眠れる森の美女 |
──まばゆい光に射られて、重い瞼をこじ開ける。
霞む視界に写るのは、金色の・・・輝き。
それは、見慣れたモノ。こんな風に、豪華なアッシュ・ブロンドの髪を持っている人間は、虎徹が知る限り一人しかいない。
だから、彼は目を細めつつ、その人物の名を呼ぶ。
「・・・ば、にぃ・・・?」
しかし。何故か喉から発せられた声は、自分でも驚いてしまうような掠れたモノ。
何だ?何で、こんな変な声が出たんだ?
しゃがれ過ぎてて、激しく戸惑ってしまう。
それに、喉も痛てぇ。水・・・水が欲しい。
・・・と。
その虎徹の意思を読み取ったかのように、金色の光を纏うヒト・・・青年が、ゆらりと身体を動かした。
首裏に掛かる、大きな手の感触。それが力強く、うなじを固定する。
「口を開けて下さい」
ぼんやりとした意識の中、涼しげな声音が耳朶を打つ。
それに促されるように、虎徹が従う。
同時に、唇が何かで塞がれ。一瞬の息苦しさと共に、冷たい液体が流れ込んでくる。
それが水だ、と気付いた刹那。虎徹は、喉を鳴らして注ぎ込まれたものを飲み干した。
旨い。唯の水なのに、まるで甘露のようだ。
だから、もっと、と強請ってしまう。
震えながら伸ばされた舌に、相手が微かに笑う気配がする。
そして再び与えられる水。
何回か、小分けされて同じ動作が繰り返される。
──暫くして、虎徹は“もういい”と言う風に、片手を上げて相手の胸を押した。
が。己の腕だというのに、ほとんど力が入っていない事に気付く。
それでも、男は虎徹の意をやはり的確に汲み取って、唇を離してくれる。
そぉっ、と壊れ物を抱くかのように、またシーツの上に戻される。
額をくすぐる指の動き。暖かくて、心地よくて。
虎徹は猫のように瞳を緩ませて、瞬きをした。
段々と、世界がクリアになっていく。
自分を覗き込んでいる男の姿も、ぼんやりとしたモノから次第に輪郭がくっきりとしていく。
果たして、そこにいたのは。
「バニー・・・?」
もやついた囁き。まだ声が枯れている。
だが、男は。美しい金の髪と、類まれなる美貌を備えた青年は、蕩けるような微笑みを見せてくれた。
「はい、虎徹さん。お早うございます」
優しいトーンの声。
愛しさに溢れた響き。
虎徹は、ふにゃりと笑いかけたが。不意に、その笑顔が凍り付いた。
鮮明になった瞳に写ったのは、見慣れたノーブルな眼鏡。
けれど、その奥にある双眸は、柘榴のような真っ赤な・・・血の色。
記憶にあるバニーの目は。大切なバディの目の色は、翡翠もかくやといわんばかりの秀麗な緑色だった筈。
なのに、自分に伸し掛かっている男のソレは・・・
「お前・・・誰だッ!?」
ひび割れた声で叫んで、起き上がろうとする。
しかし。
「え・・・?」
呆然として呟きを漏らす。
確かに手足に力を入れた筈。なのに、四肢は麻痺したかのように、ぴくりともしない。
血液の代わりに、鉛でも詰め込まれたような酷い重み。
虎徹はシーツに横たわったまま、驚愕に顔を引き攣らせた。
何でだ!?何で、身体が思い通りに動かせねぇ?!
俺・・・俺、一体どうしちまったんだ!?
ワケが判らず、純粋な恐怖が襲い掛かってくる。
すると、その彼に相棒・・・バーナビーそっくりの男が、宥めるような微笑を端正な面に浮かべてみせた。
「無理をしないで下さい。貴方は目覚めたばかりなんです。急に身体を動かそうとしたら、体内組織が破壊されてしまう可能性があります」
「えっ?」
言われた台詞に、きょとんとする。
体内組織が破壊?目覚めたばかり?
一体、どういう事だ?
