銀の槍、人狼の里へ行く
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 幻想郷の南側に広がっている平原を将志は歩く。

 平原には膝くらいの背丈の草が青々と茂り、所々に岩が転がっている。

 高台にあるため、そこは夏でも涼しい風が吹いていて避暑地には良さそうである。

 

「ねえ、将志くん♪ こっちにくるのは初めてだよね? 今日はどこに行くのかな?」

 

 将志の隣で、頬に赤い涙と青い三日月が描かれた背の低いピエロの少女がトランプの柄の入った黄色いスカートを翻しながら楽しそうに歩く。

 

「……今日向かうのは人狼の里だ。アルバートから招待を受けたからな」

 

 その隣で、将志は地図を見ながら現在位置を確認する。

 それを聞いて、愛梨は首をかしげた。

 

「そういえば、人狼の里って今まであんまり聞いたことなかったけど、見落としてたのかな?」

「……いや、それは無いだろう。アルバートは力の強い人狼、そんな奴が居たら確実に紫や俺の耳に入ってくるはずだ。恐らくは、最近になって幻想入りしたのだろう」

「う〜ん……幻想入りしたにしては、ちょっと力が強すぎる気もするけどなぁ?」

「……それだけ大陸の西側では妖怪や魔法が幻想と化していると言うことだ。もっとも、アルバートの話では人間の中に潜んでいる人狼はまだ外の世界には居るようだがな」

 

 しばらく話しながら歩いていくと、愛梨が何かに気付いて前方を指差した。

 

「あ、あれかな♪」

「……その様だな。地図でもちょうどこの辺りに印がついている」

 

 将志の目の前には、レンガ造りの家が立ち並ぶ集落が見えてきた。

 道は石畳で舗装されており、家は白く塗装されているお洒落な村であった。

 その集落の奥には丘があり、そこには歴史を感じさせる古びた石の城がそびえていた。

 その入り口に二人は降り立って周囲を見渡した。

 

「なんだか随分と綺麗なところだね♪」

「……ああ。想像していたよりも整っているな。それに、思った以上に規模が大きい。どうやら、この里そのものが幻想入りしたものらしいな」

「でも、それにしては騒ぎにならなかったよね?」

「……聞いた話によれば、アルバートは元が貴族だった故に周りから押し上げられて長をやっている身だ。それに本人は生きることよりも誇りを重要視する人物で、話していても権力欲というものがまるで無かった。それ故に、初めは俺達と関係を持つことなど考えもしなかったらしい」

「それって、自分の周りが平和ならそれで良かったってこと?」

「……そういうことだ」

 

 将志達が話していると、深い紫色の執事服を着た老紳士が声を掛けてきた。

 

「槍ヶ岳 将志様でいらっしゃいますか?」

「……何者だ?」

「失礼致しました。私はヴォルフガング家で執事をしております、バーンズ・ムーンレイズと申します。アルバート様より、貴方様方をお連れするようにというお達しを受けましたので、お迎えにあがりました」

 

 バーンズと名乗る老紳士は、そういうと恭しく礼をした。

 それに対して、愛梨が笑顔で答える。

 

「キャハハ☆ ありがとー♪ ひょっとして、あの丘の上のお城に連れて行ってくれるのかな?」

「左様でございます。途中村の中を案内するようにとも伝えられておりますので、気になることがございましたら気兼ねなく申し付けてくださいませ」

「それじゃあ、早速訊いていいかな♪ あの窓にはめ込まれた透明なものは何かな?」

 

 愛梨はそういうと、家の窓にはめ込まれて光を反射する透明な板を指差した。

 バーンズはその指差す先を見て頷く。

 

「ああ、ガラスでございますね。村の中に職人が居ますが、寄ってみますか?」

「うん♪ いいよね、将志くん?」

「……別に構わんぞ」

 

 将志達は村の中の案内を受けながらガラス職人の居る工房に向かう。

 その途中、鍛冶屋やパン工房、磁器工房などを見て回る。

 しばらくして、目的地であるガラス工房に着いた。

 

「こちらがこの村のガラス工房でございます」

 

 ガラス工房の中には熱気がこもっており、中では職人達が黙々と作業を行っていた。

 入り口付近にはその作品が展示されており、売られているようであった。

 

「わぁ〜……綺麗だね♪」

「……芸が細かいな。見事なものだ。それに、この窓のものにしても風を通さずに光を入れることが出来る。実用面でも有用そうだな。……そうか、もうここまで追いついてきたのか」

