しく感じた。姉の事だから追っ手を振り切ってどこかへ隠れているかもしれない。

 そう信じ込んでいなければ、不安で押し潰されそうだったのだ。

 

 落とし穴を離れてしばらく歩くと森が切れ、川のほとりに小屋が見えた。

 見た目は簡素だが内部は頑丈に造られ、所狭しと干した薬草が吊り下げられている。

 

 テーブルが置かれている居間の奥には仮眠を取る部屋があり、セレスがここで暮らしている様が窺える。

 

「君は一人なのか。御両親は?」

「母上はぼくが三歳の時に亡くなったんだ。父上は軍属として王にお仕えしてる」

 

 子供には似合わない飄々とした表情でセレスは答えた。

 この子は大人ばかりの世界で育って来たのだろうか。年相応の子供らしい表情を見せる事もあるが、それは大人から望まれている姿なのかもしれない。

 

 テーブルの上には蔓細工のカゴが置かれ、その中には白い丸パンがいくつか入っていた。

 それを嬉しそうに手に取り、セレスはエレナスへと差し出した。

 

「叔母様がたまに置いていってくれるんだ。お兄ちゃんも食べなよ。……そういえばお兄ちゃんの名前、まだ訊いてなかったね」

「……エレナス・ファス=レティ・カイエ。ファス=レティは父母の名、カイエは家の名だ」

 

 無邪気に微笑むセレスにエレナスはそう告げた。

 慎ましい夕食を終えると、エレナスは毛布を借り居間の隅で丸くなった。

 

 隣の部屋からセレスの寝息が聞こえて来たが、エレナスは眠れず窓辺を見上げた。

 雲は晴れ、白い星々がちらちらと瞬く。

 

 姉を想い少しだけ目を閉じると、エレナスはそのまま深い眠りへと落ちていった。

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四 ・ 交錯

 

 黒い雲に導かれフラスニエルとリザルが向かった先には、驚くべき光景が広がっていた。

 

 へし折られた木々は無残に根をさらけ出し、巨大な岩が四方八方へと転がっている。

 二人には一体何が起こったのか、見当すらつかなかった。局所的に嵐でも発生しなければこのような事態にはならないだろう。

 

 横たわる倒木を避けながら二人は馬を進めた。原因を探ろうと周囲を見回すと、木陰をちらりと何かがよぎった。

 王家の狩猟場に出入りする者は限られており、王が入場する際には邪魔をしないよう遠方で控えるのが慣わしだ。

 

 ならばその人影はそれ以外の者だ。考えられる中では密猟者の可能性が高い。

 護衛も付けず二人だけで森へ入った事をリザルは後悔した。彼は軍属であり軍人ではない。武の心得はあるが相手が多人数だった場合、王を護り切れる自信は無かった。

 

 意を決し馬の腹を蹴ると、リザルは王の前へ躍り出た。軍刀を抜き放つと大声で影へと呼ばわる。

 

「この森はネリア王領に属する狩猟場である。即刻立ち去れ! さもなければこの場で斬り捨てる」

 

 リザルの声に影は一瞬立ち止まり、すぐまた歩み出した。

 影は暗がりから現れるとリザルの眼前で歩みを止める。

 

 現れたのは怪我を負い、泥だらけの外套を引きずった若い男だ。

 武器のような物は何ひとつ持たず、ふらつきながら草を踏みしめている。

 

「何者だ。武器の類は捨て投降せよ。顔を上げて掌を見せろ」

 

 リザルの呼びかけに男は素直に応じた。両手を広げ掌を向ける。

 男が顔を上げた瞬間、リザルは驚き目を見張った。泥にまみれながらもその貌は気高く、深森色の瞳は強い意志を湛えている。

 ざんばらになった金髪には、かつて長く伸ばしていた名残があった。明らかに密猟者の雰囲気ではない。

 

 だが正体が分からない以上、取調べをしなければならない。王の身を護るためには必要な事だ。

 

「悪いが身柄を拘束させてもらおう。王家の直轄領であるこの森で何をしていたか訊かねばならない」

 

 リザルが男を連行しようと馬を下りた時、その背後で何かが動いた気がした。

 目を凝らしてもそこには何も無い。ただ昏い闇が広がるばかりだ。

 