・・・その疑問が顔に出ていたのだろう。
バーナビーの姿を持つ者は、今度は苦笑した。
「初めから、きちんとお話します。だから、そんなに不安そうな顔をしないで下さい」
「・・・」
「ほら、リラックスして。そう、いい子ですね」
ブランケットを掛け直してやりながら、あやすように囁く。
そんな仕草は、虎徹の記憶にあるいつもの彼と同じ。
だが、ヒーローとして研ぎ澄まされた五感が、頑なに警告を鳴らしている。
コレはバニーじゃない。姿形は、大切な相棒とおんなじだけど。
でも、判る。違う。アイツじゃない。
虎徹は、じいっと青年を凝視した。
「お前、ホント誰だよ・・・バニーは?ここ、何処だ?」
さっきよりは幾分マシになって来た声で問う。
よくよく落ち着いて周りを眺めてみれば、見慣れない調度類ばかりだ。
白い無機質な壁。高い天井。広い窓。リノウムの床。
そして、ほんの少し漂う薬品の匂い。
そう、これではまるで・・・病室のようだ。
もしかすると、自分は任務中に怪我をして、病院に運び込まれたのだろうか?
だけど、もしそうならば、この男は?
バニーだけど、バニーじゃない。
着ている服も、いつものライダースジャケットやカーゴパンツじゃなくて。
細いラインの、ドレープネックのシャツと、ミリタリー風のジャケット、そしてブラックスリムジーンズを履いている。
物凄く恰好いいけれど、いつもの青年なら絶対に着ないようなチョイスだ。
服装の趣味が変わったとしか思えない、アメカジ風のファッション。
虎徹は、酷く戸惑ったように視線を泳がせた。
そんな彼の片手を、青年がそっと握り締める。
青年は、捉えた右手の爪先に、愛おし気に唇を寄せた。
「!?おい、っ・・・!」
「──貴方の覚醒を、ずっと待っていました。僕は、貴方の為に造られた存在だから・・・」
「?なに、言って・・・」
「虎徹さん。まず、今の西暦から伝えておきます。現在、シュテルンビルト歴は、×××年。季節は、春です」
「・・・!?」
いきなり切り出されて、虎徹がぽかん、とし。継いで、目を大きく見開く。
西暦×××年?それは、自分が生きている時代から、軽く100年近く経過しているではないか。
虎徹は、青年をキッと睨み付けた。
「何だよ、それは。変な冗談言うな!俺がいる時代は・・・」
「そうです。貴方が生きていた時から、遥かに時間は過ぎています。断っておきますが、これはジョークでも何でもありません」
「んだと・・・?」
「貴方は、時から切り離されていた人間です。もっと正確に言えば、虎徹さんはずっと眠り続けていたんです。年も取らず・・・」
「はぁ?」
突拍子もない言葉に、虎徹が眉を潜める。
そして彼は、鼻で嗤った。
「くだんねぇ話を聞いている暇は、俺には無いんだよ!時から切り離されていた?下手なSFか?そりゃ」
「まぁ、信じられないのも無理はないでしょう。でも、全て事実です」
「まだ言うか?」
「そんなにいきり立たないで。最後まで聞いて下さい」
ムッとした虎徹を、青年が諌める。
青年は、静かに彼を見つめた。
「虎徹さん。貴方は、“チェザーレ病”に罹っていたんです。貴方が38才の時、それは発病しました」
「“チェザーレ病”・・・?」
何だよ、そのヘンテコな病名は、と虎徹が口をへの字に曲げる。
「いい加減な事言うと・・・」
「生憎、嘘でも何でもありません。“チェザーレ”というのは大昔上映された『Das Kabinett des Doktor Caligari』というサイレント映画に登場する、夢遊病患者の男の名前です。この病気は、それから取られました」
「・・・」
「この病気に罹ると、感染者は深い眠りに落ちます。そして、どんな刺激を与えても。どんな薬物投与をしても、決して自力で覚醒する事が出来ないという、恐ろしい病です」
一般に、睡眠関係の病気として、ナルコレプシーという脳疾患の種類がある。
これは、強い眠気の発作を起こす奇病だが。
「“チェザーレ病”は、それとは微妙に違って。まず、一般の人は罹りません。この病魔に侵されるのは、NEXTだけなんです」
「!?」
さらりと言われた言の葉に、虎徹がぎょっと息を飲む。
NEXTだけが掛かる、特殊な病?