 

 二人は色鮮やかなガラス細工の置物やグラスなどを見て感嘆の息をこぼす。

 特に将志は透き通った窓ガラスを見て感慨深いものを感じていた。

 遠い昔の記憶の中にしかなかった物が、今目の前にある。

 そのことから、外の人間がかなり技術的に発展してきていることを知ったのだ。

 しばらくすると、職人の一人が客に気がついて話しかけてきた。

 

「ん? ああ、領主様のところの執事さんか。どうかしたのかい? まさか、見つかったのか!?」

 

 職人は何かを期待してバーンズに話しかける。

 しかし、バーンズは首を横に振った。

 

「いえ、残念ながら別件です。ご主人様がお客様をお招きになったのでその案内を」

「そっか……何とかならんもんかな……」

 

 職人はそう言って肩を落とす。

 その職人の様子が気になったのか、将志が職人に声を掛けた。

 

「……どうかしたのか?」

「ん? あんた誰だ?」

「……銀の霊峰の首領を務めている、槍ヶ岳 将志というものだ。何か困っているようだが、どうかしたのか?」

「いやね、ここに来てから材料が手に入んないんだよ。今は残り少ない材料と古ガラスを工面して何とか回してる状態さね。俺達は長いことガラス職人をやってきたから、この仕事が無くなったら他に食い扶持がねえんだよ。何とかならんもんかね……」

「……その原料というのは?」

「これさ」

 

 職人はそう言うと、原料を持ってきた。

 原料は真っ白な石で、手に取ると冷たい感触が伝わってきた。

 それは珪石と呼ばれる石で、ガラスの原料である珪砂を得るために使われるものであった。

 将志はそれを見て、一つ頷いた。

 

「……ああ、これか。これならある場所を知っているぞ」

「ほ、本当か!?」

 

 将志の言葉に職人が勢いよく飛びついた。

 どうやら余程困っていた様で、藁にもすがる気持ちのようである。

 そんな彼に対して、将志は自分の持っている情報を告げる。

 

「……ああ。うちの山のすぐ近くの山に、これと同じ石がゴロゴロ転がっている。恐らく、掘り返せば大量に出てくるのではないか?」

「将志くん、それって何処のこと?」

「……うちの神社がある山の近くに、白っぽい山があるだろう。あの山だ」

 

 銀の霊峰には大きく三つの山があり、それぞれに特徴がある。

 

 一つは、将志達の神社がある銀の霊峰の本山。

 本山には冬になると雪が降り積もり遠くからでも輝いて見えることから、その主共々銀の霊峰の名前の由来となっている。

 上部は修行の場と戦いの場を兼ねており、もっとも妖怪達が集まる山でもある。

 また麓では雪解け水が溶け出して出来た地下水が川となって渓流を作り出し、緑豊かになっているところから妖怪達の生活の場ともなっている。

 

 二つ目は、険しい本山よりも更に険しい灰色の岩山である。

 この山は本山での修行に飽き足らない者が修行の場として用いる山である。

 

 そして三つ目が比較的なだらかで、中央にカルデラ湖のある白い死火山。

 ここでは怪我から復帰した妖怪がリハビリをする場となっている山であり、戦闘が禁止されている場でもあった。

 その三つ目の山に、ガラスの原料になる珪石があると言うのだ。

 

「思わぬところから耳寄りな情報が手に入りましたね。早速調査に向かわせるよう、旦那様に手配いたしましょう。宜しいですかな?」

「ああ、頼む!」

 

 バーンズの言葉に、職人は嬉しそうに頷いた。

 しばらくして、三人は職人達に礼を言われ続けながら工房を後にした。

 

「ありがとうございます。ガラスというものは需要が高いものでして、此度の問題は管理者に相談しようかと考えていたところだったのです」

「……気にすることは無い。こちらとしても職人の困窮というのはつらいものだと分かっているからな」

 

 バーンズからのお礼に将志はそう言って答える。

 すると老執事は首をかしげた。

 

「はて、貴方様も何かお作りになるのですか?」

「……料理をな。欲しい時に欲しい材料が手に入らないということが良くあるのだ。中には代用が効かないものもあって、それで作るのを断念する場合もあったものだ」

「そうですか……でしたら、市場を覗いてみてはいかがでしょうか? 目新しい食材が手に入るかも知れませんぞ?」

 

 バーンズの言葉を聞いて、将志は一つ頷いた。

 

「……寄ってみよう。案内を頼めるか?」

「かしこまりました」

 