「……あいつが来る」

 

 かすれた声で男は呟いた。だがその声は男性のものではない。

 予想していなかった事態にリザルは振り向き王を見た。フラスニエルも異常な状況に気が付いたのか、馬を御したまま矢を据え弓につがえる。

 黒鉄の胴に真鍮の蛇が巻きついた優美な宝弓は、目にした者を陶然とさせる輝きを放っていた。

 

 やがて何もなかった暗闇の中から、ひとつの影が姿を現した。

 影が人の形をかたどるように見えるのは、その男が黒い髪に黒の長衣を纏い、巨大な鎌を携えているからだ。

 

「それは私のものだ。返してもらおうか」

 

 影は低い声でそう告げた。

 金属の仮面に隠れ表情など窺い知れないが、その奥に灯る赤い双眸は重苦しいまでの憎悪に満ちている。

 

「こちらにも国の威信というものがある。一度捕らえた者を、おいそれと引き渡すわけにはいかない」

 

 仮面の男が男装の女を追い立てるなど尋常では無い。ましてや女は怪我をしているのだ。

 このまま渡すつもりが無いのを悟った黒衣の男は、仮面の下で楽しげに呟いた。

 

「渡さぬつもりか。まあそれもよい。今はそれよりも王器が先だ」

「王器だと?」

 

 それまで弦を引き絞っていたフラスニエルが口を挟む。

 

「貴様王器を狙っているのか。王器は我らの祖が神より賜った物。四王家以外の者が手にしてよい品ではない」

「その弓……『狂』の王器だな、ネリアの王よ。本来の使い方を知らず、杖を弓として扱うとは……やはりヒトの手許に置いておくべきではないようだな」

 

 男は仮面の奥で不敵に微笑んだ。

 

「だが今はお前の相手をしている場合では無いのだ、ネリア王フラスニエルよ。王器は元々我ら代行者に所有権がある。『神の気まぐれ』で取り上げられようとも異存はあるまい?」

「代行者だと! 貴様のような姿をした代行者など覚えが無い」

「我々も代替わりするのだよ、ヒトの王よ。建国の際に、王器を与えた代行者の像を造らせたらしいが……奴らはもうこの世にはおらぬ」

 

 ぞっとする笑みをこぼす黒衣の代行者に、フラスニエルは言い知れぬ恐怖を感じた。

 だがここで引き下がれはしない。王器を奪われるなど、国家の破綻を意味するからだ。

 

 フラスニエルは狙いを定め、引き絞った弦を離し矢を放った。狙いたがわず黒鉄の矢尻は男の眉間を射当てる。

 矢を受けた仮面は軽い金属音を立てて割れ、その素顔をさらけ出した。

 

 見ればその顔はどす黒く、耳は人よりも尖っている。血のような赤い目には怒りと憎しみが渦巻いていた。

 人とは思えぬその容貌にフラスニエルとリザルはたじろいだ。矢の一撃で傷すら負っていない男に、有限生命の摂理を見出せなかったからだ。

 

「下らぬ者ども。この私の素顔がそれほど見たいのか」

 

 怒りに満ちた目で男は呟いた。

 

「貴様らの相手は『王冠』を手に入れてからゆっくりとしてやる。それまでその女は預けておく」

 

 そう告げると元いた影の中へと身を翻し、男は暗闇と共に消え失せた。

 辺りには倒木と瓦礫だけが残され、何も無かったように小鳥がさえずり始める。

 

「何だあれは……」

 

 傷の痛みに気を失った女を抱え、リザルは呟いた。

 馬上のフラスニエルも青ざめた表情で従兄を見やり、弓を収める。

 

 女を馬に乗せ、二人は城へと馬首を巡らせた。

 男が去り際に残した言葉が気になり、フラスニエルはその夜一睡も出来なかった。

説明
創作神話を元にした、ダークファンタジー小説です。12053字。
あらすじ・軍事強国ダルダンと経済立国レニレウスの対立が激化し、決断を迫られる小国ネリアの王フラスニエル。
同じ頃、何者かに追われネリア王の狩猟場へ迷い込む二つの影があった。
序 章http://www.tinami.com/view/538398
第二話http://www.tinami.com/view/547505
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オリジナル ファンタジー ダークファンタジー 

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