「・・・そんなの、聞いた事ねぇぞ」
「そうでしょうね。今でこそ、この病気は広く知れ渡っていますが、虎徹さんが罹った当時では、症例は天文学的と言っていい程に少なかったんです。それだけに、対処方法も治療法も判らない。ただ一つはっきりしたのは、NEXT能力者だけが罹患するという事だけでした。恐らく、特殊な進化を遂げた力の弊害だろう、と」
「・・・」
「貴方はある日、この病気に襲われました。そして、以後ずっと眠り続けていたんです。貴方は入院を余儀なくされ、ご家族も連絡を受けて駆け付け。貴方を慕うヒーロー達も、毎日病室を訪れては、目覚めを待ち望んでいました」
しかし。一年が過ぎ、二年が過ぎ。何年経っても、虎徹は目を醒まさなかった。
点滴で命を繋いでいたが。経口摂取をしない身体は、みるみる内に筋肉が削げ落ち。
痩せ衰え。
最悪、眠ったまま命を終えるかという瀬戸際まで追い込まれたのだ。
そんなある日。医師が、一つの可能性を家族に持ちかけた。
このままでは、鏑木さんの命が危ない。けれど、治療方法は残念ながら見つかっていない。
ならば、未来の医学に期待を掛けてはどうか、と。
「ドクターが提案した画期的な延命法。それは、貴方をコールドスリープさせるという事でした」
「こ・・・コールドスリープ・・・?」
震える声で、鸚鵡返しに呟く。
青年は軽く頷いた。
「ええ。いわゆる、冷凍睡眠です。貴方を人工的に仮死状態にした直後、ただちに体を冷凍保存させ、未来の医療に希望を託すというものです。ただ、この手法には危険も伴う。身体に残る水分が凍結し、それにより細胞が破壊されてしまうかもしれない。若しくは、長期間の氷漬けにする事で、皮膚が壊死を起こすリスクも考えられた。それでも・・・このまま放置しておけば、貴方はなす術なく死んでしまう。貴方のご家族は、悩みました。でも、最終的には医師の提案を飲んだのです」
それには、貴方のバディ。バーナビー・ブルックスJrも賛成しました。
彼は、貴方に永久に添う事を望んでいたから。
「・・・バニー、が?」
「はい」
「何で・・・そこでアイツが?」
自分達は、確かに信頼し合った相棒だけれど。
何故、彼が関わってくるのか。
所詮は、他人同士なのに。
と、青年は微苦笑を浮かべた。
「虎徹さんは知らなかったでしょう。バーナビーは、貴方にバディ以上の感情を抱いていたんです。彼は、貴方を愛していた。誰よりも愛しいと思っていた。もし、貴方が“チェザーレ病”に侵されなければ、遠からず気持ちを告白していた」
「なっ・・・!?」
予想外の事を言われ、虎徹が絶句する。
バニーが、この自分を愛していた?
そんな・・・あんなにイケメンで。地位も財力も持っていた若者が、こんなくたびれたロートルヒーローなんかを?
「うそ、だ」
思わず漏らしてしまう。だが、青年はゆるりと首を横に振った。
「嘘じゃありません。本当の事です。彼は、世界中のどんな人間よりも鏑木虎徹を愛しく思っていたんです。だから、彼は貴方のご家族に正直に自分の想いを打ち明けました。虎徹さんと結婚させて下さい、と」
「え・・・!?」
「勿論、ご家族は難色を示しました。あぁ、誤解しないで下さいね。シュテルンビルトでは、同性婚はタブーではありません。それについて、躊躇ったのでは無かった。彼等が懸念したのは、バーナビーの未来を奪う事です」
例え虎徹と結婚したとしても、相手は下手をすれば未来永劫目覚めない。
そうなったら、バーナビーはずっと一人ぼっちだ。
眠り続ける男の為に、若い青春を無駄に浪費させるのは忍びない。
そんな風に家族は考えたのである。
けれど、その彼等にバーナビーはある事を延べた。
それは、全ての者達の予想を遥かに超えた策だった。
すなわち。
「バーナビーは、自分の精子を取り出し、貴方と同じように冷凍保存すると言ったんです。彼は自分のクローンを作ろうと思ったのです。ただし、その精子を保存できる期間は、100年がリミットでした。かつ、バーナビーが求めた母体は、虎徹さん。貴方の一人娘である、鏑木楓さんでした」
「何だって!?」
「医学が進んだ時代でも、クローンはやはり女性の腹を借りなければ完璧なモノが創り出せない。しかし、おいそれと仮母体になってくれる女など、そう簡単には見つからない。だが、貴方の娘ならば。自分と同じように、鏑木虎徹を愛する者ならば・・・」
無謀な望みではないかもしれない。
コールドスリープは、死後復活できる限界として、同じように100年だ。
更に言うならば、楓が出産できるギリギリの年代としては、40才前後だろう。
排卵が終わってしまえば、妊娠は無理だし。卵子も年を取る。
まして、卵子が年齢を経てしまったら、受胎できるかどうかも怪しいのだ。
「楓さんが出産できる限界として、40才。それを過ぎたら、他の女性を改めて探さなければならない。でも、バーナビーは貴方の血を引く唯一の存在に固執した。彼女以外、聖なるマリアは考えられなかった」
そして、バーナビーは楓に膝を折ったのだ。
どうか、この願いを叶えて欲しい、と。
未来の僕を、貴方に産んで欲しい、と。
虎徹は、愕然として青年の顔を見つめた。
信じがたい話の連続に、身体が小刻みに震え始める。
自分が、奇病に罹って。ずぅっと眠ったままになって。
バニーが、自分を深く愛していて。楓に、仮母体となって貰えるよう、頭を下げた?