 バーンズの案内を受けて、将志達は市場に向かった。

 市場はたくさんの露店が並んでいて、どの店も活気にあふれていた。

 

「こちらが市場でございます」

「……おお……」

 

 将志はその市場に並んでいる品物を見て眼を輝かせた。

 例えば、パセリやオレガノ、セージ等のハーブ類。

 例えば、トマトやエシャロット、パプリカ等の野菜類。

 例えば、レモンやメロン、オレンジ等の果物類。

 例えば、人里では貴重な労働力となっているため滅多に出回らない牛肉や馬肉。

 そこに並んでいたのは、今まで将志が欲しくても手に入らなかったものであった。

 

「ま、将志くん? どうかしたのかな〜……」

「……今までどうしても手に入らなかった香草類や野菜がここにはこんなにたくさんある……これならば、今まで作りたくても作れなかった料理がまた作れるようになる!」

 

 将志は大はしゃぎで市場の中を見て回った。

 商品を一つ一つ見て周り、いくつか買って実際に食べたりして品質を確かめる。

 その度に、将志は満足そうに頷くのだった。

 

「……ふむ、人里では見られない野菜や肉類が豊富な代わりに、人里にある野菜や魚が不足しているのだな」

 

 将志は一通り市場を回って感想を口にする。

 人狼たちの市場は欧州圏の野菜が多い代わりに、白菜やにら等日本に古くからある食材が少ないのだ。

 

「お魚に関して言えば人里も多いとは言えないよね……」

「……そうだな。幻想郷には海がないからな。どうしても川魚が多くなる。紫曰く、森にある湖に行けば獲れるらしいが、どんな魚が取れるのかを調べるには時間が足りん」

「え、将志くん、自分で獲りに行くつもりなの?」

「……当然だ。たとえば昨日の食卓に上がった魚は俺が獲ってきたものだ」

 

 魚は基本的に川でしか獲れず、そのためには妖怪の山の川か、銀の霊峰の渓流まで行かなければならない。

 海の魚ともなれば、なぜか生息しているという森の中の湖にしか存在しない。

 と言う事は、魚を獲りに行くということは妖怪に襲われる危険性が高いということになるのである。

 それ故に、魚を獲るのはそのほとんどが気まぐれな妖怪である。

 よって、いつ売り出されるか分からないため、将志は自分で獲りに行くという行為に出たのだった。

 ちなみに将志の場合、魚を竿で釣るというよりは魚を槍で狩る手法を取るため、大物狙いになりがちである。

 

「きゃはは……相変わらず凄い情熱だね♪」

「失礼致します。お時間が迫っておりますゆえ、そろそろ城に案内させていただきたいのですが、宜しいですか?」

「……む、失礼した。少々熱くなり過ぎたようだ。早速案内してくれ」

「僕は大丈夫だよ♪」

 

 時間を告げるバーンズに将志は頭をかきながらそう答え、愛梨も頷く。

 

「かしこまりました。それではご案内いたします」

 

 バーンズは二人の返事を確認すると、丘の上の古城へと二人を案内した。

 村の中をくねくねと曲がり分かれ道の多い町並みは、道を知らなければ奥の城へは簡単にはたどり着けなくする迷路の役割を果たしている。

 その道を、バーンズは迷うことなく城へ向かって進んでいく。

 

 しばらく進むと、城の前に着いた。

 城の門は大きな木の扉で、とても人間の手で開くようなものではなかった。

 そういうわけで、将志達はその脇にある通用門から中に入る。

 城の中は総石造りで、床には金の刺繍で縁取られた紫紺の絨毯が敷かれていた。

 その廊下には数々の調度品が置かれており、華やかに彩っていた。

 そんな廊下をしばらく歩いていくと、バーンズは一つの部屋の前に立つ。

 その部屋のドアは開いており、中ではスーツ姿の初老の男が黒縁の眼鏡を掛けて本を読んでいた。

 

「よく来た。この度は世話になったな」

 

 アルバートは将志達の来訪に気が付くと本にしおりを挟み、眼鏡を置いて立ち上がった。

 将志が近づいてくると、アルバートは右手を差し出す。

 将志はその手をしっかりと握り握手を交わす。

 

「……気にすることは無い。お互いに満足の行く結果になったのだからな」

「そう言ってもらえるとありがたい。バーンズ、ここは良いから茶を持ってくるがよい」

「かしこまりました」

 

 アルバートの指示を受けて、バーンズは一礼して部屋を辞した。

 それを確認すると、アルバートは将志に手振りで席に付くように促した。

 丸いテーブルには椅子が四脚並んでいて、三人は将志と隣り合うようにして座った。

 

「さて、いかがだったかな? 我等の村は」

「……いい村だ。職人も多く、農地もしっかりしている。暮らしていく上では不自由はしないだろう」

「気に入ってもらえたようで何よりだ」

 

 将志の反応に、アルバートは満足そうに微笑む。

 そんなアルバートに、愛梨が質問をする。

 

「ねえ、一つ気になったんだけどいいかな?」

「何かな?」

「この村に住んでいるのって、みんな人狼なのかな?」

「ああ、そうだ。その様子だと、人間と変わらぬ生活をしていて驚いたようだな」

「うん♪」

 

 アルバートの言葉に、愛梨は楽しそうに頷いた。

 てっきり、人狼はその身体能力を生かして仕事をしていると思っていたのだ。

 そんな彼女に対して、アルバートは人狼について語りだした。

 

「人狼も普段はただの人間と変わらん。人狼でも人間の姿の間は運動能力も何もかもが人間と同じで、違いといえば人間より死ににくくて妖力が高いくらいのものだ。人狼は夜になってこそその本来の能力を発揮するのだ」

「……お前はこの間昼に人狼となっていたが?」

「それは少し特殊な薬があってな。これを飲むといつでも人狼になれるのだ」

 

 アルバートはそういうと上着のポケットから包み紙にくるまれた薬を取り出した。

 包み紙を開くと、鮮血のような色の赤い丸薬が出てきた。

 アルバートがそれをしまうと同時に、部屋の扉がノックされる。

 

「お茶をお持ちしました。旦那様、奥方様が同席したいと仰っておられますが、いかが致しますか?」

「通せ。どうせだから紹介しておきたい」

「……そう仰られると思いまして、お茶は四人分用意してあります」

 

 バーンズはそう言いながら四人分のティーカップとティーポットをテーブルに並べる。

 その用意の良さに、アルバートは満足そうに頷いた。

 

「流石だな、バーンズ。下がっていいぞ」

「かしこまりました。それでは、御用が出来ましたらいつでも申し付けてください」

 

 バーンズはそういうと、再び一礼して部屋を辞した。

 

「……結婚していたのか、アルバート?」

「ああ。お前はどうなんだ?」

 

 将志の問いかけに、アルバートはティーカップに紅茶を注ぎながらそう切り返す。

 それに対して、将志は首を横に振る。

 

「……俺は良く分からん」

「何だそれは」

 

 将志の返答に、アルバートは若干拍子抜けした表情を浮かべる。

 それを他所に将志は紅茶を飲む。

 

「……む? この紅茶は?」

「ああ、それもこの村の職人が作ったものだ。茶畑もこの高台の下にある。今は持ち込んだ苗が育ってきたところで、まだ試作の段階だがな」

「……いや、なかなかにいい茶だ。味に癖がなくて、ブレンドのベースにはちょうど良い」

 

 将志はそういうと、じっくりと味わって紅茶を飲む。

 それを聞いて、アルバートは興味深げに眉を吊り上げた。

 

「なに、お前は紅茶を自分で淹れるのか?」

「キャハハ☆ 将志くんは紅茶どころか、コーヒーと緑茶も淹れられるし、お茶菓子や料理も自作しちゃう料理の神様だよ♪」

「……基本的に料理は俺の領分だ。そもそも、家に家政婦は居ないしな」

「というより、将志くん気がついたら家事を全部やっちゃうんだもんね♪ 家政婦さん雇ってもすることなくなっちゃうよ♪」

 

 将志は基本的に誰よりも早起きであり、暇な時間を嫌う性質である。

 それ故、鍛錬して時間が余ると掃除をしたり洗濯をしたりするのだ。

 ちなみに、将志は女性陣の服を洗濯することに抵抗はないし、女性陣も将志が下心など持つわけがないと思うどころか一部は持っていても構わないと思っているため誰も何も言わない。

 そんな将志の生活に、アルバートは唖然とした表情を浮かべた。

 

「……お前、守護神ではなかったのか?」

「……そうだが?」

「守護神っていっても、普段はあんまり戦ったりしないよ♪」

「だが、幻想郷内ではそれなりに小競り合いが起こっていると記憶しているが?」

「……あの程度のことで、俺が出る必要はない。放っておいても仲間がやってくれるさ」

 