そんな・・・バカな。知らない。嘘だ。こんなの、ぜんぶ嘘だ・・・
だが。目前の、大切なバディそっくりの男の雰囲気からは、これが与太話などではないという事が、本能的に感じられてしまう。
虎徹は、唇をキュ、と噛んだ。
そうしないと、激しい動揺に駆られた所為で、不覚にも涙が零れてしまいそうで。
いい年をしたオジサンが、子供みたいに泣き喚くワケにはいかない。
それでも・・・つい、鼻をずずっ、と啜り上げてしまう。
すると、青年は“泣かないで下さい”と、鼻頭に優しいキスを落した。
「済みません。目覚めたばかりの貴方に、こんな話はキツイかもしれない。でも、虎徹さんは知らなければならない。現実から逃げる事は出来ないんです。貴方は強い人だ。きっと耐えられる筈・・・」
「ば、に・・・」
「──続けます。紆余曲折の後、鏑木楓さんはバーナビーの願いを聞き入れてくれました。大人の女性になった時、貴方の為の仮母体となると。子宮を貸し出す、と」
「・・・」
「こうして、全ての事に目途が付き。バーナビーは、自分の精子を体内から取り出すと、冷凍保存させました。それと前後するようにして、貴方は予定通り仮死状態にされた。直後、すぐにコールドスリープされたんです」
その前に、ご家族の了承を得て、貴方とバーナビーは親しい人達だけに祝福されて、結婚式を挙げ。
未来に治療を託して。貴方は、時間を止められた。
そして。
「以後、バーナビーはヒーローを引退しました」
「えっ!?な、んで・・・」
「彼は医者にだけ任せず、自分も研究に着手したんです。“チェザーレ病”を一日でも早く克服できるよう。再び、貴方を覚醒させられるよう・・・自分の持つ知力を、全て医学に捧げるつもりで」
元々、知能指数は遥かに高い若者の事、周りの協力もあって、医大に進学し。
それこそ日進月歩の勢いで、知識を吸収し。
瞬く間に、彼は立派な研究者へと成長を遂げたのである。
「でも、“チェザーレ病”は手ごわかった。貴方の仲間だったヒーロー達は何とか病魔を免れていましたが、それこそ数え切れない程にNEXT能力者達が犠牲になりました。それでも、バーナビーは挫ける事なく研究を続けた。貴方の目覚めだけを求めて」
「バニーが・・・」
うっすらと涙の膜が張った瞳を瞬かせて、虎徹が呟く。
・・・そんなにも、あの若者は自分の為に尽くしてくれていたのか。
なのに、自分は何も知らず。ただ、のうのうと・・・
「俺の為に、アイツは人生を浪費しちまったのか・・・」
後悔に満ちた表情で、力の入らない指でシーツを微かに掴む。
けれど、青年は首を横に振った。
「違う。バーナビーは幸せでした。貴方を愛していたから。彼は、自分を貴方に捧げる事こそが生き甲斐だった。それだけは信じてあげて下さい。虎徹さんは、自分を責める必要は無い」
「・・・」
「それから長い月日が経ちましたが、効果的な治療法は相変わらず発見されなかった。そうこうする内、御母堂は天寿を全うされ。楓さんは結婚し、二児の母となり。それぞれが、年老いていきました」
だが、虎徹は眠らされたまま。現状維持が続き。
進展の無いまま、時間は流れていたのだが。
やがて、ついに待ち望んだ瞬間がやって来たのだ。
「バーナビーが、病気を治す方法の糸口を長年の研究の末、ようやく掴んだんです。だけど、気の遠くなるような臨床実験を繰り返さなくては、実用化はされない。しかし、彼には自信があった。絶対に、貴方を蘇らせる事が出来る、と」
だから、彼はついに例の考えに着手する決断をした。
楓に、自分のクローンをその体内で育んでもらう事を。
「その時、楓さんは42才。高齢出産というリスクを孕んでいましたが、彼女は一も二も無くバーナビーの願いを聞き入れた」