 アルバートの言葉に、将志ははっきりとそう断言した。

 それを聞いて、アルバートは感心したように頷く。

 

「指示すら出していないのか? 随分と仲間を信頼しているのだな」

「……忠誠に信頼を持って応えれば、仲間はちゃんとついてくる。俺は忠誠に応えているだけに過ぎんよ」

 

 将志が話していると、部屋の扉が開かれて新たな人影が現れた。

 その人物は艶やかな長い黒髪にベールのついた帽子をかぶっていて、褐色の肌に映える薄紫色のアラビアンドレスに大きなエメラルドがついたチョーカーをつけていた。

 その中で特に目を引くのが、ドレスのベルトにぶら下げられた黄金のランプである。

 

「アル、きたわ」

 

 女性はそういうと、アルバートの横にやって来る。

 

「紹介しよう、私の妻のジニだ」

「アルの妻のジニよ」

 

 ジニは自己紹介を終えるとアルバートの隣に座る。

 

「……槍妖怪、槍ヶ岳 将志だ」

「喜嶋 愛梨だよ♪ 宜しくね♪」

「宜しく。そちらもご夫婦?」

「ええっ、夫婦!?」

 

 ジニの発言に愛梨は顔を真っ赤にしてうろたえる。

 

「……いや、違うぞ」

 

 その横で、将志はズッパリと否定する。 

 

「……そんなにバッサリ言わなくてもいいのになぁ……」

 

 あんまりな将志の発言に、愛梨はホロリと涙した。

 それを聞いて、アルバートは納得の行かない顔をしていた。

 

「しかし、あれほど綺麗どころを集めておいて結婚しないのか? 私の眼から見てもなかなかに壮観な絵柄であったが……ん?」

 

 アルバートが話していると、服の裾がギュッと握られる。

 

「アル……う、浮気はしても、い、いいけど……ぐすっ、絶対帰ってきて!」

 

 アルバートが振り返ると、翡翠の様な眼に涙を湛えて泣きじゃくりながらジニがすがり付いていた。

 その様子は、捨てられた子犬が感情を露にしたらこうなるであろうという状態だった。

 

「……浮気はしないから泣かないでくれ」

「……うん」

 

 アルバートはそんなジニの様子に罪悪感をたっぷり感じながら彼女を宥める。

 ジニが泣き止むと、将志がアルバートに質問をした。

 

「……彼女も人狼か?」

「いや、ジニは違うな。ジニは魔人だ」

「魔人だって?」

「ああ。元はランプに封じられていて、呼び出したものの願いを無償で何でも三つ叶える魔人だった」

 

 アルバートが説明をすると、将志は大きくため息をついて首を横に振った。

 

「……何とも物騒なランプもあったものだな。何でも三つ、とは世界すらも容易く滅ぼせるということだろうに」

「仕方が無いことよ、そういう呪いだったんだもの。正直、作った人間の正気を疑うわ」

「呪い?」

 

 呪いと言う言葉に愛梨が反応する。

 それを聞いて、ジニは紅茶を飲んで一息ついてから話し始めた。

 

「私は最初からこのランプに中に居たわけじゃないわ。大昔に罪を犯して、その罰として呪いを掛けられて閉じ込められたのよ」

「その罪も、元をただせばただ一つの叶わぬ恋。その恋がジニを狂わせ、国を滅ぼしたのだ」

「……どこかで聞いたような話だな……」

 

 将志はジニの話を聞いてそう呟いた。

 将志の頭の中には、愛に溺れて国を滅ぼしたことがある九尾の狐の姿が浮かんでいた。

 

「それで、暗く狭いランプの中からようやく出してくれたのがアルだったんだけど、最初の願いが「私を殺してくれ」だったのよ」

「当時の私は人狼になったばかりで絶望していたからな。即座に出てきた願いがそれだった」

 

 アルバートは苦笑いを浮かべながら当時のことを語る。

 それを聞いて、将志は首をかしげた。

 

「……人間に戻りたいとは願わなかったのか?」

「願わなかった。その時俺は衝動に抗えず、既に何人も手に掛けた後だった。殺された人間のことを考えると、今更人間に戻って生活するなど申し訳なくて出来なかった。だから私は死を望んだのだ」

「あの時は思いとどまらせるのに苦労したわ……」

「ああ、君は泣きながら私を殴り飛ばして「死に逃げるな」と叱り飛ばしたのだったな。あの一撃が今まで受けた中で一番堪えたよ」

「もう……ぐすっ……し、死ぬなんて言わないよね……?」

 

 苦笑いを浮かべるアルバートの袖を、ジニが泣きながら引っ張る。

 

「……言わないから泣かないでくれ」

 

 その懇願するような視線に、アルバートは即座に折れる。

 女の涙に男は勝てないのだ。

 

「……それで、結局アルバートは何を願ったのだ?」

「アルが私に願ったのは、自分が殺した人間の全てを永遠に覚えていられるようにすること、不幸な人狼がこれ以上増えないようにすること……そして、私を自由にすること」

「……なかなかに重たい願い事だね……」

 

 アルバートの願いを聞いて、愛梨はそう呟いた。

 つまり、アルバートは自分が殺した人間の全てを背負って生きていくということを選んだのである。

 その背中にいくつの続くはずだった人生を背負っているのか、愛梨には想像もつかなかった。

 

「……殺した全ての人間のことを覚えておくなど、俺の自己満足に過ぎんよ。もう一つの願いも、見るものが見れば偽善と映るだろう」

「でも、そのお陰で多くの人狼が助かっているのも事実よ。現にここに居る人狼達に自分を不幸だと思っている者は一人も居ないわよ」

 

 自嘲気味に笑うアルバートに、ジニは優しい口調でそう言った。

 

「……そして紆余曲折の後、結婚したと」

「そうなるな……で、お前はどうなんだ?」

 

 突如としてアルバートはニヤニヤと笑いながら将志にそう問いかけた。

 それに対して、将志は難しい表情を浮かべる。

 

「……どうと言われてもな……親しい友人はそれなりに居るのだが……」

「で、実際はどうなの?」

 

 将志の答えを聴いてすぐに、ジニが愛梨に質問をした。

 その質問に、愛梨は肩を落とした。

 

「……将志くん、恋愛が良く分かってないみたい。キスしても、一番仲のいい友達にならみんなするのかもとか考えているみたいで……」

「……は?」

「……え?」

 

 あまりに酷い内容に、聞き手の夫婦は呆気にとられる。

 ジニは一つ咳払いをして、質問を重ねることにした。

 

「……一番仲のいい友達、イコール恋人にはならないの?」

「それが、将志くんの方からは一度もそういうことはしてくれなくて……何人かアプローチしてるんだけどまだ誰も返事もらってないんだ……」

「……ふっ!」

「うおっ!?」

 

 愛梨の言葉を聞いた瞬間、アルバートが隣にいた将志に左ストレートを放った。

 将志はとっさに身体を捻ってそれを躱し、追撃を警戒して立ち上がる。

 

「……いきなり何をする、アルバート?」

「やかましい、このヘタレを滅殺せよと俺の本能がそう叫んでいるのだ……!」

「何の話だ!?」

 

 アルバートは将志に対して激しく攻撃を続ける。その攻撃を、将志は右へ左へと避け続ける。

 そんな二人を尻目に、ジニと愛梨は話を続ける。

 

「朴念仁なのか優柔不断なのか判断に悩むところね。ほかには?」

「おまけに、ちょっと変な訓練を受けさせられてて言動が……」

 

 愛梨がそういった瞬間、部屋にメイドが入ってきた。

 ちょうどそこに、攻撃を避けた将志が後ろに下がってきた。

 

「ご主人様、少し相談がきゃっ!?」

「……っ、まずい!」

 

 将志は自分を避けようとして転びそうになるメイドの手を掴み、一気に引き寄せる。

 結果的に、メイドは将志の腕に仰向けに倒れこむように抱かれる形になった。

 

「……っと、すまない。怪我はないか?」

「え、あ、はい……」

「……それは良かった。君のような綺麗な娘に傷をつけたりしては大変だからな」

 

 呆然としているメイドに、将志の天然スキルが発動する。

 優しく頬を撫でられながら柔らかい笑顔と共に優しいテノールで紡がれたその言葉を聞いた瞬間、メイドの顔が一気に赤く染まった。

 

「へ!? あ、ありがとうございます……」

「……何に対する礼かは知らんがありがたく受け取っておこう。さ、アルバートに用なのだろう?」

「あ、いえ、お客様がいらっしゃるのでしたら後で伺います! 失礼しました!!」

 

 メイドはパニック状態でそういうと、はじけたように走り去っていった。

 将志はその様子を呆然と見送る。

 

「……別に気にする必要はないと思うが……」

「ぜやあっ!!」

「おっと!?」

 