やっと、希望に手が届く。バーナビーさん、お父さんをお願いね。
私の事は心配しないで。必ず、『貴方』を無事に産んでみせる。
そう言って、楓は微笑んだのだ。
その笑顔は、正に父親に瓜二つだった。
「彼女はバーナビーの幹細胞を子宮へと移植させた。そして、クローン・・・すなわち、この僕を見事に誕生させたんです」
その時、オリジナルのバーナビーは60才に手が届く年齢になっていたが。
母体の無事と、クローン実現化の成功に涙を流して歓喜した。
新たにこの世に生を受けた赤ん坊は、書類上バーナビーの養子となり。
彼の元で育成される事となった。
やがて、クローンが10才を過ぎる頃。バーナビーの研究に、ようやく認可が下り。
“チェザーレ病”の特効薬が開発されたのである。
が、それは投与されたからと言って、すぐにも効果が出るものではなく。
ゆっくりゆっくりと体内で毒素を浄化する為、少なくとも15年近く完治に時間を要するというものであったが。
それでも、バーナビーは躊躇う事なく、冷凍保存されている虎徹に薬を投与したのである。
「後は、経過観察が彼の日課となり。それと並行して、僕はバーナビーによって教育されました。もし自分に何かあった時、全身全霊で貴方を守るように、と。彼は自分が持つ知識を、惜しむ事なく僕に注いだんです」
紅い瞳が、優しい光を湛えている。
虎徹は、呆けたように話を聞いていたが。ふっ、と表情を曇らせると、おどおどした様子で口を開いた。
「お前・・・は、それで良かったのか?」
「虎徹さん?」
「お前はバニーのクローン・・・だけど。でも、ちゃんと自分の意思を持っているヒト、なんだろう?いくらオリジナルのバニーちゃんに育てられたって言っても、他にやりたい事とか。そんなのは無かったのか?これじゃあ、まるで・・・」
傀儡みてぇなモンじゃねぇか。
辛そうに俯く。
青年は、一瞬目を見張ったが。すぐに、柔らかく微笑んだ。
「いいえ。僕はバーナビーそのものなんです。彼が大切なモノは、僕にとっても大切なモノだ。操られた訳でも、押し付けられた嗜好でもない。僕とオリジナルは、同一の存在なんですから」
「バニー・・・」
「それに。僕は少年の頃、一度だけコールドスリープされている貴方を見せてもらった事があるんです。オリジナルは、自分自身なのに僕をカプセルに近付けず、貴方を独り占めしていたから・・・だから本当に、珍しい出来事だったんですけれど」
初めて見た貴方は、バーナビーの心づくしの蒼い薔薇の花・・・ブリザーブドフラワーに包まれて、静かに目を閉じていた。
その表情は、穏やかで。口元には、微かな笑みが滲んでいて。
肌は艶めいていて。仮死状態なのが嘘のように・・・いまにもすぐに目覚めそうな“命”に満ちていて。
とても。とても綺麗・・・だった。
「虎徹さんを一目見た瞬間から、僕は貴方に恋をした。これはオリジナルの気持ちが移植されただけなのかもしれない。でも、それでもいい。僕は貴方を愛しいと。確かにこの心臓が、そう言っているのを感じたのだから」
甘く囁いて、もう一度虎徹の指を取り、恭しく口付ける。
虎徹は、薄く頬を染めた。
「・・・それから13年が過ぎ。僕が23才の時、オリジナルのバーナビーは死亡しました。あぁ、そんな哀しそうな顔しないで。ショックなのは判りますが、寿命だったのですから、仕方の無い事です。けれど、彼の想いは僕に受け継がれた。僕はオリジナルから譲られた研究を守って、貴方の覚醒を待った」
そして、とうとう。その時が訪れたのである。
「オリジナルが鬼籍に入って、一年後。貴方は目を醒ました。それがさっきの事なんです。検査の結果、貴方の身体からは完全に“チェザーレ病”は消滅している。バーナビーの研究は、成功したんです」