 その将志に、革靴のかかとが降ってくる。

 将志はそれを紙一重で避けると、アルバートに向き直った。

 

「……だから、俺が何をしたというのだ!?」

「黙れ、うちのメイドを速攻で口説くような女誑しはこの場で粛清してくれる!!」

「俺がいつ口説いたというのだ!?」

 

 嵐のような連撃を将志は次々と躱していく。

 その将志の言葉を聞いて、ジニが呆れ顔でため息をついた。

 

「なるほど、天然誑しとは厄介な性格してるわね」

「うん……お陰で仕事であっちこっち行っては女の子を毒牙に掛けてるみたいで……最近じゃ家にまで来る子もいるよ……」

「本格的に女の敵ね。その手の言葉を言えなくする薬でも作ろうか?」

「え、お薬作れるの?」

「ええ、風邪薬とかは作れないけど、魔法に関するものはね。アルに持たせてる人狼の薬も私が作ったものよ」

 

 女性陣がそうやって話していると、先程まで暴れていた男二人が帰ってきた。

 

「……とりあえず、紅茶でも飲んで落ち着け、アルバート」

「はぁはぁ……くそっ、相変わらずなんと言う素早さだ……」

 

 息が上がっているアルバートに将志は涼しい顔で紅茶を勧める。

 アルバートはそれを受け取ると、一気に飲み干した。

 そこに、執事服の老紳士がやってきた。

 

「失礼致します。旦那様、幻想郷の管理者がお見えになっておりますが、いかが致しますか?」

「む、通せ」

「それじゃあ、遠慮なく」

「なっ!?」

「うにゃあ!?」

 

 アルバートの言葉が聞こえてすぐに、目の前の空間が裂けて客人が現れた。

 胡散臭い笑みを浮かべたその客人の姿を見て、将志は呆れ顔を浮かべた。

 

「……紫、せめて部屋に入るときくらいドアから入ってこないか?」

「いやよ、私の数少ない楽しみですもの」

「……そんなことしていると、この間のようになるぞ?」

「あ、あれは将志が悪いんでしょう!? 出てきてすぐ目の前に槍の切っ先があったら誰だってびっくりするわよ!!」

「……あれはお前の自業自得だろう」

 

 それはある日、紫が将志を驚かせようとして背後に現れた時のこと。

 最初に紫の眼に入ったのは、目の前に迫る銀の槍。

 紫はそれに大いに驚き後ずさった。

 しかしその後ろにあったのは階段であり、足を踏み外した紫は長い階段をゴロゴロと階下まで転げ落ちる。

 おまけにそこには雑巾を洗った水が入った桶が置かれていて、紫はその水を思いっきり被るという散々な眼にあったのだった。

 

「ア、アルぅ〜、あの女は何!?」

 

 突如現れた乱入者に、ジニは眼に涙を浮かべながらアルバートの陰に隠れて震える。

 

「幻想郷の管理者、八雲 紫だ。怖がることはない……はずだ」

 

 アルバートはジニを宥めながら自信なさげにそう言った。

 

「……そこは断言してくれないかしら? それと、そんなに怖がられるとは思わなかったわ……」

 

 そんな二人の様子を見て、紫は苦笑いを浮かべて頬をかいた。

 しばらくして、アルバートは紫に向き直った。

 

「それで、ここに来たということは俺に用なのだろう? 何の用だ?」

「この間の協議内容をまとめた書類を届けに来たのよ。過不足があるか確認してちょうだいな」

「ふむ……」

 

 アルバートは紫が取り出した紙を受け取ると、内容を確認した。

 中には人狼が幻想郷の外で人を襲うことを容認する趣旨等、先の協議で決まったことが事細かに書かれていた。

 それを確認すると、アルバートは一つ大きく頷いた。

 

「……確認したが、問題はない。確かに受け取ったぞ」

「ええ。それから、将志にもこれね」

 

 紫はそういうと将志に折りたたまれた紙を渡す。

 将志はそれを受け取ると、内容を流し読む。

 

「……報告書か。確かに受け取った。後で目を通しておこう」

「あ、そうそう。将志、天魔が貴方のことを捜してたけど、何かしたのかしら?」

 

 紫がそういった瞬間、将志は嫌そうな表情を浮かべる。

 

「……俺は何も知らんぞ」

「天魔というと……妖怪の山の首領か。確か妖怪の勢力としては最大の勢力ではなかったか?」

「将志くん、どうするの?」

「……放置しておけ。行ったところで碌なことがない」

 

 愛梨の問いかけに将志は苦い表情でそう答える。

 その表情は、将志には珍しく嫌悪感を露にしたものだった。

 

「そういうわけにも行かないんじゃない? 首領同士の話となるとそれなりに重要な話なんじゃないの?」

「……断言しよう、天魔に限ってそれはない!」

 

 ジニの言葉に対して、将志は力強く断言した。

 過去に数々の辛酸を舐めさせられた天魔に対して、将志は欠片も信頼などしていないのだった。

 

「あら、どうしてそう言い切れるのかしら? 前に話したときは真面目な話をしていたけど? それに時期が時期だし、案外真面目な話かもしれないわよ?」

「……くっ、否定する要素がないか……すまないが、今日はこの辺りで失礼させてもらう」

 

 紫の言葉に、将志は心底嫌そうな表情でそう答えて部屋を出ようとする。

 

「ああ。次は酒でも飲みながらじっくり話をしよう。最高のワインを用意して待っているぞ」

「……楽しみにさせてもらおう。では、またな」

 

 アルバートの言葉に、将志は軽く深呼吸していったん気分を落ち着けてからそう答えた。

 

「愛梨、めげずに頑張りなさいよ」

「……うん♪ 頑張るよ♪」

 

 その一方で、ジニは愛梨に激励の言葉を送るのだった。

 愛梨はそれを受け取ると、駆け足で先に行っている将志を追いかけるのだった。

 

 

 

 

 

「……さて、一度帰って書類をしまわなければな」

 

 空を飛んで銀の霊峰の近くまで戻ってくると、将志はそう言って頂上に向かう。

 なお、真っ直ぐ妖怪の山に向かわなかったのは将志の天魔に対するささやかな抵抗である。

 

「あ、それじゃあ僕は下の様子を見てくるよ♪」

「……ああ、頼む」

 

 愛梨は将志に一言告げると、旋回して霊山の麓へ向かっていった。

 将志はそれを見送ると、社に戻っていく。そして山門まで来たとき、将志は異変に気がついた。

 

「……む? 門番が居ないな……今日は涼だったはずだが……」

 

 将志は門の近くに降り立って周囲を捜してみる。

 すると、金色の髪に赤いリボンをつけた闇色の服の少女が倒れていた。

 

「……ルーミア? おい、どうした!?」

 

 将志はルーミアを抱き起こし、本殿へと運ぶことにした。

 ルーミアは傷だらけで、かなり手ひどくやられたであろうことが分かった。

 

「うう……お兄さま?」

「しっかりしろ、アグナはどうした!?」

 

 将志は腕の中で目を覚ましたルーミアに問いかけた。

 ルーミアは眼の焦点があっておらず、意識が朦朧としているようであった。

 

「お姉さまは襲撃者を追いかけていったわ……」

「……襲撃者だと?」

「ええ……襲撃者は、門番をさらってこんな紙を置いていったわ……」

 

 ルーミアはそういうと、手にした紙を将志に差し出す。

 将志はルーミアを救護室の布団に寝かせると、その紙を受け取って中を見た。

 

『将志へ お前が来ないから拗ねてやる。門番を帰して欲しかったらさっさと来い 天魔』

 

 その紙は涙で濡らしたとでも言いたいのか、所々濡れた様な跡があった。

 将志は内容を確認すると、無言でその紙を丸めて床にたたきつけた。

 

「……よし把握した。少し出かけてくる」

 

 後にルーミアは語る。

 このときのお兄さまは、少しでも動けば殺されてしまうと思うほど怖かったと。

 

 その日、妖怪の山では大爆発が相次いで起きた。

 

 余談だが、その日帰ってこられたのは悔しそうな表情を浮かべる妖精と半死半生の門番だけだったことを追記しておく。

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人狼の長に招待された銀の槍。相棒と共に見た、人狼の里の風景は。
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コメント
実は、ガラス自体は日本でも古くは作られていたのです。ただ、それを実用的な使い方をし始めたのは西洋の文化が入ってきてからと言うことですね。あと、天魔は基本的に以前のことは気にしない人だということにして置いてください(F1チェイサー)
将志と相棒、人狼の里を訪問するの巻。旧文明と共に失われたガラスが、再び精製されるまでに文明が至った。人狼の里はガラス原料の目処が立ったし、将志は断念していた料理を作れる、お互いに実入りのある物となったな。…しかし帰宅すれば天魔による襲撃って、それが初対面時に将志にキレてた奴のする事か?(クラスター・ジャドウ)
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