コールドスリープから解除されたばかりで、身体の機能は戻り切ってはいませんが。
リハビリを続ければ、元通りの健康を取り戻す事が出来る筈です。
安心させるように言う。
虎徹は、長い長い話に、魂を抜かれたようになっていたが。
はた、と目を大きく開いた。
「そ、それで・・・楓、は!?兄貴は・・・」
「──残念ながら、お二人ともオリジナルと同じように亡くなられています。僕も、貴方に会わせてあげたかったのですが・・・」
力及ばず、申し訳ありません。貴方のお仲間のヒーロー達も、みんな・・・それぞれ・・・
神妙に謝って、虎徹の髪を梳く。
虎徹は横たわったまま、大きな双眸から静かに涙を零した。
自分の身体に、そんな大変な事が起きていただなんて。
ただ、普通に目覚めただけだと思っていたのに。時は残酷に過ぎて。
親しい者達、全てに置いて逝かれてしまっていたなどと。
誰が想像できただろうか。
もう、いない。みんないない。
家族も、親友も。仲間も、そして・・・バーナビーも・・・
「う・・・ッ・・・」
堪え切れず、嗚咽が零れる。
虎徹は、動かぬ身を切なく捩って、泣きじゃくった。
「楓・・・兄貴・・・み、んな・・・バニーちゃんッ・・・!」
嫌だ。俺一人なんて、嫌だ。
こんな事なら、目覚めなければ良かった。
コールトースリープされたまま、死んでしまえば良かった・・・
涙を流して、途切れ途切れに呻く。
その彼を、青年がそっと抱き締めた。
「・・・そんな事言わないで。貴方は一人ぼっちじゃない。僕がいます。バーナビー・ブルックスJrの魂を持った、僕が・・・これからは貴方を護ります」
オリジナルは、こんな未来を予想して僕を創ったんです。
虎徹さんを孤独にしないように。
『自分』が、貴方を永久に愛し、慈しむ為に。
「一緒にいましょう、虎徹さん。何も心配しないで。何も怖がらないで。大丈夫、僕は貴方のものです。だから、貴方も僕だけのものになって下さい。ね?」
「ば、にぃ・・・」
「愛しています」
熱っぽい翡翠の瞳に捕えられ。甘い睦言を囁かれ。
額に、頬にとキスをされ。
虎徹が、ちくちくと痛む心を持て余したまま、ただひたすら涙を零し続ける。
悲しい。辛い。
だけど・・・自分を抱き締める青年の腕の、何と暖かい事か。
今の己には、この体温が唯一のよすがなのだ。
「バニー・・・バニーっ」
必死の努力で、片腕をほんの少しだけ上げて、青年の着ている服の裾を掴む。
バーナビーは、その仕草に嬉しそうに笑って。
何度も何度も口付けを繰り返したのだった。
ぱたん、と病室の扉が閉まる。
バーナビーは、ふぅと小さく息を吐くと、金糸を掻き上げた。
どうにか虎徹を宥め。再び今度は一時的な睡眠へと、彼を落ち着かせた。
冬眠していた時とは違って、確実に目覚める事が可能な、穏やかな眠り。
泣き疲れて意識を手放した彼は、ぞくぞくする程に可愛くて。
つい、バーナビーの口元に、苦笑が浮かんでしまう。
青年は、虎徹に対する優しい感情をくすぐったく思いつつ、ちらりと廊下を眺めた。
──そこにあるのは、穏やかな空気が満ちていた病室とは裏腹な光景。
冷たい床に転がる、血だらけの骸。
それは白衣姿で。一目で、病院関係者と判る。
壁にべったりと残る血糊。恐怖に見開かれた表情の死体。胸に刺さったままの刃物。
似たようなソレが、数人・・・あちこちに転がっている。
バーナビーは、氷の瞳で彼等を一瞥した。
「虎徹さんが退院するまでに、片付けておかないとな」
一人ごちて、手近にあった死体を靴の先で小突く。
この物体達は、みな“チェザーレ病”の医療チームだ。
それらが何故こんな所で息絶えているのか。
それは、彼等が全員・・・バーナビーを裏切ったから、だ。
青年は、軽く唇を噛んだ。
オリジナルのバーナビーは、他の研究者達によって深手を負わされ、それが元で亡くなったのだ。
いや、バーナビーだけではない。楓も、家族も。老いたヒーロー達、全て。
研究者達は、冷凍保存された虎徹の身体を虎視眈々と狙っていた。
もっと正確に言えば、彼を実験材料として欲していたのだ。
特効薬を投与されて、成果を待つ人体。
それは、彼等にとっては貴重なサンプルとしか映らなかった。
昔ならばいざ知らず、虎徹は現在ではただの患者で。ヒーローでもなんでもない。
彼を蘇生させた所で、何も得るモノはない。
それよりも、彼を解剖し。隅々まで調べる事で、特効薬の効能をもっとレベルアップさせる事が出来るかもしれない。
過去のヒーローなどを生き返らせるより、今奇病に侵されている財力に恵まれたNEXT達を救う方が、自分達の名声も上がる。
そう考えて、彼等は虎徹を奪取しようとして。それを阻止したバーナビー達に、秘密裏に刺客を放ったのだ。
殺しのプロに、かつてのヒーロー達は昔の活躍が夢幻のようにあっけなく倒れ。
バーナビーの命も風前の灯となった。
が、彼等は政府にも手を回していたので、事件が表沙汰になる事は無かった。
現在のNEXT能力者達からは、突出した者が生まれず。ヒーロー制度は、この頃既に廃止され。
正に、金のある人間が力、とされている荒れた世の中になっていたのである。
バーナビーは、死ぬ間際にクローンの青年に遺言を残した。
必ず、虎徹さんを護れ。どんな手を使っても、と。
青年は、それをしっかりと胸に刻み。表面上は何も知らぬふりを装って、研究者達と共に病気の治癒に取り組んでいた。
だが、ついに虎徹が目覚めた時。彼等は、虎徹を密かにラボに実験動物として押し込め。
薬の効き目を調べる為に、生体解剖を行おうと目論んだのだ。
そして、その時。
バーナビーは、隠していた牙を剥き。彼等を瞬く間に抹殺したのである。
連中を殺した刹那。バーナビーは、自分の瞳が紅く変色した事に気付いたが。
不思議と驚きは感じなかった。
これが罪の証だとしても、怖いものなど無い。
虎徹を護れた。その事実だけがあれば、殺人など大した痛痒にはならないのだから。
こつこつ、と靴音が響く。
バーナビーは廊下を歩きながら、携帯で話をしていた。
「・・・ええ、そうです。例の病院です。死体の始末を頼みます。勿論、特効薬に関しての情報協力は惜しみませんよ、警察庁長官」
うっすらと笑みを刻みつつ、研究者達の処理を依頼する。
現在では、金と地位、名誉さえあれば・・・例え法の番人でも、顎で使えるのだ。
そして、その権力を青年は持っている。
死体の片付けを命令するバーナビーには、罪悪感の欠片も見受けられない。
医師達は、自分の養い親や虎徹の親族を殺し、闇に葬ろうとした。
その彼等を、己が同じように処分して何が悪いというのだろう。
バーナビーは携帯で通話を終えると、病院の玄関を潜り外に出た。
表は、まばゆい光で満ち溢れている。
この中を、近い内に・・・虎徹の手を引いて歩こう。
これからは、自分が彼を幸福にしてやるのだ。
それが、みなの望みで。自分の夢なのだから。
「虎徹さん、ゆっくり休んで下さいね」
病室の辺りを見上げ、微笑む。
その姿は、太陽に照らされ。
堕天使のように、美しく輝いていた。
──茨に閉ざされていた眠り姫は、血の色の瞳の王子によって、この日、常しえに救われたという。
FIN
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兎虎、ウロバニちゃんも出てきます。シリアスメインのお話です。 (こちらの小説は、他サイトでもUPしております) |
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